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Issieさんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[78773]2011年7月16日
Issie
[78753]2011年7月10日
Issie
[78735]2011年7月9日
Issie
[78724]2011年7月7日
Issie
[78687]2011年7月2日
Issie
[78683]2011年7月2日
Issie
[78675]2011年7月2日
Issie
[78661]2011年6月29日
Issie
[78608]2011年6月21日
Issie
[78595]2011年6月19日
Issie

[78773] 2011年 7月 16日(土)11:24:37Issie さん
美ヶ原
[78772] 千本桜 さん
長野県の美ヶ原は山名なのでしょうか。

「美ヶ原」というのは元々,山上の放牧地の名前だったようですが(それほど古い名前ではない),現在の松本では“山全体”の名前として理解されているようです。
個別の峰の呼称としては「王ヶ鼻」,「王ヶ頭」などといった名前があるのですが,それはあくまでも“全体の中の部分”の名前であって,別に“全体”の名前が必要。
で,「美ヶ原」という名前が定着するまでは漠然と「東山」と呼んでいたようです。
「西山」,つまり乗鞍などの北アルプス主稜線やその前に連なる常念などの“前山”の総称に対する呼び名ですね。ただし,松本市街は松本盆地の東縁を限る糸・静線ライン(その一部は最近注目の「牛伏寺(ごふくじ)断層」)よりも東に引き込んだ女鳥羽(めとば)川と薄(すすき)川の扇状地にあるので,「西山」というと西側に見える山並み全部,つまり北アルプスとなるのに対して,「東山」というとほぼ美ヶ原に限定されるようです。
[78753] 2011年 7月 10日(日)21:47:44【3】Issie さん
新・坊っちゃん
私が小学生の頃,NHKで「新・坊っちゃん」というドラマが放送されました。
井上ひさしはある本の前書きで「『坊つちゃん』の映像化はことごとく失敗している」と書いているのですが,小学校6年生の私にはとても面白く思いました。この人がムーミンパパ(の声の人)か,ってね。“正露丸のラッパ”とか…。
これを機会に夏目漱石を読んでみようと思ったのですが,「坊つちゃん」はともかく,ほかの作品は小学生にはあまりにも難しくて,すぐに挫折しました。
で,何の話かというと,このドラマの冒頭の場面が松山に赴任した坊っちゃん(柴俊夫)が“はしけ”で三津浜の港に上陸することろでした。“はしけ”で上陸するのですね。大型船が接岸できる港湾施設が当時の三津浜になかったからです。

[78747] ペーロケ さん
「港にとって河川は害である」

昭和の初めに自動車の普及が始まるまで「車」(人力,馬力を問わず)による長距離輸送が発達しなかった日本において,鉄道網が整備されまで内陸における唯一の大量輸送手段は河川の舟運でした(次に来るのが背中に荷物をくくりつけた駄馬,その次は人間が背負う歩荷(ぼっか)。で,あとはもうない…)。もちろん,水系を越えた全国的な流通についても船による海運が唯一の手段。越前・三国港の繁栄もそれによるものです。
ところが十分な水深を確保するのが困難な河川と外洋とではそれに適当な船の構造が違いますから,必然的にその接点で河川用の船と外洋用の船との荷物の積み替えが起こります。だから,内陸水運の発達した大河川の河口には港(港町)が発達する基本条件があるのです。新潟や酒田などはその典型です。

