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スナフキんさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[66584]2008年9月2日
スナフキん
[66015]2008年8月12日
スナフキん
[65822]2008年7月20日
スナフキん
[65719]2008年7月10日
スナフキん
[65531]2008年6月16日
スナフキん

[66584] 2008年 9月 2日(火)23:08:54【1】スナフキん さん
オフのこと
十番勝負の終了と同時に、今年のオフ話題がいよいよ出現しました。目的地は秋田県鹿角市…うぅ、先週行っていたんです。方角はほぼ同一、(旧八幡平村と十和田町、市域南北の差はありますが)宿泊地に至っては同一市…(泣)。

昨年、福岡開催時にグリグリさんから「構想」だけはお聞きしており、忘れてもいませんでした。けれど、「宿泊型オフ」は参加者が大幅に減る可能性のある実施方法だけに、そのまま1年後も構想通りスンナリいくかどうか分からないなぁ…というのがずっと思っていたところ。しかも、秋田にはターゲットとし得る名所・観光地・温泉がいくつもあります。それでバッティングする可能性もそれほど高くあるまい…と、夏休み最後の遠出で八幡平温泉郷を目的地にしたのですが、この道中に十和田湖境界線確定の動きがまさに現地で報じられ、そして数ヵ月後には…どうやらまた鹿角市に出向くことになりそうです。宿泊、藤七温泉にしておくべきだったか?!

調べれば分かる話ですし、知識を皆さんそれなりに有していらっしゃると思いますので釈迦に説法でしょうが、場所が大湯にせよ湯瀬にせよ西日本方面からの参加は正直、相当ハードルが高いと思います。唯一のハブと言っていい大館能代空港へは大阪からボンバルディアが1往復しか飛びません。海縁でもないので、日本海航路も時間のロスが大きく、有効に機能しないと思います。

それでもなお、参加者増を模索するなら湯瀬に軍配でしょう。東北新幹線との結節点である盛岡と大館とを結ぶ都市間高速バス「みちのく」号が、1時間1本の頻度で結んでおりもれなく東北道湯瀬PAに停車してくれます。PAと温泉街とは1kmも離れていないので、徒歩アクセスが可能です。バス自体は結構オンボロのすっとこどっこいなのが来たりもしますが、新型気動車へ置き換えが済んだとは言え本数的にはほとんど使い物にならないJR花輪線に比べればはるかに便利。ただ…惜しむらくは温泉街の規模があまりにも小ぢんまりとまとまってしまっており、宿はいずれも近代的なビルに化けているので、東北のひなびた…的雰囲気が感じられるかどうか。

その点、温泉情緒を優先するなら文句なしで大湯でキマリです。4箇所ある外湯めぐりも楽しめますし、宿のバリエーションも豊富です。湯瀬に比べると源泉温度がかなり高めなので、入浴ははじめのうちかなりしんどいかもしれません。また、谷筋の湯瀬と違って盆地縁の立地なので、公共交通機関でも三方へ向かうことができます。青森県境も近く、十和田湖との抱き合わせを勘案するなら断然大湯、ってことになりますね。ちなみに、上記高速バス「みちのく」号は毛馬内に停車しますが、大湯には寄らずに大滝温泉~大館へ進路変更してしまうので、バス同士何らかの乗り継ぎが生じます。

時期的な問題ですが…以下にケーススタディをば(古いものも含まれますが、時期的に同一なので掲載します)。

1.十数年前、高校山岳部時代に秋山登山と称して11月文化の日連休に福島県・安達太良縦走山行を試みるも、初の本格的冬型気圧配置にたたられ、くろがね温泉で一晩にして20cm近い積雪を経験。吹雪混じりの突風によりテントのポールを折られてテントをつぶされ、翌朝はルートファインディングが全くできない状況で縦走どころか、泊まっただけでの下山を強いられた。

2.2005年10月最後の週末、岩手・宮城・秋田県境に程近い須川温泉へ。雨風ともに強かった上に、厳美渓をバスが過ぎるともう紅葉はほとんど見ることができず、一面の枯れ木。この翌週の連休を最後に、峰越えの国道342号が冬季閉鎖。同時に、須川温泉のこの年の営業も終了。

3.2006年10月やはり最後の週末、山形県肘折温泉へ。天気は安定しないが、現地での紅葉はそこそこ…か。きのこ祭り前後のため空室に乏しく連泊不可、日没後の気温の下がり方はカルデラだけに急激で、防寒具が必要。

