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深海魚さんの記事が20件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[21143]2003年10月16日
深海魚
[21139]2003年10月16日
深海魚
[21134]2003年10月16日
深海魚
[21132]2003年10月16日
深海魚
[21125]2003年10月16日
深海魚
[21096]2003年10月15日
深海魚
[21087]2003年10月15日
深海魚
[21079]2003年10月15日
深海魚
[21045]2003年10月14日
深海魚
[21039]2003年10月14日
深海魚
[21036]2003年10月14日
深海魚
[21029]2003年10月14日
深海魚
[21008]2003年10月13日
深海魚
[20997]2003年10月13日
深海魚
[20996]2003年10月13日
深海魚
[20987]2003年10月13日
深海魚
[20935]2003年10月12日
深海魚
[20920]2003年10月12日
深海魚
[20915]2003年10月12日
深海魚
[20907]2003年10月11日
深海魚

[21143] 2003年 10月 16日(木)18:22:48深海魚 さん
横浜鉄道談義
[21142] N-H さん
当時は倉庫のまわりにまぎれもない廃線が何本も敷かれたままになっており、哀愁を誘うものでしたねえ。
お、良いですねぇ。こういう光景でしたら、盆正月を犠牲にしてでも実地踏査に赴きますよ。(笑)

今でもたまにこの 「横浜駅裏ルート」 を通る臨時列車は設定されることはあるようですが、
現在は高島地区が地下化された事から些か興醒めですね。別の 「裏 ルート」 なら、横浜羽沢貨物駅を経由する 「ホーム・ライナー」 がありますが、こちらも専ら隧道区間ですしね。(笑) これらの経路と密接に関係する武蔵野線府中本町以南の貨物専用区間、速達便を設定すれば需要は多そうですが、保安上の問題とか色々と制約があるのでしょうか。
[21139] 2003年 10月 16日(木)17:16:38【1】深海魚 さん
臨時快速 「サロン横浜博」
[21135] 美濃織部さん
陶磁器の産地である市之倉や駄知と言った、現在よりも南の地域を通る計画
何れも後年、東濃鉄道が網羅した地域ですね。あの一帯で中央線から分岐する現存の支線といえば、明智、じゃなかった、明知鉄道を連想します。沿線自治体の内、恵那市と岩村町が木曽川水系、山岡町が庄内川水系、明智町が矢作川水系と多岐に渡り、街と街の間はとにかく丘越え、という陣容が印象的でした。坂を下った直後の終点、明智駅も大技です。(笑)

[21138] N-H さん
私はどうもあのレールについては 「あやしい」 と思っています。
元々が単線仕様だとして、大岡川河口の トラス橋部分で海側に偏って敷かれているのは不自然ですし、車両限界の点でも 「怪しい」 存在ですが、高層 ビルを擁する ウォーター・フロント地区でのこうした 「遺構」 は 「妖しい」 存在でもありますね。ちなみに赤煉瓦 パークに敷かれた線路は明らかに復元物と思われます。一方、遊歩道に化けた線路跡が高架区間となる県庁に近い倉庫街の一角には、純粋な 「遺構」 が残っていますね。

なにを隠そう、この期間限定路線の初日と最終日に乗車しております。
私は、期間中に新宿-桜木町で運転された欧風客車仕様の臨時快速に試乗しました。基本的に個室仕様で、指定された個室は アベックと同室で居た堪れなくなり、心中大泣きしながら展望室に避難すると云うほろ苦い思い出があります。(笑) 鶴見以南では、数年前に地下線化で消滅した高島貨物駅を経由するなど、大技な経路が楽しかったですね。
[21134] 2003年 10月 16日(木)15:30:21深海魚 さん
アクション仮面
[21133] 夜鳴き寿司屋さん
しかし国鉄時代末期には五郎~内子間の区間運転が日に5往復のみ運転されるのみだったそうです。
そうなると、特急や急行からの接続は度外視していたという事でしょうか。或いは急行くらいは五郎に停車していたのかな。起点の五郎に終点の内子、その昔、何かの悲恋伝説でもあったのか、と思わせる陣容ですね。(笑)

野原しんのすけが、市制50周年事業の一環としてイメージキャラクターへの起用と春日部市の住民登録されるそうです。
うーむ、春日部の幼稚園児は皆、「ケツだけ星人」 の様な御馬鹿が日常的である、と云った誤解を招来しないのかな、等と憂いつつも、土曜夜は我が子と TVの前で笑い転げる事が多い深海魚でした。(笑)

どなたが春日部市の方でレスしていただけたらいいように思います。所謂地方ネタということでお願いしたいです。
春日部高出身の知人が複数いるので聞いて見ませう。作者の臼井氏は中心街以南の伊勢崎線沿線が地元だそうですね。
[21132] 2003年 10月 16日(木)14:00:52【1】深海魚 さん
とねちゃん
国土交通大臣をして 「可愛い」 と言わしめた 「たまちゃん」 の再来なるか、今度は取手付近の利根川にて 「とねちゃん」 が登場したそうですね。とすると、出現したのが揖斐川なら 「いびちゃん」、淀川なら 「よどちゃん」、球磨川なら 「くまちゃん」、揚子江なら 「ヤンちゃん」、アムール川なら 「アムちゃん」 ……… 嗚呼、訳が判らない。(笑) 無関係の話ですが数日前の深夜に NHKで再放送された黄河の特集番組は見応えがありましたねぇ。

[21128] 月の輪熊さん
[21107] で今川焼さんが言わんとしているのはこのことではないでしょうか。
その事に気が付いて訂正しようと思ったら早速この御指摘。ナイス・ツッコミです。(苦笑) 茶屋町駅では瀬戸大橋線開業で高架化される以前、電鉄の ホーム跡が原型の侭に バス発着所として利用されていましたね。

信楽線は戦時中に鉄材供出のために一度廃止され、復活を遂げています。
これは完全に失念していましたね。(汗)

白河~磐城棚倉の白棚線は鉄材供出による廃線後、鉄道が復活せずに バス専用路線となったものですが。
久慈川水系の棚倉の中心街から阿武隈川水系の平坦地にかけ登坂が続く辺りは相変わらず専用道が確保され、往時の雰囲気が偲ばれるのですが、(国道 118号線の バイパス全通に伴い、高架橋から俯瞰が効く様になりました。) 表郷村の中心地区や白河市域では並行する国道 289号線の バイパスに転用され、渋滞の可能性がある一般道路から分離された専用道ならではの定時性は、以前ほど確保されていないのかも知れません。

棚倉を含む東白川郡一帯におけるここ一番の拠点都市は白河と思われ、白棚線を鉄道で存置した方が、塙や矢祭からの通勤・通学需要を集約出来た様にも思えます。(この方面に居住する生徒の為に、白河の公立高校では スクール・バスを運行しているそうです。) 一方石川郡の場合、水郡線の経路に従い郡山志向が強まるか、やはり白河の影響が強いのか、少々悩ましい処ですね。

なお、118号線経由を介して矢吹 I.C.から東北道に乗る事が多い私にとって、棚倉を過ぎて件の登坂後に阿武隈川水系の平坦地が広がると、東北に来たという実感を覚えます。冬季は冠雪の那須岳も遠望され、良い雰囲気ですね。

