[79688]hmtさん
京都府も「郡再編」がなかったが、明治23年(旧)郡制は施行されないまま、明治32年改正法の施行を迎えます。
(略)
東京府の場合は、3年前に三多摩移管があったばかりで、明治29年は豊多摩郡設置だけでした。
[79692]88さん
中野市
この2つの書き込みを読んで、明治29年4月1日付けで中野郡が京都府に成立しかけたことがあったことを思い出しました。以下にまずは東京府の「郡再編」とともにその経緯を紹介します。
明治29年3月4日に内閣において後述の二つの法律案を帝国議会に提出することを決定し、同月13日に帝国議会に同時に提出されました。
一 東京府下郡廃置法律案
一 京都府下郡廃置法律案
その中身とは次の通りでした。
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東京府下郡廃置法律案
東京府武蔵国南豊島郡及東多摩郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ南豊島郡ヲ置ク
附則
此ノ法律ハ明治二十九年四月一日ヨリ施行ス
東京府下郡廃置法律案理由書
南豊島東多摩ノ二郡ハ従来一郡治ノ下ニ属シ且地形民情トモ一郡ヲ成スニ適セリ依テ此ノ二郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ一郡ヲ置ク
新郡ヲ南豊島郡ト称スルハ旧南豊島郡ノ大ナルニ依ル
新郡名 | 旧郡名 | 町村数 | 人口(人) | 戸数(戸) | 国税(円) | 地方税(円) | 町村税(円) |
南豊島郡 | 南豊島郡 | 8 | 35,271 | 7,558 | 22,344 | 9,876 | 7,597 |
| 東多摩郡 | 6 | 22,143 | 3,584 | 25,060 | 9,507 | 5,307 |
| 計 | 14 | 57,414 | 11,142 | 47,404 | 19,383 | 12,904 |
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京都府下郡廃置法律案
京都府山城国愛宕郡及葛野郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ北葛野郡ヲ置ク
京都府山城国乙訓郡及紀伊郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ南葛野郡ヲ置ク
京都府山城国宇治郡及久世郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ宇治郡ヲ置ク
京都府丹後国中郡、竹野郡及熊野郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ中野郡ヲ置ク
附則
此ノ法律ハ明治二十九年四月一日ヨリ施行ス
京都府下郡廃置法律案理由書
一 愛宕葛野ノ二郡ハ各独立スルニ便ナラス其ノ地域ヲ合シ始メテ適当ノ一郡ヲ得ヘシ依テ此ノ二郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ一郡ヲ置ク 新郡ヲ北葛野郡ト称スルハ旧愛宕葛野二郡ノ地方ハ往古葛野ト称シ且其ノ北部ニ位スルニ依ル
一 乙訓紀伊ノ二郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ一郡ヲ置ク理由前項ニ同シ 新郡ヲ南葛野郡ト称スルハ旧乙訓紀伊二郡ノ地方モ亦往古葛野ト称シ且其ノ南部ニ位スルニ依ル
一 宇治久世ノ二郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ一郡ヲ置ク理由前項ニ同シ 新郡ヲ宇治郡ト称スルハ宇治ノ名顕著ナルニ依ル
一 中竹野熊野ノ三郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ一郡ヲ置ク理由前項ニ同シ 新郡ヲ中野郡ト称スルハ旧三郡名ヲ参互折衷セシニ依ル
新郡名 | 旧郡名 | 町村数 | 人口(人) | 戸数(戸) | 国税(円) | 地方税(円) | 町村税(円) |
北葛野郡 | 愛宕郡 | 18 | 28,974 | 5,030 | 37,406 | 11,245 | 11,641 |
| 葛野郡 | 17 | 32,187 | 5,524 | 53,345 | 21,140 | 14,998 |
| 計 | 35 | 61,161 | 10,554 | 90,751 | 32,385 | 26,639 |
南葛野郡 | 乙訓郡 | 11 | 20,559 | 3,512 | 38,561 | 10,607 | 12,706 |
| 紀伊郡 | 12 | 44,162 | 8,554 | 125,356 | 21,002 | 15,982 |
| 計 | 23 | 64,721 | 12,066 | 163,917 | 31,609 | 28,688 |
宇治郡 | 宇治郡 | 4 | 15,020 | 2,562 | 23,492 | 6,921 | 5,822 |
| 久世郡 | 10 | 22,922 | 4,250 | 38,351 | 10,385 | 12,830 |
| 計 | 14 | 37,943 | 6,812 | 61,843 | 17,306 | 18,652 |
