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般若堂そんぴんさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[77762]2011年3月12日
般若堂そんぴん
[77735]2011年3月3日
般若堂そんぴん
[77506]2011年1月23日
般若堂そんぴん
[77097]2010年12月24日
般若堂そんぴん
[76750]2010年11月13日
般若堂そんぴん

[77762] 2011年 3月 12日(土)01:16:44般若堂そんぴん さん
2011-03-12-01:16
各地で停電が続いているようですが,米沢市の,少なくとも私の住む地域は電気が通じております.

16:59,仙台市泉区の友人に携帯で連絡したところ,幸い無事とのことでした.それまで全く携帯がつながらずにいたとのこと.その後,またつながらなくなってしまいました.

被災地に住んでいらっしゃる方々は,ご無事であっても停電や携帯接続の不安定さゆえになかなか連絡がとれないようです.
建物の屋上に非難していらっしゃる方々にとってはこの寒さもつらいでしょう.
皆様のご無事を祈らずにおられません.
[77735] 2011年 3月 3日(木)23:34:49般若堂そんぴん さん
あき竹城氏による「あっあーい!」
米沢市出身のあき竹城氏が登場するというので録画しておいた2月28日放送の「しゃべくり007」を,母と二人で大爆笑しながら見ました.皆様の中にもご覧になった方はいらっしゃるでしょうか?

番組中,あき竹城氏が紹介していた「山形弁」と称するものは,実のところ「米沢弁」ですね.

「おしょうしな」が「ありがとう」を意味する,というのはその通り.付け加えれば,「おしょうし」=「どうも」,「おしょうしな」=「ありがとう」,「おしょうしなし」または「おしょうしなっし」=「ありがとうございます」という「段階」があります.

問題は「あっあーい!」です.あき竹城氏は,この言葉を「ごめんください」の意味である,としたうえで,それに対する返事その他,何にでも使えるかのように話し,またどこでも通用するかのように話していました.これは誇張が過ぎるようです.
「あっあーい!」あるいは,年配の方ですと「はっあーい!」と発音する場合も多いようですが,これはあくまでも「ごめんください」の意味で使用します.「あっあーいし!」のように「し」を付け加えると,丁寧さの度合いが増します.使用される(された)地域はおそらく米沢の旧市内だけではないでしょうか.1960年代には,大人でこの言葉を使用する人は極めて少なかったように思います.現在はほぼ完全に死語となっています.
番組中,この言葉を聞いた出演者はみな大爆笑していました.それほどまでにインパクトの強い,おもしろい言葉ですから,是非とも復活してほしいと思うのですが.もちろん,日常的に使用されるようになることはまず無いでしょうから,入店のさいには必ず「あっあーい!」といわなければならない駄菓子屋ができないものか,などと夢想しております.

上村良作氏の「米沢方言辞典」(桜楓社,1977)では「あっあえ」「はっあえ」「はっあえし」という表記で見出し語になっていますが,この表記はあくまでも「東京の耳」に媚びたものであり,米沢語の音韻体系に即したものではありません.
[77506] 2011年 1月 23日(日)04:02:07般若堂そんぴん さん
雪かき,雪下ろし,など
先ほど早朝の雪かきを終えたところです.

この冬は,気象庁の予報によれば「平年並み」の冬,ただし最近の暖冬と比較して雪などは多く感じられる,とのことだった,と記憶します.その予報をもとに,来客用の駐車スペースを確保する形で雪下ろしをし,除雪車が押し付けてくる路上の雪を敷地内に除雪機で飛ばしたのが誤りでした.結果として,次回以降の雪下ろしでは雪の固まりが必然的に道路に落ちます.ええ,落ちますとも.

気象庁の予報士達の能力が低いのか,あるいは気象庁による観測データの精度が低いのか?
昨年,NHKの気象情報でおなじみの半井小絵氏が山形県を訪れた際に,2006年の豪雪のようになる可能性を指摘していらっしゃったことを考えれば(以下,略)

そろそろ二回目の雪下ろしをしなければならないようです.

新聞等でも,雪下ろしの際の事故について報じられています.そこで述べられているのが,「雪下ろしは二人以上で行う」「命綱をつける」の2点.なぜそれが実行されないのか? 以下次号!(あるのか?)
[77097] 2010年 12月 24日(金)11:39:58般若堂そんぴん さん
米沢と置賜
[77092] YTさん

慶応2年でいきなり人口1万5000人分人口が増えていますが、これは屋代郷3万石が加増されたからで、維新後は再び置賜郡オンリーの、表高14万7248石、内高28万4748石、現高6万3269石、総人口12万9753人に減らされます。
「屋代郷」は現在の東置賜郡高畠町の一部ですね.上杉領になったり天領になったり,しばしば所属が変わったところです.慶応2年以前の変遷は引用された表には反映されていないように見えますね.

直江兼続は家臣を帰農させることなくすべて奉公人として雇い続けたというのが美談とされていますが、米沢藩の歴史をひも解くと、むしろこのことが江戸時代を通じて米沢藩の人口停滞の原因となる重荷になったように思えます。
実際には下級武士の中には原方衆として半士半農となった人たちも多いようですね.ウコギの生け垣が見事な芳泉町の「武家屋敷」もそうした集落の一つです.
いずれにしても,置賜在来の農民にとっては重い負担だったでしょうね.

置賜地方の言葉をみると,伊達氏以前からの「本来の」置賜言葉と,上杉氏によってもたらされた越後由来の言葉が区別されるように思います(上村良作氏著「米沢方言辞典」(桜楓社,1977)ではそのような考察はなされていませんが).それぞれの言葉の話し手の間には,様々な交流とともに何らかの断絶もあったのではないか,と想像します.
しばらく前の市の広報に,米沢言葉ではない置賜言葉で書かれた大見出しがあり強い違和感を覚えたのですが,昭和の大合併で加わった新市域の方々からみれば,おそらくそちらこそが正当な置賜語なのですね.
[76750] 2010年 11月 13日(土)00:30:48般若堂そんぴん さん
十番勝負
いまさらですが

問一:米沢市


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