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[67699] 2008年 12月 24日(水)21:36:07おがちゃん[日本人] さん
毎年恒例(涙)
こんばんは。日本人です。今日はクリスマスイブ。多くの子供たちが今日と明日を待ち望んでいたことでしょう。そんな僕も待ち望んでいたのですが・・・

[67684] オーナー グリグリさん
開始日は1月1日午前0時ちょうどスタートとさせてください。
1月1日午前0時ジャストでスタートする十番勝負も3年ぶりですね。因みに、日本人家は出題されたころは赤城山の赤城神社に、「富士見村」として最後の訪問をしたいと思います。(もっとも、そんなことを意識しているのは日本人家の中ではおそらく僕しかいないと思います。)と、いうことなので、参戦できるのは、早くて帰宅してすぐの午前2時30分から、遅くて帰宅して就寝して起床してからの午前10時からになりそうです。がっかり。

#再来年に赤城神社を訪問するときは市役所からあんなにはなれた山奥(そうでもない?)も前橋市になっているかと思うと、合併の力が恐ろしく思えてきます。(涙)

[67694] じゃごたろ さん
以前私のサイトで公開していた「カントリーサインクイズ」ですが、新たに多数の画像を追加してリニューアルしました。
挑戦してみました。以前のとても少なかったときは簡単だったのですが、今回はすごく難易度がアップしましたね。カントリーサインについてもう少し学習しないとだめかな。

[67697] 桜トンネル さん
なぜかもう冬休みの宿題は終わっています^^;。
いいなぁ。うらやましいなぁ(爆)。こちらは、宿題を片付けるのに忙しい日々です。交換してくれないかなぁ(爆)。でもなぜ?

東京都のみが問一と問二で重複して出題されています。他にも「赤い四角」と「赤い線」で似たようなヒントがあったりと、問一と問二が似たような問題だということを指していたものを多く含めたつもりだったのですが・・・。
確かに、結構ヒントがあったものですね。やっぱり、ちゃんと考えて出題されていますね。僕は、そこが桜トンネルさんの反対だから、出題者には向きません。

因みに、出題者が桜トンネルさんなので、「赤い四角」をポストだと思い、郵便局について調べてしまった人がここにいます。「赤い線」の立場はどうなってしまうのでしょうか。

東京都が0ということでで気づくべきだったかな?

しかし、そこまでヒントを出しても、問三のほうが回答が集まるということは、やはり僕が出したヒントは重すぎたかな?それとも、皆さん、選挙のほうが関心があるのですかね?前者が事実であれば謝らないとだめですね。
[67698] 2008年 12月 24日(水)21:24:24KK さん
Re:京成津田沼
[67696] Issie さん

JR東日本によれば、2007年度の「乗車」人員は、
船橋135611人
125499人
西船橋123619人
千葉106901人
一方、京成電鉄によれば、2007年度の「乗降」人員は、
京成船橋88106人
京成津田沼50840人
京成千葉23866人
となっていますから、
もしかしたら,後半の3駅は“京成線内”での比較でしょうか。
ということのようです。ちなみに、京成津田沼には、乗降人員のほかに、連絡人員として27834人という値が記載されています。これは、(連絡定期又は連絡切符を利用した)京成と新京成の乗換客でしょうから、京成津田沼駅の乗降人員の半数以上は乗換客のようです。
[67697] 2008年 12月 24日(水)18:12:10桜トンネル さん
&富士市
今日が終業式で、明日から冬休みになります。ですが、なぜかもう冬休みの宿題は終わっています^^;。

[67570] 日本人さん

問一がわかれば問二もペアで回答できますね。

実は問題として使用した都道府県は14都道府県で、東京都のみが問一と問二で重複して出題されています。他にも「赤い四角」と「赤い線」で似たようなヒントがあったりと、問一と問二が似たような問題だということを指していたものを多く含めたつもりだったのですが・・・。結果はそれほどでもなかったようで・・・。

「スキー場」についての問題も出してほしかったです。(爆)

別にスキー場の問題でも良かったのですが、「0」の地域が固まってしまうことや、数えるのが面倒で、数え間違いが起こりそうだったので止めにしました。それにその番組の問題をそのままパクるのはどうかとも思いましたし・・・。

[67576] geoさん

大学合格おめでとうございます!これからも勉強頑張ってください!
そう言えば以前、地理学の話でいろいろとありましたが、僕も地理学を学びたいと思い、理系を選択しました。

[67684] グリグリさん

十番勝負開始は3年ぶりとなる1月1日の午前0時ということで、参加は2日の夜ごろからとなります。ほぼ全てが第十四回のように想定解数が多い問題だと良いのですが・・・。最近は想定解数が少ない問題は数個答えが出始めると、一気になくなるパターンが多いので心配です。おまけに、第二十二回にも日程によっては参加できなくなるかもしれませんし・・・。

[67568]で雪が積もったことについて触れていますが、実は今年の1月くらいだったと思いますが、雪が降ったときに阪急以南は雪が積もらず、地面は濡れていただけだったのですが、阪急以北の深いところでは雪が2~3センチほど積もっていたことがありました。標高がちょっと変わるだけで雪の積もり方が変わっていくのをこのときはじめて見ました。
※阪急は分かりやすいおおよその目安ですので、そこでぴっちり雪が積もったか積もっていなかったというわけではありません。
[67696] 2008年 12月 24日(水)01:13:26Issie さん
京成津田沼
[67692] ペーロケ さん
#確か昨年の時刻表では浦和駅のままでしたが、今年はまだ未確認です。大宮駅に変わってたらすみません。

(たまたま手許にある)JTB時刻表の3月号では 浦和 ですね。浦和か大宮か,と聞かれたら,私はやっぱり 浦和 に軍配を上げたいな。
ちなみに,JTBの時刻表では山口市の代表駅は,やはり 山口 です。

[67687] hiroroじゃけぇ さん
3.千葉駅と船橋駅・柏駅・西船橋駅。京成千葉駅と京成船橋駅・京成津田沼駅。(千葉県)

(JR)船橋駅と京成船橋駅とは相互の乗り換え駅として,セットの存在ですね。
西船橋は,国鉄と営団とは同一構内で改札口を出ることなく乗り換えができるので,西船橋自体の乗降客数はそんなに多くないんじゃないか,と思ったのですが,最近,JRと東京メトロ・東葉高速の間に連絡改札口ができたそうですね。いずれにしろ,総武線と東西線との間の乗り換え客は非常に多いはずです(船橋/京成船橋 や 津田沼/新津田沼 での乗り換えも含めて,いくばくかは東葉高速に移転したのでしょうが)。

それより意外なのは,京成津田沼。
かつて私も中学校への通学で京成千葉線に乗るために利用していましたが,それほど乗降客の多い駅とは思えません。
京成津田沼の駅勢圏内でそれなりの需要があるとしたら,それは埋め立て地の住宅団地くらいなものですが,より多くはJRの津田沼駅に流れているはずです。新京成の利用客も多くは新津田沼からJRの津田沼に流れていて,京成津田沼で京成へ乗り換える利用者はさほど多くないと思います。あとは京成津田沼駅周辺からのお客を集めることになるけれども,近くに市役所ほか,習志野市エリアの管理中枢機能が集まっているとはいえ,ここは習志野市の中心市街地ではありません。
あれこれ考えても,京成津田沼駅周辺の状況は30年前とあまり変わっていないはずで,そんなに多いのかな…。
もしかしたら,後半の3駅は“京成線内”での比較でしょうか。

ここにある「京成千葉」とは,昔の「国鉄千葉駅前」のことですよね。昔の「京成千葉」は,今の「千葉中央」。昔の 京成千葉駅(現千葉中央駅) には九十九里や房総半島の方へ向かう長距離バスのターミナルがあって,しかもその頃は栄えていた商業中心地に近いこともあって賑わったものですが,中心商店街の地盤沈下は著しく,バスターミナルもJR千葉駅にシフトしてしまって,今はとても寂しくなってしまいましたね。
逆に,ちはら台方面へ線路が伸びた分,そちらからの乗り換え客の乗降が期待できる 国鉄千葉駅前 改め 現・京成千葉駅 の方が乗降客数は多くなっているのかも。
そもそも 京成千葉線 は30年前も今も完全なローカル線です。輸送量は,本線系統(上野・押上~青砥~津田沼~成田方面)と比べてずっと少ないはず。少し前から,新京成の電車が松戸から千葉中央まで乗り入れるようになったけど,これもいつまで続くことか(ずっと昔に一度やったことがあるけれど,すぐにやめてしまいました)。
[67695] 2008年 12月 24日(水)00:18:58なると金時 さん
浦安国
[67691]hmtさん
イザナギさんは、「我が国」は浦安国といった(まあそれも事実かどうかは謎ですが)のを、日本書紀を書いた時点(720年成立だそうですが)で「我が国つったら日本だろ」と表現した、ぐらいが妥当なところですかね。
ちなみに、wikipediaのイザナギの項には「現在の日本を」浦安国と名付けた、という記載がありました。こっちのほうがよりいい感じ。
[67694] 2008年 12月 24日(水)00:06:34じゃごたろ さん
あきらかに宣伝
こんばんは、じゃごたろです。
今年もあともう少しとなりましたね。本日は使い古しのスタッドレスタイヤを新品に買い換えましたが、以前よりもだいぶ高価になっていて驚きです。

さてタイトルの通り、今回は完全に宣伝です。
以前私のサイトで公開していた「カントリーサインクイズ」ですが、新たに多数の画像を追加してリニューアルしました。イラストがだいぶ増えましたので答えがわからなくても、どの市では何が特徴とされているかを感じていただければと思います。

では、少し早いですがよいお年を(クリスマスは特に予定がないので。。。)。
[67693] 2008年 12月 23日(火)23:36:58【1】ぺとぺと さん
マンションの威力
[67667] 白桃さん
2008年10月1日現在推計人口で2005年国勢調査人口から5%以上の実質増加率を示した全国32市町村
神奈川県 開成町7.15

[67679] むっくんさん
とするならば、膳所駅の利用者を大幅に増やすには、やはりマンションでも建てるより他ありません。

これらの記事を拝見し、思わず唸ってしまいました。
町唯一の駅である小田急開成駅は、開成町が施行する土地区画整理事業に伴い1985年に開業しましたが、駅前は長らく閑散としたままでした。この閑散とした駅前に、小田急電鉄(小田急不動産)が大規模高層マンション「パレットガーデン」を竣工させたのは、2003年から2006年にかけてのことです。当時、私の勤務先でも毎日昼休みになると小田急不動産の方が社員食堂前でチラシを配布していたのを覚えています(誰か買ったのかな)。
個人的には東京や横浜に通勤するには不便だと思いますが、駅前の好立地で価格も抑え目だったからか、分譲された356戸は完売したようです。
これを人口に換算すると、単純計算で4名×224戸(2005年以前に竣工した壱番館を除いた2棟分のみ計上)=896名となり、増加分7.15%の8割以上はマンション分譲が寄与したことになります。ちなみに、「パレットガーデン」がある開成町南部地域には、再来年の4月に開成南小学校が新設される予定です。学校統合が盛んな中、非常に珍しいことだと思います。

#7.5%→7.15%に訂正
[67692] 2008年 12月 23日(火)23:33:51【2】ペーロケ さん
県庁所在地代表駅より多い乗車人員の駅
[67687]hiroroじゃけぇさん
[67688]ぺとぺとさん
1位が奈良市内の奈良県が該当するなら、埼玉県も該当しますね。JR東日本によると、埼玉県内の1位は大宮駅231,999ですが、2位は川口駅の80,350、3位がさいたま市の代表駅である浦和駅の78,708となっております。

 #確か昨年の時刻表では浦和駅のままでしたが、今年はまだ未確認です。大宮駅に変わってたらすみません。

 #過去ログにもさんざん話題に上りましたが、そもそも、代表駅ってどうやって決めているんでしょうね。県庁の最寄だったら、山口→新山口の移転が説明できないし。。。変更するタイミングもなかなか難しいんでしょうか。[5163]雑魚師匠の記事によると、
今後状況の変化次第で、代表駅変更の可能性もあるそうです
とのことですが、浦和駅→大宮駅の場合は、変更する時期を逸した感もあるような気もします。
[67691] 2008年 12月 23日(火)23:25:25hmt さん
日本者浦安国?
お酒の話題から外れてしまいますが…
[67673] なると金時 さん
日本書紀に「昔伊弉諾尊目此国曰。日本者浦安国。」

「広報うらやす」掲載の 市長さんの記事 でも、この 日本書紀巻第三 神武天皇三十有一年夏四月の巡幸・国見の記事を引用していました。

でも、イザナギノミコトや神武天皇の頃に「日本」という言葉が使われているのはおかしいですね。
「日本」が使われたのはずっと後、天武天皇が推進した国制整備以後というのが通説です。早くても689年の飛鳥浄御原令[吉田孝:日本の誕生(岩波新書)]、確実なところでは701年の大宝律令。

正史に書いてあっても、「日本=浦安 説」をうかつに信じることはできません。
[67690] 2008年 12月 23日(火)23:10:01ペーロケ さん
いぶいぶ
 なんでこの国は、自国の「国王」の誕生日よりも、2000年以上前の遠い異国の、自分には全く関係ない宗教のおっさんの誕生日の前夜祭の方が盛り上がるのでしょうね。ウチは浄土真宗の家なんで、本当は親鸞聖人生誕の日に、盛大にお祝いをしないといけないのかな??(実際やったことありませんけど。。。)

[67666]かぱぷうさん
すみません。私も間違えておりました。某SNSでも同様の間違いしており、大変失礼しました。
 そういや、私も時々間違えられるんですけど、あまり気にしておりません。もっとも、私よりも周囲の方が気になるようで、以前[55460]佐賀県さんにわざわざ訂正を入れられたことがありましたっけ。

#30過ぎると、あたまの切り替えに時間がかかる。。。

[67674]hiroroじゃけぇさん
なんと、昼の快速「サンライナー」が廃止されるというのです。
[67666]かぱぷうさん
寝台特急はやぶさ・富士の廃止、昼行急行列車の全廃、そして何よりも私が堪えているのは、学生時代にさんざん世話になったムーンライトながら・ムーンライトえちごの臨時列車化です。
 これらにはかなりお世話になりました。時代とはいえ、寂しい限りです。長い間、お疲れ様です。いつかどこかでお会いできる日を楽しみにしております。。。
[67689] 2008年 12月 23日(火)22:45:01MasAka さん
元・筑紫野市民として……
横浜に来て3週間、すっかりハマッ子……になれるわけがないMasAkaです(^^;;
気持ちはまだまだ博多っ子……というのも明らかにウソですが、1年8ヶ月住んで思い入れのある筑紫野市の話題が出てきたら、やはり飯能してしまいます。

[67666]かぱぷうさん
という筑紫野市、増加基調であることに間違いはないのですが伸び悩んでおります。このペースですと、来春の引っ越しシーズンが終わった時点での10万越えは厳しそうであります。

結局筑紫野市の人口10万人突破に貢献できないまま九州を去ってしまいました。私個人としては人口10万人達成の日まで九州に居残る気マンマンだったのですが、会社の命令では仕方ありません。再び九州に戻ってくることもあるかも知れませんが、その頃はおそらくとっくに10万人は超えているでしょう。

ちなみに[67667]の白桃都市人口研究所データ「3年間で人口増加5%以上の市町村」を眺めていると、32市町村のうち、つくばエクスプレス沿線の都市が3つも入ってますね(守谷市・つくばみらい市・八潮市)。

それまで鉄道空白地帯だった八潮市とつくばみらい市(正確にはつくばみらい市は一応端をかすってますが)、また鉄道は通っていたものの、東京に出るには乗り換えを強いられていた守谷市がいずれも新規路線の開業で都心に直結したことで、新たな住宅需要が増えた好例と見て良いと思います。同様に北総線沿線の自治体も3つ入ってますが(白井市・印旛村・本埜村)、これは鉄道の成田延伸に伴う列車の高速化(印旛日本医大以西は最高130km/h化、ただし普通列車もそうなるかは未定)を当て込んだものなのかが気になります。

増えてる!!これは大事件です。いったいどうしたことか?なぜ今更!?乗り手はいるのか??

筑豊本線(原田線)のダイヤ改正の発表には私も驚きました。何しろ1両編成のレールバスっぽい車両(しかも九州にしては珍しく列車にトイレ無し)が1日わずか7往復しか走っていないという福岡県内きっての閑散路線の輸送力が一気に14%も増えるわけですから。今月開店したイオンモール筑紫野の集客効果を当て込んだ増発と思わざるを得ませんが、果たしてこの増便が地域の足として定着するのか、それとも次回のダイヤ改正で再び減便されるのか……。
[67688] 2008年 12月 23日(火)22:32:52ぺとぺと さん
乗降人員
[67687] hiroroじゃけぇさん
県庁所在地にある代表駅と、同一都道府県内にある他都市の駅で乗降者数が逆転しているところ
挙げていただいた7県の他には、茨城県が該当すると思います。
JR東日本によると、2007年度の1日平均乗車人員は、取手駅32,840人>水戸駅28,513となっています。
[67687] 2008年 12月 23日(火)21:59:51hiroroじゃけぇ さん
県庁所在地駅と他の自治体の駅
県庁所在地にある代表駅と、同一都道府県内にある他都市の駅で乗降者数が逆転しているところは

1.福島駅と郡山駅(福島県)
2.前橋駅と高崎駅(群馬県)
3.千葉駅と船橋駅・柏駅・西船橋駅。京成千葉駅と京成船橋駅・京成津田沼駅。(千葉県)
4.近鉄津駅と近鉄四日市駅(三重県)
5.大津駅と草津駅・南草津駅(滋賀県)
6.奈良駅と王寺駅(奈良県)
7.新山口駅と下関駅(山口県)
4以外はすべてJR線。
3の千葉県では、JR・京成ともに、船橋がトップ。乗り換え客が押し上げている格好です。
5の事例である滋賀県内では、草津駅・南草津駅の他、石山駅があるが、大津市内の駅のため除外。
6の事例である奈良県内の近鉄線では学園前駅が1位で、近鉄奈良駅は2位だが、両者とも奈良市なので除外。

とまぁ、この7県ぐらいでしょうか。1・4・7の事例は、県庁所在地よりも他の都市の方が人口が多い為。2・3・5は県庁所在地の駅よりも乗り換えなど利便性が高い。6は、乗り換えと、駅の分散度とかでしょうか?この内、唯一市の駅でない王寺駅が意外度NO.1でしょうか。元々、郡部における利用者が多い最大の駅だったのですが、県庁所在地の駅を上回るとは。驚きですね。

[67683]クハ221-1 さん
大津駅周辺は官庁街なので、平日の朝夕は結構乗降が多く、県庁所在地の駅としての貫禄は十分あると思います。
利用者の多くが通勤客なのか、駅構内はさっぱりした構成で、他の県庁所在地駅のように華やかさはないですよね。hiroroじゃけぇの 感覚として、駅は通勤や通学の定期利用の為だけではなく、定期外も十分に多いということが求められると思っています。いくら、通勤需要が多くても、周囲で経済活動が活発でなければ、淋しい感が漂う駅となってしまいます。強いて言えば、大津駅周辺には活発な「経済活動」が見受けられないことが問題だと思われるのです。その点で、草津駅や石山駅に及ばないと思わせる、そして実際に乗車人員が伸びていないのだと思います。

平日と休日の落差が大きい駅で、JRの発表している「乗降客数」はおそらく平日に取っているものと思いますが、休日にデータを取っていればもっと少ない数字が出ると思います。
記憶は定かではありませんが、10月の第3水曜日?に調査をしていたと思います。水曜日というのは平日の中で経済活動が最も控えめな日であり、安定した調査ができる日であるためだそうです。ですから、JR西日本管内の一部の路線では、「水曜日運休」の列車が設定されています。これは、乗客数が最も1週間の中で少なく、工事のために運休しても影響が少ないというのが理由だそうですよ。
[67686] 2008年 12月 23日(火)20:48:05かすみ さん
おやおや・・・
なんか呼ばれたような、しかもあまりよろしくない話のような?(汗)
膳所の例の坂は「ときめき坂」です。前に慌てて日記を書いたときに書き間違ってるようですね。他の時期に書いたのはちゃんと合ってますんで。(苦笑)

この一週間で東京3往復、しかも帰りは最終ドリーム号でそのまま出勤、ほぼ毎日クリスマスイルミネーションを楽しむという超人スケジュールにもかかわらず風邪の一つもひいていません。深夜は眠い目をこすりそのイルミ写真をアップしたりして喜んでいますが、明日は前橋にいつもの出張ついでにお客さんを巻き込んで榛名湖へ見物に行くことにしちゃいました。わたしのイルミ見物好きに付き合って下さるお客さんたち、本当にすみません・・・。
[67685] 2008年 12月 23日(火)20:34:06小松原ラガー さん
姫路駅--その2
小松原ラガーです。

[67644] 小松原ラガー
問題の播但線・姫新線側のホーム。一つのホームで4線確保するためにホームの両端を切り欠き状にしている模様です。

確かめてきました。^^;結果、播但線側の2番線と姫新線側の3番線、共に切り欠きを利用した番線となっていました。ということで、やはり一つのホームを真ん中でガクンとずらした様な形のホームとなっています。JR西日本のこのページではわかりませんが、1、2番線側を上に、3、4番線側を下にずらしたような形になっています。面白かったのですが、2番線から4番線に向けては渡りがあったのに対して、3番線は完全な行き止まりになっていました。あと、

播但線・姫新線のホームの下の駅中、コンコースの部分におにぎり屋さんとか、新たにいくつかのお店がオープンする模様です。

早速おにぎり屋さんでおにぎりを買っちゃいましたが・・・味はそこそこでしたが、少し割高だったかなぁ・・・。おにぎり屋さんの横には関西圏というか阪神間では知る人ぞ知る「御座候」もありました。あれ?「御座候」ではわからないですよね。なんと言うのでしょうか。太鼓饅頭、と言ったほうがよいのか・・・?尚、この日もチャッカリ駅そばを食して帰ってきましたが、ホームの店舗では麺類とおにぎりくらいしか販売していませんが、新幹線乗換え口の店舗ではドンブリ類やカレーも提供していました。しかし、やはり「駅そば」でしょう。^^;

鉄ネタ、食ネタのみで地理ネタには程遠く申し訳ありませんが・・・。

#ま、でも50万都市の玄関としては立派な駅になったものです。本当に。
[67684] 2008年 12月 23日(火)20:29:44オーナー グリグリ
【第二十一回】全国の市十番勝負(開始予定について)
オフ会後、いろいろと忙しくなってしまい、落書き帳の書き込みへのふぉろ~や企画ページの改善などまったく手が回らなくなってしまいました。申し訳ありません。とはいえ、十番勝負だけは開催したいと考えています。私の都合もありますが開始日は1月1日午前0時ちょうどスタートとさせてください。開始が深夜になりますがご理解をお願いいたします。では、よろしくお願いいたします。
[67683] 2008年 12月 23日(火)17:15:43クハ221-1 さん
大津駅
[67682]hiroroじゃけぇさん


自分の経験では、大津駅で降りる時は「平和堂」に寄るときぐらいでして、大津市内での買い物は、やはり膳所駅下車であったと思います。一方の石山駅はというと、こちらは「石山寺」への参拝が主でして、ほとんど下車した事はありません。けれども、大学→大阪方面に行く必要があるときは、ここで新快速と乗り換え(1時間に1本は山科駅ですが)ていました。実際、乗降人員のデータと同じく石山駅での新快速利用者は、大津駅のソレとは全く比にならなかったと記憶しています。しかし、県庁所在地の駅が、他の都市の駅に乗降人員で負けるとは・・・。

滋賀県の話題が出ていますので一言。
大津駅周辺は官庁街なので、平日の朝夕は結構乗降が多く、県庁所在地の駅としての貫禄は十分あると思います。かつてどこの駅でも当たり前だったプラットホームへの駅員配置も、ごく一部の主要駅を除き消えていき(全国的な傾向ですが)、滋賀県内でホームに駅員がいる駅は米原、草津、石山の3駅のみとなりましたが、平日の朝に限り大津にも配置されます。
けれど休日は新快速が停車するのが不思議なぐらい寂しい駅となってしまいます。(休日の大津駅しか知らない方、平日の朝に行ってみればびっくりするぐらい乗降客が多いですよ)平日と休日の落差が大きい駅で、JRの発表している「乗降客数」はおそらく平日に取っているものと思いますが、休日にデータを取っていればもっと少ない数字が出ると思います。
[67682] 2008年 12月 23日(火)16:30:25hiroroじゃけぇ さん
膳所駅と・・・
[67679]むっくん さん
確かに現状では、「膳所駅」の新快速停車は必要ではないと思います。もっとも、隣の大津駅自体怪しい感もしていますから。自分の経験では、大津駅で降りる時は「平和堂」に寄るときぐらいでして、大津市内での買い物は、やはり膳所駅下車であったと思います。一方の石山駅はというと、こちらは「石山寺」への参拝が主でして、ほとんど下車した事はありません。けれども、大学→大阪方面に行く必要があるときは、ここで新快速と乗り換え(1時間に1本は山科駅ですが)ていました。実際、乗降人員のデータと同じく石山駅での新快速利用者は、大津駅のソレとは全く比にならなかったと記憶しています。しかし、県庁所在地の駅が、他の都市の駅に乗降人員で負けるとは・・・。草津駅前は、大津駅前と比べ物にならないほど賑やかですからね。両出口ともバスが頻繁に発着していますし。草津・栗東両市の玄関駅であるからというのもあるかもしれませんね。勿論、マンション群もそうですが。

そもそも西武百貨店開業当初より、西武百貨店に行くのは車が普通でして、鉄道利用者は学生が中心でしたし。。。
なるほど。だからでしたか。西部やパルコに行くと、周囲に駐車場がいっぱいあったような印象を受けたのは。もっとも、西武百貨店が黒字かどうかも怪しいような状況で、パルコの賑わいとは正反対のイメージがありました。また、例の「ときめき坂」も、土休日でこそ人通りが多くなりますが、平日はというと・・・。地方都市にはよくあることですが、京都市の繁栄を見ると、適度な距離がどれほど地方都市にとって重要かと感じたのも事実です。

