都道府県市区町村
白桃研究所長による人口テーマ専門誌

市人口と町(村)人口の逆転

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記事数=16件/更新日:2024年7月29日

市の人口は、町や村の人口を上回っていなければならない、と言う定めはないのですが、世間一般では「市は町村より人口が多いものだ」と信じている人が多いのではないでしょうか。しかし、実際はサニアラズ。現行の792市を見ても、「国勢調査に市として登場して以来、各回、全国で人口最多の町村に(人口で)一度も負けたことがない市」は78市しかないのです。それでもなお、「各都道府県別に見たら、それほど多くはないのでは?」という疑問を持つ方がいるかもしれません。が、いやいや、国勢調査史上、市と町村の人口逆転が無かったのは、青森、秋田、鳥取、香川の四県しかないのです。
礼節を重んじる?当研究所では、「町・村は市をリスペクトして、人口でも上回らないように」という期待をしており、特に香川県の三木町に対しては強い願望を抱いております。が、それを強制する事はできません。
ま、そんな訳で、この特集では素直にありのままに、市人口と町村人口の逆転の歴史を国勢調査で辿っていきます。よって、今ここで、どことは言いませんが、市になって以来、13回の国勢調査で同じ県の一つの町に13連敗をしているという実態をさらけ出すことになりますので、そこんとこはどうかご了承ください。

★推奨します★(元祖いいね)

記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[107835]2023年5月20日
白桃
[107861]2023年5月26日
白桃
[107869]2023年5月28日
白桃
[107887]2023年6月3日
白桃
[107958]2023年6月7日
白桃
[108056]2023年6月19日
白桃
[108086]2023年6月26日
白桃
[108099]2023年6月29日
白桃
[108163]2023年7月7日
白桃
[108177]2023年7月12日
白桃
[108186]2023年7月16日
白桃
[108201]2023年7月18日
白桃
[108613]2023年8月11日
白桃
[108669]2023年8月22日
白桃
[108703]2023年8月31日
白桃
[111788]2024年7月26日
白桃

[107835] 2023年 5月 20日(土)05:59:36【2】訂正年月日
【1】2023年 5月 20日(土)06:26:39
【2】2023年 5月 25日(木)16:54:45 by オーナー(表組み改善)
白桃 さん
町村トップ人口に無敗の市
「三尺下がって師の影を踏まず」という言葉があるように、本来なら町村は「三万下がって市の人口を超えず」と市をリスペクトし、控え目にならなければ…と思うのです。しかし、町村側から見れば「一万人を割り込んだような市の人口を抜くな、というのは無理なハナシ。そんな市が情けない」ということになるのでしょうか。
ともかく、現状では市の人口を上回る町村は少しも珍しくありません。ですから、そのような町村を探すことはあんまり面白くないので、逆?の見方をしてみます。
すなわち、「国勢調査に市として登場して以来、各回、全国で人口最多の町村に(人口で)一度も負けたことがない現役の市」を数えてみよう・・・
(注)町村と新設合併をし、法人格が変更となった場合は、合併以前の市を「前身市」とします。(例:両津市→佐渡市)
また、複数の市が合併に絡んだ場合は、合併前の国勢調査で人口最多の旧市を「前身市」とします。(例:八幡市→北九州市、浦和市→さいたま市、布施市→東大阪市、平市→いわき市)

結果を言いますと、その数は78でした。
◎1950年国調時に市となっていた・・・20市
大阪、神戸、京都、名古屋、横浜、長崎、広島、呉、金沢、仙台、鹿児島、八幡・北九州、福岡、岡山、函館、札幌、小樽、
延岡、布施・東大阪、武蔵野(函館、札幌、小樽は第一回国調時(1920年)は区であったが、その人口も条件をクリアしていた)
◎2000年国調時に市となっていた・・・29市
相模原、三鷹、府中、小平、門真、市原、東村山、東海、保谷・西東京、東久留米、新座、座間、三郷、多摩、
浦安、可児、四街道、宗像、つくば、廿日市、鶴ヶ島、八街、鹿嶋、日進、前原・糸島、印西、京田辺、北広島、吉川
◎2020年国調時に市となっていた・・・29市
安曇野、甲賀、神栖、登米、栗原、甲斐、南アルプス、笛吹、丹波、田原、愛西、南魚沼、宇城、栗東、
坂井、あま、北名古屋、姶良、木津川、三豊、伊達、紀の川、みよし、下野、合志、長久手、滝沢、野々市、富谷
該当市はもうちょっと多いのでは、と思われる方がいるかと推測しますが、第3回まで、第6回、第13回など条件クリアがかなり厳しくなっており、政令市の中でも新潟市、静岡市、堺市、熊本市などが外れております。
該当市の中から4市をピックアップし、以下の表にまとめました。
調査年町村トップ(人口)岡山市(人口)呉市(人口)小樽市(人口)延岡市(人口)
1920年渋谷町(東京)80,79994,585130,362
1925年渋谷町(東京)99,022124,521138,863134,469
1930年荏原町(東京)132,108139,222190,282144,887
1935年小田村(兵庫)54,484166,144231,333153,58756,421
1940年夕張町(北海道)64,998163,552238,195164,28279,426
1947年相模原町(神奈川)73,217140,631185,740164,93473,742
1950年相模原町(神奈川)68,898162,904187,775178,33088,117
1955年三笠町(北海道)57,519235,754199,304188,448116,762
1960年豊平町(北海道)77,312260,773210,032198,511122,527
1965年保谷町(東京)71,303291,825225,013196,771124,000
1970年新座町(埼玉)77,704375,106235,193191,856128,292
1975年五日市町(広島)64,89351,3471242,655184,406134,521
1980年五日市町(広島)87,325545,765234,549180,728136,598
1985年廿日市町(広島)52,02057,2479226,488172,486136,381
1990年鶴ヶ島町(埼玉)63,064593,730216,723163,211130,624
1995年印西町(千葉)57,667615,757209,485157,022126,629
2000年栗東町(滋賀)54,856626,642203,159150,687124,761
2005年三好町(愛知)56,252674,746251,003142,161121,635
2010年滝沢村(岩手)53,857709,584239,973131,928131,182
2015年富谷町(宮城)51,591719,474228,552121,924125,159
2020年府中町(広島)51,155724,691214,592111,299118,394
[107861] 2023年 5月 26日(金)10:37:38白桃 さん
同一都道府県内の市人口・町村人口逆転(1.北海道)
[107835]白桃
現状では市の人口を上回る町村は少しも珍しくありません。
と書きましたが、これを国勢調査を遡って同一都道府県内でみると、町・村が意外な市の人口を上回っていたりと、(私だけでしょうが)なかなか興味深いものがあります。
そこで、全国を北海道、東北、北関東、南関東、京浜(西関東)、北陸甲信、東海、近畿、中国四国、北九州、南九州沖縄の11ブロックに区分して見ていきたいと考えています。
最初は、人口変動が激しい北海道です。
1.町(村)の人口を下回った市
「国勢調査年」・・・その市が町(村)の人口を下回った最初の国勢調査年
「種別」・・・・・・◎:現行の市、〇:現行の市の「前身市」、●:現行の市を構成している「前身市」以外の旧市
「上回った町村」・・市人口を上回った町(村)の中で、最多人口の町(村)
国勢調査年種別市名(人口)上回った町村(人口)
1925年釧路42,332夕張町48,697
1935年帯広35,695夕張町42,508
1947年岩見沢42,978美唄町72,222
1947年北見40,989美唄町72,222
1947年網走34,850美唄町72,222
1947年留萌30,057美唄町72,222
1950年苫小牧39,226芦別町58,547
1950年稚内34,529芦別町58,547
1955年赤平53,656芦別町58,547
1955年士別39,191三笠町57,519
1955年紋別37,388三笠町57,519
1955年江別35,185三笠町57,519
1960年芦別67,137豊平町77,312
1960年三笠56,196豊平町77,312
1960年千歳44,522豊平町77,312
1960年根室42,740豊平町77,312
1960年歌志内38,002豊平町77,312
1960年名寄35,859豊平町77,312
1960年滝川35,093豊平町77,312
1960年砂川31,750豊平町77,312
1965年深川34,783登別町39,101
1970年美唄47,369亀田町50,623
1970年登別46,526亀田町50,623
1970年富良野30,876亀田町50,623
1985年伊達34,824石狩町41,642
1985年夕張31,665石狩町41,642
1995年滝川48,425広島町53,537
2005年士別23,411音更町42,452
2010年名寄30,591音更町45,085
※滝川、士別と名寄は「前身市」時代、新設合併後ともに町人口を下回っています。

