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ニジェガロージェッツさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[60826]2007年8月27日
ニジェガロージェッツ
[60790]2007年8月25日
ニジェガロージェッツ
[60766]2007年8月25日
ニジェガロージェッツ
[60672]2007年8月19日
ニジェガロージェッツ
[60616]2007年8月16日
ニジェガロージェッツ

[60826] 2007年 8月 27日(月)02:51:31ニジェガロージェッツ さん
丁目について
88さん、Issieさん、inakanomozartさん、拙稿[60790]へのレス、有難うございます。

[60791] 88 さん
「住所と地名の大研究」(今尾恵介著、新潮選書、新潮社、2004年3月20日発行)に、まさしく、そのとおりのことが書かれています。

これはこれは恐縮です。2004年発行とは比較的新しい書籍ですね。今尾氏の書籍は本屋さんで見つけたときには手にとって読むようにしているのですが、ネットに浸かって以来のここ数年は、書店で足を止めることがめっきり減りました。「住所と地名の大研究」は要チェックですね。

[60793] Issie さん
耕地での「条里制」、都城での「条坊制」から「町/丁」についての詳細なご解説ご教示、有難うございます。
「丁目」の元来の意味が、ここまで遡れるとは痛快です。

話は変わりますが、Issieさんのご説明にある、朱雀大路から始まる中国式都城の設計システムをお聞きしていると、福原遷都(1180年)における「和田京計画」を思い出しました。
今の神戸市営地下鉄山手線上沢駅から長田駅辺りにかけてが大内裏に想定され、山陽道を朱雀大路として、南西方向に都城計画がおかれていたそうです。
そうすると左京は五条で妙法寺川河口の須磨海岸に達し海に没し、右京は山谷相交わるという地形によりかなりの制約を受ける都城計画だったそうです。
「平家物語」にも
和田の松原の西の野を点じて、九城(条)の地をわ(割)られける。
一条よりしも(下)五条までは其所あって、五条よりしもはなかりけり
とあるそうです。
朱雀大路の伸びる方向こそ違いますが、和田京の復元図を現在の市街図に落として計ると1条の幅は約600mで、小路以下は不明ですが平安京と同じような構造を考えていたのかも知れません。
(参考文献 「ながたの歴史」、長田区役所、昭和52年3月発行)

[60801] inakanomozart さん
駿府城下における町割りについての具体的な例示とその後の変遷の詳細、興味深く拝読させていただきました。

駿府を例にとると、駿府城の南西面に碁盤の目状につくられた町は、正確に一丁四方(約110メートル四方)の街区でした。
小生の生まれ育った神戸市長田区の南部は碁盤の目状に街路が区切られ、丁目もそれに沿って区切られています。[60790]にて11丁目まである長さ1200mの「若松町」の例を挙げましたが、この一帯は
1200÷11=109.09
となり、正しく「1丁」の長さに一致します。
道を尋ねられた場合の会話にも、「2丁先の角を北へ1丁上がって・・・」という言い方が、言う方も聴く方も何の違和感もなく理解しています。
ところが同じ長田区でも山麓のほうへ行くとそんな尺度は全く通用せず、雅に言えば「和田京」の「左京」から「右京」へ引越し転校したときのことですが「この辺りの丁割りはインチキや!」と子供ながら思っていました。

駿府にかぎらず、江戸時代の人為的に町割れされた城下町の多くは、「字」のようなブロック単位の町ではなく、欧米の都市の住所表示方のごとく、通りに町名がつけられ、丁目は文字どおり一丁ごとだったのではないでしょうか?
江戸期の町割りが、通りに町名がつけられているのはおおよそ共通に思いますが、丁目=1町の図式は、やはり違うところもあるように感じています。
便宜上に長い通りを(1町=109mに拘らず)適当な長さに分けていると思われるのが、例えば大阪の谷町。現在の大阪市中央区谷町は新住居表示がなされていますが、新住居表示前とその町域はあまり変わりなく、丁目数も同じです。その長さ約2.6kmに9丁目ですから、1丁目平均289mになります。
谷町だけが例外と言うわけではなく、大阪の場合は新住居表示実施前の地図を見ると1丁目平均がだいたい200m前後のところが多いように感じます。
[60790] 2007年 8月 25日(土)23:11:55ニジェガロージェッツ さん
「丁目」とは元来、距離を示す単位?
[60756]だんなさんからの「とおりめい」に触れて、リンクを出して下さった国土交通省道路局の「通り名で道案内」にある、距離で住居番号を示すシステムに、これは目的地までの距離も把握できるところが便利だという書き込み[60766]をしましたが、それはそうと、「丁目」とは元来は長さを示す単位「丁」に由来するものではないかと、かなり以前より思っていました。

