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明治大正期の都市人口とその後の変遷

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記事数=16件/更新日:2005年4月20日/編集者:YSK

明治大正期の都市人口は、現在のそれとちょっと違った分布となっていました。明治大正期以降の都市の人口とその後の変遷について、まとめてみました。

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[3293] 2002年 9月 23日(月)20:46:43横ちゃん さん
昔はどうだった
昨今の大都市圏への人口集中・過密化、それに伴う地方の人口減少・過疎化を見るにつけ、田舎出身の私としては将来の地方のあり方を心配しております。

ところで、現在でこそ東京都が人口が一番多いですが、明治時代は新潟県が一番だというデータを見たことがあります。明治時代、大正時代、昭和初期等の古い時代の都道府県人口ランキング及び都市別人口ランキングはないでしょうか。

あまり過去のことにさかのぼるのは、このHPの趣旨から外れるかもしれませんが、現在のような大都市、地方の格差の無い、地方はなやかりし時代のことが知りたかったものですから。
[3295] 2002年 9月 23日(月)23:33:50YSK さん
明治・大正期の都市人口
[3293]
明治・大正期の都市人口のランキングデータが手元にあるので、ご紹介します。

1876(明治9)       1920(大正9)

 1 東京 1,121,883    1 東京 2,173,201
 2 大阪  361,694    2 大阪 1,252,983
 3 京都  245,675    3 神戸  608,644
 4 名古屋 131,492    4 京都  591,323
 5 金沢   97,654    5 名古屋 429,997
 6 横浜   89,554    6 横浜  422,938
 7 広島   81,954    7 長崎  176,534
 8 神戸   80,446    8 広島  160,510
 9 仙台   61,709    9 函館  144,749
10 徳島   57,456   10 呉   130,362
11 和歌山  54,868   11 金沢  129,265
12 富山   53,556   12 仙台  118,984
13 函館   45,477   13 小樽  108,113
14 鹿児島  45,097   14 鹿児島 103,180
15 熊本   44,384   15 札幌  102,580
16 堺    44,015   16 八幡  100,235
17 福岡   42,617   17 福岡   95,381
18 新潟   40,776   18 岡山   94,845
19 長崎   38,229   19 新潟   92,130
20 高松   37,698   20 横須賀  89,879
21 福井   37,376   21 佐世保  87,022
22 静岡   36,838   22 堺    84,999
23 松江   33,381   23 和歌山  83,500
24 岡山   32,989   24 渋谷   80,799
25 前橋   32,981   25 静岡   74,093
26 下関   30,825   26 下関   72,300
27 八幡   29,487   27 門司   72,111
28 秋田   29,225   28 熊本   70,388
29 米沢   29,203   29 徳島   68,457
30 鳥取   28,275   30 豊橋   65,163

出典 古厩忠夫(1997)『裏日本-近代日本を問いなおす-』岩波新書

なお、このデータの原典である『明治大正国勢要覧』について詳細を知らないので断言できませんが、「門司」などが見えることから、統計年次時点での地方自治制度に基づく区域内の人口をまとめたものと思われます。なお、「八幡」は現在の北九州市八幡です。「渋谷」は旧東京市合併直前の旧渋谷町のことだと思われますが、はっきりとは分かりません。

また、最新の市のランキングはこのホームページのデータを参照してくださいね。

明治期のデータを見ると、初代政令市の6市が既に上位に見えます。また、上位30位以内に秋田、新潟、富山、金沢、福井、鳥取、松江と日本海側の諸都市が名を連ねています。特に、金沢は東京、大阪、京都、名古屋に次ぐ大都市だったのです。米沢の名前も見えますね。

しかし、太平洋側に偏った近代化の影響もあって、上記の年のうち金沢と新潟を除く都市はランキングの圏外に消え、替わって呉、横須賀、佐世保などの軍需関連の諸都市を代表とした工業都市が急成長を見せます。

また、第二次世界大戦後は東京・大阪・名古屋の3大都市圏への人口集中が進み、相模原、船橋、松戸、東大阪などの住宅都市が上位30位にランキングされることとなります。

とはいえ、住宅都市の成長などの若干の動きはあるものの、現在でも多くの人口を抱える主要地方都市の多くは、明治期からすでに力のある都市であったことも見て取れますね。

話は変わりますが、出典に利用させていただいた上記文献は、近代日本の成長過程を『裏日本』の視点により見つめなおしたものです。
一部日本海側の地域におけるイデオロギーの変化等思想的な記述の部分等、地理的な観点とは少し離れた部分もありますが、日本近代化の光と影を知るには興味深い文献だと思います。

