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[78599] 2011年 6月 20日(月)07:28:49千本桜 さん
Re:都道府県を代表する山と川
futsunoおじさんが山形県を代表する山に「蔵王」を選ばれたことに同調します。ただ、昔(私がまだ、まじまじと山形盆地の風景を見ることがなかった頃)、山形市在住の方に「山形市民にとっての山はどこですか」とお尋ねしたところ、即座に「月山」と答が返ってきて驚いたのを憶えています。「蔵王」じゃなかったのですね。あくまでも山形市民にとってですが。
ところで[78597]の富士山3376mは、正しくは3776mでしょうね。
[78598] 2011年 6月 19日(日)23:42:47EMM さん
Re^3:地名コレクション地図変換機能追加
[78596] オーナー グリグリ様

例示したデータの含まれる「頭」コレ・「森」コレのいずれも今度は全部変換されました。
このほかの私担当の山頂系のコレクションも変換してみたところ、いずれもうまくいったようです。
対応ありがとうございました。
もしまだ引っかかるパターンが出てきたらご報告します。
[78597] 2011年 6月 19日(日)22:54:13【1】futsunoおじ さん
都道府県を代表する山と川
ひと月前に「都道府県を代表する作家」について([78400] オーナー グリグリ さん)がまとめられていますが、ここでは都道府県を代表する山と川を選んでみました。全都道府県で花や鳥などを定めてあることは知られていますが、山・川といったものは都道府県内の地域性もあるためか公式に定めたものはあまり存在しないようです。(県章・県歌に表現されている県はありますが。)

山については住民に聞いたら返ってきそうな答えを思い浮かべてまとめてみました。(所詮よそ者の思い込みであるかもしれませんが。)観光的知名度のある山、県の中央部にある山、人口集中地域から眺められる山は有利であると思います。各地にある「○○三山」の存在は無視できないところですが今回は単独の山のみを対象にしました。「*」は山頂が他県に属する山です。

都道府県の山   コメント
北海道大雪山 2291m北海道の屋根ということで。
青森県岩木山 1625m対抗は八甲田山。
岩手県岩手山 2038m
宮城県蔵王山 1841m
秋田県*鳥海山 2236m鳥海山は秋田の印象が強い。県内なら秋田駒か太平山。
山形県蔵王山 1841m観光重視。スキーと温泉。
福島県磐梯山 1816m中通りなら安達太良山か?
茨城県筑波山 877m
栃木県男体山 2486m
群馬県赤城山 1828m県境周辺にも多様な山がある。
埼玉県武甲山 1304m両神山との比較が難しい。
千葉県鹿野山 379m知られている山が少ないことで難しい。
東京都*富士山 3776m都内から選ぶなら雲取山か高尾山。
神奈川県大山 1252m丹沢の山か、富士なのか?。
新潟県妙高山 2454m中越なら八海山。弥彦山や米山では弱い。
富山県立山 3015m
石川県白山 2702m
福井県荒島岳 1523m無難に百名山から選ぶが。
山梨県富士山 3776m
長野県槍ヶ岳 3180m浅間山という選択もあるが無難に。
岐阜県穂高岳 3190m乗鞍岳、御岳ではどうなんだろう。
静岡県富士山 3776m
愛知県茶臼山 1415m県の最高峰でレジャー施設も集まっている。
三重県御在所山 1212m最高峰は大台ヶ原山。
滋賀県伊吹山 1377m身近な存在では武奈ヶ岳?
京都府比叡山 848m歴史、観光を重視して。
大阪府金剛山 1125m
兵庫県六甲山 931m
奈良県大峰山(八経ヶ岳)1915m
和歌山県龍神岳 1382m護摩壇山の隣に発見された県の最高峰。
鳥取県大山 1729m
島根県三瓶山 1126m
岡山県蒜山 1202m那岐山もあるが。
広島県比婆山 1264m県民の森、ブナ林に囲まれた山。
山口県羅漢山 1109m家族連れでも行ける展望のよい山。
徳島県剣山 1955m
香川県竜王山 1060m讃岐山脈の最高峰。
愛媛県石鎚山 1982m
高知県三嶺 1893m石鎚山系の山との比較で難しいところ。
福岡県英彦山 1200m
佐賀県天山 1046m県の中央部にある名山。
長崎県雲仙岳 1483m
熊本県阿蘇山 1592m
大分県九重山 1791m由布岳も良いが規模の大きさで。
宮崎県霧島山(高千穂峰)1574m霧島山の代表として高千穂峰を推したい。
鹿児島県桜島 1117m霧島山もあるが。
沖縄県与那覇岳 503m沖縄本島の最高峰か県の最高峰か?

無理矢理一つに絞りましたが実際は各都道府県内の地域毎にいろいろな山が存在感を持っているのではないかと思います。たとえば長野県で見ると長野市では戸隠山など北信五岳、小諸市・佐久市からは浅間山、小海線南部では八ヶ岳、大糸沿線の白馬村や大町市では白馬岳から鹿島槍ヶ岳の山並み、安曇野市・松本市からは常念岳、木曽谷の町村では御岳、伊那谷の伊那市・駒ヶ根市では東駒(甲斐駒ヶ岳)/西駒(木曽駒ヶ岳)といった具合でしょうか。なお関東平野南部に住む人にとって富士山の存在感は大きなものでしょう。

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川についてはその都道府県内での流域面積,流域人口といった客観的数値で絞り込むことが出来ますが、観光的要素なども絡むと複雑になります。一つに決められない場合、複数併記又は(なし)にしておきました。なお河川と同様の役割を持つと考えられる湖水その他も対象にしました。代表となる川という以上は都道府県内での流域面積または流域人口の30%以上を一つの目処にしましたが、富山県の黒部川の場合などは数字以上の存在感があるものとして選びました。

都道府県の川  コメント
北海道石狩川人口の半数が居住している
青森県岩木川
岩手県北上川
宮城県 (なし)隣県からの北上川/阿武隈川,県内の鳴瀬川/名取川によって4分されている。
秋田県雄物川 /米代川県内を2分している。
山形県最上川
福島県阿武隈川 会津地方は阿賀川。
茨城県霞ヶ浦県の中央部は那珂川。
栃木県鬼怒川県の北東部以外はいずれも利根川の支流。
群馬県利根川
埼玉県荒川
千葉県利根川
東京都荒川/多摩川どちらかに決めるのは難しいので。(隅田川は荒川水系の川)
神奈川県相模川鶴見川の存在感が不明。
新潟県信濃川
富山県黒部川 川の個性では黒部川 が神通川に勝る。
石川県手取川
福井県九頭竜川
山梨県富士川(釜無川が笛吹川を合流後、富士川になる)
長野県千曲川(梓川~犀川は千曲川の支流) 南部では天竜川が大きな存在。
岐阜県木曽川(飛騨川は木曽川の支流、長良川は木曽川水系)
静岡県大井川 /天竜川富士川は県内の流域が多くない。
愛知県木曽川矢作川/庄内川と比較してどうなのか。
三重県 (なし)代表する川が絞れない。(あえて上げれば宮川かな。)
滋賀県琵琶湖(川としては瀬田川)
京都府桂川(桂川は宇治川の支流) 流域の大きさでは由良川。
大阪府淀川
兵庫県加古川 一つだけとするならこの川。
奈良県大和川 奈良盆地を重視すると。
和歌山県紀の川
鳥取県千代川 三大河川という選択も考えられる。
島根県斐伊川 /江の川宍道湖・中海は斐伊川の水系。
岡山県吉井川/旭川/高梁川三大河川として知られている。
広島県太田川北部は江の川の流域。
山口県 (なし)錦川、佐波川 、阿武川などがあるが絞れない。
徳島県吉野川
香川県香川用水土器川 も大きな川とは言えないので。
愛媛県肱川  重信川もあるけど。
高知県渡川(四万十川)
福岡県筑後川九州を代表する川ということで。
佐賀県筑後川
長崎県 (なし)大きな川がない。
熊本県球磨川白川の存在も大きいが。
大分県大野川隣の大分川との比較で悩む。
宮崎県大淀川 北部には五ケ瀬川 。
鹿児島県川内川 最大の川なので。
沖縄県 (なし)大きな川がない。


※ 富士山の標高訂正
[78596] 2011年 6月 19日(日)21:59:59オーナー グリグリ
Re^2:地名コレクション地図変換機能追加
[78588] EMMさん
変換がうまくいかなかった例としてはたとえば次のようなものがあります。

引数の中の何かが悪さしているような気がします。
ご検討をよろしくお願いいたします。
ご提示いただいた2例は、想定していなかった形式でした。この2例にも対応できるようにしましたので、お手数ですがご確認いただければと思います。よろしくお願いいたします。
[78595] 2011年 6月 19日(日)21:34:41Issie さん
みとる
「たぎる」と関係ある話かもしれません。

もう四半世紀前になりますが,教育学部の学生であった私は長野県内の中学校と小学校で6週間の教育自習をしていました。
実習では自分の授業をするたびに前もって指導案(教案)を書かされます。そこに 学習内容・教師の動き・子どもたちの動き などを45分の授業の流れに沿って書くわけですが,そこでは決まり事のように「子どもたちの動きを“みとる”」という表現をよく使いました。
これは長野県内の教育関係者の間ではごく普通に使われる表現で,私たちもあまり疑問に思わずに使っていたのですが,どうもこれはよその地方の人が聞くとかなり違和感を感じる表現らしい。
なぜなら,「みとる」というのは多くの地方で(“標準語”ないし“共通語”でも)「死者を看取る」という意味で使うのが普通であって,元気に生きている子どもたちに対して使う言葉ではない,という意識が働くからのようです。
上ではわざと“ひらがな”で書いたのですが,長野県の学校で使われる「みとる」は漢字で「見取る」。言われてみれば,現代の“標準語”にない見慣れぬ単語では決してないけれど,確かにあまり使わない表現かもしれません。珠算検定の「見取り算」くらいかも。

結果として,「みとる」というごくありふれた単語なのだけども,実際には微妙な意味のズレがある。もしかしたら,その地方では当たり前と思われている意味が,ほかの地方では全く通じない。
こういうことって結構あるのではないかと,今回の「たぎる」を見てふと思ったのでした。
[78594] 2011年 6月 19日(日)21:08:54Issie さん
小田切さん
[78590] 伊豆之国 さん
「田切」の付く苗字に「小田切」さんがあります。

そう言えば,長野市に「小田切」という地名があるのを失念していました。
国道19号を犀川に沿って下り長野盆地に出る直前に「小田切ダム」というダムがあります。このダムのすぐ下流で「両郡橋」(←更級郡と上水内郡にまたがるので)を渡ると急に視界が開けて善光寺平に入ります。
「小田切ダム」の名前は,ダムサイトの北岸(左岸)が長野市編入前の上水内郡小田切村に属するからですが,谷底の国道沿いにはめぼしい集落がありません。別にダム湖に沈んでしまったからではなくて,元からない。旧小田切村の中心集落は山のずっと上,北側を流れる裾花川の谷との間の尾根の辺りにあります。
で,「小田切」というのですが,どうもここの地形は伊那谷の典型的な「田切」とはだいぶ違う地形です。何よりここには地すべりによる緩斜面が散在してそこに集落があるのですが,伊那谷のような広い平坦面は存在しない。“若い谷”が発達している,という点は共通するのですが,その谷が侵食するのはここでは平坦面ではなく山なのですね。
もしかしたら,「小田切」の“小”の字に秘密があるのかもしれません。

[78589] hmt さん
自然災害に直面し、逆巻く急流により侵蝕され、耕地が分断される姿を目撃した人々が、これに「田切り」という字を当て、

[78582] で私は「若い」という表現を使いましたが,この“若さ”は言うまでもなく“地形形成史”の中での若さであって,これに比べたら人類全体の歴史など“一瞬”にならないほど若いものです。
30年ほど前の台風の集中豪雨で釜無川上流の河床が侵食されて一夜にして グランドキャニオンのような景観 が生まれたことがありました。1984年の長野県西部地震では,王滝村で一瞬のうちに山が抜けて集落が分断される災害が起きました。2004年の中越地震でもよく見られた光景ですね。
とは言え,これで伊那谷の「田切」のような地形が生まれるわけではありません。どんなに集中豪雨が繰り返されても,せいぜい120年の私たちの一生の間に「田切」のような深い谷に成長するはずもありません。
本家アメリカ・コロラド高原のグランドキャニオンは壮大な「田切地形」と言えなくもないのですが,これは何億年もかけて作られたものです。
信州の「田切」はもちろんそれよりも遥かに“若い”ものですが,それでも人類がそこに来たときには既にあったものだと思います。恐らくは目の前で「田が切られる」光景を見てついた地名ではない。もし現実の災害を目の当たりにして生まれた地名であるならば,それはもっと別のところに分布したのではないか。
たぶん「田切」というのは,既にそのような形になっている地形を人々が利用し始めてから,「田が分断されているように見える」様を見て生まれた地名なのだろうと考えています。
[78593] 2011年 6月 19日(日)19:53:45オーナー グリグリ
40歳未満で就任した首長の一覧
[78547] グリグリ
次に考えたのは、現状の就任年齢順をベースに、同一人の情報は最初の就任年齢のデータに複数行にしてまとめる方法です。新設合併のケースも厳密に分離してまとめます。
と任期が1減(新下関市長就任時は48歳のため)ということになります。
このような40歳以上のケースも掲載するようにして、個人のその後の経歴が分るようにするのも意味があると思います。国会議員履歴も参考に掲載すると面白いでしょう(ますます地理そのものからは離れていくかもしれませんが)。
この方針で40歳未満で就任した首長の一覧を再編集してみました。いかがでしょうか。

まだまだ調査が不足していると思いますが、首長に40歳未満で就任した人の経歴にもいろいろあって、なかなか面白いです。[78503]でむっくんさんが言及されている、村山内閣で大蔵大臣を務めた武村正義氏は、八日市市長を1期務め、滋賀県知事を3期務めたあと、衆議院議員になっています。市町村長を経歴したあと知事や国会議員になる事例が多いですが、現在の中村時広愛媛県知事は、33歳5ヶ月で衆議院議員に初当選し1期務めたあと、39歳3ヶ月で松山市長に転身し3期務め、2010年、50歳10ヶ月で愛媛県知事に当選しました。また、[78513]でBANDALGOMさんが言及された前横浜市長の中田宏氏も、28歳9ヶ月の若さで衆議院議員に当選し3期務めたあと横浜市長を2期務めています。

首長を務めたあと地方議会議員に転身する人もいます。元石川県花園村長 故今井源三氏(元石川県議会議員)、元石川県鳥越村長中川石雄氏(元石川県議会議員)、元石川県河内村長田中博人氏(現石川県議会議員)、元愛知県西春町長太田考則氏(現北名古屋市議会議員)、元愛媛県東予市長青野勝氏(現愛媛県議会議員)、元愛媛県長浜町長西田洋一氏(現愛媛県議会議員)、元高知県夜須町長清藤真司氏(現高知県議会議員)の7例です(EMMさんの調査成果が大きいです)。ただ、地方議会議員のデータまでは今のところ記録していません。また、途中落選して復活したケースは分けて記録しています。元愛媛県長浜町長西田洋一氏の町長記録と、元福井県今立町長若泉征三氏の衆議院議員記録が該当します。
[78592] 2011年 6月 19日(日)16:25:46にまん さん
原則のほうが少数
[78588] EMM さん
統一地方選挙の場合は
但し、任期満了に因る選挙が地方公共団体の長の任期満了の日前に行われた場合において、前任の長が任期満了の日まで在任したときは前任者の任期満了の日の翌日から
に該当する例が多いんじゃないでしょうか。

私の発言は多少言葉足らずでした。
原則というのは、あくまで規定上の話で、任期満了に伴う選挙は、空白期間を作らないために、任期満了前に行われるのが普通ですから、実際は統一地方選に限らず、上記条文の但し書きによる場合の方が多いことになります。
[78591] 2011年 6月 19日(日)16:02:47hmt さん
平地の呼び名 (1)平野は海に臨むものと思っていたが…
[78296] futsunoおじ さん
越後平野と新潟平野の呼称 によると、「越後平野→新潟平野」に変わった時期は昭和34~35年(1959-1960年)頃。「新潟平野→越後平野」になった時期は平成1年(1989年)前後という推測が成り立ちます。
以上は学校教科書(中略) 国土地理院では(中略)一貫して「越後平野」を使用している可能性があります。

興味ある資料のご紹介、ありがとうございます。
私は、[53457]に引用されている
3 平地にあってはその主邑の名をとる(例 大阪平野 山形盆地)。
という原則により、新潟平野が使われていると思っていた時期があるのですが、当の国土地理院は 一貫して 「越後平野」だったのですね。

原則3の前に、長年の全国的習慣に従う 原則1があり、越後平野は 関東平野と同じく、全国的呼び名として 別格扱いされていたことを認識しました。

なお、文部省検定の基準に 「主邑」原則があったのか 否か は知りませんが、現実に「新潟平野」や「姫路平野」が 使われていた 昭和46年文部省検定済地図帳でも、石狩平野・勇払平野・津軽平野・庄内平野・関東平野・砺波平野・濃尾平野・伊勢平野・出雲平野・讃岐平野・筑紫平野など、この原則に 従わない名の平野は、意外に多数ありました。

国土地理院も教科書も 「奈良盆地」なのですが、その別名として 「大和平野」という言い方があり、平野コレクション にも収録されています。
2006年7月末から8月にかけて 大論争?になった地名ですが、その中の 私の記事[53057]で、主要自然地域名称図(昭和29年3月地理調査所)に記された 「自然地名の普通名称的な部分の定義」を 紹介しました。
平野 海に臨む平地に対して用いるものとする

つい最近まで、私は この定義を信じていたのですが、昨年から Webで閲覧可能になっている ナショナルアトラスの中に、上記主要自然地域名称図の改訂版 と思われる資料があることを知りました。
[78296]からのリンク(1977年版)でもよいのですが、1990年版による 地形分類・自然地域の名称 を改めてリンクしておきます。

日本国勢地図帳(1990) 2自然 2自然地域の名称
長年にわたり広く慣習的に使用されているものを名称として採用した。これらの名称は、国土地理院発行の20万分の1地勢図、またはそれより小さい縮尺の地図に注記するために定められた。しかし一般にはこれらと違った名称が用いられることもある。
この自然地域の種類と定義は次の通りである。【以下、山地など10項目】
平野:起伏がほとんどなく、平坦な低地のひろがる土地をいう。
盆地:周囲を山地または丘陵によって囲まれた平坦な土地をいう。

平野は「平坦な低地のひろがる土地」となっていますが、慣習的には 沖積低地だけではなく、台地・段丘も含んで用いられますから、“低地”をあまり厳密に解釈すべきではないと思われます。

昭和29年(1954)にあった「海に臨む」という要件が削除されていたことを初めて知りました。
では、海に臨んでいない平野があるのか?
日本国勢地図帳の図2.2を見ると、富山平野に隣接する 砺波平野が 唯一の事例?

もちろん、問題の大和平野[52889]が国土地理院に採用されることはなく、奈良盆地でした。
[78590] 2011年 6月 19日(日)14:16:02【1】伊豆之国 さん
十番勝負(番外・消滅市編)【第四回採点】&小田切さん、片桐さん
始めに、[78482]のクイズの第四回採点を行います。

○ 石川市 [78581] k-aceさん 5位(暫定)

締め切りは25日(土)を予定しています。

さて、
[78581]k-aceさん
「田切」って地形名だったのか
[78582]Issieさん
「田切」地名が特に伊那谷に集中
地元信州の郷土地理家が「田切地形」という語を多用しています
「田切」の付く苗字に「小田切」さんがあります。全国に1万3千人ぐらいと見られますが、山梨県と長野県に多く、この両県で全国の半数近くが集まっています。全国最多の山梨県では、県ランク70位台に入り、甲府盆地の中央部に固まって分布しています。特に多いのが甲斐市で、200件ほどが密集し、市内6位に入ります。しかし、県内の他の地域ではほとんど見られません。長野県では、宮田村が最も多く、110件余りが集まり村内最多の苗字になっています。しかし、「田切」地名の多い伊那谷では、宮田村に隣接する伊那市・駒ヶ根市にある程度見られる他はほとんど見られず、かえって「田切」地名が余り見られない([78582]Issieさん)北信地域に結構あり、飯山市と中野市には共に40件内外見られ、市ランク100位以内に入ってくるのが面白いところです。
同じ「おだぎり」でも、「小田桐」と書く苗字もあり、全国に8千人余りと見られますが、こちらは圧倒的に青森県、それも津軽の苗字で、全国の6割が集中、県ランクでも60位以内に入ります。市ランクでは平川市が最高で9位、数の上では弘前市が最多です。
「桐」というと、「片桐」さん。信州伊那谷の地名(松川町と中川村にまたがる自治体越え地名)がルーツとされ、付近の地形から「田切」地名と関係ありそうです。豊臣家に仕えた武将・片桐且元もルーツをたどるとこの地に行き着くとのことです。現在「片桐」さんは全国に約4万6千人、信越地方が最も多く、山形県や岐阜県でもある程度多く見られます。長野県根羽村では80件余りが集まり村ランク2位、村民の約2割が「片桐」さんです。実数では新潟県長岡市の270件余りがおそらく最多と思われます。
[78589] 2011年 6月 19日(日)12:09:14hmt さん
たぎり落つ涙
[78582] Issie さん
イメージ的には河岸段丘や火山山麓の平坦面を新たに侵食した川が作る若くて細長い谷

「たぎる」という言葉自体は、逆巻く急流という感じで、「煮えたぎる」などという形でも よく使われます。
しかし、自然災害に直面し、逆巻く急流により侵蝕され、耕地が分断される姿を目撃した人々が、これに「田切り」という字を当て、たぎり落つ涙を流した過去を思うと、この ローカル地形用語に 単なる語呂合わせでは済まされない切実感を感じます。

主として急流に使われていた「たぎる」→「たき」は、垂水(たるみ)に代って「滝」に使われるようになりましたが、「たぎる」は単に上から下への水流ではなく、「みなぎる」と同様に、下からも湧き上がるイメージがあります。
[78588] 2011年 6月 19日(日)11:09:42EMM さん
彼は任期者
[78579] オーナー グリグリ様
EMMさんが永井白峰村長の就任日を4月29日と判断した根拠は前任者の退任日の翌日からと言うことですが、平成13年度版の全国市町村要覧を確認したところ、永井村長の就任日は4月30日になっていました。
広報しらみねではその前の織田村長の退任が4月28日と書いてあったのですが、これも4月29日が休日であることからすると実際には「最終登庁日」であったと言う事かもしれません。
全国市町村要覧の方が確実性が高いのではないでしょうか。