参考になる秋の遠出、こんなところです。東北の道路冬季閉鎖は、11月冒頭の連休を境とする箇所がかなりあるようで、これを境に現地の秋北バスも各方面、減便あるいは冬期運休となるケースもあります。オフ前後のプラン立案をする上で、これは要注意かもしれません。当然、11月以降は降雪の可能性も含みおく必要がありますね。さすがにそのまま根雪化するほどのドカ雪は考えにくいですが、紅葉シーズンの終わりとともに、好天の日が少なくなってゆくのは土地柄どうしようもありません。いいこと…と言えば、採れたばかりのりんごを食せること、おいしい新米が出回る時期と重なること…でしょうか。場所柄・時節柄、特に頼まなくてもきりたんぽは出してくれそうだなぁ。

このあと、アンケートの方に予定を入れようと思います。秋田とは言え海縁生まれ(それも、生まれたというだけ)で内陸方面の事情には必ずしも明るくありませんが、秋田訛りを解する貴重な逸材(?)かもしれないので、前後のプランニングはさておきなるべく参加したいと思っています…皆勤賞、途切れさせたくないですし(大汗)。

【追記】ケーススタディで一部、時期の記述が抜け落ちていたので追加。
[66015] 2008年 8月 12日(火)22:40:31スナフキん さん
ご指摘の人物は、私ではありませぬ(涙)
一応、フォローです。
[66009]グリグリさま
いっちゃんさん(111点)、かすみさん(97点)、星の彼方さん(81点)、スナフキンさん(70点)、88さん(60点)。
ここにあげられている「スナフキンさん(70点)」は、私ではないようです。末尾までカタカナを使っておいでですし、生涯経県値のタブを見ると未登録になっていますから、完全な別人ですね。

むしろ、去年・今年と毎週図を制作して提出せねばならないハードなスケジュールを突きつけられているため、休暇を取って泊りがけ…などという贅沢はほとんどできない状況です。思えば、昨年のオフ以来、「これ!」という遠出はしていません。生涯経県値における香川の空白つぶしはもちろんのこと、思い立てばひょいっと行けるはずの、JR全線走破タイトル奪還におおさか東線まで足を運ぶことすら、計画倒れになっている有様です。たった1度だけ、無理をして1月に秋田に行ったことはありますが、夜行バスで行って、こともあろうにその日のうちに帰ってくるという超バカなスケジュールでしたから、経県値としては全部通過扱いで「稼ぎ」にもなってません…どんどん自虐モードになっていきそうなので、この辺で止めておきます(泣)。

あぁ、今月を過ぎるとそろそろ、今年のオフ開催の声がそこかしこから上がる時期になりますねぇ…全然、1年近くが経過したようには思えないのは私だけでしょうか? バス王国・福岡に感嘆し、志免竪坑のそびえるさまに涙し、そして皆さまとおいしいお酒を、楽しい話を肴に飲み交わしたのはそんなに前だったっけ…(大汗)
[65822] 2008年 7月 20日(日)21:50:53スナフキん さん
書きっ放しへの、レス
すみません、途切れ途切れで。
[65720]白桃さん
ごめんなさい、勤務中に気になることを書いてしまいまして…えッ、勤務中も逐一落書き帳をチェックされているので?! これはうかつなことを、私も勤務中に書かないほうがよさそうですね…(爆)
それは、おかしいです。明治31(1898年)年に町制施行ですから。
これ、私の書き方が不適切でした。モノはいま勤務先にあるのですぐに参照はできませんけれど、恐らく調査・測量はそれよりもはるか前に実施されていたものと思われます。当時の技術および情報伝達の速度から考えて、2年なんて…と判断され要部修正もされないまま世に出たのかもしれません。とは言え、図幅名そのままはちょっとぞっとしませんねぇ。

ま、そのときは高徳線が廃線になるときでしょう。
いやぁ、分かりませんよ。こういうご時勢ですから、燃料価格がバカにならないとか、オレンジタウン(こんな駅名も、アリなんですね…)の利用者が急増しているとか言って、そのうち線路の上を電線が通って、パンタグラフがのっかった車両が走り出すかもしれませんしね。でもまぁ、いくら何でも徳島まで電化する…とは思えないので、そうすると本数が多いところまで…引田までが関の山、でしょうか?! う~ん、そうするとますます特急は運転・接続の都合上引田の方に停車駅を引っ張られて、三本松の地位が危うくなりますね。どうでしょう、高松港の高密度を緩和する目的で、いっちょ瀬戸内航路を誘致するとか?!