それによると、『裏日本』という用語は現在でこそ、日本海側と太平洋側との経済的な較差を含む語として忌避されますが、この言葉が造語された明治中期においては、もともとは単純に「日本海側の地域」といった自然地理学的な語意だったようです。

その後政府は地方の均衡的な発展でなく、あくまで効率的な資本投下による富国強兵・殖産興業を優先させる政策をとり、戦後の「所得倍増計画」を受けた「全国総合開発計画」においても、その基本的な構想は変わりませんでした。

その結果、上に見た年のランキングの変化に垣間見られるように、日本海側は相対的に停滞を余儀なくされます。

最近東京電力による原子力発電所にかかる不祥事が明るみになりましたが、原子力発電所の多くが立地しているのも日本海側です。

>昨今の大都市圏への人口集中・過密化、それに伴う地方の人口減少・過疎化を見るにつけ、
>田舎出身の私としては将来の地方のあり方を心配しております。

私も同感です。
私たちは、こういった歴史に学び、地方のあり方について考えていく必要があるように思います。
[3296] 2002年 9月 23日(月)23:39:47夜鳴き寿司屋 さん
Re:昔はどうだった
[3293]横ちゃんさん
  総務省統計局統計センターのホームページにエクセル形式ですが
「第2章 人口・世帯人口,世帯,人口動態,人口移動」で日本の明治5年(1872年)から
2000年までの人口の推移と、第一回国勢調査が行われた1920年以降5年ごとの都道府県の人口の推移の資料などが閲覧できます。下記がアドレスです。

http://www.stat.go.jp/data/nenkan/02.htm

少し見にくい表ですが、何らかの参考になると思います。エクセルファイルですのでダウンロード
して自分のランキングに並び替えたりする事も可能ですが、暇がおありでしたら出来ると思います。(ちなみに私は暇潰しにやってしまいました)
[3399] 2002年 9月 28日(土)22:21:07ニジェガロージェッツ さん
東京市35区の区別人口
遅れレスですみません。
[3293]で横ちゃんさんから昔の人口についての書き込みがあり、またYSKさんからも[3295]に興味深いデータと詳しいご解説があり、大変勉強になりました。
私も以前に戦前の「六大都市」(私が中学生の頃までは良く聞いた表現ですが、現在では死語?、東京、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸をひとまとめにして言う)の人口を20年ぐらい前に調べていました。とりあえず昭和10年(1935年)、昭和15年(1940年)の東京市の区別人口の統計データが出てきましたのでご紹介致します。
横ちゃんさんのご趣旨からは逸れるかもしれませんが、何かのご参考にしてください。

 昭和10年(1935年)人口   昭和15年(1940年)人口    昭和10年 面積 k㎡

【東京市】  5,875,667     【東京市】  6,778,804     【東京市】  550.85
 (35区)             (35区)              (35区)
  荒  川   326,210      荒  川   351,281      板  橋  80.68
  本  所   278,194      豊  島   312,209      足  立  53.52
  浅  草   273,693      世田谷   281,804      江戸川  46.81
  豊  島   268,015      大  森   278,985      世田谷  38.80
  渋  谷   234,850      本  所 △273,407      葛  飾  35.78
  深  川   214,175      浅  草 △271,063      杉  並  34.10
  品  川   204,262      渋  谷   256,706      大  森  23.40
  大  森   201,425      蒲  田   252,799      蒲  田  22.15
    芝     190,776      杉  並   245,435      王  子  15.98
  下  谷   190,524      板  橋   233,115      中  野  15.41
  世田谷   190,486      品  川   231,303      渋  谷  15.24
  杉  並   190,217      足  立   231,246      目  黒  14.73
  向  島   186,698      深  川   226,754      豊  島  13.26
  中  野   178,383      王  子   220,304      荒  川  10.57
  足  立   174,612      中  野   214,117      城  東  10.18
  王  子   171,047      向  島   206,402      品  川  10.16
  城  東   171,047      目  黒   198,795      淀  橋  10.06
  淀  橋   169,187      城  東   192,400        芝     8.61
  荏  原   161,863        芝     191,445      麹  町   8.28
  目  黒   152,187      下  谷 △189,191      深  川   8.24
  板  橋   150,868      淀  橋   189,152      向  島   7.79
  蒲  田   147,516      荏  原   188,100      本  所   6.49
  京  橋   147,334      江戸川   177,304      小石川   6.06
  小石川   147,135      小石川   154,655      荏  原   5.80
  本  郷   141,215      葛  飾   153,041      浅  草   5.27
  神  田   136,906      本  郷   146,146      牛  込   5.21
  牛  込   130,340      京  橋 △142,269      滝野川   5.20
  江戸川   129,230      滝野川   130,705      京  橋   5.11
  滝野川   114,514      牛  込 △128,888      下  谷   5.04
  日本橋   113,871      神  田 △128,178      本  郷   4.87
  葛  飾   105,682      日本橋 △101,777      赤  坂   4.30
  麻  布    87,857      麻  布   89,163      麻  布   4.29
  四  谷    76,321      四  谷   76,440      四  谷   3.24
  麹  町    60,327      麹  町  △58,521      日本橋   3.12
  赤  坂    58,700      赤  坂  △55,704      神  田   3.10