私も「ときめき坂」と呼んできたのですが、かすみさんのHPでは「ときめき坂」ではなくて「きらめき坂」との文字が。。。
膳所駅前商店街ときめき坂のHPには、「ときめき坂」と・・・。確か、「びわこカンパニー」というTV番組で名付けられたんでしたっけ?自分の中では、「マザーレイク」という曲が頭に残っているんですが・・・。着うたもあったりして(笑)
[67681] 2008年 12月 23日(火)14:24:49むっくん さん
Re:市区町村変遷情報小レス(北海道)
[67671][67672]88 さん

修正ご苦労様です。2点ばかり補足を。

まず美国郡美国町が二級町→一級町の経緯が不明とのことですが、根拠は内務省告示第32号(M42.3.17)で、M42.4.1から実施されました。[67007]拙稿(6)では、原文であるリンク先を参照ということで、わざわざ記すことまではしませんでしたが。。。
#蛇足ですが、浦河郡浦河町と河西郡帯広町が二級町→一級町となった根拠は内務省告示第12号(T4.3.17)で、T4.4.1に実施されました。([67007]拙稿(8)で記載済み)

そして重箱の隅をつつくようで申し訳ありませんがもう一点。
北海道の二級町村の改称の根拠法令はM30.5.29勅令第160号北海道二級町村制の第三条ではなく、勅令第37号(北海道二級町村制)(M35.2.22)の
第二条 北海道一級町村制第三条は之を二級町村に準用す
になります。改称の権限など中身については従前のM30.5.29勅令第160号北海道二級町村制と変更はありません。
[67680] 2008年 12月 23日(火)14:17:29【1】むっくん さん
日本地誌提要での鹿児島坂元村とは?
[67589][67662]YTさん

[67603]拙稿で、他の方にお任せするとしたことのうち、
日本地誌提要で約3万人近くの人口がいるとされている鹿児島坂元村
については、おそらくこうではないか、という考えがまとまりましたので、以下に紹介します。
まず[67581]拙稿での考え(鹿児島坂元村=鹿児島城下町のうち上町・下町・西田町)は、[67589]でYTさんが同意されていないようにさすがに無理がありました。

そこで「鹿児島坂元村」とは、自治体としての鹿児島郷「坂元村」と素直に考えるべきなのではないでしょうか。日本地誌提要では県庁所在地「鹿児島坂元村」と書かれていますから。また、城下町の上町・下町・西田町に所属していた各町は含んでいないものなのでしょう。

以前[64674]拙稿で書いたように当時の滋賀県の県庁所在地は「五別所村」にありました。そして日本地誌提要でも[67556]拙稿で書いたように、「五別所村」と記載されています。ただ、人口では五別所村に大津の人口を加えるとの形式となっています。もしも鹿児島坂元村のところで城下町・鹿児島の人口を加えるのであるならば、その旨の記載があってしかるべきなのではないでしょうか。そして他の府県でもいずれも当時県庁所在地の自治体としての町村名が記載されているようです。
ただこのように書くと、本当に当時の自治体としての鹿児島郷「坂元村」に27,240人もいたのかと疑問を抱かれることと思いますので、以下に私の考えでも妥当であることを示したいと思います。

まず、「鹿児島県管下各区並村名等取調」(明治7年の鹿児島県の内務省宛提出文書)の鹿児島郡で自治体としての「町」として記載されていたところは

第1大区第9小区東之町,東中之町
第1大区第10小区西中之町,西之町
第1大区第11小区六日町,中町,西納屋町,西金生町,西大黒町
第1大区第12小区西今町,西築町,北金生町,北堀江町,東納屋町,北大黒町
第1大区第13小区東今町,東築町,北泉町,北潮見町
第1大区第14小区南泉町,南潮見町
第1大区第15小区生産町,易居町
第2大区第10小区北呉服町,北船津町,南大黒町,南新町
第2大区第11小区北堀江町,南泉町,南船津町,北住吉町
第2大区第12小区南堀江町,南住吉町
第2大区第13小区南呉服町,南船津町,南新町
第3大区第12小区車町,恵美須町
第3大区第13小区栄町,柳ノ町
第3大区第14小区和泉屋町,濱町
第3大区第15小区向江町

の合計43町のみでした。
#町数の記載より、例えば呉服町は、自治体としての町としては、北呉服町と南呉服町とに分かれていたようです。

そして[67603]を書いた時には気付かなかったのですが、第1大区第9~10小区の町には西田町、第1大区第11~15小区及び第2大区第10~13小区の町には下町、第3大区第12~15小区の町には上町との但書きが書かれていました。
→ということは自治体として存在する鹿児島の城下町は、西田町、下町、上町のいずれかに必ず所属していたことになります。

また、[67589]YTさん御提示の明治4年~明治19年の鹿児島郡の本籍人口ではほとんど人口に変動が認められないことより、明治になってから新たに大規模に鹿児島城下に町場が形成されたわけではないのでしょう。

これら2つのことから考えられるのは、上町・下町・西田町に所属していない城下町が、江戸時代より既に近在の村の内部に通称として存在していた、ということです。
また、明治12年ごろに新たに出来た(上町・下町・西田町に所属していない)町としては、東側から西側へ順に、清水馬場町稲荷馬場町鼓川町春日小路町池之上町上龍尾町下龍尾町冷水通町長田町新照院通町平之馬場町東千石馬場町西千石馬場町山之口馬場町加治屋町新屋敷通町の各町があります([67609]作々さんの記載をも参考にしました)。そして「坂元村」はこれらの町の北側にあります。

まとめますと、上町・下町・西田町に所属していない城下町(ただし、一番南西にある新屋敷通町は武村の一部であったので除く)が、江戸時代より既に近在の「坂元村」の内部に通称として存在していていて、それらの町が明治12年ごろには分立して新たに自治体としての町となった、という仮説が立てられます。これだけ多くの町が既にあれば鹿児島郷「坂元村」に27,240人もいても特に不思議はありません。

さてこの仮説が妥当であるかの検証です。
「鹿児島県管下各区並村名等取調」では、「坂元村」は第1大区第1~3小区、第2大区第1&12小区、第3大区第1~7小区の計12小区に分けられて所属していて、このうち10小区は「坂元村(の一部)」のみで一つの小区を形成しています。
そもそも大区小区制の小区は、そもそも江戸時代からの藩政村は規模が小さすぎるために複数の村をまとめることにより、政府が発した命令を容易に受け入れやすくさせるために設置されました。全国的に見ても、いくら大きな村であっても一つの村は一小区に属することが基本です(その結果1小区に所属する村が1村ということも、全国的にはままあることです)。
ところが、鹿児島郡では一つの村がわざわざ分割されています。鹿児島県では一つの村の人口が他の府県と比べて多かったのかもしれませんが、それでも武村は3小区、吉野村は2小区に分かれているくらいで、「坂元村」の事例は異例です。
このことから推察されることは、上町・下町・西田町に所属していない城下町は、その大半が自治体としての「坂元村」に通称町名としてあったと考えるのが妥当ではないか、ということです。

現在の地図から推測するに、例えば後に自治体としての「町」として登場する上龍尾町や鼓川町などは「坂元村」に所属していたと考えても不思議では有りません。
しかし明治12年頃にあらたに自治体として成立した町は、鹿児島の城下町(上町・下町・西田町)の北側にある、上龍尾町や鼓川町のようなものばかりではありません。例えば西郷隆盛が過ごした加治屋町のように、鹿児島の城下町(上町・下町・西田町)の西側にあるものまであります。そしてこれらは「坂元村」よりはその西隣の「下伊敷村(明治4年以前は草牟田村、草牟田村は明治4年に北隣の下伊敷村に編入)」に所属していた可能性もあるのではないか、との疑問が生じます。
この疑問に関してですが、明治7年の「鹿児島県管下各区並村名等取調」によりますと、「下伊敷村」は「西田村」の一部及び「上伊敷村」と共に第1大区第4小区にしか所属していなかったと記載されています。このことより、「下伊敷村」は小村であったことが推測されます。
よって明治12年頃にあらたに自治体として成立した町はほぼ「坂元村」に所属していたものと推測されます。

以上で、「鹿児島坂元村」とは自治体としての鹿児島郷「坂元村」である、ということは矛盾なく説明できている気がするのですが、いかがでしょうか。

P.S.
実際に鹿児島市街で地租改正が実施されたのが明治12年2月以降のことらしい
という地租改正がらみのことが、おそらく鹿児島での町村の区分をややこしくしているのでしょうね。
[67679] 2008年 12月 23日(火)14:16:14【2】むっくん さん
新快速など
[67674]hiroroじゃけぇさん
滋賀と言えば、膳所駅への「新快速」停車が多くの人の要望ですよね。大津・石山を膳所に一本化もありだったと思うのですが・・・。
JR西日本からはベスト50以外は2007年のデータが発表されていないため、2006年度の琵琶湖線の一日平均乗車人員を挙げますが、
大津17,858
膳所12,547
石山23,677
瀬田17,148
南草津20,182
草津27,831
となっています。
現在の大津駅の利用者の少なくても半分は大津駅最寄の県庁関連の人でしょう。また石山駅の利用者の約6割ぐらいは、名神高速道路以南の南郷田上上田上の人及び石山駅前の東レ・NECなどに勤める人で、3割ぐらいは石山駅近辺に住んでいる人であると思われます。
現段階で仮に新快速の停車駅を大津・石山から膳所に一本化しても、大津と石山の乗者人数はほとんど変わらないでしょう。
#21世紀に入ってから急速に衰退した石山駅前の栄町商店街で、ここ2,3年の内に急にマンションが林立し始めましたので、石山駅の利用者数はさらに増えそうです。

では膳所駅の利用者が増えるのでしょうか。
可能性の一つとしては、買い物客が増加することで、膳所駅の利用者が増えることが考えられます。
現在の膳所駅前の商店街は京都駅の伊勢丹との勝負に敗れずに以前からの状態を何とか保ち続けているだけであると私は感じています。そもそも西武百貨店開業当初より、西武百貨店に行くのは車が普通でして、鉄道利用者は学生が中心でしたし。。。
このような状況下では買い物客による利用者増はあまり期待できません。
とするならば、膳所駅の利用者を大幅に増やすには、やはりマンションでも建てるより他ありません。膳所駅の利用者圏内でマンションを建てられる余地となると、膳所駅南側及び東側の、以前貨物を取り扱っていた区域しかありません。大都市部なら線路の隣のあまり大きくない区域を開発するようなことはあるのでしょうが、膳所よりさらに2~3駅先郊外でまとまった開発余地のある土地もあることもあり、まずマンションなど作られることはないでしょう。
以上のような現状からは膳所駅に仮に新快速が停車することがあっても、大幅に利用者数が増えることはまずないと言って過言ではないでしょう。
となれば、大津駅・石山駅停車の現状維持が妥当であると私は考えます。


かつて近隣の2駅の中間駅に停車駅をまとめた事例としては、大聖寺駅と動橋駅に止まっていた優等列車を、その中間の加賀温泉駅(当時は作見駅)にまとめたということを挙げられます。ただこれは、優等列車の主たる利用者が温泉宿泊客、つまり毎日利用するわけではない観光客、であったから上手くいったのでしょうね。

滋賀県の「原宿」、「ときめき坂」はこの駅下車なんですがね。
私も「ときめき坂」と呼んできたのですが、かすみさんのHPでは「ときめき坂」ではなくて「きらめき坂」との文字が。。。
いつの間に変わったのでしょうか。


[67658]小松原ラガーさん
西明石以遠のこれらの各駅はそもそもアクセスが確保されるのか
JR西日本・神戸支社のプレスリリース(PDF)によると若干の最終電車の繰上げはあるようですが、アクセスは確保されるようですね。私は阪神電車梅田駅の終電付近のダイヤをまねて、大阪駅最終の普通・西明石行きを神戸行きに変更することもあるのではないか、と思っていましたが。
となると、最終電車の大幅繰上げは琵琶湖線の各駅のみですか。。。

JR西日本となってからの改正は、利便性をアップさせる方向ばかりにいっていましたが、岡山のサンライナー廃止と併せ、初のマイナス方向へのダイヤ改正となりそうです。
[67678] 2008年 12月 23日(火)11:58:51オーナー グリグリ
アーカイブズの表示不正ほか
[67670] 2008 年 12 月 22 日 (月) 19:50:28 KK さん
先ほど、アーカイブズを見ようとクリックしたのですが、
「アーカイブ番号が不正です。」
というメッセージが出て読めませんでした。
どのアーカイブズを選んでも同様のメッセージが出るのですが、何か作業中なのでしょうか?
ご指摘ありがとうございました。現象を確認しました。
原因は不明ですが、アーカイブズのデータファイルが壊れていました。
修復しましたので現在は正常に表示できています。お手数ですがご確認ください。
ご迷惑をおかけし申し訳ありませんでした。

[67628] 2008 年 12 月 18 日 (木) 21:31:23 日本人 さん
またまた細かい指摘で恐縮なのですが、落書き帳オフ会記録の、1次会、2次会など表になっているところに、
日 時 : 2007年11月23日(日)
と、書いてあったのですが、これは、「2008年11月23日」の誤りではないでしょうか。
こちらもご指摘をありがとうございました。単純ミスでした。修正しましたのでご確認ください。
[67677] 2008年 12月 23日(火)08:52:14【1】EMM さん
まとめレスれす
[67676] 88さん
そうそう、[67619] EMM さんによると、私と同様に21日(金)に弘前市内に宿泊し、22日(土)の午前あたりまで同じく弘前市内に滞在したらしい。オフ会時はそういう話には至らなかったので今回が初耳。街中でも出会わなかったし・・・。
88さんが弘前駅に到着された頃はちょうど津軽三味線のライブを聴いていた真っ最中でした。
また、22日の午前中は尾上や黒石を散策しておりました。(おまけに6時~8時頃には五所川原まで往復)
弘前に舞い戻ってきたのは午後1時過ぎ。
なので、ニアミスとはいえ遭遇するチャンスはほとんど無かったかも。
88さんの弘前でのお宿はどこだったんでしょう?場合によっては、そこが最大の遭遇チャンスだったかも?

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[67673] なると金時さん
日本書紀に「昔伊弉諾尊目此国曰。日本者浦安国。」とあり、日本の別称を「浦安国」というようなので、富津のお酒はそちらにちなんでいるのかもしれません。日本はやっぱり海の国なんだなあ。
私も別の命名由来を疑ったんですが、

・醸造元の銘柄は聖泉である。それ以外の銘柄でこの醸造元の酒として紹介されるのは「君たち花」のみ。故にこの「浦安」という酒は醸造元が自分の所の酒として販売しているものではなく、特定の依頼者にのみ納入しその依頼者によって販売されるプライベートブランドと考えられる。
・「東京湾 干潟とべか舟の里」と言う浦安市をイメージさせるキャッチコピーがラベルに印刷されている。
・何より、千葉県内で「浦安」という名前を付けることにより何がイメージされうるか。

…と言う状況証拠から考えると、命名由来は浦安市以外の何者でも無かろう、と推定できるのであります。
[67676] 2008年 12月 23日(火)07:57:3288 さん
第五回オフ会散財記
早いものでもうオフ会から一月もたってしまいました。12月も後半となり、流石にかなり寒くなってきましたが、オフ会旅行時に比べると大したことはないし、あれだけの雪を見ることも私にとっては今後10年くらいはあり得ないだろうなあ、と思っています。
行程のルート概略はこんな感じです(仙台-盛岡のみ、時計回り)。

行程は次のとおりです。★は私の今回の旅の重点箇所です。★☆について簡単に記しておきます。
19日(水):(定時まで出勤後)高松-(サンライズ瀬戸)-
20日(木):東京-仙台-★山寺-新庄(とりもつラーメン、沼田城址)-酒田(泊)
21日(金):酒田-(☆代行バス)-羽後本荘-秋田(千秋公園(久保田城址))-(リゾートしらかみ(★五能線))-弘前(けの汁)(泊)
22日(土):弘前(☆弘前城、津軽そば)-青森-(☆八甲田山(バス))-☆十和田湖温泉郷(泊)
23日(日):十和田湖温泉郷-(★奥入瀬渓流(徒歩))-子ノ口-(バス)-☆十和田湖-(☆タクシー)-十和田南-湯瀬温泉
24日(月):湯瀬温泉-盛岡(盛岡冷麺、☆盛岡城址等)-東京-(☆のぞみ)-岡山-高松

山寺 (地図)
山形県内を訪問するのに、米沢市内・山形市内・酒田市内などいろいろ検討した中で、最優先としたのがこの山寺。私自身、四国八十八箇所廻りの二巡目が遅々としながらも進行中、市中にある寺もいいが山を延々と登るのもまた一興。しかしこの日は前日からの積雪と、さらに降り積もる雪の中の参詣となる。オフ会でグリグリさんのクイズに山寺の写真があったが、3日前に訪問したものの大雪の山寺しか見ていないので不正解は当然(と言い訳しておこう)。
酒田の街もゆっくり見たかったが、日没後のため次回(いつのことやら?)に持ち越し。
☆代行バス
酒田から羽越本線で秋田へ向おうとしたら、雷による信号トラブル・強風のため羽越線がストップし代行バスが出るとのこと。象潟海岸あたりはバスの車窓から眺める。指定をとっているリゾートしらかみ3号(秋田発11:05発)には間に合いそうな説明であったが、やはりかなり遅延し、途中の羽後本荘で動き始めた電車に乗り換えるも30分ほど間に合わないことが確定、同駅で「払いもどし申出 10時40分取消済」の証明を受ける。結局は約3時間後のリゾートしらかみ5号の指定を秋田駅で改めてとる。
リゾートしらかみ(五能線)
前述のとおりの行程変更により、五能線の後半の乗車は日没後となってしまう。しかし、やはり瀬戸内海に親しんだ私にとっては、日本海の景色はとても新鮮、でも違和感([66012]拙稿。[66039]にまん さん、[66040] hiroroじゃけぇ さん、[66044] かぱぷう さんも同類の「環瀬戸内海組」)。でもやはりこういう景色は鉄の旅の醍醐味・・・。
弘前城 (地図)
朝8時には城に到着。天守等有料区域は9時からなので、それまでに周囲をたっぷり散策。再び前夜から雪も降ったものの、途中からは晴れ。
天守(といっても元は隅櫓)もあり、桜トンネルならぬ「桜のトンネル」もあり。
そうそう、[67619] EMM さんによると、私と同様に21日(金)に弘前市内に宿泊し、22日(土)の午前あたりまで同じく弘前市内に滞在したらしい。オフ会時はそういう話には至らなかったので今回が初耳。街中でも出会わなかったし・・・。
八甲田山 (地図)
青森駅前から十和田湖温泉へ行く途中にバスで通過。雪は積もり、降り、気温もグッと下がる。風があまりなかったのがまだ救い。「さすが八甲田山」を実感。八甲田山死の彷徨(新田次郎)は、十数年前に読破済み。
十和田湖温泉郷 (地図)
ネットで調べた宿で宿泊。オフシーズンのせいもあり、客は少ないもののこじんまりとした宿ですごくリーズナブル。食事も満足、露天風呂は雪見風呂にもなり快適。翌朝出発を早めにしたいとお願いしたところ対応していただき、感謝。
奥入瀬渓流 (地図)
本旅行の2番目のポイント(1番目はオフ会・・)。朝7時すぎに宿を出発し、約4時間半かけて十和田湖まで三里半(14km)を遡上。積雪はあるものの晴天、寒さも大したことはない。さすがにこの時期は歩く人も少なく、じっくり堪能。明治の文人大町桂月が』『住まば日本(ひのもと) 遊ばば十和田 歩きゃ奥入瀬三里半』と詠んだところでもある。
しかし、遅ればせながら気がついたこと。「奥入瀬渓谷」ではなく「奥入瀬渓流」。なぜか勝手に高千穂峡と同様なイメージで乗り込んだのは大きな勘違い。あくまで「渓流」だった。
十和田湖 (地図)
今回の第五回オフ会は、十和田湖の境界確定を記念して([66535]グリグリさん)開催されたはずなのに、私が何人かの行程を聞いた限りでは十和田湖を今回訪れた人は他に誰もいない・・・。私はちゃんとこのとおり、青森県十和田市から秋田県鹿角郡小坂町へ移動(もちろん陸上部)。しかも、待ち時間に徒歩でも県境越え。湖上から吹き付ける風が強く、奥入瀬よりはるかに寒かった。
☆十和田湖-十和田南駅
三里半の行軍のあとはバスとJRでオフ会会場へ向かうだけ。秋北バスで、十和田湖畔の十和田湖バス停から大湯温泉経由で花輪線の十和田南駅までバス移動。JTBの時刻表では冬ダイヤで12:30発、秋北バスの時刻表(pdfファイル)は、旅行前でも夏ダイヤのまま。JTB時刻表を信じて行程を組み、乗り換えようとしてバス乗り場を聞くと「今日は日曜日だから運休」とのこと!! そんなことは時刻表には書いていない。しかし、案内の人が言うのだから間違いない。「他に方法は?」と聞くも「タクシーしかない(しかも呼ぶ必要あり)」とつれない返事。バスで1時間ほどの乗車だからタクシー代は・・・ええい、考えても仕方がない。かくして、タクシーに乗車。30km超、運転手さんがメーターを1万円で止めてくれたものの、ホントは約1万2千円か。
運転手さんと、十和田湖の境界の話、熊が出る話、大湯温泉の衰退の話、などをして過ごす。バスが日曜日が休みなのは、路線に市が補助して実質「市営バス」で役所は日曜は休みだから、とか、時刻表は欄外に「日曜運休」と書いているのではないか、とか・・・。断じてJTB時刻表にはそんなことは書いていない。
午前の三里半の行軍よりも別の意味でがっくり疲れ果てて十和田南駅から花輪線に乗車し、湯瀬温泉へ向かう・・・。
盛岡城址 (地図)
湯瀬温泉から盛岡へ、スナフキんさんとMasAkaさんと盛岡冷麺で昼食。スナフキんさんが旅立った後、MasAkaさんに盛岡城址等をご案内いただく。さすが盆地、結構冷えていた。
☆のぞみ
盛岡で昼食後、帰りの指定を取ろうとするも、3連休で大混雑して想定していたのぞみがまったく取れない(乗る予定の列車の目安はあったが、臨機応変で対応のつもりでとっていなかった)。しかたなく乗車列車をずらし、しかも「グリーン」しか買えず・・・。十和田湖からのタクシー代とあわせて、今回の2大散財であった。
―――――――――――――――――――――――――
スナフキんさん企画の「逆認市度最高地点当てクイズ」、私は上記のとおり22日(土)からの行程に限ると弘前市:3(訪問)、青森市:3(訪問)、十和田市:4(宿泊)、の10点(オフ会会場の鹿角市は除く)。この2日間で十和田市を訪問したのは21人中私一人でした。

十数年ぶりの東北訪問、5泊5日で目いっぱい動きました。四国からだとオフ会でもなければなかなか行く機会はなく、次はいつ行けるか不明です。それにしても、オフ会そのものを含めて楽しい旅でした。幹事のグリグリさん、いっちゃんさんをはじめ、(私を含めると)総勢21人のツワモノの皆さん、楽しい時間をありがとうございました。またお会いしましょう。
[67675] 2008年 12月 22日(月)22:20:17おがちゃん[日本人] さん
冬休みの幕開け
こんばんは。日本人です。
とうとう、安中では2学期が終わり、冬休みが始まりました。なんとしても宿題を年末に終わらせるつもりでやっていますが、図工が苦手な僕にとっては、後半は少し大変です。まぁ、風邪をこじらせないように努力したいと思っています。(すでに、風邪にかかっているのですが)

[67666] かぱぷう さん
なんだか呼ばれたような(笑)
意識的に呼んじゃいました(爆)。本当にすみませんでした。
私のニックネームの読みや由来は[60946]にてしたためたことがありますのでそちらを参照ください。
これをいい機会として、「かぱぷう」さんのニックネームの由来の『カパプー』について検索してみました。予想通りに一度見てしまうと、忘れられずにどんどんはまってしまうキャラですね。
これからは、ニックネームをできる限り間違えないように努力したいと思います。申し訳ございませんでした。

[67656] むっくん さん
私が[67648]で私が挙げた田川と高時川の事例(地図)はまさしく一級河川同士の立体交差にあたります。
あっ。そうでした。睡魔が襲ってきて早く寝たいからという理由で調べなかったのがまずかったようですね。一級河川同士の立体交差はまだまだ数件はありそうですね。
もしも別称も収録対象であるならば、高時川も「兄弟姉妹」コレクションの一つになるのでしょうね。
ただいま、入れるべきか入れないべきか少々悩んでいます。明日には、入れるのか入れないのかをはっきりさせたいと思いますので、よろしくお願いします。

#早く寝て風邪を治したいと思います。では。
[67674] 2008年 12月 22日(月)21:34:38hiroroじゃけぇ さん
減量中の都市もちらほらと
今話題の「南草津駅」!!いやぁ~、懐かしい。2年ほど前までは、毎日お世話になっていました。その南草津駅も今では、滋賀県内で3番目の乗降者数がある駅となっていますね。ビックリ。バス路線も非常に充実しており、某大学生にとっては某大学専用のICカードを利用して安価に利用できると好評です(但し、乗務員の態度は決していいとは言えませんが)。某大学には3つの経由(松下東口経由・かがやき通経由・笠山松下経由)があり、さらに「飛島グリーンヒル」行きや、「滋賀医科大」行き、「福祉センター」行きなどもキャンパス内のバスTに乗り入れてきます。まぁ、某大学とは我が母校ではありますが・・・。でも、滋賀と言えば、膳所駅への「新快速」停車が多くの人の要望ですよね。大津・石山を膳所に一本化もありだったと思うのですが・・・。滋賀県の「原宿」、「ときめき坂」はこの駅下車なんですがね。

