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[99086] 2020年 1月 17日(金)17:59:35hmt さん
文明の道(2) アイアンロード後編
[99079] hmt アイアンロード前編
今回の「アイアンロード」は、西の起点を「人工の鉄」の発祥地アナトリアとし、東は漢の西域で分岐し、定住国家・中国へのルートも加えた道になっています。(中略)
万里の長城の壁を隔てた2つの国・北の匈奴と南の漢とは、紀元前3世紀から壮絶な戦いを繰り広げました。この争いの中で、スキタイの時代とは異なる革新を遂げ、鉄の物語が進みます。

匈奴が発明した強力な鉄の 鏃(やじり)

アルタイ山中に冷蔵保存されていた遊牧民スキタイのミイラ(BC5世紀)から少し後の時代です。
中国の戦国時代は 秦の始皇帝 により統一され、その後、項羽との争いを勝ち抜いた 劉邦の天下になりました。
漢の高祖です(BC202)。中国再統一と言っても、長城の北には 遊牧民の国・匈奴がありました。
BC200年、漢の高祖は 匈奴の冒頓単于を討つ北伐軍を動かしたが、白登山で包囲された。
辛うじて脱出できたものの、その後は 毎年貢物を匈奴に差し出す 屈辱的な条約を結ぶ結果に。

このような軍事的結果をもたらした武器が、匈奴で発明された 強力な鉄の 鏃(やじり) でした。
番組では復元した二段式鏃の一段目が当時の鎧に見立てた銅板を貫き、鏃の二段目で致命傷を負わせるモデルを再現。
また、匈奴の地下式製鉄炉によりスキタイから伝えられた技術の系統を示していました。
去年発見された宮殿近く。12基の製鉄炉を備えた直轄の大軍需工場があった 鉄の軍事国家・匈奴。
現代世界。核兵器や飛道具の開発で 独自の軍事強国を目指している某国が近い。これを連想させる長城の北側でした。

長城の南で 別に起きた 鉄のイノベーション 高炉と炒鋼炉

アイアンロードの行先は、草原の道を進んだ先の匈奴だけでなく、アルタイ山脈の南・天山北路から河西回廊を経由して中国に至るルートもありました。時代的にはこちらが先かもしれません。

2tもの大きな漢代の鉄塊が残されている「鉄牛村」。愛媛大学の村上さん(既出)は4mもの高さがある高炉を紹介しています。高炉による製鉄は能率が良いので鉄の大量生産に向いていますが、鉄鉱石を還元するのに用いた炭素が4%も溶け込んだ銑鉄になってしまい、鋳物には使いやすいが脆くて割れやすい欠点があります。
脆い弱点を克服して「強い鉄 = 鋼」を手に入れる「炒鋼炉」も発明されていました。
半溶融状態の鉄を捏ね回して炭素を除いて錬鉄にする「パドル法」は 1784年に英国で発明とされています。
私はシロウトなので 技術の相違点をよく理解できていませんが、漢代の「炒鋼炉」は、ずっと古い時代、既に大量の空気を使った炭素低減法を実現していたのでしょうか?

劉邦が冒頓単于に敗れた白登山の約70年後、漢の武帝は 革新された鉄の技術によって 匈奴に対する逆襲戦。
強い鉄による大型新兵器の代表は「戟(げき)」であり、匈奴の騎馬武者を引っ掛けて倒したようで、形勢を逆転しました。しかし 決定的打撃には至らず、漢と匈奴の戦いは 果てしなく続いたようです。

丈夫な鉄の大量生産は、もちろん平和的用途にも役立ちました。その代表が「犁[金華](りか)」という鋤で、農地を深く掘り起こすことで作物収量を倍増させる「農業革命」を実現させたとのことです。

このような経過を経て、鉄を作る技術・鉄を使う技術は弥生時代の日本にもたらされました。
「おの(斧)」や「のみ」で代表される鉄の工具は、大きな建物や船の製作に役立っただけでなく、「日本刀」という独特の文化的産物も誕生させました。
[99079] 2020年 1月 16日(木)18:10:59hmt さん
文明の道(1) アイアンロード前編
この記事の主な材料は、最近放送された Nスペのドキュメンタリー「アイアンロード」です。
直訳すると「鉄の道」ですが、鉄道Railroadとは無関係であり、手塚治虫とも関係ありません。
番組【2020/1/18土曜日深夜再放送】を紹介しつつ、関係する雑談を含めて、人類文明の伝わり方について、私なりに理解した内容で続けるつもりです。

自然の恵み・人類の知恵・そして偶然もからんで産み出された「文明」の成果。
交通・通信技術が発達した現代では、遠い世界の新製品・新技術情報を、す早く知ることができます。
しかし、歴史を遡ると、文明の伝播は 人々の移住に伴うものでした。
それは 基本的には人の歩行速度に制約されたものであると共に、緯度の違いによる自然条件の制約を受けるものでした。この制約を打破したのは、騎馬技術と外航船の発達でした。