この間、世田谷区は昭和11年(1936年)10月1日、北多摩郡砧村、千歳村を編入し区域が拡大(現在の区域が確定)しています。
[6150] 2002年 12月 8日(日)18:54:44ふぁいん さん
明治期の都市人口
[6133] YSKさん

[3295]の方を見ました。
私も『裏日本-近代日本を問いなおす-』を拝見したことがありますが、
以前、実際にその原典である『明治大正国勢要覧』も見たことがあります。
そしてその『明治大正国勢要覧』には、確かM19年末、M26年末、M31年末、M36年末、M41年末、T2年末、
T7年末、T9国勢調査、T14国勢調査
の各主要都市の人口が記されていたと記憶しています。

そのうち、『明治大正国勢要覧』で私がみたM19年末(1886)の都市の人口を抜粋しますと、

函館   45,477
東京  1,121,883
大阪 361,694
堺 44,015
京都 245,675
青森 14,920
弘前 28,170
盛岡 30,166
仙台 61,709
秋田 29,225
山形 26,971
米沢 29,203
鶴岡 19,666
酒田 21,004
水戸 19,010
宇都宮 20,475
前橋 32,531
横浜 89,545
新潟 40,776
高田 24,571
富山 53,556
金沢 97,653
福井 37,376
岐阜 23,377
静岡 36,838
名古屋 131,492
宇治山田 21,223
大津 23,167
神戸 80,446
姫路 22,677
奈良 22,666
和歌山 54,868
鳥取 28,275
松江 33,381
岡山 32,989
広島 81,914
下関 30,825
徳島 57,456
高松 37,698
八幡 29,487
福岡 42,617
久留米 20,907
佐賀 24,657
長崎 38,229
熊本 44,384
鹿児島 45,097
首里   25,581

このことから、
『裏日本-近代日本を問いなおす-』岩波新書
と比べ、調査年度、および都市人口が少し違うことがわかりました。
また、盛岡の人口もベスト30から抜けております。
原典自体が『明治大正国勢要覧』なので、やはり実際はこちらが正しかったのでは???と思っております。
どうなんでしょうね。
また、この人口はT14年頃当時の市域にあてはめたものだと思います。
[6165] 2002年 12月 8日(日)23:12:48YSK さん
明治大正国勢要覧
[6150]ふぁいんさん
『明治大正国勢要覧』につきまして、貴重なご解説をいただきまして、ありがとうございました。
私も、[3295]を投稿するにあたり、『明治大正国勢要覧』についていろいろ調べたのですが、結局原典の内容に行き着くことができず、本の内容のまま引用させていただいたのです。

ご提示いただいたデータ(明治19年時の都市人口)を、人口の多い順に再構成してみました。

順位都市名人口
1東京1,121,883
2大阪361,694
3京都245,675
4名古屋131,492
5金沢97,653
6横浜89,545
7広島81,914
8神戸80,446
9仙台61,709
10徳島57,456
11和歌山54,868
12富山53,556
13函館45,477
14鹿児島45,097
15熊本44,384
1644,015
17福岡42,617
18新潟40,776
19長崎38,229
20高松37,698
21福井37,376
22静岡36,838
23松江33,381
24岡山32,989
25前橋32,531
26下関30,825
27盛岡30,166
28八幡29,487
29秋田29,225
30米沢29,203
31鳥取28,275
32弘前28,170
33山形26,971
34首里25,581
35佐賀24,657
36高田24,571
37岐阜23,377
38大津23,167
39姫路22,677
40奈良22,666
41宇治山田21,223
42酒田21,004
43久留米20,907
44宇都宮20,475
45鶴岡19,666
46水戸19,010
47青森14,920