[21129] スナフキんさん
この両島、相当にお互いライバル意識を持っているらしいことをよく耳にします。
稚内には天北線の廃止前に何度か訪れた事がありますが、何れも昼行移動の際は急行 「天北」 を利用したので、抜海-南稚内の御約束の車窓風景をしみじみ見た事が無く、オロロン街道の試乗も含めて是非、風景撮影に行きたい場所です。一方の礼文島といえば、島内所在の Y.H.の アグレッシブな陣容は学生時代、仲間内では伝説と化していましたね。実際に利用した友人によると、フェリーが香深港に到着した時点で、「感動的な出会い」 があったそうです。(笑)

地図編集もそこまで落ちたか、と肩を落としたくなることが時折ありますね。
実は、私も地図屋なのですよ ……… とは言っても、少し離れた作業現場までの道順を模式的に描く程度の話なのですが、勤務先ではそれなりに好評を得ています。(笑) それゆえ、地図編集作業の難しさのほんの一端を垣間見た積もりですが、近年の都市図ですと、主要都市の場合、高速道高架橋の複数階層化や地下鉄の伸張などから、平面で表現し得る内容が限界に来ている様な印象も受けますね。用務で首都圏方面に車を出す場合、カーナビに頼らない私は、広域地図に加えて市街詳細地図の二冊を携行する場合が一般的です。
[21125] 2003年 10月 16日(木)10:24:08【1】深海魚 さん
レス諸々
[21100] ジューンさん
JR中央線も建設時は、東濃の中心の御嵩を通って名古屋に至る計画だったそうです。
東濃地区の中央線を見ると、木曽川とは微妙に異なる経路が特徴的で、当初は違和感を覚えたものですが、あの一帯では木曽川は相応に渓谷気味の様子で、古虎渓での難所越えがあるにせよ多治見を経由したのは必然的かも知れませんね。御嵩町中心部は木曽川から少し離れますが、国道 21号線の経路が御指摘の計画の名残りの様な印象を受けます。

[21102] なおさん
確かに、地図を見ると島と言う感じなのですが、実際いると島とは感じません。
国道 205号線の針尾 バイパスも、早岐瀬戸を二度越える形で掠めていますね。利用者の大半にとって、島を経由している認識や実感は乏しい様に拝察します。

[21107] 今川焼さん
JR瀬戸大橋線の茶屋町~児島間 (下津井電鉄)
瀬戸大橋線 (本四備讃線) は児島を出ると橋梁部となり、旧下津井を代替する固有の駅が無い為、解釈上は微妙かな。

北近畿タンゴ鉄道宮福線の福知山~大江間 (北丹鉄道)
終着駅は 「南有路」 でしたっけ。子供の頃、地図を見る度に、なぜ加悦鉄道と繋げないのかと感じていました。

愛知環状鉄道の岡崎~新上挙母間 (名鉄挙母線・岡崎市内線)
あ、これは完全に失念していました。

[21111] faithさん
京阪の京津線や、南海の天王寺線のルートの一部は地下鉄になって再利用されていますね。
これは地下鉄移行を前提とした廃止でしょうか。南海天王寺線はあれだけの短距離路線で良くぞ存続したものと感じます。部分廃止後は他線への連絡性も乏しい様で、限られた沿線住民の為の存在、という感じの線形でしたね。

[21113] カッパーさん
信楽高原鉄道もその例ですか?(元国鉄信楽線)
三セク移行後に事故で長期間運休という事で、復活例とは異なりそうです。犠牲者多数を出した衝突事故の現場付近は、信楽高原と琵琶湖の盆地との高低差を克服する登坂を伴う森の中で、標高差は結構大きい様子ですね。あの事故の直後、茨城県では、電源車を伴っての機関車牽引によると思しき常磐線特急の大洗直通が急遽中止されています。

[21116] 夜鳴き寿司屋さん
国有化と改軌工事に伴い大洲起点が五郎起点に変更され60年近く軌道敷は放棄されていましたので。
予讃線 バイパス化以前の内子線列車は、伊予大洲まで乗り入れていましたっけ? あの一帯の中心となる大洲から見て、五郎で方向転換する内子線の線形には、多少違和感がありました。

また大阪の阪急千里線の吹田~大阪間は大正時代までの東海道線を再利用した路線だそうですが、
国鉄線の転用例としては、廃止された南部縦貫鉄道の野辺地-西千曳も該当しますね。

[21118] 美濃織部さん
東濃地方は岐阜市よりも名古屋市のほうが、圧倒的に結びつきが強いと思います。
経済的にはそうでしょうね。他方、行政上の諸手続きに基く岐阜志向も少なくはないと思いますが、大概は合同庁舎などの出先機関で間に合うのかな。

[21120] M.F さん
東急玉川線→新玉川線 (現:田園都市線) のような例は対象外でしょうね。
玉電廃止は新玉川線開業が前提でしたか。幼少時、首都高の高架下に線路が残っているのを見た記憶があります。

[21121] EMMさん
つまり、富山高校と富山中部高校は同一学区内で並び立っているのです。
伝統性、立地条件等の要因で、何れか一方に人気が集中しない様、事前に何らかの均衡化措置は講じられていないのか、両校の並立性を見るとつい勘ぐってしまいますね。

高岡学区では高岡高校に上位クラスが集中しますので、富山県のトップの座はは高岡高校が守っています。
「高岡中部」 と称した時期もありますね。やはり旧制中学系である新湊高は、その頃 「高岡東部」 を名乗っていました。

砺波学区の上位 クラスが高岡高校、新川学区の上位 クラスが富山高校・富山中部高校を受験するようになり、
結局、交通事情が許す限り、ほぼ自由に進学先を選べる状況の様ですね。

「現在の第1・第3学区からの受験生が大勢金沢市内の高校に押し寄せ、金沢市内の学生があぶれてしまうのでは」
七尾高校や小松高校が人気処かと思われますが、それでも大局的には金沢志向が強まりつつあるのでしょうね。

「奥能登から金沢の親戚の家に引っ越して、わざわざ金沢泉丘高校を受験した」
流石は県立一中系、グリグリ様を輩出されただけの事はあります。(笑) 県都の公立伝統校を隔地から志向する例として、岩手県普代村から盛岡一高を受験した、なんて話も聞いた事があります。地元の水戸でも、複数の高校でかなり広域から生徒を集めており、私の同窓生でも通学時間が片道二時間を越えていた例が散見されました。

[21122] あんどれさん
武州鉄道は蓮田~川口を結ぶ予定で設立され、現在の川口市内に入ったところで延伸を断念、廃線となったものです。
まず郊外部の敷設ありき、然るに市街部分で挫折、というところが、往年の地方私鉄らしい陣容ですね。
[21096] 2003年 10月 15日(水)17:09:26【1】深海魚 さん
復活の日
[21089] なきらさん
ここを鉄道でつないでほしかったな、と今も時々思います。
弩臭い委員長の脳内路線網によれば、東武東上線は東松山から熊谷を経て太田に到達しております。(笑) 実際、あれば便利だったでしょうね。東武熊谷線の現役時代は私も良く記憶しております。熊谷-上熊谷は単線並列で秩父鉄道に沿い、その後徐に高崎線を跨ぐという趣向で、新町から神流川河川敷に向けて伸びていた怪し気な貨物電化線と併せ、高崎線の車窓風景の楽しみでしたね。