江戸の場合,徳川入府以前の元の市街は現在の大手町のあたりに形成されていたと考えられています。よく“家康は何もない江戸に飛ばされた”という言い方がされますが,中世以降の江戸は南関東の物流拠点としてそれなりに繁栄していたようです。基礎的な立地条件は荒川(隅田川)の河口ということにあるのですが,実際に市街が形成されたのは隅田川本流ではなくこれに合流する平川(現在の日本橋川)沿いであったのですね。後に,家康の“江戸大改造”で大手町付近は武家町となり,物流の拠点はやや下流の日本橋に移ります。
巨大城下町・江戸のもう1つの港として栄えたのが品川でした。こちらは目黒川の河口に立地しています。目黒川は舟運に利用できるはずもない小さな川ですが,河口の地形が船の発着に利用できたのでしょうね。
近世の城下町はほとんどの場合,このような舟運を意識して都市計画がなされています。大坂(大阪)や広島のようにそのような河川に直接面して建設されているものもあれば,その支流や運河(掘割)を介しているものもあります。たとえば,信州の松本は女鳥羽(めとば)川がお城の外堀の役目を果たすとともに,奈良井川・犀川の舟運を引き込む役割もしています。ただし,千曲川/信濃川は信濃(長野県)と越後(新潟県)の境界付近に急流があって,両者の舟運は断絶していました。ここが両国の国境である所以でしょう。

神戸にとって「河川が毒」だったのは,そこを流れるのが「川」というよりは,すぐ背後にそびえ立つ六甲・麻耶から流れ落ちる「滝」に等しいものであり(「垂水区」とはよく言ったものです),内陸交通路としての機能を全く期待できないばかりか,大量の土砂を運び込むだけの厄介な存在であることによると思います。
つまり,神戸は河川交通との接点として発達した港町ではない。平清盛の日宋貿易がその始まりであったように,主に“海の交通”の拠点として発達した。長崎や平戸,あるいは那覇もこのグループに属するように思います。対外交易の拠点としてなら,後背市場とはほかの交通手段で結ばれていればいいので,港そのものに地形的な後背地は必要ない。だから必ずしも大河川の河口である必要もなく,長崎のようにリアス海岸の入り江深くでも立地し得る。現在の姿からは想像しにくいのですが,那覇は元はベネチアのようにラグーン(潟湖)の出口に形成された砂州の上に立地したようです。
神戸(大輪田)の場合,大きな船が入るのに適した地形には恵まれませんでした。だから,平清盛は大規模な築港事業を行ったのですね。そこは同時代の鎌倉も同じで,ここでも大規模な築港が行われましたが,これはその後放棄されて現在ではごくわずかな痕跡しか残っていません。結局,山を越えた六浦(むつら)・金沢(かねさわ)というラグーン(平潟湾)に面した港がその後も機能し続けました。こちらも中世後期以降,鎌倉とともに衰退し,江戸・品川に主役を奪われることになります。
河川自体は舟運に堪えないような小さなものであっても,その谷を重要な陸上交通路が通っていれば,その河口には海陸接点型の港町が発達します。鉄道から自動車に主役が移った現在においても特に日本海貿易の拠点として重要な敦賀は,遥かな昔,「角鹿」(つぬか)と呼ばれて高句麗や新羅・渤海などとの交易拠点であった時代からの典型例です。
四国の中では比較的に広い平野である松山平野でも重信川にどれだけ交通路としての機能を期待できたか,おそらくは平野全体の陸上交通の集約点,そして海上交通への接点として「熟田津」以来の三津浜の役割があったのだろうと思います。
で,坊っちゃんはここで上陸して,「マッチ箱のような」伊予鉄の汽車に乗って松山市街に向かった…。

[78736] hmt さん
その他に小樽

これは迂闊でした。
確かに道内経済の中枢としての地位は失っても,日本海海運の拠点としての小樽の重要性は今でも大きなものがありますね。「脱落組」とするのは,小樽に失礼でした。
[78735] 2011年 7月 9日(土)10:19:20【4】Issie さん
稚泊航路,浦塩航路
[78730] 白桃 さん
室蘭と稚内