というのは、小生の住む神戸市の旧市街地部分、特に明治後期から昭和初期にかけて行われた耕地整理組合による市街化事業で誕生した区画の多くの「丁目」がだいたい100mで区切られています。神戸市の市街地図を見れば分かりますが、新住居表示を実施している現在でも、その多くは当時の「丁目」を踏襲しています。具体的には灘区、中央区東部(旧葺合区)、兵庫区、長田区の平野部、須磨区南東部の区域です。
現在のメートル法に換算して、1丁(町)=109.09m ですから、大体一致します。
ここで最も「丁目数」が多いのは長田区若松町で11丁目までありますから、若松町の長さを地図で計ると約1200mで、いい線が出ていると感じます。

神戸のお話は大体が明治末期から大正期に市街化していった地域ですが、[60759]千本桜さんに続き、[60787]今川焼さんのお話にある京都市東山区本町の場合は、もっと時代を遡ることが出来ると推察します。
東山区本町の場合は1丁目から22丁目まであり、その距離は約2800mで1丁平均127m。
だいたいにおいて、昔の人の感覚で「五丁目」と言えば、正に距離としての「5丁め」だったのではないかと推測できないだろうか。

しかし、一方で「丁目」とは広い(長い)「町」や「通」を距離には関係なく(便宜上)分割したもので、後の時代、特に現在の新住居表示においては、元来(?)の距離の概念としての「丁目」の性質が失われていった・・・。

ここ「落書き帳」において、「丁目」を距離の概念として述べたような記事があるか、アーカイブ「町名、字名(大字、小字、字)、丁目とは何か?」を流し読みですが一通り目を通しましたが、ちょっと見当たりませんでした。
#見落としていれば、ごめんなさい。
[60766] 2007年 8月 25日(土)02:32:12ニジェガロージェッツ さん
通りで表す住居表示
[60756] だんな さん
お久しぶりです。2年前の神戸オフ会には、お忙しいところわざわざ金沢より日帰りにてご参加され、昨年の金沢オフ会ではご事前準備にご協力くださったとのことで、だんなさんには随分お世話になりました。この場を借りて御礼申し上げます。

要は「街区方式」の住居表示だとどこにあるのかわかりづらいので、欧米でなじみのある「道路方式」を使って所在地を案内しようというものです。

これは興味深い取り組みですね。今のところ名所や店舗の場所を案内する試みとしての、ごく限られた市街での「社会実験」とのことですが、仮にこれが定着した場合、市街地では不動産登記に使われる「地番による住所表示」、一般に住所として用いられている「街区方式による住居表示」に加え、「第三の住所」になります。

産経新聞の記事にある図によると、この「道路方式」では住所の番号を道路の起点からのメートル距離(の10分の1)に合わせるとのことで、その道路のどこかに居れば目的地までの距離も把握できるところが便利に感じます。現在の新住居表示「街区方式」による住居番号「号」も、街区「番」の角地などの起点からのメートル距離(の10分の1)ですから、この点は踏襲していることになります。

個人的に馴染みのある「道路方式」による住居表示はロシアでの住居表示ですが、その概略は拙稿[10585]に書いていますが、あちらは距離(メートル)ではなく、建物そのものの個数による表示です。ゆえに
路の起点では「1番」の向かい側に「2番」があるのが多いのですが、順に3・5・7・・・、片や4・6・8・・・、と続くに従って、一方では大きな建物や広場あったり、片側は逆に小さな建物が続いていたりすると、番号がくい違い、「35番」の向かいに「36番」があるとは限りません、というより、そのように揃う方が希です。
という風に、道路の右側と左側に食い違いが生じます。それでもそのシステムを知っていれば道路の反対側の番号は基本的に無関係ですから、目的地探しには別段不都合はありませんでした。ですが距離が分かれば更に便利だったことは言うまでもありません。