[67666]かぱぷう さん
地元は増発されますか。素晴らしいことで、何よりです。一方の我が地元岡山ですが、児島・宇野方面については、複線化完成による列車交換の減少や、それに伴う運用の変更などでほぼ現状維持となっています。しかし、気になることが。なんと、昼の快速「サンライナー」が廃止されるというのです。快速「サンライナー」と言えば、山陽第二のメガロポリス地帯(笑)を走行する列車で、岡山・倉敷・浅口・笠岡・福山と、ザット160万人程度の区間を走行する列車。それが廃止になるとは・・・。しかも、「昼」経済活動真っ只中の時間帯の減便はいただけません。それも、記念すべき岡山市の政令指定都市移行前に行なうとは。確かに、以前から乗車率は気になっていたものの、それも3両編成に改めればよかったはず。これには納得がいきません。但し、明るい話題も。JR西日本のプレスリリースには載っていませんが、データイムの岡山~相生間山陽本線普通列車は、編成の増強が行なわれるとのこと。「サンライナー」運用を失う117系を転用するのか?それはこれからのお楽しみです。
[67673] 2008年 12月 22日(月)21:01:25なると金時 さん
浦安国
[67665]EMMさん
 日本書紀に「昔伊弉諾尊目此国曰。日本者浦安国。」とあり、日本の別称を「浦安国」というようなので、富津のお酒はそちらにちなんでいるのかもしれません。日本はやっぱり海の国なんだなあ。
 あと、「似鳥」といえば漫画の「おたんこナース」の主人公の苗字が「にたとり」だったことを思い出しました。ちなみに岩手ではなく茨城出身だそうです。
[67672] 2008年 12月 22日(月)20:50:1788 さん
市区町村変遷情報小レス(北海道) その2
[67671]の続きです。
以下は、直接はむっくんさんのご指摘外ですが、むじながいり(エイちゃ)さんへの業務連絡を兼ねての、私の編集メモです。同趣旨ですのであわせて掲載します。

■空知郡奈江村(二級村)→砂川村(二級村)の改称年月日について
「総覧」「便覧」・・・M36(1903).8.12
「幕末以降総覧」「パラパラ」・・・M36(1903).8.23
「辞典」・・・M36(1903).8.12(23)
なお、「パラパラ」でも砂川村→砂川町は1923.6.1付けなので、M36(1903).8.23付けの砂川『町』は誤記のはずです。
しかし、郡市町村廃置分合一覧表(明治31年12月31日-明治36年12月31日)(著・出版:内閣統計局、明39)の9コマに、空知郡奈江村の砂川村への改称はM36(1903).8.22実施とあります。
よってこれに従い、M36(1903).8.22改称と判断し、修正しました
■札幌郡豊平村(一級村)→豊平町(一級町)の施行日について
「総覧」「パラパラ」・・・M41(1908).6.1
「幕末以降総覧」・・・M41(1908).6.12
「辞典」・・・M41(1908).6.1(12)
しかし、郡市町村廃置分合表(明治36年12月31日-明治41年12月31日)(著・出版:内閣統計局、明42)の12コマに、豊平村→豊平町はM41(1908).6.12実施とあります。
よってこれに従い、M41(1908).6.12町制施行と判断し、修正しました
■留萌郡留萌村(一級村)→留萌町(一級町)の施行日について
「総覧」「便覧」・・・M41(1908).6.1
「幕末以降総覧」「パラパラ」・・・M41(1908).6.21
「辞典」・・・M41(1908).6.21(1)
しかし、郡市町村廃置分合表(明治36年12月31日-明治41年12月31日)(著・出版:内閣統計局、明42)の12コマに、留萌村→留萌町はM41(1908).6.12実施とあります。
よってこれに従い、M41(1908).6.12町制施行と判断し、修正しました
■空知郡滝川村(一級村)→滝川町(一級町)の施行日について
「総覧」「便覧」・・・M43(1910).11.5
「幕末以降総覧」「パラパラ」・・・M43(1910).11.3
「辞典」・・・M43(1910).11.3(5)
しかし、郡市町村廃置分合表(自明治42年1月1日至大正2年12月31日)(著・出版:内閣統計局、T4.3)の7コマでは、M43(1910).10.3実施とあります(一級・二級の別は記述なし)。
よってこれに従い、M43(1910).10.3町制施行と判断し、修正しました
■常呂郡鐺沸村(二級村)→佐呂間村(二級村)の改称年月日について
「総覧」「幕末以降総覧」「辞典」「便覧」・・・T4(1915).11.1
「パラパラ」・・・年表では遺漏だが地図ではT4(1915).11.1付けで記載あり
郡市町村廃置分合表(自大正3年1月1日至大正7年12月31日)(著・出版:内閣統計局、T9.3)の7コマでは、T4(1915).11.1実施とあります(一級・二級の別は記述なし)。
よってT4(1915).11.1改称で間違いないと判断し、そのままとしました
■紋別郡紋別村(二級村)→紋別町(二級町)の施行日について
「総覧」「便覧」・・・T8(1919).4.1
「幕末以降総覧」「辞典」「パラパラ」・・・T8(1919).5.1
悩ましいのですが、このように記述が分かれた場合、「総覧」よりも「辞典」の方が正しいことが多いです。根拠はなく、過去の経験からの感覚ですが。
このため、とりあえずT8(1919).5.1付け町制施行と判断し、修正しました
もちろん、新たな根拠資料を発見できれば即座に対応します。
■上川支庁中川郡美深村(二級村)→美深町(一級町)の施行年月日、経緯について
「パラパラ」・・・T12(1923).4.1、美深村(二級村)→美深町(一級町)
「告示」・・・T12(1923).4.1、美深村(二級村)→美深村(一級村)
「便覧」・・・T12(1923).4.1、美深村→美深町(一級・二級の別不明)
「幕末以降総覧」・・・T12(1923).4.1美深村(二級村)→美深村(一級村)→美深町(一級町)
「辞典」・・・T12(1923).4.1(30)、美深村→美深町(一級・二級の別不明)
これらのことから、3とおり考えられます。
(1)内務省告示の「T12(1923).4.1付け美深村(二級村)→美深村(一級村)」を絶対のものであると解釈する。この場合、「美深村(一級村)→美深町(一級町)」が施行されたのはT12(1923).4.1付けではなく、それ以降の別の日である(ただし、どの文献にも施行日の記述はない)。
(2)内務省告示の「T12(1923).4.1付け美深村(二級村)→美深村(一級村)」は正しいが、同日付で別の手続きにより「美深村(一級村)→美深町(一級町)」が施行された。
(3)内務省告示の「T12(1923).4.1付け美深村(二級村)→美深村(一級村)」が実は誤字で、「T12(1923).4.1付け美深村(二級村)→美深町(一級町)」である。つまり、「美深村(一級村)」は瞬間にも存在しない。
先述のT12(1923).4.1付けの「非自治体の11村→新冠郡高江村(二級村)→新冠郡新冠村」の例と同様ですが、やはり(2)が有力であると推定します。
このため、内務省告示とは単純には一致しませんが、「T12(1923).4.1付け美深村(二級村)→美深村(一級村)→美深町(一級町)」と判断し、そのままとしました
■網走郡美幌村(二級村)→美幌町(一級町)の施行年月日、経緯について
「パラパラ」・・・T12(1923).4.1、美幌村(二級村)→美幌町(一級町)
「告示」・・・T12(1923).4.1、美幌村(二級村)→美幌村(一級村)
「便覧」・・・T12(1923).4.1、美幌村→美幌町(一級・二級の別不明)
「幕末以降総覧」・・・T12(1923).4.1、美幌村(二級村)→美幌村(一級村)→美幌町(一級町)
「辞典」・・・T12(1923).4.1(30)、美幌村→美幌町(一級・二級の別不明)
これも先ほどの美深村→美深町と同様に、T12(1923).4.1付けで内務省告示のとおり美幌村(二級村)→美幌村(一級村)となったのと同日付けで美幌村(一級村)→美幌町(一級町)になったと推定し、そのままとしました
■虻田郡弁辺村→豊浦村の改称年月日について
「総覧」「便覧」・・・S7.4.1
「幕末以降総覧」「パラパラ」・・・S7.6.1
「辞典」・・・S7.6(4).1
悩ましいのですが、このように「辞典」が( )つきで記述している場合は「総覧」が誤っている例が多いです。根拠はなく、過去の経験からの感覚ですが。
このため、とりあえずS7(1932).6.1付け改称と判断し、修正しました
もちろん、新たな根拠資料を発見できれば即座に対応します。
■S7(1932).6.1付けで紋別郡渚滑村の一部から下渚滑村が分立した件について
「総覧」「幕末以降総覧」「辞典」「便覧」・・・記載あり
「パラパラ」・・・年表では遺漏
ただし、「パラパラ」の年表で同日付けで
『白石村[二級村]→白石村[一級村]分立』
との記述があり、下渚滑村の記述の残骸があります。誤記orバグでしょう。二級村の数の計は正解で、地図も正しく記載されています。
もちろん、そのままとしました
■S8(1933).10.1付けでの寿都郡寿都町,雅泊村→寿都町の変更種別 新設 or編入
「パラパラ」・・・編入
「総覧」「辞典」・・・新設
「幕末以降総覧」「便覧」・・・(変更種別記載なし)
そのまま、新設としました
■松前郡福山町→松前町の改称年月日について
「総覧」「便覧」・・・S15.7.1
「幕末以降総覧」「パラパラ」・・・S15.7.15
「辞典」・・・S15.7.1(15)
先ほどの例と同様、このような例では「辞典」が( )つきで記述している場合は「総覧」が誤っている例が多いことから、とりあえず、S15(1940).7.15付け改称と判断し、修正しました
もちろん、新たな根拠資料を発見できれば即座に対応します。
■札幌郡琴似村→琴似町の町制施行年月日について
「総覧」「便覧」・・・S18.2.1
「幕末以降総覧」「パラパラ」・・・S17.2.11
「辞典」・・・S17(18).2.11
同様に、とりあえず、S17(1942).2.11付け町制施行と判断し、修正しました
もちろん、新たな根拠資料を発見できれば即座に対応します。
■空知郡赤平村→赤平町の町制施行年月日について
「総覧」「便覧」・・・S18.2.1
「幕末以降総覧」「パラパラ」「赤平市HP『赤平市の歴史』」・・・S18.2.11
「辞典」・・・S18.2.11(1)
同様に、「辞典」が( )つきで記述している場合は「総覧」が誤っている例が多いことから、とりあえず、S18(1943).2.11付け町制施行と判断し、修正しました
もちろん、新たな根拠資料を発見できれば即座に対応します。
―――――――――――――――――――――――――
以上です。
いつものように長くなりました。北海道の市町村の諸制度の変遷については、やはりなかなか複雑です。
むっくんさん、いつもありがとうございます。また今後ともよろしくお願いいたします。
[67671] 2008年 12月 22日(月)20:50:1688 さん
市区町村変遷情報小レス(北海道) その1
[67007][67008][67022][67053]むっくんさん
遅くなりました。
実は、下記の調査・投稿準備とともに、日ごとの市区町村数(一級町・村、二級町・村などの内訳も含む)の変遷表を同時並行で作成し、検証の一助としていたのですが、後で述べるように日付や内容に疑義があるものも多く、この表の投稿は後日とすることにしました。さらなる皆様のご指摘を待って、投稿したいと思います。
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」の正式名称は、いつものとおり、[55681]の冒頭にあります。
「パラパラ」は、むじながいりさんのHP「つかんぽやと」(ご自身のサイトでは「エイちゃさん」)の「パラパラ地図」の中の北海道年表です。

[67008] むっくん さん
■T4(1915).3.16内務省告示第11号によるT4(1915).4.1付け施行について
上川郡人舞村上川郡屈足村と修正しました。
なお、花咲郡歯舞村の変更対象市町村のうちの「珸瑤『瑁』村」の『瑁』は、JISコード6070、区点コード6480の、
(1)漢音ボウ、呉音モウ(諸侯が参朝したときしたとき、差し出す圭の上に、天子にかぶせあわせてしるしとする玉)、
(2)呉音マイ、漢音バイ(「●瑁(タイマイ)」熱帯の海にすむかめの一種、●は「王偏+毒」)、
ということで、「王+冒」のようです(「王+昌」ではありません)(「新版 漢字源」(1999年4月1日改訂新版第6刷、学習研究社))。[67009]紅葉橋律乃介さんもフォローありがとうございました。
■T12(1923).3.30付け内務省告示第80号によるT12(1923).4.1付け施行について
野付郡別海村標津郡標津村択捉郡留別村と、変更対象町村の所属郡を修正しました。

[67022] むっくん さん
M33(1900).5.19付け内務省令第19号によるM33(1900).7.1付け施行について
檜山郡江差町となった変更対象町村のうち、誤:五勝手町、正:五勝手村と修正しました
M35(1902).3.13付け内務省令第7号によるM35(1902).4.1付け二級町村制施行について
★美国郡美国町について
内務省令・・・M35(1902).4.1美国町(二級町)
「総覧」・・・M35(1902).4.1美国村(二級村)、M42(1909).4.1美国町(一級・二級の記載なし)
「幕末以降」・・・M35(1902).4.1美国町(二級町)、M42(1909).4.1美国町(一級町)
「便覧」・・・M35(1902).4.1美国村(一級・二級の記載なし)、M42(1909).4.1美国町(一級・二級の記載なし)
「辞典」・・・M35(1902).4.1美国村(一級・二級の記載なし)、M42(1909).4.1美国町(一級・二級の記載なし)
「パラパラ」・・・M35(1902).4.1美国村(二級村)、M42(1909).4.1美国町(一級町)
内務省令のとおりと考えると「M35(1902).4.1付けで従前の5村(非自治体)が合併し、美国町として二級町となる」です。二級町から一級町になった経緯がむっくんさんの調査からは不明ですが、「パラパラ」ではM42(1909).4.1で一級町となっています。一級町になるのあたっては、内務省令など何らかの手続きが別途あるものとは思います。
とりあえず、M35(1902).4.1付けで美国郡美国町として二級町発足と修正しました
なお、町のまま、「北海道二級町村制の二級町」から「北海道一級町村制の一級町」となるのは、「市制町村制の町」から「地方自治法の町」となるのと同様ですので、個別情報としては市区町村変遷情報には掲載しないこととします。将来、整理が十分にできて解説ページが充実した際には、何らかの説明の記述をしたいと考えています。
★浦河郡浦河町について
内務省令・・・M35(1902).4.1浦河町(二級町)
「総覧」・・・M35(1902).4.1浦河村(二級村)、T4(1915).4.1浦河町(一級・二級の記載なし)
「幕末以降」・・・M35(1902).4.1浦河町(二級町)、T4(1915).4.1浦河町(一級町)
「便覧」・・・M35(1902).4.1浦河村(一級・二級の記載なし)、T4(1915).4.1浦河町(一級・二級の記載なし)
「辞典」・・・M35(1902).4.1浦河村(一級・二級の記載なし)、即日浦河町(一級・二級の記載なし)
「パラパラ」・・・M35(1902).4.1浦河村(二級村)、T4(1915).4.1浦河町(二級町)→浦河町(一級町)・・・※浦河村(二級村)→浦河町(二級町)が不明
これも先ほどの美国町と同様です。とりあえず、M35(1902).4.1付けで浦河郡浦河町として二級町発足と修正しました
★河西郡帯広町について
内務省令・・・M35(1902).4.1帯広町(二級町)
「総覧」・・・M35(1902).4.1帯広町(二級町)
「幕末以降」・・・M35(1902).4.1帯広町(二級町)、T4(1915).4.1帯広町(一級町)
「便覧」・・・M35(1902).4.1帯広町(一級・二級の記載なし)
「辞典」・・・M35(1902).4.1帯広町(一級・二級の記載なし)
「パラパラ」・・・M35(1902).4.1帯広町(二級町)、T4(1915).4.1帯広町(二級町)→帯広町(一級町)
これも先ほどの美国町・浦河町と同様です。とりあえず、M35(1902).4.1付けで河西郡帯広町として二級町発足と修正しました
M39(1906).2.22付け内務省令第1号によるM39(1906).4.1付け施行について
ご指摘のとおり、岩内郡前田村岩内郡発足村と、岩内郡幌似村が両村に分かれるよう修正しました。

[67215] むっくん さん
■M32(1899).10.1小樽区区制施行に伴う変更対象町村について
ご紹介のM32.9.4付け内務省令第46号に従い、郡名等を修正しました
■M33(1900).7.1 根室郡根室町町制施行に伴う変更対象町村について
ご紹介のように、一部の郡名を花咲郡と修正しました
■宗谷郡稚内村(一級村)→稚内町(一級町)の施行日について
「総覧」「便覧」・・・M34(1901).5.1
「幕末以降」「パラパラ」・・・M34.5.11
「辞典」・・・M34.5.1(11)
でした。従来から信憑性が高いと判断しているご紹介の郡市町村廃置分合一覧表(明治31年12月31日-明治36年12月31日)(著・出版:内閣統計局、明39)に従い、M34(1901).5.11町制施行と判断し、修正しました
なお、上記一覧表では「稚内村を稚内町に改称すると」の表現ですが、これを一級村から一級町とした、と判断しました。
■紋別郡湧別村(二級村)からの上湧別村(二級村)・下湧別村(二級村)の発足経緯・年月日について
「総覧」「便覧」・・・M43(1910).4.5、湧別村から上湧別村が分立、同日付けで残余の湧別村が下湧別村に改称
「幕末以降総覧」・・・M43(1910).4.5、湧別村から上湧別村が分立、同日付けで残余の湧別村が下湧別村に改称
「パラパラ」・・・M43(1910).4.1、湧別村を上湧別村・下湧別村に分割
「辞典」・・・M43(1910).4.1(5)、湧別村から上湧別村が分立、同日付けで残余の湧別村が下湧別村に改称
ご紹介の郡市町村廃置分合表(明治42年1月1日-大正2年12月31日)(編著・出版:内閣統計局、大4)7コマに従い、M43(1910).4.1付けで湧別村から上湧別村が分立、残余の湧別村を下湧別村に改称と修正しました。
なお、上記一覧表では「湧別村ヲ分割シテ上湧別村ヲ新設」との表現をしてますが、「湧別村ヲ分割シテ湧別村及上湧別村ヲ新設」との表現ではないことから、分割ではなく分立と判断しております。
■T7(1918).2.1付け室蘭区 区制施行時の従前の町村について
「総覧」「便覧」・・・室蘭町
「幕末以降総覧」「辞典」・・・室蘭町,輪西村,千舞鼈村,元室蘭村
そもそも「総覧」「便覧」は、全国的に市制町村制施行以前の町村名はまったく記載されておりません。「辞典」は、ご丁寧に「非自治体の室蘭郡3村」とも書いてあります。
室蘭区区制施行の件は、内務省令?を確認できていないのですが、おそらく、ご紹介の郡市町村廃置分合表(大正3年1月1日-大正7年12月31日)(編著・出版:内閣統計局、大9)5コマ室蘭市HP資料(pdfファイル)からも、室蘭町(一級町)と3村(非自治体)により発足した、と記述があると推測して間違いないでしょう。このため、室蘭町+3村と修正しました
#室蘭町には北海道一級町村制が既に施行されていますが、輪西村, 千舞鼈村, 元室蘭村の3村は未だ町村制が施行されていない地域です。そのため、将来的に北海道においても市区町村変遷履歴情報市制町村制施行時の情報に分離して記載するとき、記載方法にどのように記載するのが良いのやら。。。
まさしく、心配していただいたとおりで悩ましいのですが、これはそのときまでにじっくり考えることとしたいと思います(つまりは「先送り」)。
■T9(1920).6.1付けの中川郡下名寄村からの中川郡智恵文村・美深村の発足経緯について
「総覧」・・・下名寄村を下名寄村・智恵文村に分割、下名寄村が美深村に改称
「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・下名寄村から智恵文村が分立、同時付けで残余の下名寄村が美深村に改称
文献で使用している言葉上の「分立」「分割」に関わらず、法人格が継承されたか否かを読み取り上記に整理しました。
しかし、この「分立」「分割」については、告示等の明確な資料がない限り、信憑性が高いと感じられる「辞典」を一次資料としているので([55654][55681]拙稿)、「辞典」のとおりとしました。つまり、下名寄村から智恵文村が分立、残余の下名寄村を美深村に改称と修正しました。
新たな明確な資料を確認できれば、再度対応したいと思います。
■T12(1923).4.1付けの新冠郡新冠村の発足経緯について
「内務省告示」・・・T12(1923).4.1付けで高江村として二級村設置([67007] むっくん さん(12))
「総覧」・・・T12(1923).4.11付けで高江村として二級村設置、同日付けで高江村を新冠村に改称
「幕末以降総覧」・・・T12(1923).4.11付けで新冠村として二級村設置
「便覧」・・・T12(1923).4.1高江村発足、同日付けで高江村を新冠村に改称
「辞典」・・・T12(1923).4.11付けで高江村設置(一級村・二級村の区別なし)、同日付けで高江村を新冠村に改称
各文献で記述が異なりますが、次の3とおりが考えられます。
(1)内務省告示の「T12(1923).4.1付けで従前の11村(非自治体)が合併し、高江村として二級村となる」を絶対のものであると解釈する。つまり、「高江村(二級村)を新冠村とする」の改称が施行されたのはT12(1923).4.1付けではなく、それ以降の別の日である(ただし、どの文献もうまく一致する記述はない)。
(2)内務省告示の「T12(1923).4.1付けで従前の11村(非自治体)が合併し、高江村として二級村となる」は正しく、また、同日付で別の手続きにより「高江村(二級村)を新冠村(二級村)とする」が施行された。
(3)内務省告示の「T12(1923).4.1付けけで従前の11村(非自治体)が合併し、『高江村』として二級村となる」が実は誤字で、「T12(1923).4.1付けでけで従前の11村(非自治体)が合併し、直接、『新冠村』として二級村となる」である。つまり、「高江村(二級村)」は瞬間にも存在しない。
二級村を設置する内務省告示は、まず間違いはないでしょう。告示の誤字というのはやはりそもそもはあってもならないものですし、明治初期や第二次大戦直後の混乱期を除くと、まず寡少であろうと思われますので、(3)はまずないでしょう。(1)もあり得るのですが、「改称した他の日」の見当がつかない以上、(1)も考えにくいです。やはり(2)が有力であろうと思われます。
ちなみに、改称に関して法的根拠を探すと次のとおりでした。
M30.5.29勅令第159号北海道一級町村制
第三条 町村ノ廃置分合ヲ要スルトキハ拓殖務大臣ノ許可ヲ得テ北海道庁長官之ヲ定ム
2 町村ノ境界若クハ名称ヲ変更シ又ハ町ヲ村ト為シ村ヲ町ト為スコトヲ要スルトキハ北海道庁長官之ヲ定ム但シ境界ノ変更ニシテ郡若クハ区ノ境界ニ渉ルモノハ拓殖務大臣ノ許可ヲ受クヘシ
及びM30.5.29勅令第160号北海道二級町村制
第三条 一級町村制第三条ハ二級町村ニ関シ之ヲ適用ス
であり、北海道の二級町村の改称は北海道庁長官の権限のようですので、内務省令や内務省告示ではなく、こちらの資料を探す必要がありそうです(注:「拓殖務大臣」はその後すぐに再編により「内務大臣」に)。これは、現在の地方自治法でも、根拠は廃置分合は総務省告示であり、改称は各自治体の条例であることとも似ています(拙稿[55225]参照)。
新冠村の場合は経緯として、
・最初は「高江村」として二級町村制を施行する予定であったが何らかの事情変更で後から新冠村となった
あるいは、
・従前の高江村に配慮して形式上は「高江村」として二級町村制施行ということにし、予定どおり「新冠村」に改称という二段階の手続きを敢えて選択した
といったことがあったのでは、と想像します(あくまで想像です)。
いずれにしても、T12(1923).4.1付けで新設合併で高江村として二級町村制実施、同日付けで新冠村に改称と、記載をまとめました。

次投稿に続きます。
[67670] 2008年 12月 22日(月)19:50:28KK さん
アーカイブズ
先ほど、アーカイブズを見ようとクリックしたのですが、
「アーカイブ番号が不正です。」
というメッセージが出て読めませんでした。
どのアーカイブズを選んでも同様のメッセージが出るのですが、何か作業中なのでしょうか?
[67669] 2008年 12月 22日(月)16:29:17JOUTOU さん
都営新宿線 東大島駅
[67647]今川焼さん
[67644]小松原ラガーさん
[67638]かすみさん

思いっきり地元というか、日常利用している駅が出てきたので若干情報を補足させてください。

東大島駅は地上駅ですが都営地下鉄の駅で、関東の駅100選にも今回話題の“橋上駅”であることを選考理由に選ばれています。
また、この駅は新宿線の大島車庫(地下)の最寄り駅(引込み線は大島駅から出ている)で事務所も併設されており、乗務員の交代も行われるなど、新宿線では結構重要な駅でもあります。(そんな理由から、急行運転開始の時は停車駅になるかと我ながら期待もしたのですが、両隣の駅が強敵すぎて叶いませんでした(笑)・・・)

開業から間もないころ(1980年ごろ)に江戸川区側の出口に降り立ったことがありました。旧中川と荒川の土手に挟まれたなーんにもないところ
[67647]で今川焼さんが訪問された当時は、江戸川区小松島方面出口(小松島口)はもちろん江東区大島方面出口(大島口)でさえ、閑散としていただろうと推察されます。

ちなみにわたしがこの地に居住するようになった1984年時点(新宿~東大島間で営業中)でさえ、大島口から真っ先に見えたものは広大な空き地と工場群(すでに操業中止していた工場もあり)といった感じ、思いっきり宅地開発前の閑散とした寂しい終着駅状態でした。
[67668] 2008年 12月 22日(月)14:50:48W.S さん
JA東京あぐり
初めての書き込みです、不慣れのため分かりづらいかも・・・
JA東京あぐりというか、旧JAたなしの変遷が、気になっているものです。

きっかけは、金融機関の封筒を集めていて、1年ほど前に「JAたなし」の
封筒を入手しました(正確には画像を提供して頂いた)

この封筒には、「平成7年4月1日大きくなってJA東京みらい」とゴム印
が捺印してあったのです・・・・ひょっとしたら、何かの証人??