ものすごく意地の悪い言い方をしたら,「“大”から脱落した2大港町」。
水産業が衰退した現在では,稚内は利尻・礼文航路が主体のローカル港だけど,元は“日本領南樺太”への玄関口ですよね。当然ながら,それなりのにぎわいはあったのでは。
室蘭港は石炭の積み出し港。私は世代的に石狩炭田の最末期しかリアルタイムで知らないけれど,“複線”(!)の室蘭本線を往来する石炭列車の姿は写真や映像で見ていた覚えがあります。
どちらも港の役割の大半が消えて,室蘭に至っては新参者の苫小牧にその地位を完全に奪われて,脱落しちゃった…,という感じでしょうか。
もっとも,“脱落”組には 小樽 という大物がいるし,ウカウカしていると函館もこちらに仲間入りしてしまうかも。

[78733] ペーロケ さん
福井 三国港 九頭竜川の河口に開けた漁港。

元は北前船で栄えた商港ですね。言うまでもなく,越前随一の港町。
でも,稚内つながりで言うと,「浦塩航路」の拠点である 敦賀港 も捨てがたいのでは,と。
北前船の残照に思いをはせるか,それとも日魯交渉の拠点として育まれた異国情緒に重きを置くか。
どちらも甲乙つけがたい。

島根 浜田港 県内に、浜田以外の大きな港が出てこない。

むしろ,鳥取県の境港の方がその位置と“水木マンガ”からの連想で島根県と思っちゃうんですよね。
島根県としては,境港の対岸の島根半島にある 美保関 というのが歴史的には著名な港町ではあります。あるいは,隠岐航路のフェリーが出ている七類港というのもありますが,これはかなりにマイナー。

なんとなく、大河川の河口を利用した港が多いですね。。。

ま,これは“江”戸がそうであるように,ある意味当然の結果ではないかと。
ただし,この中には「東京港」がそうであるように,明治以降,大型外航船の時代になって一旦「港」から滑り落ちたけれど,その後の大規模な港湾(再)整備によって再び浮上したものもありますね。


[78734] デスクトップ鉄 さん
他の内陸県も探してみました。

やっぱり相当無理があるような。
舟運が内陸の交通手段として完全に壊滅した今,ここに「港」というべきものはもはや存在しない。 あるのは,単なる観光遊覧船の船着き場。
唯一,例外としてノミネートされる琵琶湖の大津港も現状では観光船の船着き場に過ぎないけれど,ここは過去の歴史,たとえば鉄道黎明期に琵琶湖水運を介した水陸連絡拠点として機能していたことを踏まえてのことだろうと思います。
たとえば埼玉県には荒川・新河岸川や古利根川沿いにそんな“港町”が少なからず存在するけど,今は「港」はありませんからね。
[78724] 2011年 7月 7日(木)19:44:43【2】Issie さん
皆さんお毛がなくておめでたい
[78723] ぺとぺと さん
妻 : 「箱根かぁ・・・でも、箱根は山に登るって感じじゃないよね」

あっ,これはわかる気がする。
つまるところ,箱根は「登る山」ではなくて「越える山」なのですよ。
“登山電車”なるものが走っているし,地元では“登山バス”と呼ばれているものもあるけれど,登るのは乗り物。たいてい,自分の足で登るわけではない。
だから,「山に登る」という感覚が希薄なのでは?

今も丹沢山系を眺めていますが、前衛にある大山はハッキリわかりますが、東西にのびる稜線のどこが丹沢山のピークなのかは全くわかりません

これは別の角度から眺めても同じです。
当地,相模原からは富士山が見えませんから,どこより目立つ山は大山です。
“単独峰”としての「丹沢山」はボーッとした塊である“丹沢山塊”の中の“有象無象”の峰の1つに過ぎない。「百名山」なんて,山に登らない一般ピープルには関係ない話ですから。
その存在感の大きさゆえ,信仰の対象となって,南関東各地から“何本もの大山街道”が走り(一番有名なのが“246”),「大山詣で」なんて落語の題材にもなる。
これは“県内最高峰”の蛭ヶ岳にもない存在感です。