確かに、ご指摘のとおり、[3295]のデータと比較すると、(1)盛岡が抜けていることと、(2)統計年次が10年ずれていること、(3)金沢と横浜の数字が微妙に違うこと、の3点を除けば、数字が全く同じですね。仮に、原典に明治9年時のデータがあったとしても、こうまで数字が一致しているのはやはり不自然に思えます。

この本の内容を見ていて感じたのは、「裏日本」についての史実の検証などの考察に関しては誠に的を射た鋭い議論が展開されているのですが、数字の取り扱いや、データの考察などの一部に、やや雑な点があるということでした。
私も、ふぁいんさんのおっしゃるとおり、このデータに関しては、ふぁいんさんのご提示いただいた内容の方が正しいのではないのかな・・・、という気持ちです。

もちろん、『裏日本・・・』自体については、総論的にはまったく問題のない、筋の通った内容であると思います。

追伸:30位以下の都市人口データも、酒田や宇治山田(伊勢の前身)などが見え、非常に興味深いですね。確認ですが、データの「抜粋」とのお話でしたが、上位47都市をそのままご記入いただいたと判断してよろしいのですよね?
[6167] 2002年 12月 9日(月)00:08:03ふぁいん さん
明治大正国勢要覧
[6165] YSKさん


金沢、横浜の他に広島、前橋の人口も違ってましたね。
30位以下に関しての都市ですが、46位の水戸までは人口順で問題ないであろうと
考えています。ただ、青森に関しては、水戸と差があるため、かなり怪しいところです。
1886年に関しましてはその47都市しか記されていませんでした。なので全都市載せておきました。
それと『明治大正国勢要覧』ですが、基本的にはM19、M26、M31、M36、M41、T2、T7、T9、T14の各年度において、2万人以上の都市に関してのみ記されていました。
[6169] 2002年 12月 9日(月)00:13:09【1】YSK さん
ふぁいんさんへ
[6167]
広島ですが、私の[3295]のほうのミスです。『裏日本・・・』のほうも、ふぁいんさんご提示の数字になっております。
前橋は、ご指摘のとおり違っているようです。
 #「雑な分析」なんて批評する資格無しですね・・・(涙)。

また、明治大正国勢要覧の性質について、お教え頂き、ありがとうございました。
[6170] 2002年 12月 9日(月)00:31:52ふぁいん さん
追伸:『明治大正国勢要覧』
[6169] YSKさんへ

ちなみに私は、都立図書館にて『明治大正国勢要覧』を発見し、データを手に入れました。
もしYSKさんも近ければ、行って見られてはいかがでしょうか??
都立にあれば、県立図書館でもあるとこはあるかもしれません。
ちなみに『明治大正国勢要覧』は、すっごい分厚い本でして、
該当する都市人口推移のデータに関しましては、ほんの2,3ページのみでした(爆)
[6184] 2002年 12月 9日(月)11:41:43ken さん
re:明治初年の都市人口
[6165] YSK さん

> 人口の多い順に再構成してみ
ていただきましたが、遠い昔大学時代、これを調べたことがあったのを思い出しました。

一見して現在の人口とはずいぶん違った印象があります。
これ[6165]を見ていただくと2つの傾向が見て取れると思います。(人の褌で偉そうに)

一つは、江戸時代の石高の大小です。

もう一つは、開港場です。

金沢が5位であること、あるいはもっと言えば富山も合わせて位置づけるべきかも。
鹿児島の方が福岡よりも人口が多いですよね。
九州の石高は鹿児島、熊本、福岡、佐賀、久留米の順です。小倉はその次。
徳島が四国最大の都市だったりするのも、四国最大の藩だったこととは無縁ではないでしょう。
小藩並立だった福島県や、愛媛県、大分県、などの都市は登場しない。
弘前、久留米なんて、今では地方都市という感じですが、国主級の大名の城下町でしたから。
江戸末期の正確なものがわかれば、もっとはっきりするのだと思いますが、徒歩と船が主要な交通で、米の集散量が、都市機能の器=都市人口=商工業従事者人口と言ってもいいかもしれませんが、に色濃く反映しますよね。商工だけでなく、旧士族の数も馬鹿にならないと思いますが、これも石高に比例しますからね。