[78584] にまんさん
首長の任期の起算点ですが、公職選挙法に以下の規定があります。原則は(当選確定日ではなく)選挙日なんですね。
統一地方選挙の場合は
但し、任期満了に因る選挙が地方公共団体の長の任期満了の日前に行われた場合において、前任の長が任期満了の日まで在任したときは前任者の任期満了の日の翌日から
に該当する例が多いんじゃないでしょうか。
実際、話題に挙がっている旧白峰村の村長選挙は統一地方選挙でした。
[78587] 2011年 6月 19日(日)10:59:48EMM さん
Re:地名コレクション地図変換機能追加
遅くなりましたが、Mapionスクロール地図からウォッちずへの変換を追加しましたのでご利用ください。
ありがとうございました。
私の場合、地形名はほとんどが旧Yahoo!地図なので一瞬使い方に迷いましたが、地図リンク変換のチェックを4つとも入れると旧Yahoo!地図のURLからウオッちずのURLに変換される事に気付きました。
何か規則性があれば対応ができるかもしれませんが…
「岬」コレの石川県のあたりを見てもらうとわかりやすいのですが、法則性はないようです。
さらに言うと、これはURL変換に際して出て来た問題ではなく、現状の旧Yahoo!地図のデータですでに発生していました。
(専攻して置き換えた状態にしようとしたのですが、位置ずれの状態を見て頂くために旧Yahoo!のままにしてあります)
以前たもっちさんに位置ずれ問題の修正システムを作って頂いた際にすでにあった(つまり、一定の法則に当てはまらない位置ずれがあった)のか、あるいはどこかのタイミングで第2次位置ずれ問題が発生していたのか(Yahoo!地図は頻繁にシステム見直ししてますから…)、今となっては分かりません。
いずれにしても、地名コレクション地図変換機能はきちんと置き換わっていると言う事ですので、グリグリさんの方で対応して頂く必要は無いと考えます。

それから、山頂系のコレクションを変換してみて気がついたのですが、Yahoo!、Mapionともにうまく変換されないURLが存在するようです。
変換がうまくいかなかった例としてはたとえば次のようなものがあります。
ウドノ頭 http://map.yahoo.co.jp/pl?type=static&lat=36%2F42%2F39.593&lon=137%2F36%2F40.295&fi=1&skey=%c9%d9%bb%b3&pref=%c9%d9%bb%b3&kind=%bb%b3%a1%a2%c0%ee%a4%ca%a4%c9%a4%ce%bc%ab%c1%b3%c3%cf%cc%be&size=s
運玉森 http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=Air&uc=1&scl=70000&el=127%2F45%2F06.368&pnf=1&size=500%2C500&nl=26%2F12%2F31.866
きちんと置き換わる例としては…
堀米頭 http://map.yahoo.co.jp/pl?type=static&lat=39%2F49%2F12.698&lon=141%2F27%2F06.804&layer=0&fi=1&kind=%bb%b3%a1%a2%c0%ee%a4%ca%a4%c9%a4%ce%bc%ab%c1%b3%c3%cf%cc%be&skey=%c6%ac&sc=5&size=shttp://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=394923&l=1412654
瓢箪島 http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=Air&nl=27/07/27.782&el=142/10/53.173&scl=70000&coco=27/07/27.782,142/10/53.173http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=270743&l=1421042
引数の中の何かが悪さしているような気がします。
ご検討をよろしくお願いいたします。
[78586] 2011年 6月 19日(日)07:38:54オーナー グリグリ
地名コレクション地図変換機能追加(Mapionスクロール地図 → ウォッちず)
[78456] EMMさん
地図リンクの変換機能の増強、ありがとうございます。
希望としては同じく引数がシンプルい、ウオッちずへの変換もできるようになるとありがたいのでご一考頂けると幸いです。
(Mapionは自然地形名がやや弱いので…)
遅くなりましたが、Mapionスクロール地図からウォッちずへの変換を追加しましたのでご利用ください。
あと、不具合報告ですが、Yahoo!地図の古いリンクで「CE.x=○○○&CE.y=○○○」と言う引数を含んでいるものの中には場所がずれてしまうものがあるようです。
症状が現れたデータの作成時期から考えて、たもっちさんに作ってもらった補正システムで修正した「位置ずれ問題が起きた際のURL」で起きているようです。
これは手作業で修正せざるを得ないようです。件数が多いとちとキツいかも…
何か規則性があれば対応ができるかもしれませんが…
[78585] 2011年 6月 19日(日)06:00:31オーナー グリグリ
k-aceさん、感謝_o_
[78581] k-aceさん
中川・前加西市長のtwitter削除お願いします。新市長はtwitterやる気ない?
お知らせありがとうございます。前市長は削除しました(twitterアカウントも削除されていましたね)。新市長はとりあえず(未ツイート)として追加しました。同じ(未ツイート)の深浦町役場と合わせて、もう少し見守っています。1ヶ月程度で再確認して、未ツイートのままであれば削除したいと思います。
後、バグのお知らせ。
書込ランキング(2011年6月)がおかしなことになってます(全体的に明らかに少ない)。先月の落書き帳のバクあたりから書込ランキングの異常はあったんですが(各月の合計書込文字数と全期間累計書込文字数の不一致)。
ご指摘ありがとうございます。[78403] の障害復旧にミスがあったことが分りました(一部の書き込みの年月日が不正になっていました)。修復しましたので、現在は正しく表示されていると思います。ご確認いただければ幸いです。本当に助かりました。今後ともよろしくお願いいたします。
[78584] 2011年 6月 18日(土)21:32:30にまん さん
任期の起算点
[78579] オーナー グリグリさん

首長の任期の起算点ですが、公職選挙法に以下の規定があります。原則は(当選確定日ではなく)選挙日なんですね。
(地方公共団体の長の任期の起算)
第二百五十九条  地方公共団体の長の任期は、選挙の日から起算する。但し、任期満了に因る選挙が地方公共団体の長の任期満了の日前に行われた場合において、前任の長が任期満了の日まで在任したときは前任者の任期満了の日の翌日から、選挙の期日後に前任の長が欠けたときはその欠けた日の翌日から、それぞれ起算する。

なお、以前にも話題が出ましたが、辞職して立候補し、当選した場合についてですが、今回調べたところ、以下のような規定が見つかりました。要するに、辞職した人が当選した場合は、選挙はなかったものとみなされるようです。
(地方公共団体の長の任期の起算の特例)
第二百五十九条の二  地方公共団体の長の職の退職を申し出た者が当該退職の申立てがあつたことにより告示された地方公共団体の長の選挙において当選人となつたときは、その者の任期については、当該退職の申立て及び当該退職の申立てがあつたことにより告示された選挙がなかつたものとみなして前条の規定を適用する。
[78583] 2011年 6月 18日(土)21:23:01N-H さん
水島港
[78576]hiroroじゃけぇ さん
水島港で「穀物」というのは岡山県人の自分でも、すんなりとは飲み込めませんでした。というのも、イメージとして「工業港」である水島港で、「穀物」とはなんともミスマッチであったからです。
数年前、仕事で何度か水島港に何度か赴きあのあたりをうろうろしたのですが、いくつかかなり規模の大きな飼料工場や倉庫があり、重工業だけじゃないんだなと思ったものでした。
[78582] 2011年 6月 18日(土)19:26:33Issie さん
田切り落つ異郷の涙 by 藤村
[78581] k-ace さん
私なんぞは「田切」って地形名だったのかレベルですが。由来をいわれてみれはなるほど。

必ずしも「用語」としてきちんとした定義はされていないだろうと思うのですが,イメージ的には河岸段丘や火山山麓の平坦面を新たに侵食した川が作る若くて細長い谷,という程度のものでしょうか。「田切」地名が特に伊那谷に集中し,さらに隣接する八ヶ岳,蓼科,浅間の各火山の山麓緩斜面にも多く見られるので,この辺りをフィールドとする地元信州の郷土地理家が「田切地形」という語を多用しています。
同じ信州でもこのような地形があまり見られない中信や北信では,あまり使われません。たとえば,犀川丘陵は河岸段丘自体は多く分布するのですが,平坦面が断片的に散在しているために「田切地形」はあまり見られないのですね。
同様の地形はほかの地方にも見られます。たとえば鹿児島県のシラス台地などもそうですが,ここでは別の名前で呼んでいるのではないでしょうか。南関東にも似た地形がありますが,ここでは「ヤツ(谷津)」とか「ヤト(谷戸)」と呼んでいますね。
目黒区の「田切(たぎれ)」は,やや孤立した例ではないかなあ。

#後、東京「12チャンネル」(アナログ)か「7チャンネル」(デジタル)かという話もあるようですが…。

私的には,あの放送局は東京タワーの下にあった頃から「東京12チャンネル」ですから,今さら「7チャンネル」には…。7月以降も,私は「12チャンネル」と呼んでいますよ,きっと。
[78581] 2011年 6月 18日(土)18:48:49【3】k-ace さん
空から日本を見てみよう
こんばんは、k-aceです。まずは解答から。
[78539]伊豆之国さん
石川市
第一ヒントで方向性は分かったのですが、あっち方向と勘違いし、東葛市が?状態でした。こっちでしたか。

さて話題の「空から日本を見てみよう」~天竜川・南アルプス~
今回は“当たり”回でしたね。
私なんぞは「田切」って地形名だったのかレベルですが。由来をいわれてみれはなるほど。
それが「飯島町田切」、「宮田村大田切」と地名に。そして飯田線の駅名:田切駅(飯島町)、大田切駅(駒ヶ根市)に。小字まで含めると全国各地に地名「田切」はあるようで。その他にも目黒区にも「田切」はあったようで田切公園(目黒区五本木1丁目)と公園名に名を残しています。

そういや先月末のしまなみ海道(安芸灘とびしま海道・上島町(岩城島~魚島)・安居島(松山市)まで寄り道)は触れられてませんね。普段スポットの当たらない島々を巡っていましたが。尾道市街はちょこっと触れてたのに、来島海峡までで今治市街は無視して終わりましたが。
#長野、広島、愛媛の方々は放送見れないんじゃ…? 我が実家もですが…。
#後、東京「12チャンネル」(アナログ)か「7チャンネル」(デジタル)かという話もあるようですが…。

~首長ツイッター~
グリグリさん
中川・前加西市長のtwitter削除お願いします。新市長はtwitterやる気ない?

後、バグのお知らせ。
書込ランキング(2011年6月)がおかしなことになってます(全体的に明らかに少ない)。先月の落書き帳のバクあたりから書込ランキングの異常はあったんですが(各月の合計書込文字数と全期間累計書込文字数の不一致)。
[78580] 2011年 6月 18日(土)18:25:13オーナー グリグリ
通称と本名
[78550] にまんさん
個人的には、選挙で用いられる名前をベースにして、別に本名がある場合は備考欄か何かで対応した方がすっきりするのではないかと思います。
[78552] 2011 年 6 月 13 日 (月) 14:18:51 hmt さん
市区町村プロフィール の中での正統的処理法としては、市区町村HP(所沢市長の例)で使われている表記に従い、本名は備考欄などで注記するのがよいと考えます。
注釈を付けてみました。「太田 房江/齋藤 房江」「当麻 よし子/当摩 好子」「仲川 げん/仲川 元庸」の3名。他にも、市長のページなどで苗字あるいは名前だけをひらがな表示している例もあったと思いますが、あまり拘り過ぎると煩わしくなるので、この程度にしておきます。
[78579] 2011年 6月 18日(土)18:22:04オーナー グリグリ
首長の任期(就任日)
[78509] EMMさん
そして、広報にもしっかり落とし穴が…実は、広報しらみねには永井さんの初登庁日が平成7年5月1日と書いてあり、この日が就任日かと思いきや、隣の記事をよーく見ると前の村長さんの任期が「4月28日まで」と書いてあり、慌ててメモを書き直しました。危ない危ない。
(4月29日は祭日ですし、平成7年の4月30日は調べたら日曜日でした…)
正確な任期はどうやって決まるんでしょうね。EMMさんが永井白峰村長の就任日を4月29日と判断した根拠は前任者の退任日の翌日からと言うことですが、平成13年度版の全国市町村要覧を確認したところ、永井村長の就任日は4月30日になっていました。これまで就任日を確認していて、公式HPと他の情報(Wikiなど)の間で1日のずれがある場合が散見されます。当選確定日、前任者の任期満了日(の翌日)、初登庁日など、就任日に違いが出ているようです。どなたか正確なところをご教示ください。
[78578] 2011年 6月 18日(土)17:50:22千本桜 さん
富山県出町、五百石と宮城県槻木、金ヶ瀬の共通点
[77087] 88 さん
富山県の市制町村制施行時の情報を上梓予定ですので、引き続きご活用いいただければ、と思います。

市制町村制施行時の情報を見て、富山県の出町(砺波市)と五百石(立山町)は、宮城県の槻木(柴田町)と金ヶ瀬(大河原町)に似た経緯を辿って来たことを知りました。

共通点・第1段階(江戸期)
槻木は入間野村に形成された町場の名。
金ヶ瀬は平村に形成された町場の名。
出町は杉木新村に形成された町場の名。
五百石は松本開(開は村と同義)に形成された町場の名。
ということで、いずれも「村名と異なる名称を持つ町場だった」ことで共通します。宮城県にはこれに類する町場が数多くあります。
ここで素朴な疑問が生じます。江戸期の入間野村に槻木と言う名の宿場町が開設されました。入間野村にあるなら入間野宿でよかろうに、なぜ槻木宿を名乗るのか。なぜ入間野宿を名乗れなかったのか。地名由来を追っても解決しない問題です。柴田町のその道に詳しい人にお尋ねしても、やはり分からないとのことでした。

共通点・第2段階(明治22年 町村制施行時)
入間野村など10村が合併。新自治体は入間野村の町場名をもって槻木村とし、それまでの入間野村は槻木村大字入間野になりました。
平村など3村が合併。新自治体は平村の町場名をもって金ヶ瀬村とし、それまでの平村は金ヶ瀬村大字平になりました。
杉木新村など8村と杉木村の一部が合併。新自治体は杉木新村の町場名をもって出町とし、それまでの杉木新村は出町大字杉木新になりました。
松本開など8村が合併。新自治体は松本開の町場名をもって五百石町とし、それまでの松本開は五百石町大字松本開になりました。
ということで、いずれも「村名を抑えて町場名が自治体名に出世した」ことで共通しています。「入間野の槻木」から「槻木の入間野」へ逆転したわけです。宮城県にはこの類の町場が結構あります。

共通点・第3段階(昭和の合併時)
槻木町は船岡町と合併して消滅。しかし、大字入間野を大字槻木に改称することで、槻木の名を残しました。
金ヶ瀬村は大河原町と合併して消滅。しかし、大字平を金ヶ瀬(大字の字句を冠しないが実態は大字)に改称することで、金ヶ瀬の名を残しました。
出町は周辺5村と合併して消滅。しかし、大字杉木新を大字出町に改称することで、出町の名を残しました。
五百石町は槻木町、金ヶ瀬村、出町より少し複雑な経緯を辿りますが、結果的に大字松本開の区域は大字五百石に改称されています。
宮城県には、第1段階から第2段階へ進展した町場は結構ありますが、第3段階まで進展したのは槻木と金ヶ瀬だけです。くしくも出町、五百石はその仲間でした。通称町場名に由来する地名が生き残る中、公称村名に由来する地名が消されて行く。この現象をどう解釈すれば良いのでしょうか。町場名は強いですね。自分が帰属していた村名を消滅させ、その区域を自分の名に書き換えてしまうのですから。

ここで、村名と町場名が同名の場合はどうなのかという疑問が涌いてきます。例えば、富山県の上市は江戸期の村名が上市で、そこに形成された町場も上市のはずです。現在私たちが上市と呼んでいるのは、村名を引きずった上市なのか、町場名を引きずった上市なのか。どっちなんでしょう。
なんだか疲れてきました。話題を砺波地方の都市間競争に切り替えます。

砺波地域(砺波市、南砺市、小矢部市の範囲を想定)と仙南地域は地勢こそ似ていませんが、どちらも小規模都市がドングリの背比べをしている点で似ています。砺波地域の中心都市って、どこなんでしょう。やはり今でも出町、石動、福光がビッグ3でしょうか。井波、福野がビッグ5にしてくれと言いたげですが、我慢してもらいましょう。

平成17年の人口集中地区または準人口集中地区比較
都市人口数
石動7,625人
福光4,331人
出町3,691人
出町が石動の半分。やはりDID人口は都市の賑わいや中心性の判断基準になりにくいようです。

平成22年分の路線価より、各都市の1平方メートル当り最高評価額比較
都市評価額
出町56,000円
福光50,000円
石動49,000円
こちらの方が判断基準になりそうな気配です。
[78577] 2011年 6月 18日(土)12:47:19【1】伊豆之国 さん
十番勝負(番外・消滅市編)【第三回採点】&浜松市
遅くなりましたが、第三回採点を行います。

○ 清水市 [78565] ぺとぺとさん 銅メダル
○ 新井市 [78566] 星野彼方さん 4位

ところで、[78570]オーナー グリグリさん
たまには解答者になってみましょう
16市だとこの市とあの市は対象外なのかな
解答:東京市
思わぬところから「変化球」が来ましたな‥。
とりあえず「預かり」としておきますが、共通項発表後にご感想をいただくようお願いいたします。

♯これとは別ですが、想定解の見落としに気付き、16市?→17市 としました。

◆第三ヒントです。
「どこかの住所」

[78575]Issieさん
下山ダッシュ みたいな鉄道ネタ
飯田市街の「飯田線先回り」の件、二昔かもう少し前に雑誌「旅と鉄道」の記事に載っていた記憶がありますが‥。これと同様な話として思い出したのが、旧線時代の遠州鉄道の浜松市街。「新浜松駅でタッチの差で乗り遅れた電車に、2駅先の遠鉄浜松駅で追いつく」。当時、国鉄浜松駅の目の前(現在の「アクトシティ」の西側辺り?)にあった新浜松駅(現在は西寄りに移転)と遠鉄浜松駅(こちらも少し移転して現在の遠州病院駅に)との間、直線距離で600mぐらいのところを、新浜松駅から国鉄線に沿って東に進み、「馬込」駅でスイッチバックして北西に遠鉄浜松駅に向かうルート([67600])で、直線距離に比べておよそ3倍近い大回り、この間7-8分を要していて、新浜松駅から遠鉄浜松駅を目指してまっすぐ早足で歩けば、新浜松で逃した電車に追いつく、ということなのでした(実は私も実行したことがあります。もちろん成功でした)。
[78576] 2011年 6月 17日(金)23:52:06hiroroじゃけぇ さん
意見が主流かどうかは人それぞれ
[78563]hmt さん
2003年に JFEスチールに統合された日本鋼管福山製鉄所と川崎製鉄水島製鉄所。
別々だった2社が選んだ立地は 距離的には近いものの、工業地域のブロック化と言えるのかどうか。

現時点ではまだまだという感も強いのですが、地域戦略の一つとしても一体化しようという意識は強いと思われます。その一例が「国際バルク戦略港湾」としての一体整備なのですが、陸の視点からは「倉敷福山道路」というプロジェクトが進行中です。[78567]で星野彼方 さんが挙げられている「笠岡(の道の駅)」は、この「倉敷福山道路」を構成する「笠岡バイパス」に開業するものです。今後、企業が効率的な生産を目差す上で、原材料の供用や融通は必要不可欠で、「工業地域のブロック化」は各地で進行するものと考えています。また、昨今の生産工程の効率化が、実は以前から存在していた計画を後押ししているようにも思えます。この点においては、国策に先見の明があったのかもしれません。ただ、この両都市(倉敷・福山)間においては、hmt さんのおっしゃるとおり、まだまだ一つの「ブロック」として形成されるに至っていないと捉えるのが自然であるとは思います。

国際バルク戦略港湾選定結果 を見ても、次のように、穀物・鉄鉱石・石炭の「ドライバルク3品種」が、今回の制度の対象となる輸入バルク貨物として挙げられています。
穀物:鹿島港、志布志港、名古屋港、水島港、釧路港
鉄鉱石:木更津港、水島港・福山港[78554]
石炭:徳山下松港・宇部港、小名浜港

新聞でこの概要を確認した時、最初は驚きました。水島港で「穀物」というのは岡山県人の自分でも、すんなりとは飲み込めませんでした。というのも、イメージとして「工業港」である水島港で、「穀物」とはなんともミスマッチであったからです。ただ考えてみれば、岡山県最大の港である(旅客ベースでは「宇野港」ですが)ので当然ではあるのですが・・・。イメージに引っ張られてはいけませんね。

[78568]白桃 さん
ちょっと前、と言っても40年ぐらい前に関西出身の”あのねのね”が歌っていた歌詞にも登場するのですが、やはり西日本では「アブラムシ」が主流なんでしょうか?