[21094] わたらせGさん
廃線が復活した事例って今までにありえるのでしょうか?
湖西線に発展的解消する前提で廃止された江若鉄道は例外として、廃止後一定期間を経て、ほぼ同様の経路を集約して新線が開通した例としては、北越急行のうらがわら以西 (旧頚城鉄道)、井原鉄道の矢掛以西 (旧井笠鉄道)、土佐くろしお鉄道の安芸以西 (土佐電鉄)、[18021] (沖縄県営鉄道) が挙げられます。(笑) なお、[5456] で紹介申し上げた札沼線は戦争に翻弄された典型例ですね。探せばまだまだ見つかる事でしょう。
[21087] 2003年 10月 15日(水)13:32:54深海魚 さん
レス諸々
[21062] [21066] [21072] 中島悟さん
佐世保から見ると諫早は地続き、長崎は西海橋の向こうの最果てという感じがします。
一方、佐世保でも ハウステンボスを擁する針尾島を 「島」 と認識する度合いは大きくないと思うのですが、如何でしょうか。

同じ政党の候補同士が戦うのがいけないというのなら中選挙区のまま比例代表にすればよかったし、
選挙でも 「総合選抜制」 を導入するとか。(何だそりゃ?)

これほど地上波に恵まれた所はたぶん東瀬戸内とここだけでしょうね。
1980年頃の南大東島における製糖事業所の軽便鉄道を紹介した記事の中に、同地の TV事情を巡る対極的事例の言及があります。同島では当事 TV電波が届かず、個人が簡易放送局を設営し、那覇から空輸した フィルムを夕刻 ゴールデン・タイムのみ放映する、という体制だったそうで、途中で放送が途切れてそれきりだったり、真夏に新春用の番組が流れたりと大技も少なくなかったとか。

[21063] NSさん
「道央」 をどう捉えるか? という命題にぶち当たる訳ですが、
鉄道体系至上主義者の私としては、札幌の通勤圏と思しき小樽、千歳、岩見沢までの沿線自治体に加え、海運上の玄関口苫小牧や、旭川方面に特急が雁行する函館線電化区間の沿線と解釈しています。(かなり乱暴かな。)

[21064] TKS-H さん
博多南線の運行そのものの存続は未定のようです。
博多南駅周辺から福岡市主要地区への到達性において、現行 「回送新幹線」 を容易に代替し得る交通機関が無い以上、存続するのが自然かと感じます。そもそも博多南駅周辺では、こうした利便性を前提とした宅地開発とか無いのでしょうか。

[21068] 牛山牛太郎さん
7人の小人は 「石巻市、古川市、気仙沼市、塩釜市、白石市、迫町、大河原町」 といったところでしょうか。
では、魔法使いの婆さんに相当するのはどこでしょうか? やはり林檎の産地かな? (笑)

[21069] 白桃さん
香川県立三本松高校の校歌の一節に 「♪三本松は永遠に不滅です」 というのがある。
「神田の古書街にこもりたる 地図探索の意欲こそ わが白桃の境地なれ」 ……… ではなかったでしたっけ?(笑)

それでは私も対抗して出題。正誤を判断して下さい。(爆)
埼玉県比企郡では、「ミッキー・マウス」 の事を 「ヒッキー・マウス」 と称する。
北海道森町と徳島県由岐町では、「ヤマト市」 の名称で越県合併の構想がある。
富士五湖とは 「きな湖」 「さらし湖」 「かたくり湖」 「ふくらし湖」 「はくりき湖」 の総称である。

[21080] じゃごたろさん
はっきり言って決め手が無い …。
個人的には城下町である鶴岡の方が街の雰囲気は好きなのですが、(その一方、酒田の街外れから仰ぐ冠雪の鳥海山も格別です。) 山形新幹線の延長区間として高規格化する、との構想も一時あったらしい陸羽西線 (お、「奥の細道・最上川 ライン」 つう名前になったの? 何か洒落でんな。俺にぴったしが?/笑) の流れを収束した港湾都市という意味合いから、酒田に少しだけ分がある様な気もします。ちなみに月山付近で一大山越となる国道 112号線が整備される以前、余目での分割併合の有無は失念しましたが、陸羽西線急行は一部が鶴岡方面発着 (確か鼠ヶ関で折返し) で運転されていました。酒田と鶴岡の並立性を象徴している様ですね。

旧制中学系の鶴岡南、酒田東の両高校は概ね同時期創立ですが、県立移管は鶴岡南の方が 20年ほど先行しています。
[21079] 2003年 10月 15日(水)09:10:50【1】深海魚 さん
レス諸々
[21044] ぴょんさん
伊田線が複線だったのには昔は スゴかったんだろなと感心したとともに少し驚きました。
運炭華やかなりし当事の名残ですね。室蘭線沼ノ端以遠の 「閑散区間」 にも複線区間が存在します。

[21046] 三丁目さん
東北自動車道に関しては、群馬県を通っており、館林 ICがあるのですね。
これは、経路が選定された当事、私と道路公団との間に確執があり、茨城県が忌避された為です。(激嘘)

春日部経由の日光街道に比べて、大宮経由の東北線はやや西側を迂回する感じですが、東北道の迂回振りはこれを更に上回りますね。新国道四号線の整備は、かかる東北道の経路で割りを食った感じの東北線東側一帯の救済策的な意味もある様に感じます。そうしてまで館林を経由する理由は、流通の拠点として機能している両毛地区の存在か、あるいは他の理由で館林を経由した結果、両毛地区の要衝性が構築されたのか、悩ましいところです。ちなみに、関越道が高崎線でなく東武東上線に近い経路を採っているのは、館林経由の東北道と一定間隔を確保した結果である様に思われます。

ちなみに新幹線は茨城県を通過しますが、新幹線の経路にありながら駅が無いのは茨城県だけなんですよねぇ。(涙)

[21049] hmtさん
阪和電気鉄道は開業自体がずっと後の 1929/7/18 で、しかも当時の堺市街地を外れていたために駅がなく、
東岸和田、東貝塚、東佐野の駅名に象徴される 「郊外性」 ゆえに、南海電鉄との大同合併時代の阪和線は、南海本線の速達路線として機能していた様ですね。

[21051] [21055] EMMさん
能登空港へのアクセスも実は一番良い、超大穴の穴水町 (!) を輪島の代わりに … というのも考えましたが …
のと鉄道の部分廃止という意味では穴水もやや寂しくなったか、と感じていましたが、能登空港があったのですね。廃止前、急行で輪島まで往復した事がありますが、穴水を発車すると登坂続きで、半島横断の山越区間が実感されましたっけ。

学区内の最難関校が魚津高校なので、独断と偏見で魚津に軍配を上げました。
県立第三中学の系譜ですからね。富山地鉄との連絡性に基くと思われる JR特急の停車 パターンから考えても同意です。

ちなみに、富山県内で御三家といえば富山高校、富山中部高校、高岡高校のことを指しますね。
富山高、富山中部高が同じ街で並列的に有力進学校たり得ているのは特異的な印象を受けます。仮に学区が異なるなら、政令市でもない富山市街がどの様な線引きにて 「分断」 されているのか、興味深いですね。先頃 ノーベル賞を受賞された田中さんを輩出した中部高が 1920年に創立された時の名称は 「県立神通中学」。1885年創立の富山中学に追従するべく安直に 「富山第二中学」 を名乗らなかった点に何となく独立不羈の精神を感じます。「富山北部高校」 の存在を考えると、現在の 「中部」 の方が、行政上の意を呈した様な命名感覚でしょうか?