開港場については、説明不要と思いますが。
たった数十年で、一介の漁村だった、横浜、神戸がここまで来ているのは、驚きますね。
青森も新開地ですね。

埼玉県が一つも登場しない中で、山形県からは4つが入っているあたり、日本の中央集権化の凄まじさを感じますね。
昔は地方にも力があった。
交通が便利になればなるほど、地方都市の存在意義は薄れていくんですよね。
[6204] 2002年 12月 9日(月)21:03:16YSK さん
都市人口の変遷についての一考察。
[6184]kenさん
>一見して現在の人口とはずいぶん違った印象があります。
>これ[6165]を見ていただくと2つの傾向が見て取れると思います
>一つは、江戸時代の石高の大小です。
>もう一つは、開港場です。
レスありがとうございます。お話を拝見して、私も、同じ感想を持ちました。さすが、江戸期の藩にお詳しいkenさんならではのご指摘ですね。
 #いつも、ホームページ、興味深く拝見しております。

>埼玉県が一つも登場しない中で、山形県からは4つが入っているあたり、
>日本の中央集権化の凄まじさを感じますね。昔は地方にも力があった。
本当に、そのとおりですね。
戦後の住宅都市の成長等によって、人口の多い都市のランキングは大きく変わってきましたが、日本の中央集権化の前に、都市の人口増加に拍車をかけた要因があります。[3295]の1920年のデータでの分析でちょっと書きましたが、それは、工業都市への人口集中です。横須賀、呉、佐世保は軍需関連。長崎や八幡、門司も工業の成長と関連がありそうです。

城下町起源の大都市に、開港場、工業都市という都市の顔ぶれに、第二次大戦後の三大都市圏を中心とした大都市地域への人口集中が加わって、現在のラインナップが作られてきてといえます。一方、戦前から工業都市として発達した都市(あるいは戦後初期までに発達した都市)の多くは、重厚長大型の産業を基盤としており、高度成長の終焉に伴い、海外との競争などで産業が相対的に停滞するに及び、その影響を受けているところも少なくないようです。

[6165]の話に戻りますが、北前船による物流の拠点として繁栄した酒田や、伊勢神宮の門前町宇治山田の名前が見えるところも、江戸時代の名残が感じられて、興味深いですね。
 また、本当に、昔は地方もその土地ならではの特色を生かした力があった、という感慨を持たずにはいられないデータですよね。
[39658] 2005年 4月 11日(月)21:16:12ふぁいん さん
明治初期まで日本で4番目に大きかった都市は、一体どこでしょう?
[39641] 229さん

私も229さんと同じく、昔は国勢調査の人口だけ調査すればいいやって思っていました(笑)
しかし、一旦全部知ってしまうと、さらに昔はどうなっていたんだろうか?
この都市は昔はどうだったんだろうか?って更なる欲望が延々と駆り立てられるのです。
現在私は、明治中期・明治初期・江戸後期の詳しい都市人口が一番知りたいのです・・・・
そういう資料・本がなかなか無くて困ってます。

ところで、みなさん幕末期・明治維新頃の国内第4の都市は、どこだと思いますか?
いきなり答えを言ってしまうと、それは金沢なんです。当時の金沢の人口は約12万人。
江戸~明治初期までは、江戸・京都・大阪に次ぐ大都市でした。
ちなみに、当時日本第5の都市は、名古屋でした。
しかし版籍奉還により、武士に依存していた加賀百万石の経済力は急激に衰退し、
明治30(1897)年まで人口が激減することになります。

名古屋が金沢の人口を抜くのは、明治8(1875)~明治10(1877)年頃だと思われます。
明治12(1879)年の名古屋の人口は111,783人、金沢は107,876人です。
その後、明治20(1887)年には、横浜・神戸の両都市に抜かれ、
明治27(1894)年には、ついに広島にも抜かれ、国内第8の都市に転落していきます。
さらに追い討ちをかけるように、明治30(1897)年・明治31(1898)年には、仙台・長崎両都市に抜かれます。
幕末期・明治維新頃に約12万人だった人口が明治30(1897)年には人口82,378人まで
減り続けましたが、「軍都」となってようやく活力を取り戻していったのです。
再び金沢が10万都市に復帰するのは、明治37(1904)年のことです。当時国内10位。