自分の年代でも、何度かきいたことがあるあの歌。「アブラムシ」にどうやったらなるのか想像できず、理解できないけど面白い歌詞だとしか認識していませんでした。あの「G」を「アブラムシ」と関西では呼んでいるなんて・・・。いや、自分の経験からはそのようなことは聞いた覚えがないので、年代にもよるのでしょう。ただ、やっと誤解が解け、なるほどと思えたのでした。おっと忘れていましたが、西日本「アブラムシ」主流説には疑問符がつきそうです。岡山ではそのように言う人には出会っていません。「G」は「ゴキブリ」、いや「G」であって、それ以外でもそれ以上でもないので。とりあえず今いる環境下では、皆「ゴキブリ」と言っております。

[78569]Issie さん
「ゴキブリ」と言ってもいくつか種類があるようで,どうも北日本と東日本,西日本ではメジャーな種が違うらしい。基本体型は同じようなものでも,色や大きさなどが違っていて,もしかしたら同じ「ゴキブリ」という語で,違う虫を連想しているかもしれません。

「G」の品評会やレースを開催しているところもありますので、見比べてみるのもいいかもしれません。今年は中止になったとかならなかったとか。
[78575] 2011年 6月 17日(金)21:51:57【1】Issie さん
なにもたべないほうが ましでした
[78572] hmt さん
これは、絵本作者の偏見に基づく記述ではないかと想像します。

元々の原文で「あぶらむし」が何を指しているかわからないところで議論してもあまり意味のないことかもしれませんが,ゴキブリは世界の中では非常にポピュラーな食材であるそうですね。何を食べるか,ということは文化の根源にかかわることで,自分たちの感覚に反するからという理由でその地域の食文化を貶めることは極めて不遜な行為です。
私も信州に住んでいた頃,カイコのさなぎや,天竜川つながりで ざざ虫 なんかも度々食べました。残念なことに蜂の子を食べる機会には恵まれませんでしたが。まあ,それなりに美味しいものではありますが,独特の臭みがあって,その辺りで好みが分かれるかな。

もっとも,この絵本のこの表現,作者が本気でそのように思っているなら,それは「偏見」かもしれないけれど,そこまで目くじらを立てることか。子ども心には,「なにもたべないよりは ましでした」が2回続いた後,3度めに「なにもたべないほうが ましでした」と来るところが,とても面白かったのでした。
絵本や童話に限らず,同じ展開を3度繰り返して,3度めは違うところに“落とす”というのは,ドリフのコントもそうであったように,お話づくりの最も基本的なお約束の1つです。ここでも,まずはそのお約束に則っているのだろうと思います。
とは言え,この絵本には別のところで,お話後半で登場する「黄色い目の猫たち」が,ただ1匹特徴の違う「あおい目のこねこ」に対して極めて「差別的」な発言と行動をとる場面があります。あおい目のこねこは,それにメゲない,というのがこのお話の大事な部分の1つなのですが,その部分はやはり結構エゲツない。

そんなことより,「空から日本を見てみよう」。
今回は,「天竜川」という素材がもたらしたものか,いつになく「地形」が話題に上る場面が多く,興味深いものでした。河口西側の砂丘地形から始まって(本当は砂丘としては河口の東側の方が有名なのですが,今のこの御時勢,話題にするには微妙すぎますね),蛇行や中央構造線,河岸段丘から,「田切地形」などという“信州ローカル”な地形用語まで飛び出して来たのには驚きました。実際のところ,伊那谷の地形を語るのに「田切地形」は外せないのですが,それが所詮は関東ローカル局の「12チャンネル」の電波に乗るとはね…。
以前にも一度ここでボヤいたことがあるのですが,NHKが特にそうなんだけど(民放はそもそも,あまりこういう番組をつくらない),どうも日本のテレビはせっかく自然番組を作っても“生き物”の方に流れてしまって,「地理」に留まって“地形”や“気候”をじっくり視せてくれる番組が極めて少ない。
その点では,地形にこだわる「ブラタモリ」が出色なのですが,如何せん,視点がマニアックすぎるのと,何より対象が東京の中でさえ極めてローカルで…。日本地理学会から表彰されたとは言っても,やっぱりねえ。
だから,今回の「空から日本を見てみよう」は私的には“大当たり”でした。
ここの地形の説明には,それぞれ一言二言もの足りなさを感じないでもないけれど,これだけいろいろな地形の実例を視せてくれた辺り,地理教材として十分使えるものに思いました。
もっとも,この番組の特性で,すぐに 下山ダッシュ みたいな鉄道ネタに走っちゃうんですけどね。
そこし恨めし。
[78574] 2011年 6月 17日(金)21:37:40じゃごたろ さん
昆虫食について
こんばんは、じゃごたろです。
たいへんご無沙汰でして、メンバー紹介からもすっかり消えてしまいました。個人的な事情がありましたが一応「復活」を遂げ、久しぶりに書き込んでみようかな、といった感じです。

[78572] hmt さん
現代の日本でも、「いなご」や「蜂の子」は食べられています。

長野県で「はちのこ」は大変ポピュラーな食べ物ですが、私は一匹しか食べたことがありません。労働組合関係の集まりで地元のおっさんが持参したものをいただいたのですが、そのおっさん達が嬉々としているのに対して、私なんかはたいしてありがたみも感じずにお付き合いで食したという程度のものでした。

ところで先日のテレビ番組で飯田市を紹介していた中で「まゆこ(蚕の成虫)」なるものが登場していました。ためしに検索してみたところ『日本の昆虫食』というページにヒットしました。終戦直後に食べられていた様々な昆虫の利用状況の表があります。その利用状況には地域差がありますが(サンプリングに偏りがあるせいという可能性も考えられます)、全国的に食されている昆虫もあります。そしてページのそれ以降は長野県の昆虫食についてが大きく紹介されています。長野県は全国的にも有名な表れなんでしょうか。

さてこの昆虫食ですが、話題として書き込んだだけで、私は好んで食べようとは思ってはいません。。。
[78573] 2011年 6月 17日(金)21:35:29オーナー グリグリ
Re:業務連絡
[78571] むっくんさん
業務連絡を2点ばかり。
ご指摘ありがとうございました。両方とも対応し修正いたしました。BANDALGOMさんのニックネーム統合ができていなかったのは気付きませんでした。ずいぶん長い間放置されていたようで、BANDALGOMさんにはご迷惑をお掛けいたしました。
[78572] 2011年 6月 17日(金)19:08:49hmt さん
川の源流
[78569] Issie さん
これはマズくて「たべないほうが ましでした」。

これは、絵本作者の偏見に基づく記述ではないかと想像します。同じ節足動物の「えび」や「かに」と同等の美味とまでは期待せずとも、 昆虫 は昔からの人類の食料でした。現代の日本でも、「いなご」や「蜂の子」は食べられています。

それはさておき
天竜川。河口から源流までさかのぼる,と言っていましたから,諏訪湖よりも上の八ヶ岳か霧ヶ峰まで行くのかと思ったら,諏訪湖出口の釜口水門まで。

「天竜川」の意味が、その水系に属する河川【普通の用法】だけでなく、水系としての意味 (日本河川協会の 河川図)もあるためでしょうか。
「天竜川水系の源流」についての文献は得られませんでしたが、地図で 諏訪湖に流入する最大河川・上川を遡ると、蓼科山の東の 滝の湯川 あたりが源流ではないかと思われます。

[67664]で写真をリンクした(現在は切れています)「淀川の源」の石碑は、近江若狭国境(北国街道栃ノ木峠)付近にあり、もちろん「淀川水系の源流」(高時川)を意味していました。

日本の内陸湖で 琵琶湖に次ぐものは 猪苗代湖でしょうが、猪苗代湖への流入河川を探っても 阿賀川(大川)の本流には 長さで及ばず、その大川も 本流より長い支流の 只見川に負けます[67150]

本川流路の途中に自然湖がある例として 斐伊川水系 があります。この水系では、天竜川・淀川・阿賀野川など 他の多くの水系と異なり、河口部の 境水道や大橋川 を名乗っていません。宍道湖より上流側の 河川名を名乗っているので、斐伊川源流で問題ありません。

…というわけで、湖がらみで 源流が問題になりそうな河川は、天竜川と淀川くらいのものか。

古代文明を育んだ世界最長のナイル川の源流探しは、昔から行なわれました。
エチオピア高原からの青ナイルの源流は タナ湖でしたが、白ナイルの源流は、19世紀中頃まで不明のままでした。
有名なリヴィングストンの探検の目的にも、ヴィクトリア湖のナイル川源流説確認がありました。
けれども、ヴィクトリア湖にも流入河川がありますから、これで決着 というわけにはゆかず、21世紀の現在も、真のナイル川源流探しは 続けられているようです。
[78571] 2011年 6月 17日(金)18:27:46むっくん さん
業務連絡
>グリグリさん

業務連絡を2点ばかり。

まずは1点目。
市区町村プロフィールのところにある“女性首長の一覧”の説明書きに
過去も含めた女性首長の一覧です。最初の女性首長は1957年(昭和32年)に誕生。
とありますが、1957年(昭和32年)ではなくて1947年(昭和22年)ではないでしょうか。

2点目。
書込ランキングにおいてBANDALGOM さんの過去の書き込み([9906][9907][9909][9910][9978][9980])が、熊虎さんとして別途カウントされていますのでお知らせします。
[78570] 2011年 6月 17日(金)00:17:41オーナー グリグリ
たまには
出遅れましたが、たまには解答者になってみましょう。

[78482] 伊豆之国さん
問一(想定解数:16市?) 原町市、大宮市、東葛市、上野市、八幡市(福岡) (該当する現存の市:大崎市、八幡市(京都))
想定解数が17市または18市であれば紛れがないのですが、16市だとこの市とあの市は対象外なのかな。

解答:東京市
[78569] 2011年 6月 16日(木)21:27:32Issie さん
あおい目のこねこ
今日の東京12チャンネル「空から日本を見てみよう」は天竜川。
河口から源流までさかのぼる,と言っていましたから,諏訪湖よりも上の八ヶ岳か霧ヶ峰まで行くのかと思ったら,諏訪湖出口の釜口水門まで。ま,確かにここが“天竜川の始まり”ですから,これが最も正しい「源流」ですね。

[78568] 白桃 さん
ゴキブリのことを「アブラムシ」って言うことについて、それが地域性の問題なのか、世代間の違いなのか・・・。

ここのところで思い出したのが,子どもの頃に読んだ 「あおい目のこねこ」 という絵本。
もうストーリーは忘れていて,検索してみて,そう言えばそういう話だった,と思い出したのですが,1つとっても強烈に覚えていたこと。
旅に出た子猫(飢えた子猫は餌のネズミがたくさんいる「ねずみのくに」を探しに出たのですね)が途中,空腹のために虫を捕まえて食べる。それが小さいハエや蚊だったりして,腹の足しにもならないのだけど「たべないよりは ましでした」。ところが最後に捕まえて食べた「あぶらむし」。これはマズくて「たべないほうが ましでした」。
子ども心に,「食べない方がまし」なくらい不味い「あぶらむし」ってどんな虫なのか,と思っていました。だって,アリマキのことじゃないよね。
それが“ゴキブリの別名”だと知ったのは,だいぶ成長してから。

これは外国の絵本を翻訳したもので,ここで「あぶらむし」という語に翻訳した せた ていじ さんという人が,どこの出身でどういう「方言」話者なのかも興味深いのですが,「“あぶらむし”は,食べない方がましだった」というのは,原作からのものですね。この作品の原作者は エゴン・マチーセン という人で,名前の“響き”から推測すると北欧の人ではないかと思うのですが,だとすると,北欧では「あぶらむし」はハエよりも蚊よりも「食べない方がまし」な虫なのですね。
問題は,その「あぶらむし」が元々はどういう虫だったか,ということです。やっぱりゴキブリなのかしら。

ひるがえって,再び日本のゴキブリの話。
「ゴキブリ」と言ってもいくつか種類があるようで,どうも北日本と東日本,西日本ではメジャーな種が違うらしい。基本体型は同じようなものでも,色や大きさなどが違っていて,もしかしたら同じ「ゴキブリ」という語で,違う虫を連想しているかもしれません。
そして最近の気候変動の影響か,各地でメジャーな種の交代が進んでいる,なんて話を漏れ聞いたような記憶も…。

名古屋の「御器所(ごきそ)」という地名を初めて聞いてすぐに「ゴキブリ」を連想してしまった私ですが(どちらも「御器」という語に由来するのですよね),ゴキブリの話題も結構奥の深いものです。
[78568] 2011年 6月 16日(木)00:15:01白桃 さん
五期ぶり
今朝から思い悩んでいたことなんですが、ゴキブリのことを「アブラムシ」って言うことについて、それが地域性の問題なのか、世代間の違いなのか・・・。
もちろん、本当の「アブラムシ」とゴキブリは全く違う生物だということは承知しているのですが。
ちょっと前、と言っても40年ぐらい前に関西出身の”あのねのね”が歌っていた歌詞にも登場するのですが、やはり西日本では「アブラムシ」が主流なんでしょうか?
「方言」では片付けられない問題です。

蛇足:この生物ほどヒトに退治される確率が高いものはいないんじゃないか?、また、香川県の母も、新橋育ちの妻も、浦安生まれの娘も・・・必要以上に女性を敵にまわしているこの生物がちょっとアワレにも感じます。
[78567] 2011年 6月 15日(水)22:56:54星野彼方 さん
道の駅塗りつぶしに登録してみた
もうだいぶ前になりますが、[78146] で紹介した、全国道の駅塗りつぶし同好会に登録しました。星野彼方の名前です。

605駅訪問、62.8%という結果でした。

なんというか、近畿、中国、四国は一度コンプリートしているのに、すごい虫食いになってる。どんだけ新規開業しとんねん。夏にまた、岸和田と笠岡に開業するし、大変です。

さて、これから高速千円がなくなるので、ペースが落ちるのは仕方がないところで、ま、ぼちぼちやってきます。
[78566] 2011年 6月 15日(水)22:44:30星野彼方 さん
十番勝負番外編に
[78539] 伊豆之国 さん

新井市

でお願いします。

第一ヒントで共通項がわかって、今日答えようと思い、一通り探して、15市見つけて、残りどこかなぁ、と思っていたらぺとぺとさんに先を越されてしまった。
[78565] 2011年 6月 15日(水)22:07:20ぺとぺと さん
十番勝負?消滅市編に答えてみる その3
[78539]伊豆之国さん
通勤時の頭の体操として楽しませていただきました。
あまり捻りがありませんが、
清水市
ではいかがでしょうか。
[78564] 2011年 6月 15日(水)19:07:29【3】k-ace さん
「日詰」の南に「北日詰」?
こんばんは、k-aceです。
日曜日にJR東日本パスを使って乗りつぶしてきました。山形新幹線(つばさ)、奥羽本線(追分以南:6年前の分とあわせ完乗)、男鹿線、秋田新幹線(こまち)、東北新幹線盛岡以南(はやて)、IGRいわて銀河鉄道の盛岡~巣子(滝沢村)を利用しました。新青森は別の機会に、ということで今回はパス。指定席も2回まで可ということで満席、満席、満席…(指定席とれたけど)。これで岩手県及び盛岡市初訪問(散策)。生涯経県値が147点に。

さて、今回の行程を地図で見てみると、紫波町「日詰」・「日詰西」の南に紫波町「北日詰」・「南日詰」があります。
遡ると
日詰新田→日詰町日詰新田→紫波町日詰・日詰西
北日詰村・南日詰村→赤石村北日詰・南日詰→紫波町北日詰・南日詰
ということのようです。
で日詰駅(1890年開業)は北日詰にあり、日詰付近にあるのは紫波中央駅(1998年開業)。所在地は紫波中央駅前一丁目(交通由来町名コレクション)ですが、この住所は駅開業以降でしょうから最近でしょうね。小学校は日詰小学校(日詰)、赤石小学校(南日詰)ですが。
[78563] 2011年 6月 15日(水)16:42:15【1】hmt さん
国際バルク戦略港湾
[78554] hiroroじゃけぇ さん
「国際バルク港」の話です。ようするに「バラ積み貨物」の拠点港なのですが、水島港と福山港が一体整備となったという話です。

2003年に JFEスチールに統合された日本鋼管福山製鉄所と川崎製鉄水島製鉄所。
別々だった2社が選んだ立地は 距離的には近いものの、工業地域のブロック化と言えるのかどうか。
陸の視点からの工業地域よりも、海からの視点が関係する「国際バルク戦略港湾」としては、確かに複数の港湾の連携が構想されています。

資料 の計画によると、現在の水深では 鉄鉱石積載量 17万t の船までしか入れないが、福山港の整備(12コマ)により 20万t の船を入れ(5コマ)、ここで一部を荷上げして吃水を浅くした後で 水島港にも寄れば、最小の予算で 効果を発揮することができます。

同様の考え方による 複数の港の連携は、木更津港 の大水深化(3コマ)により 満載超大型鉱石専用船VLOC(very large ore carrier)の入港を可能にし、連携港湾と共同配船する(4~5コマ)計画にも示されています。

輸入鉄鉱石の話が先行してしまいましたが、これは「バルク輸送貨物」の一例です。

専門的知識はありませんが、物流を通じて地理を語ることを試みてみます。
物流は生活と産業とを支えています。そして、そこには狭義の「輸送」だけではなく、「包装」「荷役」「情報管理」などいろいろな仕事が付随しています。
規格化された「通い箱」である「コンテナ」の利用は、荷役の機械化だけでなく、包装や情報管理にも便宜を与えましたが、コンテナが万能というわけでもありません。

ある資料によると、全世界で運ばれる海上貨物、年間 82億t のうち、コンテナは僅かに 13億t とのこと。84% にあたる 69億t は、専用船で大量輸送されているのでした。
専用船ならば 個別に包装する必要もなく、荷役も、専用の機械によって可能。これがバルク輸送貨物です。

海上物流の大部分を占めるのが「バルク」と言いましたが、これは、もちろん重量ベースの話です。
我が国の総貿易額 は 100兆円を越えていますが、金額ベースでは、おおまかに言うと、バルク貨物、海上コンテナ貨物、航空貨物がそれぞれ3分の1だそうです。

平成21年度バルク貨物流動調査 の結果が公表されていました。
【追記】
これは 30日間の調査でした。下記の考察のうち、穀物輸入量に関する部分を訂正しました。

5/33コマによると、輸出の半分近くを占めるトップは、自動車(160万t)でした。自動車を 台数でなく トンで数えるのには驚きましたが、なるほど、専用船により、包装なしの「バラ積み?」状態で輸出されています。

輸入の総量 3600万t は、輸出総量の 10倍以上で、金額ベースで評価される貿易収支とは裏腹に、重量ベースでは大幅な輸入超過です(あたりまえ)。
トップを占めるのは、予想通り原油でしたが、それに続く石炭と鉄鉱石とを合わせると46% にもなります。
福山・水島の事例で取り上げられた鉄鉱石は、バルク貨物御三家の一角 を占めていることを 改めて認識しました。

意外だったのは、食料自給率の低いことで問題になっている穀物です。
上位 10品目に現れているのは、麦26万t のみで、これより多いと思われる とうもろこし が出ていません。
別の資料により 2008年輸入量 を見ると、飼料用のとうもろこし1650万t、小麦580万t、大豆370万t、その他を含めて 穀物合計3100万t となっています。
30日間の調査と比較するため便宜上 12分の1にすると 約2600千t になり、穀物輸入量は LNGに代って 重量ランキング4位になります。

国際バルク戦略港湾選定結果 を見ても、次のように、穀物・鉄鉱石・石炭の「ドライバルク3品種」が、今回の制度の対象となる輸入バルク貨物として挙げられています。
穀物:鹿島港、志布志港、名古屋港、水島港、釧路港
鉄鉱石:木更津港、水島港・福山港[78554]
石炭:徳山下松港・宇部港、小名浜港

平成21年度バルク貨物流動調査 7/33コマに現れた港湾名と一致しませんが、これは今回の制度の趣旨が、既にバルク専用港としての整備が行なわれてきた原油輸入基地などでなく、一般貨物も扱っている港における バルク機能拡充 を目指したことによるものと 思われます。

石炭輸入港は、高知県(なぜ?)資料 3頁にあるように、火力発電所や製鉄所の立地とからんでいます。発電所所在県では、徳島県の 橘湾[73385]や 長崎県の 松浦[66821]は示されていますが、熊本県の 天草はありません。
発電所・製鉄所所在県が並ぶ中で異彩を放っているのが、黒崎から坂出に移った三菱のコークス工場がある香川県です。

穀物について選ばれた 釧路港 の宣伝文句(6/18コマ)
釧路港は、北米至近の不凍港であり、関東の港湾と比べ、ガルフ地域からの海上航路が 354マイル短く、1日程度の輸送期間の短縮が可能。

なるほど、北アメリカプレートの半島状先端 にある東日本。アメリカに最も近い港は釧路なのでした。
[78562] 2011年 6月 15日(水)09:01:52がっくん さん
再調査しないとな。
[78532]hmt さん
次は、埼玉県の現役の女性町長。入間郡越生町の町長 田島公子さん です。
就任日、任期満了日、生年月日は、埼玉県町村長名鑑 にあります。


2009年2月に当選されていた・・・ということで2年以上私の一覧から漏れていたわけですね。
申し訳ないです・・・情報ありがとうございます。
定期的に更新情報をチェックしているのですが、一回すりぬけてしまうと次の更新(4年後?)まで気付かない恐れがある今のやり方ではいけないなと思う次第です。
[78561] 2011年 6月 15日(水)05:12:42山野[山野] さん
町道の件、一先ず調べてみます。
[78556]中島悟さん
国道と県道のリストに入っていなければ皆町道
[78559]千本桜さん
町役場で道路台帳を閲覧
[78560]DMさん
役場の担当課に行くのが基本的かつ唯一「正しい」情報を知る方法
まぁ、その方が早そうですね。変な質問して済みませんでした。(今、役場行く予定が無いので序に寄った時でも調べてみます。)

で以って、前日にこういう事件が起きたからか、帰宅する際(夜8時頃)北一色~丈六道付近をパトカーが巡回をしておりました。
(暗がりでバッタリ遭ってしまったので吃驚)
事件が滅多に起きないので、何かなぁ。
(思いつくものと言えば)
・何年か前の事。横井地区で、路上に「鹿」が歩いていた。
・何時か忘れたが、不審者(下着泥)が出た。
・町立図書館が設立されて数年後に離れに設置されているトイレが煙草の不始末で小火があった。
・(祖母に聞いた話)5,60年前に農薬や電車への飛び込み等で自殺者が相次いだ。
・去年の8月、神戸の宮町にある「日吉神社」での事。国宝に指定されている「三重塔」があるんですが、これに落雷しまして一部焼けました。(修繕費用:1千万だったか。)
(事件と言うほどではないが)
・とあるお宅にお客さんが来て、帰りしなに車をバックした所、排水溝に嵌った。(近所で2件)
・小学校の頃。通学路にある「地下通路」の排水ポンプが故障して地下道が水没した。(遠回りする羽目になりました。)

と、まぁ色々ありますが、皆さんの所にもこうした村内の些細な出来事ってありますか?
[78560] 2011年 6月 15日(水)00:18:01DM さん
Re: どれが「町道」なのか?
[78555] 山野 さん
市町村道をWebなどに公開している市町村もありますが、
(例えば http://rosei.city.fukuoka.lg.jp/ )
基本的に[78559]千本桜さんが仰るように役場の担当課に行くのが基本的かつ唯一「正しい」情報を知る方法にあたります。

軒下や階段などを市町村道認定している例もありますし、かと思えば団地などで立派な道が認定されないまま私道のままだったり、普通の市町村道より立派な農道・林道などがあったりして、外観からは判断がつかないことも多々あります。
どう見ても1本の道にしか見えない道路の途中までが市町村道で、残りが私道というのも稀な状況ではありません。

