第7回オフ会において,一次会クイズの景品として2004年に再版のあったサハリン州地図を提供しました。もちろんロシア語のみの表記にて,ロシア語の読めない人には訳の解からない「怪しい紙切れ」に過ぎません。それでも地図です。文字が読めなくとも,オフ会に集まってくるような御人の中には,物好きな人が居るかもしれません。
この地図はロシアの「測地および地図作成連邦局」によって作製された,ロシアの州や共和国,地方などの連邦構成体ごとに出版されているもので,サハリン州地図は樺太を50万分の1で,千島列島と北方四島が100万分の1の縮尺で描かれています。
また,景品としては提供しませんでしたが,今秋に同シリーズの2008年版を入手していたのでこれも持ち込んでいたところ,二次会で2枚の地図を広げて比較してみましょうということになりました。
オフ会では2004年版と2008年版の地図として説明しましたが,地図に書かれている出版情報は,
【1】景品として提供した地図 |
【2】景品ではない持ち込み地図 |
「サハリン州 50万分の1」 |
「サハリン州 50万分の1」 2008年 |
1995年にロシア測地および地図作成連邦総局(ロスカルトグラフィア)より出版用として製作,極東航空測地社より2004年再版 |
2001年に極東航空測地社より出版用として製作,2007年校正 |
と書かれています。
2枚の地図の変化としては,
2004年に行われたサハリンの行政組織の変更(28都市が村へ改組,後述) |
2009年より樺太南部亜庭湾北岸のコルサコフ(大泊)の東にあるプリゴロドノエ(女麗)に液化天然ガス(LNG)プラントが稼動しており,これを地図【2】では[生産工学コンプレックス]との記載。なお,地図【1】ではプリゴロドノエ[無人]と書かれている。 |
地図【1】では行政区画(地区,日本の郡に相当)の境界線が表記されているが,【2】では書かれていない。 |
地図【1】では採用されていた山岳地形の陰影ぼかし表記が,【2】ではなくなっている。 |
所どころ道路が伸びている箇所が発見できる。 |
1990年代中ごろには廃線となった南部横断線(豊真線[3199][3245])が両図とも記載されたままである。 |
その一方で新場—留多加間[3322],落合—栄浜間[3218]の鉄道線が【1】では記載されていたが,【2】では消されている。 |
ところで,グリグリさんが
オフ会記録ページを作成する際のデータとしてこの2葉の地図の出版データを上記【1】【2】のように提供したところ,樺太地図は「1995年と2007年の地図比較」が正しいのでは? との疑問がメーリングリストで問われることとなりました。
そこで,ちょっと丁寧に地図を見てみました。
まず,新しい方の地図【2】は表紙に2008と明記(宣伝)されているので,2008年のものとして捉えてよいでしょう。問題はもう一方の景品として提供した地図【1】です。表紙には年を明記していないものの,2004年に再版されたものであることから「2004年版」といえるのですが,実際の内容はそれよりは数年古いものです。
サハリン州では,2004年に樺太の3市25町が村に降格され(参考:
拙ページ),北海道の一部を含む州全体の都市数が48(18市30町)から20(15市5町)に激減しています。
しかし,地図の内容は2004年のこれらの降格前のものです。このことから「2004年版」とすると,3市25町の村への降格を反映したものかと誤解を与えるかもしれません。
なお,ロシアにおいて都市とは「市」と「町」のことを言い,その要件は,就業構成として総人口の85%以上が労働者・勤労者(非農業従事者)とその家族であること,人口規模としては「市」が1万2千人以上,「町」が3千人以上とされています。また,「町」にも「労働町」や「保養町」などの種類があり,保養町の場合は2千人以上と言われています。ただし,あまり厳密なものではないようで,ロシア全土には人口5千人に満たない市や数百人の町も数多く存在しています。就業構成や人口規模以外にも行政上の意義,産業や文化,生活施設網の発展度も考慮されるようですが,その州や共和国によってまちまちです。
サハリン州で2004年に降格された3市25町の場合,2002年10月9日国勢調査結果によれば人口最大のものは旧内幌町のゴルノザヴォーツク市6,051人,最小のものがオハ地区コレンド町38人でした。
#「降格」と言う表現はあまり好ましいものではありませんが,分かりやすいのでここではこの表現をします。
そして地図の年代を絞る手段として,地図に都市名の書かれ方と人口データを見比べる方法があります。町の場合は都市名の文字を人口2000人以上のものと,以下のものとで大きさに差をつけています。この線上に掛かりそうなのが,
都市 | 1989国調 | 2000推計 | 2002国調 | 2004推計 | 地図【1】の文字 |
ヤブロチヌイ町(蘭泊) | 2,713 | 2,500 | 2,191 | 2,100 | 大 |
オジョルスキー町(長浜) | 2,508 | 2,200 | 1,785 | 1,700 | 大 |
ウグレザヴォーツク町(東内淵) | 2,271 | 1,700 | 1,711 | 1,700 | 小 |
ヴォストーチヌイ町/オハ地区 | 2,117 | 1,500 | 994 | 900 | 小 |
2004年版【1】の地図では,2002年10月の国勢調査人口が反映されておらず,人口減少により実際には2002年国調時点で2000人を割り込んでいた町が,2000人以上の町として書かれています。一方,1995年の人口データまで遡ると,その頃はサハリン州では人口70万人を上回った最盛期(1989〜93年頃)に近く,当時は人口2000人を超えていたと推測される町が地図では2000人以下の表記となっています。
町の人口データで言えば,2000年1月推計人口[9178]に整合しており,また地図の別表にある行政区画の一覧が2001年7月のものと明記されていることから,地図は2001年のものと捉えてよいでしょう。
これにより,オフ会記録ページとしては「2001年と2008年の地図比較」との説明が採られています。
#ニジェ
[9178]において,ウグレザヴォーツクの日本名を「落合町川北」と書いているが,「東内淵」がより正確である。