そこで、JAたなしの変遷を調べると、東京みらいではなく、東京あぐりに
なっていたのです。
ネットで色々調べて見たが分からず、東京あぐり殿にもメールで尋ねました
が、返事は貰えませんでした。


1995の始め頃:JAたなしは、東京みらいへの合併を考えていた
         (JAたなしの封筒のゴム印から)
1995、4、1:JA東京みらい=東村山+清瀬市+東久留米市+保谷市
         (東京みらいの公式HP・・JAたなしの記述なし)
1997、4  :JAたなし=財政破綻
         (破綻状態は、いつ頃?分かったのだろう)
1999、4、1:JA東京あぐり=東京あぐり+たなし

  JAたなしは、東京みらいへの合併もままならず、救世主もなかなか
  現れず、超法規的手法で、東京あぐりに吸収されたのでしょうか?
[67667] 2008年 12月 22日(月)14:08:02白桃 さん
3年間で人口増加5%以上の市町村
私も本当は白桃というバラ科植物ではないので、今日は何年ぶりかの「人間ドック」に行ってまいりました。昨日の日曜と明日の祭日は自主的サービス出勤ですので、そのかわり今日はお休み。

[67666]かぱぷう さん
筑紫野市、増加基調であることに間違いはないのですが伸び悩んでおります。このペースですと、来春の引っ越しシーズンが終わった時点での10万越えは厳しそうであります。
おっしゃる通り、少し前まで元気の良かった福岡大都市圏域も、人口の伸びが止まってきており、春日市なんかは減少傾向にあります。されど、筑紫野市の来春「10万人越え」は微妙ですが、「天城越え」ぐらいは可能でしょう???
いっときの相模原市や松戸市のような、「ちょっと目をはなしたらミサカイなく増えていた」という自治体は今は皆無ですね。

以下ご参考のため、2008年10月1日現在推計人口で2005年国勢調査人口から5%以上の実質増加率を示した全国32市町村を列挙いたします。

宮城県富谷町7.95
茨城県守谷市9.61つくばみらい市6.16
群馬県吉岡町5.22
埼玉県八潮市5.92吉川市5.81伊奈町11.31滑川町8.09
千葉県白井市10.17印旛村6.95本埜村8.55
東京都稲城市7.25御蔵島村5.14
神奈川県開成町7.15
富山県舟橋村8.64
石川県川北町7.59
長野県軽井沢町5.06
愛知県三好町6.10長久手町8.66高浜市6.51幸田町6.02
三重県朝日町23.46
滋賀県守山市6.01栗東市5.39
京都府木津川市6.13
大阪府田尻町9.32
兵庫県猪名川町5.48
広島県坂町5.94
福岡県粕屋町7.08
熊本県菊陽町9.58
沖縄県豊見城市5.42中城村6.10

蛇足:(人間ドック「検診センター」にて)
看「筋肉注射をする前に、アルコールで消毒しますが、アルコールで赤くなったことはありますか?」
私(ココロの中で)「アルコールで赤くならないヒトは、あまり居ないのでは・・・」
[67666] 2008年 12月 22日(月)03:28:04かぱぷう さん
いま話題の筑紫野市からの書き込みです
いや、すでに乗り遅れているのか!?
[67643]白桃さん
白桃都市人口研究所が出している「2008年11月1日現在月報」では、筑紫野市は99,575人、「糸島市」98,733人で、逆転どころか差が広がっています。もっとはっきり言えば、2005年国勢調査人口では「糸島市」が筑紫野市より多かったのだから、筑紫野市が「糸島市」を逆転したのです。
という筑紫野市、増加基調であることに間違いはないのですが伸び悩んでおります。このペースですと、来春の引っ越しシーズンが終わった時点での10万越えは厳しそうであります。


[67644]小松原ラガーさん 他、ダイヤ改正を気に病んでいたFe系のみなさん
寝台特急はやぶさ・富士の廃止、昼行急行列車の全廃、そして何よりも私が堪えているのは、学生時代にさんざん世話になったムーンライトながら・ムーンライトえちごの臨時列車化です。
…思い出話を語りだしたらとまりそうにないので自粛。
JR各社のダイヤ改正のニュースリリースを一通り眺めて私が一番目を疑ったのは地元も地元のこのトピックでした。
(JR九州ホームページより抜粋引用)
筑豊本線 桂川~原田間に普通列車を増発!お買いものや通学が便利になります。
○桂川~原田間で1往復の増発を行い、夕方のお出かけや通学が便利になります
増えてる!!これは大事件です。いったいどうしたことか?なぜ今更!?乗り手はいるのか??


[67628]日本人さん
ここ最近、メンバー紹介文編集者なのに恥ずかしながら、某メンバーの名前をすっかり間違えていたことに気づきました。いままで、すみませんでした。
なんだか呼ばれたような(笑)
わたしはちっとも気にしてませんから、どうぞお気になさらず。
これまで私のニックネームを間違えて書き込んでおいでの方、実は結構多いんです。で、前に間違えておいでの方がいつしか正しく書き込んでくれるようになると「あ、直った(^^)」と。
やはり、「ば」と「ぱ」の違いが見づらいなぁ。
間違える方が多いのは、それゆえかもしれませんね。
私のニックネームの読みや由来は[60946]にてしたためたことがありますのでそちらを参照ください。ちなみにニックネームを(カタカナや英語表記へのマイナーチェンジも含めて)変えるつもりは今のところありません。つい最近、やはり「かぱぷう」で活動している某SNS内において遊び半分で全く別の名前に変えたら落ち着かないのなんの…

#ニックネームの話題といえば思い出すのが太白さんの書き込みです。[54158]の中盤以降の文章、特にグリグリさんへの返信のくだりがとても面白く、読み返して思わずクスッとしてしまいます。
[67665] 2008年 12月 22日(月)02:33:24【3】EMM さん
まとめレスれす
[67623] 白桃さん
富津の酒「浦安」
「清酒 浦安」や「純米酒 浦安」でネット検索するとこちらの清酒に関するサイトばっかり引っかかってくるので情報収集が非常に困難だったのですが…
たとえば、「特定の飲食店・販売店・団体のプライベートブランドをちょっと離れた町の酒造店に作ってもらう」ってのは結構あるんですよね。
たとえば、浦安のお隣の市川市の市川小売酒販組合では梅一輪酒造と共同開発した「みこしの町 行徳 純米吟醸」というプライベートブランドのお酒を出していますが、これの醸造元の所在地が市川からはるか離れた山武市になります。
浦安もそうですが市川にも造り酒屋がないので、市川小売酒販組合がイメージする酒を造ってもらえる酒屋を探したら花一輪酒造が協力してくれた、と言うことになるでしょう。
おそらく、この「純米酒 浦安」も同じようなプライベートブランドなのだろうと思います。
酒類製造免許というのは取得や維持に際していくつも高いハードルがあるため、現在酒造業者のない浦安や市川の市内で清酒を醸造することは無理(どこかの酒蔵を買収して移転させるとか言ったウルトラCを行う人がいれば別ですが)なので、地名を関したプライベートブランド清酒の醸造元が離れたところになってしまうのは酒税法上やむを得ない事です。
ただ、こちらのサイトの写真を見ると、少なくともラベルの左側には醸造元しか書いてないようですね。
右側にも何か書いてありますが、原材料やアルコール度数しか書かれていないような気がします。
ネット上で見つけた数少ない「純米酒 浦安」について書いてあるサイトはいずれも「富津で造った酒なのに、何で浦安?」ということが書かれた個人の方のサイトだったので、「醸造元だけでなく販売元も明記する」「プライベートブランドのコンセプトや商品化の経緯を明示する」と言ったことが必要なのではなかろうか、と思われました。

#なお、酒税法から考えると、酒に関しては「醸造された蔵のある住所以外の所を醸造地として書く」事が産地偽造に相当すると考えられます。
銘柄名と醸造元の住所との関連性は基本的に考慮されません。もしそれを突き詰めてしまうと、たとえば「京都の地名を関した清酒を北海道で作っているってのはどうよ?」と言ったような話になりかねませんので。
(但し、「男山」は「正宗」「鬼ころし」などと同様に酒の名前としては一般名化していると言えます)
というか、白桃さんのイメージしている事は「産地偽装」ではなく、むしろ「不当表示」にあたると思います。
(状況にもよるが、関連してくる法律が違う)
でもそっちの観点からも「誤認する可能性はあるが、法律に引っかかるほどではない」と言うことになりそうな…
「産地偽装」や「不当表示」関連法律とか対象となるものとか十分頭に置いた上で話をしないといけないのですが、結構ややこしいところもあるのでこれ以上つっこんだ話はパス。

##通常「プライベートブランドの清酒」の販売には醸造元がタッチすることは通常なく、従って醸造元のHPを見ても出てこない事が普通です。
もし白桃さんがどうしても文句を言いたいと思った際は、醸造元ではなく販売元に矛先を向けるべきでしょう…とはいえ、販売元はどこになるんだろう?????
なお、この「純米酒 浦安」の醸造元である合資会社池田商店(東京国税局HPによると現在は和蔵酒造株式会社の竹岡蔵となっている模様)はHPが無いようで、こっちのラインからも情報不足なのも話をややこしくしている一端なような気が。

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[67626] じゃごたろさん
話題と直接関係ないレスで申し訳ありませんが…
しばらく前にテレビで家具屋の全国チェーンニトリの特集を見ていたら社長が似鳥(にとり)さんで、「ああ、だからニトリなのか」と得心した…と言うのを思い出しました。

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[67640] 敷守ほむらさん
今やっているいわゆる第5シリーズはボクは見ていないのですが、都道府県代表の妖怪を探しまわるという展開になっているようで、各都道府県の妖怪が何になっているのか、ちょっと気になります。
サイトを見てもまだそろっていないみたいなので…。
こちらのURLでは全部埋まってました。
かなり強力な奴から、戦力的にはどうか?と言った感じの奴までピンキリ?
47都道府県よりも六十余州のほうが良いような気もしますが、子供が主な対象であることを考えれば47都道府県の方がわかりやすいでしょうし、四十七士と命名できるのでイメージ付けしやすいと言うのもあるのでしょう。
都道府県単位でキャラクターが出てくるのって他に何かありましたっけ。
ドカベン、ってのはダメですね。
あれだと県代表校ですし、名前しか出てこなかったところの方が多いですし。

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[67654] いっちゃんさん
他の方々の反応を見る前に図らずも「たぶん、反応するのはこの方だろう」と勝手に予想していた方にあまりにも早く反応していただいてしまいました。(笑
他の方の反応があるかどうか見計らってから書き込めば良かったかも(汗)。
ちなみに、特撮番組が同一時間の裏表で激突した事例としてこの「ミラーマン」VS「シルバー仮面」のほかにもう一例、「ウルトラマンA(TBS)」VS「変身忍者嵐(NET、現テレビ朝日)」が話題として出てくることがあります。
ただ、この組み合わせに関しては「関東地方では」と注釈がついていることが多かったりします。これは、放映当時TBS系列のテレビ局に対してNET系列のテレビ局がすごく少なかったから…と言うことのようです。
なお、時代的には「テレビネットの腸捻転」の時代のため、関西での放送局はウルトラマンAが朝日放送、変身忍者嵐が毎日放送(制作局)でした。
放送時間も関東と一緒だったと思うのですが、具体的なところが分かりませんでした。
あと、「関東ではウルトラマンAの圧勝だった」のに対し、関西ではどうだったのか(制作局があっただけに善戦した?関東よりはマシな程度?)について言及されている事があまりありません。
関西方面でリアルタイム視聴されていた方、いらっしゃらないでしょうか?

#しかし「本州の両端の県がいずれも民放3局で、フジ系の局がない」というのはちょっと面白いですね。
でも山口だと隣県のフジ系の局が見られたところが結構ありそうですね。

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[67655] 右左府さん
詰まるところJA東京あぐりの役回りは、銀行破綻時の継承銀行にあたる訳ですね。
実は、[67493]を書く際に見ていた中にはJA田無市の破綻を匂わすようなサイトもあったのですが、それが某巨大掲示版中のきわめて断片的な情報だったために、その点は加味せずに[67493]を書いたのでした。

#直接聞いてみたら予想以上に親切に対応してくれることって多いですよね。
むろん、聞く側もそれなりの対応が必要ですが。
[67664] 2008年 12月 21日(日)21:19:38hmt さん
淀川の源流・川の立体交差
[67648] [67656] むっくん さん
高時川を紹介していただき、ありがとうございました。
歴史上でも有名な「姉川」ですが、「妹川」がいたことは初めて知りました。
しかも、この「妹」は「姉」よりも長い! (本流より長い支流[67150]

リンクしていただいた 資料 には、北国街道栃ノ木峠に近い所にある「淀川の源」の石碑の写真がありました。
流域面積の割には本流の長さが異常に短い淀川ですが、源流を遡ればここまで来るのですね。
でも「妹川」の地位に甘んじているのは、水量が伊吹山地から流れてくる「姉川」に負けているからだろうと思います。上記の資料には、合流点付近で“川底をさらけ出して断流している無惨な高時川の姿”とありました。

姉川と妹川(高時川)との間を流れる田川は、洪水の度に 三川合流地点からの逆流に苦しみました。錦織で高時川の下を潜る立体交差によって琵琶湖に直接放流する水害対策が 万延元年(1860)に行なわれ、更に明治17年(1884)に オランダ人技師デ・レーケ による現在のコンクリート製暗渠に改修されたのでした。

[67651] 日本人 さん
用水路がありならば
[67656] むっくん さん
用水や疏水などの人工河川?をいれると数が膨大になるような気がします。
ということですが、「川の立体交差」は本質的に「人工河川」です。田川の場合も下流部は「人工の放水路」に他なりません。

[67650] geo さん
見沼代用水の上を綾瀬川が通るここ【上尾市瓦葺】なんかもそうです。

享保の改革における新田開発の一環として、紀州出身の幕臣・井沢弥惣兵衛為永が「見沼」溜井に「代」わる水源を利根川に求めて建設した、幹川水路約70kmに及ぶ「用水」です。天然河川(星川)の流路を利用した部分(約17km)もありますが、大部分は人工水路です。

この事業は、見沼に代わる灌漑用水を確保して、低地のあちこちにあった沼や溜井を干拓するだけでなく、見沼新田の排水と洪水対策用に芝川を開削、用排水路は舟運にも役立てるという総合開発でした。
見沼代用水自体は自然給水を可能にするために やや高い位置に作られており、江戸までは通じていません。そこで、これと芝川との間を 閘門式の運河 で連絡し、年貢米を江戸に運ぶことができる水上輸送路としたわけです。これが 見沼通船堀 です。

ところで、geo さんがリンクした地図ではわからないのですが、瓦葺伏越(下流から撮影) という写真を見ると、手前を流れる綾瀬川よりも、画面の奥(蓮田市)に水門が見える見沼代用水の方が高い位置にあることがわかります。
つまり、“見沼代用水の上を綾瀬川が通る”よりも、“綾瀬川の下を見沼代用水が伏越(ふせごし=サイフォン)で潜る”の方が適切な表現なのです。

実は、江戸時代の見沼代用水は、享保13年(1728)の開削当初から ずっと掛樋(かけとい)、つまり水路橋で綾瀬川を越えていました。盛土による高架用水路としては 掛樋の方が自然であり、舟の通行も可能です。参考までに、綾瀬川よりも川幅の広い元荒川を横断する 柴山 では、江戸時代から伏越構造であったため、1760年までは通船のための掛樋も設けられていました。

瓦葺掛樋の脇には瓦葺河岸(現・上尾市)が設けられ、見沼代用水と綾瀬川と2つの水運路のインターチェンジとして、年貢米だけでなく、帰り舟による肥料・生活物資の集散地にもなりました。

このように、瓦葺掛樋は舟運の盛んだった時代には重要な地位を占めていましたが、構造的に脆弱な木製高架橋の維持管理は結構大変で、幕府の費用による公共事業とはいうものの、地元の農民も動員されたようです。
明治になり煉瓦製の下部構造と鉄製の樋に改築されたのも束の間、歴史に残る明治43年(1910)の大洪水で倒壊の憂き目に遭いました。

現在の見沼代用水は、水資源開発公団による利根導水路の一環として、1968年に建設された利根大堰から取水しています。そして、綾瀬川との交差部分の構造も、240年ぶりに伏越に変更されました。

見沼代用水は綾瀬川をくぐった後,東縁と西縁に分岐します。
リンクしたページの写真・瓦葺伏越の入口(下流から撮影)にあるように、蓮田市側の水門で別々の水路になり、並んで綾瀬川をくぐった後で東西に分かれます。
[67663] 2008年 12月 21日(日)21:03:37【2】Issie さん
さがみ野
[67608] hmt さん
手元にあった昭和24年(1949)発行の1/25000地形図「上溝」

私が持っているのはそれをはさんだ「大正10年測図」と「昭和28年修正測量,昭和29年資料修正(行政区画 市役所)」の2枚ですが,1955(昭和30)年発行の後者,すでにほぼ完了した区画整理事業を反映してか,現在とほぼ同じ街路網が記載されている一方で(1953年修正測量の成果ですね),1949年発行図まではあった「相模原」の文字は抹消されています(なお,この図では1954年の修正事項に「市役所」とあるように,すでに自治体名も「相模原市」と記載されています)。
「相模原」の注記について言えば,「大正10年測図」の地図では「上溝」図幅の“右隣”の「原町田」図幅にも同様に記載されています。麻溝村と大野村の境辺り,現在の地名で言えば 大野台 から 麻溝台 にかけての区域にあたりましょうか。1963年版「土地宝典」に記載のある「大字大沼 字相模原」および「大字当麻 字相模原」の区域に当たらないでもないのですが,やはりこれは“字名”のような“人文地名”というよりは,地形についての“自然地名”としての記載であるように思います。この「相模原」という注記は「上溝」図幅と同様,「昭和29年修正測量」図(1957(昭和32)年発行)では抹消されていて,ほぼ同じ位置に自治体名の「相模原市」という文字が記載されています。

ところで,この1955年発行の「上溝」および1957年発行の「原町田」の両図幅に記載されている集落名には少し興味深いものがあります。
「上溝」図幅の中で,たとえば 大字清兵衛新田 の区域に記載されている「大河原」「原組」「矢懸」「比丘口」「横山」,また 大字上溝 のうち台地上段の区画整理区域内にある「丙六号」というのは,いずれも“字名”です。清兵衛新田の場合は,字名と集落名(当時の町~市行政は「部落名」と呼んだ)とが一致します。上溝の 丙六号 に造成された住宅地はすでに「星が丘」と呼ばれるようになっていましたが,地図上の記載は“部落名”ではなく字名の「丙六号」。
ところが同じ 大字上溝 であっても,「原町田」図幅の方では「富士見町」「相生町」「弥栄荘」と,字名ではなく部落名の方が記載されています。大字淵野辺 についても「幸町」「東町」「旭町」「共和」…というように,記載されているのは部落名。
実は全体を見渡せば「丙六号」と字名を記載する方が例外であって,このあたりでは基本的に部落名の方が地名として採用されています。
1957年の市役所機構改革で誕生した「本庁」直轄区域や,1964年から始まった住居表示の対象区域を知らせる市の広報に記載されていたのも,初めのうちは部落名でもって市民に対してアナウンスされていました。そして,それら部落名のいくつかは,住居表示による新町名に採用されています。
“字”というものは土地登記を離れて見れば,日常生活にはなじみのないものだったのかもしれません。

元禄の入会絵図(図録No.23)のような古い絵図では、「相模野」と呼ばれていても「相模原」ではありません

相模野には、この絵図のタイトルにあるように、鶴間原・亀井原という呼び名もあったようです。

どうも「相模原」という呼称は「相模野」よりはずっと新しい呼称のようですね。そして,どちらかというと「相模原」の方が“より大きな”範囲の呼称である「相模野」に含まれるような感じがします。
同様に,「鶴間原」「亀井原」というのも広大な「相模野」全体に同等の呼称というよりは,「座間野」などと同じように,「相模野」に含まれる“部分”の呼称であるような気がします。
ちなみに,貝塚爽平・小池一之・遠藤邦彦・山崎晴雄・鈴木毅彦 編『日本の地形4 関東・伊豆小笠原』東大出版会,2000年 では,この台地について「相模野台地」の呼称を採用しています(地形の専門家の間では「相模野台地」の方がよく使われるようです)。その台地の末端に当たる藤沢市に「亀井野」という地名がありますね。

ところで,[67642] で「新千葉」の地名を出したのですが,すでに 交通由来地名 には登録されていましたね。
かわりと言っては何ですが,座間市の「さがみ野」。
[67592] でちょっと触れた 座間市教育委員会による『座間の地名』(書誌事項を写してこなかったので不明)には以下の記載があります。

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(2)さがみ野一~三丁目
この地域はかつて大山街道(旧国道246号線)沿いに開けた場所で,通称大塚及び大下地区と呼ばれ市域の南端部に位置し,海老名市・綾瀬市と境界を接している。
戦後は相模鉄道「大塚本町駅」を核として発展してきたが,「大塚本町駅」が廃止されたので昭和50年以降は,新設された「さがみ野駅」(海老名市域)が核となり,駅周辺が発展したので,昭和60年10月21日を期してさがみ野一~三丁目の住居表示が実施された。
--------------------------------------------------------------------------------------

ちなみに,住居表示以前は 大字栗原 の一部でした。
ここは 旧栗原村 の村外れ。江戸時代に整備された街道の多くがそうであるように,大山街道は従来の村の本体からは外れた 栗原村 と 柏ヶ谷村(現海老名市) の境界を通っているのですね(というより,お互いの村外れを通る街道を境界とした)。
まあ,そういうことで。
[67662] 2008年 12月 21日(日)19:01:23YT さん
鹿児島の人口について
[67603] [67609]むっくんさん、作々さん
解説ありがとうございます。

鹿児島県治一覧概表で抜けている町名として、抜けている町名がいくつかありますが、
明治13年の戸籍調査(『鹿児島市史』(1969年))によると、

鷹師馬場町と薬師馬場町はほとんど士族(95%)。
平馬場町、新照院通町、加治屋町、西千石馬場町、新屋敷通町、上龍尾町、下龍尾町、長田町、冷水通町、春日小路町、清水馬場町、稲荷馬場町、池上町、上園通町、高麗町、下荒田町は住民の過半数が士族。
山下町、山ノ口馬場町、東千石馬場町、樋ノ口通町、鼓川町は平民が人口の過半数を占めているものの、戸数の過半数が士族。

とのことで、狭義の城下町である武家屋敷分がそっくり抜けているようにみえます。
また鹿児島県は地租改正に抵抗がもっとも強く、実際に鹿児島市街で地租改正が実施されたのが明治12年2月以降のことらしいようです。

このことからおそらく「鹿児島県治一覧概表」では武家屋敷分の町名を記載しなかった、「第2回共武政表」から「第4回共武政表」まででは城下町分の人口を鹿児島町の人口として扱ったのだと思います。
[67661] 2008年 12月 21日(日)18:59:25とんかち☆ さん
浦安ネタ
いまさらの書き込みですが(笑)

浦安と聞いてどうしても?思い出すのは、あの「夢の国」です。
でも、昔はかなりの田舎だったんですよね。
「男はつらいよ」で寅さんが浦安の娘さんに恋するシーンを思い出しました。
しかし、千葉県って頭に「東京」がつく名前のものが多いですよね・・・。
最初に書いた「夢の国」もそうですし、現在は改称されましたが、いわゆる成田空港も正式には「新東京国際空港」でしたよね??
今は「成田国際空港」になったみたいですが。

仕事柄、空港名(地名)などをアルファベットで入力することが多いのですが、「TOKYO(東京)」=「成田」と言うのがどうも違和感を感じていました(笑)
名称が変わった今もそうなので、もっと変な感じがしてます・・・。
今流行りの?産地偽装じゃないですが、これこそ偽装だ!とか思ってしまいます。

なんか浦安ネタから違う方向へ行ってしまった・・・。
ごめんなさい!!
[67659] 2008年 12月 21日(日)17:29:56【4】EMM さん
「もったいぶったクイズ」の自己検証
[67624] ペーロケさん
なぁんだ、[67387]が正解だったんですね。[67388] のタイミングで追加ヒントを出されちゃ、間違っていると思い混乱。すっかり嵌められましたよ。
大変失礼しました。
旅先で出題した事から問題文を十二分に検討する時間がなかったため、「複数の解がでるまで惑わすようなヒントを出し続ける」形をとりました。
[67388]で書いた
#答え合わせしたら怒られそう。
はそう言うことでした。
詰まるところ[66612]のクイズで見事に引っかかったのが今回のクイズ出題の根っこにあるのですが、直接の動機は「津軽そば」の発見。
津軽フリーパスについて調べていたら「大豆をつなぎに使った幻の津軽そば」と言うくだりを見かけて、ここから「キーワードの使い方次第では、仙台市か弘前市かわかりにくい文章にできるのでは?」と思いついたのでありました。
で、具体的な行き先を決める際も、「クイズのキーワードとして使えそうなところ」を念頭に置いて考えていきました。
ただそれだけではなくて、交通機関のコスト、本来の趣味である寺社巡り、そしてスナフキんさんの企画である「北東北3県逆認市度最高地点当てクイズ」への対応も加味した上で行き先を決定しています。
本当は弘前と仙台の行き先を完全に対応させる事も考えましたが、行程をそこまでかっちり固めてしまうと大変そうだったのでそれはやめました。
それでも大まかに対応するような所は行ってきましたが

まず本文および補足文のキーワードが何を念頭に置いたものか、対応表を示します。

キーワード弘前市仙台市
金沢市から乗り換え無しで行ける特急日本海夜行高速バスエトワール号
東照宮弘前東照宮仙台東照宮
城址の中にある護国神社青森縣護国神社宮城縣護国神社
八幡宮弘前八幡宮大崎八幡宮、亀岡八幡宮
大豆を使った郷土料理津軽そばずんだ
近くにある人口6万人台の市五所川原市多賀城市
独自の麺料理が有名な市黒石市、黒石焼きそば白石市、白石温麺
上記の市と○○市の間にある古い神社のある市平川市、猿賀神社(弘前・黒石に隣接)岩沼市、竹駒神社(仙台・白石の中間)
高い塔のある寺最勝院定義如来、孝勝寺(、陸奥国分寺跡)
歴代藩主の廟所長勝寺、革秀寺瑞鳳殿
ちょっと離れたところにある一の宮岩木山神社塩竃神社
天満宮弘前天満宮榴ヶ岡天満宮
この地を治めた大名が祭神の神社高照神社(津軽為信)青葉神社(伊達政宗)
フリー切符津軽フリーパス仙台まるごとパス