全国的な知名度なら箱根山の方が勝るかもしれません。けれども,箱根はやっぱり「県西」の山。“神奈川県”として見ると,西に偏りすぎなのは否めません。これが「足柄県の山」というなら,間違いないのですが(いや,「足柄県」なら「足柄山」という声も聞こえそうです。この場合,「足柄山」とは単独の峰を指すのではなく“足柄峠”を中心とする山塊の総称ととらえるべきでしょう)。
もっとも,大山および丹沢山塊も,元は 神奈川県 ではなく 足柄県 に属していました。

そんなわけで,私は 大山 に一票を投じます。
で,単独峰としての丹沢山には古代ギリシアの「オストラキスモス(陶片追放)」よろしく“排除票”を投じたい。

※そうそう,言い忘れていました。
単独峰としての 丹沢山 は,千葉県の鹿野山,そして東京・麻布の 日本経緯度原点 と並ぶ“超一等三角点”の1つ([78608])で,「地理」の立場からはとっても重要な山です。
でも,その世界でも存在感は鹿野山に数段劣る,という気がします。
[78687] 2011年 7月 2日(土)20:52:25【1】Issie さん
むかし丹波の大江山 鬼ども多く集まりて
[78685] 伊豆之国 さん
京都 比叡山 大文字山 鞍馬山

やっぱり京都“市”に偏ってしまいますねぇ。
ここは,丹後の大江山,なんてのはどうですか。京都“府”北部では,かなり存在感のある山だと思いますよ。
一説によれば,「酒呑童子」をはじめ数々の鬼退治伝説の舞台,とも言われていますが,一方ではこの「大江山」とは,京都の西,丹波との境の「大枝山」(西京区に「大枝」という地名があるが,具体的な位置は甚だ曖昧)だという説もあって,私はこちらの説に賛成。
でも,両丹地域から挙げるとすれば,丹後大江山は外せないだろうと思います。

箱根はどの山を代表にするか?

外輪山を含めた「全体」でしょうね。
[78683] 2011年 7月 2日(土)12:59:23【2】Issie さん
槍や穂高は隠れて見えぬ
[78680] グリグリ さん
浅間山や八ヶ岳を推す理由として、首都圏から見た目線もあると思います。

そうですねえ。これはやはり関東平野からの視点ではないかと。
松本平に住んでみると,浅間や八ッの存在はそれほど感じられません。何よりも目の前にある「西山」の存在が大きくて。ただし,県境の北アルプス主稜線ではなく,梓川と高瀬川で切り離された“前山”の方。まさしく,「槍や穂高は隠れて見えぬ」(…わけでは,必ずしもないけれど)。
松本であれば常念岳,“安曇野”であれば,今NHKの朝のドラマで主人公が勤務している国民学校(←間もなく学制改革で「小学校」に戻るはずですが)の名前にもなっている有明山。大町以北に行けば,また違う山が挙がるでしょう。
松本平も属する「中信」でも木曽に行けば,そこではやはり御嶽と駒ヶ岳。
「中信」だけでも1つに絞ることは難しい。

八ヶ岳は御柱を伐り出してくる山ですから,諏訪での存在は大きいでしょう。同じ「南信」でも伊庭谷に行けば,上伊那では駒ヶ岳,下伊那では赤石岳や恵那山なんかが浮上してくる。

浅間山の存在感は「東信」では絶大。
現在は佐久市になっている旧望月町のご当地ソングに「望月小唄」というのがあります。一連の中山晋平・新民謡シリーズの1つですね。その中に出てくるのが,「南蓼科,北には浅間」。望月を初めとした,佐久・小県の中山道沿いでは蓼科山の存在も大きいでしょう。しかし,やっぱり浅間山にはかなわない。藤村の「千曲川旅情の歌」にも印象的に登場するしね。