2.市の人口を上回った町(村)
歌志内のように人口激減した市を上回った町(村)はかなり多くなりますので、上回った国勢調査年が
A:1950年までは2万以上、B:1955年以降は3万以上
の町(村)に限定いたします。
「国勢調査年」・・・最初に上回った国勢調査年(ただし、A・Bをクリアしていること)
「町村名」・・・・・※は「村」
「最高年」・・・・・町(村)時代の国勢調査における最高年
国勢調査年町村名現行(人口)最高年(最高人口)
1925年夕張夕張市48,6971940年64,998
1935年美唄美唄市37,1491947年72,222
1940年三笠山※三笠市38,5791940年38,579
1947年三笠三笠市44,6821955年57,519
1947年歌志内歌志内市42,0801947年42,080
1947年砂川砂川市41,3231947年41,323
1947年赤平赤平市40,2871950年50,371
1947年芦別芦別市38,7841950年58,547
1947年苫小牧苫小牧市30,7601947年30,760
1950年豊平(札幌市)37,2091960年77,312
1955年千歳千歳市42,3171955年42,317
1965年登別登別市39,1011965年39,101
1965年恵庭恵庭市30,3091970年34,449
1965年羽幌羽幌町30,2661965年30,266
1965年富良野富良野市30,0301965年30,030
1970年亀田(函館市)50,6231970年50,623
1980年広島北広島市34,1481995年53,537
1980年石狩石狩市33,5991995年52,209
1980年音更音更町31,1342010年45,085
1985年上磯北斗市30,7702005年37,258
豊平が上回った市は、稚内、留萌、網走、士別、紋別、江別、芦別、北見、苫小牧、岩見沢、三笠、赤平、千歳、根室、歌志内、
名寄、滝川、砂川の実に18市にもなります。
現在も町のままであるのは、羽幌と音更の二つですが、現行の市との「対戦成績」で五分以上となっているのは
羽幌:VS歌志内(12勝1敗)
音更:VS伊達(6勝4敗)、名寄(3勝0敗)、紋別(8勝6敗)、富良野(9勝2敗)、深川(8勝4敗)、士別(4勝0敗)
     砂川(10勝3敗)、芦別(8勝6敗)、赤平(10勝4敗)、三笠(10勝3敗)、夕張(8勝8敗)、歌志内(11勝2敗)
[107869] 2023年 5月 28日(日)11:57:29白桃 さん
同一都道府県内の市人口・町村人口逆転(2.東北)
[107861]白桃
全国を北海道、東北、北関東、南関東、京浜(西関東)、北陸甲信、東海、近畿、中国四国、北九州、南九州沖縄の11ブロックに区分して見ていきたいと考えています。
後から思うと、これは誤解されやすい文章ですね。ブロック内で逆転している事例、例えば北関東の栃木県那須烏山市と茨城県阿見町の逆転を記すというのではありません。あくまでも同一都道府県内で見ていくのです。11ブロックに分けたのは、一挙に片付けるのがシンドイと思ったからです。
今回は、東北地方六県を見ていきます。と言っても青森県と秋田県はこれまで21回の国勢調査で逆転はありません。
1.町(村)の人口を下回った市
「国勢調査年」・・・その市が町(村)の人口を下回った最初の国勢調査年
「種別」・・・・・・◎:現行の市、〇:現行の市の「前身市」、●:現行の市を構成している「前身市」以外の旧市
「上回った町村」・・市人口を上回った町(村)の中で、最多人口の町(村)
国勢調査年種別市名(人口)上回った町村(人口)
1955年水沢43,637江刺町49,356
1955年北上42,088江刺町49,356
1955年遠野37,088江刺町49,356
1955年久慈35,882江刺町49,356
1955年大船渡33,715江刺町49,356
1955年陸前高田32,833江刺町49,356
1985年江刺35,023都南村37,307
1985年二戸30,513都南村37,307
2000年釜石46,521滝沢村51,241
2005年遠野31,402滝沢村53,560
2005年八幡平31,079滝沢村53,560
2010年久慈36,872滝沢村53,857
2010年二戸29,702滝沢村53,857
1970年角田31,170多賀城町36,677
2005年白石39,492富谷町41,593
2010年岩沼44,187富谷町47,042
2010年東松島42,903富谷町47,042
1955年新庄38,603東根町39,027
1955年上山36,941東根町39,027
1955年長井36,535東根町39,027
1960年尾花沢31,538高畠町32,136
1940年30,126内郷村32,270
1950年白河31,669内郷町37,082
1955年原町32,161二本松町34,987
後に一緒になる水沢と江刺、平と内郷の間で逆転が生じているのが面白いですが、江刺町は、岩谷堂とその周辺農村部による水ぶくれ合併で少し遅れて成立した「時間差攻撃」での逆転、常磐炭鉱の活況で人口急増した内郷村→内郷町は、炭田地帯にはよくアルアル逆転で、ともに、都市の実力?を示している逆転とは言えないです。

2.市の人口を上回った町(村)
人口激減した市を上回った町(村)はかなり多くなりますので、上回った国勢調査年が
A:1950年までは2万以上、B:1955年以降は3万以上
の町(村)に限定いたします。
「国勢調査年」・・・最初に上回った国勢調査年(ただし、A・Bをクリアしていること)
「町村名」・・・・・※は「村」
「最高年」・・・・・町(村)時代の国勢調査における最高年
国勢調査年町村名現行(人口)最高年(最高人口)
1955年江刺(奥州市)49,3561955年49,356
1985年都南※(盛岡市)37,3071990年43,063
1985年滝沢※滝沢市31,7332010年53,857
1995年紫波紫波町31,3112005年33,692
1970年多賀城多賀城市36,6771970年36,677
1970年(仙台市)33,1901970年33,190
1985年柴田柴田町35,4162005年39,809
2000年富谷富谷市35,9092015年51,591
2000年亘理亘理町34,7702005年35,132
2010年利府利府町33,9942015年35,835
1955年東根東根市39,0271955年39,027
1960年高畠高畠町32,1361955年35,333
1940年内郷※(いわき市)32,2701940年32,270
1947年内郷(いわき市)33,1851950年37,082
1955年二本松二本松市34,9871955年34,987
現在も町であるところが五つ入っているのですが、その中で、紫波町の現行の市との「対戦成績」は、
VS二戸(3勝0敗)、VS遠野(4勝0敗)、VS八幡平(4勝0敗)、VS陸前高田(8勝6敗)
となっております。
そして、高畠VS尾花沢・・・これに触れるのは非常に憚られるのですが、な、なんと高畠の13勝0敗なんです。人口の多い少ないだけで都市の格や都会度を云々すること、ましてや白桃のように勝ち負けを口に出す、こういうことは良くないことですが、それにしても、これは何ということでしょう。白桃は、尾花沢にも高畠にも訪れているのですが、尾花沢は、「どことなく市としての面影は残っていて、60年前はもっと元気だったのだろうな」という感じですが、景観的には、区画整理が行われて小綺麗な高畠に軍配をあげましょう。
[107887] 2023年 6月 3日(土)02:50:17白桃 さん
同一都道府県内の市人口・町村人口逆転(3.北関東)
今回は、北関東(茨城・栃木・群馬)です。

1.町(村)の人口を下回った市
「国勢調査年」・・・その市が町(村)の人口を下回った最初の国勢調査年
「種別」・・・・・・◎:現行の市、〇:現行の市の「前身市」、●:現行の市を構成している「前身市」以外の旧市
「上回った町村」・・市人口を上回った町(村)の中で、最多人口の町(村)
国勢調査年種別市名(人口)上回った町村(人口)
1950年古河30,709多賀町36,913
1955年常陸太田39,630大子町43,124
1955年結城39,490大子町43,124
1955年勝田38,868大子町43,124
1955年石岡35,688大子町43,124
1955年那珂湊34,665大子町43,124
1955年龍ケ崎34,337大子町43,124
1955年水海道33,791大子町43,124
1955年下妻31,951大子町43,124
1955年高萩31,016大子町43,124
1960年笠間32,143大子町40,178
1985年北茨城51,035牛久町51,926
1985年岩井42,177牛久町51,926
2005年常陸大宮47,808阿見町47,994
2005年かすみがうら44,603阿見町47,994
2005年行方40,035阿見町47,994
2005年潮来31,524阿見町47,994
2010年稲敷46,895阿見町47,940
2010年桜川45,673阿見町47,940
2010年つくばみらい44,461阿見町47,940
2020年鉾田45,953阿見町48,553
1960年矢板29,085黒磯町30,413
1965年日光32,031黒磯町32,268
2005年那須烏山31,152壬生町40,107
1920年高崎36,792桐生町37,674
1940年伊勢崎40,004太田町42,206
1955年富岡41,476安中町42,808
1955年渋川39,209安中町42,808
上記の中では、第一回国勢調査で高崎市が桐生町より下回っていた事に目が向きますが、大関を目前とした関脇が先輩大関を実力で負かした、と言う感じで何の違和感もありません。というのも、私が4~5歳の頃の地図帳(多分、年の離れた兄の教材だったと思うのですが、私の愛読書でハードカバーの表紙はレンガ色)では、桐生が◎(10万人以上を表す)なのに、高崎は〇の中に小さな●が入った印(5万以上10万未満を表す)でしたから。1960年ぐらいまでは、両市の関係は「好取組」でしたが、近年の桐生は精彩を欠いていますね。桐生もソロソロ引退か?「年寄名」は”古織都”???

