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ぺとぺとさんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[90381]2016年4月20日
ぺとぺと
[90330]2016年4月16日
ぺとぺと
[90298]2016年4月13日
ぺとぺと
[90295]2016年4月13日
ぺとぺと
[90234]2016年4月10日
ぺとぺと
[90131]2016年3月28日
ぺとぺと
[90001]2016年2月20日
ぺとぺと
[89997]2016年2月19日
ぺとぺと
[89939]2016年2月5日
ぺとぺと
[89938]2016年2月5日
ぺとぺと

[90381] 2016年 4月 20日(水)19:56:59ぺとぺと さん
ペアシティ七番勝負
問六:鳴門市・長門市

残る問題はスマホでは勝負にならない感じですかね~。
[90330] 2016年 4月 16日(土)20:41:47ぺとぺと さん
ペアシティ七番勝負
問七:江南市・各務原市
[90298] 2016年 4月 13日(水)19:54:38ぺとぺと さん
ペアシティ七番勝負
問一:尾鷲市/熊野市
[90295] 2016年 4月 13日(水)07:33:26ぺとぺと さん
ペアシティ七番勝負
問七:海老名市・綾瀬市
[90234] 2016年 4月 10日(日)13:17:21ぺとぺと さん
ペアシティ七番勝負
公園に出店しているワゴンのシシケバブ屋さんの行列待ちを利用して参加賞をいただきにあがりました。

問二:大和市/朝倉市
[90131] 2016年 3月 28日(月)22:05:17【1】ぺとぺと さん
中井町&神奈川県境を行く
[90079] オーナー グリグリさん
ところで、中井町の久所ですが、あらためて地図を確認したところ、中井町の広い範囲に点在しています。北田、田中、遠藤など、他の大字も同様にパッチワークのように入り乱れて分布していますが、どうしてこのような境界域が生成されたのでしょうか。
元江戸川大学教授である斗鬼正一氏の論文(PDF)に、ヒントとなる記載がありました。該当箇所をそのまま引用しますと、
旧幕時代、井の口は御料から石野家領に変わったものの、単一の領地であった。一方中村地区は、各大字が、鴨沢、古怒田が大久保忠直、雑色が大久保忠顕、松本が御料、比奈窪・藤沢・半分形は兵部少輔信彦、遠藤が小野原信吉、境が伏屋新助というように別の領主の支配下にあった。明治に入り1879(明治12)年中村と井の口村が成立、1884(明治17)年には比奈窪、松本、岩倉、雑色、鴨沢、古怒田、半形、田中、遠藤、北田、久所、藤沢、境、北別所、そして井の口が連合して比奈窪役場を設立した。しかし1889(明治22)年には町村制施行により中村、井の口村が分離、1908(明治41)年に再度合併して、双方の頭文字をとり中井村となったのである。
(中略)
中村下地区では、1980年4月1日、五所の宮部落と共た大久保部落が誕生した。このうち五所の宮は新設であるが、大久保は「中ぱ存在していた部落」が後追い公認の形で設立された部落である。大久保は本来田中部落の人々が居住する地区であった。しかし地籍の上では遠藤、北田部落の土地が多数点在しており、やがて遠藤、北田の人々が分家を出したり、移転して来る人が増えて来た。そうした場合、旧幕時代は部落毎に領主も違ったので、部落を変更する事はできなかった。明治以後の移住者も、永年親しんだ部落と分かれがたい、本家と一緒の部落の方が良いといった理由で、本来なら空間的原理から田中部落に入るべき所、そのままもとの部落に属している人が多くなってきた。北田は現在4軒だけだが、遠藤は元の遠藤を「むこう遠藤」、田中の中の遠藤を「こっち遠藤」と称する程にまでなった。
とのことであり、江戸時代に大字ごとに領主が相違していたことと関係がありそうです。また、明治以降も分家や移転の際に本家の大字を踏襲したことで、それが固定化された可能性があります。

話題は変わりますが、[90038] k-aceさん
これはキンシオというテレビ神奈川の散歩番組

過去には(神奈川の)「県境を行く」、(神奈川の)「海岸線を行く」、「あいうえおの旅」、「1、2、3の旅」、「生きものの名前の地名の旅」、「色んな色の旅」、「何でもない道を行く」という企画があり
なんと、地元ローカル番組ではないですか。これまで一度も視聴したことはありませんが、ツボにはまりそうな企画満載ですね。
さて、(神奈川の)「県境を行く」、(神奈川の)「海岸線を行く」の2つの企画、番組HPを見る限りではテーマに該当するいくつかの地点をピンポイントで訪問されているようなのですが、個人でこのテーマを忠実に実践されている方がいます(参考HP)。金目川の源流を調べていてたまたまみつけたサイトなのですが、神奈川県一周相模国と武蔵国の国境を行くなど、自分ではなかなか実践できないようなテーマが盛りだくさんです。興味のある方はご覧になってください。
[90001] 2016年 2月 20日(土)10:42:19ぺとぺと さん
地方自治法第二百六十条
[90000]hmtさん
効力発生は、法律では「市町村長の告示」が原則になっています。
[89997]で紹介された愛知県知事告示に効力発生日が記されていることは、愛西市平和町の勝幡町編入の件が「政令(地方自治法施行令第百七十九条)で特別の定めをする場合」であったということでしょうか。
これは、平成24年3月31日以前の旧法においては「知事」が告示することになっていたためです。
現在の地方自治法第260条は、平成22年6月に閣議決定された「地域主権戦略大綱」を踏まえ、平成24年4月1日に改正されたものです。なお、具体的な改正手続きは関係する他の法律とあわせて「地域の自主性及び自立性を高めるための改革の推進を図るための関係法律の整備に関する法律(平成23年法律第105号)」(通称第2次一括法)により行われました。[参考:第2次一括法PDF(第14条)、新旧対照表PDF(P42が該当部分)]