[65721]hmtさん
(2)地形図名の一般的傾向として、市町村という字が入っている例は珍しい。
私が直感的に感じたのは、こちらです。ただ、その後作業をいろいろやっていくと分かったのは、当時の地図名の命名、今とは相当異質なものだったということ。三本松村は、本当にたまたま渡された図だったので気になったのですが、その前後には同類項がワラワラと…「和歌山市」、「由良町」(淡路島です)、「高松市」などなど。これらがどうしてそのような命名になったのか、また市や町といった文字が入らない図幅も数多くあり、どういう基準があったのか…ちょっとそこまで調べる余裕がありません。

ただ…こういう黎明期の地形図を見ていると、「今とは相当異質な命名」とは言え、今もそのまま1/20万地勢図名として存続している岡山及丸亀の「丸亀」が、なぜ図名として選定されたのかは、何となく分かる気がします。凡例に記載されている「★」が絡む地物記号が、それを強く印象付けますね。あとは、ざっくばらんに…新居浜の図は、驚きました。四国一周はおろか、一部分しか現在のJR線は完成していないのに、この時代にしてすでに山奥にハタザオ線が…そうか、四国で1・2を争う古い鉄道って、ここだったんですね。さすがは別子銅山、住友財閥発祥の地の称号は決してダテではありません。私自身、新居浜駅から坑道保存施設「マイントピア別子」(現在では時が流れ、道の駅に昇格)までは、バス便のタイミングが悪く鉄道跡地を延々と歩き、最後の最後に鉄柵で行く手を阻まれ、危うく国領川の谷底へ転落しそうになった(怖~い)思い出があったりします。
[65719] 2008年 7月 10日(木)13:28:37スナフキん さん
古地図いじりをしました
メンバー紹介からドロップしそうなので…いや、別にそれだけのための書き込みではありませんが。

昨日、スキャンした古地図を修正してほしいと依頼されました。渡された図の中に明治33年製版の「三本松村」が混ざっていました。へぇ、地形図名に「村」って入ってるのね…フシギな感じです。

時代が時代なので、図中にはおもな集落(ハッチがかけてあります)は3ヶ所しかありません。それも、メインの道路である讃岐街道がダイレクトに貫いているのは「引田村」のみです。残る2ヶ所は微妙に街道からそれた場所に立地しています…あれ、そのうち1つの集落の固まりはてっきり「白鳥村」だとばかり思っていたのですが、よーく読図してみるとそうではなくて、「松原村」でした。「白鳥村」はもう少し外れた場所にあり、それこそハッチすらかかっていない一散村に過ぎません。

もちろんこの図に鉄道線は描かれていませんが、どうしてもマニア的視点が拭えず駅名が頭の片隅にちらつくから、こういう勘違いを起こすのかもしれませんね。ずっと後になってから地図上に現れる存在の鉄道は、21世紀になっても特急がこの場所で3駅連続停車したりしています。でもそれって、過去からのつながりでもうどうしようもないことなのかもしれません…ねっ、白桃さんっ。

古地図、見始めたら手が止まってしまうのですが、ドライに接するだけだと本当に退屈で眠くなってきます。かと言って情熱を傾けると仕事が進みません。趣味と仕事の両立は、難しいですね…戯れ言にて、失礼しました。
[65531] 2008年 6月 16日(月)23:06:06スナフキん さん
副都心線ができました…きちんと動きません、どうしましょ?
メンバー紹介から、あわやドロップアウト寸前なほどにご無沙汰です。大型連休明けから信じられないほどの多忙に見舞われ、いまだにそれ以来、土曜日は休めていません(号泣)。

自分がどれだけ忙しくても、社会情勢は動きます。会社の足元で週末、地下鉄副都心線が開通しました。すでにいく人かの方が書き込まれている通りで、初日は急行渋谷行の一番列車に乗り、2時間の行列にも耐えて記念一日乗車券も入手しました。あまりの多忙ぶりに今回は日曜も出勤だったので、開業後欠かさず(大汗)利用していますが…すでに知っての通り、毎日時間通りに全く動かない困った地下鉄に成り下がっています。今日は平日ダイヤ初日でしたが、こちらも多少の遅延込みで出勤したにもかかわらず、予想をはるかに超える遅延を食らってものの見事に週明け早々大遅刻。ま、わが勤務先の場合は地下鉄が通勤手段として頼みの綱なので、だいたい全員がコケてしまうので「すまない」気分にはあまりならないのですが。夕方には、正しい運転区間を保持するのを投げ出してしまい、池袋~渋谷で細々と区間運転する有様…明日、何時頃起きて何時頃の電車に乗るべきか、全然決定できません。南北線でもこういう状況があったやに記憶していますが、こんなにひどかったかな… 編成が長く、既存の有楽町線と密接に絡むことも状況を悪くしているようです。あぁ、早く時間通りに動く地下鉄になってほしい…せっかくオリジナル時刻表を作ったのに、全然役に立たないんです(大汗)。

最後に余談。
[65509]般若堂そんぴんさん
丸ノ内線方南町支線を14号線とする.
都営浅草線(1号線)を品川~押上とし,西馬込~泉岳寺を15号線とする.
確か、お役所用語では「都市計画○号線」って言うんですよね? と言うことは…日暮里・舎人ライナーを16号線もオッケーかしらん?! だって、「東京都地下鉄建設」って会社が作ったんですよね?!


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