2.市の人口を上回った町(村)
人口激減した市を上回った町(村)はかなり多くなりますので、上回った国勢調査年が
A:1950年までは2万以上、B:1955年以降は3万以上
の町(村)に限定いたします。
「国勢調査年」・・・最初に上回った国勢調査年(ただし、A・Bをクリアしていること)
「町村名」・・・・・※は「村」
「最高年」・・・・・町(村)時代の国勢調査における最高年
国勢調査年町村名現行(人口)最高年(最高人口)
1950年多賀(日立市)36,9131947年37,186
1955年大子大子町43,1241955年43,124
1955年岩井坂東市35,1541970年35,213
1955年八郷(石岡市)32,6161955年32,616
1955年那珂那珂市31,3572000年45,983
1960年茨城茨城町30,8451995年35,741
1975年鹿島鹿嶋市37,1261990年45,227
1975年波崎(神栖市)32,7162000年39,051
1975年総和(古河市)32,0742000年48,007
1980年牛久牛久市40,1641985年51,926
1980年桜※(つくば市)34,5071985年41,335
1980年阿見阿見町33,7202020年48,553
1980年神栖神栖市32,2532000年48,575
1985年谷田部つくば市37,3871985年37,387
1990年守谷守谷市36,4272000年50,362
1990年三和(古河市)36,1641995年39,859
1990年藤代(取手市)32,7441995年33,805
1990年東海※東海村31,5572020年37,891
1990年友部(笠間市)30,9652000年35,557
1960年黒磯那須塩原市30,4131970年37,800
1960年那須那須町30,3591955年31,034
1960年田沼(佐野市)30,2431995年30,456
1975年壬生壬生町30,7912005年40,107
1985年西那須野(那須塩原市)31,7632000年43,186
1990年河内(宇都宮市)30,0832005年35,176
2005年上三川上三川町31,5922010年31,621
2005年高根沢高根沢町30,9152005年30,915
1920年桐生桐生市37,6741920年37,674
1940年太田太田市42,2061947年49,943
1955年安中安中市42,8081955年42,808
本筋とは関係ない話になりますが、市>町>村を金科玉条としている白桃ではありますが、現つくば市の【前身】を、直前の国調で人口最多であった桜(村)ではなく谷田部(町)にしていることには少々後味の悪さを感じています。それ以上に、現・笠間市の【前身】を旧・笠間(市)にしていることは、友部に対して少々後ろめたい気持ちであります。
今なお町村のままである8自治体のうち大子と那須については、五分以上の対戦成績を残している現役の市はありません。旧・大子町が周辺の7村+αを巻き込んだ大型「水増し」合併によって、1955年国調では、日立市、水戸市、土浦市、下館市に次ぐ人口となった大子町ですが、現在は14,589人(2023年5月1日現在)と人口的には何の変哲もない町となってしまいました。どうやら、あの時の「増水」は袋田の滝壺に流れ落ちていったようです。那須町の前身は旧・芦野(町)にしているのですが、合併前に芦野の4倍もの人口を有していたのが旧・那須(村)で、ここには白桃家の御用邸?があります。そういえば、本日もこの暴風雨の中、奥さんと桃娘はソコにお泊りに行きました。('◇')ゞ
残りの6町村と現役の市との五分以上の「対戦成績」は以下の通りです。
阿見町:VS下妻・10勝4敗、VS高萩・9勝5敗、VS常陸大宮・4勝0敗、VSかすみがうら・4勝0敗、VS行方・4勝0敗、
    VS潮来・4勝0敗、VS稲敷・3勝1敗、VS桜川・3勝1敗
茨城町:VS下妻・7勝7敗、VS高萩・9勝5敗、VS潮来・4勝0敗
東海村:VS行方・2勝2敗、VS潮来・4勝0敗
壬生町:VS矢板・9勝4敗、VS那須烏山・4勝0敗
上三川町:VS那須烏山・4勝0敗
高根沢町:VS那須烏山・3勝1敗
[107958] 2023年 6月 7日(水)17:59:08【1】訂正年月日
【1】2023年 6月 7日(水)18:15:34
白桃 さん
同一都道府県内の市人口・町村人口逆転(4.南関東)
南関東(埼玉・千葉)は本シリーズの中であんまり面白くないところなので、データ表を折りたたんでしまいましょう。('◇')ゞ・
(開く)1.町(村)の人口を下回った市
現在、埼玉県にある40市のうち、町人口に負けなかったのは23市ですが、そのうち、
春日部、久喜、深谷、ふじみ野、加須、本庄、秩父の7市は「前身市」時代に敗れており、
さいたま、川口は構成している旧市(岩槻・与野と鳩ヶ谷)が苦杯をなめている?ので、
前身市時代を通じて無敗の市は、
所沢、越谷、草加、上尾、熊谷、新座、三郷、富士見、坂戸、八潮、吉川、鶴ヶ島、日高、白岡
の14市ということになります。
埼玉県は「市・町人口逆転の最先端」、「下剋上の宝庫」とでも言っておきましょう。
千葉県も埼玉県にヒケをとらない県なのですが、同じことを書いてもつまらないので、下剋上を引き起こした「咎」を勝浦市に押し付けましょう。勝浦を人口で上回った町は、流山、八千代、我孫子、君津、鎌ケ谷、四街道、浦安、袖ケ浦、沼南、八街、富里、白井、印西、大網白里、関宿、(小見川、栄、成東、横芝光、酒々井)の20町です。さすがに北海道の旧・産炭地(惨憺地)にはかないませんが、勝浦市は全国有数の「町に追い抜かれ」市です。
※:(  )内の5町は3万人を超えていないので下の2表には出てきません。

(開く)2.市の人口を上回った町(村)
[108056] 2023年 6月 19日(月)16:23:42【1】訂正年月日
【1】2023年 6月 19日(月)16:30:11
白桃 さん
同一都道府県内の市人口・町村人口逆転(5.西関東)
本題に入る前に「関東」ならぬ、【巻頭】クイズを(むしろ、こっちが本題だったりして(;'∀')
先日行われた八番勝負をまだ引きずっており、無理やり想定解数8の問題を作りました。
【問五十】以下の五市は、とある事柄が共通しております。超難問と言うほどでもありませんので、退屈しのぎにでも残りの3市をお考え頂ければ幸いです。
札幌市、松本市、岐阜市、名古屋市、京都市(該当しない市・広島市)
ヒント1---♪春が来た&♪夏は来ぬ
ヒント2---関係するイベント?は梅雨空の下、ある県で既に始まっています。
ヒント3---広島市は(非該当)になっていますが、七月終わりには該当市になるかもしれません。その可能性はかなり高いです。
大ヒント--問題番号は大いに関係します
(開く)大サービス・ヒント

さて本題ですが、今日は「西関東(東京都と神奈川県)」です。[108055]で、
近い将来(今日かもわからない)予定している投稿の【参考】にもなります
と書き込んでおりますが、その投稿がコレです。
1.町(村)の人口を下回った市
「国勢調査年」・・・その市が町(村)の人口を下回った最初の国勢調査年
「種別」・・・・・・◎:現行の市、〇:現行の市の「前身市」、●:現行の市を構成している「前身市」以外の旧市
「上回った町村」・・市人口を上回った町(村)の中で、最多人口の町(村)
国勢調査年種別市名(人口)上回った町村(人口)
1920年八王子38,955渋谷町80,799
1947年立川45,302武蔵野町63,479
1960年小金井45,734小平町52,923
1960年昭島44,805小平町52,923
1965年日野67,979保谷町71,303
1965年国分寺64,645保谷町71,303
1965年青梅60,892保谷町71,303
1970年福生37,938村山町41,275
1947年小田原68,911相模原町73,217
1947年鎌倉55,168相模原町73,217
1947年平塚45,507相模原町73,217
1947年茅ヶ崎43,315相模原町73,217
1970年逗子48,242座間町56,727
1970年三浦45,532座間町56,727
1975年南足柄36,928綾瀬町50,367
八王子は、人口で21の町(平塚村→荏原町を分けてカウントすると、21町1村)に「オクレ」をとっています。第一回国勢調査時に八王子を上回っていたのが7町ですから、追い抜かれた町の数は14になります。(下の表を参照ください)
いずれにしろ、八王子の場合は「やむを得ない」といったところですね。

2.市の人口を上回った町(村)
人口激減した市を上回った町(村)はかなり多くなりますので、上回った国勢調査年が
A:1950年までは2万以上、B:1955年以降は3万以上
の町(村)に限定いたします。
「国勢調査年」・・・最初に上回った国勢調査年(ただし、A・Bをクリアしていること)
「町村名」・・・・・※は「村」
「最高年」・・・・・町(村)時代の国勢調査における最高年
国勢調査年町村名変遷・現行(人口)最高年(最高人口)
1920年渋谷渋谷区80,7991930年102,056
1920年西巣鴨豊島区51,4781930年115,654
1920年南千住(荒川区)50,7131930年56,010
1920年日暮里(荒川区)41,5511930年71,021
1920年品川(品川区)→(品川区)41,0591930年55,639
1920年滝野川滝野川区→(北区)40,6891930年100,746
1920年淀橋淀橋区→新宿区40,4531930年57,313
1925年平塚※荏原町→荏原区→品川区72,2561925年72,256
1925年中野中野区60,9621930年87,263
1925年王子王子区→北区60,0861930年89,009
1925年吾嬬向島区→墨田区59,9211930年80,985
1925年三河島荒川区59,2521930年80,217
1925年大井品川区→(品川区)58,6191930年70,080
1925年亀戸城東区→(江東区)57,3211930年65,174
1925年千住足立区52,1011930年69,085
1925年代々幡(渋谷区)51,7551930年70,577
1925年大崎(品川区)→(品川区)48,4761930年53,777
1925年尾久(荒川区)47,4931930年73,368
1930年荏原荏原区→品川区132,1081930年132,108
1930年杉並杉並区79,1931930年79,193
1930年世田谷世田谷区73,1101930年73,110
1930年目黒目黒区67,2361930年67,236
1947年武蔵野武蔵野市63,4791947年63,479
1947年三鷹三鷹市50,6991950年54,820
1960年小平小平市52,9231960年52,923
1960年保谷西東京市46,7681965年71,303
1970年村山武蔵村山市41,2751970年41,275
1947年相模原相模原市73,2171947年73,217
1970年座間座間市56,7271970年56,727
1975年綾瀬綾瀬市50,3671975年50,367
1990年寒川寒川町44,5322020年48,348
「変遷・現行」欄の区名に(  )が有ったり無かったりしてますが、気にしないでください。どうしても気になる方は、[108055]から白桃の意図を推測してください。
西関東で現役の町は寒川だけです。寒川が「勝ち越している」のは、南足柄市で対戦成績は寒川の8勝3敗です。
[108086] 2023年 6月 26日(月)09:57:42白桃 さん
同一都道府県内の市人口・町村人口逆転(6.北陸甲信)
今回は、新潟、富山、石川、福井、山梨、長野の6県ですが、このシリーズはあんまり中身が充実していないので、お遊びを混ぜながら進んでいきます。
例の「想定解8」シリーズで最も簡単なもの
問甲:高松市 丸亀市 坂出市 善通寺市 観音寺市
(答えは省略)

逆に、最も難しい、というか白桃しか解らないもの
問乙:千葉市 市川市 木更津市 松戸市 浦安市
(開く)答え

問題として出題するのはどうかと思うもの
問丙:(お題の市)は無し
想定解1
該当しない市:浦安市
区ヒント:江戸川区
(開く)さて、その1市はどこでしょう

では、真面目に・・・
1.町(村)の人口を下回った市
「国勢調査年」・・・その市が町(村)の人口を下回った最初の国勢調査年
「種別」・・・・・・◎:現行の市、〇:現行の市の「前身市」、●:現行の市を構成している「前身市」以外の旧市
「上回った町村」・・市人口を上回った町(村)の中で、最多人口の町(村)
国勢調査年種別市名(人口)上回った町村(人口)
1930年高田30,934三条町31,256
1947年新発田35,327新津町36,053
1955年加茂36,472白根町36,625
1955年五泉35,057白根町36,625
1955年栃尾34,995白根町36,625
1955年新井34,606白根町36,625
1955年33,051白根町36,625
1955年村上33,014白根町36,625
1955年見附32,156白根町36,625
1955年両津30,048白根町36,625
2000年糸魚川32,003亀田町32,061
1995年滑川31,841婦中町32,579
1965年羽咋29,090松任町29,649
1970年珠洲29,224松任町31,099
1985年輪島31,843野々市町36,080
2005年能美47,207野々市町47,977
2005年かほく34,847野々市町47,977
2010年輪島29,858野々市町51,885
1995年勝山29,162丸岡町29,660
2005年小浜32,182丸岡町32,461
2005年あわら31,081丸岡町32,461
1985年山梨31,072竜王町31,515
1985年韮崎28,175竜王町31,515
1985年塩山26,712竜王町31,515
1990年都留33,903竜王町34,753
1995年大月35,199竜王町37,693
2015年上野原24,805富士河口湖町25,329
1920年長野37,308平野村44,278
1920年上田26,271平野村44,278
1955年飯田34,052茅野町36,007
1955年駒ヶ根33,363茅野町36,007
1955年飯山32,432茅野町36,007
1955年大町30,722茅野町36,007
前身市時代とはいえ、長野市が平野村に後れを取っています。国勢調査人口史上、県庁所在地が町(村)を下回った唯一のケースです。それはさて置き、白桃はこの落書き帳において、平野村(岡谷市)のことを「蚕都」と呼んでいましたが、あまり一般的ではないようですね。「蚕都」は同じ長野県では信州大学繊維学部キャンパスのある上田を指すようです。岡谷は「糸都(しと)」が一般的のようです。第一回国勢調査では「し都」は「さん都」も上回った。それは当然かも…四は三より多いですから。(「さん本松」が「に松学舎」に勝つ理由と同じ?)

