[32789] 2004年 9月11日(土)22:11:19 グリグリさん
北海道の「狩太」の項に、真狩太別村が1901年に2つに分村して「真狩村」と「狩太村」が誕生したと書かれていました。
“内地”では、1889年にすでに施行されていた町村制。北海道ではようやく1900年になって、一部地域限定で「北海道町村制」が施行され始めましたね。
当時の真狩村は、まだ戸長役場時代。手許に『角川地名辞典 北海道』の下巻がある方は参照して頂ければと思いますが(個人蔵はなかなかいないでしょうか…)、「市町村沿革表」の図を見ると、「真狩村」から「狩太村」が分村しているように見えます。
戸長役場の設置時(1887年6月13日付)にすでに「真狩村」で、もともとは「マッカリベツ」と言っていたようです。「狩太村」を分けた「真狩村」より1922年に「真狩別村」が分かれ(その前に1917年「喜茂別村」が分村)、本家「真狩村」が1925年に「留寿都村」に改称し、1941年に「真狩別村」は「真狩村」を名乗っています。
このような「分解地名」とでも言うべき事例は他にもあるのでしょうか。
この表を見る限りではないみたいです。分村した村が“本家”の村名を引き継ぐ例はいくつか見られます。
それにしても町村制施行前の村名は、道民でも読めませんねえ……。