参考までに、改正前の条文を以下に掲載します。
第二百六十条 政令で特別の定をする場合を除く外、市町村の区域内の町若しくは字の区域をあらたに画し若しくはこれを廃止し、又は町若しくは字の区域若しくはその名称を変更しようとするときは、市町村長が当該市町村の議会の議決を経てこれを定め、都道府県知事に届け出なければならない。
2 前項の規定による届出を受理したときは、都道府県知事は、直ちにこれを告示しなければならない。
3 第一項の規定による処分は、政令で特別の定めをする場合を除くほか、前項の規定による告示によりその効力を生ずる。
なお、旧法下においても条例により告示の権限を市町村長に移譲していた県も一部あったようですが、当時の愛知県ではそのような権限移譲は行われていなかったということなのでしょう。
[89997] 2016年 2月 19日(金)19:06:55ぺとぺと さん
愛西市平和町は短命の町
[89962]右左府さん
ひとまず以上の結果から推測するに、
○平成17年に稲沢市平和町城之内の一部が愛西市に編入され、愛西市平和町城之内となった。
○その後、郵便番号が新たに付番された。
(※稲沢市平和町城之内は 490-1323 、愛西市平和町は 496-8020 →集配局も変更?)
さらに推測するに、
○その後、愛西市平和町城之内は勝幡町墨田に変更。(平成19年3月の告示はこれか?)
○現在は愛西市平和町は存在しないかも?
以上、かなり雑な調査と推測です。どなたか詳細な調査をお願いいたしますm(_ _)m
[89964]オーナー グリグリさん
となると、Yahoo!地図では、稲沢市平和町城之内の地番と愛西市勝幡町墨田の地番まで正確に記載されていることから、現在は、
○その後、愛西市平和町城之内は勝幡町墨田に変更。(平成19年3月の告示はこれか?)
○現在は愛西市平和町は存在しないかも?
この状況ではないかと思います。

愛西市の領主として放っておけないので・・・という冗談はさておき、私の中途半端な調査([89938])を参考に「自治体越えの地名コレクション」に収録されることとなった([89941])経緯もあるので、追跡調査しました。

結論から申し上げると、まさしく右左府さんとグリグリさんの推測どおりでした。
以下に該当する告示の内容を記載します。(漢数字は便宜的にアラビア数字に変換しています。)
まずは誕生のほうから。
総務省告示第967号
市の境界変更
地方自治法(昭和22年法律第67号)第7条第1項の規定により,愛知県稲沢市と愛西市との境界を次のとおり変更する旨,愛知県知事から届出があったので,同条第項の規定に基づき,告示する。
稲沢市に編入する区域
愛西市勝幡町墨田2883の4,2883の8,2883の20から2883の24まで
愛西市に編入する区域
稲沢市平和町城之内51の1,51の2,51の7から51の9まで,51の18
右の処分は、平成17年9月1日からその効力を生ずるものとする。
平成17年8月19日
総務大臣 麻生太郎

そして消滅。
愛知県告示第272号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定に基づき、愛西市において字の区域を次のように変更する旨、愛西市長から届出があった。
この字の区域の変更は、平成19年4月1日からその効力を生ずるものとする。
平成19年3月30日
愛知県知事 神田真秋

勝幡町墨田に編入する区域
平和町城之内51の1、51の2、51の7から51の9まで、51の18

これら一連の変更は、ざっと見たところ国土地理協会の地名変更情報にも掲載されていませんでした。このレベルの小規模な変更は公表対象としていないのか、それとも把握すらしていないのか。[89938]の元ネタのルーツも同じなのですが、愛西市平和町の誕生の記録はあるのに消滅の記録がなかったのは、個人的に少し疑問に感じています。
[89939] 2016年 2月 5日(金)08:03:37ぺとぺと さん
堺市の区境越えの地名について
[89930] オーナー グリグリさん
この情報を掲載していましたが、たまたまリンク先の地図を確認したところ、上記のような入り繰りが解消されたように見えます。油天神山さんが確認された地図の境界がどうなっていたか確認しようがないのですが、その後、境界変更で見直されたのか、そもそも地図の境界が不正確だったのか判断が付きません。
堺市中区側の竹城台と三原台ですが、2013年の4月に廃止され、南区との入り繰りが解消されたようです。
[89938] 2016年 2月 5日(金)07:56:47【1】ぺとぺと さん
愛西市平和町は実在するのか
おはようございます。
愛西市平和町の件、なかなか興味深い話ですね。
手元にある資料などから以下のことがわかりました。誤りの可能性は否定できませんが、信頼性の高い情報であると考えています。

○愛西市平和町の施行は2006年12月前後と思われる。つまり愛西市新設時ではなく、それよりも後に誕生した町名である。
○愛西市平和町には小字が一つある。小字の名称は「城之内」で大字たる平和町と同時期にできている。
○愛西市内において、2006年12月の前後数ヶ月に平和町以外の町名の新設、変更及び廃止は行われていない。
○旧佐織町、旧佐屋町、旧八開村、旧立田村において、「平和」または「平和町」と称する大字、小字は存在しない。なお、旧佐屋町の大字西保に「城之内」という小字が存在するが、「大字西保小字城之内」は愛西市の町名として現存する。
○愛西市平和町の郵便番号変更年月は2007年2月である。
○愛西市平和町に付与されている郵便番号4968020は、同町固有の番号であり他の町域とは共有していない。


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