2.市の人口を上回った町(村)
人口激減した市を上回った町(村)はかなり多くなりますので、上回った国勢調査年が
A:1950年までは2万以上、B:1955年以降は3万以上
の町(村)に限定いたします。
「国勢調査年」・・・AまたはBをクリアして最初に上回った国勢調査年
「町村名」・・・・・※は「村」
「最高年」・・・・・町(村)時代の国勢調査における最高年
国勢調査年町村名現行(人口)最高年(最高人口)
1930年三条三条市31,2561930年31,256
1947年新津(新潟市)36,0531950年37,370
1955年白根(新潟市)36,6251955年36,625
1960年豊栄(新潟市)32,7571960年32,757
1975年中条胎内市30,0911975年30,091
1995年亀田(新潟市)31,2572000年32,061
1995年(新潟市)30,0111995年30,011
1995年婦中(富山市)32,5792000年34,528
1970年松任白山市31,0991970年31,099
1980年野々市野々市市31,8172010年51,885
1995年津幡津幡町30,3182015年36,968
2000年丸岡坂井市31,7312005年32,461
1985年竜王甲斐市31,5152000年40,559
1920年平野※岡谷市44,2781930年53,874
1955年茅野茅野市36,0071955年36,007
2000年穂高安曇野市30,9662000年30,966
上表の中で唯一現役の町である津幡が互角以上の成績を残しているのは
VS珠洲:7勝7敗
VS輪島:3勝0敗(前身市時代を含めると津幡の6勝8敗)
VSかほく:4勝0敗
[108099] 2023年 6月 29日(木)22:10:23白桃 さん
同一都道府県内の市人口・町村人口逆転(7.東海)
今晩は、東海(岐阜・静岡・愛知・三重)四県…と書くと方々で異論がありそうですが、それは無視して、しつこく「前座クイズ・想定解8シリーズ」を。「前座」と言っても今回の「想定解8シリーズ」は「真打」(本題)よりも力が入っております。(笑)

(開く)問題:以下の五つの市には共通する事柄があります。同じ共通項をもつ残りの3市を挙げてください。
ヒントはありません。想定解を無理やり8にするため、複雑にしている感も否めませんが、論理的齟齬はきたしていないハズです。
出題者が言うのも何なのですが、難問です。白桃にこの問題を出されたら、一週間かかっても解けないと思います。

では、本題に入ります。
1.町(村)の人口を下回った市
「国勢調査年」・・・その市が町(村)の人口を下回った最初の国勢調査年
「種別」・・・・・・◎:現行の市、〇:現行の市の「前身市」、●:現行の市を構成している「前身市」以外の旧市
「上回った町村」・・市人口を上回った町(村)の中で、最多人口の町(村)
国勢調査年種別市名(人口)上回った町村(人口)
1965年美濃26,847養老町27,695
1975年恵那33,571可児町36,649
1980年中津川52,626可児町55,248
1980年瑞浪40,066可児町55,248
1980年美濃加茂39,531可児町55,248
2005年山県30,316養老町32,550
2005年飛騨28,902養老町32,550
1940年熱海24,477三島町27,612
1960年富士47,388浜北町53,548
1960年御殿場45,709浜北町53,548
1960年天竜31,122浜北町53,548
1960年袋井30,817浜北町53,548
1980年下田31,007長泉町31,423
2005年伊豆36,627函南町38,803
2005年御前崎35,272函南町38,803
1947年津島31,737安城町34,162
1950年刈谷30,868安城町35,188
1955年守山45,451稲沢町46,871
1955年尾西44,286稲沢町46,871
1955年江南43,787稲沢町46,871
1955年常滑43,067稲沢町46,871
1955年犬山35,910稲沢町46,871
1955年挙母34,010稲沢町46,871
1955年小牧32,327稲沢町46,871
1965年新城32,148大府町34,740
1970年知多39,834知立町41,896
1975年高浜32,191師勝町34,177
1985年岩倉42,508日進町44,802
2005年清須55,038三好町56,252
2005年新城52,178三好町56,252
2010年弥富43,272長久手町52,022
1965年亀山30,582久居町30,931
1965年鳥羽30,098久居町30,931
1965年名張30,084久居町30,931
1965年熊野30,041久居町30,931
1985年尾鷲29,741菰野町30,775
2010年熊野19,662菰野町39,978
東海地区で、自市の人口を上回った町の数が多いのが、現行の市では美濃、消滅市では天竜、前身市では新城です。
・美濃市を上回った町
可児、穂積、養老、垂井、池田、笠松、岐南、大野、揖斐川の9町(いずれも、美濃市を追い抜きました。)
・天竜市を上回った町
浜北、裾野、湖西、函南、長泉、菊川、清水、豊田、下田、吉田、相良、榛原、浜岡の13町(浜北以外は天竜市を追い抜きました。)
・新城市を上回った町
知多、大府、旭、日進、豊明、知立、三好、岩倉、東浦、長久手、師勝、武豊、高浜、田原、東郷、弥富、蟹江の17町(いずれも新城市を追い抜いています。なお、三好は2005年国調で現行の新城市よりも上位になっており、長久手は2010年国調で、東浦は2015年国調で現行の新城市を追い抜いています。)

2.市の人口を上回った町(村)
人口激減した市を上回った町(村)はかなり多くなりますので、上回った国勢調査年が
A:1950年までは2万以上、B:1955年以降は3万以上
の町(村)に限定いたします。
「国勢調査年」・・・AまたはBをクリアして最初に上回った国勢調査年
「町村名」・・・・・※は「村」
「最高年」・・・・・町(村)時代の国勢調査における最高年
国勢調査年町村名現行(人口)最高年(最高人口)
1975年可児可児市36,6491980年55,248
1980年養老養老町31,3721995年33,694
1990年穂積瑞穂市30,0902000年35,076
1940年三島三島市27,6121935年28,143
1940年大宮富士宮市26,0491940年26,049
1940年島田島田市24,6331947年30,635
1960年浜北(浜松市)53,5481960年53,548
1970年裾野裾野市31,6121970年31,612
1970年湖西湖西市31,2631970年31,263
1970年下田下田市30,3181970年30,318
1975年長泉長泉町30,7182020年43,336
1985年函南函南町31,9222005年38,803
1995年菊川菊川市30,6752000年31,528
2000年清水清水町30,8702010年32,302
1947年安城安城市34,1621950年35,188
1950年守山(名古屋市)33,9511950年33,951
1950年挙母豊田市31,9961950年31,996
1955年稲沢稲沢市46,8711955年46,871
1955年新城新城市35,5601955年35,560
1965年大府大府市34,7401965年34,740
1965年知多知多市34,7391965年34,739
1970年知立知立市41,8961970年41,896
1970年岩倉岩倉市33,8431970年33,843
1970年尾張旭市33,6341970年33,634
1975年師勝北名古屋市34,1772005年43,888
1975年東浦東浦町33,0802010年49,800
1975年日進日進市32,7321990年50,335
1980年武豊武豊町33,9242020年43,535
1985年田原田原市32,6782000年36,981
1985年蟹江蟹江町32,2492020年37,338
1985年弥富弥富市31,8162005年36,957
1990年長久手長久手市33,7142010年52,022
1995年三好みよし市39,9202005年56,252
2000年東郷東郷町36,8782020年43,903
1965年久居(津市)30,9311965年30,931
1985年菰野菰野町30,7752020年40,559
上表で現役の町は、養老(岐阜県)、長泉、函南、清水(以上・静岡県)、東浦、武豊、蟹江、東郷(以上・愛知県)、菰野(三重県)と9つもあります。
このうち、市に対して五分以上の「対戦成績」を残しているのは、
養老:VS美濃・12勝2敗、VS山県・4勝0敗、VS飛騨・4勝0敗
長泉:VS下田・9勝1敗、VS天竜・7勝2敗、VS御前崎・4勝0敗、 VS伊豆・4勝0敗
函南:VS下田・8勝2敗、VS天竜・5勝4敗、VS御前崎・4勝0敗、 VS伊豆・4勝0敗
清水:VS下田・6勝4敗、VS天竜・5勝4敗、VS伊豆・2勝2敗
東浦:VS高浜・10勝0敗、VS新城・2勝2敗(前身市時代を含めると7勝6敗)、VS弥富・3勝0敗
武豊:VS高浜・5勝5敗
菰野:VS鳥羽・9勝5敗、VS尾鷲・8勝6敗、VS熊野・3勝0敗(前身市時代を含めると10勝4敗)
[108163] 2023年 7月 7日(金)07:57:23白桃 さん
同一都道府県内の市人口・町村人口逆転(8.近畿)
今回は近畿地方になりますが、例によって…
白桃は、昭和歌謡ファンではありますが、特に「ご当地ソング」好きではありません。よって、「ご当地ソングの女王・水森かおり」を応援しているわけではないのですが、彼女の歌のタイトルは面白いというか、唖然とします。そこで、以下8曲にツッコミを入れてみたいと思います。
「越後水原」・・・「瓢湖エレジー」とか「阿賀野川哀歌」にした方が
「信州信濃のお母さん」・・・まさか、上水内郡信濃町にお母さんは居ないよね。もっと具体的に言って欲しい
「宗谷本線比布駅」・・・ピップ・エレキバンのCMを思い出します
「辰野の雨」・・・「たつの」でも「龍野」でもなく本当に辰野でいいの?
「多度津みなと町」・・・もう、「こんぴら参り」の時代ではない。多度津水産高校も無くなったし。
「燕三条雨が降る」・・・雨は燕市に降っているのか、三条市に降っているのか、それとも「燕三条駅」周辺の局地雨なのか
「房総半島吹く風まかせ」・・・房総半島は台風に弱いのに、こんなタイトルはどうなんでしょう。
「亘理の冬」・・・歌詞に鳥が出てくるが、「わたり鳥」ではないでしょう。
では
1.町(村)の人口を下回った市
「国勢調査年」・・・その市が町(村)の人口を下回った最初の国勢調査年
「種別」・・・・・・◎:現行の市、〇:現行の市の「前身市」、●:現行の市を構成している「前身市」以外の旧市
「上回った町村」・・市人口を上回った町(村)の中で、最多人口の町(村)
国勢調査年種別市名(人口)上回った町村(人口)
1965年八日市29,437守山町31,676
1970年亀岡47,151長岡町51,414
1970年綾部44,983長岡町51,414
1970年宮津31,603長岡町51,414
1975年向日45,886八幡町50,132
2010年南丹35,214精華町35,630
1935年岸和田39,097布施町48,696
1940年池田35,494貝塚町42,797
1947年泉大津30,652佐野町31,530
1965年柏原44,972高石町45,679
1965年箕面43,851高石町45,679
1965年河内長野40,109高石町45,679
1990年四條畷50,035阪南町54,073
1925年明石37,244西灘村40,997
1925年西宮34,427西灘村40,997
1940年飾磨35,061大庄村43,971
1940年洲本29,461大庄村43,971
1947年相生26,191赤穂町29,158
1950年豊岡31,677鳴尾村33,812
2005年養父28,306播磨町33,545
2010年朝来32,814太子町33,438
1970年五條33,737生駒町35,550
1985年御所36,693香芝町43,485
2015年宇陀31,105広陵町33,487
1990年御坊29,133岩出町32,846
1995年有田34,283岩出町41,550
1995年新宮34,134岩出町41,550
2000年海南45,507岩出町48,156
2005年新宮33,790岩出町50,834
明石、西宮が村の人口を下回っていた、というのも意外ですが、ここでは目立たないけど白桃が注目しているのは新宮です。1933年(昭和8年)に市制施行、これは県都に次ぐ早さ。同年市制は、松阪、銚子、延岡、帯広、延岡、酒田、熊谷、川口という面々。市の古さを言えば、浦和や市川より古いのです。9市なので同窓会は開かれません(市の同窓会参照)ので、詳しいことは言いませんが、市になって初めての1935年国調人口が32,055人、最新の2020年の国調人口が27,171人(最高は1965年の40,051人)ですから、何という低空飛行。これだから、福岡県に存在する同名の新宮町にも追い越されているのです。

