一番初めの書き込みから7年。ようやく登録させて頂きました。
これからもよろしくお願いします!
さて、2002年12月から書き込みが無いようですが、ここでもう一回。
落書き帳アーカイブスの「終戦後の沖縄に生まれた市」にも書き込みしていますが、
その他にも市が有ったので書き込みします。
以前にも書き込みのある「久志市」は1945年9月末に「大浦崎市」から名称変更しています。
その大浦崎市は1945年9月に成立(久志、辺野古、豊原、真平の各地区から構成)しており、
実質一ヶ月弱しか存在していなかったようです。
その久志市も
成立前 | 30566人 |
10月 | 29027人 |
翌1月 | 8107人 |
と推移し、1946年1月に瀬嵩市と合併しています。
その瀬嵩市も久志市と合併する前に8市と合併しています。
瀬嵩市のあった瀬嵩地区は人口の増大に伴い1945年7月に瀬嵩市を含む9市が成立し、市長も
おかれました。
嘉陽市 | 4831人 |
大浦市 | 2544人 |
安部市 | 1297人 |
大川市 | 4170人 |
三原市 | 1445人 |
二見市 | 2768人 |
汀間市 | 4177人 |
東喜市 | 2330人 |
瀬嵩市 | 6669人 |
計 | 29899人 |
の9市です。
(人口は1945年8月1日現在。東喜は二見から分かれた地区)
これらの9市も9月20日に全て合併され瀬嵩市となり、各市はそれぞれ、嘉陽区、大浦区、安部区
大川区、三原区、二見区、汀間区、東喜区、瀬嵩区と、名称変更されています。
その後、翌1946年1月15日には瀬嵩市の人口は10698人まで減少し、同年3月の瀬嵩市を廃し、
久志村に改称されています。
これらの市は、瀬嵩地区司令部直轄のもとにそれぞれ独立した市を形成していたが、これらの市も、人口が多いというだけのことで、行政的には市の形態を備えながらも、政治的には組織も機関もなく政・行一体の形でただ住民の生活保護単位という形にすぎなかったようです。
ちなみに、以前にも書き込みのある「胡差市」は、当初は「古謝市」とも字をあてたそうです。
これらの内容は、読谷村史「戦時記録」下巻に詳しく掲載されております。