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グリグリの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[91997]2016年11月28日
グリグリ
[91992]2016年11月25日
グリグリ
[91985]2016年11月23日
グリグリ
[91984]2016年11月23日
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[91983]2016年11月23日
グリグリ

[91997] 2016年 11月 28日(月)21:45:47オーナー グリグリ
2016年10月1日現在の推計人口
[91996] 白桃さん
まずは、オーナーにご相談です。
[91958]にて2016年10月1日現在の推計人口を「今月中にお送りできるでしょう。」と申し上げましたが、広島県の公表が12月にずれ込むことになりました。(11月30日⇒12月7日予定)
 ・・・
ご指示いただければ如何様にも対応しますのでよろしくお願い申し上げます。
白桃さん、いつもありがとうございます。今週末は旅に出る予定があり確実に作業ができるのは来週末になりそうです。とは言え、今週の平日夜に作業できるかもしれません。完成しているのであればとりあえずお送りいただけますか。少なくとも準備作業だけでも進めます。一度作業を行ってしまえば、データ更新作業はそれほど手間ではありませんので、更新データについては都度都度お送りいただければ対応できると思います。
[91992] 2016年 11月 25日(金)20:29:14オーナー グリグリ
喜佐方村
2003年に29件の書き込みをいただいていたぷりぷりさんから13年ぶりにメールをいただき、市区町村変遷情報の間違いを指摘していただきました。なかなか気付き難い細かい誤りでしたが、変遷情報の正確性を少しでも高めるためには、大変有り難いご指摘でした。ぷりぷりさん、ありがとうございました。

修正箇所
愛媛県の市制町村制施行時の情報 No.263
誤)
263 新設/村制 北宇和郡 喜佐方村 北宇和郡 沖浦(本), 河内村(本), 南君浦(微), 東宇和郡 白浦(微)
正)
263 新設/村制 北宇和郡 喜佐方村 北宇和郡 沖村(本), 河内村(本), 南君浦(微), 東宇和郡 白浦(微)

「沖浦」→「沖村」と修正しました。[73756]むっくんさんの記事に引用されている「県令第64号(M22.11.11)298コマ」を見ると、確かに、沖浦ではなく沖村と記載されていました。なお、No.260はもともと沖村(微)でした。
[91985] 2016年 11月 23日(水)13:01:13オーナー グリグリ
「明暗の岩屋」
[91982] 倉田昆布さん
[91935] 伊豆之国さん提供の「明暗の岩屋」もありますよ。
それから、掛割町の見出しが「割掛」になっていますが、「掛割」のほうが適切だと思われます。
ご指摘ありがとうございました。気が付いていませんでした。追加修正しました。
[91984] 2016年 11月 23日(水)11:43:51【1】オーナー グリグリ
野々市の由来
今まであまり気にしたこともなかった野々市の名前の由来がふと気になって調べてみたのですが、諸説あるようですね。角川日本地名大辞典では鎌倉期から見える地名とのこと。小学館の日本地名地図館でも中世以来の地名で、交通の要衝で市が立ったことに因むなど諸説ありとしています。当初は野市(ののいち)と書いたようです。金沢以前の加賀の中心地だったようですね。

ところで、野々市市本町2丁目にある布市神社に由来するというページがありましたが、どうなんでしょうか。確かに布市という地名は松任(現白山市)に現在も残っている町名で、名前の由来もはっきりはしていませんが、野々市と書かれたこともあるようで、角川では「中村用水の分流東川の右岸、松任本誓寺の南に位置する。寛政4年の書上げでは野々市町の名で見え、散町に当たる。」とあります。「散町」という言葉は初めて見ましたがどういう意味なんでしょう。布市神社との関係も気になります。

余談1
実家のある金沢市三馬(1~3丁目)は野々市村から明治9年に分村した野々市新村の領域で、その後、明治22年の町村制施行時に三馬村の大字の一つとなり(泉、有松、西泉、米泉、横川、久安、野々市新の7か村)、昭和11年に三馬村が金沢市に編入された際に、金沢市三馬町になって現在に至ったということを初めて知りました(三馬村のその他の大字は、泉本町、泉旭町、上有松町、西泉町、米泉町、横川町、久安町)。地元のことをよく知らないでいたことを恥じています。生まれたのは野々市町(現在の本町6丁目)ですが、中学校から高校まで育ったのもルーツは野々市だったんですね。生まれも育ちも正真正銘野々市を実感しました。

余談2
落書き帳過去記事で「布市」が話題になっているかどうか検索を掛けたのですが、調布市や由布市に邪魔されてうまく検索できませんでした。「布市神社」は話題になっていないようです。グーグル検索のようにマイナス検索(マイナス記号を付けると検索除外条件になる)を含めたキーワード検索ができるようにしたいですね。そんなに難しいことはなさそうですが、除外範囲をどうするかが難しいかもしれません。マイナス検索の場合、同一ページ(落書き帳だと同一記事)内にマイナス指定したキーワードがあった場合に検索対象から除外するのですが、これだと調布市と布市神社の両方のキーワードが同一記事にあった場合も除外されてしまいます。まぁ、これはしょうがないのかな。「[^調由]布市」のような正規表現を使ったキーワード指定ができると完璧かもしれません。
[91983] 2016年 11月 23日(水)10:54:25オーナー グリグリ
ハントンライス
昨日、老母の見舞い目的で金沢に日帰りしました。その際、西金沢から北陸鉄道石川線を使い、帰りは野町終点まで乗車しました。久しぶりの石川総線(この呼び名の方が身に付いてます)でしたが、2両編成ワンマンカーで乗客もちらほらという感じで寂しいですね。

短い読みの旧自治体名である野町駅からは西の茶屋街を歩きましたが、東の茶屋街と比べてメディアに取り上げられることもほとんどない割りには、平日でもそこそこの観光客が見られました。桜桃と書いてユスラと読むお店ではじめてハントンライスを食しました。予定では片町のグリルオーツカで海老ドリアでもと思っていたのですが、そう言えばハントンライスって食べたことないなぁということで。まぁ、オムライスに白身魚フライがのっているだけといえばそれだけのものです。私が高校生の頃にはハントンライスはすでに存在していたようですが記憶にありません。

西の茶屋街からは犀川大橋を渡り、片町、柿木畠を抜けて中村記念美術館脇の本多公園へ。ここから以前は金沢女短と呼ばれていた女子短大・女子高(現在は県立美術館)の横を抜ける階段を通って兼六園に入るつもりでしたが、階段が工事中で通れませんでした。この階段はしっとりと落ち着いていて想い出も沢山あった場所なので残念でした。兼六園は中国人4割、欧米人2割、日本人4割くらいの感じだったかなぁ。修学旅行生が大勢いましたね。紅葉は見頃を過ぎていて今ひとつでした。

どうなんでしょう、兼六園はメディアにも頻繁に取り上げられて人気ですが、久しぶりに見た感じではごちゃごちゃしていて何だか少しくたびれてきたような感じがしました。その辺りの古さがよいのかもしれませんが、私には新しく整備されつつある金沢城公園の方が好みです。欧米風の整った町並みや建物が好きだからかもしれません。


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