2.市の人口を上回った町(村)
人口激減した市を上回った町(村)はかなり多くなりますので、上回った国勢調査年が
A:1950年までは2万以上、B:1955年以降は3万以上
の町(村)に限定いたします。
「国勢調査年」・・・AまたはBをクリアして最初に上回った国勢調査年
「町村名」・・・・・※は「村」
「最高年」・・・・・町(村)時代の国勢調査における最高年
国勢調査年町村名現行(人口)最高年(最高人口)
1965年守山守山市31,6761965年31,676
1985年栗東栗東市41,8272000年54,856
1970年長岡長岡京市51,4141970年51,414
1970年向日向日市36,9881970年36,988
1970年城陽城陽市35,6581970年35,658
1975年八幡八幡市50,1321975年50,132
1980年田辺京田辺市39,1981995年53,040
2000年木津木津川市33,6832005年39,129
2005年精華精華町34,2362015年36,376
1935年布施東大阪市48,6961935年48,696
1940年貝塚貝塚市42,7971940年42,797
1947年佐野泉佐野市31,5301947年31,530
1965年高石高石市45,6791965年45,679
1965年三島摂津市43,4791965年43,479
1990年阪南阪南市54,0731990年54,073
1925年西灘※(神戸市)40,9971925年40,997
1930年小田※(尼崎市)40,2901935年54,484
1940年大庄※(尼崎市)43,9711940年43,971
1940年精道※芦屋市39,1371940年39,137
1940年鳴尾※(西宮市)34,2611940年34,261
1947年赤穂赤穂市29,1581947年29,158
2005年播磨播磨町33,5452000年33,766
2005年太子太子町32,5552015年33,690
2005年稲美稲美町31,9442000年32,054
2005年猪名川猪名川町30,0212010年31,739
1970年生駒生駒市35,5501970年35,550
1980年香芝香芝市36,3141990年52,817
2005年田原本田原本町33,0292005年33,029
2005年広陵広陵町32,8102020年33,810
1990年岩出岩出市32,8462005年50,834
戦前の兵庫五村は強烈です。
上表にある現役7町の、市に対する五分以上の「対戦成績」は以下の通り
精華:VS南丹・3勝0敗
播磨:VS朝来・3勝1敗、VS養父・4勝0敗
太子:VS朝来・3勝1敗、VS養父・4勝0敗
稲美:VS朝来・2勝2敗、VS養父・4勝0敗
猪名川:VS朝来・2勝2敗、VS養父・4勝0敗
田原本:VS宇陀・2勝1敗
広陵:VS宇陀・2勝1敗
[108177] 2023年 7月 12日(水)05:31:45白桃 さん
同一都道府県内の市人口・町村人口逆転(9.中国四国)
今日は、中国・四国です。広島県民の0.01%ぐらいは(安芸)府中は、市になるのか、広島市と合併するのか、町を維持するのか、が気になっているかもしれませんが、東かがわ市民の殆どは、三木町に人口で追い抜かれる日がいつになるのか、そういうことは全く心配していないようです。
恒例?の前座話なんですが、いつもより早く三本松の「夏」が終わったので、気力もネタも残っていません。が気力をふりしぼって、白桃の「こうなって欲しかった市名」を記します。
赤磐市→白桃市(マスカット市は論外)
安芸高田市→毛利市(若隆元・若元春・若隆景を連想する三矢、あるいは六矢市でも可、但し、サンフレッチェは×)
山陽小野田市→小野田市のままでいいじゃないの。
三好市→阿波池田市(池田の名は残すべし)
さぬき市→結願市(ケチガンは88カ所最後の大窪寺から。満願市でも良いが、満貫市は×)
東かがわ市→和三市(和三盆から。和三本松市なら尚良いが…)
四国中央市→燧灘市(漢字が難しいから「ひうち市」でも良いが、それじゃ、ライターみたい。企業名から大王市も?)
香美市→土佐山田市(龍河洞から龍河市は格好つけすぎ)

それでは本題、おっとその前に[108175]伊豆之国 さん
延岡がかぶっていますね。後のほうのは「石巻」ですね。
ご指摘いただいたことも有難いですが、記事を読まれている方もいらっしゃるというのが嬉しいです。
トシのせいか、こういうケアレスミスが多くなりました。

1.町の人口を下回った市
「国勢調査年」・・・その市が町(村)の人口を下回った最初の国勢調査年
「種別」・・・・・・◎:現行の市、〇:現行の市の「前身市」、●:現行の市を構成している「前身市」以外の旧市
「上回った町村」・・市人口を上回った町(村)の中で、最多人口の町(村)
国勢調査年種別市名(人口)上回った町(人口)
2000年江津25,773斐川町26,816
2000年新見24,576山陽町24,604
1965年庄原26,515五日市町31,993
1970年因島41,729五日市町45,942
1970年大竹37,637五日市町45,942
1970年三次36,169五日市町45,942
1970年竹原35,017五日市町45,942
1975年府中50,217五日市町64,893
1980年三原84,450五日市町87,325
1980年東広島75,807五日市町87,325
2005年庄原43,149府中町50,732
2005年安芸高田33,096府中町50,732
2005年江田島29,939府中町50,732
2020年三次50,681府中町51,155
1965年長門29,246南陽町30,454
1970年美禰27,639南陽町32,352
1955年小松島32,013富岡町41,343
2010年美馬32,484藍住町33,338
2010年三好29,951藍住町33,338
2020年阿波34,713藍住町35,246
1955年伊予30,031北条町30,639
1995年北条29,040松前町30,106
1985年土佐清水23,014土佐山田町23,655
1995年安芸22,377伊野町25,444
1995年室戸21,430伊野町25,444
2005年須崎26,039いの町27,068
2005年宿毛24,397いの町27,068
9県のうち、鳥取・香川の2県に「逆転」がない中国四国ではありますが、多くの町の下位に立たされた市があります。その代表格が庄原で、前身市時代に、五日市、西条、廿日市、府中、神辺、海田、可部、祇園、熊野、新市、大野、黒瀬と12の町に追い越され、新設後も、府中町の人口には届いておりません。
このシリーズのテーマからは外れますが、中国と四国でそれぞれ一つずつ、同一県内の市同士の名勝負?があります(ました)。広島県では大竹VS竹原(竹原の7勝6敗)、愛媛県では北条VS伊予(伊予の5勝4敗)の鎬を削る戦い、ま、こんな事に関心を持つのは白桃ぐらいですか…。名勝負?にはほど遠いのですが、高知の岬対決にも関心をもっています。こちらは足摺岬(土佐清水市)が室戸岬(室戸市)に10連敗後に3連勝しております。もっとも、現在は両市とも朝ドラ「らんまん」の舞台(白桃にとっては、「司牡丹」のふるさと)である佐川(酒匂の方が良い?)町にも抜かれています。