ちなみに明治維新以後、国内の都市で人口ベスト10入りしたことのある都市は
以下のとおりです。

北から順に・・・

札幌
函館
仙台
さいたま
東京
川崎
横浜  
横須賀 
金沢
名古屋 
京都
大阪  
神戸
和歌山
広島
呉 
徳島
北九州 
八幡(現・北九州)
福岡
長崎 
熊本  
 
[39685] 2005年 4月 12日(火)00:44:02ふぁいん さん
1886(明治19)年 都市人口ベスト100
順位都市名都道府県名人口
1東京東京府1,121,883
2大阪大阪府361,694
3京都京都府245,675
4名古屋愛知県131,492
5金沢石川県97,653
6横浜神奈川県89,545
7広島広島県81,914
8神戸兵庫県80,446
9仙台宮城県61,709
10徳島徳島県57,456
11和歌山和歌山県54,868
12富山富山県53,556
13函館北海道45,477
14鹿児島鹿児島県45,097
15熊本熊本県44,384
16大阪府44,015
17福岡福岡県42,617
18新潟新潟県40,778
19長崎長崎県38,229
20高松愛媛県37,698
21福井福井県37,376
22静岡静岡県36,838
23松江島根県33,381
24岡山岡山県32,989
25高知高知県30,987
26赤間関山口県30,825
27盛岡岩手県30,166
28松山愛媛県29,487
29秋田秋田県29,225
30米沢山形県29,203
31鳥取鳥取県28,275
32弘前青森県28,170
33那覇沖縄県27,193
34山形山形県26,971
35銚子千葉県25,766
36首里沖縄県25,587
37佐賀佐賀県24,657
38高田新潟県24,571
39岐阜岐阜県23,377
40大津滋賀県23,167
41姫路兵庫県22,677
42奈良大阪府22,666
43山田三重県21,223
44山口県21,206
45酒田山形県21,004
46久留米福岡県20,907
47宇都宮栃木県20,475
48高崎群馬県20,312
49伏見京都府19,831
50鶴岡山形県19,666
51水戸茨城県19,010
52明石兵庫県18,587
53彦根滋賀県18,577
54甲府山梨県18,411
55長野長野県18,222
56千葉千葉県18,204
57若松福島県18,004
58高岡富山県17,974
59島原長崎県17,593
60松本長野県17,478
61尾道広島県17,307
62撫養徳島県17,075
63石巻宮城県16,618
64前橋群馬県16,585
65熱田愛知県16,390
66大垣岐阜県16,339
67長岡新潟県16,152
68丸亀愛媛県16,149
69三重県15,884
70小樽北海道15,882
71品川東京府15,874
72八王子神奈川県15,775
73新湊富山県15,762
74中津大分県15,518
75高山岐阜県15,267
76桑名三重県15,204
77上田長野県15,172
78札幌北海道15,041
79青森青森県14,920
80福山広島県14,663
81足利栃木県14,632
82津山岡山県14,582
83大分大分県14,315
84川越埼玉県14,184
85小田原神奈川県14,009
86横須賀神奈川県13,251
87今治愛媛県13,101
88武生福井県13,074
89郡山大阪府12,834
90上野三重県12,785
91岡崎愛知県12,742
91尼ヶ崎兵庫県12,742
93千住東京府12,506
94岸和田大阪府12,366
95柳川福岡県12,350
96浜松静岡県12,141
97松阪三重県11,958
98西宮兵庫県11,932
99敦賀福井県11,878
100米子鳥取県11,860
[39686] 2005年 4月 12日(火)00:51:03ふぁいん さん
1889(明治22)年 都市人口ベスト100
順位都市名都道府県名人口
1東京市東京府1,389,684
2大阪市大阪府476,271
3京都市京都府279,792
4名古屋市愛知県162,767
5神戸市兵庫県135,639
6横浜市神奈川県121,985
7金沢市石川県94,257
8仙台市宮城県90,231
9広島市広島県88,820
10徳島市徳島県61,107
11富山市富山県58,159
12鹿児島市鹿児島県57,465
13和歌山市和歌山県56,713
14長崎市長崎県55,063
15福岡市福岡県53,014
16函館区北海道52,909
17熊本市熊本県52,833
18岡山市岡山県48,333
19堺市大阪府48,165
20新潟市新潟県46,353
21福井市福井県40,849
--那覇沖縄県40,212
22静岡市静岡県37,664
23松江市島根県35,934
24松山市愛媛県32,738
25高知市高知県32,241
--高松香川県32,081
26盛岡市岩手県31,153
27甲府市山梨県31,135
28宇都宮町栃木県30,698
29弘前市青森県30,487
30大津町滋賀県29,941
31赤間関市山口県29,919
32米沢市山形県29,591
33秋田市秋田県29,568
34松本町長野県29,319
35山形市山形県29,019
36長野町長野県28,980
37高岡市富山県28,928
38鳥取市鳥取県28,396
39津市三重県28,156
40前橋町群馬県28,115
41宇治山田町三重県27,365
42岐阜市岐阜県27,089
43姫路市兵庫県27,055
44佐賀市佐賀県26,401
--首里沖縄県26,205
45難波村大阪府25,617
46水戸市茨城県25,591
47久留米市福岡県24,859
48奈良町奈良県24,459
49横須賀町神奈川県24,366
50谷山村鹿児島県24,248
51高崎町群馬県24,182
52千葉町千葉県22,259
53大垣町岐阜県21,640
54若松町福島県21,584
55八王子町神奈川県21,555
56酒田町山形県20,918
57高田町新潟県20,191
58明石町兵庫県19,819
59萩町山口県19,804
60鶴岡町山形県19,562
61頴娃村鹿児島県19,500
62青森町青森県19,484
63栃木町栃木県19,055
64東南方村鹿児島県19,007
65尾道町広島県18,473
--丸亀香川県18,295
66熱田町愛知県18,276
67撫養町徳島県18,259
68川越町埼玉県17,988
69串木野村鹿児島県17,940
70桑名町三重県17,890
71彦根町滋賀県17,568
72四日市町三重県17,531
73桐生町群馬県17,504
74伏見町京都府17,503
75上田町長野県17,242
76品川町東京府17,108
77新湊町富山県17,034
78石巻町宮城県16,974
79札幌区北海道16,876
80志布志村鹿児島県16,764
81福島町福島県16,629
82小倉町福岡県16,099
83岡崎町愛知県16,034
84本銚子町千葉県15,556
85神奈川町神奈川県15,382
86戸太村神奈川県15,253
87福山町広島県14,900
--中城沖縄県14,857
88阿久根村鹿児島県14,814
89知覧村鹿児島県14,793
90高山町岐阜県14,775
91天王寺村大阪府14,699
92敦賀町福井県14,606
93指宿村鹿児島県14,517
94伊敷村鹿児島県14,512
95伊作村鹿児島県14,507
96二保島村広島県14,283
97武生町福井県14,175
98千住町東京府14,010
99足利町栃木県13,924
100豊橋町愛知県13,911

