[94706]の続きです。
帝国陸軍測量の地図で、地元をながめていたのですが、西蒲区(旧西川町)に「ボーボー」という聞いたことのない地名を見つけました。
この地図、鎧潟(今は開拓されてしまって無い)の北北東、「升潟村」と書いてある文字の升と潟の間のちょっと下、新川沿いに書かれています。
気になる地名だし、今では聞いたことがないので、この地名については、西川図書館に行って、この地名は本当にあったのか、なんで無くなったのか確認してきました。
巻町双書 第十二集「鎧潟周辺の風土と生活」(昭和41年巻町役場発行)には、ボーボーという地名があったということと、昭和41年時点では西川町字新川町になっていること、ここの集落の人はこの地名が気に入ってなかったようで、昭和41年時点で最近に旧名を改めで独立の集落となったことが書かれていました。
「西川町史考その一『西川町の地名(一)』」(昭和45年西川町教育委員会発行)では、新川沿いにある集落が「芒々(ボウボウ)」や「村受」と呼ばれていたこと、未開拓の土地を善光寺村(のちの曽根村)で開拓を進めたので「善光寺村受新田」と呼ばれる、とありました。
よほど草がボウボウと生えていたのでしょうか?
ちなみに、この字は現在は西蒲区善光寺の飛び地のようです。