南北に長いアフリカ大陸やアメリカ大陸は、緯度に伴う自然条件の変化が大きく、これが文明伝播を妨げました。
地球上に「東西最長の大陸」として存在するユーラシアだけは、遠く離れた地域でも帯状の自然条件で結ばれており、人類の文明伝播が可能で、壮大な歴史物語を形成しました。その一端を繙いてみます。

番組タイトル「アイアンロード」は「シルクロード」よりも古い「文明の道」として、愛媛大学アジア産業考古学研究センターの命名を用いたものと推察します。番組には、村上恭通さんなど関係者が登場しています。

遊牧民のスキタイと匈奴により、鉄が、ユーラシア大陸を はるばると東に伝えられたルートは、「草原の道(ステップ・ルート)」と呼ばれていました。
今回の「アイアンロード」は、西の起点を「人工の鉄」の発祥地アナトリアとし、東は漢のに西域で分岐し、定住国家・中国へのルートも加えた道になっています。

砂漠を通る「絹の道」より北に位置する「草原の道」は、その北側の タイガと呼ばれる亜寒帯針葉樹林地帯と接していました。このような地理的条件から、このルートは 製鉄に必要なエネルギーを得ることが可能で、「アイアンロード」になる条件を備えていました。

万里の長城の壁を隔てた2つの国・北の匈奴と南の漢とは、紀元前3世紀から壮絶な戦いを繰り広げました。この争いの中で、スキタイの時代とは異なる革新を遂げ、鉄の物語が進みます。

アルタイ地域で発見された金髪のミイラは スキタイ人

地図を眺めると、ユーラシア大陸の中央部に ロシアR、モンゴルM、中国C、カザフスタンKの4ヶ国が国境を接しているように見える場所【便宜上RMCK地帯】があります。MC国境沿いに連なるアルタイ山脈の北端。

6年前、アルタイ山脈で発見されたBC5世紀の巨大な墓で 男性の「ミイラ」を発見。
現在この地の住民は アジア系・黒髪のトゥバ人だが、聖なる山に丁重に埋葬されたミイラは「金髪」で、王族とされた。副葬された鉄製短剣の独創的なデザイン(ハート形)から、西に4000kmを隔てたウクライナの遺跡(ビルスクヒルフォート)と同じスキタイ人と判明。鉄の工具を使って制作された金の工芸品。

古代ギリシャ人からは野蛮人視されていたスキタイだが、彼らは馬を乗りこなした。
騎手の意思を正確に馬に伝える技術 のポイントは、鉄製の「はみ」(馬銜)= 轡の馬の口にくわえさせる部分。
この「移動革命」が史上初の「騎馬軍団」を生み出し、東西4000kmに及ぶ大国を作ることができた。

脱線するが、現代のアルタイ地域住民トゥバ人から思い出したのが、子供時代に見た地図にあった「ツバ人民共和国」という国の存在。18世紀に乾隆帝が緩衝国のジュンガルを滅ぼした後、ロシア人が扇動してアルタイに建国させた属国らしい。中華民国は現在でも自国領と主張しているとか。

アルタイまで進出していたスキタイから西に逆行するが、アナトリア【現在のトルコ】が「人工の鉄」の発祥地になったカギは、かの地の厳しい自然環境だったらしい。
鉄の製錬には銅よりも500度高い1200度が必要。自然のもたらす強い季節風が製鉄炉の高温維持に役立ち、ヒッタイト人【聖書のヘテ人】に最初の量産化を成功させた。ふいご送風。
ヒッタイト人は、この貴重な金属を武器に使うだけでなく、安全保障外交の切り札に活用した。
BC13世紀には、大国エジプトとのカデシュの戦いの後で、世界最古の平和条約が結ばれた。
番組では、中近東文化センター アナトリア考古学研究所長 大村幸弘さんのコメントがありました。
[98765] 2019年 12月 25日(水)14:57:17【1】hmt さん
東京臨海部の陸地化2 (3)中防を有明と結ぶ海底トンネル工事
東京湾中央防波堤埋立地(略称「中防」、約500ha)は、その所属が江東区と大田区との間で争われていましたが、先日決着しました。[98525]
判決は、中防内の施設が区境で分断されないように調整し、競技会場を江東区に、コンテナ関連施設などを大田区に帰属させた。

大田区になる中防外側埋立地で実施中の「国際海上コンテナターミナル整備事業」については、[98525]の末尾に引用したスライドに Y2ターミナルが既に示されています。

中防の基地に陸揚げされたコンテナを 都内に輸送するルートが「東京港臨港道路」です。
中防と周辺とを結ぶ現在の道路事情。青海縦貫道に直結する第二航路海底トンネル の他に、東の東京ゲートブリッジ[80265]・西の城南島へのトンネル[98525]も開通していますが、渋滞を免れません。