けれども,「北信」の善光寺平に入ると浅間の影は薄れます。
ここでは「北信五岳」と呼ばれる 飯縄・戸隠・黒姫・妙高・斑尾 が地域を代表する。中で抜きんでているのは飯縄山でしょうかね。妙高山は新潟県に属します。
ただしこれは飯縄山の足元の長野市というよりは,千曲川右岸の須坂・小布施・中野あたりからの視線です。
長野市内からは背後の飯縄山よりも前に広がる草津白根,四阿(あずまや)などの山の方が印象は強烈。
さらに,北信の中で豪雪地域と少雪地域とを分ける「高井富士」=高社山の存在も無視できません。

ことほどさように,長野県内で“どれか1つだけに絞る”というのはほぼ絶望的に不可能。だから,“あの投票結果”は十分に納得できるものです。
県外の視点から無理やり1つに絞って絞れないことはないでしょうが,それはおそらく地元の人の感覚からは大いにずれてしまいそう。
だから,

都道府県プロフィールのメニューとして、「都道府県を代表する山(落書き帳選定)」「都道府県を代表する川(落書き帳選定)」を作ってみようかなと思っています。ついでに「都道府県を代表する作家(落書き帳選定)」も。

これは面白そうな企画だけど,「1つに絞る」というのは避けた方がいいかなと思います。
これは努めて“主観的”な世界の話で,いかなる「客観性」も入り込む余地のないもの(流域面積とか人口とかの数字を持ち込んでどんなに「客観性」をよそおってみても,その数字の選択や扱い方に既に“恣意”が入り込んでいます)ですから,結局は自分の感覚に合うか合わないか,という話に行きついてしまう。
よほど圧倒的,絶対的な存在感を持つものでなければ,“万人が納得する”ものにはまずならない。
だからに,無理に1つに絞るのはよしましょう,というのが私の意見です。

なお,県歌「信濃の国」に登場する山は,“国の鎮め”の御嶽・乗鞍・駒ヶ岳,そして浅間。…地域的に偏りがありますね。別のところでは“月の名に立つ”姨捨山(冠着山)が登場します。「碓氷山」というのも登場しますが,これは「峠」。しかも歌われているの(穿つ隧道二十六)は,この歌には珍しく“県境の向こう”の群馬県部分ですね。
[78675] 2011年 7月 2日(土)02:34:29Issie さん
混声合唱組曲「筑後川」
当該記事の該当部分はすでに削除されているので引用はしませんが,

もうかなり昔のことですね,国鉄総武線の津田沼以遠がまだ複線で,地べたを走っていた稲毛駅では貨物扱いをやっていて,駅の近くのアルコール工場や専売公社のたばこ倉庫から,アルコールになりかけのサツマイモの甘い匂いや倉庫に集積されたたばこの匂いが風に乗って流れてくる,某中学校に通っていたころ,音楽の時間に合唱で「筑後川」の最終曲を習いました。
後で高校生になってからこの組曲の全曲を通して聴いたとき,中学校で教わったときはただのピアノ前奏部だと思っていた旋律が最初の曲の歌いだしに対応しているのに気付いて,なるほど「組曲」とはこうした綿密な計算の上に構成されるものなのか,と初めて納得しました。
…というのは,その書き込みを読んで改めてこの合唱組曲のCDを聞いて思い出したことです。
もともとこの合唱組曲は地元のタイヤメーカーの肝煎りで作られた曲ですが,やはりローカル色の強いものですね。
その筑後川,上流は熊本県だったり大分県だったりするし,下流は県境で佐賀県も十分に潤しているのだけど,やはり名前のせいか,福岡県の印象が強いですね。とは言え,それでは福岡・博多地域や筑豊・北九州が抜け落ちるのですが。