北陸で似た様な例としては、合同選抜関係にあった福井市の藤島高と高志高に、武生高を加えた陣容が挙げられますね。当該選抜制度は現在は解消され、併せて武生地区から福井市内も受験可能になったと聞きます。今後の 「勢力地図」 の変遷が注目される処です。

[21052] 琉球の風さん
また、県庁を移転するとすれば、やはり沖縄市でしょう。
その節は、是非 「ザコ市」 に改称して頂きたいものです。(笑)

[21053] 今川焼さん
ここも地域性から北部の豊岡市を入れたいところですが…。
そうなると、「本州」 の回文の如きにして、実は本州ではない 「洲本」 市の立場も微妙ですね。ちなみに、宇土半島と橋梁で陸続きの熊本県本渡市は 「本土」 と言えるのでしょうか?

[21059] seahawkさん
今、レンタルショップから今日借りてきたTOKIOの 「AMBITIOUS JAPAN!」 を聴いていました。
「♪ Be ambitious」 と聞くと、日大山形高校の校歌冒頭を連想する深海魚でした。(笑)

[21065] Issieさん
というわけで,可児地域の扱いについては学校名と異同がありますね。
それだけ、地勢的に微妙な位置という事でしょうか。なお 「中濃」 と聞くと、トンカツ・ソースを連想する深海魚でした。(笑)
[21045] 2003年 10月 14日(火)18:05:43深海魚 さん
こりゃあ 80時間行くかな?
[21038] [21040] kentanさん
連休中は雨・雨・雨で、昨日の豪雨は凄まじかった !!
鹿嶋方面では大きな事故に発展した様ですね。私の所は一過性の雷雨程度で済みましたが。

水戸はひたちなか市・笠間市・友部町・茨城町・日立市を含めて安全圏かもね。
つくば EXP. 開業に伴う ストロー効果が水戸界隈に及んだら怖いですよ。(笑)

茨城県の 「御三家」 を水戸、土浦、日立とする考え方は、私にとっては非常に判り易いのですが、気がついたらつくば市がこれ程に発展してしまい、腕組みものですね。一方 「四天王」 で神栖を選ばれていますが、臨海工業地帯の産業集積性に加えて JRの駅を擁し、元々が郡名と一致する鹿嶋の方が何となく要衝性が高い様な。とは言え、商業集積性で見た場合、あの一帯では、神栖町の大野原地区界隈が最も高い様に感じますね。千葉県の場合は、鉄道網が異様に発達した (笑) 船橋は押さえて置きたいですね。

[21041] KNさん
八代 … 県南部のかつての中心都市ではありませんが、現在の状況では優勢なので
あ、そうなんですか。明治時代に旧制県立第一中学 (元々は熊本の済々黌の分校ですが、行政上の都合から県立移管が先行しただけの話ですが。) が設置された程の街ですから、球磨川の水運の可能性も含め (急流気味なので無理かな?) 相応に格式のある、古くから栄えた街の様に感じていましたが。

[21042] だんなさん
四天王となると難しいのですが、上記三市に加えここは輪島市になるかなと。
真っ当に考えれば、松任が相応しいかと存じますが、い加賀でしょうか?(笑)
[21039] 2003年 10月 14日(火)15:58:33【1】深海魚 さん
自宅周辺引き篭もり記録更新中 (そろそろ 70時間)
[21037] ぴょんさん
大まかには遠賀郡-鞍手郡東部-田川地区までが広義の北九州圏といえそうです。
成る程、納得です。「大きな買い物」 志向先で飯塚が取り沙汰されていますが、商業集積性は高そうですね。古参格高校の創立時期を見ると、1758年の豊津高は別格として (笑) 飯塚市の嘉穂高が 1902年、田川高が 1917年、直方市の鞍手高が 1918年と、歴史的な拠点性から見ても、飯塚に一日の長がありそうですね。福岡市への到達性も有利に作用したのかな。

ところで、篠栗線の山越え区間が開通したのは 1968年と意外に新しく、それ以前の筑豊地区でここ一番の買い物と言えば小倉や黒崎など、北九州志向一辺倒だったのでしょうね。こうした商圏の変化も、福岡市と北九州との 「力関係」 に何かと影響したのかも知れませんね。

その篠栗線全通後は専ら閑散区間の印象が強い筑豊線の桂川以遠ですが、篠栗線全通の少し以前より暫くの間、大阪と長崎・佐世保方面を結ぶ特急の経路に供されていた事実も、隔世の観が強いですね。恐らくは、石炭輸送を第一義に考え拠点都市である福岡を避けた所産と思われますが、そう考えると、室蘭線沼ノ端以遠に通じるものを感じます。

千葉---千葉・船橋・成田---銚子     う … うぅ … 苦しい …
地域的均衡を考えるなら、木更津、柏 (または松戸) も考慮したい処ですねぇ。うーん、難しい ……
[21036] 2003年 10月 14日(火)13:02:46深海魚 さん
岐阜県の謎
[21030] ズッキーさん
岐阜県の中心は? と聞かれたら、名古屋というのが一番正しい (笑) ……
東濃地区と中・西濃地区の間を鉄道または高速道で移動する場合、隣接県の県都である名古屋が経路上の結節点になる特異な例ですね。岐阜県が広域的に名古屋の経済圏に包括される一因は、この辺にあると思われます。経済面はともかく行政面では東濃地区から岐阜市を指向する移動需要もあるでしょうから、太多線経由の短絡性を生かして、平日の朝夕に岐阜-中津川に快速を設定すれば相応の利用があるかな、とも思います。もっとも高山線や太多線は非電化路線ですし、電車に比べ速度性能が劣る気動車を、特急 「しなの」 や 「セントラル・ライナー」 が雁行する中央線に割り込ませるのは、意外に面倒な話かも知れません。それなら、高規格路線を生かして名古屋経由とした方が、という事に落ち着くのかも。

