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落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

“真狩別太”村にまつわるミステリー

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記事数=8件/更新日:2005年9月25日/編集者:YSK

北海道後志支庁には、1つの村から部分地域が順次分立してできた経緯を持つ自治体がたくさんあります。それらの名称は通称地名であった“真狩別太”の字を組み合わせて作られていきました。その経緯をまとめてみますと、興味深い地域の姿が見えてきます。

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[32789]2004年9月11日
グリグリ
[32796]2004年9月11日
紅葉橋律乃介
[32837]2004年9月13日
紅葉橋律乃介
[33017]2004年9月18日
グリグリ
[33083]2004年9月19日
北の住人
[33125]2004年9月20日
グリグリ
[45037]2005年9月20日
元倶知安人
[45043]2005年9月20日
北の住人

[32789] 2004年 9月 11日(土)22:11:19オーナー グリグリ
分解地名
[32716] 2004 年 9 月 8 日 (水) 23:41:12 yamada さん
地名コレクションで、「東部+北御牧→東御」のような合成や「大網+白里→大網白里」のような複合の市区町村名のコレクションがあったら面白いと思うのですが、いかがでしょう?他のコレクションと比べると異質なので、「地名コレクション」には入らないでしょうか?
確かに現在の地名コレクションとしては異質ですが、「合成地名」コレクションという意味でよろしいのではないでしょうか。準備が出来るようであれば立ち上げますよ。

ところで、kenさんにご紹介していただいた今尾恵介さんの「消えた駅名」を読んでいるのですが、北海道の「狩太」の項に、真狩太別村が1901年に2つに分村して「真狩村」と「狩太村」が誕生したと書かれていました。合成地名とは逆のケースとも書かれていたのですが、このような「分解地名」とでも言うべき事例は他にもあるのでしょうか。とても面白い事例だと思います。同書には分村の例は明治大正期の北海道に多いとも書かれています。
[32796] 2004年 9月 11日(土)23:23:19紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
「岩見澤」より「石見」と「岩沢」とか
[32789] 2004年 9月11日(土)22:11:19 グリグリさん
北海道の「狩太」の項に、真狩太別村が1901年に2つに分村して「真狩村」と「狩太村」が誕生したと書かれていました。

 “内地”では、1889年にすでに施行されていた町村制。北海道ではようやく1900年になって、一部地域限定で「北海道町村制」が施行され始めましたね。

 当時の真狩村は、まだ戸長役場時代。手許に『角川地名辞典 北海道』の下巻がある方は参照して頂ければと思いますが(個人蔵はなかなかいないでしょうか…)、「市町村沿革表」の図を見ると、「真狩村」から「狩太村」が分村しているように見えます。

 戸長役場の設置時(1887年6月13日付)にすでに「真狩村」で、もともとは「マッカリベツ」と言っていたようです。「狩太村」を分けた「真狩村」より1922年に「真狩別村」が分かれ(その前に1917年「喜茂別村」が分村)、本家「真狩村」が1925年に「留寿都村」に改称し、1941年に「真狩別村」は「真狩村」を名乗っています。

このような「分解地名」とでも言うべき事例は他にもあるのでしょうか。

 この表を見る限りではないみたいです。分村した村が“本家”の村名を引き継ぐ例はいくつか見られます。
 それにしても町村制施行前の村名は、道民でも読めませんねえ……。
[32837] 2004年 9月 13日(月)01:18:15紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
合体成立、分立解消
[32829] 2004年 9月12日(日)23:50:36 グリグリさん
真狩太別村が存在していたかどうか怪しいのですね。

 気になったので、少し掘り下げてみました(少しだけ)。
 語源を分かりやすい音で書くと「マッカリ・ペッ・プトゥ」。つまり「真狩別太」になるようです。
ここから「真狩」や「真狩別」・「狩太」の村名を採った模様。入植当時は「真狩別太」とこの辺を大雑把に呼んでいた…と言うことなんでしょうか。

 「分解」と言うか、「狩太」がもとの音から命名したような気がしないでもないです。

[32823] 2004年 9月12日(日)22:59:54 yamadaさん
先に現在の市区郡町村と今後誕生予定の市区郡町村をコレクションしようと思います。

 なかなか面白そうですね。七重は明治12年と言いますから、かなり古い成立です。北海道だけでも結構ありそうですが…。
[33017] 2004年 9月 18日(土)02:31:33オーナー グリグリ
真狩別太村?
[32837] 2004 年 9 月 13 日 (月) 01:18:15 紅葉橋瑤知朗 さん
 気になったので、少し掘り下げてみました(少しだけ)。
何のことはない、Issieさんのページを見れば正確なところが分かりました。
また、その他の資料も合わせて確認しました。

1897.11.虻田村
1906.4.1真狩村(虻田村から分村)1925.2.1留寿都村(改称)
1922.4.1真狩別村(真狩村から分村)1941.12.1真狩村(改称)
1906.4.1狩太村(虻田村から分村)1950.9.1狩太町(町制)1964.10.1ニセコ町(改称)