で,言いたかったことは,よそ者の私には「クリーク」というと,どちらかと言うと福岡県側の方がイメージが強いかな,ということ。
何よりも,高校の授業が終わった後に通った予備校の帰り,「全国の地形図が見られる(←買うのではない)」というので寄り道をした改装直後の神田・三省堂書店の地図コーナーで見た5万分の1「羽犬塚」図幅の強烈なイメージがあるからです。画面いっぱいに広がる不規則なようで規則的な,規則的なようで不規則な水色のクリーク網にびっくりしたものでした。
もちろん佐賀県側にもクリークはあるわけで,福岡県側の独占物でないことは十分に承知していますが,北原白秋の詩で刷り込まれている柳川(柳河)の風情もあわせて,私には福岡県側のイメージの方が強い,
という,そんな話…。

と言いつつ,実はこちらの方が本題に近かったりするのですが,

[78674] 実那川蒼 さん
市区町村変遷情報の誤り指摘だけを長々と書き込んだ、読んでいて退屈な記事よりもよほど価値あるものだと思っていたからです。(中略)メールでも済むのではないか?

私は逆に,これは個人的なメールではなく公開の場で交換されるべき情報だと思っています。正直なところ,私は読み飛ばしていますが(ごめんなさいね),これは開かれた場で蓄積されていくことにこそ意義がある情報だと考えます。
見えないところで,いつの間にか“直っている”というのは,こういう情報には不適切かな。どのように訂正(修正)されてきたかを跡付けることも重要な情報だと思います。
[78661] 2011年 6月 29日(水)20:24:41Issie さん
ときはいま あめのしたしる 五月かな
[78658] 白桃 さん
実は私も、亀岡市と亀山市を混同することがあります。

もともと「亀山」ですからね。
明智光秀といえば,「丹波亀山」。
今の「亀岡」を知らずに歴史の方から入っていけば,「亀山」なのもむべなるかな。
「亀山藩」が明治2(1869)年の版籍奉還後の知藩事任命に前後して「亀岡藩」に改称して今に至るものですが,これは伊勢の「亀山藩」に対する同名回避によるものと思われます。
類似例は全国に多数。
中には,安房の 勝山藩 → 加知山藩 → 加知山村 → 勝山村(→鋸南町)と,元の名前に戻っちゃった所もありますけどね。

でも何で伊勢が残って丹波の方が改称させられたかというと,やっぱり地元以外では不人気の明智光秀のせい…,だったりするんでしょうかね。
[78608] 2011年 6月 21日(火)21:51:31Issie さん
防鴨河使
[78597] futsunoおじ さん
都道府県を代表する山と川

[78604] N-H さん
ここは香川県の屋島よろしく、鋸山を提案させていただきます。

「地理」的には“超一等三角点”の鹿野山を推したいところですが,南関東における一般的な知名度から言えば N-H さんの御意見に賛成です。
川は難しいですね。養老川は小櫃川や小糸川,外房の夷隅川などと並ぶ“房総の大河”ですが,せいぜい(郡制施行のための郡統合以前の)郡単位のローカルな川です。やはり“外来河川”の利根川・江戸川に頼らざるを得ない。でも,江戸川は「寅さんの柴又」に取られてしまった感も無きにしも非ず。本当は 矢切の渡し は「野菊の墓」のこちら=千葉県側のもの,と言いたいところですが。

東京都を代表する川としては隅田川をあげたくなるのは人情ですね。

「水系」にこだわることをやめれば,都市・東京の川は,やはり隅田川以外にあり得ません。「荒川」と呼ばれている川の東京都区間は,そもそも人工の放水路ですから,どんなに規模が大きくても,それは“家の裏側をひっそり流れる川”。顔,ではないと思います。
ところが,これが「三多摩」を加えた東京“都”となると,話が変わる。多摩にとっての川は多摩川以外にあり得ず,隅田川・荒川なんて“東京都”の端っこをながれるだけの川です。
多摩川なら,田園調布や六郷・羽田の景観に欠かせない川だし,そもそも江戸・東京自体が玉川上水の水に潤されてきたのだから,多摩川の方に軍配が上がるかも。

