都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
音無鈴鹿さんの記事が1件見つかりました

… スポンサーリンク …


記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[44128]2005年8月13日
音無鈴鹿

[44128] 2005年 8月 13日(土)17:27:38音無鈴鹿 さん
新田裏の新田
[44125][44006]hmtさん
新宿ときたからには答えねば…と思ったのですが、新田裏あたりはちょっと知識不足です。
三光院花園神社の北を流れ、川沿いのどこかには「新田」があったかもしれない「蟹川」
「新田」がどこなのか、よくわかりません。「新田裏」という地名は、そんなに古くまで遡るべき地名ではないのかもしれません。明治の2万分の1迅速図には見えない「新田裏」が、大正時代の1万分の1や5万分の1に登場しています。

明治13年11月の角筈村付近の地図です。残念ながらこの地図では村堺と字名は記入されていませんので新田裏という地名は残念ながら確認できませんが、確かに蟹川沿いには田んぼがあったみたいです。淀橋浄水場の建設工事の残土でほぼ埋め立てられたときいていますが、今でも新宿区役所通りは明らかに窪んでいるのが判るので、往時はさだめし深い谷であったろうと推察されます。あと、青梅街道も確かにまっすぐですね。甲州街道が直角に折れ曲がっている部分が、新宿追分、いまの新宿三丁目交差点です。いまも交差点の交番は追分交番を名乗っていたはずです。しかし”五街道である甲州街道>わき道の青梅街道”であったはずなのに、甲州街道のほうが曲がらなければいけないという構造になっています。こういった構造に疑問を持ってしまうのは、われわれ(私だけ?)が自動車優先による道路構造を当たり前のように感じてしまうからでしょう。もと城下町なんかでは市街地に直角道路なんてざらですから。
それから、三光町という地名も、周囲のビルには残存するものの、公式にはほぼ絶滅かーとおもいきや、ここの歩道橋は「三光町歩道橋」と書いてありました。新田裏は都バスからも消えおそらく絶滅です。
都電13号系統ルートは、私が職場へ自転車でふらふらっと通勤するには最短のルートになっていて非常に重宝しています。四季の道(もと専用軌道)あたりでは時々酔った人が寝ていることがありますが…。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示