[67143] かぱぷう さん
私が落書き帳デビューを果たしたころに絡んでいただいたことがあり、この場で『北九トーク』ができたことをずいぶん嬉しく思ったことを覚えています
(笑)覚えていただいていて素直にうれしいっす
ここ四半世紀での黒崎の転機は
1.いわゆる「鉄冷え」(1980年代前半)
2.西鉄北九州線・小倉砂津-黒崎駅前間廃止(1992年10月)
3・そごう黒崎店閉店(2000年12月)
であると私は思いますが、いかがでしょう?
基本私もそのように解釈していますよ
ただ2に関しては転機ではあるけれども黒崎にとっての商業的な影響はさほどは大きくはなかったのかもしれません。
むしろこの出来事は東区の商業的中枢であるJRから少し離れている中央町・上本町の衰退にとどめを刺したというイメージがあります。
九州地方では相当珍しい都銀であるみずほの支店があるというのに...商店街は2/3がシャッターという有様..。
かぱぷうさんは同世代(私は多分二つ差かな?)のようですがこの時期にある新日鉄の「起業祭」て行ったことありますか?
85年あたりまではそれはもう大変なお祭りでした。小倉祇園の次くらいに市内では動員してたのではないでしょうか?
無料の市営バスが昼から深夜までしかも折尾から更にバスの本城地域(かつて住んでいた)ですら10分おき位にきてそれでもスシ詰め状態でした。
話はそれましたが黒崎について、1の補足的な要因として不景気・オートメーション化に因る黒崎地域のおもな工場5社(当時の社名で三菱化成・安川電機・三菱セメント・黒崎窯業・高田工業所)とその下請けの青色組の人数の絶対的減少がやはりいろんな意味での盛り場としての黒崎の沈下になったのだと思います。
なのでやはり特に夜の黒崎のイメージが明らかに変わりましたよね。
20時にもなると前に比べて全然人がいない....
かつては昼はお母さんがそごう・ジャスコ・メイト・井筒屋・長崎屋・トポスetcetcで買い物、夜はお父さんが赤ちょうちんやビヤガーデンで一杯..という活気でしたが。
そごう撤退からは完全に時代が過ぎたという感ですよね。
跡テナントが見つからずふれあい通りの井筒屋さんに頭下げて来てもらい(これでふれあい通りには事実上デパートは消滅)、コムシティは予想通りの不振・撤退。プリンスホテルも撤退(
今もリゾートホテルの様子)
毎年里帰りする毎に溜息しか出ない有様です。
それは黒崎の乗降客数にも如実に出てますよね。
かぱぷうさんも手元にあるかとは思いますがJR九州では博多-小倉-鹿児島中央-大分-折尾に次ぐ6位、私鉄も含めると(おもな私鉄は乗降客数で発表なので1/2として、また、2社以上の乗換駅は多いほうに少ないほうの1/2を合算というぴょん独自ルール)博多-天神/天神南/西鉄福岡-小倉-鹿児島中央-西鉄久留米-西新-姪浜-大橋-大分-長崎-折尾に次ぐ12位、薬院までもう500人差で時間の問題という感じです。
前にも黒崎については
[24123]などでも投稿してますが小手先の再開発ではなくもっと根本的にコンセプトを練らなければ再生は難しいところまで来ていると思います。
前市長は失敗はあれどとりあえず鉄頼りからの脱却で学研都市や若松沖埋立地のエコタウン、門司港レトロまではなんとか形にしました。今度は労組出身の北橋さんです。
おひざ元の黒崎八幡の再生に期待しましょう。