「道路方式」になると面倒になると思われるのが、いちいち通りに名を、行政側は付けて、市民側は覚えておく必要があることで、そうなると凄い数の新地名が誕生することに他なりません。
以下、市街全域に通り名を付けるとして、夢想を暴走させます。

参考までに小生が暮らしたことのあるニジニ・ノヴゴロド市にはいくつの通り名があるかといえば、1310の通りがありました。(1996年に入手した市街区分地図帳から一つ一つ数えましたから、見落としや重複もあるでしょう。正確さの保障はしません)
人口と通り(住所)数の関係を計算しました。
(人口は2006年1月1日現在)
人口通り数1通り当たり人口
自動車工場区308,8401961,576
ソルモヴォ区174,517202864
カナヴィノ区157,261204771
ソビエト区151,411162935
レーニン区148,275160927
モスクワ区130,2301151,132
ニジニ・ノヴゴロド区120,343134898
沿オカ区92,676137676
ニジニ・ノヴゴロド市計1,283,5531,310980

一方、街区方式を採用している日本では、例えば神戸市旧市街地のように新住居表示実施前の古い町名を出来るだけ尊重した所と、大阪市のように大きくまとめたところでは地名数の大差(実際には丁目も地名の一部ですが、ここではこれを考えない)があります。
ニジニと同様の計算をすると
(人口は2007年8月1日現在)
人口町名数1町当たり人口
神戸市長田区102,947941,095
大阪市都島区102,334156,822
大阪市旭区94,403118,582

神戸市長田区(ごく一部に新住居表示未実施の所もあります)のように町名の多い(それも通りに沿った所が多い)場所では、現町名が通り名にも活用(転用)できるでしょうが、大阪のように新住居表示による町名改正を徹底させて様なところでは、膨大な新通り名を生じることになります。
[60672] 2007年 8月 19日(日)02:54:31【1】ニジェガロージェッツ さん
地下鉄の東部新都心(HAT神戸)への延伸
[60622] 小松原ラガー さん
「昭和76の神戸市」へのレス有難うございます。
地下鉄海岸線の東部延伸について、山麓線の神戸東部部分(神戸市バス2系統路線に相当)への独自延伸構想、楽しく拝読させていただきました。

確かにラッシュ時に3分おき、ラッシュ時以外でも6分おきに運行されている市バス2系統が地下鉄化されると、多くの神戸東部市民に恩恵を与えることと思います。
ただ、これを言ってしまえば元も子もないのですが、震災以来危機的な財政状況の神戸市が、ドル箱路線の市バス2系統を廃止してまで、大枚はたいてミニ地下鉄の建設に踏み切るかと言えば、少なくとも現状ではありえないことと思います。
その頃に私が生きているか怪しいのでしょうが・・・。^^;
仰るとおり、数世代後の時代に、沿線に何か大規模な再開発などが行われるようなことでもあれば、実現への道が開けるかも知れません。

地下鉄海岸線の延伸について、最も可能性があるとすれば、小松原ラガーさんのお話にあるように、
現在の三宮・花時計前駅からそのまま東進し、東部副都心、すなわちHAT神戸方面へのアクセス路線とする。
この路線でしょう。(実は小生も[49002]にて、こっそり書いています)

その前に、HAT神戸についての事実確認を少し。
小松原ラガーさんはHAT神戸を「東部副都心」とされていますが、神戸市のプランでは「東部新都心」です。
「東部副都心」はあくまでJR六甲道駅周辺です。

神戸市のマスタープランでは、都市核について都心、副都心、衛星都心・・としていますが、「新都心」という設定は従来は存在しませんでした。
東部新都心HAT神戸については震災復興の一環として、復興事業のシンボルプロジェクトとして各種都市機能の受け皿として整備するものでした。
従来のプランにある都市の核としての都心や副都心とは次元の違う震災復興構想により整備されている、との印象を受けます。
なお、[60613][60616]にてお話させていただいた「昭和76年」の神戸市を描いた巻末地図では、現在のHAT神戸の地域は「工業地」のままです。
神戸経済の一翼を担っていた、川崎製鉄の葺合工場と神戸製鋼所の脇浜・岩屋工場が、よもや閉鎖され、この地域が遊休化することなど想像だにしなかったことでしょう。