ここから「真狩」や「真狩別」・「狩太」の村名を採った模様。入植当時は「真狩別太」とこの辺を大雑把に呼んでいた…と言うことなんでしょうか。
「真狩別太村」はどうも存在していなかったようですね。このあたりは良く分かりません。
[33083] 2004年 9月 19日(日)23:03:36北の住人 さん
真狩別太村?
みなさん初めまして。

[33017] 2004 年 9 月 18 日 (土) 02:31:33 オーナーグリグリさん
角川日本地名大辞典(北海道)上巻によるとこうなってます。

M30(1897) 真狩村(虻田村から分村)
M34(1901) 狩太村(真狩村から分村)
T6(1917) 喜茂別村(真狩村から分村)
T11(1922) 真狩別村(真狩村から分村)
T14(1925) 留寿都村(真狩村が改称)
S16(1941) 真狩村(真狩別村が改称)
S25(1950) 狩太町(狩太村が町制施行)
S39(1964) ニセコ町(狩太町が改称)

虻田村から三の原・ルスツ・マツカリベツ・マツカリブト・キモベツが分村し真狩村となり、役場は留寿都に設置。
真狩別太はニセコあたりの通称字名だった様で、分村時に2字を取り狩太とし、役場は真狩太に設置。
留寿都村の改称は、喜茂別村と真狩別村が分村したので、役場のある留寿都を村の名称とした様子。
なお、倶知安村も虻田村から分村し、その後、倶知安村から現在の京極町地域が分村しています。
[33125] 2004年 9月 20日(月)18:05:13オーナー グリグリ
続・真狩別太村?
[33083] 2004 年 9 月 19 日 (日) 23:03:36 北の住人 さん
角川日本地名大辞典(北海道)上巻によるとこうなってます。
M30(1897) 真狩村(虻田村から分村)
M34(1901) 狩太村(真狩村から分村)
北の住人さん、初めまして。真狩別太村?の件、調査をありがとうございます。
真狩村と狩太村の分村時期は上記の通りです。私がIssieさんのHPのデータを読み違えていました。訂正します。

1897.11.虻田村
1897.6.13真狩村(虻田村から分村)1925.2.1留寿都村(改称)
1901.10.16狩太村(真狩村から分村)1950.9.1狩太町(町制)1964.10.1ニセコ町(改称)
1917.4.1喜茂別村(真狩村から分村)1952.7.1喜茂別町(町制)
1922.4.1真狩別村(真狩村から分村)1941.12.1真狩村(改称)

真狩別太はニセコあたりの通称字名だった様で、分村時に2字を取り狩太とし、役場は真狩太に設置。
最初の疑問、真狩別太村はどうやら存在しなかったようで、現在のニセコ町の通称字名だったということですか。まあとにかく、「真狩別太」の四文字は元々アイヌ語の「マッカリ・ペッ・プトゥ」を当てていたわけですから、四文字が組み合わされて何種類もの地名を作ったというのも頷けます。でも、面白い事例ですね。
[45037] 2005年 9月 20日(火)12:20:27元倶知安人 さん
狩太村の由来で気になったので
1年ほど前の話題で申し訳ないんですが、ログを見ていて気になったので、
書き込ませていただきました。
私は最近まで倶知安に住み、支庁に勤めていて、仕事の関係で
明治、大正の図面や書類を見たことがあり、ちょっと詳しいのですが、
現在、違う支庁におり、手元に図面が無く、うろ覚えなんですが、
真狩別太は、正式に「真狩村字真狩別太」ではないかと思います。
もしかすると、時代によっては、「大字真狩村字真狩別太村」の
可能性もありますが、確認できずに申し訳ありません。
あと、ニセコは開拓の入った地区ですので、開拓事業の地区名は
「真狩別太原野」であったと、記憶しています。
ですから、正式地名も、通称も「真狩別太」であったと推測されます。
中途半端な情報で申し訳ありませんが、少しでもお役に立てればと
思いお知らせしました。
[45043] 2005年 9月 20日(火)21:20:49北の住人 さん
狩太村
[45037] 元倶知安人 さん
角川日本地名大辞典によると、狩太村の昭和12年字名編成前に次の字があったようです。
「真狩太」「真狩別太」「別太」「別太奥」

狩太村は真狩村から分村しているので、分村前に「真狩村字真狩別太」が存在した可能性があります。それ以前の「虻田村字真狩別太」の存在も考えられます。ただ、当時の真狩村には合併経験が無いため「大字真狩村」は考えにくいです。
「真狩別太村」というように「村」を付けた表示はあるかもしれません。例えになるかは分りませんが、明治期の新聞記事で、月寒村輪厚の移民開墾地(広島開墾地)を「輪津村」と記載しているのがあるようです。

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