その様に考えると、岐阜-美濃太田-多治見くらいは電化を検討する価値があるかも知れませんね。特急 「北アルプス」 廃止以来、使用されていないと思われる名鉄犬山線-高山線の連絡線を活用し、名鉄電車を美濃太田まで直通させれば、名古屋志向の通勤需要に応えられると思うのですが、そうなると名鉄広見線の運賃収入に影響するかな? 斯くも悩ましい美濃加茂と可児の関係ですが、市街自体は近接するものの、間に木曽川を挟むこの両市、街としての一体性や如何に? また、御嵩町の 「東濃高校」 「東濃実業高校」 の存在から、可児界隈が東濃地区に属するのは判るとして、木曽川対岸の美濃加茂市や、更にその先の関市、美濃市はどう解釈されるのか、謎は深まります。(笑)

東濃地区の進学校といえば、可児高や多治見北高が連想され、現在の街の位置付けを体現した印象がありますが、旧制中学系の伝統校というと、東濃高と恵那高ですね。これらの各校が設立された当事の 「勢力関係」 を反映した所産ならば、中央線と高山線、この並行する二大軸を結ぶ太多線の開業が、一帯の地勢を変容せしめたのかな、とも感じます。

[21034] 軒下提灯さん
判断材料は青江美奈の 「大田 (テジョン) ブルース」 が好きだからです。判断材料を間違えてますか~?
その論法ですと、北海道の四天王は、札幌市、旭川市、函館市、えりも町という事になりますね。(笑)
[21029] 2003年 10月 14日(火)10:09:04【1】深海魚 さん
レス諸々
[21000] faithさん
たとえば相撲の番付だとこんな感じでしょうか?
これですと、角番やら親方株やら、奥の深い話になりそうですね。(笑)

[21002] 地球人さん
県全体から見ると、長崎市は不便だったのかもしれませんね。
ゆえに 「諫早遷都論」 が比較的説得力を持つ訳ですね。(笑) ちなみに長崎から佐世保まで移動する場合、西彼杵半島の国道 206号線を経由するのは一般的ではないのでしょうか?

[21005] Issieさん
天王寺に関する御教示、有難うございます。区と村の違いはあれ、1925年の再編時を境として、異なる地域で 「天王寺」 を名乗る現象があった訳ですね。

この旧天王寺村の区域が 1943年の区再編で分立して 「阿倍野区」 となったものです。
阿倍野区における 「天王寺」 の表記は、この分立の名残と考えて良いのでしょうか。

[21007] なおさん
高速道路などのアクセス面から考えてこの地域を選びました。
相模線の交差点に新幹線駅を設置する事が要件でしょうね。そういえばこの構想、どうなっているのやら?

[21010] カッパーさん
ここは大技ということで、京都府庁を京都市山科区に移転。滋賀県庁と共同で使う。無理か (笑)
只でさえ県都が京都市の経済圏に含まれる現況下、滋賀県の主権が京都府に握られてしまうのでは? 弩臭い政権流なら琵琶湖の水資源を人質に安全保障条約批准を迫りますけどね。(笑)

[21011] mikiさん
交通の事や大学誘致などの事を考えてみると、このように東広島が座を奪ってしまったわけなのです。
広島大学が同地に総合移転したのは、東京教育大学改め筑波大学よろしく学園都市形成の核と位置づける意図と併せて、太田川三角州に市街が集中する広島市では、もはや必要な敷地を確保するのが困難という事でしょうか。新幹線から一瞥する西条の街は、高層 ビルも相まって近代的な印象ですね。盆地が展開する分、まだまだ発展の余地はありそうですが、広島大学に関係する知人によれば、広島市との著しい気候差に驚かされたとの事。

[21012] なおさん
大分県の御三家は、大分・別府・日田ですね。四天王は大分・日田・中津・佐伯です。
日田はそれ程に大きな街なのですか。山間の立地で観光地を控えているだけに、市街規模はそれ程ではないのかな、とも感じていましたが。もし地域的整合性に基いた発想となると、竹田市の位置付けも微妙ですね。

鹿児島県の御三家は鹿児島・川内・鹿屋で、四天王は微妙どす … ですね。
鹿屋ですか。鉄道の存在を都市規模の バロメーターと感じる私としては、少々意外な気もしますね。鹿児島県で鉄道駅を持たない市は他に、大口、加世田、垂水、名瀬、西之表 ……… 結構、多いですね。

福岡県の御三家は福岡・北九州・久留米で、四天王は福岡・久留米・北九州・飯塚です。
筑豊、篠栗線が電化された背景には、飯塚市の伸張も一因なのでしょうね。筑豊の都市というと、直方と飯塚が両雄という印象ですが、鉄道の電化で福岡市の都市圏としての性格が強まった同地域にあって、北九州市の経済圏との境界はどの辺りでしょうか。筑豊電鉄の存在から、直方市は北九州寄りかな、とは感じます。

佐賀県は御三家が佐賀・唐津・伊万里です。四天王は佐賀・唐津・鳥栖・伊万里です。
私の感覚だと、高速道や鉄道の要衝としての面から、御三家として鳥栖を挙げたいですね。もっとも同市は、県境を介して接する久留米市や小郡市と一体的な経済圏を構成している可能性もありますが。

長崎県は御三家が佐世保・長崎・大村&諫早で、四天王は佐世保・長崎・諫早&大村・島原です。
大村と諫早は一体ですか。確かに空港と陸路の要衝を併せての一大交通拠点という印象はありますね。

韓国の御三家はソウル・プサン・テグです。四天王は判断材料がありません。
おお、海外まで言及ですか。四天王となると、旧直轄市である光州が挙げられるでしょうか。

[21016] yamadaさん
これを御三家として、4天王は…? 天王町でも入れておきましょうか(???)
上手い! おーい山田君、yamadaさんに座布団五枚差し上げてね ♪

[21020] ズッキーさん
四天王は岐阜・大垣・高山・多治見だと思うのですが、
高山を挙げたのは、旧美濃国と飛騨国との地域的整合性からですか? 交通の要衝である美濃加茂はどうでしょう?

[21021] わたらせ Gさん
栃木は、「御三家」 が宇都宮、足利、小山で 「四天王」 は宇都宮、足利、小山、栃木といったところですかね?
うーん、両毛地区が絡むと難しいですねえ。交通面でも市街規模でも見事に等質的な街が揃っている印象ですから。

[21023] 赤尾鯰さん
長野県は長野市、松本市、上田市、飯田市の 「四天王」 になるかと思いますが、
おお、旧制 「長野県中学」 四校の所在地が揃いましたね。

[21027] まるちゃんさん
「四天王」 は,鳥取,米子,倉吉,境港としました.(… というか,全市ですが …)
鳥取県と徳島県は悩む事もないでしょう。(笑)
[21008] 2003年 10月 13日(月)20:08:25【2】深海魚 さん
飽くまで反実仮想ですが
[21006] 愛比売命さん
松本方面からも姥捨駅経由といった ルートも考えられるかなと思いました。
山越えの途上にある姨捨駅から屋代、戸倉地区への道路移動は、その高低差ゆえに結構難物です。何せ スイッチ・バック構造の駅ですので、県都の玄関口に足る駅前広場を確保するのは至難でしょうねぇ。以上、数年前に姨捨から予約配車の タクシーで屋代に移動した経験上の所見でした。