このうち、八幡宮と天満宮はどこにでもありますし、決定づけるような特徴についても盛り込みませんでしたから、いわば迷彩。
それ以外のキーワードは「弘前か仙台のいずれかである」事を示そうとして投入しています。
(但し、孝勝寺に関しては現地で発見したもので、元々考慮に入れていたものではない)
また、○○市が弘前であることを示そうとして入れたつもりのキーワードは以下の通り。

・伝統芸能の実演が見られる施設(津軽三味線のライブ居酒屋)
・その地方のお祭り関連の展示などが見られる観光施設(弘前ねぷたの館)
・麺料理を食べた市の「隣の」市で歴史ある神社に参拝
・麺料理を食べた市で、その地を治めた大名が祭神の神社に行っている(黒石神社)

また、八幡宮と天満宮以外にも、「○○市を出てから翌日の宿泊市まで行くの間の行程」「○○市への到着時間」が迷彩目的で投入した内容のつもりでした。
ただ、キーワードもかなり微妙な形にしてありますし、回った順番や距離感などの検証も必要だったかも。
あと結構重要なのはスナフキんさんの企画のことでした。この件を頭に置くだけで、○○市が北東北3県にあると考えられる可能性がグンと高まっていたはずなので。

なお、ぺーロケさんが「もう一つの候補」とされた川越市は、以下の点で当てはまりません。

・城址の中に神社はあるが、護国神社ではない
・石川の人間が関東の醤油を「甘い」と表現するはずがない(石川は九州・山陰と並ぶ醤油甘甘エリア。なお、青森でも甘い味の醤油を売っている所がある模様)
・JRで湯瀬温泉駅に直行できるのも、高速バスで湯瀬PAに直接たどり着くことができるのも、市では大館市・盛岡市・八幡平市のみ

特にアクセスの面は結構重要かもしれません。
鹿角市内で乗降可能な高速バスは湯瀬PAで乗降可能なものは盛岡-大館便「みちのく号」のみなのです。
東京方面からだと池袋-大館・能代便「ジュピター号」がありますが、鹿角市内のバス停は鹿角花輪駅前のみ。
その他の鹿角市内に停車する高速バスも鹿角花輪駅前、鹿角あんとらあ前、高速けまない、花輪SAのいずれかがバス停で、湯瀬PAには停車しないため、上記3市以外の市から「公共交通機関を使って湯瀬温泉に直接アクセスする」ことはできないんですね。
なお、ツアーバス系の高速バスで鹿角市内を発着するものは、今のところ発見できておりません。
ただ逆に言うと、部分的なキーワードをさらえるとこういう見方もできるのか、と思ったのも確か。
私が考えていたのは、「東北地方」「城址内の護国神社」「金沢から一本で行くことが可能」という所から秋田市が出てくるかな、と思っていましたので。

なんにせよ、帰宅してから時間をとって問題文をよく考えてから出題すれば良かったかな、と言うのが反省点です。
やはりこういうクイズは出題が一番難しい…

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と、書き込もうとしたところで「追っかけクイズ」[67396]のことを思い出しました。
これはこれだけでどうのこうの、と言うよりはやはり大元のクイズの補強みたいな意味で出題したのでした。
今回の東北旅行の行程で4回出入りしたのは平川市・田舎館村・奥州市・一関市・仙台市になります。
このうち奥州市・一関市・仙台市は高速道路に対して市界が入り組んでいるため。
田舎館村は「奥羽本線~五能線の往復での通過」+「弘南鉄道弘南線の往復での通過」。
平川市は「高速バスキャッスル号での通過」+「弘南鉄道弘南線の往復での通過}+「弘南バス碇ヶ関線+奥羽本線での通過」で、旧尾上・平賀町方面と旧碇ヶ関村方面でそれぞれ2回通過というのが特徴的でした。
この平川市、スナフキんさんの逆認市度最高地点当てクイズでは10点で青森県では弘前と並んで1位(全体では10位かな?)で、この結果を見た参加者の皆さんの多くが「何で?」と不思議に思ってらっしゃったんですね。
旧碇ヶ関村も平川市である、と言うことが結構忘れられがちだ、というだったようです。(会場でこれを指摘したのが私)

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※追記
[67403]で書いた事に関する説明が十分では無かったですね。
・最初のクイズ関連の2つの書き込みの中には「本来はありえないが、実際に体験した」事が1件書いてあります。先週後半、東北地方で何があったかと言うと…
オフ会前の期間に東北地方で起きたことと言えば「冬型の天候の影響による交通機関の乱れ」で、具体的に体験してしまったのが「東北自動車道花巻IC~安代ICの降雪通行止による高速バスの3時間弱の遅延」でした。
平たく言えば、「本来午前中に弘前に着く便に乗ったのに、実際には午後に到着した」と言うことになります。
なお、日本海沿岸も強風のために電車の遅延・運行打ち切りが発生しており、こちらに巻き込まれた方もいらっしゃいました。
・寺社巡りをした市のうち、一方は移動にJRのフリー切符を使用しました。もう一方の市もJRのフリー切符の使用を考えていましたが、結局バスのフリー乗車券を使用しました。こう言ったものは使い倒さないともったいない…
弘前周辺では津軽フリーパスを使用しましたが、仙台では仙台まるごとパスではなく仙台市交通局のフリー乗車券を使用しました。
・昨日の寺社巡りでは時間と経路の都合で八幡宮には行けませんでした。一方で、問題をややこしくするためにわざわざ行った所もあります。
陸奥国分寺跡・榴ヶ岡天満宮・孝勝寺が「問題をややこしくするためにわざわざ行った」と言えるのですが、その中でも孝勝寺は上にも書いた通り「現地で見つけてわざわざ寄ってきた」所であり、「わざわざ」度が最も高い所であります。
[67658] 2008年 12月 21日(日)10:15:42小松原ラガー さん
ダイヤ改正
小松原ラガーです。

[67657] むっくん さん
開業した1997年には田んぼしかなかった南草津駅前には現在マンションが林立しており、JR西日本全体の乗者人数でも僅か11年間で南草津駅が50位になるなどしているという一例からも、ここ10年での草津市の発展が著しいことが分かります。

丁度、南草津駅が開業したときに仕事の関連施設の最寄り駅が草津駅から南草津駅になったのを覚えています。以前なら「草津駅からバス」というのが会社が認めたルートだったのですが、南草津駅開業後は「南草津駅からバス」と変更になりました。(依然としてバスというところが、辺ぴな所に施設があったということなのでしょうが・・・。)ところが、その南草津駅、「駅はあれども何にもな~い!」という状態で、ポツンとあるバス停ですら本当にバスが来るのだろうかという感がありました。勿論、そのバスとて、まだまだ本数が少なく、こんなところに駅を作って大丈夫かとも思ったのですが、むっくんさんご指摘のように僅か十年程度での変貌には目を見張るものがあります。

さて来春のダイヤ改正(PDF)は少々草津市の発展にブレーキをかけることになりそうです。

私もJRのサイトで改正の内容を確認しました。(元々はこの記事が発端だったのですが。)色々な見方があるかと思うのですが、大阪駅を中心に見れば最終の快速とその前の快速がそれぞれ新快速に格上げされるということになるのですが、果たして「誰のための改正か?」と考えてみれば甚だ疑問が生じます。確かに新快速停車駅を利用する方々にとっては終電の時刻の繰り下げ、到達時間の短縮などメリットはあるのでしょうが、途中駅利用者はどうしろという言うのか、ちょっと考えてしまいます。例として大阪駅からの下り方面について言及します。西宮、住吉、六甲道や須磨、垂水、舞子といったあたりの快速停車駅の利用者は最初から、あるいは途中で各駅停車に乗り換えろ、ということになり、むしろ不便になります。また、むっくんさんご指摘のように

#ちなみに兵庫県方面で終電に影響があるのは大久保駅から東加古川駅までで、20分程度といったところでしょうか。

西明石以遠のこれらの各駅はそもそもアクセスが確保されるのか、詳細なダイヤの発表がまだとはいえ、事実上の「改悪」にならないのか不安・疑念をぬぐえません。芦屋、明石、加古川からバスやタクシーを使えとも言うのでしょうか?「ちょっと待ってよ!」と言いたいところです。

あと、これに関連して少し。三宮駅の地下鉄の時刻です。平日の西神中央方面は別として、谷上方面は0時4分、休日の西神中央方面は0時6分が最終となっており、大阪駅発23時40分の最終の下り新快速と連携しています。大阪駅発最終の下り新快速に乗車すると、三宮駅では地下鉄に乗り換える乗客のラッシュ、いや、ダッシュ^^;が見られるのですが、これとて今回のJRのダイヤ改正で神戸市交通局側が連動させる、すなわち最終便を繰り下げ(増発)させるのかどうか見ものです。(すぐには無理でしょうが、やがては実現するのでは?と、個人的には思っておりますが。)ただ、そうなると、今回の改正で実現する最終とその前の新快速、今まで以上に混雑するよなぁ・・・というのも正直な想いですが。

うろ覚えですいませんが、将来的な大阪外環状線構想とはそもそも久宝寺~放出~新大阪までだけで、大和路線と阪和線を結ぶ貨物線の旅客化の構想まではなかったのではないでしょうか。

あっちゃ~!失礼しました。正式にはそうだったのですね。いろんなところでいろんな話が出てるのか、てっきり八尾~杉本町も将来的な構想の中に入っているものと勘違いしていました。申し訳ありませんでした。でも、なんかもったいないなぁ・・・。
[67657] 2008年 12月 21日(日)03:03:57【2】むっくん さん
草津市に関連して・・・
[67650]geoさん
どちらも人口自体は増加傾向にあるのですが2005年からの3年間の人口増加率をみると,「長浜市」が0.22%,草津市が3.09%と大きな差。やはり京阪神圏のベッドタウン効果と立命館大の効果が大きいんでしょうねぇ・・・。
おおよそのところですが京阪神圏のベッドタウン効果が75%、立命館大の効果が25%、といったところでしょうか。
開業した1997年には田んぼしかなかった南草津駅前には現在マンションが林立しており、JR西日本全体の乗者人数でも僅か11年間で南草津駅が50位になるなどしているという一例からも、ここ10年での草津市の発展が著しいことが分かります。

さて来春のダイヤ改正(PDF)は少々草津市の発展にブレーキをかけることになりそうです。
このプレリリースでは、上り・下り両方向で終電及びその直前の2本快速が新快速に格上げされて、さらに上り方向の終電新快速が運転区間の短縮がなされると記載されています。
このことより上り方向では大阪駅基準で、南草津駅など新快速通過駅では50分程度、草津駅など新快速停車駅でも30分程度、終電が早まると推測されます。終電が早まるということは、滋賀県内に家を買う人の数を減少の方向に導く方向に働くものと思われます。
#格上げされる新快速が京都駅から各駅停車で琵琶湖線内を走ってくれれば別ですが。

下り方面でも、快速がそのまま新快速に格上げされますと、南草津駅など新快速通過駅から京都以遠に帰宅する人は、60分程度終電が早まることとなります。最低でも京都駅から新快速ということにしてもらわないと、滋賀県南部の工場立地にも多大な影響を及ぼしかねないダイヤ改正となりそうです。
詳しくは来春の時刻表の発売まで待たなければならないのでしょうが。。。

#ちなみに兵庫県方面で終電に影響があるのは大久保駅から東加古川駅までで、20分程度といったところでしょうか。
#岡山方面から京阪神に戻ってくる分には、おそらく岡山駅基準で一本後の電車を利用できるようになるので、そういった点ではメリットなのでしょうが。

[67644]小松原ラガーさん
将来的な大阪外環状線構想(大阪東線を延伸して杉本町から新大阪までつなぐというもの)は「や~めた!」ということなのでしょうか
うろ覚えですいませんが、将来的な大阪外環状線構想とはそもそも久宝寺~放出~新大阪までだけで、大和路線と阪和線を結ぶ貨物線の旅客化の構想まではなかったのではないでしょうか。
参考:『鉄道ジャーナル』平成11年10月号大阪外環状鉄道について

鉄ネタばかり失礼しました。
[67656] 2008年 12月 21日(日)02:06:51【1】むっくん さん
Re:川の立体交差
[67649]EMMさん
他の箇所にもあるかな?と思っていましたが、やはりありましたか。目に見える形で交差しているというのは、私の提示した事例よりもさらに稀であるような気がします。

[67653]今川焼さん
解説ありがとうございます。なぜ天然の河川同士で立体交差をさせなければならないのかがよく理解できました。
[67648]で私が挙げた田川と高時川の関係も、まさしく
天井川周辺の低地に降った雨は当然の事ながら高いところにある本流へは流れ込むことはできず行き場を失います。
といった事例で、伏越で人為的に川を立体交差させたものであったようです。
参考:環境技術学会「環境技術」2005年12月号高時川・田川

[67651]日本人さん
私が[67648]で私が挙げた田川と高時川の事例(地図)はまさしく一級河川同士の立体交差にあたります。
また地図でも記載されていますが、この立体交差の少し下流の難波橋付近で高時川は姉川(「兄弟姉妹」コレクション収録済み)と合流します。そして姉川と対比して、高時川のことを妹川(いもうとがわ)と呼ぶこともあるようです。
もしも別称も収録対象であるならば、高時川も「兄弟姉妹」コレクションの一つになるのでしょうね。
参考:農林水産省・近畿農政局整備部滋賀県HP

[67650]geoさん
さすがに用水や疏水などの人工河川?をいれると数が膨大になるような気がします。用水や疏水などを作る際には、幾度も既存の川に対して伏越を用いて立体交差させることで、必要とされるところまで水を流すのでしょうから。
観光地近くにもこのような事例はありますし。例えば銀閣寺の近くでの、琵琶湖疏水と天井川である白川の立体交差などなど。
[67655] 2008年 12月 20日(土)23:37:10右左府 さん
JA東京あぐり
[67493] EMM さん
ネットにも図書館にもこれ以上手がかりがなかったので、思い切って東京あぐり本店に行ってきました。
……軽く立ち話で終わるか、資料をもらえるか程度のものを期待していたのですが、予想に反してこの上ないご厚遇。(その詳細を書くのを躊躇うほどに。)アポなしでいきなり訪ねてしまった軽率さをを後悔しています……。
ともあれ、非常に詳しいお話を聞くことができ、問題が解決しました。

まず、東京あぐりの管轄区域自体は、全中のHPにあるとおり島嶼を除く都下全域で間違いありません。定款には以下のようにあります。
第一章 総則
(略)
(地区)
第三条 この組合の地区は、大島、三宅島、八丈島、その他諸島を除く東京都一円の区域とする。
(事務所)
第四条 この組合は、主たる事務所を、立川市に置き、従たる事務所を、西東京市に置く。

そして現在のようになった経緯なのですが、ちょっと複雑なようです。
元々のJA東京あぐりは昭和26年「都連農業協同組合」として設立され、その後改称しました。これは通常の農協と異なり、JA職員を対象とした事業を行っていた(? ここんとこの話は難しくてよく理解できてません……)とのことです。
片やかつて存在した田無市農協は、田無を管轄とする農協でした。保谷など周辺地域の農協(今のJA東京みらい)が合併に向かって動いていた際も、当初はその枠組みに加わっていたそうです。

ところが1997年4月、その田無市農協が大量の不良債権を抱えていたことが判明、財政破綻してしまいます。その救済策として(かなり異例の措置ではあるものの)JA東京あぐりに吸収合併することとなりました。その結果、「田無の農協」+「JA職員対象の事業を行う農協」という二つの側面を持つ、この変則的な農協が誕生したというわけです。
(当時の新聞、特に読売新聞では結構大きく取り上げられていたようです。合併の際の記事は見つけられませんでしたが、97年4月に破綻した際は連日この件が報じられています。)
なお、いつまでもこの状況が続くということではないそうで、財政状態が改善されれば再び「田無の農協」の部門は分離し、JA東京みらいとの合併を進めていくとのお話でした。

ちなみに、東京あぐりや全農東京がある立川市柴崎町ですが、JA関係のビルが幾つか並んでおり、その中にあぐり本店が入っていました。
応対してくださった職員の方々には冒頭にも述べたとおり、ただただ感謝するばかりです。中でも、直接詳しいお話を伺った方は元々JA田無市の職員でいらっしゃったそうで、デリケートな話にも関わらず丁寧に説明してくださって非常に恐縮でした。


それと、農協法の条文のご紹介ありがとうございます。東京あぐりも一応管轄区域が重複しているとも言えますが、純粋な意味での重複という意味でやはり志雄町は非常に珍しい存在なのですね。(東京あぐりも十分珍しいケースですが。)


[67491] YSK さん
人名「あぐり」の由来、本当だったんですね。それにしても、あぐりさんがもう百を超え、その上未だ現役とは……とにかく驚きです。
[67654] 2008年 12月 20日(土)23:25:55いっちゃん さん
そういうことです
拙稿[67618]
Q1.「知らない」発言をしたおっさんの出身県は?
Q2.話題となったヒーロー物は?
ですが、他の方々の反応を見る前に図らずも「たぶん、反応するのはこの方だろう」と勝手に予想していた方にあまりにも早く反応していただいてしまいました。(笑

[67620]EMMさん
♪あ~さやけ~の~光の中に立つ影は…
今さらですが『鏡男』ですのでQ2.は正解です。
で、主力のQ1.ですが…オフ会旅行の私の初日の宿泊県でせうか?
はい、こちらも正解です!ちなみに「青森県」です!

これでは何の話か分からない方に補足ですが、昭和46~47年にかけてフジ系列で『ミラーマン』TBS系列で『シルバー仮面』と言う、ターゲット(まさにワタクシの世代)が重複する特撮ヒーロー物が同曜日同時間に並立しまして、で、視聴率的には明らかに『ミラーマン』の勝ちだったのですが、『ミラーマン』が放映されていなかったエリアでは、『シルバー仮面』がこの時間帯でのヒーローだったのですね。
[67653] 2008年 12月 20日(土)23:14:28今川焼 さん
川の立体交差
[67648] むっくん さん
水底トンネルコレクションを編集していて気がついたことです。
天井川化した大きな本流へ周囲の山地から流れ込む支流は、その川自体河床を上げ堤防を高くしないと本流へと流れ込むことはできず、天井川化することになります。しかし、その天井川周辺の低地に降った雨は当然の事ながら高いところにある本流へは流れ込むことはできず行き場を失います。その水を集め、本流の河床が充分低くなり合流することのできる下流まで造られる川がありますが、そういうところにもいくつか立体交差が見られますね。
甲府盆地南部の富士川周辺
京田辺市の木津川周辺
参考:やまかいの四季No.126
[67652] 2008年 12月 20日(土)23:12:56右左府 さん
十和田湖県境
ネット上にはまだソースが見当たらないのですが、NHK秋田放送局のニュースによる情報です。
十和田湖面及びその付近の秋田・青森県境確定が、今月25日付の官報に告示されます。ギリギリ年内に間に合うようですね。

JA東京あぐりの件は次稿にて……。
[67651] 2008年 12月 20日(土)22:02:34おがちゃん[日本人] さん
用水路がありならば
こんばんは。日本人です。

川の立体交差についての話が流行っているようですね。
今まで必死にyahoo地図を見て探していたわけですが、
[67650] geo さん
僕の身近なところでは,見沼代用水の上を綾瀬川が通るここなんかもそうです。
えっ。用水路って有りだったのですか。だったら、[19364]スナフキんさんご紹介の
北海幹線用水路の、ここや、こういうところこんなところも入りますね。もしかして、北海幹線用水路は、日本のすべての種類の川で、立体交差回数ベスト10ぐらいに入ってそうです・・・。
ただし、希少性でいえば、「一級河川同士<用水路同士」というようになりそうですね。というわけで、どなたか一級河川同士の立体交差を発見した方は、ぜひともお伝えください。

#川の下に川があるというのは、夢で見そうなくらい幻想的な風景ではないでしょうか。小学生が書く未来の都市計画に実際に出てきそうな風景です。

#今日、北関東自動車道の、真岡IC~桜川筑西IC間の、14.9kmが開通しました。これにより、東北自動車道~終点(水戸市)が一つの高速道路で結ばれ、栃木と茨城の走行時間が大幅に短縮されたと思います。
[67650] 2008年 12月 20日(土)20:22:13geo さん
Re:川の上を流れる川&草津vs「長浜」
[67648] むっくん さん
川の上を通って川が流れているところは日本中でどれくらいあるのでしょうか。
 僕の身近なところでは,見沼代用水の上を綾瀬川が通るここなんかもそうです。なお見沼代用水は綾瀬川をくぐった後,東縁と西縁に分岐します。


[67637] 有明つばめ さん
[67643] 白桃 さん
昨年10月の時点での推計人口は筑紫野市より若干少なかったようですが,いつの間にか逆転してしまいましたね‥‥。
 似たような(?)事例が滋賀県にも・・・。
 それは草津市と2010年1月1日成立予定(合併自体怪しくなってきましたが・・・)の新「長浜市」。
 2005年10月の国勢調査では「長浜市」が124,498人,草津市が121,159人で若干草津市の方が少なかったのですが,遂に2008年10月1日の推計人口で,「長浜市」124,727人,草津市124,901人と逆転。差は増え続けています。
  どちらも人口自体は増加傾向にあるのですが2005年からの3年間の人口増加率をみると,「長浜市」が0.22%,草津市が3.09%と大きな差。やはり京阪神圏のベッドタウン効果と立命館大の効果が大きいんでしょうねぇ・・・。

 確か長浜市の合併基本計画に「県下2位の都市として・・・」というフレーズがあったのですが,このままだと合併が成立する頃には草津市に大きく差をつけられての「県下3位」になっているのでしょうね(苦笑)。
[67649] 2008年 12月 20日(土)20:04:54【1】EMM さん
川の上に架かった橋を流れる川
[67648] むっくんさん
川の上に駅という話題で思いついたのですが、川の上を通って川が流れているところは日本中でどれくらいあるのでしょうか。
私が思いつくのは新潟市西区の新川の上を流れる西川です。
しかも、このように西川が新川の上を橋で横切るというなかなか珍しいものです。
私が学生時代過ごしていたところのまさに近くでして、最初見た時はなんの橋なのか分かりませんでしたが、
大学でとっていた地理学の講義の中で話題が出て初めてそう言うものだと知りました。
川としては新川の方が太いのですが名前の通り後から新しく作られた川(新潟平野の排水路として、砂丘を分断して作られている)で、細い方の西川の方が元々あった川です。
しかも西川は信濃川の支流なので一級河川。
ちなみに新川が切り開かれたのは江戸時代(ネット上の資料では文化14年(1817年)と文政3年(1820年)の2説見られました)のことだそうで、当初は新川の下に埋めた底樋を通じて西川が横切る形だったそうです。

※追記
過去誰か話題にしていないかと思って探したら、[19362]三鈴さんが取り上げていらっしゃいました。
[67648] 2008年 12月 20日(土)17:38:11むっくん さん
川の上を流れる川
川の上に駅という話題で思いついたのですが、川の上を通って川が流れているところは日本中でどれくらいあるのでしょうか。
田川の上を高時川が流れているここぐらいしか私には思いつかないのですが。。。
[67647] 2008年 12月 20日(土)16:05:19今川焼 さん
川の上にある境界駅
[67644]小松原ラガーさん
[67638] かすみ さん
川の上の橋上駅で2市にまたがっているような駅は現在武庫川駅だけでしたっけ?
まず思いついたのは、同じ武庫川つながりで福知山線の武田尾駅。ここは駅の所在地は宝塚市なのですが、プラットホームが武庫川の中ほどまで延びています。しかし、航空写真と地図の市境を切り替えながら見比べる限りは、どうやらぎりぎりホームは西宮市にはかかっていないようです。

ならばと、同じ関西で武田尾駅とよく似たシチュエーションにある山陰本線の保津峡駅を見てみました。こちらは駅の所在地は亀岡市ですが、橋の上のプラットホームは、航空写真で見て明らかに市境を越えて京都市西京区にかかっているようです。
ところでこの保津峡駅ですが、旧線時代の駅(現在の嵯峨野観光鉄道のトロッコ保津峡駅)は完全に京都市内だったのですが、地図で確認するまで今の保津峡駅が亀岡市所在であることには気がついていませんでした。というのもJRの特定都市区内制度の京都市内の駅に、新線切り替え後も保津峡駅が含まれていますから。

さて、ほかにもないかと見わたしてみると、市境ではありませんが都営地下鉄新宿線の東大島駅が江東区と江戸川区にかかっていますね。ここは武庫川駅同様それぞれに出入り口があります。そういえばこの駅、開業から間もないころ(1980年ごろ)に江戸川区側の出口に降り立ったことがありました。旧中川と荒川の土手に挟まれたなーんにもないところでしたが、今は高層住宅が建ち並んでいるようですね。
[67646] 2008年 12月 20日(土)14:36:28【1】山野[揖斐の山] さん
法定協設置と微妙な合併
栃木地区に続いて昨日、佐野市と岩舟町は法定協設置議案を可決しました。

同じく昨日鮭川村は任意協にて法定協不参加を決め、残りの3市町村で1月13日に法定協議会を設置し
期限内の合併を目指す方針なのだが、その形状が何とも言えん。
*鮭川村、離脱による新たな枠組み:新庄市・真室川町・戸沢村
これをここで見ると、もしこの枠組みで仮に合併が成立したとします。すると随分と歪な形の市が出来上がります。
(一つ言える事は、飛地ではないが、辛うじてぎりぎりの所で繋がっていると言うか…何とも奇抜な形状に。)

久喜市と合併を進めている菖蒲町にて昨日、合併の是非を問う住民投票条例案を可決しました。
[67645] 2008年 12月 20日(土)14:31:28k-ace さん
姫路駅
こんにちは、一ヶ月弱ぶりに登場のk-aceです。

[67644] 小松原ラガー さん
私も切り替え直前にチラリと姫路駅に見物に行ってきた一人です。

問題の播但線・姫新線側のホーム。一つのホームで4線確保するためにホームの両端を切り欠き状にしている模様です。
姫新線ホームが切り欠き状にしてあるのを確認しましたが、播但線ホームはどうだったっけ。山陽本線上りホームで「えきそば」を食していた都合上、「えきそば」のあるあたりから播但・姫新線ホームを見ていたため、播但線の切り欠き状を見落としたのかもしれません(細部までまともに見ていない、といったほうが正しいんでしょう)。
で、JR西日本のHPで確認しようと、「高架化完成による連絡通路・改札口等変更(PDF)」を見ようとすると、なんかエラーで見れなくて、確認できませんでした。