似た構図は,京都“市”対京都“府”にも言えます。そして,こちらの方がもっと複雑。
平安時代の“令外官”に「防鴨河使」という役所がありました。「防河使」とも書いて,どちらも「ぼうかし」と読むのが古来の習わし。字のとおり,京都を鴨川の洪水から守る防災官庁ですが,「河」一字だけで「鴨川」を表してしまうあたり,本家の中国で「河」一字で「黄河」を意味するのと同じく,京都にとっては良くも悪くも鴨川なしにはあり得ない。
だから,「“京都”の川」と言えば,当然に鴨川を挙げなければならないでしょう。
けれども,京都“府”の川となると,話が違う。さらに東京都以上に難しいのは,三多摩を貫流する多摩川のような存在が京都府にはないこと。
“山城”だけ,というなら宇治川もいいですが,盆地全体を貫流する木津川の方が上に来る。
でも丹波・丹後の両丹地域は別世界。「桂川」はそれを慮っての選択かもしれないけれど,如何せん,この名前は京都盆地での名前。「保津川」と言ってみても,この名前の区間も短いですね。この川を何とお呼びするのが適当か。
そうするとやっぱり 由良川 が浮上するけれど,結局はこの川が“京都府全体”においてどれほどの存在感を持っているかにかかります。

その点,やはり構図の似ている大阪府では淀川の存在感が圧倒的だし,兵庫県に場合は摂津地方は神奈川県の鶴見川同様,あまり気にしなくてもよさそう(武庫川があるけど)。でも,私は 加古川 よりも“そうめんのブランド” 揖保川 を推したいな。

山梨県の富士川,奈良県の大和川は,水系としてはそうだけど,この名前で流れているのは盆地を出て,もう隣りの県(府)に入るころですね。肝心の(どちらも)「国中」ではその名前では流れていない。山梨県の場合は,笛吹川と釜無川のどちらに軍配を上げるか。
もっと難しいのは奈良盆地で,個々の川は決して大きくない。竜田川とか初瀬川とか飛鳥川,佐保川,とそれぞれに名のある川はあるのだけど,“代表”というにはやはり小さい。どうあっても吉野川や十津川,北山川には逃げたくないところですが。

五木ひろし(千曲川)と三橋美智也(石狩川)には異論ありません。「北上夜曲」は歌っている人が多くて。
さとう宗幸(広瀬川)も挙げたいところですが,やはりこれは仙台市の川。宮城県全体では“宮城郡ローカル”なんでしょうね。
[78595] 2011年 6月 19日(日)21:34:41Issie さん
みとる
「たぎる」と関係ある話かもしれません。

もう四半世紀前になりますが,教育学部の学生であった私は長野県内の中学校と小学校で6週間の教育自習をしていました。
実習では自分の授業をするたびに前もって指導案(教案)を書かされます。そこに 学習内容・教師の動き・子どもたちの動き などを45分の授業の流れに沿って書くわけですが,そこでは決まり事のように「子どもたちの動きを“みとる”」という表現をよく使いました。
これは長野県内の教育関係者の間ではごく普通に使われる表現で,私たちもあまり疑問に思わずに使っていたのですが,どうもこれはよその地方の人が聞くとかなり違和感を感じる表現らしい。
なぜなら,「みとる」というのは多くの地方で(“標準語”ないし“共通語”でも)「死者を看取る」という意味で使うのが普通であって,元気に生きている子どもたちに対して使う言葉ではない,という意識が働くからのようです。
上ではわざと“ひらがな”で書いたのですが,長野県の学校で使われる「みとる」は漢字で「見取る」。言われてみれば,現代の“標準語”にない見慣れぬ単語では決してないけれど,確かにあまり使わない表現かもしれません。珠算検定の「見取り算」くらいかも。

結果として,「みとる」というごくありふれた単語なのだけども,実際には微妙な意味のズレがある。もしかしたら,その地方では当たり前と思われている意味が,ほかの地方では全く通じない。
こういうことって結構あるのではないかと,今回の「たぎる」を見てふと思ったのでした。


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