また町村道はさほどでもないですが、大きな市になると年間100本以上の路線が新規認定されたり廃止が行われたりと、何気に異動の激しい存在だったりします。
[78559] 2011年 6月 14日(火)23:22:25千本桜 さん
赤道
[78555] 山野 さん
どれが「町道」(地区内)か分かる方、居られますか?
一番手っ取り早くて初歩的な解決策は、町役場で道路台帳を閲覧することだと思います。私も赤道で悩まされている住民です。(ごめんね、ニジェさん。「思います」を使って。)
話は少し逸れますが、昨年の秋、南三陸町に一泊旅行しました。宿は町の中心部から遥かに離れた漁村の高台にありました。翌日、日の出と共に目が覚めてしまい、ぶらぶらと坂を下って港の辺りを早朝散歩。まだ朝早いのに、港の周りは牡蠣むき仕事をしている人や漁船の出入りで活気づいていました。道ばたで、漁から帰る船を待つおばさんと立ち話。地元の人との立ち話も旅の楽しみの一つです。つい話し込んでいるうちに、宿の朝食時間が近くなっていました。
わたし:○○旅館へ帰るんですが近道はないですか。
おばさん:ほら、そこを入って行けばいいよ。
わたし:でも、あそこは民家の庭ではないですか。
おばさん:いいの、あそこは赤線だから。
わたし:え!赤線?
こんな岬の外れの小さな漁村に赤線だなんて。たぶん0.5秒くらいは私の顔が固まっていたはずです。もちろん、おばさんが言う赤線は赤道のことだと直ぐに推測がつきましたけど・・・。道路か庭か区別のつかない赤線を通って漁村の坂道を登った日から5ヶ月後、あの漁村も大津波に呑まれてしまいました。美しい風景だったのに。おばさん、助かっただろうか。
[78558] 2011年 6月 14日(火)18:27:14むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)島根県(その2)
[78557]の続きです。

134 新設/村制 神門郡大津村 神門郡 大石村, 大津「村」

134 新設/村制 神門郡大津村 神門郡 大石村, 大津「町」
ではないでしょうか。
まず、県令第21号(M22.3.9)(4)では大津「村」となっています。
しかし、県令第21号(M22.3.9)(2)、島根県の地名鑑(PDF)77コマ、新旧対照市町村一覧大日本市町村名鑑大日本全国各府県市町村新旧対照一覧では大津「町」となっています。
そして地方行政区画便覧より明治19年1月現在でも大津「町」となっています。
また島根県統計書(明治19年)18コマ(11)では神門郡の町数は4とあり、この4町とは塩冶町、今市町、古志町、大津町と考えられます([78557]拙稿の#122新設/村制 神門郡古志村での記述を参照願います)。しかし、島根県統計書(明治19年)21コマ(11)より明治19年12月現在では大津「村」となっており、ここでは神門郡の町数は3しかなく矛盾します。
以上を説明するには、資料(11)21コマと資料(4)が大津「町」であるところを大津「村」と書き間違えをしているとするのが一番妥当であると考えます。

135 新設/「村」制 神門郡今市町 神門郡 今市村, 今市町

135 新設/「町」制 神門郡今市町 神門郡 今市村, 今市町
ではないでしょうか。
参考:県令第21号(M22.3.9)

144 新設/村制 邇摩郡井田村 邇摩郡 荻村, 井田村, 「井尻村」, 「津淵村」, 福田村, 「殿村」, 「横道村」, 太田村

144 新設/村制 邇摩郡井田村 邇摩郡 荻村, 井田村, 福田村, 太田村
ではないでしょうか。
参考:県令第21号(M22.3.9)
島根県の地名鑑(PDF)109コマによると井尻村&津淵村はM8.2.27に井田村の一部に、殿村&横道村はM8.2.27に福田村の一部になったとあります。

153 村制 邇摩郡大森村 邇摩郡 佐摩村「(本)」

153 村制 邇摩郡大森村 邇摩郡 佐摩村「の一部」
ではないでしょうか。島根県の地名鑑(PDF)109コマによるとM8.2.27に
邇摩郡 佐摩村, 赤波村→佐摩村
との合併で成立したのが佐摩村です。
参考:県令第22号(M22.3.9)

146 新設/村制 邇摩郡久利村 邇摩郡 行恒村, 松代村, 久利村, 「先市原村」, 「今市原村」, 佐摩村「(微)」
は#153との関係もあり
146 新設/村制 邇摩郡久利村 邇摩郡 行恒村, 松代村, 久利村, 「市原村」, 佐摩村「の一部」
ではないでしょうか。
参考:県令第21号(M22.3.9)

158 村制 邇摩郡五十猛村 邇摩郡 「五十猛」村

158 村制 邇摩郡五十猛村 邇摩郡 「磯竹」村
ではないでしょうか。
参考:県令第22号(M22.3.9)

168 村制 安濃郡刺鹿村 安濃郡 刺「鹿」村

168 村制 安濃郡刺鹿村 安濃郡 刺「賀」村
ではないでしょうか。
まず、新旧対照市町村一覧では刺「鹿」村です。
しかし、県令第22号(M22.3.9)(3)、県令第22号(M22.3.9)(5)、島根県の地名鑑(PDF)109コマ、大日本市町村名鑑大日本全国各府県市町村新旧対照一覧では刺「賀」村となっています。
そして地方行政区画便覧より明治19年1月現在でも刺「賀」村となっています。

212 新設/村制 那賀郡雲城村 那賀郡 七条村, 「伊木村」, 「小笹村」, 上来原村, 下来原村

212 新設/村制 那賀郡雲城村 那賀郡 七条村, 上来原村, 下来原村
ではないでしょうか。
参考:県令第21号(M22.3.9)
島根県の地名鑑(PDF)65コマによると、伊木村&小笹村はM8.11.19に七条村の一部となったとあります。

229 新設/村制 那賀郡大内村 那賀郡 内村, 内田村, 穂出村「(本)」
230 新設/村制 那賀郡周布村 那賀郡 周布村, 日脚村, 津摩村, 治和村, 穂出村「(微)」

229 新設/村制 那賀郡大内村 那賀郡 内村, 内田村, 穂出村「の一部」
230 新設/村制 那賀郡周布村 那賀郡 周布村, 日脚村, 津摩村, 治和村, 穂出村「の一部」
ではないでしょうか。島根県の地名鑑(PDF)64コマによるとM8.10.14に
那賀郡吉地村, 周布村, 原井村→穂出村
との合併で成立したのが穂出村ですので、“字吉地”と“字吉地を除く”で分かれると、双方とも穂出村「の一部」となります。
参考:県令第21号(M22.3.9)

247 新設/村制 美濃郡鎌手村 美濃郡 木部村「(本)」, 西平原村, 土田村, 金山村
249 新設/村制 美濃郡北仙道村 美濃郡 大草村, 山折村, 木部村「(微)」, 乙子村

247 新設/村制 美濃郡鎌手村 美濃郡 木部村「の一部」, 西平原村, 土田村, 金山村
249 新設/村制 美濃郡北仙道村 美濃郡 大草村, 山折村, 木部村「の一部」, 乙子村
ではないでしょうか。島根県の地名鑑(PDF)98コマによるとM8.10.14に
美濃郡赤雁村, 木部村→木部村
との合併で成立したのが木部村ですので、“字赤雁”と“字赤雁を除く”で分かれると、双方とも木部村「の一部」となります。
参考:県令第21号(M22.3.9)

265 町制 美濃郡益田町 美濃郡 益田「町」

265 町制 美濃郡益田町 美濃郡 益田「本郷」
ではないでしょうか。
参考:県令第22号(M22.3.9)

259 新設/村制 美濃郡二条村 美濃郡 上黒谷村, 桂「ヶ」平村, 柏原村, 愛栄村, 黒周村

259 新設/村制 美濃郡二条村 美濃郡 上黒谷村, 桂平村, 柏原村, 愛栄村, 黒周村
ではないでしょうか。
参考:県令第21号(M22.3.9)176,177コマ

271 新設/村制 鹿足郡日原村 鹿足郡 日原村, 枕瀬村, 河村, 池村, 左鐙村, 滝元村「(微)」
273 新設/村制 鹿足郡小川村 鹿足郡 直地村, 耕田村, 滝元村「(本)」, 寺田村, 商人村, 笹山村

271 新設/村制 鹿足郡日原村 鹿足郡 日原村, 枕瀬村, 河村, 池村, 左鐙村, 滝元村「の一部」
273 新設/村制 鹿足郡小川村 鹿足郡 直地村, 耕田村, 滝元村「の一部」, 寺田村, 商人村, 笹山村
ではないでしょうか。島根県の地名鑑(PDF)179コマによるとM8.7.3に
那賀郡木ノ頃村, 倉地村, 小直村, 越原村→滝元村
との合併で成立したのが滝元村ですので、“字小直字越原”と“字小直字越原を除く”で分かれると、双方とも滝元村「の一部」となります。
参考:県令第21号(M22.3.9)

278 新設/村制 鹿足郡蔵木村 鹿足郡 蔵木村, 樋口村, 田野原村, 「金山谷村」, 「河津村」, 「初見村」, 「星坂村」, 九郎原村

278 新設/村制 鹿足郡蔵木村 鹿足郡 蔵木村, 樋口村, 田野原村, 九郎原村
ではないでしょうか。
参考:県令第21号(M22.3.9)

以上、多数になりましたがよろしくお願いします。
[78557] 2011年 6月 14日(火)18:27:05むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)島根県(その1)
>88さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)島根県に誤りと思えるところがありましたので報告します。

本論に入る前にこの文章で用いた文献の紹介です。
(1)県令第20号(M22.3.9)(「島根県令規類纂(上巻)」(編:島根県、出版:博広社、M29.4.24)より。
(2)県令第21号(M22.3.9)(「島根県令規類纂(上巻)」(編:島根県、出版:博広社、M29.4.24)より。
(3)県令第22号(M22.3.9)(「島根県令規類纂(上巻)」(編:島根県、出版:博広社、M29.4.24)より。
(4)県令第20・21号(M22.3.9)(「現行島根県令訓類纂(上巻)」(編:高橋義比・渡邊善継、出版:積慶堂、M23.6.15)より。
(5)県令第22号(M22.3.9)(「現行島根県令訓類纂(上巻)」(編:高橋義比・渡邊善継、出版:積慶堂、M23.6.15)より。・・・これは掲載されている「現行島根県令訓類纂(上巻)」上では切れていて何のことか良く分からないようになっています。同書では681頁(371コマ)の最終行から716頁(389コマ)の真ん中あたりまでは「町村編成」の項目で、716頁(389コマ)の真ん中あたりからその最終行までが「町村総称及字」の項目で、717頁(389コマ)の初めの行から終わりあたりまでが「境界線」の項目となっています。
ところが同書を読む限りでは、714頁と715頁につながりがなく、また715頁の最後に記載されているM16.4.19島根県乙第51号布達が翌716頁につながるのは不自然です。
そして改めて715頁を読むとこの中身は廃置分合の項目である「町村編成」ではなく「町村総称及字」の項目に含まれるのが自然であると考えられます。
そこで、715頁と716頁を誤って逆にしたと考え、714頁→716頁→715頁と読むと、これらの違和感がなく読むことが出来ます。714頁の最終行と716頁の初めの数行をくっつけて記すと
----------
明治二十二年三月九日島根県令第二十二号
出雲石見両国町村の内左の通改称し明治二十二年四月一日より施行す
島根郡 大蘆浦 改 大蘆村  加賀浦 改 加賀村  御津浦 改 御津村
楯縫郡 平田村 改 平田町
邇摩郡 佐摩村 改 大森村(字赤波を除く)  磯竹村 改 五十猛村
安濃郡 刺賀村 改 刺鹿村
美濃郡 益田本郷 改 益田町
----------
の通りで、未掲載のように見えた島根県令第22号が実は記載されていたことが分かります。
(6)新旧対照市町村一覧第1冊第2冊(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)
#市制町村制施行時の廃置分合そのまま。
(7)大日本市町村名鑑(著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)
#市制町村制施行時の廃置分合に、明治24年2月ごろまでの廃置分合も反映させたもの。
(8)大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編・出版:中村芳松、M28.3.5)
#市制町村制施行時の廃置分合に、明治26年末ごろまでの廃置分合も反映させたもの。
(9)島根県の地名鑑(PDF)島根県HP内)
(10)地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)
#明治19年1月現在の町村名を記載。
(11)島根県統計書明治19年(編・出版:島根県、M22.2.5)
#明治19年12月現在の町村名を記載。
(12)改正島根県町村名(編:生松彦市、出版:翠益亭、M13.9.)
#明治13年頃(明治11年6月以降明治13年9月以前)の町村名を記載。
(1)から(9)は総てにおいて参照し、(10)~(12)は適宜参照しました。
以下、本文中での参照資料としては各資料が一致しているものについては、原則として簡略化して(1)から(3)のみを記載しました。

それでは紹介です。

1 新設/市制 松江市 島根郡 松江殿町, (略), 松江新材木町, 末次村(微), 奥谷村(微), 西川津村(微), 松江本町, 松江八軒屋町, 松江和田見町, 松江寺町, 松江天神町, 松江魚町, 松江灘町, 松江竪町, 松江雑賀町, 松江新町, 松江横浜町, 「意宇郡」 松江分の一部, 西津田村(微), 乃木村(微)
は正しくは、
1 新設/市制 松江市 島根郡 松江殿町, (略), 松江新材木町, 末次村(微), 奥谷村(微), 西川津村(微), 「意宇郡」 松江本町, 松江八軒屋町, 松江和田見町, 松江寺町, 松江天神町, 松江魚町, 松江灘町, 松江竪町, 松江雑賀町, 松江新町, 松江横浜町, 松江分の一部, 西津田村(微), 乃木村(微)
ではないでしょうか。
まず根拠たる県令第20号(M22.3.9)では松江に編入されたところの記載しかなく、松江の各町の郡名は分かりません。しかしながら同一コマに記されている甲第42号布達(M19.3.26)で松江の各町の郡名が分かり、さらに
町村の総称あるものは其町村名の上に総称を冠するべし
とあることより、松江の各町には総称たる松江も付いた松江○○町との名称であったと考えられます。
島根県の地名鑑(PDF)42コマでも上記の通りです。
#ちなみに大日本全国各府県市町村新旧対照一覧では、郡名は上記の通りですが、松江の各町は単に○○町との記載になっており、新旧対照市町村一覧では松江○○町での郡名の記載がありません。

15 村制 島根郡御津村 島根郡 御津村

15 村制 島根郡御津村 島根郡 御津「浦」
ではないでしょうか。
参考:県令第22号(M22.3.9)

16 村制 島根郡大芦村 島根郡 大芦村

16 村制 島根郡大芦村 島根郡 大芦「浦」
ではないでしょうか。
参考:県令第22号(M22.3.9)

17 村制 島根郡加賀村 島根郡 加賀村

17 村制 島根郡加賀村 島根郡 加賀「浦」
ではないでしょうか。
参考:県令第22号(M22.3.9)

19 新設/村制 秋鹿郡大野村 秋鹿郡 大野村上分, 大野村下分, 魚瀬村

19 新設/村制 秋鹿郡大野村 秋鹿郡 大野村上分, 大野村下分, 魚瀬「浦」
ではないでしょうか。
まず県令第21号(M22.3.9)(4)では魚瀬村となっています。
しかし、県令第21号(M22.3.9)(2)では魚瀬「浦」となっています。
島根県の地名鑑(PDF)42コマ、新旧対照市町村一覧大日本市町村名鑑大日本全国各府県市町村新旧対照一覧でも魚瀬「浦」となっています。
さてどのように考えるかですが、改正島根県町村名よりM13頃現在、地方行政区画便覧より明治19年1月現在、島根県統計書明治19年より明治19年12月現在でも魚瀬「浦」となっています。
以上よりおそらくこれは資料(4)の書き間違えと推測します。

57 新設/村制 能義郡布部村 能義郡 布部村, 宇波村, 「下田原村」, 菅原村

57 新設/村制 能義郡布部村 能義郡 布部村, 宇波村, 菅原村
ではないでしょうか。
参考:県令第21号(M22.3.9)
島根県の地名鑑(PDF)116コマによるとM8.9.5に下田原村と菅沢村が合併して菅原村となり「下田原村」は消滅したことになっています。

96 新設/村制 出雲郡出西村 出雲郡 「下」阿宮村, 出西村, 神氷村, 求院村, 併川村

96 新設/村制 出雲郡出西村 出雲郡 阿宮村, 出西村, 神氷村, 求院村, 併川村
ではないでしょうか。
参考:県令第21号(M22.3.9)
島根県の地名鑑(PDF)159コマによるとM8.9.5に上阿宮村と下阿宮村が合併して阿宮村となったことになっています。

111 町制 楯縫郡平田町 楯縫郡 平田「町」

111 町制 楯縫郡平田町 楯縫郡 平田「村」
ではないでしょうか。
参考:県令第22号(M22.3.9)
地方行政区画便覧より明治19年1月現在では、M22には存在しない平田村上ヶ分(楯縫郡)と平田町(楯縫郡)となっているのが気にかかるところです。しかし、島根県統計書明治20-21年(編・出版:島根県、M23.8.30)で平田分署の町数がM20が1でM21が0となっていることより明治21年に平田村上ヶ分(楯縫郡)と平田町(楯縫郡)が合併して平田村(楯縫郡)が成立したと推測でき、矛盾はないようです。

122 新設/村制 神門郡古志村 神門郡 上古志村, 古志「村」

122 新設/村制 神門郡古志村 神門郡 上古志村, 古志「町」
ではないでしょうか。
まず県令第21号(M22.3.9)(4)、島根県の地名鑑(PDF)42コマでは古志「村」となっています。
しかし、県令第21号(M22.3.9)(2)、新旧対照市町村一覧大日本市町村名鑑大日本全国各府県市町村新旧対照一覧では古志「町」となっています。
また、地方行政区画便覧より明治19年1月現在、島根県統計書明治19年(編・出版:島根県、M22.2.5)より明治19年12月現在でも古志「町」となっています。
さて古志「村」or古志「町」を判断するために島根県統計書明治20-21年(編・出版:島根県、M23.8.30)を見てみます。すると、M20.12.31での神門郡、楯縫郡、出雲郡の併せた町数は6、M21.12.31での神門郡、楯縫郡、出雲郡の併せた町数は4とあります。
この減少した2町がどこかを次に考えますが、減少した町の一つは上述の#111町制 楯縫郡平田町でも書いたとおり、平田町(楯縫郡)であると分かります。そしてもう一つはM21に下塩冶村(神門郡)と合併して消滅した塩冶町(神門郡)であると考えられます。
次にM21.12.31末での神門郡、楯縫郡、出雲郡に所属する町(楯縫郡平田町,神門郡塩冶町を除く)を考えます。ここでの4町とは、神門郡今市町、神門郡古志町、神門郡大津町、出雲郡直江町としか考えられません。
とすると、古志「村」ではなくて古志「町」と記載されている方が正しいと考えられます。

124 新設/村制 神門郡園村 神門郡 東園村, 西園村, 外園「村」

124 新設/村制 神門郡園村 神門郡 東園村, 西園村, 外園「浦」
ではないでしょうか。
県令第21号(M22.3.9)(4)、新旧対照市町村一覧では外園「村」となっています。
しかし県令第21号(M22.3.9)(2)、島根県の地名鑑(PDF)77コマ、大日本市町村名鑑大日本全国各府県市町村新旧対照一覧では外園「浦」となっています。
さて判断ですが、地方行政区画便覧より明治19年1月現在、島根県統計書明治19年(編・出版:島根県、M22.2.5)より明治19年12月現在でも外園「浦」となっていることより、外園「浦」と記載されている方が正しいと考えられます。

126 新設/「村」制 神門郡杵築町 神門郡 杵築東村, 杵築南村

126 新設/「町」制 神門郡杵築町 神門郡 杵築東村, 杵築南村
ではないでしょうか。
参考:県令第21号(M22.3.9)

130 新設/村制 神門郡「遥」堪村 神門郡 浜村, 入南村, 菱根村, 「遥」堪村

130 新設/村制 神門郡「遙」堪村 神門郡 浜村, 入南村, 菱根村, 「遙」堪村
ではないでしょうか。
参考:県令第21号(M22.3.9)

131 新設/村制 神門郡高浜村 神門郡 「失」尾村, 日下村, 里方村, 平野村, 常松村, 八島村, 江田村

131 新設/村制 神門郡高浜村 神門郡 「矢」尾村, 日下村, 里方村, 平野村, 常松村, 八島村, 江田村
ではないでしょうか。
県令第21号(M22.3.9)(4)では「失」尾村となっています。
しかし、県令第21号(M22.3.9)(2)、島根県の地名鑑(PDF)77コマ、新旧対照市町村一覧大日本市町村名鑑大日本全国各府県市町村新旧対照一覧では「矢」尾村となっています。
そして地方行政区画便覧より明治19年1月現在、島根県統計書明治19年より明治19年12月現在でも「矢」尾村となっています。

次稿へ続きます。
[78556] 2011年 6月 14日(火)12:41:33中島悟 さん
re:どれが「町道」なのか?
[78555]山野さん
どれが「町道」なのか?
国道と都道府県道以外の公道は市町村道でしょう。
私道はだいたい区別がつくでしょうから、それ以外の道で国道と県道のリストに入っていなければ皆町道ですよ。
[78555] 2011年 6月 14日(火)08:26:24山野[山野] さん
どれが「町道」なのか?
今朝の新聞(中日)で、岐阜県神戸町北一色の町道で40歳位の男が包丁を振り回して女性を追っ掛けるという事件がありました。(住民の通報により現行犯逮捕。)

ところで、この北一色という地区は、町内でも南北に結構広い村(集落)でして、
一言に町道といわれましても、どの道か分かりません。
「県道」よりも狭いのが「町道」なんでしょうが、この地区「狭い道」が幾らでもあるので、どれが町道で私道なのか分かりません。

例えば「変な所に町道」があったりします。
如何見ても、個人の家の私道に見える所が町道指定されていたりする。
説明すると「自分所(私の家)の南側の家の畑との間の道→要は、その隣家とその隣の家(角にある)に小さな畑がありまして、
この畑と民家の間にある道が如何見ても個人宅へ行く道に見えるのに「何故か町道」何です。
その為、村の人間もこの家に用がある時意外は誰も通りません。(私も使わない)
どういう基準で町道を決めているのかサッパリ不明です。