2.市の人口を上回った町
人口激減した市を上回った町はかなり多くなりますので、上回った国勢調査年が
A:1950年までは2万以上、B:1955年以降は3万以上
の町(村)に限定いたします。
「国勢調査年」・・・AまたはBをクリアして最初に上回った国勢調査年
「最高年」・・・・・町時代の国勢調査における最高年
国勢調査年町名現行(人口)最高年(最高人口)
1965年五日市(広島市)31,9931980年87,325
1970年府中府中町40,3022020年51,155
1970年祇園(広島市)39,9221970年39,922
1975年廿日市廿日市市34,4321985年52,020
1975年神辺(福山市)33,2082005年40,578
1985年海田海田町30,6331990年30,744
1965年南陽(周南市)30,4541970年32,352
1955年富岡阿南市41,3431955年41,343
2010年藍住藍住町33,3382020年35,246
1955年北条(松山市)30,6391955年30,639
1995年松前松前町30,1062005年30,564
中国四国では「礼節?を知る町」が多いのですが、その反面、とんでもない大物も現れています。広島県の五日市町と府中町です。
五日市は1980年(昭和55年)国勢調査で87,325人を数え、広島、福山、呉、尾道に次ぐ広島県下第5位の人口となり、三原、東広島、府中、因島、三次、竹原、大竹、庄原の8市の人口を上回ります。因みに、この87,325人という数は、荏原、西巣鴨、渋谷、滝野川、王子(いずれも現在は東京都特別区内)に次いで国勢調査史上第6位の町人口であります。
皆さんご存じの通り、府中(町)は現在、町人口全国ナンバー1となっているのですが、2020年国勢調査で記録した51,155人が、これまで21回の国勢調査の町村最高人口の中で最低記録である、ことは殆ど知られてないようです。(というか、私も今初めて気が付きました。(-_-;)それはともかく、府中町と市との「対戦成績」を見ると凄いです。
VS庄原・4勝0敗(前身市時代を含めると12勝2敗)、VS府中市・8勝6敗(同県同名の市に勝ち越し!)、VS三次・1勝3敗(前身市時代を含めると8勝6敗)、VS竹原・11勝2敗、VS大竹・11勝3敗、VS因島・6勝4敗、VS安芸高田・4勝0敗、VS江田島・4勝0敗
府中町以外の現役町の市との対戦成績(五分以上)は、以下の通り。
海田:VS庄原・0勝4敗(前身市時代を含めると 7勝7敗)、 VS江田島・3勝1敗
藍住:VS美馬・3勝1敗、VS三好・3勝0敗
※松前が五分以上の「対戦成績」を残している市はありません。
[108186] 2023年 7月 16日(日)09:49:43【1】訂正年月日
【1】2023年 7月 16日(日)17:05:01
白桃 さん
同一都道府県内の市人口・町村人口逆転(10.北九州)
九州を二つに分けたのは、かつて炭鉱で繁栄したが、閉山後に人口が急降下した市や、「福岡チルドレン」と呼ばれる(白桃だけがそう言っているのかもしれない)人口の急増をみた町が多い福岡県が「下剋上」の宝庫になっているという理由からです。で今回は、福岡県をたっぷり、佐賀、長崎県を少々、という感じになってしまいました。(-_-;)
では、いつものクイズです。
クイズその1
A群にある市は、ある順番に並んでいます。それぞれの「相棒」をB群の市から探してください。
A群:千葉-北九州-姫路-横浜-さいたま-岡山-川崎-札幌-八王子-名古屋-相模原-松山
B群:夕張、士別、歌志内、陸前高田、飛騨、尾鷲、熊野、室戸、土佐清水、多久、えびの、垂水
(開く)ヒント

クイズその2
A群にある市は、ある順番に並んでいます(と言っても、浜松の次は川崎に戻ります)。それぞれの「相棒」をB群の市から探してください。
A群:川崎-横浜-高松-北九州-藤沢-さいたま-相模原-静岡-宇都宮-千葉-札幌-浜松
B群:夕張、美唄、芦別、赤平、三笠、歌志内、江田島、美祢、室戸、津久見、枕崎、阿久根
(開く)ヒント
ヒントを見れば簡単だと思います。答えは、次回、南九州編で。
それでは
1.町(村)の人口を下回った市
「国勢調査年」・・・その市が町(村)の人口を下回った最初の国勢調査年
「種別」・・・・・・◎:現行の市、〇:現行の市の「前身市」、●:現行の市を構成している「前身市」以外の旧市
「上回った町村」・・市人口を上回った町(村)の中で、最多人口の町(村)
国勢調査年種別市名(人口)上回った町村(人口)
1920年小倉33,954穂波村37,235
1925年戸畑37,748穂波村38,761
1955年大川49,991宮田町51,795
1955年甘木47,983宮田町51,795
1955年柳川47,780宮田町51,795
1955年行橋46,426宮田町51,795
1955年八女42,220宮田町51,795
1955年筑後42,161宮田町51,795
1955年豊前37,936宮田町51,795
1955年山田35,752宮田町51,795
1960年中間42,418宮田町51,200
1975年小郡36,914宗像町45,218
2005年うきは32,902那珂川町46,972
2010年嘉麻42,589那珂川町49,780
2010年みやま40,732那珂川町49,780
2010年宮若30,081那珂川町49,780
2005年多久22,739みやき町27,157
1980年松浦24,565長与町28,824
1985年平戸28,416長与町30,896
1990年福江29,709長与町33,640
2000年島原39,605長与町40,356
2005年対馬38,481長与町42,655
2005年平戸38,389長与町42,655
2005年西海33,680長与町42,655
2005年壱岐31,414長与町42,655
2010年五島40,622長与町42,535
2010年松浦25,145長与町42,535
豊前市は、市制施行後迎えた1955年国調時点で、宮田、稲築、穂波(村)、川崎、中間の4町1村の人口を下回っており、その後、春日、筑紫野、大野、宗像、太宰府、前原、古賀、小郡、那珂川、福間、宇美、志免、苅田、粕屋、水巻、岡垣、篠栗、新宮、筑前、須恵と、実に20もの町に追い越されたのです。(付け加えるならば、1960年国調で、村から町となった穂波の人口を下回っていた。)
まさに、「下剋上天国・福岡」の象徴的存在、いやいや、上には上がいるのです。それは、嘉麻市の前身である(旧)山田市です。豊前の場合は下回った町村を数えるのも楽?なのですが、山田になると、数える気がおこりません。それは夕張や歌志内も同様なのですが、山田が北海道の炭鉱市と違う点は、「平成の合併」で一緒になった稲築との関係です。茨城県笠間市の場合も合併前の人口は、旧市(笠間)より旧町(友部)の方が多かったのですが、嘉麻の場合は極端で、旧山田市は旧稲築町に一度も人口で勝った(「かった」と読まないで「まさった」と読んでね:(笑))ことがないのです。0勝11敗なのです。さらに言えば、市になる前の国勢調査でも、山田が稲築に勝ったのはたった一回(1935年:当時の山田町が稲築村を上回った)だけなのです。れ・みぜらぶる。

2.市の人口を上回った町(村)
人口激減した市を上回った町(村)はかなり多くなりますので、上回った国勢調査年が
A:1950年までは2万以上、B:1955年以降は3万以上
の町(村)に限定いたします。
「国勢調査年」・・・AまたはBをクリアして最初に上回った国勢調査年
「町村名」・・・・・※は「村」
「最高年」・・・・・町(村)時代の国勢調査における最高年
国勢調査年町村名現行(人口)最高年(最高人口)
1920年穂波※(飯塚市)37,2351955年42,185
1955年宮田宮若市51,7951955年51,795
1955年稲築(嘉麻市)43,4121950年44,514
1955年川崎川崎町408781955年40,878
1955年中間中間市40,4231955年40423
1960年穂波(飯塚市)36,8571960年36,857
1960年水巻水巻町34,9271960年34,927
1960年前原糸島市31,4621990年50,250
1960年筑紫野筑紫野市30,6141970年38,876
1965年春日春日市30,9711970年41,599
1970年大野大野城市33,8181970年33,818
1970年小郡小郡市30,4691970年30,469
1975年宗像宗像市45,2181980年56,439
1975年太宰府太宰府市36,5531980年50,273
1980年古賀古賀市35,5621995年51,244
1980年志免志免町32,2412020年46,377
1980年苅田苅田町31,1552020年37,684
1985年福間福津市34,0202000年41,480
1985年那珂川那珂川市30,8692015年50,004
1990年宇美宇美町34,2832005年39,136
1995年粕屋粕屋町31,5042020年48,190
2000年岡垣岡垣町30,4172010年32,119
2005年篠栗篠栗町30,9852010年31,318
2015年新宮新宮町30,3442020年32,927
1985年長与長与町30,8962005年42,655
2010年時津時津町30,1102010年30,110
疲れたので、事務的になります。現役の町の市に対する「対戦成績」(五分以上)
川崎町:VS嘉麻・0勝3敗(旧山田市時代を含めると11勝3敗)
水巻町:VS嘉麻・0勝3敗(旧山田市時代を含めると10勝4敗)、VS豊前・7勝7敗、VS宮若・2勝1敗
志免町:VS嘉麻・3勝0敗(旧山田市時代を含めると11勝3敗)、VS豊前・9勝5敗、VS宮若・3勝0敗
    VSうきは・4勝0敗、VSみやま・3勝0敗
苅田町:VS嘉麻・1勝2敗(旧山田市時代を含めると10勝4敗)、VS豊前・8勝6敗、VS宮若・3勝0敗、VSうきは・4勝0敗
宇美町:VS嘉麻・1勝2敗(旧山田市時代を含めると9勝5敗)、VS豊前・7勝7敗、VS宮若・3勝0敗、VSうきは・4勝0敗
粕屋町:VS嘉麻・2勝1敗(旧山田市時代を含めると10勝3敗)、VS宮若・3勝0敗、VSうきは・4勝0敗、VSみやま・3勝0敗
岡垣町:VS嘉麻・0勝3敗(旧山田市時代を含めると8勝6敗)、VS宮若・3勝0敗、VSうきは・3勝1敗
篠栗町:VS嘉麻・0勝3敗(旧山田市時代を含めると7勝7敗)、VS宮若・3勝0敗、VSうきは・2勝2敗
新宮町:VS宮若・2勝1敗、VSうきは・2勝2敗
長与町:VS五島・3勝1敗(旧福江市時代を含めると6勝8敗)、VS平戸・4勝0敗(旧平戸市時代を含めると8勝6敗)
VS松浦・3勝0敗(旧松浦市時代を含めると9勝5敗)、VS対馬・4勝0敗、VS西海・4勝0敗、 VS壱岐・4勝0敗
時津町:VS松浦・3勝0敗(旧松浦市時代を含めると7勝7敗)、VS西海・2勝2敗、VS壱岐・3勝1敗
[108201] 2023年 7月 18日(火)09:57:11白桃 さん
同一都道府県内の市人口・町村人口逆転(11.南九州&沖縄)
もう、早朝から暑いですネ。図形の角度や面積を求める問題もこう暑いとヤル気がでません。エンゼルスの拙攻、拙守を見ると尚更暑く(熱く?)なります。
では、先日のクイズの答えです。
クイズその1
A群にある市は、ある順番に並んでいます。それぞれの「相棒」をB群の市から探してください。
A群:千葉-北九州-姫路-横浜-さいたま-岡山-川崎-札幌-八王子-名古屋-相模原-松山
B群:夕張、士別、歌志内、陸前高田、飛騨、尾鷲、熊野、室戸、土佐清水、多久、えびの、垂水
「市制施行月別に最高人口市と最低人口市を結ぶ」と、
一月二月三月四月五月六月七月八月九月十月十一月十二月
千葉北九州姫路横浜さいたま岡山川崎札幌八王子名古屋相模原松山
陸前高田飛騨室戸夕張多久尾鷲歌志内土佐清水士別垂水熊野えびの
になります。
クイズその2
A群にある市は、ある順番に並んでいます(と言っても、浜松の次は川崎に戻ります)。それぞれの「相棒」をB群の市から探してください。
A群:川崎-横浜-高松-北九州-藤沢-さいたま-相模原-静岡-宇都宮-千葉-札幌-浜松
B群:夕張、美唄、芦別、赤平、三笠、歌志内、江田島、美祢、室戸、津久見、枕崎、阿久根
「市制施行した年の干支別に最高人口市と最低人口市を結ぶ」と、
川崎横浜高松北九州藤沢さいたま相模原静岡宇都宮千葉札幌浜松
美祢枕崎美唄津久見阿久根芦別赤平夕張江田島三笠歌志内室戸
になります。