中野郡 | 中郡 | 13 | 18,666 | 4,131 | 34,343 | 8,832 | 14,403 |
| 竹野郡 | 16 | 28,576 | 5,597 | 33,896 | 8,682 | 18,880 |
| 熊野郡 | 9 | 17,474 | 3,503 | 22,840 | 6,003 | 9,766 |
| 計 | 38 | 64,716 | 13,232 | 91,079 | 23,517 | 43,049 |
(注)原文のまま。数値が合わない箇所がある。
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この内、東京府の郡廃置法律案は、明治29年3月19日に衆議院で新郡名を南豊島郡より豊多摩郡へ変更する旨の修正がなされて貴族院に送られ、明治29年3月26日に貴族院でも修正案が可決されました。政府の主務官庁においても異議なしとされたので、
法律第37号(M29.3.30)として公布され、明治29年4月1日に
豊多摩郡が成立しました。
ところが、京都府の郡廃置法律案は明治29年3月21日に衆議院で否決され、成立しませんでした。
さて、話を東京府・京都府の「郡再編」の過程より全国の「郡再編」の過程へと拡げます。
多くの県での郡の廃置分合においては、郡廃置法律案が複数回、内閣より帝国議会に提出されました。そして、帝国議会の審議を経て内閣が再度法案を新たに提出する過程で様々な箇所が修正されていたようです。
郡廃置法律案のどのような箇所が修正されたのかを、他の県で見ることにします。
例えば兵庫県の場合ですと、明治28年末に次回の帝国議会に提出する新たな郡廃置法律案として考えていたものが現にそのまま
法律第39号(M29.3.30)として成立することとなりました。
前回の法律案と比較すると訂正箇所は次の通りでした。
・赤穂郡と佐用郡が合併して赤穂郡となる合併をなくした。
・神崎郡を構成するのが神東郡及び神西郡の区域から, 神東郡及び神西郡の多可郡 越知谷村の区域へと替えた。
・川辺郡高平村が川辺郡から有馬郡に郡変更という事例を付け加えた。
郡の合併箇所の削減、郡の区域の微調整があったことが分かります。
また、三重県のある時点での郡廃置法律案は以下の通りでした。
三重県下郡廃置法律案
三重県伊賀国阿拝郡及山田郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ阿山郡ヲ置ク
三重県伊賀国名張郡及伊賀郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ伊名郡ヲ置ク
三重県伊勢国三重郡及朝明郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ三重郡ヲ置ク
三重県伊勢国奄芸郡及河曲郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ河芸郡ヲ置ク
三重県伊勢国飯高郡及飯野郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ以比郡ヲ置ク
三重県志摩国答志郡及英虞郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ志摩郡ヲ置ク
附則
此ノ法律ハ明治二十九年四月一日ヨリ施行ス
これを実際に行われた郡廃置分合の
法律第46号(M29.3.29)と比較しますと、郡廃置法律案での新郡名の伊名郡及び以比郡が、後にそれぞれ名賀郡及び飯南郡に修正されたことが分かります。
また、千葉県のある時点での郡廃置法律案は以下の通りでした。
千葉県下郡廃置法律案
千葉県安房国安房郡、平郡及朝夷郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ安房郡ヲ置ク
千葉県上総国望陀郡、周准郡及天羽郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ君津郡ヲ置ク
千葉県上総国長柄郡及上埴生郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ長生郡ヲ置ク
千葉県上総国山辺郡及武射郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ山武郡ヲ置ク
千葉県下総国東葛飾郡及南相馬郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ東葛飾郡ヲ置ク
千葉県下総国印旛郡及下埴生郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ印旛郡ヲ置ク
これを実際に行われた郡廃置分合の
法律第42号(M29.3.30)と比較しますと、法律においては長狭郡が新たに(新)安房郡の一部として郡の廃置分合に付け加わりました。
多くの事例は名称変更、郡の区域の微調整、そして後ろ向き(?)といえる郡の合併箇所の削減でしたが、前述の千葉県のように例外的に前向き(?)ともいえる事例もありました。
参照:公文類聚収録の
東京府下郡ヲ廃置ス附京都府下郡廃置法律案衆議院ニ於テ否決ス(PDF)及び
神奈川、長崎、新潟、山口、和歌山、福岡、佐賀、宮崎、大阪、... (PDF)