(本題に戻りまして)
この地区(村)は広いです。
町民(且・地区民)の私が質問するのも変ですが、此処のメンバーでどれが「町道」(地区内)か分かる方、居られますか?
[78554] 2011年 6月 13日(月)23:07:24【1】hiroroじゃけぇ さん
倉敷は女性市長ですが福山は男性です
最近、あれこれ話題となっている女性首長ですが、ご存知の通り倉敷市も女性が市長です。伊東香織さんといいますが、出身は福岡であって岡山県には縁もない人だったとのこと。それが総務省から倉敷市へ出向して関わりができ、果ては倉敷市長になってしまったという経歴の持ち主です。で、最近岡山市の同僚から質問されたのです。

「倉敷は女性の市長さんじゃったなぁ。なんか前とちゃうんか」

ときかれたわけです。勿論、女性だろうが男性だろうが大きな違いはありません。今までよりは多少考え方に柔軟性がでてきたような気がするものの、それは40歳で当選という市長としてはまだ若いことに起因するものとも思えます。要は性差は自治体の長として、差異が少ないということです。実際、市長が交代しても議会には変化がないわけで、大きな違いは見出せないというのが本当のところでしょう。

でも、今までの市長との決定的な違いはその出身地にあります。そう、倉敷市のようなまとまりのない自治体において、その出身地域というのは重要で、それが市内であれば政策に偏りが出かねないわけです。その極めつけがあのメルヘンチックな市庁舎であるのですが、今回の市長においてはそれがないということで、市域での政策は満遍なく行なわれているような印象があります。合併が行なわれた自治体の多くは域内の地域分断が最大の課題のようです。そんな時は、伊東さんのような外様首長がいいのかもと、最近は感じております。

さて、タイトルはなんなんだと言うことですが、コレは「国際バルク港」の話です。ようするに「バラ積み貨物」の拠点港なのですが、水島港と福山港が一体整備となったという話です。以前から、JFEの西日本製鉄所など一体化の兆しがありましたが、ここにきて拠点港として一体化が加速することになったわけです。かなり前から「瀬戸内工業地域」として瀬戸内海沿岸がいわれてきましたが、現在ではそれらの相互都市間において連携が進み、工業地域内でのブロック化が進展しているように思えます。地域でのブロック化が進んだ現在、「瀬戸内」のような大きなくくりではなく、別々の「工業地域」として見直してみるのもいいかもしれないと思っております。

例えば、岡山から三原にかけては「吉備工業地域」でしょうか。それなら、広島から岩国のあたりはどうするんだと思ってもみたり・・・。とにかく、こんなことを考えてみるのも面白いと思います。

*この落書き帳では、度々「工業地帯」と「工業地域」の差が話題となっているものの、「工業地域」の名前自体は大きな話題にはなっていなかったと思われます。ところどころで、岡山に住んでいてはパッとしない工業地域名は検索でヒットはしましたが(笑)
[78553] 2011年 6月 13日(月)17:17:36hmt さん
鶴の嘴の先端に隣接した下宮地区の編入問題
半年以上前のことになりましたが、筑波山オフ会2010の第2日に行なわれ、17人もの参加者を集めたのが、群馬・栃木・埼玉3県境探訪でした。渡良瀬遊水地があるこの付近は、千葉県も加えた4県が集まる境界地域です。

オフ会前後の書き込みがあったので、hmtマガジンの特集 に記事を追加しました。

遊水地のために事実上の飛び地になっている栃木市(旧藤岡町)下宮地区は、12世帯のうち 11世帯が埼玉県加須市(旧北川辺町)への編入を希望し、関係する両市も協議している[76271]のですが、1世帯が「仕事上の許認可」を理由に難色を示し、住民の合意が形成できない状態になっています。[76676]のリンク記事が切れたので、同内容 を再録。

オフ会の少し後の 朝日新聞栃木版 に、写真入の記事がが掲載されていたので、紹介します。
上の航空写真は、県境が描かれているので、飛び地状態がよくわかります。

ハート型の貯水池の大部分と、その手前(南側)にある半円形の下宮地区とが栃木県。
その左に、左上から細長く伸びているのが、群馬県の「鶴の嘴」です。
画面左端に見えるのが「道の駅きたかわべ」で、画面下部と共に埼玉県。

下の写真は、オフ会記録の「3県境探訪ルート写真集」に登場するY字形水路と説明板。
手前の県境を示す説明板は下宮地区の住民が立てた
と書いてありました。

ウェブで知る限り、その後のニュースは伝えられておらず、編入問題は進展を見せていないと思われます。
[78552] 2011年 6月 13日(月)14:18:51hmt さん
Re:首長の本名
[78550] にまん さん
太田房江知事の本名が「齊藤房江」(齊の字は少し自信ないです。)さんです。旧姓をそのまま使われているようです。

本名が使われる訴訟記録を調べてみたところ、訴状1訴状2 のpdf文書では、大阪府知事 齋藤房江。

html文書になると、入力過程で変ってしまう可能性がありますが、まちまちな字が使われています。
大阪府知事 齊藤房江
大阪府 上記代表者知事 斉藤房江
地方公務員災害補償基金大阪府支部長 斎藤房江

参考:「太田房江」という名の知事はいない?

市区町村プロフィール の中での正統的処理法としては、市区町村HP(所沢市長の例)で使われている表記に従い、本名は備考欄などで注記するのがよいと考えます。
[78551] 2011年 6月 12日(日)22:00:01伊豆之国 さん
十番勝負(番外・消滅市編)【第二回採点】
第二回採点を行います。

○ 若松市(福岡) [78545]いっちゃんさん 銀メダルです。

答え方がまずかったので訂正

「本番」とは違いますし、気付いて訂正したのであれば認めることにしましょう。

♯実は、いっちゃんさんの過去記事に大きなヒントがあります。これを第二ヒントにしましょう。
[78550] 2011年 6月 12日(日)21:29:22にまん さん
首長の本名
[78547] オーナー グリグリ
通称名と本名のどちらを記載するかは悩ましいところです。読み難い苗字や名前を、単にひらがな表記を通称名としている場合は、本名に統一して表記すれば良いと思っていますが、「仲川げん」奈良市長の場合は、本名「仲川元庸(なかがわもとのぶ)」の表記にすることが躊躇われます。とりあえず「当麻よし子」は「当摩好子」に変更しました。
選挙では、一般的に使用されていると認められれば通称名利用にはかなり寛大です。したがって、(通称名がある場合には)一般的に報道される場合などは通称名であることが多いです。首長としての公権力の行使にかかる場合には本名が使用されますが、一般の目には触れないことが多いです。

現在リストアップされている方の中では、太田房江知事の本名が「齊藤房江」(齊の字は少し自信ないです。)さんです。旧姓をそのまま使われているようです。

個人的には、選挙で用いられる名前をベースにして、別に本名がある場合は備考欄か何かで対応した方がすっきりするのではないかと思います。
[78549] 2011年 6月 12日(日)17:04:11かぱぷう さん
山笠があるけん博多たい!
もうすぐ博多祇園山笠が始まります。山笠の頃になると仕事が手につかなくなったり、あるいは仕事をしない人達のことを当地では「山のぼせ」と言います。「山のぼせ」をはじめ、古来より博多という地名が指していた地域(“博多部”と言い習わしたりもします)に居住している人&思い入れのある方々には非常に申し訳ないですが…

[78539]伊豆之国さん
「博多」と「福岡(市)」はどこがどう違うのか、よくわからない人に説明するのに最善の方法は何でしょうか?
「博多は福岡市の中にある地名のひとつ」というのが一番手っ取り早く簡潔な方法でははないでしょうか。
それから福博にまつわる地名のウンチクを尾ひれをつけながら説明するのが私の“手口”です。

ちなみに私は、「どこから来たの?」と聞かれたら「博多から」とは言わずに「福岡から」と答えます。だって、生粋の博多っ子に失礼じゃないですか(笑)
#けれど、山笠の期間中はきゅうりは口にしませんが。[59540]
[78548] 2011年 6月 12日(日)16:12:55【1】オーナー グリグリ
Re:まだまだ公式ツイッター
[78542] 大龍エクスプレスさん
大分県知事
アカウントにニックネームが使われているのはここと平戸市長ぐらい?
知事はこれで10人目です。それにしても、「カルロスヒロセ」というツイッター名といい、プロフィール画像も含めプロフィール記述がまったくなく、@KatsusadaHirose のアカウント名にかろうじて大分県知事の痕跡を出しているのは、なかなかユニークで面白いですね。
高岡市も発見。(市長では無いです)
富山県から初の自治体ツイッターです。これで発見されていない都道府県は、石川県、滋賀県、和歌山県、広島県、徳島県、愛媛県、宮崎県の7県となりました。石川県が未発見なのは寂しいです。

大龍エクスプレスさん、いつも情報をありがとうございます。
[78547] 2011年 6月 12日(日)15:19:42オーナー グリグリ
首長一覧の編集について
[78538] にまんさん
岡村村長の場合は問題ないかと思いますが、この原則を徹底すると、名称が変わらない新設合併の場合は、かなり分かりにくくなってしまうと思いますがいかがでしょうか。
なるほど、これは盲点でした。確かに分り難くなりますね。対策を考えてみました。

最初に考えたのは、この一覧は人に焦点を当てた情報であることから、新設合併などのリセットを気にせずに、同一人が首長を継続している場合は、ひとつのデータとしてまとめてしまうことでした(表示上は備考欄を作って注釈を付ける程度)。しかしながら、今後出てくるかどうか分りませんが、まったく違う地域の首長を連続している場合や、一度落選して復活した不連続のケースなど、データとして分離すべきかどうか迷うケースが出てきそうです。

次に考えたのは、現状の就任年齢順をベースに、同一人の情報は最初の就任年齢のデータに複数行にしてまとめる方法です。新設合併のケースも厳密に分離してまとめます。
と任期が1減(新下関市長就任時は48歳のため)ということになります。
このような40歳以上のケースも掲載するようにして、個人のその後の経歴が分るようにするのも意味があると思います。国会議員履歴も参考に掲載すると面白いでしょう(ますます地理そのものからは離れていくかもしれませんが)。

[78532] hmtさん
女性首長の情報
澤光代さんと田島公子さんの情報をありがとうございました。追加いたしました。澤光代さんの読みは "さわみつよ"で間違いないでしょうが未確認です。また、生年月日も軽く調べたのですが分りませんでした。どなたかお分かりの方、ご教示ください。
所沢市長の「当麻よし子」さんは、所沢市HPにも この名 が使われていますが、本名は「当摩好子」さんのようです。
通称名と本名のどちらを記載するかは悩ましいところです。読み難い苗字や名前を、単にひらがな表記を通称名としている場合は、本名に統一して表記すれば良いと思っていますが、「仲川げん」奈良市長の場合は、本名「仲川元庸(なかがわもとのぶ)」の表記にすることが躊躇われます。とりあえず「当麻よし子」は「当摩好子」に変更しました。

[78540] hmtさん
2009年12月19日 内閣府で「女性首長大集合!」
そう言えば、ニュースになっていましたね。ご確認をありがとうございます。
こういう会合がニュースになる社会にとって、女性首長一覧はまだまだ重要という証左になります。
[78546] 2011年 6月 12日(日)12:24:11Issie さん
黒部の太陽
[78541] スナフキん さん
「ひかり号」も九州から急きょ召し上げられた名前ですね。

そうですね。とってもローカルなジーゼル急行でした。まさか,「こだま」を飛び越えて「夢の超特急」になるとはね。
でも,その前は「のぞみ」と一緒に満州を走っていました。
“名前の使い回し”の歴史も結構奥が深いものです。
超特急に名前が“召し上げ”られた後継の列車名が「にちりん」(日輪)。日豊線,日向国,そして九州を連想させる名前で,私はこちらの方が好きです。最近,(文字通り)“影”が薄くなっている気がしないでもないけど。

山名などはピンポイントで使える範囲が限定的であるのに対し

“ピンポイント”であるが故に,そのピンからどちらの方向にも向かえる,という面もありますね。
信越線を走っていた「妙高」や「とがくし」は“ピン”の長野地区から,ある時は上野方面へ,ある時は新潟方面へ,と真逆に向かっていました。

子どもの頃,時刻表を眺めているのが好きで,特急や急行(準急はもう国鉄には走っていなかった。京成には走っていたけど)の名前を見て喜んでいたものです。その中には意味の分からないものもチラホラ。
「にちりん」も子どもには難しい名前でしたが,これは何だろうと本当に疑問に思ったのが,中央西線から大糸線に乗り入れていた急行「くろよん」。語彙のない子どものことだから,クレヨンの変種か,などと思いました。
由来はもちろん,1960年代の国家プロジェクト,黒部ダムと「黒部第四発電所」。ダムの完成後は,急行「くろよん」が関西方面から“くろよんダム”への観光客を送り込むことが期待されたのでした。
今でも立山・黒部アルペンルートは人気の観光地で,多くの観光客でにぎわっていますが,昔ほど突出したものではなくなったような印象が。「くろよん」という言葉もあまり耳にしなくなったような気がします。
今,列車名や夜行バスの名前として「くろよん」が選ばれることはあるのでしょうか。この名前も,高度経済成長時代を懐かしむアイテムになっているのかもしれない。

昔,満洲を走っていた「ひかり」や「のぞみ」,そして「あじあ」もそうですが,列車名というのも結構,「時代」を映す鏡なのかもしれません。今,やたらとカタカナが多いのも。
でも,「サンダーバード」という名前は二重,三重の“誤用”を犯しているように思うのですが。
[78545] 2011年 6月 12日(日)11:40:28【2】いっちゃん さん
十番勝負消滅市編に答えてみる その2
[78539]伊豆之国さん
若松市(福岡)

答え方がまずかったので訂正。
[78544] 2011年 6月 12日(日)08:22:26伊豆之国 さん
十番勝負(番外・消滅市編)【第一回採点】
第一回採点を行います。

○ 松永市 [78543]白桃さん 金メダル、おめでとうございます。
[78543] 2011年 6月 12日(日)06:57:01【1】白桃 さん
十番勝負消滅市編に答えてみる
[78539]伊豆之国 さん
松永市
いかがでしょうか?

伊豆之国さんが出されたこの問題を、意外な方が回答していたのを見た気がするのです。しかも、間違いだと思われる共通項を書いていた、あれは、夢だったのでしょうね、きっと・・・。

(注)夢かうつつか幻か、不確かな状況にもかかわらず、特定した個人のお名前を出してしまいました。もう遅いかもしれませんがその部分を訂正いたします。
回答はいじっておりません。
[78542] 2011年 6月 11日(土)22:15:20【1】スカンデルベクの鷲[大龍エクスプレス] さん
まだまだ公式ツイッター
グリグリさん
更に発見しました。
大分県知事
アカウントにニックネームが使われているのはここと平戸市長ぐらい?

【1】追記
高岡市も発見。(市長では無いです)
[78541] 2011年 6月 11日(土)22:06:44スナフキん さん
Re: しんかんせんでゴー! ゴ・ゴー!
[78533]Issieさん
列車名、移り変わってしまうのは時の流れのいたずらみたいなもので、仕方ない面もありますね。特に、動植物や抽象的な名前はあっちこっちを飛んで回る傾向が強いです。ご指摘のさくら・はやぶさもそうですが、「白鳥」もいまや日本海を縦貫するのではなくて北海道への「渡り鳥」になってますし、「あけぼの」は運転区間は同一でも、まるっきり経由も性格も異なる列車に化けたと言っていいでしょう。そういう意味では、「ひかり号」も九州から急きょ召し上げられた名前ですね。

逆に、地名が列車名となるケースでは大きなブレは生じようがないので、変な言い方をすれば安心して(?)見ていられます。「ひたち」が東北線を延々走るのは絶対に変ですし、「やくも」はやっぱり山陰への特急だなと総意が一致しそう。名物・名所の意味では「うずしお」もあそこ以外にはちょっと考えられないなとも。

そう言えば、路線そのものが復旧するかどうかにかかっていますけど、常磐線の特急「ひたち」を今後いわきで分断した際、北側の列車名については現在検討中であるはずなのですが…個人的には地名由来の列車名復活を望みたいところ。「あおば」とか「あぶくま」、あたりがふさわしいということになりましょうか?

ただ、地名にもピンキリがありまして、山名などはピンポイントで使える範囲が限定的であるのに対し、広域地名などはあちこちを巡るケースもまれにあります。「しらかみ」はいつの間にか海側の五能線を回るリゾートトレインに化けてしまいましたし、自宅近所では会社をまたいで「むさしの」があっちゃこっちゃしています…「むさし」は不動の地位を確保してるんですが(汗)。地名の捉え方はそれこそ人それぞれ千差万別なので、意外に万人が納得する名称の付与って難しいのかもしれません。
[78540] 2011年 6月 11日(土)21:52:42hmt さん
2009年12月19日 内閣府で「女性首長大集合!」
1年半も前のニュースですが、落書き帳の過去ログになかったので。

鳩山由紀夫内閣の時代、社会民主党の福島瑞穂さんが、内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全・少子化対策・男女共同参画担当)として、「女性首長大集合!」という 会合 を催したことがありました。

宣言文 に署名した首長22人を確認したところ、女性首長の一覧 に21人、[78532]に1人と、漏れはありませんでした。
[78539] 2011年 6月 11日(土)21:52:26伊豆之国 さん
Re:十番勝負(番外・消滅市編)
[78482]で出した「クイズ・番外編」でしたが、大いに盛り上がっている「ヤング市長」の話題にすっかり埋もれてしまい、もう忘れ去られてしまっているようなので、問題再掲と、それに合わせて第一ヒントを。

【問題】
以下の各問に列挙した、既に消滅した市にはある共通する特徴があります。同じ特徴を持つ消滅市を一市だけ挙げてください。

問一(想定解数:16市?) 原町市、大宮市、東葛市、上野市、八幡市(福岡) (該当する現存の市:大崎市、八幡市(京都))

◆第一ヒント

「平成の大合併」で消滅した町村では、次のようなところが該当します。
 青森県上北町 三重県青山町 岡山県赤坂町 埼玉県神泉村 石川県鳥越村 


‥閑話休題。
先日発表されたあるランキング(私には大して関心のないものですが)。これは何でしょうか?

 2位 東京都大島町
 8位 徳島県板野町

こちらにヒントあり‥

‥ところで、今日の「アド街ック天国」は、「博多駅」。
「博多」と「福岡(市)」はどこがどう違うのか、よくわからない人に説明するのに最善の方法は何でしょうか?
[78538] 2011年 6月 11日(土)21:40:56【2】にまん さん
任期
[78534] オーナー グリグリさん
上記のように選挙を経ない場合は任期を通算するようにし、新設合併で仕切り直しの選挙が行われる場合には、任期を一旦リセットし、岡村雅夫村長のデータは、以下のように2つに分けて表記すべきかと思います。如何でしょうか。
岡村村長の場合は問題ないかと思いますが、この原則を徹底すると、名称が変わらない新設合併の場合は、かなり分かりにくくなってしまうと思いますがいかがでしょうか。
たとえば、
埼玉県 本庄市吉田 信解よしだ しんげ37歳9ヶ月2005(H17).7.231967(S42).9.8
は、
埼玉県 本庄市吉田 信解よしだ しんげ37歳9ヶ月2005(H17).7.211967(S42).9.8
埼玉県 本庄市吉田 信解よしだ しんげ38歳4ヶ月2006(H18).1.?21967(S42).9.8
と2行になって、
山口県 下関市江島 潔えじま きよし37歳11ヶ月1995(H7).3.27?41957(S32).4.2
は、
山口県 下関市江島 潔えじま きよし37歳11ヶ月1995(H7).3.27?31957(S32).4.2
と任期が1減(新下関市長就任時は48歳のため)ということになります。
[78537] 2011年 6月 11日(土)20:47:28Issie さん
話題の逗子市長
[78532] hmt さん
澤 光代さん
神奈川県 逗子市長で、任期は1992年(平成4年)11月11日から1994年(平成6年)11月30日まで。
女性であることは間違いないと思うのですが、参考頁 では、澤さん【右下?】を確認することができませんでした。

そうでしたね。
池子弾薬庫問題が原因の対立で市議会や市長のリコール投票が相次いだ 富野暉一郎市長 の次に市長に当選したのが女性の 澤さん だったので話題になったのを思い出しました。
で,少し間をおいて“若い市長”の 長島さん の登場。

逗子市の場合,米軍施設という争点になりやすい施設が存在することと,「住民性」というものか,この四半世紀ほど,何かと話題になることが多い印象があります。
…正しくは,そういう場面しか記憶していないだけですが。
 
[78536] 2011年 6月 11日(土)19:13:29オーナー グリグリ
公式ツイッター追加
[78508] 大龍エクスプレスさん
公式ツイッター情報をありがとうございました。追加しました。

区については特別区だけを対象と考えていたので、大阪市大正区のアカウントに一瞬迷いがあったのですが、よく考えたら、大正区役所も大阪市の組織であり、何ら躊躇することなく追加できることに気付きました。過去にどこかの政令市の区のアカウントを見送ったような記憶がかすかにあるのですが・・・
[78535] 2011年 6月 11日(土)18:54:29オーナー グリグリ
Re:東京市の面積
[78504] hmtさん
関東大震災(1923)後に加速した 郊外への人口流出に対応するために、東京の市域は拡張されましたが、それは“少しずつ”ではなく、1932年10月1日に、隣接5郡の一括編入という形の“大拡張”を行ったのでした [74867]
遅くなりましたが、ご指摘の内容を踏まえて、
市区町村雑学・東京市ってあったの?
の記述を修正いたしました。いつもご指摘をありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。
[78534] 2011年 6月 11日(土)18:24:02【1】オーナー グリグリ
任期の定義
[78500] にまんさん
高知県安芸郡西分村、芸西村 岡村雅夫 おかむらまさお 28歳?ヶ月 1947(S22).?.? 13 1919(T8).1.1
・・・
ちなみに、岡村芸西村長の13選は首長多選の記録のようです。
西分村で2期、芸西村で11期と思われますが、新設合併で誕生した芸西村は新たに村長選挙が行われたはずで、西分村からの通期で数えるか個別に数えるかは悩ましいです。女性首長のページにある、木津町長の河合規子さんが、新設合併で誕生した木津川市長に当選したケースも連続するケースとなりますが、[78458]の後段で書きましたように、
ところで念のため確認ですが、市制施行・町制施行の場合は、首長は継承されるし、合併でも編入する側の首長は失職しないということですね。岐阜県本巣郡穂積村の松野友村長も穂積村の町制施行でそのまま穂積町長に移行したと考えてよいですね。この場合、任期も同じ期になるという考えでよろしいですね。
上記のように選挙を経ない場合は任期を通算するようにし、新設合併で仕切り直しの選挙が行われる場合には、任期を一旦リセットし、岡村雅夫村長のデータは、以下のように2つに分けて表記すべきかと思います。如何でしょうか。