それでは本題に入りますが、(注)として、以降に出てくる沖縄県の国勢調査人口のうち、1950年は琉球列島軍政本部、55年、60年、65年、70年は琉球政府によって実施された“国勢調査”です。
1.町(村)の人口を下回った市
「国勢調査年」・・・その市が町(村)の人口を下回った最初の国勢調査年
「種別」・・・・・・◎:現行の市、〇:現行の市の「前身市」、●:現行の市を構成している「前身市」以外の旧市
「上回った町村」・・市人口を上回った町(村)の中で、最多人口の町(村)
国勢調査年種別市名(人口)上回った町村(人口)
1980年牛深24,003植木町27,002
1985年菊池28,518植木町28,679
2000年水俣31,147益城町32,160
2005年上天草32,502益城町32,782
2005年阿蘇29,636益城町32,782
2010年宇土37,727菊陽町37,734
2010年人吉35,611菊陽町37,734
1955年鶴崎27,974玖珠町28,622
1960年豊後高田28,280玖珠町28,300
1960年杵築27,753玖珠町28,300
1980年竹田22,767玖珠町22,775
2000年津久見23,164日出町26,142
2005年竹田26,534日出町27,640
2005年豊後高田25,114日出町27,640
2020年国東26,232日出町27,723
1985年串間28,328佐土原町29,607
1985年えびの28,034佐土原町29,607
1947年川内40,705谷山町40,799
1950年枕崎34,480谷山町40,098
1950年串木野33,884谷山町40,098
1950年名瀬28,970谷山町40,098
1955年指宿35,981谷山町39,671
1955年国分35,480谷山町39,671
1955年加世田34,608谷山町39,671
1975年垂水24,422姶良町26,340
1975年西之表24,266姶良町26,340
1980年阿久根29,527姶良町32,085
1980年大口27,418姶良町32,085
1995年出水40,107姶良町40,652
2005年曽於42,287姶良町44,671
1925年首里20,582平良町23,115
1950年平良30,897具志川村32,369
1950年石垣19,872具志川村32,369
1950年石川17,789具志川村32,369
1965年宜野湾34,573具志川村35,453
結構、逆転現象が目立つ南九州ですが、中でも鹿児島は、「昭和の大合併」前に市となった川内、枕崎、串木野、名瀬の四市が谷山や頴娃などの町の人口を下回っています。このようなケースは、産炭地、大都市圏を除くと珍しいのですが、あまり取り立てて騒ぐ必要もありません。(だったら、言うなって(-_-;))鹿児島県の場合は、最近の大相撲と同様、実力(当時の人口)が番付通りである、とは言い難いのです。ですから、谷山に「金星」を与える必要もないのですが、谷山生まれの西郷輝彦に「金星のフラメンコ」を追悼し、頴娃出身の高田みづえさんには「銀星娘のガラス皿」を差し上げましょう。
沖縄県でも「昭和の大合併」前に首里、平良、石垣、石川の四市が具志川村などの人口を下回っています。ここは鹿児島県以上に(市人口VS町村人口に関して)「無法地帯」、ナンデモアリなのです。
当地域において、自市の人口を上回った町村数が多いところを挙げますと、一番は沖縄県の石川市です。市になった時点で、具志川村、真和志村、本部町、越来村の下位に甘んじており、それ以降、浦添村、宜野湾村、名護町、糸満町、豊見城村、読谷村、西原町、南風原町、北谷町、美里村に追い越されています。次はどこかと思いきや、西之表、垂水を押さえて熊本県の消滅市・牛深でした。
本渡に美味しいところを奪われたのか、市制施行当時には4万人近くあった人口は、消滅時には2万人を大きく割り込み、益城、植木、菊陽、大津、西合志、松橋、合志、城南、阿蘇、御船の10町に追い越されました。

2.市の人口を上回った町(村)
人口激減した市を上回った町(村)はかなり多くなりますので、上回った国勢調査年が
A:1950年までは2万以上、B:1955年以降は3万以上
の町(村)に限定いたします。
「国勢調査年」・・・AまたはBをクリアして最初に上回った国勢調査年
「町村名」・・・・・※は「村」
「最高年」・・・・・町(村)時代の国勢調査における最高年
国勢調査年町村名現行(人口)最高年(最高人口)
1995年植木(熊本市)30,8232000年31,235
1995年益城益城町30,7572015年33,611
2005年菊陽菊陽町32,4342020年43,337
2010年大津大津町31,2342020年35,187
1990年佐土原(宮崎市)30,7582005年32,981
1947年谷山(鹿児島市)40,7991947年40,799
1950年頴娃(南九州市)39,4831950年39,483
1950年阿久根阿久根市31,7661950年31,766
1950年西之表西之表市30,1231955年32,527
1950年末吉曽於市29,0721950年29,072
1955年垂水垂水市37,3161955年37,316
1980年姶良姶良市32,0852005年44,671
1985年隼人(霧島市)30,0792000年36,846
1925年平良宮古島市23,1151940年26,412
1925年本部※本部町21,8591930年23,281
1950年具志川※うるま市32,3691965年35,453
1950年真和志※(那覇市)30,9351950年30,935
1950年本部本部町21,0101950年21,010
1955年越来※沖縄市35,2831955年35,283
1965年糸満糸満市34,0651970年34,083
1965年浦添※浦添市30,8211965年30,821
1980年豊見城※豊見城市33,0752000年50,198
1990年読谷※読谷村30,7502020年41,206
1995年南風原南風原町30,2492020年40,440
2000年西原西原町32,7772020年34,984
現役の町・村と市の対戦成績(五分以上)
益城町:VS牛深・5勝5敗、VS阿蘇・4勝0敗、VS上天草、4勝0敗
菊陽町:VS阿蘇・4勝0敗、VS上天草・3勝1敗
大津町:VS阿蘇・3勝1敗、VS上天草・3勝1敗
本部(村時代を含めて):VS首里・5勝0敗
読谷村:VS石川・10勝1敗
※沖縄県において、1947年は本土の国勢調査に該当する「人口調査」がありません。
[108613] 2023年 8月 11日(金)07:58:14【1】訂正年月日
【1】2023年 8月 11日(金)08:04:07
白桃 さん
市人口と町(村)人口の逆転(まとめ・その1.法人格変更無の市)
さほど内容もなく、見苦しい表で申し訳ありませんが、ちょっと纏めてみました。
後日、「その2.法人格変更有の市」「その3.消滅市」を予定しています。

①全国トップ人口の町(村)にも全勝の市・・・以下の72市
21連勝:仙台、横浜、金沢、名古屋、京都、大阪、神戸、岡山、広島、呉、福岡、長崎
20連勝:札幌、函館、小樽(以上3市は第1回国調時に「区」であったが、全国トップ人口の渋谷町を上回っていた)
18連勝:延岡
15連勝:武蔵野
14連勝:府中(東京)、三鷹、相模原
12連勝:市原、東村山、小平、門真
11連勝:東久留米、東海
10連勝:新座、三郷、多摩、座間
08連勝:浦安、四街道、可児
07連勝:つくば、廿日市
06連勝:鹿嶋、鶴ヶ島、八街、日進
05連勝:北広島、吉川、印西、京田辺
04連勝:登米、栗原、神栖、南魚沼、南アルプス、甲斐、笛吹、安曇野、田原、愛西、栗東、甲賀、丹波、宇城
03連勝:伊達(福島)、下野、坂井、北名古屋、みよし、あま、木津川、紀の川、三豊、合志、姶良
02連勝:滝沢、野々市、長久手
1勝0敗:富谷

(開く)②同一都道府県のトップ人口の町(村)には全勝の市・・・以下の306市

(開く)③同一都道府県内の町(村)に敗れたことがある市・・・以下の177市

④同一都道府県の人口トップの町(村)に全敗の市・・・以下の32市
一行目が市名、二行目以降は国勢調査年ごとのトップ人口町(村)名
全敗市砂川歌志内尾花沢高萩下妻高浜豊前
1955年大子町大子町宮田町
1960年豊平町豊平町高畠町大子町大子町宮田町
1965年登別町登別町高畠町大子町大子町宮田町
1970年亀田町亀田町高畠町岩井町岩井町春日町
1975年上磯町上磯町高畠町鹿島町鹿島町師勝町宗像町
1980年広島町広島町高畠町牛久町牛久町日進町宗像町
1985年石狩町石狩町高畠町牛久町牛久町日進町前原町
1990年広島町広島町高畠町鹿島町鹿島町日進町前原町
1995年広島町広島町高畠町総和町総和町東浦町古賀町
2000年音更町音更町高畠町守谷町守谷町三好町那珂川町
2005年音更町音更町高畠町阿見町阿見町三好町那珂川町
2010年音更町音更町高畠町阿見町阿見町長久手町那珂川町
2015年音更町音更町高畠町阿見町阿見町東浦町那珂川町
2020年音更町音更町高畠町阿見町阿見町東浦町粕屋町

