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右左府さんの記事が1件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[68770]2009年3月6日
右左府

[68770] 2009年 3月 6日(金)17:51:11【1】右左府 さん
農協の区域重複など
以前、二つの農協の区域が重複していた旧志雄町について、
[67493] EMM さん
旧志雄町が全国で唯一の希有な例だった…と言う話も聞いたことがあります。
[67655]
純粋な意味での重複という意味でやはり志雄町は非常に珍しい存在
とありましたが、その後他の地域の農協の変遷を調べていくうち、同様の事例と思しきものがゴロゴロ見つかってきました。

私の身近な所だと、秋田県三種町上岩川の 琴丘町上岩川農協 (昭和31年 上岩川村農協 から改称)と 琴丘町上岩川共栄農協 (昭和30年 上岩川村共栄農協 から改称)があります。昭和23年に発足してから昭和37年に合併するまで、同地区にこの2農協が並存していたそうです。
その経緯ですが、農協の前身である「農業会」の時代まで遡ります。戦後農業会から農協に移行する際、農業会の資産の処理について意見が分かれたというのが直接の原因でした。それ以前からも、農業会は政争で二分しかけていて、最後の理事選挙では政党間の争いが表面化していたとか。
では実際どのように二つの農協が成立したのかというと、農協の一本化に向け協議を進めている最中に少数派の方が先に 上岩川村農協 を設立させてしまい、その後残った人たちで 上岩川村共栄農協 を設立させた……とのことです。(前者が一つの農協になった際に少数派となることを恐れたため、という“噂”)
以上の内容は、『琴丘町農協史』という本に書かれていたものです。当時の関係者の座談会も企画・掲載しており、詳しい事情がよく分かりました。

他に、同町下岩川地区にも昭和45年まで 下岩川農協 と 下岩川共益農協 が並存しており、これも似たような経緯ではないかと思われます。
また、東京みらい農協 が 清瀬市農協 などの合併で成立するまで、清瀬市にも 清瀬市農協 と 第一清瀬農協 の2農協が並存しており、これらも区域が重複していたようです。(ネットの掲示板にその理由が書かれているのを目にしましたが、正確な内容は失念。)
津軽地方も調べてみると、ごく最近まで思わせぶりな名前の農協が幾つもありました。中には、支店の配置まで全く一緒という農協も。

これらの多くは、戦後農業会に代わって新たに「農協」という組織が誕生した際に同時に成立したというものであり、同様の例が少なくないことからも比較的生じやすい現象だったのではと思われます。


それと、神奈川県の農協の変遷もざっと調べてみたのですが、
[67448] Issie さん
湘南エリアに現在はJAの支所も支店もありません
やはりかつては旧湘南村を区域とする農協があったようです。
神奈川県のHPに1959年以降の県内JAの変遷がまとめられた資料があり、それによると 津久井郡農協 が成立したのは1959年。津久井郡内の 川尻農協 を除く全総合農協(湘南・串川・鳥屋・津久井・青野原・青根・相模湖・内郷・牧野・共栄・藤野町中央)による大合併でした。その後1978年に 川尻農協 も合流し、現在に至っています。
また、湘南支所 もごく最近まではあったようです。農協のディスクロージャー誌には2007年2月に3支所が廃止されたとありましたから、その際に湘南支所も廃止されたものと思われます。(こちらのHPで 湘南支所 の所在地なども確認できました。)


※本稿中の農協の名称は資料によって若干の違いが見られるものが多く(「上岩川村農協」と「上岩川農協」等)、ここに書いてあるものが正しいという保証はありません。

※最初の投稿で、区域の重複していた農協の例として三種町の 森岳・全森岳農協 を挙げていましたが、誤りでしたので削除して訂正しました。(これらの区域は一応分かれていたようです。)


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