高知県 安芸郡 西分村岡村 雅夫おかむら まさお28歳?ヶ月1947(S22).?.?21919(T8).1.1
高知県 安芸郡 芸西村岡村 雅夫おかむら まさお35歳?ヶ月1954(S29).?.?111919(T8).1.1

40歳未満で就任の首長にもすでに事例があります。滋賀県甲賀郡甲西町長を1期だけ務め、1年半後の湖南市の新設合併であらためて初代湖南市長に就任した現役の谷畑英吾市長です。ご覧いただくとお分かりのように、同じ人のデータは表示をまとめて連続就任を強調したいですね。現在は就任年齢順表示のみですが、都道府県別の表示も用意して、連続するデータが分り易くなるよう工夫することを考えてみます。
[78533] 2011年 6月 11日(土)17:28:24Issie さん
しんかんせんでゴー! ゴ・ゴー!
今,NHKの教育テレビを“聴き”ながらここを見ています。
で,歌声が流れてきました。「おかあさんといっしょ」の今月の歌らしい。耳に入ったのは,こんなフレーズ。

 のぞみにさくら はやぶさ こまち…

「さくら」「はやぶさ」で即座に連想したのは寝台特急だったのですが,何かおかしい…。
これは新幹線の歌でした。
これからの子どもたちには「さくら」も「はやぶさ」も新幹線の列車なんですね。
「さくら」は南へ,「はやぶさ」は北へ。
頭を切り替えなければならないな。
[78532] 2011年 6月 11日(土)15:08:47【1】hmt さん
女性首長の情報
女性首長の一覧 への情報提供です。

40歳未満で就任した首長 でもある 尼崎市長・稲村和美さんの当選を伝える新聞記事(2010/11/22)を見たら、“女性市長としては全国22人目”と書いてありました。
その後の 2011年5月に就任した 鈴鹿市長・末松則子さんを加えて 23人になるわけだ と数えてみると22人。
1人抜けていることがわかったので、探しました。

澤 光代さん
神奈川県 逗子市長で、任期は1992年(平成4年)11月11日から1994年(平成6年)11月30日まで。
女性であることは間違いないと思うのですが、参考頁 では、澤さん【右下?】を確認することができませんでした。
【追記】
1994年、旧池子弾薬庫跡地住宅建設計画白紙撤回の基本方針を変更し、任期中に辞職。広報ずし2009年11月 の3/17コマ

次は、埼玉県の現役の女性町長。入間郡越生町の町長 田島公子さん です。
就任日、任期満了日、生年月日は、埼玉県町村長名鑑 にあります。

参考
所沢市長の「当麻よし子」さんは、所沢市HPにも この名 が使われていますが、本名は「当摩好子」さんのようです。資料
[78531] 2011年 6月 11日(土)12:13:55ニジェガロージェッツ さん
打止めに
今回の騒動?
最初のきっかけとなったのは白桃さんの記事でしたが,それを騒動にまで発展させたのは小生です。特に今回の話題とは無関係な,所謂「白桃化」なる市名駄洒落を持ち出して問題を対比させた手法には行き過ぎがあり,申し訳ございませんでした。

先の拙稿[78518]では,単なる「親父ギャグ」をどう組み立てたって「地理」はおろか,「地理雑学」にはならんと言い切ってしまいましたが,これも考えようで,それを楽しんだ当時の,特に小学生や中学生にとっては,結構夢中になれる地理パズルのようなものだったのかなぁとも思い至りました。市名を探し当てて実際に地図を見て,その位置関係や地理背景の連想など「空想の旅」に思いを馳せていくと,それはもう立派な地理雑学になり得ます。その発想の豊かさは私には持ち合わせておりませんでした。ちょっと恥ずかしい限りです。
とはいえ,ここに出入りしているあの子たちに掛かれば,難問揃いの十番勝負でも臆することなくスラスラと解いてしまうのだから,それはもう,朝飯前いぜんのことだったかな。

[78522]般若堂そんぴん さん
単なる「親父ギャグ」
でもかまわない,と思います.
同感です。私は原理主義者ではないので,「親父ギャグ」のような見苦しいことはやめてほしい,とまでは言うつもりはありません。余興として,ちょっと合間に顔を出すぐらいは微笑ましいことです。

[78519]YASU さん
宴の席では楽しくお話しできるのに、文字にすると刺々しくなり残念に思う次第です。
残念な思いをさせて申し訳ございません。
ただ,宴の席でのことは,そこでのこと。「落書き帳」の書き込みでは傍目には角を突き合わせて緊迫した関係に見えても,実際に会ってみると意外なほど打ち解けて和気藹々と談笑できる,それがオフ会の良いところです。
(まだ参加されたこののない皆さんも一度「だまされた」と思ってでも参加してみてください。書き込みでの印象とは違った一面が見えます)
一方で,お互いがリアルに親しくなりすぎると,「これぐらいのことは言っても許されるだろう」と宴の席と同じノリでものを言う書き込みをしてしまう。今回の騒動も,こういったお互いの甘えが背景にあるのかなとも推測しています。

それとは別ですが,最近のニジェの記事は全般にぶっきらぼうな印象を持たれているのではないかとちょっと気になっています。
実は最近,自分の投稿記事にNGワードを2つ設定し,それを出来る限り実践しています。「思います」と「~ですね」です。
「思います」については,以前に申し上げたこともあり,ここでは繰り返しません。
「~ですね」は以前は私も多用しており,今でも実生活の会話ではついつい言ってしまいます。しかし,これを文章にして特に段落末の度に「~ですね」「~ですね」と繰り返した自分の記事には,読んでいて鬱陶しく,後味の悪さを感じていました。
[17876]雑魚さんの問答表の一文
37)「~ですね。」 という呼びかけの語尾を伴う書込みが最近増えた。
に接して,ああ,やっぱりみっともないなと感じました。

「思います」を用いた婉曲な表現も,「~ですね」という文末も,これらの言葉使いが掲示板という媒体に於ける円滑なコミュニケーションを促すツールのようなものだと理解し使い続けていましたが,わざわざ自分の好みではないこの2つの言葉をいやいやながら書くこともなかろうと割り切っています。「~ですよね」と確認を伴う呼びかけは,過去に比喩に用いた一度だけでした。
しかし,文章が断定的で硬くなってしまうのは否めないので,今後はあまりこだわらずに適当にします。

[78529]白桃 さん
落書き帳が「生活の一部分」どころか「生活の殆ど全部」になる予定です
ご同慶の至りです。
長年のお勤めの多大な労苦はあったのだろうけれども,こういう時ばかりは羨ましい。自営業の小生には,一生手に出来ない贅沢です。
[78530] 2011年 6月 11日(土)08:57:05オーナー グリグリ
ベストエフォート
ここ数日、多忙を極めていました。今回の騒動?にどうフォローするか考えていたのですが、[78525] hmtさんと [78527] Issieさんが、見事に説明されました。私の考えていることと寸分違わぬご説明です。補足の必要もまったくありません。お二人には深く感謝するとともに、このサイトの理念を深くご理解いただいていることに、感動と喜びを禁じ得ません。ありがとうございました。

[78525] hmtさん
「いいかげん」すなわち「好い加減」とは、「費用対効果を【主観的判断で】適正にする」という意味で使われる。
通信の世界でよく使われる「ベストエフォート (best effort)」に近い概念ですね。完璧を目標とするのは重要だと思いますが、目標半ばであっても利用価値があるのであれば、十分公開に値すると考えています。

[78527] Issieさん
もしかしたら,誰かがこの情報を上手く読み解いてくれるかもしれない。
すでに、第1回統一地方選でかなりの数の女性首長や若い首長が誕生しているのではないかという話題というか興味が語られています([78500]など)。女性首長の全データを探求し記録することは、非常に有意義であると確信しています。若い首長についても「若い」のあいまいさはあるものの、同じく意義あることだと信じています。

と言うことで皆さん今後ともよろしくお願いいたします。いただいている情報は順次反映します。
[78529] 2011年 6月 11日(土)08:16:11白桃 さん
都道府県市区町村落書き帳
まず、[78510]とそれに関連した[78516]の乱暴な書きぶり、不遜な態度によって多くの方を不愉快な思いにさせました。深くお詫びいたします。
正直申し上げますが、皆様にお叱りを受けることを覚悟で書いたもので、後悔はしておりませんけれども深く反省していることがあります。
それは、「地理雑学の領域」云々を持ち出すまでもなく、ここは文字通り「都道府県市区町村落書き帳」である、という最も大切なことを失念していたことです。当然ながら、地理好きな方達が集まっているとは思いますが、地理的話題であろうがなかろうが、都道府県市区町村にまつわる事柄であれば自由に書き込める場であることを。

とにかくお騒がせいたしました。

[78518]ニジェガロージェッツ さん
落書き帳が生活の一部分になってしまうと,つい自分がそこの主のように錯覚してしまうのではないか。
ご指摘いただいたこと、真摯に受け止めております。もうすぐ、落書き帳が「生活の一部分」どころか「生活の殆ど全部」になる予定ですが、今後ともよろしくお願い申し上げます。
[78528] 2011年 6月 11日(土)06:52:52【1】中島悟 さん
88 さんへ
[78457]の表は、
市区町村変遷情報と、むじながいりさんのパラパラ地図完全版との間で
ずれがあった部分についてすり合わせ、市区町村変遷情報の側にミスがあると判断した分です。

市区町村変遷情報の中だけでもずれている分について再掲します。

郡名落ち・誤記
県番号
22196(小笠郡) 三倉村周智郡 三倉村施行時では周智郡(241行)
24134,135桑名郡 久米村の一部員弁郡 久米村の一部施行時では員弁郡(19行)
2889(津名郡) 加茂村, 大野村三原郡 加茂村, 大野村施行時では三原郡(410,411行)
28181(城崎郡) 宿南村の一部養父郡 宿南村の一部施行時では養父郡(312行)
2917生駒郡 明治村平群郡 明治村施行時では平群郡(49行)で、1896年は生駒郡への統合前
2990磯城郡 陵西村葛城郡 陵西村施行時では葛下郡(116行)で、1897年に北葛城郡
3990(高岡郡) 明治村吾川郡 明治村施行時では吾川郡(103行)
中河内郡柏原町については、同表125行で越郡合併しているのを見落としていました。すみません。

(町・村)違い
県番号
1636速星町速星村施行時は速星村(74行)。以降町制の記載なし
1675水戸田町水戸田村施行時は水戸田村(149行)。以降町制の記載なし
2283島田町島田村施行時は島田村(80行)。以降町制の記載なし
22182奥山町奥山村施行時は奥山村(80行)。以降町制の記載なし
2498滝川町滝川村施行時は滝川村(270行)。以降町制の記載なし
2688吉原町吉原村施行時は吉原村(252行)。以降町制の記載なし
27132千代田町千代田村同表の58行で千代田村に改称。以降町制の記載なし
27186,187新田町の一部新田村の一部施行時は新田村(91行)。以降町制の記載なし
27193英田町英田村施行時は英田村(273行)。以降町制の記載なし
28237山田町山田村施行時は山田村(398行)。以降町制の記載なし
39125月灘町月灘村施行時は月灘村(53行)。以降町制の記載なし
4376花園町花園村施行時は花園村(58行)。以降町制の記載なし
43161中島町中島村施行時は中島村(214行)。以降町制の記載なし
44117判田町判田村施行時は判田村(81行)。以降町制の記載なし
4726本部村の一部本部町の一部同表の13行で町制施行

村名誤記など
県番号
202上氷鉤村(かぎ)上氷鉋村(かんな)施行時の289行
2019上伊那村東伊那村上伊那村は施行時にもそれ以降の変遷にも他に記載なし。
20156小牧村北牧村小牧村は施行時にもそれ以降の変遷にも他に記載なし。
20189棚村(たな)柵村(さく)施行時の371行
2276高根村鷹根村高根村は同表186行で御殿場市に編入
266本庄村本荘村施行時の139行(238行には別の本庄村あり)
2744,45三本木村三木本村木本村, 南木本村, 北木本村が合併(施行時の252行)
28204栗賀村(くり)粟賀村(あわ)施行時の176行
3527豊岡中村豊西中村施行時の162行
35152玉喜村王喜村施行時の149行
39124市半山村下半山村施行時の67行

町村数ずれ
県名
岩手1市20町221村設置1市21町219村設置
町制施行の記載がない町は、岩手郡 沼宮内町, 紫波郡 日詰町, 稗貫郡 花巻川口町, 花巻町, 大迫町, 和賀郡 黒沢尻町,
江刺郡 岩谷堂町, 胆沢郡 水沢町, 前沢町, 西磐井郡 一関町, 気仙郡 盛町, 高田町, 二戸郡 福岡町, 一戸町,
九戸郡 久慈町, 上閉伊郡 釜石町, 大槌町, 遠野町, 下閉伊郡 宮古町, 鍬ヶ崎町, 山田町 の21町

県名
奈良9町153村設置10町152村設置
施行時にある9町(奈良,郡山,松山,田原本,八木,今井,御所,高田,五條)のほかに、吉野郡上市村(162行)が変遷の80行で上市町。
町制施行の記載なし。

記載もれ
高知県1938.2.11安芸郡野根村が町制(野根町)
施行時は野根村(184行)が、変遷の135行で野根町。ここまで町制の記載なし
[78527] 2011年 6月 10日(金)21:26:19Issie さん
単なる情報
[78516] 白桃 さん
首長の年齢や性別については、単なる「情報」であって、それらをどう組み立てたって「地理」はおろか、「地理雑学」にはならないと思います。

まあ,そうですね。単なる「情報」であることはその通りです。
そしてたとえば,人口統計の数字もそのままでは単なる「情報」ですね。
でも,その単なる「情報」が大切です。「正確な情報」抜きに,自分のごく狭い経験と思い込みとで何事かを語ったって,何のお話にもならないじゃないですか。

たとえば「地理コレクション」。これを「地理」だと思っていました?
単にあるテーマに該当する(という“事実に反するかもしれないただの思い込み”も含めて)地名を列挙しただけのこのデータベースだって,ただの「情報」以上の何物でもないですよ。「地理 geography」には遥かに及ばない。
これを「地理」たらしめているのは,その「情報」をもとにこの「落書き帳」で交わされる会話(“議論”未満であっても)の積み重ねです。
そして,その会話を実のあるものにするのは,個人の勝手な思い込みではなく,きちんとした根拠のある「情報」以外にないのです。
だから,“単なる情報”上等!
大事なことは,その“単なる情報”からどれだけの情報を読み解いて「地理」を語れるか,という“読解力(リテラシー)”です。

[78518] ニジェガロージェッツ さん
私も白桃様と同じ意見です。私の「地理雑学」の領域にも入りません

[78525] hmt さん
ところで、異論の出た女性村長や 若い首長。
地方自治法施行に先立って行なわれた 1947年の統一地方選挙とのからみもあり、地方自治を語る“材料”の1つであることは、間違いないと思い、[78453]で「4人の女性村長」を紹介しました。

私も hmt さんと同じ認識を持っています。
この「情報」が,この「落書き帳」の中でどれだけ活かされるかはわかりません。けれども,この「情報」が利用されて,どのように“化ける”かもわからない。今必要なことは,この先どのように利用されるかはわからないが,その必要性を感じるならば,できるだけその情報を集めることです。

[78498] グリグリ さん
それにしても、女性首長もそうですが、首長の就任日や生年月日など、まとまったデータが無いことを痛感しています。たかだか60年ちょっと前の戦後の情報です。歴史データとして、変遷情報などと同じく、整備されていて然るべき情報のひとつだと思います。

という認識があるのなら。
もしかしたら,誰かがこの情報を上手く読み解いてくれるかもしれない。

[78521] 88 さん
#「『女性』首長」として抽出して(強調して)まとめること自体が、現在の男女共同参画社会において適正かどうかは、再検討する必要があると思います。

この点についても,私は hmt さんと同意見です。
「男女共同参画社会」の“実現”に向けて,わが国の地方自治がこれまでどのような歴史を踏んできたのかを検討する上で,これは最も基礎的で不可欠な情報だと思います。むしろ,これは積極的に“強調”して集めるべき。それほど,わが国では“女性首長”がいまだに珍しい存在なのですから。
これは「若い首長」についても同じ。
“専門家”の世界には「政治地理学」という分野があります。昔は「地政学」と同じような意味でとらえられていたようですが,今はもっとユルく,さまざまな地域の政治現象を地理的な視点から読み解く,という程度の意味でとらえられているようです。あるいは逆に,「政治」という視点から,“その地域の特徴”つまり「地理」を読み解いてみよう,というもの。
それらを語る上では,たぶんこのようなデータは最も基本的な「情報」として求められるものだと思います。この「落書き帳」のメンバーの関心がそちらに向かうかどうかは,わかりませんが。

繰り返しですが,「情報」なくして「地理」も「地理雑学」もあり得ません。
大事なことは,私たちはその「情報」の中からどれだけの物事を読み解いて,「地理」を語ることができるだろうか,というところにあるのだろうと,私は思います。
[78526] 2011年 6月 10日(金)18:30:22むっくん さん
町村の廃置分合施行日との相違について
[77581][78507]88さん

●静岡県
静岡県(町村)も、誤植がないとすれば「三月一日ヨリ」と同じく明白。
静岡県については私も誤植を疑いました。
しかしながら静岡県警察統計表(明治22年)(編・出版:静岡県警察本部、M23.4.30)(77コマ~141コマが明治22年)の明治22年3月8日のところに
吉原警察署部内富士郡原田村ニ巡査派出所ヲ設置シ仝郡旧横割巡査駐在所ヲ加嶋村ニ旧平垣巡査駐在所ヲ岩松村ニ移転ス
との記載があります。
ここで出てくる富士郡岩松村は明治の大合併で成立した村ですので、静岡県内では町村部の廃置分合は基本的にはM22.3.1に行われたと考えてよいものと考えました。

●神奈川県
以前[75043]拙稿でも書きましたが、神奈川県史通史4近代現代1(編:神奈川県県民部県史編集室、出版:神奈川県、1981)p.503には
ともあれ、県当局は主主の問題を残しながらも、翌八九年三月五日には「町村制施行順序」を定め、同月十一日には県令第九号を以て、町村の分合およびその改称を定め、同月三十一日付を以て実施するとした。
との記載があります。これは
M22.3.31限りで旧町村を終えて翌日のM22.4.1付けで廃置分合を行った
ということを意味しないように思えます。
[78525] 2011年 6月 10日(金)14:20:13hmt さん
「地理」を語る際の材料
[78512] Issie さん
たぶん,これらは「地理」を語る際の材料ではあっても,それだけでは「地理」ではない。(中略)
で,それを語る“材料”は,いろいろな側面からさまざまな切り口のものがあった方がその組み立ても豊かになる。

このフォーラムは、都道府県市区町村という切り口を中心にして“地理を語ること”が主題でしょうが、その“材料”提供も、一つの要素になっていると考えます。

市町村雑学・東京市ってあったの? の前書に記された
昭和24年(1949年)9月21日に大田区議会では、特別区制をやめて独立した市になることを議決

これを単純な昔話と考えて、見過ごしてしまえばそれまでですが、これを材料にして 掘り下げてみたら、特別区と東京都との事務権限を巡る一連の紛争、ひいては地方自治法施行から平成12年改革までの動き(更に将来の「基礎自治体連合」構想)へと、4回シリーズで“地理を語ること”ができました。

hmtマガジン 区制度の変遷 に追加収録しておきました。

このように、私の書き込みの大部分は、みなさんの書き込みの中の、ちょっとした“材料”をきっかけにしています。
一見無意味と思われる情報であっても、多様な側面からの材料は、予想外のところで地理を語る上で役立つことがあるでしょう。

ところで、異論の出た女性村長や 若い首長。
地方自治法施行に先立って行なわれた 1947年の統一地方選挙とのからみもあり、地方自治を語る“材料”の1つであることは、間違いないと思い、[78453]で「4人の女性村長」を紹介しました。

私の記事も1つの“材料”に過ぎず、首長データ記録としてとらえると 不十分[78458]ですが、気にしていません。

グリグリさんは 変遷情報などと同類の 本格的データして整備する意欲[78498]を示しておられますが、これを本格的に進めようとすると、[78521] 88 さんが、“調査が困難であろうことを承知の上で”と書かれているように、高いハードルが控えています。

私のような「いいかげん」な人間としては、“地理を語る材料”として役に立てば、それで良いので、多大の努力を払って完全なデータを揃えなくても…と思ってしまいます。
気の向くままに、入手できる範囲を探せばよい という姿勢でも、それなりにデータが蓄積され、役に立つのではないでしょうか。

客観的に首長の全データとして整備するのでなければ、『女性』であることを強調してまとめても、問題はないと思います。
むしろ、さきがけとして活躍した女性首長を集めることは、男女共同参画社会推進の理念にかなったものではないでしょうか。

蛇足
「いいかげん」すなわち「好い加減」とは、「費用対効果を【主観的判断で】適正にする」という意味で使われる。
【主観的判断を誤らない限りでは、】それは褒め言葉の一種とも解釈できる。
出典:『いいかげんな辞典』???
[78524] 2011年 6月 10日(金)12:27:02hmt さん
大田区の 「市」になる運動(4)その後の 東京都特別区
1947年の地方自治法施行直後から始まった特別区の自治権拡充運動は、1949年 大田区の独立市制運動[78493]を経て、神戸委員会に持ち込まれ、そこで相反する両者の主張が審議されました。
1951年8月に発表された勧告案の骨子が、特別区協議会資料 の 11/21コマ末尾に示されています。

勧告案によると、特別区は単純な行政区でこそないものの、東京都の下部機構である「制限自治区」として基礎的自治体の地位を失うことになります。特別区側は、直ちに区民自治擁護活動を始めましたが、結局は 大都市行政運営の一体性を阻害しない配慮から、神戸第二次勧告(特別区協議会資料 12コマ)が出されました。

勧告では憲法違反の疑いありとして言及しなかった区長任命制はついては、勧告を受けた都から強い意見が提出されています。
都区間に紛争の絶えない最大原因は区議会の存在よりも むしろ現行区長公選制にあるものと確信する。
勧告が区長公選制廃止について何等言及するところがないのは誠に遺憾

区側は要望書で懇請(13/21コマ)
特別区の存する区域を二十三に分割、解体せんと主張するものではありません。
特別区の謙虚にしてしかも控目なこの要請…特別区の性格を戦時都制に復元…憲法上五百万区民に与えられた既得の自治権を剥奪せんとするもの

