[2802]
>旧山口・塩瀬村は西宮市の他の地域とは陸続きではありますが、地理的にはそれぞれ、神戸市・宝塚市と合併した方が自然に思えて仕方ありません。
現在の西宮市山口町・塩瀬町と市内の他の地域とは急峻な六甲山脈に遮られて事実上ほぼ飛び地の状態になっています。
もともと、この2町の前身である有馬郡山口村・塩瀬村は隣接する有馬町・有野村が神戸市に合併(昭和22年3月1日)したのち、まだ神戸市と合併していなかった大沢村・八多村・道場村とともに神戸市への編入を希望(たしか山口で85%、塩瀬でもかなりの高率で支持)していましたが、この2村は兵庫県の反対にあい断念しました。背景には当時まだ「政令指定都市」制度がなく、神戸を含む五大市(他に大阪、名古屋、横浜、京都)は特例市として県または府から完全に独立するのが時間の問題ともいわれた頃で、神戸市の広大化を県が望まなかったのでは?と思われます。
一方宝塚市はまだ存在せず、武庫郡良元村・川辺郡小浜村(後の宝塚町)・長尾村・西谷村に分かれていて、良元は西宮市から、長尾は伊丹市からそれぞれ合併の誘いがあり、また川辺郡川西町を加えた「摂津市」構想もあり、武庫川を挟んだ良元と小浜の合併そのものが疑問視されていました。そんな中、西宮市は(良元村を南北から挟むように)山口・塩瀬2村に対し合併話を持ちかけ、2村としても神戸市との合併が絶望になったのを受け、西宮市の誘いに乗り、結果、昭和26年4月1日、西宮市と合併してしまいました。皮肉にも3ヶ月後の7月1日、かつては足並みを揃えていた大沢・八多・道場3村が神戸市との合併を果たしました。
武庫郡良元村が西宮市との合併話を蹴り、川辺郡宝塚町と合併し宝塚市が誕生したのは3年も後の昭和29年4月1日のことでした。
[2763]の続きでサハリン州の「市」について調べていますが、新たな発見がありました。
また稿を改めます。