あと、22日の高架化に合わせて播但線・姫新線のホームの下の駅中、コンコースの部分におにぎり屋さんとか、新たにいくつかのお店がオープンする模様です。
ありました、おにぎり屋さん。また、1・2番線、3・4番線(で合ってたっけ?)、特急はまかぜ、姫新線、播但線といった案内板のところに「12月22日から」といった(正確な表記忘れました)文字が。すべて立ち入り禁止の柵の向こうですが。

尚、もちろん、まねき食品の「駅そば」を食したのは言うまでもありません。(14-17時の間だったので、タイムサービス280円とお得でした。^^;)
私、入場券で構内に入ったのですが、ホームに上がると14時前。1,2分するとタイムサービスを貼り出したので、「えきそば」(きつね)を280円で食べてきました(でも、去年12月にタイムサービスで食べたときは、250円だったのに。今年1月の値上げはタイムサービスにも響いていたんですね)。

そして、南中央改札口出たところにある、今月4日にオープンした(今現在オープンしていない一部店舗と通路を含めた、グランドオープンは播但・姫新線高架化と同じ22日のようです。)プリエ(PLiE)もウロウロしてきました。25歳の女性をターゲットとしたレディースファッション中心のショッピングセンターとあってか、1階は、やはり女性のほうが多く、食事どころでも、スイーツやカフェ&レストランばかり。ただ、2階はジュンク堂だけなんですけどね。


・東京駅発のブルートレインが来春のダイヤ改正で廃止に。
「ムーンライトながら」、「ムーンライトえちご」も来春のダイヤ改正で臨時列車化される(多客期のみ運行となる)模様です。
[67644] 2008年 12月 20日(土)12:14:37小松原ラガー さん
武庫川の上に・・・
小松原ラガーです。

[67638] かすみ さん
阪急電鉄の西宮北口-武庫之荘駅間、西宮市と尼崎市の市境の武庫川の橋上に「武庫川新駅(仮称)」を建設する動きがあり、実現はかなり確率が高そうです。

ついに、という状況ですね。確かにこの区間、結構距離があり、一昔前の武庫川左岸・右岸共に田んぼや畑がまだまだ残っていたときならまだしも、かなり宅地に変身し、そこそこの利用が見込める昨今ならば当然と思います。これを見越してかどうかわかりませんが、確かに、阪急神戸線の武庫川にかかる橋梁ですが、数年前の付け替えの際に上下別線にして間にホームが作れるくらいの空間が設けられています。(リンクの地図を拡大してみてください。)繰り返しますが、新駅建設のための空間かどうかは全く不確かな情報で申し訳ないのですが、最初、この空間を見た時、「将来的にまた橋梁のかけかえをする時には、この空間を利用して工事を円滑に進められるようにスペースを確保しているのかな?」とか、「将来的な西北(西宮北口)~十三間の複々線対策でこんな上下別線にしているにかな?」とも考えたのですが、なるほど新駅に利用する可能性は十分ありえる話ですね。
(複々線化は当面はありえない模様ですが。)

さて、でもこの話、「眼光紙背に徹す(※)」とまで行かなくとも、話の裏を自分なりに考えてみると、JRへの対抗ではないかと考えられます。左岸の尼崎市側の南武庫之荘町南部からのJR立花駅利用者、右岸西宮市側の中津浜線以東のJR甲子園口駅利用者の取り込みという目的もあるのでは?と考えてしまいました。勿論、単に西宮北口、武庫之荘の利用が「遠くて不便だ!」という方々のためもあるでしょうが。ただ、もし橋上駅が出来たとしても、周辺、いや、駅前には商店等も少なく、バスターミナルなどもスペース確保が難しいため、どれだけの利用があるのか、当初は???とも思えますが。

さて、鉄ネタが出たところで、ついでにいくつか。

・東京駅発のブルートレインが来春のダイヤ改正で廃止に。

「なんと言ったらよいのやら・・・」というのが率直な感想です。やはり時代の流れなのでしょうか。これで、あとは上野発と数本と大阪発の日本海のみに。あ~ぁ・・・。

・JR西日本が八尾~杉本町間を廃止に。

11月の話で申し訳ありませんが、この区間、JR貨物が利用をやめたためにJR西日本としても「廃止」申請をしたとか。あれ~?将来的な大阪外環状線構想(大阪東線を延伸して杉本町から新大阪までつなぐというもの)は「や~めた!」ということなのでしょうか?もったいない・・・。

・JR姫路駅

既に触れられていますが、12月22日よりJR姫路駅が全面高架化となります。ということで、切り替え直前にチラリと見物に行ってきました。既に山陽本線側は高架運用となっていますが、問題の播但線・姫新線側のホーム。一つのホームで4線確保するためにホームの両端を切り欠き状にしている模様です。まぁ、珍しいほうの部類に入るのではないでしょうか?あと、22日の高架化に合わせて播但線・姫新線のホームの下の駅中、コンコースの部分におにぎり屋さんとか、新たにいくつかのお店がオープンする模様です。いずれにしても、高架化後も旧駅舎のスペースをどうするのかなど、当分は姫路駅周辺の変貌、ウォッチングが必要かと思います。
尚、もちろん、まねき食品の「駅そば」を食したのは言うまでもありません。(14-17時の間だったので、タイムサービス280円とお得でした。^^;)

川の上の橋上駅で2市にまたがっているような駅は現在武庫川駅だけでしたっけ?

パッと考えただけでは思いつきませんでした。橋上駅もいくつかあり、自治体の境界にまたがる駅もそう珍しくはないでしょうが、これらのAND条件となると・・・。どなたか思い当たる方、おられませんでしょうか?

(※)「眼光紙背に徹す」
今でこそインターネットで簡単に言葉の意味を調べられますが、高校時代の国語のテストで「がんこうしはいにてっす」を漢字に直し、その意味を言え、という問題が出たことがあります。勿論、それ単独で問題になったのではなく、読解文中の一部にこの部分があったのですが、学年の全員がほとんど全滅状態。「眼光」は出てきても、「支配に徹す」とする者が多く、意味となると「???」。全くのお手上げ状態の中、私の友人の珍回答・・・。

「がんこうしはいにてっす」⇒「がんこ うしは いに てっす」⇒「頑固牛は意に徹す」
意味:「頑固な牛はわがままだ!」

出題した先生もうけたのか、後日の答案用紙返却・解説の際に、珍回答として紹介していたのですが、クラス中が大笑いしたのをよく覚えています。はい。
[67643] 2008年 12月 20日(土)11:54:35白桃 さん
筑紫野市と「糸島市」
[67637]有明つばめ さん
昨年10月の時点での推計人口は筑紫野市より若干少なかったようですが,いつの間にか逆転してしまいましたね‥‥。
西日本新聞の記事では「約10万500人」となっておりますが、白桃都市人口研究所が出している「2008年11月1日現在月報」では、筑紫野市は99,575人、「糸島市」98,733人で、逆転どころか差が広がっています。もっとはっきり言えば、2005年国勢調査人口では「糸島市」が筑紫野市より多かったのだから、筑紫野市が「糸島市」を逆転したのです。
[67642] 2008年 12月 20日(土)11:06:29Issie さん
近世の千葉
[67630] YSK さん
千葉市のプロフィールが書かれたサイトの多くが、中世の千葉氏の隆盛に係る千葉の町場としての成立を紹介した後、いきなり明治期の千葉県成立に伴う県庁設置に話が飛んで、以降急成長した

中世・千葉の繁栄は,ここを本拠とした千葉氏の隆盛と並行するものと言えるのでしょうが,少し以前の書き込みにもあったので一応念のために申し添えておけば,千葉は「城下町」ではありません。
さらに念のために,(以前にも書いたことですが)
 ・石垣と天守閣を備えた城郭を中心とし
 ・家臣が家格ごとに集住して領国の行政中心となり
 ・商工民が“一定の区分”(出身地や職種など)に基づいて集められて地域の経済中心となって
 ・独特の地域文化の中心ともなる
いわゆる「城下町」と呼ばれるタイプの「計画都市」が出現するのは早くて戦国末期,全国各地に本格的に建設されるのは徳川時代初期のことです。
その意味で,後北条氏の 小田原 は最も早い時期の「城下町」の1つと言えるでしょうが,武田氏の 甲府 や今川氏の 駿府 はやや微妙。“館(屋形)”はあるけれど,少なくとも“石垣と天守閣のお城”ではないですね(今あるお城は,両氏が滅亡した後に建設されたものです。…あっ,今川は滅亡していないや)。朝倉氏の 一乗谷 も同様。なお,一乗谷 は福井市にありますが,福井(北ノ庄)とは全く別の都市(現在は農村)です。
江戸 にも太田道灌の築いたお城があって,今の大手町辺りに結構繁栄した町が成立しましたが,やはり「城下町」とは言えない。「城下町」として本格的に整備されるのは,小田原征伐の後に 徳川家康 が城主となってからのことです。
千葉は…と言えば,その繁栄はそれよりもずっと早い鎌倉~室町前期のことですから,「城下町」というものが成立するずっと以前のことです。領主の 千葉氏 自身,そのような方法で領国(←という発想自体,戦国時代以降のもの)を支配する方法があることを想像もできなかったでしょう。

要するに,千葉は「城下町」ではない。よく話題になることですが,千葉氏にゆかりのある 亥鼻台 に建てられている“天守閣のような建物”は,全くの「まがいもの」です。
さらに,室町中期以降の千葉氏は分裂・抗争を繰り返し,本拠地も 千葉 から 佐倉 に移してしまいました(ただし,この時期の「佐倉」は現在の酒々井町域にある 本佐倉。現在の「佐倉」と呼ばれている“佐倉市の佐倉”は,江戸時代になって建設された典型的な“近世城下町”です)。

“念のため”の前置きが長くなってしまってれど…,
千葉氏の衰退後,千葉 は「妙見様」として多くの信仰を集めた 千葉妙見宮(現在の 千葉神社)の門前町(明治初めの神仏分離以前は“お寺”扱いだったので)として栄えました。妙見様は,代々千葉氏が篤く信仰してきたのですね。徳川家康も,その信仰を尊重して200石の寺領を妙見宮に与えています。
…とは言え,「都市」というよりは「町場」程度のものであったでしょう。

この“門前町・千葉”の南を流れる 都川 の河口左岸に 寒川(さんがわ) と呼ばれる湊町がありました。また,門前町の西隣りには 登戸(のぶと) という町があり,これも湊を持っていました。寒川,登戸 の両湊とも,湾内海上交通の拠点として 佐倉 など房総半島中部を後背地に,千葉門前町以上に繁栄していたようです。
現政令指定都市に直結する“近代の千葉”は,この 千葉門前町 と 寒川・登戸両湊 を基礎に成立・発展したものです。
言葉を換えれば,中世千葉氏膝下の都市がそのまま現在に連続しているわけではない。一度“都市としての歴史”が断絶しているという点では,ライバルである(相手は全くそうは見ていないでしょうが)鎌倉 と似ているかもしれません(鎌倉も近世には「都市」として存在しておらず,20世紀になってから突然「都市」として発展した)。

ところで,その 登戸 と国鉄千葉駅(…とつい呼んでしまうのは,京成の旧駅名のせい)の間の区域は「新千葉」という町名です。住居表示による新町名だと思うのですが,出所は京成電鉄の駅名なんじゃないでしょうかねぇ(1923年の開通時からこの駅名で開業しているようです)。
※当方の通信環境上の理由から,地図にはリンクしません。悪しからず。
[67641] 2008年 12月 19日(金)22:47:41hmt さん
陸中国「鹿角郡」
オフ会からだいぶ日が過ぎましたが、開催地に関連した地理ネタをひとつ。

会場の湯瀬ホテルの現住所は秋田県鹿角市八幡平字湯瀬湯端ですが、この記事では、鹿角市と鹿角郡小坂町とを含む旧郡域を陸中国「鹿角郡」と呼びます。陸中国「岩手郡」、陸奥国「二戸郡」も同様に旧郡域です。

その「鹿角郡」。秋田県なのに「羽後国」でなく「陸中国」というのが特異的です。
1995年までは、鹿角花輪駅も「陸中花輪駅」を名乗っていました。

地図好きの視点からは、この羽後国と陸奥国に挟まれた「鹿角郡」が、陸中国の本体と八幡平で点接触しているように見えるところが、昔から気になっていました。
記憶をたどると、大縮尺の地図により確認して、「鹿角郡」は陸中の本体側(当時の岩手郡松尾村)と離れた飛び地であることを認識したと思います。もちろん、岩手県としては飛び地ではありませんが、共に陸中国である松尾村と八幡平村との間に、陸奥国の安代町(当時は二戸郡、2002年 岩手郡に変り 、現在は八幡平市)が介在するのは不自然に思えました。飛び地になったいきさつについては不明のまま。

11月にこの地でオフ会が開かれることを知り、積年の疑問が再発したので、とりあえず 落書き帳の過去記事 を探ってみました。
その中では、[24028] 太白 さん による点接触疑惑に対して、[24052]ペーロケさんが 惜しいところで市町村四叉路にならないと答えていました。

近年の地図では、このように点接触ですらしていない陸中国の「岩手郡」と「鹿角郡」。明治元年12月 陸中国設置[59112]当時の情況を、天保国絵図輯製20万分1図 とを参照しながら推測してみます。

天保国絵図・陸奥国(南部領)の一部 をご覧ください。
赤で示した村は二戸郡、青が鹿角郡、緑が岩手郡の村々です。郡の境界線が描かれていますが、注目していただきたいのが、鹿角郡と岩手郡の境界線。点接触どころか、バッチリと長い境界線で隣接しています。

オフ会の宴会場で貼り出した明治22~23年の輯製図にも、ほぼ同様の境界線がありました。
そして、盛岡からの街道は、天保図や現在のような荒屋新町経由でなく、松尾から北西へと直行して峠を越えていました。
つまり、陸中国が設定された明治初年の認識では、鹿角郡は岩手郡と隣接していただけでなく、街道も二戸郡内の山道を経由するものの、松尾から湯瀬以北の鹿角の村々に通じており、いわば鹿角は盛岡と直結していたと考えられます。

幕末・明治初年というと、大島高任[67425]が、初めは盛岡藩、後に明治政府工部省の役人として鹿角の鉱山開発を進めていた時期です。鉱山地帯の鹿角は、盛岡藩の時代からそうだったと思いますが、盛岡の勢力が強く及んでおり、当然のこととして盛岡と同じ陸中国に属することになったと思われます。
[51430]矢作川太郎さん は、弘前に通じる街道沿いで陸中の延長と表現していますが、これもほぼ同じ意味でしょう。

結局のところ、明治元年に鹿角郡が陸中国になったのは、現在の地図から想像するほど不自然な処置ではなかったようです。
陸地測量部[67056]の手で1/50000地形図「八幡平」が測図されたのは大正5年(1916)でした。これにより、国絵図に描かれていた姿が実体と異なることが明らかになりました。新しい地形図に行政境界線を書き入れたら、意外にも陸中国に飛び地ができてしまったわけです。でも、その頃には「岩手県」が定着しており、実質的な意味を失っていた「陸中国」だからそのまま放置された…というのが、グレートジャンクションもどきの結論なのでしょう。

なお、[51666]矢作川太郎さん は、明治初年の鹿角の処置に関連して、新政府が盛岡藩の力を削ぐ意図があり、その際に「鹿角郡田山村」が「二戸郡田山村」になったという説を記し、田山村で岩手郡が接していたままの鹿角郡であったならば陸中に飛び地は出来なかったとしています。
湯瀬村の上流にある田山村がかつて鹿角郡に属していたというのは事実と思われます。安永七年(1778)見立では花輪通田山村切通御山が、鹿角郡の金山十九ケ山の中に算入されています 鹿角郡の鉱山
しかし、田山村が二戸郡に移されたのは明治初年ではなく、もっと前のことです。

リンクした天保国絵図を 18.8% に拡大すると、青い「湯瀬村」と共に赤い「田山村」の文字が読めるようになります。
これにより、天保当時には、既に田山村が二戸郡になっていたことがわかります。
拡大した絵図を見ると、明治になってから鹿角郡の肩に貼り付けられた付箋「陸中国」も読み取ることができます。
[67640] 2008年 12月 19日(金)21:47:29敷守ほむら さん
ゲゲゲの鬼太郎と都道府県
こんばんは。

だいぶ前に見た記事になるのですが…
livedoorニュース 『ゲゲゲの鬼太郎』バトルアニメ化に見る水木プロのメディア戦略(2008年11月26日)

今やっているいわゆる第5シリーズはボクは見ていないのですが、都道府県代表の妖怪を探しまわるという展開になっているようで、各都道府県の妖怪が何になっているのか、ちょっと気になります。
サイトを見てもまだそろっていないみたいなので…。
東映アニメーション ゲゲゲの鬼太郎 - 日本妖怪四十七士

ニュースの記事には
県の妖怪を選んでいるのも、地域に密着させるとか、新たな展開を考えているんじゃないでしょうか
とあるのですが、都道府県単位でキャラクターが出てくるのって他に何かありましたっけ。
[67639] 2008年 12月 19日(金)19:05:22山野[揖斐の山] さん
春日部市に編入
春日部地区の合併研究会にて昨日、杉戸・宮代の2町を春日部市に編入合併とし、
名称を「春日部市」にする事に合意したとの事。参照記事
[67638] 2008年 12月 19日(金)18:06:01かすみ さん
阪神に続け・・・?
神戸新聞にこんな記事が載っていました。
阪急電鉄の西宮北口-武庫之荘駅間、西宮市と尼崎市の市境の武庫川の橋上に「武庫川新駅(仮称)」を建設する動きがあり、実現はかなり確率が高そうです。決定してしまえば約1年で完成なんだとか。武庫川には既に橋上駅として阪神電鉄武庫川駅が有りますが、同じような形になるようですね。
川の上の橋上駅で2市にまたがっているような駅は現在武庫川駅だけでしたっけ?
[67637] 2008年 12月 19日(金)17:06:07有明つばめ さん
市町村合併情報(糸島市)
福岡県前原市及び志摩町・二丈町の各議会は19日,合併関連議案を賛成多数で可決しました。西日本新聞

昨年10月の時点での推計人口は筑紫野市より若干少なかったようですが,いつの間にか逆転してしまいましたね‥‥。
やっぱり「九大学研都市」効果か。
[67636] 2008年 12月 19日(金)12:47:34N-H さん
Re:浦安終点
[67634]Issie さん
浦安には(旧)江戸川に架かった浦安橋を渡って都バスが乗り入れていたんですよね。

いやあ、懐かしいです。
ここに前に書いたような気がしないでもないのですが、私はずっと江戸川区の宇喜田付近に親戚がいたもので、東西線開通以前から、新小岩駅からこの都バスの「浦安終点」行きに乗ってよく訪ねたものです。
都区内なのに、この親戚の家の前には広大な畑が広がっており、家にはガスも引かれず、風呂はなんと薪をくべて沸かしてはいっていたのです。
そのうち東西線が開通し、家の2階からは地下鉄の電車が遠くに見えたものです。
これが昭和40年代の東京都東部の姿だったのです。
[67635] 2008年 12月 19日(金)08:50:57星野彼方 さん
猫コレ & 近況報告?
オフ会が終わってから自宅も職場もちょっと書き込むことが難しい状況になっていまして、本当はいろいろレスを返さなければいけないと思っているのですが、反応できなくて申し訳ありません。そんななか、だいぶ前に朝日新聞(朝日新聞関西 魅知との遭遇(53))で見つけていた猫神社をひっそりとアップしておいたのですが、思わぬ反響で驚いております。EMMさん、なると金時さん情報ありがとうございます。今年中はちょっとむりっぽいですが、そのうち更新します。ただ、猫神橋はちょっと採用を控えるかもしれません。他に猫のつく橋がどれだけあるか調べてからにします。

YSKさん、本千葉の情報ありがとうござます。Wikipedia で本千葉駅がかつては千葉中央駅付近にあった、とありますので採用します。こちらもそのうち更新します。
[67634] 2008年 12月 19日(金)00:47:16Issie さん
浦安終点
[67632] 白桃 さん
開通したばかりの東西線で初めてこの町に降りたときは

ずっと以前にも書いたかもしれませんが,
私が小学校に上がる前の幼い頃,開通したばかりの東西線に乗ったとき,西船橋を出て総武線と分かれるあたりから,ひたすら畑というか,水田というか,蓮田というか,要するに何もない荒涼とした風景の中をひたすら走りぬけて(快速が西船橋から東陽町まで停車しなかったのも当然です),初めて屋根瓦が密集した上を通り抜けたのが浦安市街だったのをおぼえています。
当時は荒川(放水路)の河口部の埋め立ても行われていなくて,その上に架かる東西線の長い鉄橋はまさしく「地の果て」を連想させるもので,あの頃の東西線の地上区間の風景は実に寒々しく荒涼とした…,そんな印象を私は持っています。境目は1975年頃かなぁ。今では全く想像できない光景です。

※実は私はときどき「荒涼とした大きな川の河口部」あたりの夢を見ることがあります。考えてみると,そのモデルになっているのは,当時の東西線鉄橋から眺めていた荒川と中川を分ける堤防の末端部分かな,とも思ったりします。

でもあの頃,浦安には(旧)江戸川に架かった浦安橋を渡って都バスが乗り入れていたんですよね。たぶん,京成バスで総武線の本八幡に行くよりも(こちらのバス路線の方が開設は早かったはずだが),便利だったのではないか。
お隣りで,市川市に編入されてしまった南行徳には,今井橋を渡った対岸の 今井 までしか都バス,…というか,トロリーバスは来ていなかったから,やっぱり浦安はしっかり「都バスエリア」には入っていたと言えるかもしれません。
…いつの間にか,都バスは廃止されてしまいましたけど。
[67633] 2008年 12月 19日(金)00:31:18作々 さん
南風~姶良西部~
お疲れ様でございます。

今日の南日本新聞に姶良西部に関する記事が載ってました。
内容は、姶良、加治木、蒲生の自治会連絡協議会が3町長と各町議会議長に対して法定協設置を求める要望書と陳情書を提出したと言うもの。
この記事の中で、姶良町町長が議会で法定協設置の意思表明をしたこととなどが書かれています。
さて、どうなるのでしょうか?
[67632] 2008年 12月 18日(木)23:36:52白桃 さん
ウラびれた安っぽい町
[67627]Issie さん
もともと「浦安」という言葉は一般名詞に近い“瑞祥地名”ですからね。
「浦安」という名前は、漁浦の安泰を願って付せられたと浦安に住んでから知りましたが、横浜のたまプラーザ美しが丘に居たころ、開通したばかりの東西線で初めてこの町に降りたときは、正直、タイトルに書いたような印象を受けました。庶民的ではありますが、三本松ほどの品格?は感じられませんでした。まさか、この町に住むことになろうなんて・・・。
今では、外国人にとって千葉県ではナリタに次いで有名なシティかもしれません。チバよりは名が知れていると思います。最近は、宿帳にも堂々と「浦安市」と書けるようになりました。オフ会の前泊は青森県大鰐町の旅籠?でしたが、「千葉県」を書かなくても、浦安市がどこにあるのかわかってくれました。(ただし、浦安市が千葉県にあると、十分に認識されているかどうかは疑問です。)
その「酒」の件ですが、「べか舟のふる里の酒」とサブタイトルが付いておりましたので、てっきり浦安で作られた酒だと思ってしまいました。

ついで:「産地偽造」はオカシイですね。ご指摘いただいたように「産地偽装」ですね。
ついでパート2:同じ千葉県でも酒々井町や酔街道市?のほうが白桃にはピッタリかもしれません。
[67631] 2008年 12月 18日(木)22:59:09はやいち@大内裏 さん
佐世保
[67474]拙稿続報
長崎県佐々町は12/1、佐世保市との法定協設置議案を否決しました。
一方の佐世保市議会は12/18、佐々町との法定協設置議案を可決しました。

埼玉県加須市・騎西町・北川辺町・大利根町合併協議会のサイトが開設されました。
[67630] 2008年 12月 18日(木)22:18:04YSK さん
交通由来地名?
こんばんは、本日は穏やかな陽気の当地でしたが、風が次第に出てきて、金曜日は寒くなりそうです。

最近、やっと去年9月、千葉市街地を歩いた記録を整理できたのですが、千葉市のプロフィールが書かれたサイトの多くが、中世の千葉氏の隆盛に係る千葉の町場としての成立を紹介した後、いきなり明治期の千葉県成立に伴う県庁設置に話が飛んで、以降急成長した、といった文脈で語られているように感じます。近世の千葉市街地はどのような変遷を経たのか気になっております。

そして、もうひとつ気になるのが、中央区本千葉町です。京成千葉中央駅東口一帯の住所地名なのですが、[27070]Issieさんなどのお話にもあるとおり、京成千葉中央駅はもともと国鉄本千葉駅のあったところのようですね。JR本千葉駅の現在地への移転が1958(昭和33)年2月とのことなので、この「本千葉町」がかつての本千葉駅と関連があるかどうかは微妙なところですが、実際はどうなのでしょうか、ちょっと気になります。

千葉市中心部はJR千葉駅前の賑わいとは対照的に空洞化が叫ばれて久しいようで、私の地域紹介もそのことを触れざるを得なかったのですが、「扇屋ジャスコ」の跡地に「きぼーる」なる施設ができたり、セントラルプラザ跡地が超高層マンションとなったり、ここ数年変化が起きているようです。今後も可能な限り注目していきたいエリアのひとつですね。
[67629] 2008年 12月 18日(木)22:03:57山野[揖斐の山] さん
鳩ヶ谷市
昨日、鳩ヶ谷市は川口市との早期合併決議を賛成多数で可決し、
申し入れの態勢が整ったとして来月にも同市へ合併協議会開始の申請を行う予定。
ただ、5月に市長選(川口市)がある事から協議会開始時期はこの選挙以降となる予定。
[67628] 2008年 12月 18日(木)21:31:23おがちゃん[日本人] さん
1年前のオフ会
こんばんは。日本人です。2学期も来週の月曜日で終わり、冬休みが始まります。もうそろそろ、インフルエンザなどに気をつけなければならない季節でしょうか。