さて、そのHAT神戸への地下鉄海岸線の延伸については、この地域を「新都心」などと言う、分かりにくい分類ではなく、文字通り「神戸の新しい顔」として、都市の核として発展させるつもりかどうかに拠るところが大きいと思います。
HAT神戸への入居募集に際して、将来的には地下鉄海岸線延伸を仄めかすような説明が為されたとの噂(あくまで「噂」ですよ)を聞いたことがありますが、現状では、鉄道関連の整備としては
(2)周辺鉄道駅における大規模改良(鉄道駅総合改善事業)
・阪神春日野道駅(平成17年度完成予定) ・阪神岩屋駅(平成13年度完成)
で十分と判断していることと推察します。

仮に近い将来に神戸市内に鉄道新線なり延伸の建設があるとすれば(それでも相当厳しいけど)、この地下鉄海岸線のHAT神戸への延伸と、神戸新交通「ポートライナー」の新神戸延伸による新幹線―神戸空港間のアクセス改善ぐらいしかないでしょう。
[60616] 2007年 8月 16日(木)01:19:54ニジェガロージェッツ さん
昭和76年の神戸市 ― (2)
前稿[60613]の続編です。
31年前の冊子「新・神戸市総合基本計画のあらまし―2001」についての雑感をお話したく、一気に書き綴るつもりでしたが、あれこれと書いているうちに話が長くなり、2稿に分割しました。
それにしても、[60613]を投稿した後で、書込ランキングで前稿の文字数を確認すると3752文字。こういうことがいちいち確認出来るグリグリさんの「落書き帳」の付加機能はホンマに凄い。楽しくなります。
但し、文字数の多さは過去の議論からオーナー様の望むところではないので注意しなければなりません。3752文字は多すぎです。個人的には、半年間に渡って[57177]「田井(ママ)して意味も無い」「紙面のムダとしか」思えない投稿や、「南濃(ママ)知的発展性も無いと」思われるような、調子に乗った雑談は控えてきたことに免じて、どうぞお赦し下さい。

さて、本題。

【鉄道】
件の冊子の巻末に収められている地図(以下[60613]と同じく、巻末地図と称します)には、[新幹線]、[国鉄]、[私鉄・その他]、[新しい交通システム]、の4種類の鉄道路線が描かれています。
そのうち、新幹線については当時と現況が変わることなく、国鉄線においても、現在のJR線(東海道本線、山陽本線、福知山線)と変わりはありません。実際に設置された甲南山手駅などJR新駅については、駅についての細かな図示がないため、ここではコメント出来ません。
ただ、現在においても廃線になることなく存続している兵庫―和田岬間の和田岬線が描かれていません。昭和76年においては廃線が見込まれていたのでしょうか。

「私鉄・その他」については、ちょっとした違いがあります。
巻末地図に描かれてれている私鉄路線は、阪急神戸線、阪神本線、山陽電鉄、神戸電鉄、神戸高速鉄道で、これらは現在神戸市内を走っている現況と(当時も含めて)同じです。
但し、実際に存在する新神戸―谷上間の北神急行電鉄(昭和63年4月1日開業)は描かれていません。
一方、神戸市営地下鉄線は現在存在する西神線(新長田―名谷:昭和52年3月13日開業)、山手線(新長田―新神戸:昭和58年6月17日部分開業、昭和60年6月18日全通)、西神延伸線(名谷―西神中央:昭和60年6月18日部分開業、昭和62年3月18日全通)に加え、実在しない東部線(布引―鶴甲)が描かれています。海岸線については、後述しますが別の記号で描かれています。
西神延伸線の山手線の新神戸駅以北、および西神中央駅以西には更なる延伸を思わせる矢印が付してあり、新神戸駅以北の矢印をそのまま延長させると谷上付近に達し、これが現在の北神急行電鉄に相当するとみなされますが、当初は山手線の一部として造るつもりだったのでしょうか。西神中央駅以西については、後に押部谷(西区)、西明石(明石市)、神野(加古川市)への延伸についての議論がありましたが、巻末地図には、いずれも図示されていません。