[21007] なおさん
デメリットは少し学習不足でできません。
石見地方に配慮した結果と拝察します。鉄道体系からすると、出雲市 (正確には西出雲) で電化区間が終了する山陰線の事情から、以西の列車体系は、特急、普通列車ともに運転頻度が落ちます。これは出雲平野が湖陵町で終焉する事による沿線の人口分布を反映したものですね。国道9号線を代替する高速道が無い現況下では、鉄道移動の需要が少なくないと思われる県内都市移動の事情から、空港も近い出雲市あたりに落ち着くのが妥当かな、と感じます。

さて、子供を風呂に入れて来るべか ………
[20997] 2003年 10月 13日(月)16:00:15深海魚 さん
緊急思いつき企画 / 各都道府県 「御三家」 「四天王」 選抜選手権
愛比売命さんの 「遷都案」 に触発されてふと思案。各都道府県で、街の規模や歴史、交通体系、産業集積性など総合的に勘案した上で、無理矢理 「御三家」 または 「四天王」 を選ぶ場合、どの市が該当するでしょうか? (東京都区部は除く。) 取りあえず、北海道の 「御三家」 が、札幌、函館、旭川であるのは、概ね異論の無い処かと思われますが。

さて、大急ぎで掃除に取り掛かろう。(汗)
[20996] 2003年 10月 13日(月)15:52:01【1】深海魚 さん
は、早く仕上げないと、女房が帰宅してしまふ!
[20989] 愛比売命さん
これはまた大胆な企画ですねぇ。現実の県都では、既にある程度の政治・経済的な集積性が確立されているでしょうから、飽くまで、地勢的に見た反実仮想的な詮索と割り切った上で一言。(移転すべし、という意思表示ではありません。)

福島県 福島市→郡山市
高速道同士が交差する要衝、つまり同じ福島県域に属する 「浜通り」 地区や会津地方への到達性を勘案すると、拠点性は確かに高いですね。序でに、平坦地の展開度も福島盆地より大きいので、何かと ツブシは効くかも知れません。また、高校おたくとしては、県立一中系の安積高校の存在も見逃せません。(過去 ログで何度か述べた様に、この学校が 19世紀中に現福島市から移転したのは、開成社による一大開拓事業の目玉としての意味合いがあつたのではないかと推定します。)

長野県 長野市 → 更埴市
これは、長野市と上田市との折衷的な感覚によるものでしょうか? 高速道体系からすれば成程と思われますが、新幹線や篠ノ井線を使っての直接的到達が不可である為、ちょっと腕組み。県全体を見据えた立地条件から考えると、松本の存在は大きいのですが、新幹線の開通以来、大町や白馬から東京を志向する旅客が、大糸線から中央線に直通する特急ではなく バスを介して新幹線を利用する パターンが増えている点から、やはり長野市の拠点性は大きいかな、と感じます。

滋賀県 大津市 → 栗東市
これは新幹線駅の設置を前提とした発想でしょうか。確かに県内では人口や産業の集積性が相対的に高まりつつある様に見受けられますが、湖西線沿線地区からの到達性が隘路となりそうですね。鉄道体系本位なら、郡部の米原という大技もありますが、そうなると湖西地区がいよいよ不利か。(笑)

奈良県 奈良市→橿原市
鉄道体系で見ると、奈良市は京阪神方面に移動するのは便利ですが、伊賀、伊勢、名古屋方面への移動は不便ですね。その意味で、大阪と名古屋、伊勢を結ぶ近鉄大阪線という一大幹線が同橿原線と交差する同市は、確かに要衝ですね。

鳥取県 鳥取市 → 倉吉市
これは、交通体系や経済圏が完全に異なる鳥取市と米子市の折衷案という処でしょうか。となると、山陰線や国道九号線を介しての両都市への速達性がどの程度確保できるか、という点にかかって来ますね。米子市は島根県の県都・松江に近く、同じ経済圏に含まれる可能性が高いので、鳥取県都は現行の侭で良いのではないか、という理屈は駄目かな?(笑)

長崎県 長崎市→諫早市
佐世保や島原を考慮した交通体系から見ても説得力ありますね。何より山が迫る海際の限られた平坦地に市街が集中し、南北の移動に難儀する長崎市街と違い、ある程度平野部が広がっている為、都市計画は策定し易いかも知れません。例の諫早湾干拓事業も、その為の布石と勘違いしていましたから。(笑) 一方、元々大村湾と諫早湾に挟まれた地勢柄、土壌の状況はどの様なものやら?
[20987] 2003年 10月 13日(月)14:28:40【2】深海魚 さん
天王寺
ふと気がついたのですが、この 40時間というもの、自宅から半径 200m 圏外に一歩も踏み出していない私。折角、まともに取れた連休だと言うのに。あ、そういえば女房から頼まれた掃除、未だやってなかった。(汗)

大阪環状線の事が話題になっていますね。関連 レスを伺うに、同線の運転体系は、本来の環状運転に逆 「の」 の字形に直通する関西線や阪和線の快速が輻輳する事で、接続駅である天王寺における運用区分が殊の外に大きな意味を持つと考えて良さそうですね。

天王寺といえば、地下鉄御堂筋線が走る通りを隔てて近鉄の大阪阿部野橋駅が隣接しますね。実際利用した感覚として、事実上同一の駅として機能している様に見受けられますが、JRの要衝として知名度の高い 「天王寺」 を名乗らないのは、件の通りを隔てて天王寺区と阿倍野区に分かれている事を考慮したものか、あるいは大阪駅界隈で 「梅田」 を名乗る様な感覚でしょうか。一方、御堂筋線の天王寺駅や行政区分上の 「天王寺町」、府立天王寺高校は何れも阿倍野区内であり、区政施行以前の天王寺の街の一体性とその後の区分が、微妙に一致しない様にも感じます。天王寺高の沿革史を見ると、上本町所在時代から 「天王寺」 を名乗っており、当事、何れの範囲を以て 「天王寺」 と称したのか、興味深いところです。

1896年) 大阪府第五尋常中学として、東成郡西高津村の大蓮寺境内にて授業開始。
1897年) 後に大阪外語大校地に転用される上本町校舎が竣工。
1901年) 大阪府立天王寺中学と改称。
1919年) 現在地に移転。

大蓮寺は松屋町筋と千日前通りが交差する天王寺区下寺町の所在です。ここから天王寺公園まで、谷町筋と松屋町筋に挟まれた街区は正に一大寺町で、私の場合 「名門ぢょしこぉ」 を連想してしまう四天王寺など名刹も相まって、周辺一帯が大阪市を代表する一大文教地帯を形成している印象を受けます。「天王寺」 の地名は単純に四天王寺に由来するものか、仮にそうなら 「四」 を省いた理由は何故だろう?