またまた細かい指摘で恐縮なのですが、落書き帳オフ会記録の、1次会、2次会など表になっているところに、
日 時 : 2007年11月23日(日)
と、書いてあったのですが、これは、「2008年11月23日」の誤りではないでしょうか。

さらに、ここ最近、メンバー紹介文編集者なのに恥ずかしながら、某メンバーの名前をすっかり間違えていたことに気づきました。いままで、すみませんでした。もしかしたら、ほかのメンバーの名前にも勘違いがあるかもしれません。次回から気をつけたいと思いますのでご了承を。やはり、「ば」と「ぱ」の違いが見づらいなぁ。

ではでは。
[67627] 2008年 12月 18日(木)20:41:15Issie さん
海原なせる…
…で始まる唱歌「きげんぶし」の2番の歌詞。これに続くのは「浦安」…,かと思ったら「埴安(はにやす)」でした。

[67623] 白桃 さん
富津の酒「浦安」

もともと「浦安」という言葉は一般名詞に近い“瑞祥地名”ですからね。120年ほど前までの 猫実村 や 堀江村 のあたりには恐らく存在しなかった“新地名”ですから,許してあげましょう。もしかしたら,そのお酒が売り出された頃には,東葛飾郡に「浦安」という地名があったかもしれませんが。
海の近くではないマザー牧場で作っていたら,「産地偽装」かもしれませんけどね。

そういえば,昔々に放送されていたNHK人形劇の「新・八犬伝」には,なぜかないはずの「浦安」という地名が出てきたような,ないような…。記憶違いかしら。
“「悌」の字の兄弟”の実家の旅籠がある「行徳」は昔からの地名ですけれど。

昔,私は「浦安町民」になりかけたことがあったのでした(「市民」ではない)。
なお,冒頭の唱歌,正しい題名は「紀元節(きげんせつ)」なので,念のため。
[67626] 2008年 12月 18日(木)19:52:10じゃごたろ さん
にたどり
こんばんは、じゃごたろです。

オフ会に参加されなかった方にはもうしわけございません。
オフ会写真集の最初の写真の筆頭にある「金婚の祝い」。この名字の方と同じ地名が私の地元にありまして、その地名の読みは「にたどり」です。鹿角市でこのお祝いが行われているということは、何かしらの関係があるのじゃないかとも思い、なんとなん親近感が湧いたのでした。

ただ、それだけです。すみません。
[67625] 2008年 12月 18日(木)14:33:32【1】はやいち@大内裏 さん
富士川と南アルプス
山梨県増穂町・鰍沢町は12月25日から年明けの1月16日まで新町名を公募することになりました。

[67320][67405]揖斐の山さん
いつ実施されるかは不明だが住民投票が実施される予定だという。

来年1月18日に実施されます

[67198]興田小さん
鮭川村は法定協への不参加を表明しました。
[67624] 2008年 12月 18日(木)12:57:08ペーロケ さん
答え合わせ
[67619]EMMさん
なぁんだ、[67387]が正解だったんですね。[67388] のタイミングで追加ヒントを出されちゃ、間違っていると思い混乱。すっかり嵌められましたよ。小松原ラガーさんを見習って、初志貫徹で行かなきゃいけませんね。

ちなみに、二つに絞ったもう一つの市は、仙台市ではなく川越市という全くもってあさっての方向だったりします(苦笑)。3種の神社仏閣施設が揃い、当初の問題文に記載があったJR駅からの市街地の位置関係も合ってそう。調べたら大豆を使った醤油が有名のようだ。関東から東北にアクセスするのも意外性があり、EMMさんなら十分あり得る行程だろうと。「隣県」の東京発大館行き(湯瀬温泉経由)の高速バスとかあるかもしれないし。。。
[67623] 2008年 12月 18日(木)01:40:03白桃 さん
富津の酒「浦安」
今日、あぁもう昨日ですか。放課後、落書き帳では超有名人の方と少しばかり飲む予定にしていたのですが、仕事が片付きそうもなく「またの喜界に」ということで、結局23時まで仕事をしてしまいました。(でも、本当に飲む決意をしていたら、17時30分で仕事を片付けたと思いますが・・・)

例によって前置きが長くなりました。
で結局、浦安の自宅に帰ってから悔しいので、オムライスを肴に1合半ちょっと飲んでしまいました。問題なのはコノお酒。名前は「浦安」なんですが産したのは富津市。産地偽造とか表示上の問題はないのか!
でも美味しかったので、許してあげる。

[67621]EMM さん
私も石川の地酒の1升パックを提供させて頂いています。この酒、白桃さんが半分以上飲んでいたような気がします…
私は、♪一日2杯の酒を飲み~ 主義ですから、5合以上も飲む幡豆がありません。(^y^)~~
今晩だって「1合半ちょっと」だし。(本当はそれだけしか残ってなかった???)
[67622] 2008年 12月 18日(木)00:45:56EMM さん
オフ会&東北旅行レポート(3)アフターオフ会編
今度はオフ会翌日の24日から、から26日朝に金沢に帰り着くまでのレポをお送りします。

5.24日(月)
ホテル~(ホテルの送迎バス)~大日堂(大日霊貴神社)~(路線バス)~鹿角花輪駅前~(徒歩)~市街散策後、道の駅かづの~(徒歩)~鹿角花輪駅~(JR花輪線・快速八幡平)~盛岡駅(フェザン地下で昼食)~(路線バス)~岩手県護国神社・盛岡八幡宮~(路線バス)~盛岡駅~(高速バスアーバン号)~仙台市広瀬通・宮城交通高速バス乗り場~ドーミーイン仙台本館~(徒歩)~周辺のCDショップ等散策後、牛タン屋で夜食~ホテル
日程的には一番平和だったのかもしれません(爆)
3時過ぎに寝たというのに7時過ぎには目が覚めまして、朝風呂に入ったあとで朝食場へ。
朝食を食べながら、千本桜さんと「宮城と石川の書店の現状の比較」みたいな話をしていました。
朝食が終わると、参加された皆さんは目的地に向かう交通機関の時間に合わせてホテルの送迎バスで三々五々出発していきました。とは言っても主な便には複数の方が一緒に乗られていますが、鹿角花輪駅方面を希望したのは私1人のみ。同行者がいなかったことから、運転手さんにお願いして送迎バスの行き先を鹿角花輪駅から八幡平駅に変えてもらいました。と言うのは、大日堂に行きたかったのと、良い時間帯に八幡平駅から鹿角花輪駅に行くバスがあるのを確認できていたから。
この大日堂、今回の旅行で行った寺社の中で一番良いと感じました。どう良かったのかが文章で書けないのが残念。リンク先の写真を見て感じ取ってください…参拝後、バス時間まではちょっとあるが、かといって周りをうろつくほどの時間もなかったため、15分ほど八幡平駅前でボーッと待つことに。時々車や人の行き来はありましたが、静かすぎるぐらい静かでした。
次に行った道の駅かづのは、ネイガーグッズを買い足すために行きました(汗…今回の旅行の中では、この「ネイガー関連の行き先」の影響が結構でかかったと思います)。本当は鹿角でもう1か所行きたかった神社があったのですが、よく場所を調べずいたら実は思ったより山の中にあり、なおかつそっちの方に行くバス路線は廃止されていることが分かったので断念。で、11時半前に鹿角花輪駅前に舞い戻り、盛岡へ。最初は安さと早さから高速バスにしようとしてチケットまで買ったのですが、バスが来る3分前に払い戻してもらい花輪線の快速八幡平に乗車することに。だいぶ迷ったんですけど、バスだと来た道をただ戻ることになるし(細かいことを言えば安代から先は来た時は下道を通っているので単純に戻る訳ではなかったのだが)、花輪線の方が「今後乗るチャンスがより少なそう」と思われたので。花輪線ただ1本の快速でしかも3連休の最終日…と言うことで、お客さんは結構乗ってました。
盛岡はおみやげゲットだけでも良かったのですが、ちょっと時間に余裕があったので護国神社へ。ここは以前にも来たことがあるのですが、社務を盛岡八幡宮の社務所で合わせて執り行っていることを知らなかったためその際にご朱印をもらい損ねていたための再訪でした。あとは買い損ねたネイガーのCDが無いか駅前のアニメイト盛岡店をのぞいてから盛岡駅に戻り、おみやげ用の南部せんべいを買いに巖手屋へ。巖手屋盛岡フェザン店には「五種類の南部せんべいが20枚入って1100円」というお得なセットがあるので、盛岡に行った時は必ず買いにいくのです。で、店に着いたらお茶を飲んでいる熊虎さんとばったり。必ず誰かと会うことが分かっていた前日の花輪線を除くと、今回の行程で他の落書き帳メンバーの方と出くわしたのはこの1回のみでした。
その他の買い物も済ませて高速バスの乗り場に行ったら長蛇の列…着いたのが午後3時半頃でしたからさもありなん。しかも仙台行きの高速バスは盛岡バスセンターが始発なので、到着したバスにはすでにお客が乗っており、列の半分ちょっとが乗車したら満員になっちゃいました。こりゃ30分後のバスになるか、と思っていたらすぐに増発便が到着しました。こちらは席が半分ほどしか埋まらなかったので、すごく快適に過ごせました(^^;;。実際出発してから早々に寝ちゃいましたし。
仙台には6時過ぎに到着。[67380]スナフキんさんの書き込みにもあるようにこの日は南に向かうほど天気が悪くなっていったようで、仙台はバスから降りてしばらくしたら雨が降り出しました。ホテルはバス停のすぐ近くなので良かった、ってホテルにチェックインしてからまた出かけているので結局雨には当たっている訳ですが。CDショップ等を回ったのはしつこくネイガーCD探し。
そして夜食は牛タン定食だったのですが…拙稿[42986]にて
牛タン(商売敵ゆえに食べてません)
とか書いていた訳なんですけど、今回はホテルで割引券がもらえたのと、親父が仕事を引退したので商売敵でなくなった(長らく牛タンを食べる機会がなかった、とも言う)ので。久しぶりの牛タンはおいしかった…けど親父の店のも決して負けてなかったとも思ったのでありました。

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6.25日(火)~26日(水)
ホテル~(徒歩)~仙台駅前バスターミナル~(路線バス)~仙台城址、宮城県護国神社~(徒歩)~仙台大神宮~(徒歩・路線バス)~瑞鳳殿~(路線バス)~仙台東照宮~(JR仙山線・徒歩)~青葉神社~(路線バス)~陸奥国分寺跡~(徒歩・路線バス)~榴ヶ岡天満宮~(徒歩)~孝勝寺~仙台駅周辺で買い物~(路線バス)~ガンダムショットバーZION~(路線バス)~高速バス乗り場周辺で夜食・買い物後~(夜行高速バスエトアール号、途中北陸自動車道呉羽PAで休憩)~金沢駅前
計画段階では前日の昼には仙台入りして定義如来に行くか白石市に行って白石温麺を食べてくるか…等色々考えていたのですが、結局24日の日程は前述の通り。この日の朝に早起きできればどっちか行ってきたかもしれませんが、さすがに4泊目(車中泊も入れれば5泊目)ともなると疲れが出てきたのか、弘前の時のような早起きは無理でした。
この日は「仙台城址と瑞鳳殿は必ず行き、あとは時間を見ながらもう何か所か行く」と言うことで、10時にホテルを出ました。仙台城址と瑞鳳殿だけなら観光ループバスるーぷる仙台の1日乗車券でも良かったのですが、「その他の所」も考慮に入れて市バスの1日乗車券(仙台駅から250円区間のもの。なお、この券はるーぷるでは使用不可)を利用しました。ただ、経路的に仙台城址に先に行ったのは失敗だったかも。その後に瑞鳳殿と亀岡八幡宮(結局未訪)のどっちに向かうかしばらく迷ったのと相まって時間をロスし、昼食を取り損ねてしまったのでした。瑞鳳殿に先に行き、仙台城址にるーぷるでワープすればよかったと思った時には時すでに遅し。東照宮と青葉神社の間で仙山線を使ったのはさらにロスを重ねたくなかったから。
国分寺は「七重塔の跡があるから」と言うことで定義如来の代わりに行きました。その後榴ヶ岡天満宮で日没となったため寺社巡りは終わり…のつもりだったのですが、天満宮から仙台駅方面に向かおうとした矢先に夕闇の中に五重塔らしきシルエットが目に入りました。どこのお寺か探したら孝勝寺と言うお寺で、まだ門が開いていたので五重塔の下まで行っています。すでに真っ暗で縁起等書かれたものは見ることはできませんでした。(あとから調べたら、700年以上の歴史があるもののたびたび火災に見舞われており、現在の堂宇は最近再建された建物がほとんどだそうです。五重塔も平成14年にできたものとか)
ちなみに、仙台で回った寺社は市街地の外周を取り巻くように位置しており、仙台駅前を中心に市街を行ったり来たりする羽目になりました。もう少し効率的な移動経路もあったのかもしれませんが、バスの路線図がないとさすがに苦しい。京都市みたいに均一区間の前バス路線の経路が分かる路線図があったら良かったんですけどね。
孝勝寺に行った後はネイガーのCDを求めてさらにCDショップを回り、さらに仙台の〆としてガンダムショットバーZIONに一杯飲みに行っています。この店、メニューはガンダムのメカやキャラにちなんだ名前になっていたり、店中にガンダムのプラモやフィギュアが置いてあったり…と言うお店。[42308][42986]でも触れているお店です。今回も黒い三連星を撃墜してきました。あんまり撃墜すると自分が返り討ちに遭うので(汗)、バスに乗るのに支障がない量で切り上げて、高速バス乗り場へと向かいました。
高速バスの道中は来た時と違いきわめて平穏な天気で、何事もなく無事金沢へとたどり着いたのでありました。

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総括とクイズの解説の原稿はまだ書いてないので、日を改めて…
[67621] 2008年 12月 18日(木)00:26:13EMM さん
オフ会&東北旅行レポート(2)オフ会当日編
続いて中編として、オフ会当日の23日のレポートです。

4.23日(日)
ホテル~(徒歩)~大館駅~(路線バス、徒歩)~大館神明社~(徒歩、路線バス)~大館八幡神社~(徒歩)~大館八幡神社~(徒歩)~遍照院~(徒歩)~秋北バスターミナル~(路線バス、徒歩)~鷹巣神社~(徒歩)~鷹ノ巣駅~(JR奥羽線・普通)~大館駅(駅前の喫茶店で昼食)~(JR花輪線・普通)~湯瀬温泉駅~(徒歩)~湯瀬ホテル

前日と比べると行動はややマイルドです。
6時に起きようと思っていましたが、起きたら7時を過ぎていたためにこうなった…のが正直なところでした。
大館市内の寺社めぐりは予定通り。
鷹巣は、早起きできていれば大館能代空港まで行ってくるつもりでした(目的はネイガーグッズの確保…)が、寝坊したので鷹巣神社の参拝のみにしました。で、大館から鷹巣まで路線バスで行ったのですが…乗ったバスは合併前の旧大館市域では340円止まりだったので気楽に見ていたら、旧田代町に入って最初のバス停でいきなり100円も上がり、以降はちょこちょこ上がっていって、結局810円になりやがりました。このあたりから先はずっと私1人しか客がいなかったのですが、奥羽線に乗った場合の運賃と併せて考えると「バス、邪魔ねぇんか?」と思ってしまいました。
鷹巣神社は、着いたらちょうど七五三のお払いの真っ最中で、前日の黒石神社と同様少々待つ羽目に。大館に戻る電車には間に合いましたが、昼食も鷹巣で食べるつもりだったのが時間が無くてパス。大館で花輪線までの待ち合わせが40分ほど合ったので昼飯抜きにはなりませんでしたが。(駅の近所の喫茶店でカレーライスをかき込んだ)
大館駅では熊虎さん、敷守ほむらさん、MasAkaさんと遭遇。あと、我々が改札をくぐるより前にスナフキんさんも目的の電車(の隣の車両)に乗り込んでいたようです。さらに東大館駅で白桃さん、十和田南駅で88さんが乗り込んできて、湯瀬温泉駅には午後2時58分に総勢7名で降り立つこととなりました。
ホテルに着いたら本日の団体名の中に「落書帳オフ会御一行様」の字が。早速どなたかから「き」の送りがなが無い、とツッコミが入っていました。ロビーに入っていくとグリグリさんといっちゃんさんが受付をされていたので早速会費を払い、部屋割り。部屋割りは基本的に到着順+その間に幹事団が挟まる格好で、私はMasAkaさん、敷守ほむらさん、88さん、そしてグリグリさんと同部屋でした。
部屋に入ったらまずはお風呂に…は行かずにスナフキんさんの企画や、さらにグリグリさんの企画の写真撮影地当てクイズの話になっちゃいました。そのうちに撮影地当てにほぼ没頭状態となり、完全な当てずっぽう1件も含めて12枚全部の解を記入したら5時ちょっと前だったので急いでお風呂へ。湯瀬ホテルはお風呂が2か所にあるのですが、両方をはしごしてしまいました。風呂から上がってしばらく雑談していたら1次会の開始時間が近づいてきたので宴会場へ。
1次会の座席はくじ引きで決定。JOUTOUさんと小松原ラガーさんの間でした。
hmtさんの乾杯に続いてまずはスナフキんさんの逆認市度最高地点当てクイズ。実は部屋に入った時点で「1位大館、2位盛岡」で山を張っていました。ヒントを兼ねたスナフキんさんの質問で「1位は盛岡かも」と思ったのですが、初志貫徹した結果…見事外れ。まぁ、解答を変えていたとしても「1位盛岡、2位大館」にしていたでしょうから得失点差判定にしか引っかからなかったでしょうが。(2位がまさかあの市だとは…。あと、自宅から湯瀬までの行程で黒石市と五所川原市に行ったのは私だけだったというのも判明)
これでようやく「湯瀬に来るまでにどこで、何をしてきたか」が話せるようになり、どこここへ行ったと言う話を中心にしていたと思います…すいません、アルコールが入っていたためか何を話していたかうろ覚えです。
しばらくすると今度はグリグリさんの「写真の撮影地を当てるクイズ」。こっちではやってしまいまして、12問中11問正解で1位。結局今回も商品をせしめてしまいました(汗)。ちなみに、Tシャツと、副賞として千葉のお菓子を頂いています。なお、今回は私からも金沢のあずま園茶舗さんの加賀棒ほうじ茶を商品として提供させて頂きました。
なきらさんによる中締めのあとは2次会部屋に移動、なのですがちょっとインターバルが設けられました。
これは飲食物の準備と、1次会の最後にいっちゃんさんから寝部屋別対抗で「市名市ンギス間」なるものが出題されてそれを考える時間が設けられたから。
4人で考えて、13市見つかりました。いっちゃんさんに報告に行ったのは私たちの部屋が一番だったらしい…
で、2次会も全員参加で開始。これまた、アルコールが入っているのとあっち行きこっち行きしながら話をしていたのとで、どんな話をしていたのか記憶があやふやです。
2次会では各地のお酒も供されました。私も石川の地酒の1升パックを提供させて頂いています。この酒、白桃さんが半分以上飲んでいたような気がします…
あと、千本桜さんから「大河原銘菓」萩の月のご提供もありました。私、たくさん頂いたような気が(^^;;;
夜も更けて11時頃になるといつの間にか少しずつ人数が減っていき、12時頃に2次会は一応の散会。
で、私・敷守ほむらさん・MasAkaさんは寝部屋に戻り、しばらく「コンテンツ産業による地域興し」…平たく言えば超神ネイガーの話やらご当地アニメ・ゆるキャラの話やらをしていました(笑)。
やがてお二人は寝てしまったものの、私はなかなか寝付けなかったので2次会部屋に戻ったらちょうど十番勝負の話の最中で、その輪に交ざったらやがて地名コレクションの話隣、さらにまた十番勝負の話と進んでいったのは[67370]グリグリさんも書かれている通り。(話の内容の何割かは当事者が私)
このグリグリさんの書き込みの時点では2次会部屋にいたのは7人でしたが、これまた徐々に人数が減っていき、最終的に残ったのは私、88さん、そして白桃さんの3人。3時頃に白桃さんがお開き宣言をしてそのまま2次会部屋で布団ひっかぶって寝てしまったので、私と88さんも寝部屋に戻って寝ることとし、長い1日は終わったのでありました。
[67373]は寝部屋の布団の中で携帯から書き込んでいます)

アフターオフ会編に続きます。
[67620] 2008年 12月 17日(水)23:43:34【3】EMM さん
♪あ~さやけ~の~光の中に立つ影は…
[67618] いっちゃんさん

オープニングテーマ曲が上記の歌い出しで始まる特撮番組が「シ○バ○仮○」の裏番組だった、と言うのは特撮ファンとしてはすぐに思いつく話題でありまする。
(ちなみに本放送当時、私は1歳になるかならないか。当然リアルタイムでは見ておりません。「○ル○ー○面」は小学校の頃にやっていた再放送でちょろっと見ましたが、クイズの解答の特撮番組はビデオでしか見たこと無いなぁ。)

で、主力のQ1.ですが…オフ会旅行の私の初日の宿泊県でせうか?

※追記。
本州の反対側の端の県の可能性もあるようですが、そっちは隣県のフジ系列が見られた可能性のある場所が多いですし、北海道という土地柄からもやはり上で解答した県かいな、と思う次第で。

※追記その2。
「シ○バ○仮○」、クイズの解答の特撮番組ともに近年リメイクされていまして、リメイク版のHPをリンクして解答にしようか…とも考えたのですが、一方の公式サイトがすでに消滅していた(!)ため断念したのでありました。
[67619] 2008年 12月 17日(水)23:35:26【1】EMM さん
オフ会&東北旅行レポート(1)プレオフ会編
さて、11月の末からオフ会旅行のレポートの下書きを始めたのですが、4泊5日に渡る大旅行だったのとクイズの検証の意味合いから詳しく書きすぎたのとが相まって、とんでもない大長編になってしまいました。
ちょっとあんまりなんで圧縮しよう…と思って文章をさわろうとして見るもなんか良い感じにならず、モタモタしているうちに時間ばかりが過ぎていってしまいました。
さらに、今週から来週の仕事納めまで何やかやと忙しいと言うことが確定してしまいましたし、年末は例年恒例で東京行きの予定が入ってるし…と言うことで、年末まではまとまった時間がどこでとれるか分からない状態となってしまいました。
クイズという形で前振りをした以上あんまりずるずる引っ張るのも自分的にはイヤなんで、圧縮前の原稿をほぼそのまま投入してしまいます。
あまりに長いんでレポートは前日まで・当日・翌日以降…と3分割してます。
全体の総括や出題文の検証については別途まとめます…ホントにぺーロケさんとsuikoteiさんには怒られそう。

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1.準備段階
日程が決まった当初は、ほぼ湯瀬まで行って帰ってくるだけ見たいな感じで考えていました。
しかし、「前日の土曜日をどうしよう」「翌月曜日だけで金沢まで帰り着くのはせわしないかも」と考えているうちに連休に休みをくっつけようと言うことになり、結果的に金曜から水曜までお休みにすることができました。
で、休みの最後の日は予備日とする事にして、4泊5日で日程をたてたのですが、その際に念頭に置いたのが…

・経県値を少しでも上積みしたい
・行き帰りの交通費は少しでも安くしたい
・行った先ではあちこち寺社巡りしたい
・目的地が秋田県だから、超神ネイガーのグッズがほしい
・行程の一部をクイズとして出題したい
・上記を満たしつつ、スナフキんさんの企画(北東北3県逆認市度最高地点当てクイズ)にも対応したい

と、ちょっと欲張りすぎな内容。
これを満たすために路線バスの時刻や大館・鹿角周辺ででネイガーグッズがゲットできそうな所まで確認し、湯瀬に着くまでは(厳密には、湯瀬に行くための公共交通機関に乗るまでは)結構タイトな、湯瀬を出てからは宿泊地と金沢に帰るための便のみ決定しているゆるめの日程をたてました。
が、出発日が近づいてくるにつれて天気予報が良くない方向で出され、出発日当日は東北は雪、北陸も雨風雷と泣きたくなりそうな空模様。
無事を天に祈りつつ、金沢を出発したのが20日(木)の夜。
以降はその日の行き先と移動方法を通しで示し、その後にコメントを付けたいと思います。

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2.20日(木)~21日(金)
金沢駅前~(夜行高速バスエトアール号、途中山形自動車道古関PAで休憩)~仙台市広瀬通・宮城交通高速バス乗り場~(高速バスキャッスル号1号便、途中東北自動車道前沢SA・道の駅にしねで休憩)~弘前バスターミナル~(徒歩)~弘前プリンスホテル~(徒歩)~弘前駅~(路線バス)~弘前東照宮~(徒歩)~青森県護国神社~(徒歩・タクシー)~弘前八幡宮~(徒歩)~熊野奥照神社~(徒歩)~和徳稲荷神社~(徒歩)~三忠食堂本店~(徒歩)~ホテル~ライブハウス山唄~ホテル