問題の東部線ですが、神戸市が海岸線などと一緒に当初プランしていた路線は山手線(プラン当初の終点は「布引駅」)の延長上にあり、布引―原田(現在の灘区王子公園あたり)間としていました。それが巻末地図では「原田」から更に東へ、篠原(灘区)を通り鶴甲団地(灘区)に達しています。かなり思い切ったプランですが、鶴甲の先、六甲山中へも矢印が書かれ、それをそのまま延長すると有馬方面へ抜けることになります。本当に造る気だったのでしょうか。

「新しい交通システム」については、3本の路線が引かれています。
新神戸とポートアイランドを結ぶ線、国鉄住吉と六甲アイランドを結ぶ線、および新長田―和田岬―三宮―脇浜―灘浜―住吉川口を結ぶ線の3本です。
ポートアイランドへは神戸新交通ポートアイランド線(三宮―市民広場―北埠頭―三宮:昭和56年2月5日開業)、六甲アイランドへは同六甲アイランド線(住吉―マリンパーク:平成2年2月21日開業)として現実に存在しています。
現在のポートアイランドでは、開業当初の環状運転のみではなく、神戸空港への延伸(市民広場―神戸空港:平成18年2月2日開業)がありますが、巻末地図では神戸空港はおろか、ポートアイランド2期(南公園以南の埋立地)さえ存在していません。
ただ、新神戸駅がポートアイランド線の起点になっているのは興味深いところです。
一方、六甲アイランド線の起点が住吉にある点では現行世界と同じですが、六甲アイランド内の路線がポートアイランドと同じく環状運転になっている点が違っています。

さて、「新しい交通システム」に分類された、現在の地下鉄海岸線に相当する路線ですが、実際の地下鉄海岸線(新長田―和田岬―三宮:平成13年7月7日開業)は従来の地下鉄とは規格の違う「ミニ地下鉄」だそうで、それを「新しい交通システムだ」と言うのであれば、強ち間違いではありません。昭和40年代に神戸市が描いた当初のプランでは西神線、山手線、東部線とともに「普通の」地下鉄としての構想でした。それにしても、住吉まで海岸線に沿っての建設とは、こちらも本当に造る気だったのでしょうか。

実際に開業した地下鉄路線は、都心の三宮からみて西に偏りすぎで、当初からそのように西へしか造らないつもりだったのを、それでは東部の市民が納得しないから、東部線とか海岸線の東への延伸とか、「リップサービス」のつもりで描いたのかと勘繰りたくもなります。


【埋立地】
前述しましたが、現在実際にある神戸空港やポートアイランド2期が描かれていません。南公園が海に面しているポートピア81当時のポートアイランドのままです。
そればかりか、神戸港では中突堤~メリケン波止場間の船溜りの水面を「メリケンパーク」として埋め立てたを筆頭に、摩耶埠頭、新港第五~第八突堤間、兵庫突堤の突堤間の水面を埋め立てられていますが、港内の埠頭に関しては昭和51年当時のまま埋め立てられることなく昭和76年を迎えています。
ただ、ポートアイランドと六甲アイランドの間、ちょうど摩耶埠頭の沖合いに小さいながらも現実には存在しない人工島が描かれています。また現実の六甲アイランドは東西非対称ですが、巻末地図では西側にも東側と同じように船舶のための水面が描かれています。
あと、西では垂水区の東垂水の浜に沖に突き出した「逆コの字」型の大きな埠頭が描かれています。


さて、まだまだ道路状況など(現実に存在する港島トンネルが計画されていない。兵庫・長田・須磨沖に高速道路が走っている。・・などなど)、書きたいことはいろいろあるのですが、キリがないのでこれくらいにしておきましょう。

最後に、今回話題にさせていただいた「新・神戸市総合基本計画」は昭和51年に21世紀に向けての神戸の都市としてのあり方を規定した「マスタープラン」と呼ばれるもので、このプランはその後も改正を重ね、現在のものは神戸市のサイトからも概略が閲覧できます。
震災後の平成7年10月に策定された「第4次神戸市基本計画」をみて見ると、目標年次2010年の設定人口を170万人にしていたり、「ちょっと」と感じるところはありますが、神戸市の考え方が書かれています。


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