しかし、結局のところ、地方自治法昭和27年改正により、特別区は自らの区長を選ぶ権利さえ奪われました(14コマ)。
hmtマガジン 区制度の変遷 では、1952年に中身が変った特別区に、「E4」の記号を付けています[75018]

東京都特別区がその後にたどった経過概要は、[75410]に ひと通り記載済ですが、特別区協議会資料のコマ数と共に、列挙記しておきます。

区長任命制は、1951年の神戸勧告(第二次)に対して都が強く主張し、翌年の法改正で実現させたものでしたが、10年後の1962年になると、都知事の附属機関である都制調査会が、次のように答申しています(15コマ)
現行の区長選任の方法(任命制)は、政治的妥協の結果で、望ましくない

同じ1962年には政府の地方制度調査会も、都行政の行き詰まり打開のため特別区への事務移譲を盛り込んだ第8次答申(16コマ)。これにより、昭和39年(1964)地方自治法改正(17コマ)。
地方制度調査会第15次答申(18コマ)を経て、昭和49年地方自治法改正で区長公選制も復活(19コマ)。

平成2年の第22次答申(20コマ)から8年もたった平成10年(1998)になって、ようやく23特別区の性格は 「基礎的な地方公共団体」 と明確に法定化され、「E6」になりました(21コマ)。
[75410]
2000年4月の施行から 「平成12年改革」 と呼ばれているこの制度は、東京都の区について、戦後に行なわれた一連の制度改革の到達点でしょうか。それとも新たな改革への出発点になるのでしょうか。

新たな改革への模索として、「都の区」の制度廃止と「基礎自治体連合」の構想 という資料もあります。
pdf文書の 14/26コマから、その一部を引用しておきます。
-----------------------------------
○  「都の区」の制度廃止後の東京大都市地域の基礎自治体は、「東京○○市」として実現する。「東京○○市」は東京都から分離・独立した存在として、地域における行政を自主的かつ総合的に担うものとする。
○ …特別区間には、行政需要や財源の極端な偏在が現存している。これらを踏まえ、実現可能な新たな基礎自治体間の関係を構想する必要がある。
○ この基礎自治体横断的な関係は、基礎自治体の新しい「対等・協力」の形であり、法的根拠を有する「基礎自治体連合」として設計する。
-----------------------------------

これこそ、大田区の 「市」になる運動 や、1950年の「首都市連合」構想の時代から、特別区が抱き続けてきた悲願の 新しい姿なのかもしれません。

参考までに、鳩山由紀夫 の発言。
地方分権はシャウプ勧告以来、戦後政治が置き忘れた宿題であり、新たな憲法改正の過程で、一気に抜本的改革を断行すべきである。
[78523] 2011年 6月 9日(木)12:19:23hmt さん
大田区の 「市」になる運動(3)神戸委員会での全面対決、東京都との争いに敗れた特別区
地方自治法施行直後から、特別区による自治権拡充の要望が東京都に出されていましたが、保健衛生事務、道路清掃事務のように、現実には、むしろ都の事務権限が拡大する法改正もありました。
1949年 大田区議会が議決した 独立市制への運動[78493]は、事務権限やその財源を巡る「都区の確執」の一環でした。

その後、国会議員などの中立委員による裁定が試みられ、その第2回裁定の翌日(1950/9/3)には、大田区の独立市制運動に幕が引かれました。【神戸委員会第一次勧告と関連させた推測[78506]は取消します。】

しかし、都区の確執はこれで解決したわけではありません。シャウプ税制改正で増収になる 特別区民税収入が 都に吸い上げられる 納付金制度は 23特別区にとり不満であり、都区間の紛争は、内閣が設けた「地方行政調査委員会議」に持ち込まれたのでした。

この「神戸委員会」【前回[78506]の副題にしたのは早すぎました】における両者の意見は、特別区協議会資料 の 11/21コマに要約されています。

【特別区の意見】《S25.12.23要請書抜粋》
1 名称「特別区」を「首都市(仮称)」と改める。
2 一般市と同様にその自主自律性を確立。
これだけならば、大田区の「市」になる運動のリメイク版かと思われますが、注目すべきは、その次です。
3 23首都市の区域は、都の区域外とすること。
4 23首都市は、その連合体(事務組合)を組織し、大都市事務・連絡調整・府県の事務を執行すること。

3項は、当時の地方自治法 第265条第1項(79/92コマ)“特別市は、都道府県の区域外とする。”という規定に対応しており、「首都市」は、基礎的自治体でありながら、連合体を作って県の機能も持つ という構想でした。

特別区の意見は、いわば東京都を「多摩県」化するものであり、大阪府・神奈川県などの五大都市所在県が、法律を必要とした 特別市 指定 に対して猛反対したのと同様に、東京都による真正面からの反対を招きました。

【都の提出意見抜粋】
区部を分けて行政区とし、都知事の権限に属する事務を分掌。区長は任命制。

つまり、五大都市の区([75012]の E3)と同じ扱いの 「特別でない区」にしようということです。

真っ向から対立した両者に対する軍配は、事実上、東京都側に挙がりました。
第二次神戸勧告の要旨は、特別区協議会資料の 12/21コマ に記されています。そのキーワードは、制限自治区です。

第12回国会 衆議院地方行政委員会
地方行政調査委員会議 議長 神戸政府委員の 趣旨説明
現在の東京都すなわち二十三区と三多摩とを合せた特殊な地方団体の形を維持することを、まず前提といたした次第であります。
制限された自治区として、あるいは完全なる自治団体に準ずるものとして認めようということになつたわけで、決して単に五大都市のごとく行政区とはしなかつたのであります。
事務の配分の上におきましては、(中略)ただ都知事がかつてに当てがうのでなく、法律でもつて法定化して…
都の仕事であつても、都の仕事の一定の部分は区に委任するという道を開きました。
[78522] 2011年 6月 9日(木)03:38:27般若堂そんぴん さん
「落書き帳」は
[78518] ニジェガロージェッツさん

「落書き帳」は「市町村プロフィール」ではありませんから,
単なる「親父ギャグ」
でもかまわない,と思います.(そう考えないと,私自身が……)
まさに,おっしゃる通り
だからと言って,「それをいっちゃあ,おしまいだよ!」
ですね.

「平成の大合併」以降,大雑把になってしまった般若堂でした.

【おまけ】そういえば,電話等で「~でした」と名乗るのは山形県民の特徴だそうですね.我が家では,亡くなった父がそうでした.しかし,母方はそうではなかったような…… 私自身も,「~でした」とは言ったことがなく,友人の言葉遣いに驚いた記憶があります.

【おまけ2】[77506] で予告した「次号」は,大震災への対応に追われているうちに時期を逸してしまいました.来冬にはなんとか書きたいものです.
[78521] 2011年 6月 8日(水)23:09:5488 さん
首長のデータ
[78520] グリグリ さん
首長ページを雑学ページのメニューとせずに、市区町村プロフィールのメニューとしたのは、雑学ではなく、自治体データとして、人口や面積データと同じく、記録すべき意義のある情報であるという私の認識からです。
地方自治法以降に限定して、すべての市区町村の首長選挙結果を網羅して、市区町村プロフィールのページにまとめた上で、年齢や性別で抽出したのであれば、雑学のページとして他の内容との均衡も取れるでしょう。現に他の雑学ページは、全市区町村のデータをそろえた上で、話題となるように一部を抽出して構成した形式となっています。
しかし、現在の首長のデータのように、最初から条件を限定して(抽出して)資料収集してまとめている状況は、内容が雑学的になってしまっていると思います。
グリグリさんのおっしゃるように、記録すべき意義のある情報であるという認識には異議はありませんが、調査が困難であろうことを承知の上で、全首長選挙のデータを収集して市区町村プロフィールのページにまとめ、そのうえで抽出して市区町村雑学のページに掲載することを提案します。
欲を言えば、自治体は首長と議会が、執行機関・議決機関という車の両輪として機能しているので、議員の選挙・議長の就任状況をあわせてまとめらればさらにベストだとは思いますが。

#「『女性』首長」として抽出して(強調して)まとめること自体が、現在の男女共同参画社会において適正かどうかは、再検討する必要があると思います。
[78520] 2011年 6月 8日(水)22:35:38オーナー グリグリ
都道府県市区町村
ちょっと緊迫した雰囲気になってしまいましたが、当事者の皆さんの人柄はよく存じ上げていますので、まぁ、たまには言いたいことを吐き出すのもよいのかなぁと思っています。とは言え、不快な雰囲気にはならないよう、よろしくお願いいたします。やはり、最初のきっかけとなった書き込みには、もう少し配慮が欲しかったなと思います。

とは言え、今回のご指摘があるまで、首長関係の企画ページにそのような感想があるとは、まったく想像もできませんでした。これはちょっとした驚きでした。昔からある公式ホームページや、最近追加した公式ツイッターのページも、同じ論理から言えば、地理とは関係ないと言うことになるのでしょうね。だとすると何で今更と考えさせられます。

首長ページを雑学ページのメニューとせずに、市区町村プロフィールのメニューとしたのは、雑学ではなく、自治体データとして、人口や面積データと同じく、記録すべき意義のある情報であるという私の認識からです。

つまり、当サイトは「都道府県市区町村」ということなのかなと。
[78519] 2011年 6月 8日(水)20:56:36YASU さん
文字にするときつくなってしまいますね
最近書き込みはしておりませんが、楽しく読ませていただいております。
宴の席では楽しくお話しできるのに、文字にすると刺々しくなり残念に思う次第です。

オーナーグリグリさんも首長ネタに参加されていることですので、あまり細かいことを言わずに楽しみましょうね。

この4月より総務部門に異動になったところ、社内および社外とのメールのやりとりでのトラブルがいくつか持ち込まれて対応におわれています。会って話せば問題は起きないないのに、と思っています。
[78518] 2011年 6月 8日(水)09:47:25【2】ニジェガロージェッツ さん
謙虚さを忘れるのは恥ずかしい
「白桃様」のつもりで書いてます
ほう。ならばその白桃様であれば,[57177][78510]のような書き込みが許されるのでしょうか。
他人の投稿への何の敬意もない,むしろ喧嘩を売るような比喩まで出して,反論が出れば「白桃様」だという。

[78516] 白桃様
「地理雑学の領域」にこだわりを持っています。
こだわりは誰もが持っていることであり,結構なことです。しかし,そのこだわりを押し付けるのはいただけません。
どうしてもというのであれば,御自身が地理雑学の掲示板を開設され,そちらで好きなように権力を振るうことをおすすめします。

首長の年齢や性別については、単なる「情報」であって、それらをどう組み立てたって「地理」はおろか、「地理雑学」にはならないと思います。
私も白桃様と同じ意見です。私の「地理雑学」の領域にも入りません。しかし,[78512]Issieさんや,[78517]JOUTOUさんのおっしゃるように,地理の好きな人には,人それぞれの「地理雑学の領域」があって然りです。
しつこく言いますが,私の「地理感」からすれば,言葉尻を市名に当てて漢字変換するのは,単なる「親父ギャグ」であって,それらをどう組み立てたって「地理」はおろか,「地理雑学」にはなりません。
だからと言って,「それをいっちゃあ,おしまいだよ!」

落書き帳三大聖地だの,十番勝負四天王だと言われ,毎日のように些細なことまで書き込みを続けていくほど,落書き帳が生活の一部分になってしまうと,つい自分がそこの主のように錯覚してしまうのではないか。その上での物言いでしょうか。性格のひねくれたニジェにはそのように見受けられます。
問題意識として議論されたいのであれば,最低限,他排的なものの言い方は控えてもらいたい。

やはり,謙虚さを忘れるのは恥ずかしい。
[78517] 2011年 6月 8日(水)09:06:00【1】JOUTOU さん
人それぞれの「地理感」があっていい
みなさんおはようございます。JOUTOUです。

[78510][78516]白桃さん
まず、わたしもIssieさんの意見に賛成です。わたし自身「地理」の楽しさは、どんな学問にもつながること(強いて言えばこじつけること?)ができることと考えています。大学によっては文系にも理系にもあるわけで、希薄な存在ではあるけれど、実はある意味生活に最も密着している“空気”にも似た大切なものだと思うのです。

ですから、わたしは白桃さんの考えを真っ向否定しようとは思っていませんが、この「落書き帳」がコミュニティーの場である以上、ニジェさんが指摘されているような他排的な比喩(揶揄)と言った類の書き込みは自重されるべきかと・・・。

お互い自身の信ずるところを率直に、時に厳しく、意見し合うことはおおいに結構!でも終わった後は相手を尊重する気持ちを忘れずに楽しくいきたいものです。
[78516] 2011年 6月 8日(水)07:23:44白桃 さん
「白桃様」のつもりで書いてます
[78511]グリグリさん
[78512]Issieさん
[78515]ニジェガロージェッツさん
当然、反論は来るだろうと予期してましたが、いきなりドッカ~ンと大砲が、しかも三方から飛んできて、白桃陣は壊滅状態です。
御三方のご意見はもっともです。よくわかりますが、私は、自分の関心がソコにあるかないかは関係なく、「地理雑学の領域」にこだわりを持っています。
今は時間がないので、少しだけ・・・

[78512]Issie さん
たぶん,これらは「地理」を語る際の材料ではあっても,それだけでは「地理」ではない。
それらを総合して“その地域がどのような場所であるのか”ということを語って初めて「地理」あるいは "geography" (ge=土地 の graphy=記録)となる。
だから,ここにあるのは「地理」ではなくて「地理雑学」。
で,それを語る“材料”は,いろいろな側面からさまざまな切り口のものがあった方がその組み立ても豊かになる。
首長の年齢や性別については、単なる「情報」であって、それらをどう組み立てたって「地理」はおろか、「地理雑学」にはならないと思います。
[78515] 2011年 6月 8日(水)01:43:33ニジェガロージェッツ さん
Re^2:それがどうしたの?
私も[78512]Issieさんとまったく同意見です。よくもこれほど的確に理路整然と「地理」について定義付けできたものだと感服します。さすがはプロの説得力。

正直なところ,小生も首長の年齢や性別といった情報には,興味を持っていません。
しかし,オーナー自らが進んでされていることでもあり,多くの反応が寄せられ,それぞれに多大な労力を重ねて検証されたデータであることは傍目にも容易に想像がつき,それを自分に関心のない,またはご自身の持つ「地理」の領域から逸脱しているからといって,「それがどうしたの?」と一言で切って捨てるかのような物言い[78510]は,何様のつもりでしょうか。

(今まで黙っていましたが)感じるトコロを率直に述べれば,言葉尻を市名に当てて漢字変換するようなものよりは,ずっと地理っぽい有用なデータです。近頃は幾分減ってきていますが,そういう親父ギャグが受けに受けて,子供たちまでもが「落書き帳」で得意顔で真似をするような状況こそ,私には「最近の書き込みはヒドイ」と感じていた頃がありました。
[78514] 2011年 6月 8日(水)01:09:12Issie さん
ブラタモリ on 東京タワー
遅い時間ですが,NHKで「ブラタモリ」の再放送をやっていました。
芝・東京タワーの回。今回,単発の再放送のようです。
今となっては,地震でテッペンが曲がってしまう前の東京タワーですね。

ところでNHKのHP内にある「ブラタモリ」のページを見てみたら,

 「ブラタモリ」が日本地理学会賞を受賞!

というニュースが。
“プロのみなさん”も視ているんですね。
第3シリーズは…,どうかなあ。

ま,こういう「地理」もある,ということで。
[78513] 2011年 6月 8日(水)01:00:33【1】BANDALGOM さん
生まれ故郷の元市長
グリグリさん

「女性首長」と「40歳未満で就任した首長」の一覧ページ作成お疲れ様です。
すでに多くの方から情報が寄せられているので、なかなか出番がなかったですが、ここでようやく私の出番が来たようです。

生まれ故郷であり、8歳まで過ごし、さらに高校3年間通学した千葉県鎌ケ谷市。
ここにかつて、30歳で就任した市長がいました。

以下、ウィキペディアからのコピペです。
皆川圭一郎(みながわ けいいちろう):1983年~2002年6月7日
当初市長選挙に出馬予定だった父親が逝去(首つり自殺)したため、代わりに出馬し当選。当選当時の年齢は全国最年少(30歳)で、5期19年にわたり市長を務めた。2002年5月30日に鎌ケ谷市汚職事件で、建設会社から裏金の一部をわいろとして受け取ったとして千葉地検に逮捕された。
就任したのは私が柏へ引っ越した翌年のことで、しかも当時(小学校3~4年)は新聞を読んでいなかったので、そんなに若い市長だとは思いませんでした。

91年の選挙の際、新聞で「38歳」と出ているのを見て、驚いたものです。
その後、福岡県八女市の野田国義氏と、山口県柳井市の河内山哲朗氏が34歳で当選するまで、皆川氏が全国最年少市長でした。野田氏が八女市長に当選した際、新聞に出ていたのを記憶しています。

全国青年市長会のメンバーだったということも、新聞で見た覚えがあります。
#全国青年市長会のサイトは参考になると思いますが、対象は「49歳までに当選した市長」となっています。

5期目の途中で不名誉な形の辞職となり、さらに2006年、肺癌のため53歳の若さで亡くなってしまいました。

就任日ははっきりしていませんが、統一地方選で当選したことは確実です。
鎌ケ谷市のサイトには年表がないため確認できませんし、2000年版の「全国市町村要覧」が実家にある(箱にしまってある)ため、今見ることはできませんが、01年版以前には名前が出ていますので、そちらで確認していただければと思います(私は持っていないので、悪しからず・・・)。

千葉県ではあと、八千代市で1971年4月から95年4月まで6期務めた仲村和平元市長が、30代で当選しています(任期はウィキペディアより。日にちは不詳)。

30代で当選した市長といえば、横浜市の中田宏前市長もいますね。
1964年9月20日生まれ、任期は2002年4月8日-09年8月17日(衆院選出馬で途中辞職)となっています。

それと、武蔵村山市の志々田浩太郎元市長は、就任当時27歳でした。当時の新聞で見ており、年齢もさることながら、その名前もインパクトがあったのでよく覚えています。

#女性首長については、もともと「アーカイブズ」にもなっていましたし、[66441]グリグリさんからの依頼を受けて、適宜情報を追加してきたものを、今回一覧ページとしてまとめられたものだと理解しています。あとは[78512]Issieさんと同意見で、そう目くじら立てるものではないと思います。
[78512] 2011年 6月 8日(水)00:24:28Issie さん
「地理」とは何か
…という問いがあったら,それに対する答えは人それぞれなんじゃないでしょうかね。
たとえば統計データの数字だけ取り出して並べてみて,それで「地理」と言えるか。
市町村の変遷をひたすら列挙してみて,それで「地理」と言えるか。
地名がどのように表記されるのか,「ケ」の大小を検討することが「地理」と言えるのか。
自治体はどのような名前を名乗るべきなのか,カタカナ地名はありかなしかを論ずることが「地理」と言えるのか。
何かのテーマを設定してそれに該当すると思われる地名を(それが本当にそれに相当するか否かにかかわりなく)並べあげることが「地理」と言えるのか。
…などなど。

たぶん,これらは「地理」を語る際の材料ではあっても,それだけでは「地理」ではない。
それらを総合して“その地域がどのような場所であるのか”ということを語って初めて「地理」あるいは "geography" (ge=土地 の graphy=記録)となる。
だから,ここにあるのは「地理」ではなくて「地理雑学」。
で,それを語る“材料”は,いろいろな側面からさまざまな切り口のものがあった方がその組み立ても豊かになる。

まあ,いろんなものがあっていいんじゃないですか。
私はむしろ,「イベント」の時だけ賑わって,ほかは閑散としている最近の状況が心配でした。だから最近,話題の幅が広がって良い傾向ではないかと思っていますよ。
[78511] 2011年 6月 7日(火)23:58:48オーナー グリグリ
Re:それがどうしたの?
う~~ん、思わぬところから抗議が来たという感じですね。
左利きの市長さんを探しますか?
水瓶座の市長さんを探しますか?
辰年生まれの市長さんを探しますか?
この比喩はちょっと?ではないかなぁ。

地理そのものからは少し離れてはいるかもしれませんが、都道府県市区町村の重要な要素である首長の情報として、女性首長や若い首長という切り口は、大いに意味があると思います。皆さんの反応も多いこともそれを裏付けていると思っています。[78498]にも書きましたが、首長の記録が整備されていないことに、不安というか正義感というか、何とか記録として止めておきたいという思いが強いです。

皆さんのご意見をお待ちしています。
[78510] 2011年 6月 7日(火)23:45:45白桃 さん
それがどうしたの?
言わせてもらいますが、最近の書き込みはオーナーからしてヒドイ。
全然、都道府県市町村の核心?から遠いトコロにいってしまっているのではないでしょうか?
何々市の市長さんが女性だとか、30代だとか、そりゃ、全く属人的なことであって、いわゆる地理雑学的(これをうまく説明することは難しいのですが)なことでは無いような思いがします。
じゃ、
左利きの市長さんを探しますか?
水瓶座の市長さんを探しますか?
辰年生まれの市長さんを探しますか?