その対策が、前報でも言及した 中防を青海の隣の有明と直結する 東京港臨港道路(南北線)の整備ですが、最近 Nスペ「東京リボーン」の 第3集 輸送革命 果てなき欲望との闘い で、そのハイライトとも言える 沈埋函の埋設工事が放送されました。

全長約1kmの海底トンネルの工事期間。10年かかるのを 2016年からオリンピック前の4年間短縮するために採用したのが 沈埋トンネル工法です。長さ 134m、3000tものコンクリート製の函を 航路の海底に沈める計画で、函の数を7個に減らすことができました。

視界30cm 濁った海中に、巨大な函を正確な位置に沈め、接合させる。潜水できるのは1回25分で、1人が2回までなど制限が厳しい水中作業員以外にも、多くの人が知恵と力を合せた作業。

こんなに迄の苦労をして輸送革命を進めなければならない理由は、番組タイトルに示されていた「果てなき欲望」でした。

皆がコンビニで簡単に入手できる鮭のおむすび。
その欲望を満たすために、チリの養殖場で育てられた鮭が、タイで加工された形で海上コンテナに収納され、はるばると 東京港にやってきました。鮭のおむすびは、更に日本全国へと流通してゆきます。
私達の小さな欲望が、世界の人々を動かしています。

東京湾のトンネル工事も そんな世界の動きを支える人々の動きの一部でした。
それをネタに「落書き帳」を書くご隠居も健在で、平和な越年を迎えることができそうです。
[98756] 2019年 12月 21日(土)14:37:36【1】hmt さん
Re:明治の木造校舎「旧・つき米学校」
[98751] 伊豆之国さん
私がこの「舂米」の名を知ったのは、「明治の木造校舎」について書かれた本とかの記事を見て、「旧・舂米学校」というのがあったのを見たことからでした。「明治の木造校舎」というと、その代表格と言えば、やはり信州松本の「開智学校」。「超・ご当地」の伊豆松崎の「岩科学校」は、二昔以上前に見たことがあり…

本筋の難読地名から離れてしまいますが、この記事に触発されて、明治の小学校建築 を開いてみました。

まだ日本が貧しかった 明治初期ですが、松本の開智学校だけでなく、塔屋のある洋風建築が各地に建てられ、その多くが 21世紀の今日まで保存されていることを知り、教育を重視した明治の人々が、人材育成に投資した意気込みを察することができました。

塔屋から響いたと思われる授業開始・終了の合図はどんな音だったのでしょうか?
第二次大戦後に流行した電動式のウェストミンスター・チャイムによる報時システム。
それを遡ると、ドン【午砲】や 半鐘 だけでなく、太鼓も多用されたようです。
上記引用資料では、つきよね学校など 10校以上について、「太鼓楼」の記載があります。

山梨県旧増穂町にあった「舂米学校」…石橋湛山元首相や、将棋の米長邦雄元名人も、この増穂小学校のOBだったそうです。

日ソ国交回復を実現した鳩山一郎首相の退陣後、1956年暮れの自民党総裁選挙で選ばれた石橋さん。
首相就任後間もない発病のために、在任期間わずか65日で退陣しましたが、印象を残した政治家でした。参考

経済を表看板とする首相としては、大蔵省出身の池田勇人が有名ですが、石橋湛山は民間(東洋経済新報)出身の経済人でした。
石橋湛山の病気退陣がなければ、その後の岸内閣、池田内閣による官主導の政治への流れは、現在と違う姿へと変っていたのではないかという思いがあります。出典
これだけを考えても、忘れることのできない人物でした。
石橋湛山と山梨県 旧・増穂村 つきよね学校 との縁は、身延山系統の僧侶であった彼の父との関係に基づくものでした。
[98706] 2019年 12月 8日(日)14:34:15hmt さん
3,4,5-トリヒドロキシ安息香酸
[98705] N さん
難読地名ページ 「五倍子」となっていますが「五倍木」(ふしのき)が正です。

「五倍子」という単語を目にして、「五倍子酸」という物質を思い出しました。
調べてみると、ポリフェノールの一種 gallic acid の中国語名で、日本では、「没食子酸」の名で 一般に通用しています。

化合物名をストレートにタイトルに使ったのは非常識ですが、偶には お遊び。
加熱して脱炭酸したピロガロール(1,2,3-トリヒドロキシベンゼン)は、gallic acid 由来の名でした。

江戸時代の既婚女性が、歯を黒く染めた「おはぐろ」は、鉄と五倍子との混合粉末でした。
五倍子は、ウルシ科のヌルデの葉に寄生しているアブラムシの一種が樹木に作った瘤で、時の経過により五倍に膨れる瘤ということから付けられたようです。参考

現代の生活とは 関係のなくなった お歯黒 ですが、健康食品や医薬の分野以外にも、酸化防止剤として重要な薬品であるポリフェノールの仲間です。
四国の珍しい地名と縁のあることを知り、元・ケミストの雑学屋 hmt が ご紹介しました。


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