全敗市八幡平潮来常陸大宮かすみがうら行方那須烏山かほく
2005年滝沢村阿見町阿見町阿見町阿見町壬生町野々市町
2010年滝沢村阿見町阿見町阿見町阿見町壬生町野々市町
2015年紫波町阿見町阿見町阿見町阿見町壬生町津幡町
2020年紫波町阿見町阿見町阿見町阿見町壬生町津幡町

全敗市山県飛弾伊豆御前崎弥富南丹養父
2005年養老町養老町函南町函南町播磨町
2010年養老町養老町長泉町長泉町長久手町精華町太子町
2015年養老町養老町長泉町長泉町東浦町精華町播磨町
2020年養老町養老町長泉町長泉町東浦町精華町播磨町

全敗市安芸高田江田島三好うきは宮若みやま
2005年府中町府中町那珂川町
2010年府中町府中町藍住町那珂川町那珂川町那珂川町
2015年府中町府中町藍住町那珂川町那珂川町那珂川町
2020年府中町府中町藍住町粕屋町粕屋町粕屋町

全敗市壱岐対馬西海上天草阿蘇
2005年長与町長与町長与町益城町益城町
2010年長与町長与町長与町菊陽町菊陽町
2015年長与町長与町長与町菊陽町菊陽町
2020年長与町長与町長与町菊陽町菊陽町
[108669] 2023年 8月 22日(火)21:02:24白桃 さん
市人口と町(村)人口の逆転(まとめ・その2.法人格変更有の市)
[108613]に続いて法人格変更があった市について観ました。
①全国トップ人口の町(村)にも全勝の市・・・以下の6市
21連勝:八幡→北九州、鹿児島
17連勝:布施→東大阪
11連勝:保谷→西東京
08連勝:宗像
06連勝:前原→糸島

(開く)②同一都道府県のトップ人口の町(村)には全勝で、変更後は全国トップ人口の町(村)にも全勝の市・・・以下の87市

(開く)③同一都道府県のトップ人口の町(村)には全勝で、変更後は全国トップ人口の町(村)には敗れたことがある市・・・以下の29市

(開く)④法人格変更前に同一都道府県内の町(村)に敗れたことがある市・・・以下の62市

⑤法人格変更後に同一都道府県内の町(村)に敗れたことがある市・・・釜石(滝沢村)

⑥法人格変更前にも法人格変更後にも同一都道府県内の町(村)に敗れたことがある市・・・以下の20市
前身市上回った町(村)現行市上回った町(村)通算対戦成績通算勝率
新宮岩出町新宮岩出町15勝3敗0.833
久慈江刺町久慈滝沢村8勝6敗0.571
福江長与町五島長与町8勝6敗0.571
滝川豊平町滝川広島町7勝6敗0.538
輪島野々市町輪島野々市町6勝8敗0.429
三次五日市町三次府中町6勝8敗0.429
平戸長与町平戸長与町6勝8敗0.429
遠野江刺町遠野滝沢村5勝9敗0.357
松浦長与町松浦長与町5勝9敗0.357
竹田玖珠町竹田日出町5勝9敗0.357
八日市場流山町匝瑳大網白里町4勝10敗0.286
熊野久居町熊野菰野町3勝11敗0.214
二戸都南村二戸滝沢村2勝8敗0.200
鴨川四街道町鴨川大網白里町2勝8敗0.200
名寄豊平町名寄音更町2勝11敗0.154
庄原五日市町庄原府中町2勝12敗0.143
新城大府町新城三好町1勝12敗0.077
士別三笠町士別音更町1勝13敗0.071
豊後高田玖珠町豊後高田日出町1勝13敗0.071
山田宮田町嘉麻那珂川町0勝14敗0.000
山田→嘉麻は全敗
[108703] 2023年 8月 31日(木)23:07:19白桃 さん
市人口と町(村)人口の逆転(まとめ・その3.消滅市)
本来ならば、市制施行以降に法人格の変更が有った場合、変更前の(旧)市は、名称が同じであっても消滅市と言うべきなのでしょうが、ここで言う「消滅市」というのは、
①複数の市が関係する合併において、合併前の国勢調査時に最も人口が多い市(「前身市」)以外の市
②東京市
のことです。
具体的に言うと、以下の旧15市は「前身市」とし、「消滅市」扱いにはしておりません。
東舞鶴(舞鶴市)、八幡(北九州市)、平(いわき市)、吉原(富士市)、布施(東大阪市)、高田(上越市)、今市(日光市)
勝田(ひたちなか市)、水沢(奥州市)、保谷(西東京市)、浦和(さいたま市)、徳山(周南市)、川之江(四国中央市)
具志川(うるま市)、本渡(天草市)
言わずもがな、コザや秋川のように、町村との合併によって名称が変更となった旧市も「前身市」扱いにしております。
一方、旧)日光、旧)富士、旧)舞鶴の3市は「消滅市」としております。なお、亀田市は「消滅市」ですが、市として国勢調査には登場していないので、ここでは対象外になります。
①全国トップ人口の町(村)にも全勝の市・・・泉、大宮、東京、真和志の4市
「全勝」と言っても真和志は市として国勢調査に登場したのが一回ぽっちですが…
以下に東京を除いた3市の人口推移を記します。
国勢調査年人口トップ町人口泉・人口大宮・人口真和志・人口
1947年相模原町(神奈川)73,21791,378
1950年相模原町(神奈川)68,898100,093
1955年三笠町(北海道)57,519144,540-----60,942
1960年豊平町(北海道)77,312169,996
1965年保谷町(東京)71,303215,646
1970年新座町(埼玉)77,704268,777
1975年五日市町(広島)64,89370,087327,698
1980年五日市町(広島)87,32598,016354,084
1985年廿日市町(広島)52,020124,216373,022
1990年鶴ヶ島町(埼玉)63,064403,776
1995年印西町(千葉)57,667433,755
2000年栗東町(滋賀)54,856456,271

②同一都道府県のトップ人口の町(村)には全勝の市・・・以下の28市
消滅市連勝最高人口年最高人口---消滅市連勝最高人口年最高人口
清水161975年243,049直江津41965年45,650
新津102000年65,860河内31965年91,853
伊予三島101960年39,947枚岡31965年79,524
平田101960年34,799磐城31965年64,899
門司91960年152,081玉島31965年53,455
若松91960年106,975勿来31955年50,187
白根92000年40,012西大寺31965年46,868
浜北82000年84,905常磐31960年44,041
久居82005年42,191内郷31955年40,017
田無72000年78,165松永31955年35,253
豊栄62000年48,997谷山21965年42,683
新南陽61980年34,367篠ノ井21965年29,340
東予61985年34,351伏見11930年31,538
児島(※)41965年77,420舞鶴11940年29,903
※法人格変更のあった児島は通算

③同一都道府県内の町(村)に敗れたことがある市・・・以下の15市
消滅市対戦成績最高人口年最高人口下回った年上回った町(村)
江刺5勝5敗1960年47,3631985年都南村
日光2勝9敗1955年33,4901965年黒磯町
岩槻7勝3敗1995年109,5461955年越谷町
与野7勝2敗2000年82,9371965年戸田町
鳩ヶ谷7勝2敗2010年60,9081970年新座町
栃尾6勝5敗1960年37,6811955年白根町
富士2勝1敗1965年53,2471960年浜北町
天竜1勝8敗1960年31,1221960年浜北町
守山1勝1敗1960年58,7981955年稲沢町
尾西9勝1敗2000年57,9561955年稲沢町
因島3勝8敗1970年41,7291970年五日市町
北条7勝2敗1985年30,5131995年松前町
小倉8勝1敗1960年286,4741920年穂波村
戸畑7勝1敗1960年108,7081925年穂波村
牛深5勝6敗1955年38,0061980年植木町

④同一都道府県内の町(村)に全敗の市・・・那珂湊、飾磨、鶴崎、首里、石川の5市
那珂湊飾磨
国勢調査年那珂湊・人口茨城県トップ人口国勢調査年飾磨・人口兵庫県トップ人口
1955年34,665大子町43,1241940年35,061大庄村43,971
1960年34,522大子町40,178鶴崎
1965年33,620大子町36,761国勢調査年鶴崎・人口大分県トップ人口
1970年32,873岩井町35,2131955年27,974玖珠町28,622
1975年33,147鹿島町37,1261960年27,755玖珠町28,300
1980年33,324牛久町40,164
1985年33,011牛久町51,926
1990年32,577鹿島町45,227

国勢調査年首里・人口石川・人口沖縄県トップ人口
1925年20,582平良町23,115
1930年20,119平良町24,424
1935年19,305平良町26,132
1940年17,537平良町26,412
1950年20,01417,789具志川村32,369
1955年17,346越来村35,283
1960年16,523具志川村33,756
1965年15,958具志川村35,453
1970年15,761糸満町34,083
1975年17,422豊見城村24,983
1980年18,533豊見城村33,075
1985年20,120豊見城村37,965
1990年20,733豊見城村40,777
1995年21,808豊見城村45,253
2000年21,992豊見城村50,198
[111788] 2024年 7月 26日(金)23:04:55白桃 さん
♪この日が来るのが恐かった~
♪逃げろよ逃げろよ捕まるな
は、1975年に発売された「♪さらばハイセイコー」二番の一節ですが、白桃の愛の右ムチ?の甲斐も無く、東かがわ市はとうとう、木田郡三木町に捕まってしまいました。
(2024年7月1日現在推計人口)
三木町:26,101人、東かがわ市:26,091人(三木町の人口が増加しているわけではありません。減少率が低いだけです。)
香川県においては「1町(村)の人口が、1市の人口を上回った」のは、初めての出来事です。
まさに、♪この日が来るのが恐かった(同曲一番の歌詞)白桃ですが、ま、香川大学の医学部と農学部を擁する三木町に追い抜かれることは、当然、予想されたことなので仕方ありませんね。
そうや、「予想されたこと」と言えば、予想通り、母校は準決勝で英明高校に(三木町に抜かれることを呪うかのように)コールド負けを喫しました。一回裏の三連打満塁のチャンスのとき、「これは、コールド勝ちの目(芽)もあるぞ。」と思ったのですが、あれだけ拙攻、タイムリー・エラー、采配ミスを重ねれば、「今年の夏」が終わるのもヤムナシです。
それでも、運だけで3回勝てたのですから、♪ありがとう友よ、さらば~サンボンマツ…です。

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