以上ですが、皆様のご反論をお待ちしております。
[78509] 2011年 6月 7日(火)22:57:15【1】EMM さん
続々・元白峰村長さん&石川県にまだいた「若い首長さん」
[78498] オーナー グリグリ様

今日の夕方にもう一回石川県立図書館に行き、白峰村の広報誌(広報しらみね)を見たところ永井隆一元村長の就任日が判明しました。
また、そのついでにいろいろ調べた中で、石川県でもまだ何人か40歳未満で首長に就任された方がいたことが分かりました。
その中には情報が拾いきれないまま(また)閉館時間になってしまった方が1名いるのですが、とにかく分かった情報をお伝えします。
就任時の年齢で並べました。

自治体名氏名ふりがな就任日年齢就任日任期数生年月日
河北郡花園村今井源三いまいげんぞう31歳10ヶ月1947(S22).4.621915(T4).5.8
羽咋郡志雄町北谷保志きたたにやすし?33歳7ヶ月1966(S41).11.133以上?1933(S8).4.10
石川郡白峰村永井隆一ながいりゅういち35歳1ヶ月1995(H7).4.2931960(S35).3.2
石川郡鳥越村中川石雄なかがわいしお36歳10ヶ月1967(S42).4.3011930(S5).6.10
石川郡河内村田中博人たなかひろと37歳4ヶ月1984(S59).3.1331946(S21).10.15

確認した資料は次のとおりです。
今井源三さん:風雪に耐えて 今井源三公職38年記念誌(今井源三公職三十八年記念誌発刊委員会)
北谷保志さん:北國新聞縮刷版(H41.11、H59.2ほか)、志雄町史、1994年版石川県人名鑑
永井隆一さん:広報しらみね(H7.5)、1994年版石川県人名鑑
中川石雄さん:北國新聞縮刷版(H42.4、H59.2)、鳥越村史、1994年版石川県人名鑑
田中博人さん:北國新聞縮刷版(H59.2)、田中ひろと後援会≫田中ひろとプロフィール

田中博人さんは現役の石川県議会議員で、過去に河内村長だったのは知ってたんですが、今回の件でふと「今の年齢からすると該当するがで無いか?」と思い調べたところビンゴでした。
で、田中さんの初当選の時の新聞記事を追っていったら、過去の事例として北谷さん、中川さんの事が書いてありました。
中川さんは実は任期を1ヶ月残して辞任していました。
と言うのは、1971年の統一地方選挙では県会議員に立候補したからです。その後10回連続当選し、この前の統一地方選挙に際して引退しています。
北谷さんが情報が拾いきれる前に時間切れになってしまいました。
参考にした志雄町史が北谷さんの3期目在任中に出版されたものだったのがちと痛かった。
新聞も4年ごとに追ってみましたが、途中で分からなくなってしまいました。
4期目の途中で辞任した可能性有り?
今井さんは長らく県議会議員をされた方ですでに故人(1993年没)ですが、何かの折に私の父から「あの人は若い頃に村長をしていたことがある」という話を聞いたことがありました。
今回それをふと思い出して資料を探したところ、調べた中では一番若い時に就任されていたことが確認できました。
しかし、今回お示しした方達はいずれも調べる糸口があったのですが、網にかかって無い方がまだいそうな気がします。
特に、昭和22年4月の選挙は気になるところなので、今度また時間がとれたら当時の新聞のマイクロフィルムを調べてみようかと考えています。

#今回はいくつかの資料をあたった訳ですが、いずれも一長一短ありますね。
新聞は当選当時の年齢は確実に分かりますが、就任日は必ずしも出ているとか限らず、退任時期も追いにくい。
市町村史は就任日や在任期間は分かりますが、就任当時の年齢はなかなか書いてない。あと、出版されてからかなり経ってる場合もあり、そうなると当然最近の話は分からない。
人名鑑は出版当時の肩書きは分かったんですが、過去の経歴までは書いてありませんでした。(故に北谷保志さんの在任期間がつかめなかった)
そして、広報にもしっかり落とし穴が…実は、広報しらみねには永井さんの初登庁日が平成7年5月1日と書いてあり、この日が就任日かと思いきや、隣の記事をよーく見ると前の村長さんの任期が「4月28日まで」と書いてあり、慌ててメモを書き直しました。危ない危ない。
(4月29日は祭日ですし、平成7年の4月30日は調べたら日曜日でした…)
[78508] 2011年 6月 7日(火)20:09:38【1】スカンデルベクの鷲[大龍エクスプレス] さん
ツイッター情報
グリグリさん

能代市
大阪市大正区

のツイッターアカウントを発見しました。

【1】追記
大間町も発見。
[78507] 2011年 6月 7日(火)19:59:1488 さん
市区町村変遷情報 暫定レス
御無沙汰しております。

市区町村変遷情報につきましては、少しずつですが、手元データの整理作業などを続けております。皆様からのご指摘などもたくさんあり、それに対して資料を確認の上での編集・整理作業も同時並行で行っているのですが、如何せん、本当に悩ましい事例が増えており、すぐに行き詰り、ついつい後回しにして、比較的容易な作業の進捗を図る、との悪循環に陥っております。
しかし、そればかりでは何の解決にもならないので、私の積み残している内容をここで一つ、私自身の備忘録をも兼ねて途中経過報告として整理しておきたいと思います。

全体方針資料
[70709][70710][75438][76873][76874][76875] むっくん さん
これらについては、今後とも随時参考とさせていただきます。
既に、市制町村制施行の府県令など、大いに活用させていただいているところです。

北海道町村制度について
[67007][67008][67022][67053][70258] むっくん さん
[67671][67672][70485] 88
[70240][70263] hmt さん
本州以南の各地とは異なった制度の変遷の北海道。より正確に制度史を理解した上での作業が必要です。[73500] 88 でも、
・「明治地方制度成立史」(著:亀卦川浩、S42.12.25第1刷(H3.11.20第3刷)発行、巌南堂書店)
・「北海道町村制度史の研究」(著:鈴江英一、1985.3.25発行、北海道大学図書刊行会)
を読んだ上で制度面の再検証をすると宣言しながら、未だに達成しておりません。
改めて、じっくりと、確認・編集作業にかかりたいと思います。

個々の変遷情報(市制町村制施行時)
[76732][76733][76734][78466][78467][78468][78469][78494][78495][78496] むっくん さん
[78471][78478] hmt さん
[78476] Issie さん
この時期の資料は各種ありますが、本来は根拠である府県令に負うべきです。しかし、印刷技術その他社会事情から、誤りが多いことも事実であり、その都度、必要に応じて他資料の記述内容を採用することもあります。その取捨選択が非常に悩ましいものが多く、私なりに一貫した判断基準をもってあたっているつもりなのですが、編集作業の都度、揺らいでいる面も否定できません。
なんとか、少しずつ進めていきたいと思います。場合によっては、再修正も厭わずに。

個々の変遷情報(市制町村制施行時以外)
[74517] むっくん さん
[75487][75491][76121] 白桃 さん
[76950] hmt さん
[78457] 中島悟 さん
これらも、悩ましいものも多数あります。いくつか例示します。
[74517] むっくん さん (大阪府告示と大阪府公報の発行日との関係(合併等の施行日の判断))へのレスの投稿は、かなり早期から原稿を書いているのですが、過去ログでの議論と矛盾してしまう面もあり、息詰まる要因となっています。何らかの軌道修正が必要となりそうです。
[75491] 白桃 さん (旧大川郡白鳥町の町制施行年月日)の件については、県立図書館で「白鳥町史」と「香川県報」の香川県告示を確認してはいるのですが、これらが矛盾しています。どうやら、施行年月日を変更する告示が出るべきところ、それが行われていない、との判断となるかもしれません。
[78457] 中島悟 さん の件は、少し拝見した限りでもご指摘のとおり修正すべきものもあった一方、原案(既編集)のとおりと取扱いたいもの、また、判断に悩むものもあります。
これらにつきましても、具体的にお示しして、皆様のお知恵を拝借したいと思います。

大都市・区制度
[75507] ニジェガロージェッツ さん
[74517] むっくん さん
[74335][78433] hmt さん
市区町村変遷情報における区制度の記述方法は、全面的に見直しが必要かも、と思っております。「区」と言っても、大都市制度と関連し、また、hmtマガジンの区制度の変遷にもあるように、同じ「区」との呼称でも根拠となる制度が多岐にわたり、また、制度の変更も頻繁です。

また、これに関連してですが、大きな制度改正があった場合、その旨を個別情報ではなく、県別一覧及び日付順一覧で行単位で追加で記載すべきか、考えています。
「○年○月○日 △△△△法施行」
といった表記方法です。
例えば、S22.5.3の地方自治法施行を、市区町村変遷履歴情報 東京都(東京府)のS22.5.3の欄に「○市○町○村 地方自治法施行」と追加し、また、日付順(S22(1947))の5.3の欄にも同様に追加する、ということです。
(東京都はたまたま、同日付けで島嶼町村制も施行されていなかった八丈島(八丈小島)に地方自治法施行 2村設置が行われていますので、これとの整合も必要ですが。)
M22.4.1を初めとして各府県で順次行われた市制町村制施行が、郡区町村制編制法からの移行であり、近世から近代への移行であったと言えるものと同様に、S22.5.3は、従前の市町村は廃置分合はなくそのままの名称であったものの、近代から現代への移行とも言える大きな変更でした([69248] 88 も参照)

さらに、この表記方法をうまく活用できれば、変更種別の枠に捕らわれずに、他の事例でも応用できるのではないか、と思います。
例えば、郡については郡制施行、自治体としての郡の廃止、などを表すことができます。
区については、[65266][72201] 88 のような、区の制度の変遷や、同一時期で同じ「区」という呼称であっても制度(位置づけ)の違いによる区の状況を、簡便に示すことができます。
東京府・東京都の区に関しては、総務省の第27次地方制度調査会第16回専門小委員会資料1(P.14~P.20) (pdfファイル)の(6/7)ページ、ページ番号で言えばp.19にあるような、区の権能の変遷を記すことも可能です。例えば、
「H12.4.1 23区 基礎的な地方公共団体に移行」
と記すこともできます。

市制町村制・廃置分合施行日
[75043] むっくん さん
[76809] oki さん
[77581] 88
現在作業の主となっているものですが、根本が大きく揺らぎかねないところです。
[77581] 88 で私案をお示ししましたが、茨城県・千葉県・静岡県はM22.4.1ではなくそれ以前の廃置分合で間違いはなく、また、宮城県・神奈川県についても、M22.3.31限りで旧町村を終えて翌日のM22.4.1付けで廃置分合を行ったとする「以て」の表現の解釈は、ちょっとやはり無理があるかなあ、とも考えています。

――――――――――――――――――――
暫定版とはいえ、長文になってしまいました。やはり、レスは溜めすぎない方がいいことを実感しております。
順次対応してまいりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
[78506] 2011年 6月 7日(火)15:46:05hmt さん
大田区の 「市」になる運動(2)都区間紛争と「神戸委員会」
市区町村雑学・東京市ってあったの?
なお、昭和22年(1947年)5月に新憲法施行に基づく地方自治法が施行され、東京23区は特別地方公共団体として法人格が与えられましたが、東京都の権限が大きく、とても市町村と同じレベルとはいえないものでした。このため区の不満は高く、昭和24年(1949年)9月21日に大田区議会では、特別区制をやめて独立した市になることを議決したほどです(実現はしませんでしたが)。

このくだりの後半部を元に [78493]を書きました。今回は、前半部について補足説明から始めます。

[74935] で記したように、敗戦の翌年(1946)には 地方制度改革4法の1つとして、中央集権的であった東京都制が改正され、官庁の性格の濃い東京都庁の出先という立場になっていた東京都35区(D4)は、公選の区長を持つ いわば「市に準じる区」(D5)に変身し、1947年3月に22区に統合されました。

そして、その年(1947)の5月3日には、「地方自治」を定めた日本国憲法と、地方自治法とが施行されました。
ところが、この地方自治法は、1946年の東京都制改革の時に考えられたような形になっておらず、結果的に 東京都も相変わらず 市の立場がそのまま継続できる仕組みになっていました。

このような事情で、都と区の間には事務権限を巡る争いが生まれ、地方自治法施行13日後の 1947/5/16 には、区側から「自治権拡充に関する具申書」が出されました。特別区制度・戦後改革資料 の 9/21コマ
以下多用するこの資料を、作成者の名から「特別区協議会資料」と呼ぶことにします。

シリーズのタイトルに使った“大田区の「市」になる運動”は、「特別区協議会資料」の10コマに記されているような 事務権限等を巡る「都区の確執」に起因するものであると、理解することができます。
そして、この資料に記された経緯を経て、都区間の紛争は、国の「地方行政調査委員会議」に持ち込まれることになりました。

さて、明治維新により中央集権の近代国家を作った日本は、戦後の新憲法に「地方自治」を盛り込みました。
しかし、東京都の問題でもわかるように、国と地方との事務配分は一新されていません。
占領下の 1949年に来日した シャウプ使節団は、その改善を勧告しました。

シャウプ勧告を受けて内閣が設けたのが「地方行政調査委員会議」です。議長の 神戸(かんべ)正雄(京都大学教授、京都市長を経験)の名を取り、「神戸委員会」とも呼ばれます。

神戸委員会の第一次勧告(1950年5月、文献 の 11/18コマ)は、シャウプ勧告を整理・具体化し、行政責任明確化、能率、地方公共団体特に市町村優先の3原則を示し、これに基づく財政改革の方向を示しました。

「市」になる運動を進めていた大田区が、1950年9月になってこれを終結したのは、この第一次勧告を積極的に受け止め、大田区のままでも「完全自治区」[78493] になれる と判断したからでしょうか。

しかし、1950年6月25日に開始していた朝鮮戦争と連動した政治的環境は、この判断のようには進みませんでした。

1951年4月、トルーマンによる マッカーサー解任劇。当時の私は 高校生。「天皇陛下よりも偉い絶対権力者」だと思っていたマッカーサー元帥が、簡単にクビにされてしまったというニュースに 仰天したものです。
泥沼化していた朝鮮戦争の休戦を探る大統領と、軍事的観点から強行策を主張する総司令官との対立が、文民統制という切り札によって決着したのでした。

総司令官の後任になったリッジウェイは、戦後体制に備えて、ポツダム政令・関連法規の修正権限を日本政府に委譲する声明を出しました。日本国憲法の4周年記念日である 1951年5月3日のことです。

これを受けて、吉田首相の私的諮問機関として設置されたのが「政令諮問委員会」ですが、これが「逆コース」と呼ばれた政策転換の始まりで、特別区の自治権拡大も逆風にさらされるようになりました。
[78505] 2011年 6月 7日(火)15:20:18山野[山野] さん
郡違い
[78503]むっくんさん
甲賀郡甲良町の町長
甲良町は犬上郡では?
[78504] 2011年 6月 7日(火)15:19:24hmt さん
東京市の面積
市区町村雑学・東京市ってあったの?
修正意見が小出しになってしまいましたが、気になるところを、もう1ヶ所。
当時の「東京市」は現在の東京23区よりもかなり狭い範囲でしたが、少しずつ周辺の町村を取り込み現在の23区に近い大きさになりました。

東京市が周辺の町村を取り込む「市域拡張」は、隣接部の編入を繰り返した他の五大都市に遅れており、概ね江戸の朱引内由来の 15区のままという状態が続いていました。

関東大震災(1923)後に加速した 郊外への人口流出に対応するために、東京の市域は拡張されましたが、それは“少しずつ”ではなく、1932年10月1日に、隣接5郡の一括編入という形の“大拡張”を行ったのでした [74867]
いわゆる“大東京市”になった日は、東京市にとって、実質的に 34回目の誕生日[78433]でした。

市の変遷 にも示されているように、1932年に 現在の23区に近い大きさの “大東京市” が実現する前の町村編入は、1920年の内藤新宿町だけでした。

陸地測量部が昭和10年(1935)3月末日現在で調査した面積の内閣統計局版[74314]が、[74308] YT さん により紹介されています。
これにより面積を計算すると、東京の旧市域 15区は 81.23km2で、5郡編入後の35区は 550.85km2です。
1936年に ひと足遅れで編入した北多摩郡千歳村・砧村を加えると 572.81km2で、面積が約7倍になる大拡張でした。

参考までに、市区町村プロフィール の特別区面積は 617.18km2で、1936年の値よりも 44km2増加した計算になります。

葬祭場や変電所に「戸田」の名を残す船渡[65713]のような 隣接地編入もありますが、大部分は臨海地域の埋立です。
1935年の深川区 8.24 + 城東区 10.18 = 18.42km2 から 2009年の 39.94km2へと 21.5km2も増加した 江東区[75307] がダントツ。
以下、羽田空港の大田区 13.91、大井ふ頭の品川区 6.76、お台場の港区 3.14、葛西臨海公園の江戸川区 3.05と続き、増加トップ5区合計で 48km2の増加。
もちろん、「東京市」と無関係になってからの埋立地が大部分です。

内陸部の大部分の区は、1935年に比べて面積が減少しています。
これは面積測定ベースが5万分1地形図から2万5千分1地形図になり、陸海境界も変更されるなど、1988年に基準変更があった[67248]ためです。
[78503] 2011年 6月 7日(火)14:17:46【2】むっくん さん
40歳未満で就任した首長(滋賀県)
滋賀県内の地方自治体の首長で、40歳未満で就任した首長を3人紹介します。

まずは、山田耕三郎(やまだこうざぶろう)さん。1917(T6).1.15生まれです。
大津市例規集の大津市名誉市民の略歴および業績によると1947(S22).4.?投票とのことですので、で30歳?ヶ月で滋賀郡下阪本村の村長となりました。任期は1951年4月1日に大津市に合併されるまでですので、任期数はおそらく1だと推測されます。

次は武村正義(たけむらまさよし)さん。1934(S9).8.26生まれです。
市町村別首長選挙結果一覧 - 滋賀県(エクセル形式)によると1971(S46).4.25投票で36歳?ヶ月で八日市市の市長となりました。任期数は1です。

最後に山本日出男さん。1946(S21).10.12生まれです。
市町村別首長選挙結果一覧 - 滋賀県(エクセル形式)によると1985(S60).11.10投票で39歳?ヶ月で犬上郡甲良町の町長となりました。任期数は5です。

【訂正】
[78505]山野さんの御指摘により甲賀郡甲良町→犬上郡甲良町と訂正しました。
[78502] 2011年 6月 7日(火)01:25:23Issie さん
唯一人の公選北海道庁長官
[78500] にまん さん
次に知事。おそらく知事はこれで網羅できていると思います。

[78489] では適当なことを言っちゃいましたね。3人もいましたか。

北海道知事 田中敏文 たなかとしぶみ 35歳6ヶ月 1947(S22).5.? 3 1911(M44).11.9

田中さんが「北海道知事」になったのは現行憲法と地方自治法が施行された 1947年5月3日 であると思います。
でも,この人はその2週間前の 4月21日 からその職務に当たっています。恐らくは,旧憲法・道府県制下の「北海道庁長官」として。
地方自治法が貴族院で修正可決されて成立したのが 1947年3月28日,公布は 4月17日 ですから,田中さんが就任した4月21日時点では既に「北海道知事」となることはわかっているのですが,4月に投票が行われた選挙が始まったのはこの法律の施行はもちろん,恐らく成立よりも前でしょうから,この人は「最初の公選北海道庁長官」として選挙されたものと思われます。
これは「最初の東京都知事」である 安井誠一郎 さんが「東京都長官」として選挙されたのと同じです。で2人とも,「最後の公選長官」となった。
だから田中さんも,最初は「北海道庁長官」として就任して,5月3日に自動的に「北海道知事」に移行した,と考えていいのではないかと思うのですが,肝心の 北海道公式ページ には歴代長官・知事の一覧がないのですね(少なくとも,すぐ見つかる場所には)。北海道(庁)自身が,この辺りをどう処理しているか,知りたいところです。
[78501] 2011年 6月 6日(月)22:50:54EMM さん
続・元白峰村長さん
[78498] オーナー グリグリ様
EMMさんの白峰村長についてはもう少し情報が出てきてから掲載することにします。ご了承ください。
はい。多分そうなるだろうなぁ、と考えまして…閉館時間(午後8時)までにたどり着けそうだったので石川県立図書館まで行ってきました。
まず、1995年3・4月の北國新聞縮刷版を見たところ、擁立の動き~無投票当選までの間の全ての記事が35歳となっていました。
しかし、どの記事にも生年月日は書いてありません。
他に何か参考になりそうなものが無いかと思いながら書架を見ていると、1994年版石川県人名鑑(北國新聞社出版局)という本が目に止まりました。
永井元村長は1994年には白峰村議会議員だったようなので多分出てるんじゃないか…と思い探してみたら大当たりでして、生年月日は昭和35年3月2日とありました。
で、これをメモしたところで閉館時間となってしまいました。
就任日まで調べないと全部のデータが埋まらないと言うことについては帰宅途中の車の中で思い出した次第ですが、いずれにしても今日は時間切れでしたので、さらに日を改めて図書館に行ってきたいと思います。
蔵書検索をした結果、石川県立図書館には白峰村の広報誌がおいてあるのが確認できましたので、それを見れば就任日も分かるはず。多分…(公報があるとなお良いのですが、蔵書検索した限りではあるかどうか分かりませんでした)
[78500] 2011年 6月 6日(月)22:36:13にまん さん
40歳未満の首長
まずは、プロフィールが確認しやすい現役国会議員から探してみました。
既報の野田八女市長を含めると7人もいます。
長島逗子市長は[78499]でIssieさんも言及されていますね。辞任後の選挙で再選した場合は、前の任期を引き継ぐことになっていたかと思いますので、任期数は2としています。

自治体名氏名ふりがな就任日年齢就任日任期数生年月日
大分県玖珠郡玖珠町衛藤征士郎えとうせいしろう29歳11ヶ月1971(S46).4.?21941(S16)4.29
山形県最上郡金山町岸宏一きしこういち30歳11ヶ月?1971(S46).5.?71940(S15).6.3
神奈川県逗子市長島一由ながしまかずよし31歳?ヶ月1998(H10)12.?21967(S42).1.18
北海道虻田郡ニセコ町逢坂誠二おおさかせいじ35歳7ヶ月1994(H6).11.?31959(S34).4.24
福井県今立郡今立町若泉征三わかいずみせいぞう37歳?ヶ月1983(S58).?.?41945(S20).8.5
沖縄県中頭郡読谷村山内徳信やまうちとくしん39歳?ヶ月1974(S49).?.?61935(S10).2.15

次に知事。おそらく知事はこれで網羅できていると思います。

自治体名氏名ふりがな就任日年齢就任日任期数生年月日
北海道知事田中敏文たなかとしぶみ35歳6ヶ月1947(S22).5.?31911(M44).11.9
山口県知事田中龍夫たなかたつお36歳6ヶ月1947(S22).4.1621910(M43).9.20
佐賀県知事鍋島直紹なべしまなおつぐ38歳11ヶ月1951(S26).4.3021912(M45).5.19

そのほか、たまたま見つかったものを。。。

自治体名氏名ふりがな就任日年齢就任日任期数生年月日
高知県安芸郡西分村、芸西村岡村雅夫おかむらまさお28歳?ヶ月1947(S22).?.?131919(T8).1.1
栃木県真岡市岩崎純三いわさきじゅんぞう38歳0ヶ月1962(S37).5.1041924(T13).5.5
高知県香美郡夜須町清藤真司きよとうまさし38歳2ヶ月2003(H15).7.?11965(S40).5.9
ちなみに、岡村芸西村長の13選は首長多選の記録のようです。
若い首長というと、最近の傾向のように感じますが、こうしてみると昔から結構いらっしゃるようです。特に昭和22年の選挙は要注意ですね。公職追放の影響等があるのでしょうが、若い人が相当数当選している可能性が大です。


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