[20967] 水土さん
ドイツ語を母語とする スイス人や オーストリア人が ドイツの ARDや ZDFの ニュースを見るのは、
西独時代から続いている ZDFの放送は旧東独領内でも簡単に受信され、東独当局は対抗措置として、シュニッツラーなど西側叩きで有名な キャスターを起用して プロパガンダ放送を行っていましたね。この エピソードが収録された NHK出版 「かくして革命は国境を越えた」 では、民主化が比較的早期に行われた ハンガリーを介しての 「ヨーロッパ・ピクニック」 に始まる一連の社会主義政権崩壊に際し、こうした国境越えの電波が果たした役割の重要さが強調されています。それゆえ、盆地上の地形では、行楽を装って標高の高い丘の上で衛星放送様の アンテナを組む、それ程に西側の放送ないし情報を希求していた訳ですね。なお、NHK特集 「ヨーロッパ・ピクニック」 は先日、アーカイブズ特集で再放送されました。

政権崩壊で流血の惨事を招いた ルーマニアの場合、ハンガリーの TV局は、チャウシェスクに追放され、スイスに亡命した ミハイ元国王を起用、ルーマニア向けの放送を行い、反体制的として大反響を齎した事もあったそうです。当事の欧州での一大政変の ダイナミズムは、今顧みても物凄いですね。

[20956] 般若堂さん
深海魚さん,羨ましゅうございます……
いやいや、その気になれば一時間程度で到達可能な地に御住まいの般若堂さんこそ羨ましい。私の所からだと、高速道を使っても三時間以上はかかりますからね。肝心の裏磐梯が曇りでしたので、来年の新緑か紅葉の時期に リベンジします!

[20981] ゆうさん
未だに私は愛媛県の 「伯方」 と 「波方」 とを取り違えることがあります。
TVの CMで時々耳にする 「伯方の塩」 ですが、てっきり 「玄界灘産」 と勘違いしておりました。(笑)
[20935] 2003年 10月 12日(日)21:14:27【2】深海魚 さん
自分色が急に増えて、壮観ですねぇ。
[20928] 軒下提灯さん
いきなりロケットが飛び出してきますが、この街はどこでしょう。
電柱の形態から、東北電力または北海道電力の管轄域という事は判りますね。(笑) 早大の名物教授を輩出した男子校と女子校の統合 (単純に市名を名乗った男子校名を統合後の新校名として踏襲。) が決定した街ですね ……… 違うかな?

[20931] Issieさん
亀田のあたりで胸まで沈んで田植えをしている映像
現在の北越急行に近い経路を採っていた頚城鉄道の写真でも、稲架が写っていますね。頚城平野の場合、蒲原平野ほど河川は多くないし、灌漑に難儀する様にも思えませんが、やはり土質が軟弱気味なのでしょうか。

[20932] じゃごたろさん
私は長井某 (名前を失念) がいいと思います。「ありえない!」
それは多分、長井秀和さんの事でしょう。間違い無い。(笑)
[20920] 2003年 10月 12日(日)14:42:18【2】深海魚 さん
♪ 都の西北、早稲田の隣
[20916] KNさん
実際降りて見てみると高松駅のようなストッパーのようなものがついていて、これ以上進めませんでした。
私が [20915] で申し上げた、関西線から直通する快速崩れの事かな。車両基地の位置関係から、大阪城公園にて運用を区切るのが一般的ですが、鶴橋方面に折り返す運用なら環状線の電車が件の ホームを使っている可能性はありますね。「関空快速」 の場合は、京橋止まりと天王寺直通が時刻表に併記されていますが、京橋にも折り返し設備があるのかな。

さて、関西線から環状線東半分の各駅に快速で直通する場合、乗り通すか、あるいは天王寺で乗り換えるか、その境界はどの辺りでしょうか。こうした詮索を始めると、多摩地区の中央線沿線から TDRへ、さいたまから新木場へ移動する場合の経路選定基準など、謎が深まる深海魚でした。(かかる乗換えの有無も、駅を擁する街の発展に作用するのでしょうね。)

[20919] 太白さん
所沢市にある人間科学部を茶化して
宿敵・慶應大との ブランド・イメージ比較において、附属高校を擁する湘南藤沢 キャンパスと所沢との印象対比を考察した新聞記事を読んだ事があります。元々の拠点である 「三田」 「日吉」 などの地域性からしても、慶應大は立地条件において御洒落さを打ち出した戦略を意識している様に感じられますね。まぁ、私にはどちらも 「高嶺の花」 ですが。(笑)

私以上の酒豪で年中馬鹿騒ぎしている、とても慶應 ボーイには見えない取引先の親爺によれば、在学当事、早大が朴訥な東国武士風味で、慶應は関西方面の良家の子息が少なくなかった様に感じた、との事です。しかし一部有名私立高を除き、首都への対抗意識の所産か、東大より京大を志向する気風が強いとされる地で、私学にしても 「関関同立」 を差し置いて東京を志向するものかな、とも思えるのでした。(これが九州辺りになると、却って東京志向が強くなるそうですね。)
[20915] 2003年 10月 12日(日)12:18:08【2】深海魚 さん
レス諸々
[20847] KNさん
天王寺駅付近は昔ながらの屋台が多いですね。大阪環状線の終点ですが、なんとなく駅に迫力を感じません。
大阪環状線や関西線の ホームとは段違いで設定された、電鉄時代固有の風格を持つ頭端式の阪和線 ホームを見ると、私なぞは南海の難波駅に通じる迫力を感じます。もっとも、その構造ゆえに、紀勢線方面特急の新幹線連絡が侭ならず、新幹線を基軸とした高速移動体系下においては長らく 「蚊帳の外」 だった様な印象も拭えないのですが。

[20850] 牛山牛太郎さん
「宇多津」 と 「多度津」
石川県能都町の中心駅である、のと鉄道 「宇出津/うしつ」 も混同しそうですね。

関サバで有名な 「佐賀関」 は、佐賀県にあるとも思っていましたよ。
おお、同志♪

[20859] seahawkさん
東北本線の接続もないので、車で来るしかない駅です。
私も送迎で訪れた事がありますが、街も無く、区画整理地ばかりが広がっていた印象は確かにありますね。これが、くりはら田園鉄道との交差点に設けられれば、迫川の渡河事情にも鑑みて、若柳、金成など比較的市街がまとまった自治体からの利用を促す様な気もしますが、高速運転路線の宿命として、駅間距離をある程度均等化する必要もあるのでしょうね。

今度できる上越新幹線 「本庄早稲田」 駅も郊外なのでしょうか?
くりこま高原ほどではないにしても郊外地の趣が強いと思います。あの地で 「早稲田」 を名乗るそもそもの由来は、早稲田大学高等学院本庄高校の立地によるものでしょう。総合移転が取り沙汰される早大を核とした学園都市形成の為の布石と思われますが、関越道本庄児玉 I.C.が近い利点を生かした 「パーク&ライド」 構想 (以前、本掲示板で言及あり。) なども考慮されれば、要衝性が増すかも知れません。

[20874] 愛比売命さん
「はるか」 って大阪駅に停まらなかったような記憶がありますが、今でもそうなのかな?
東海道線から環状線へは、大阪駅構内の配線事情から、同駅北側一帯に広がり、今後の再開発の趨勢が注目される梅田貨物駅に出入りする貨物線を経由する必要があり、大阪駅を通る事はありません。ちなみに、天王寺で阪和線に直通する連絡線の設置は比較的新しく、それ以前、阪和線に直通する貨物列車などは、大和川沿いに大阪市街の南部を迂回する貨物線を介していました。(一時期、名古屋-和歌山の特急 「あすか」 の経路に供された事もあります。)