※1889(明治22)年当時、香川県・沖縄県には、まだ市町村制が施行されていません。
 
※1886(明治19)年・1889(明治22)年共に、12月31日現在の人口です。
[39936] 2005年 4月 17日(日)14:36:41【2】ふぁいん さん
昭和25(1950)年沖縄県人口の謎&明治12(1879)年主要都市人口について
[39935] 白桃 さん

沖縄県がHPで発表している市町村別の国勢調査人口を齟齬が生じないように慎重に入力しております。
ただし、1947年はありません。
ただ、占領時下に沖縄でも国勢調査は行われていたのですかね?
記録があるから、間違いではないと思いますが・・・

やはりそうですか。私も沖縄県のHPを参考にしてデータを作成しています。
しかし、沖縄県発表の昭和25(1950)年のデータがどうもしっくりいかないのです。
各年代・国勢調査報告第1巻の付表2 都道府県の市区町村の推移によれば、

昭和25年の沖縄県
市区町村数:86
市数:6
町数:12
村数:68
県人口:914,907人
となっています。

沖縄県発表の場合は、66市町村・698,827人です。

残りの20市町村・216,080人はどこに行ってしまったのかなぁと・・・・
そのため全国の合計人口も合わないし。
戦後の一時期のみ、他にも沖縄県を名乗っていた地域があったのだろうか。
とても不思議に感じております。

白桃さんは、このことにお気づきだったでしょうか?


[39897] 両毛人 さん
これは私からもリクエストいたします!
[39896] ken さん
またそれは、金沢が4位だった時のデータについても、可能でしょうか?