なんと無駄なことを。梅田ってそんなに知名度ないのですか (笑)。
そうなのでしょうね。逆に、畿内方面の方が都心界隈で地下鉄を利用したら、これはこれで混乱する場合があるのかも。

国立国会図書館まで行って調べたいのですが、
うちの会社でそんな難しい事が考えられる様な人材は皆無です。(笑)

[20879] じゃごたろさん
パペットマペットの 「うしくん」 と 「かえるくん」 が欲しいと思うのは私だけでしょうか?
私は 「スマイリー・キクチ」 の、あの毒の効いた突っ込みが好きなのですが。(邪笑)

[20896] まるちゃんさん
御指摘の熱海市がその顕著な例ですよね.
夜、新幹線で帰京する際、新丹那隧道を抜けて熱海の夜景が広がると、首都圏に戻って来た実感を感じたものでした。

[20912] faithさん
大阪環状線には 「終点」 はありませんよ (笑)。
関西線快速は環状線を一周後、確か天王寺折り返しでしたよね。専用 ホームがあった様な気もしますが。

[20914] Issieさん
わが 「チャーザア村」 は刈羽郡なので本当の「魚沼産」にはなり得ないのですね。
新潟県の風物詩とも言える 「稲架」 ですが、専ら信越線沿線などの平野部で、魚野川流域など内陸部では見かけなかった印象があるのですが、その辺はいかがでしょうか。
[20907] 2003年 10月 11日(土)22:52:14【1】深海魚 さん
優雅なる一日
「今度という今度こそ、貴方という人間が訳、判らなくなりました。実家に帰らせて頂きます! 追伸 / 月曜夜には戻ります。トイレの掃除や フレンダー (飼い犬です。但し ジェット形態にはなりません/笑) の餌とか、宜しくね。」 と言い残し、女房と子供が昨夜から外出。という訳で、本日は エルガーの名曲に合わせて、威風堂々と個人 ドライブにでかけて参りました。

先ずは白河近郊で国鉄仕様の臨時列車を撮影。晩生 (おくて) なのか、未だに稲刈り前の田圃が目立ちました。東北道を福島まで北上、国道 13号線で山の中へ。福島・山形県境で十八番の脇道に入り、久々に奥羽線の スイッチ・バック施設を見物して来ましたが、遺構は概ね 「健在」 で一安心。今回は初めて板谷峠の脇道に入り、峠駅にも立ち寄って見ましたが、滑川温泉の玄関口にして、駅前に 「峠の力餅」 が控えている為か、意外に多数の観光客が旧駅の構内に屯していました。線路跡を奥に辿ると隧道があり、一歩立ち入ると直ぐ行き止り。うーむ、これは怪しい感じです。態々隧道なぞ掘削する事もないと思いますが、入替えか何かの関係があったのでしょうか。事業所専用線を集約していた旧板谷駅や、引込線の奥が藪の密生で見極められない旧大沢駅など、見ていて飽きません。

峠駅から大沢駅まで、奥羽線は単純に最上川水系の渓谷を下りますが、地形が急峻なので、道路は一旦分水嶺を越えて僅かに 「太平洋側」 に出た後、改めて 「日本海側」 に入ります。般若堂さんの 「テリトリー」 であろう米沢盆地が広がった関根でも、稲刈り前の田圃が目立ちましたが、置賜の地にあってこれらは冷夏の影響でしょうか。一方、海老ヶ沢大橋から俯瞰した最上川の河川敷では家族連れの行楽客が目立ちました。芋煮会でもしていたのだろうか?

ここから西吾妻 スカイ・バレーを目指して再び登坂開始。次第に山深くなった頃、白桃、もとい白布温泉街を通過しますが、坂の途中に古式ゆかしき旅館が並ぶ様子は雰囲気満点。そのうち、「落書き帳 セミナー」 の開催地として如何でしょうか? まず Issieさんの基調演説の後、「街並み」 「鉄道」 「気象予報区分」 「市街局番」 「自治体合併」 など、分科会別に各々の旅館に別れ、総括質疑の頃には私や白桃さんなど、浴衣姿で顔を真っ赤に死屍累々とか。(笑)

温泉街からいよいよ山道らしくなる内に、辺りは本格的な紅葉の装いを見せ始め、紅葉前線に関する報道に触発されたか、どこの駐車場も満車状態で、団体 ツアーの御老人を含め、三脚を構える御仁の何と多い事か。白布峠の頂上が近づくと、紅葉の山々越しに米沢盆地が霞んで見え、これが中々良い雰囲気。そして漸く白布峠の頂上に到着。遠く桧原湖が見え、その向こうには、霞みに煙る会津盆地の後背山地。そして左手には磐梯山が聳えていますが、やはり 「裏側」 から見ると、明治年間の大噴火の傷跡が如実に感じられるのでした。

ここからの風景が本日の主要眼目なのですが、生憎と、分水嶺を越えた辺りからそれまでの晴天が曇りがちとなり興醒め。それでも、桧原湖北端の早稲沢 (地名の如く田圃が相応に広がっています。) へ下る坂の途中から俯瞰する湖の眺めは中々のもので、西陽を受けて紫色に霞む飯豊連峰という渋い光景も拝めました。晴れていれば五色沼の辺りまで、順光で桧原湖対岸の紅葉が狙える西岸道路を経由しようと考えていましたが、曇天なので曽原湖脇を短絡。その内に陽も傾いて、道路渋滞が目立って来た為、有料道路である事を忘れて (泣) 「磐梯吾妻 レーク・ライン」 「母成 グリーン・ライン」 と繋ぎ磐梯熱海に出ました。しかしこの経路、小野川湖と秋元湖の双方で、落日間際に回復した天候を受けて、渋い夕景が拝め、脳内 BGMでは倉本裕基さんや ジョージ・ウィンストンなど、甘く切ない旋律が大音響で回っていたのでした。これは凄い! 仮に、それまでに撮り溜めた写真総てが パーになっても、これさえ見られれば十分に満足、「一期一会」 とはこの事かと、絵心も無い癖に、恐れ多くも東山画伯の境地が判った様な気がした深海魚でした。

「母成 グリーン・ライン」 に入って間も無くの沼尻温泉街も、何となく鄙びた感じに好感が持て、浴衣を羽織り下駄を鳴らす アベックと思しき投宿客が羨ましい。この頃には完全に陽も暮れ、折角初めての道路なのにと思いつつ、下り坂が連続して、そろそろ 「太平洋側」 に戻ったと思えば、遠く郡山と思しき街の灯が見え出したのでした。その後、磐梯熱海から磐越道で帰途に就いたのですが、かつては 「岩代熱海」 と称したこの郡山の奥座敷、分水嶺を挟んだ位置関係で温泉街から直接見えないと思われる磐梯山の名を冠する感覚が少し不思議ですね。

帰宅後、撮り溜めした写真 データを、パソコンの写真 フォルダで整理しようとしたら 「容量不足」 ……… うぎゃー! (終)


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