残念ながらありません。おおよその人口位しかわかりません。
金沢の人口を「約」12万人としたのもそのためです。
少なくとも明治4(1871)年の調査までは、金沢には約12万人いたそうです。
その他、富山が当時全国9位。

注:[39658] では、明治維新以後、国内の都市で人口ベスト10入りしたことのある都市として、
22都市あげておりますが、富山が抜けておりました・・・

この年代についても、可能な限り調査したのですが、詳細なデータらしきデータが全くなかったのです。
私が明治中期・明治初期・江戸後期の詳しい都市人口を知りたいのは、このためなんです。。。

明治12(1879)年の主要都市の人口のデータなら持っていますので記載します。
(私が現在所有する最古の人口データとなります)

東京 761,335
大阪 291,565
京都 232,683
名古屋111,783
金沢 107,876
広島 76,589
和歌山62,080
仙台 55,035
横浜 46,187
福岡 45,480
熊本 45,032
神戸 44,368
新潟 36,591
岡山 33,028
長崎 32,815
赤間関26,502
函館 22,088
伏見 22,011
札幌 8,782

その他、
富山 約55,000~60,000
堺 約40,000
福井 約40,000
松江 約35,000
鳥取 約32,000
位となります。
上記5都市は様々な資料を参考・調査した結果の推測人口です


[39882] 愛比売命 さん
一番くびれている立科町なんて,ほとんど道路一本でつながっているような状況。

へぇ~~~~これはすごい。ホントに見事なまでに道路一本でかろうじてつながっていますね
最も細いところで、東西約100mといったところでしょうか・・・・
どのようにして、このような町域になったのか経緯が気になりますね・・・
ということで、少し調べてみました。

長野県北佐久郡立科町(全国市町村名変遷総覧・日本加除出版より)
S30.4.1 北佐久郡芦田村・横島村・三都和村の3村が合併し、北佐久郡立科村となる
S33.10.1 町制施行
S35.4.15 北佐久郡望月町(大字茂田井の一部)を編入


芦田という地名が立科町北側にある(町役場も立科町芦田ですし・・・)ので、そこらへんが旧芦田村かな?と思ったら、
なんと南側の白樺湖付近も「芦田」八ヶ野という地名が・・・・
横島、三都和という地名も既に現存しておらず、ここでギブアップ。

旧3村はどんな形をしていたのでしょうかね・・・
おそらく、北側が旧芦田村域で間違いないと思うが。
[39973] 2005年 4月 18日(月)00:46:41ken さん
大変失礼いたしました
[39897] 両毛人 さん
[39896]kenさん
既に、ふぁいんさん[39685][39686]にてご投稿いただいています。
大変、失礼いたしました。

ふぁいんさん、両毛人さん、お騒がせしました。

[39936] ふぁいん さん
明治12(1879)年の主要都市の人口のデータなら持っていますので記載します。
(私が現在所有する最古の人口データとなります)

どうもありがとうございます。m(_ _)m

私の個人的興味は、江戸時代の藩の石高と、人口の相関なのですが。
12年でも、ずいぶん開港地の勢いが凄いですね。
19年よりも、和歌山が上位に来ているあたり、ちょっと、石高相関の絡みでは、興味深いです。
ここにない、鹿児島は、4万人台の後半~5万人なんでしょうかね。
私の持論としては、鹿児島は、福岡、熊本より、上位にいて欲しいのですが。
1万石=1000人、というあたり、証明できると面白いのですが。
結構、金沢を筆頭に、岡山、松江、福井、熊本、福岡、福山、津山、川越、大垣、長岡あたり、良い感じのところも多いのですが、
徳島は石高で考えると、四国最大の藩であったとはいえ、常にちょっと多い印象ですね。何か、維新後の要素で、徳島にプラスで出る事象はありましたかね?

赤間関を考慮に入れても、明治19年の萩のBest50入りは、現在の萩市を考えると、やはり凄いですね。

水戸藩は、常府でしたので、殿様は参勤交代がなく、ずっと江戸在住ですので、家臣団もそれに連関して、国許が少ない影響が出ているかもしれません。

どうもありがとうございました。

P.S.
名古屋から、転勤して来る時には、挨拶状に「在名中は一方ならぬお世話になり」と書きましたね。「在命中」じゃないですよ。「在名」

「来葉」も文章語としては使うと思います。
海外観光客の来葉促進になど
「来津」は大津と津と両方で使いますね。
「来岡」も洛陽市政府友好訪日団の来岡などに見えますね。

これも、リストアップしたいですね。

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