東北旅行の最初の目的地は未宿泊である青森県とし、弘前市を宿泊地としました。
計画を考え始めた頃から湯瀬に行く前に弘前に行くつもりでしたが、悩んだのがどうやっていくか。
金沢から行く場合、一番単純なのは特急日本海に乗車すること。ただ悩みは「運賃が高い」。
東北新幹線を使うよりは安いのですが、寝台料金がやっぱり高いんですよ。
ほかに金沢から弘前まで行く手段として考えられたのが高速バスの乗り継ぎ。金沢~仙台便と仙台~弘前便を乗り継げば日本海よりも数千円(往復料金かどうかで額が変わります)安くなるし、やはり未宿泊である宮城県も組み込みやすくなる。
で、片道だけバスにするか、往復ともバスにするかだいぶ悩んだんですが、結局「金沢から弘前までは高速バスの乗り継ぎ、弘前~鹿角~仙台は何に乗るか決めず状況によってバスか電車か変える、仙台~金沢はバス」と言うことにしました。
が、出発日は石川から新潟までは雨風状態。
新潟県内の高速道路では50km制限のところもあったようで、無事バスを乗り継げるか心配でしたが、仙台にはちゃんと定時の6:20に到着しました。
で、7:15発のキャッスル号に乗り、定時の11:25に到着したらあっち行ってこっち行って…と考えていたら甘かった。
仙台は快晴で、宮城県内では所々霧がでていた程度で天気は良かったのですが、前沢SAあたりから雨が降り出し、やがてみぞれになり…なんと花巻ICから安代ICまで雪通行止!
(高速バスの休憩地に道の駅があるのはそのため)
下道に放り出されると紫波町付近から盛岡市内を抜けきるまで大渋滞、本来到着しているはずの11:25にはまだ滝沢村にいました。
結局弘前バスターミナルに到着したのは2時間40分遅れの午後2時過ぎ。本当なら「市内散策後、岩木山神社まで行ってくるつもり」でしたが、岩木山神社は泣く泣くあきらめました。
(雪のない時期を選んで、いつか再チャレンジしたい)
市内散策と翌日の移動のために津軽フリーパスを買ったのですが、岩木山神社をパスした結果この日は弘前駅から弘前東照宮への移動に使っただけ(100円分)でした。
その弘前東照宮は歴史ある神社ではあるものの、しばらく前から無人社になってしまったようで、境内も荒れ気味でがっくりしました。
護国神社から先は、フリーパスで乗れるバス路線から外れてしまうため徒歩で回るつもり…だったのですが、足許が悪いためつい途中でタクシーを利用してしまいました。
三忠食堂本店では津軽地方に古くから伝わる「津軽そば」を食べました。この津軽そばというのは小麦粉の代わりに大豆の粉をつなぎに使ったそばで、独特の食感でした。個人的にはそばよりもそばがきの方がおいしかったかも。それだけでは足らなかったので、焼干しで出しを取った津軽風のラーメンも食べてます。バスの遅れのせいで、昼食がろくにとれなかったので、昼夜兼用でした。
で、ホテルに帰って寝た…のではなく、さらに津軽三味線の演奏が聴ける店に行って一杯やってきました。津軽フリーパスのサイトでそう言った店の紹介があり、その中でホテルから一番近かった「ライブハウス山唄」に行ったのですが、いや良かったです。どう良かったかは書ききれない…と言うかやはり実際聞いてなんぼだと思います。もし弘前に行く機会があったら是非立ち寄ってみてください。ここはおすすめです。
弘前に着いてからは曇り時々雨と言った感じでしたが、山唄から出てきたら雨が雪に変わっていました。雪らしい雪に降られたのは盛岡付近と、弘前の夜から朝にかけてのみでした。

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3.22日(土)
ホテル~(徒歩)~弘前駅~(JR)~五所川原駅~(JR)~弘前駅~(弘南鉄道弘南線)~津軽尾上駅~(徒歩)~猿賀神社~(徒歩)~津軽尾上駅~(弘南鉄道弘南線)~黒石駅~(徒歩)~たいやき藻川屋~(徒歩)~黒石神社~(徒歩)~津軽黒石こみせ駅~(徒歩)~黒石神社~(徒歩)~黒石駅~(弘南鉄道弘南線)~弘前駅~(バス・徒歩)~津軽五重塔・最勝院~(タクシー)~長勝寺~(徒歩)~弘前天満宮~(徒歩・路線バス)~ホテル~(徒歩・路線バス)~中央弘前駅~(弘南鉄道大鰐線)~大鰐駅~(徒歩)~大鰐の大日様・大円寺~(路線バス)~道の駅いかりがせき~(徒歩)~碇ヶ関駅~(JR)~大館駅~(徒歩)~ビジネスホテルまる斎TSUTAYAゲオいとく大館ショッピングセンターイオンスーパーセンター大館店ヤマダ電機テックランド大館店を徒歩ではしご(この間夜食)~ホテル

なんかムチャクチャな日程です。
五所川原は、岩木山神社に行けなかった代わりに津軽フリーパスの元を取るため「だけ」に行ってきました。5時に起きて、6:38の鰺ヶ沢(一部五所川原止まり)行きに乗り、五所川原駅で降りて(津軽フリーパスでは五能線は五所川原までしか行けない)改札を出てトイレに行き、そのまま折り返しで弘前に戻るという…。行く時は雪でしたが、五所川原に着いた頃には止んでおり、以降大館に着くまで「時々雨がぱらつく」程度で行動しやすい天気でした。
弘前駅に戻ってきたら間髪入れずに弘南鉄道ホームへ直行。弘南鉄道弘南線がらみの日程は出発前から考えていたものです。ただ、猿賀神社まで徒歩で往復したら1時間かかり、津軽尾上駅に戻ってきたら黒石行きの電車が出て行ってしまいました。これで30分のロス。途中でトイレに寄らなければ…。ただ、猿賀神社では今回の旅行でただ一回おみくじを引いたのですが、これが大吉で、しかも「旅行 遠方に行き利益有」とありました。となれば、電車が行ってしまったのも「休憩時間をもらった」と考えればこれまた利益なのでありましょう…とポジティブにとらえてみるテスト(笑)。
でもこのロスは黒石市内でさらに響きました。黒石神社についたらちょうど新嘗祭のお参りが始まったところで、ご朱印をもらおうと思ったらお参りが終わるまで40分ほど無理、と言われてしまいました。そのため黒石神社には2度行く羽目に。30分早く付ければもう1か所ぐらいどこかに寄ってきたのですが…それでも弘前に戻ってからの日程には影響しなかったのが救いですが。
そして黒石と言えば焼きそば。藻川屋では普通の黒石焼きそばを、そしてこみち駅ではつゆ焼きそばを食べてきました。焼きそばは安くて食べ応えがあります。つゆ焼きそばはふしぎな味。どうしても両方食べたかったので最初から2つの店をはしごするつもりだったのですが、食った後の苦しかったこと。意外と量があるので2杯食べるのはさすがに無理があったようです。いや、間髪入れずに食べれば何とかなったか?
弘前にとって返してからは前日に組み込めなかった城の南の方をまわりました。特に最勝院の五重塔は十番勝負で縁があった(「江戸時代以前に建てられた五重塔がある市」というお題で、私が解答したのが弘前市)のでぜひ見ておきたかったのです。ついでに津軽家の歴代藩主(初代為信公を除く)の廟所がある長勝寺も行きましたが、こちらは本堂修理中&冬の個人拝観休止期間のため、手前の方をちょろっと除いてきた程度。ここもリベンジ対象…。この後もう少し弘前市内で時間を取ることもできたのですが、弘南鉄道大鰐線にも乗ってみたかったのと、津軽フリーパスの元を取る為に行けるところまで行こうと考えたことから、大鰐線→路線バスで碇ヶ関まで出ました。大鰐でお寺に参拝しているのは、乗り継ぎに時間があり、その間に参拝が可能だったから。
で、この日は大館で宿泊。これは翌日の移動の関係と、「大館の市街地でネイガーグッズが買える所」の情報が手に入ったから。(宿泊については、計画段階では金曜に五所川原・土曜に弘前とか、金曜に弘前・土曜に鷹巣とかの案もあった)大館でホテルに一度入った後あちこちうろついているのはそのためで、TSUTAYAでCDの一部(5種中の3種)・イオンでグッズ(だじゃく組合ホ品タオル)をゲットした…のだけど、いとくからイオンに行く間に雨が降ってきて靴がずぶぬれになり、足にマメができる羽目に。しかも、イオンで買ったグッズは結局鹿角でも買うことはできたので、それを考えればTSUTAYAだけにしておけば良かったのかもしれない…と言うのは結果論ですが…。ちなみに夜の大館散歩の道のりは概算で8.5km。日中の歩いた距離は概算で11.6kmだったので、20kmは歩いた勘定になるのか。4泊5日の中で最も歩いた日となりました…とはいえ雨さえしのげれば、マメを作らずに済んだのに…。

オフ会当日編に続きます。
[67618] 2008年 12月 17日(水)23:24:32【1】いっちゃん さん
ふと思い出したネタ
時流に乗っていないと言うか、空気読めていない話で恐縮ですが、浪人生活も半月以上経るとどうでもいいような(でもちょっとだけ地理っぽい)ことを思い出してしまうようで・・・。

函館に勤務していた時、ひょんなことから同世代の同僚と子供の頃見ていた特撮ヒーロー物の話で盛り上がったことがあります。40過ぎのおっさんがウルトラマンだの仮面ライダーだの酒の席でもないのに(ってことは勤務中に)・・・。
で、とあるヒーロー(昭和46~7年頃)の話になったところ、「それ、知らない」との耳を疑うような発言が。幼少期を関東で過ごしたワタクシや、30年以上前でもテレ東(いや、当時は東京12チャンネル)系を除くネットワークが視聴できた北海道出身者は「何故?」状態。

でも、そうなんですよ。彼の出身地は今でこそ民放3局体制ですが、当時は確か2局。で、今でもフジテレビ系列のテレビ局が無いんですよ。
同世代だから当然共有していると思っていた話が通じないんですね。ただ、TBS系列で同曜日同時刻に放映されていた(ただし視聴率ではフジ系列の方に惨敗した)ヒーロー物についてはとても詳しかったです。彼の県では「シ○バ○仮○」こそがやんちゃな男児の心を掴んでいたのですね。

Q1.「知らない」発言をしたおっさんの出身県は?
Q2.話題となったヒーロー物は?

って、何でクイズにしてるんだ・・・。
[67617] 2008年 12月 17日(水)22:56:38【3】EMM さん
猫コレクションセルフ追っかけ?情報提供+α
[67615] なると金時さん
私もさらに色々探しているうちに徳島県の「猫神さま」を見つけたのですが、私の見つけたのは徳島市の王子神社。(HP
こちらもどうやら同じ伝説が元で猫神さまと呼ばれているようです。
それぞれの神社の伝を読むに、お松大権現はお松の地元、王子神社はお松を刑に処した奉行の領地…と言うことではないかと思われました。

こういう「何らかの形で猫と縁があったことから猫神・猫寺と呼ばれている寺社」はあちこちにあり、それらをまとめた本もあるようです(こちら)。
ただ、「祭神が猫」でなおかつ「正式な名前に猫の字が入る」所となると限られるようですね。
そう言えば、上記の本には須崎の猫神社は出てません。網羅しきっている訳ではないようです。
高知県内にもまだ何か所か猫が祭神の神社があるようで、たとえばこちらのサイトによると土佐清水市に猫神神社があるそうです。
で、上記サイト中で紹介されている高知新聞の記事によると猫神神社の近くには猫神橋もあるとか。
記事の写真や文章から推定するにこの橋か?と考えていたら、高知県庁HP内の益野川水系河川整備計画と言うpdfファイルに猫神橋が図示されていました。推定大当たり。

さらに猫神というキーワードで色々探していたら、福島県郡山市逢瀬町河内に猫神という小字があることを発見。
この小字、Yahoo!地図/Mapionには出てきませんが、Its-mo Guideで場所が確認できます(こちら)。
MapFanによると、さらに東猫神・西猫神という小字もある模様。
(地図中には記載されていないが、住所一覧に出てくる)

星野彼方さん、以上の物件もよろしかったらご検討方よろしくお願いいたします。

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猫の神社があるのなら…と言うことで「名前に犬の字が入り、祭神も犬」の神社を探してみたら、秋田県大館市の老犬神社(他藩領内でとらえられた主のマタギを助けようとするものの一歩のところで及ばず、主を殺した者たちに祟りを為したとされるシロという名の老犬をまつった神社)、山形県高畠町の犬の宮(役人に化けて村人に年貢の代わりに子供を差し出させていた化け狸を退治した2匹の犬をまつった神社)、静岡県藤枝市の黒犬神社(城主の飼い犬に勝ってしまったため命を狙われ、自害して果てた後に怪現象を起こしたクロという犬の霊を鎮めるために作られた神社)、霊犬神社(毎年若い娘を人身御供として差し出させていた怪神を退治した霊犬悉平太郎(しっぺい太郎。疾風太郎、早太郎とも)をまつった神社)と4つばかり見つけました。
これも探せばまだありそう。
ちなみに、「犬」コレの方へは当面は自然地形名しか追加しないつもりなので、これらを収録するかどうかについては保留。

#犬の宮のすぐ近くには猫の宮もあるそうです。
ただ近くにあるだけではなく、犬の宮にまつわる伝説と猫の宮にまつわる伝説は話が繋がっていて、「2匹の犬に退治された化け狸が、約70年ほど後に今度は大蛇に化けて人々に仇なそうとしていたところを退治した庄屋の飼い猫」が猫の宮の祭神となっています。
(但し、大蛇を警戒する様子が尋常でなかったため先に猫が庄屋に斬り殺されており、切られた首が大蛇にかみついて退治した…と言うものすごい話だったりしますが)
[67616] 2008年 12月 17日(水)22:18:27Issie さん
2度あることは…
さて,[67607] で アルバトロス さん もご案内のように,相模原市では区名候補に対する市民意向調査が始まっていますが,今朝の毎日新聞には こんな記事 が…。
相模原市では今夏以来,津久井郡から編入した3町(津久井・相模湖・藤野)への市街化区域と市街化調整区域の「線引き」が問題となっていて,以前から“水源地域”として開発を抑制されている住民側と,政令市指定には線引きが必要とする市行政側との意見対立が続いています。線引きを行わないように求める住民からの請願を市議会が9月・12月の2定例会で続けて否決したこともあって住民の反発が強まったこともあって,当初は2010年4月に予定していた線引きの実施を1年先送りすることを市長が表明するまでに立ち至りました。
そして,市と総務省の事務担当者の打ち合わせの場で出てきたのが,総務省側の「線引きを1年先送りするのだったら,政令市移行も1年遅らせたら?」というお言葉。
毎日新聞の見立てでは,線引き云々は口実の1つであって,総務省の本音は相模原市を政令指定都市にしたくない,というところにあるらしい。

思い出して見れば,何度か触れている通り,「軍都」建設を目指してに大合併をしたのに,「どこにも市街地がないじゃないか」という内務省のクレームで“市”になることができず,「高座郡相模原町」として発足したのが1941年4月29日。
戦後,座間を手放して,それでもようやく市になれたのが1954年11月20日。大合併から実に13年半も経っていました。

1995年に「中核市」制度が発足しました。
当時,人口57万ほどの相模原市も中核市指定をめざしました。
ところが,当時の指定要件の1つに“面積100平方キロ以上”というものがありました。面積90平方キロ余りの当時の相模原市はこの要件を満たすことができず…(座間も相模原市だったらよかったのにね)。
2002年に人口50万以上の市についての面積要件が撤廃されて,2003年,やっと相模原市は中核市になることができました。…この要件緩和は相模原市のためにあったようなものですね。

そして,またも政令市移行に待ったがかかることになるのでしょうか。
すんなりとはいかないものです。
[67615] 2008年 12月 17日(水)21:16:14なると金時 さん
お久しぶりです
ずっと過去ログは読んでたんですが、なんか書くタイミングを見失っていました。
さて、[67612]EMMさん
徳島県では割と有名な「猫神さん」として、阿南市にお松大権現てのがあります。←凄いHPアドレスw
受験の神様らしいです。正月の参拝客も徳島で大麻さん、薬王寺に次いで3番目だったかな?
ただ、冷静に考えると、祭神はお松さんだから人間だよなあ。
[67614] 2008年 12月 17日(水)20:00:36はやいち@大内裏 さん
栃木
[67507]拙稿続報
また本日、栃木地区の1市3町でも法定協設置案の採決が行われ、懸案の藤岡町も含めいずれの議会でも可決されました。
[67613] 2008年 12月 17日(水)17:46:56山野[揖斐の山] さん
法定協設置
本日、開かれた定例会にて新宮・那智勝浦両市町は法定協設置議案を可決しました。
新宮市:賛成多数で可決。
那智勝浦町:賛成6、反対6と同数となり議長裁決の結果設置となリました。
以下今後の予定の引用文。
両市町は来年1月中旬、新宮市春日の新宮市役所内に合併協議会を設置し、
新市の名称や市役所の所在地、新しいまちづくりなどを協議する。8月までに合併調印をしたいという。
[67612] 2008年 12月 17日(水)12:55:31EMM さん
猫コレクション情報提供
>星野彼方さん

「猫」コレクションに「猫神社」が追加してあったので、同様の物件をご紹介します。
鹿児島県鹿児島市にある猫神神社です。
この神社、あるゲームのファンサイトで紹介されていた時に存在を知りました。
(その記事を見たのは4~5年くらい前だったと思いますが)
「猫神社」も「猫神神社」も、ネット検索してみると引っかかってくるサイトの中に「猫が祭神の神社は全国で唯一かも?」と書いたところがあるんですよね。
双方とも知名度は低いようです、と言うかこういう神社があることがわかるのもネット社会ならではなのかも?

#今週は飛び込みの仕事がいくつか入ってきて思った以上に忙しくなってしまいました。
長くなりすぎてしまったオフ会レポートの原稿、圧縮している時間がとれなさそう…そのまま投入するかも。
[67611] 2008年 12月 16日(火)23:26:59futsunoおじ さん
長岡市が川口町と合併協議へ
新潟県川口町と長岡市が、合併協議を始める様子です。川口町は新潟県中越地震復興のための財政悪化で合併の方向に転換しましたが、その財政悪化を理由にこれまでは合併協議を拒否されていました。 (記事)

ついでに少し古いニュースですが、来年のNHK大河ドラマ「天地人」の新潟県内に及ぼす経済効果は204億円という 
日銀新潟の試算が出てます。
[67610] 2008年 12月 16日(火)15:22:02はやいち@大内裏 さん
議会
[67435]
12/15、宮城県議会が閉会し気仙沼市・本吉町の廃置分合議案が可決されました。
[67609] 2008年 12月 15日(月)23:52:35作々 さん
明治初期の鹿児島について
[67604] むっくん さん
すみません。ちょっと誤解を与える書き方をしたかもしれません。
以下、角川地名大辞典の鹿児島郡を引用します。
明治4年鹿児島県に所属。同5年2月諸郷に郡制がしかれると吉田郷は加治木郡治所の直轄化となり、近在は旧鹿児島城下(府下・庁下)とともに県庁直轄となる。同6年8月当郡域は県庁の管轄下となり、のち大区小区制を経て、同12年2月郡区町村制法の施行に伴い府下も当郡のうちとなり、囲碁鹿児島郡役所の管轄となる。

ここで、近在とは、城下町周辺の農村部のことで、荒田、郡元、田上、武、西田、原良、小野、下伊敷、坂元、犬迫、上伊敷、吉野、川上、西別府、小山田などがそれに当たります。

鹿児島府下とは、具体的には、
・上町に区分される小川町、和泉屋町、恵美須町、車町、栄町、柳町、浜町、向江町、
・府下下町に区分される山下町、易居町、生産町、六日町、築町、汐見町、泉町、金生町、中町、呉服町、大黒町、堀江町、住吉町、船津町、新町、松原通町
があたります。
これらのほとんどが江戸期には成立していたもので、明治に入ってからできたのは、埋立地である易居町、生産町と郡区町村制法の施行に伴ってできた山下町(上級武士の居住区域)くらいかと思います。

上記鹿児島府下の部分と平之馬場町、新照院町、山之口馬場町、東千石馬場町、西千石馬場町、加治屋町、新屋敷町、樋之口馬場町、上竜尾町、下竜尾町、長田町、冷水通町、春日小路町、清水馬場町、稲荷馬場町、池之上町、鼓川町、薬師馬場町、鷹師馬場町、西田町、下荒田町、上之園通町、高麗町、塩屋村、西田村、荒田村の47町3村で明治22年に鹿児島市が形成されることになります。
[67608] 2008年 12月 15日(月)20:25:02【1】hmt さん
昔の地図に見る「相模原」の文字
[67141] Issie さん
もともと,現在「星が丘」と呼ばれている辺りには,合併前の 上溝町 が「相模原」という字を編成していました(正確な位置は失念)。
[67592] Issie さん
で,これでようやく確認できた「字相模原」の位置。
この字は,淵野辺・大沼・当麻(たいま)・下九沢の各大字にあり,元は 上溝 にもありました。(中略)現在の市役所周辺,つまり現相模原市のCBD(中枢業務地区)の旧名であったわけです。

以前に陸軍機甲整備学校門前[66001]の「弥栄」(やえい)という地名を話題にしたことがあります[66006]
「星が丘」も、「星と錨」(陸海軍のシンボル)の一方に因んでおり、陸軍住宅地であった歴史を伝える由緒ある地名のようですが、現在の町名である 星が丘・光が丘・緑が丘 を並べてみると、戦後風のイメージ先行地名になってしまいます。

それはさておき 手元にあった昭和24年(1949)発行の1/25000地形図「上溝」。
これは行政区画資料修正により、戦時合併[37842]で生まれた 相模原町 の名前だけは辛うじて載っているのですが、1931年開業の相模線でさえ入っていないという、地物に関しては大正10年(1921)測図当時の状態を残しているシロモノです。
これを見たら、上溝市街地の北東約1.6km付近に「相模原」の文字がありました。現在の星が丘と相模原市役所との間の位置で、旧・上溝町にあった字「相模原」と位置が合っているようにも思われます。

しかし、北側は樹林、南側は桑畑となっており、集落どころか建物は一つも見えません(1921年当時)。
字(あざ)にしては文字もやや大きく、これは自然地名(地形)の「相模原」かもしれません。
なお、「相模原町」の文字は、上記「相模原」の2km余り西に、同じくらいのサイズで記されています。

次に、1/50000地形図「八王子」における「相模原」の文字を調べます。
最も古い版である明治39年測図、明治43年発行の地形図では、淵野辺新田など相模野の東側には、江戸時代に開かれていた開拓地に広大な桑畑が広がり、その中を横浜鉄道が一直線に貫いています(明治41年開通)。
その西、台地中央部は殆んどが樹林のマークですが、その中に多数の道が描かれています。軍隊が通行可能であることは、地形図が示すべき重要な情報なのでした。「相模原」の文字はありません。

昭和5年鉄道(小田急)補入の版になると、「相模原」の文字が見えます。おそらく大正10年、1/25000地形図のための測量結果を利用した修正の際に入ったものでしょう。これが記されている位置は当時の麻溝村で、1/25000地形図よりも約4km南東。場所が少し違っても、桑畑や樹林などの植生、建物のないことなど共通しており、やはり「原」地形の名であると思われます。

これは相模原町誕生よりもずっと前ですが、この「相模原」という自然地名が入った地形図は、昭和28年応急修正版でも殆んどそのまま引き継がれています。
そして、消滅を確認したのは、台地上の開発が進み、1/50000地形図も編集図になった後の昭和45年修正版でした。

結論: 1/25000地形図における「相模原」という自然地名は、1921年測量から1966年改測までの45年間に使われ、1/50000においてもこれに準じるものと推測します。
なお、明治21年(1888)の輯製20万分1図には既に「相模原」の文字があります。その場所は麻溝よりも更に南で、現在の相模原市と大和市・座間市との境界付近でした。

「原」コレクション では
(3)現状で地形図で見て少なくとも「原」の面影を残している。
という条件を原則として満たしているものを(現役の)「原」としているのですが、約40年前に地形図からも消えた「相模原」は、果たして「原」の面影を残しているのでしょうか?

最後に、江戸時代の絵図の中の「相模原」。
相模原市制50周年記念展の図録[34701]を見ると、元禄の入会絵図(図録No.23)のような古い絵図では、「相模野」と呼ばれていても「相模原」ではありません。

それでも年代不詳ながら江戸時代の絵図に「相模原」という文字がありました(図録No.68)。
もちろん字(あざ)相模原ではありません。相模野の北半分を「橋本作ノ口上溝下溝九沢入会」という肩書きのある「相模原」が占め、南半分はこれと別に細分された区画が示されています。

相模野には、この絵図のタイトルにあるように、鶴間原・亀井原という呼び名もあったようです。
[67607] 2008年 12月 15日(月)17:23:39【2】アルバトロス さん
市民意向調査
今日(12月15日)から、相模原市の区名候補について「市民意向調査」が始まりました。相模原市
概略は[67438][67555] でIssie さん が書き込まれているとうりですが、今回は、
応募できる人:相模原市に在住、在勤、在学の方
となっていますので、
よその住民のみなさん,ごめんなさい。

12月15日の広報は、政令指定都市移行に向けて「区名の意向調査にご協力を」と応募を呼びかけ、いつもと違って応募専用はがき付きで発行しているため紙質を変えて(厚紙)いました。

ちなみに、区名候補は五十音順で
A区:北区(きたく)、けやき区、西区(にしく)、緑区(みどりく)、みどり区
B区:桜区(さくらく)、さくら区、中央区(ちゅうおうく)、中区(なかく)、ひばり区
C区: あじさい区、東区(ひがしく)、光区(ひかりく)、ひばり区、南区(みなみく) です。

市民ですのでさっそく応募しましたが、各区5つの候補から選ぶのですが、A区、B区はすぐ決ったのですが、C区については、ピンとくるのがなく、迷ってしまいました。わたしの選んだ候補区は ”ヒミツ”にしておきます。

正式な区名については、市民意向調査の結果を踏まえ、行政区画等審議会の審議・答申を経て、来年3月までに決定する予定だそうです。どんな区名が決るか楽しみです。

##訂正2 リンク先広報さがみはらから相模原市に変更しました。
[67606] 2008年 12月 15日(月)12:56:24EMM さん
Re:[67605]
[67605] みのるさん
EMMさんが参照されたwikipediaの記述は少々説明不足でして、富山県在住者に限るという条件がなくなったのは1998年のこと。ただし、この年オープンした立山カルデラ砂防博物館の見学歴があることが新たな条件となりました。具体的には博物館の入館券に応募券がついており、これを所定の応募ハガキに貼る必要がありました。つまり応募のためには最低一度は立山へ行かなくてはならなかったわけで、依然としてハードルが高いものでした。
なるほど、本当は段階を踏んで条件緩和されていったのに、wikipediaでは最終的な年度のみ書いてある…と言うことですね。
[67574]を書くときはwikipediaだけでは心許なかったので時間が無いなりに他のサイトを探して付き合わせをしたのですが、[67593]ではその作業をはしょってしまいました。
今から書き換えるのもよろしくないんで、追記で注釈をつけておきます。

関電の見学ルートも併せて、機会を見て応募してみよう…
[67605] 2008年 12月 15日(月)07:43:29みのる さん
立山砂防軌道への長い道のり
このところスイッチバックに関する話題が続いているようですが、EMMさんの[67593]に反応して立山砂防軌道についてつらつら書かせていただこうと思います。

まずは一般人が砂防軌道に乗ることができる唯一のチャンスである「立山カルデラ砂防体験学習会」ですが、毎年夏季に30回程度が実施されています。EMMさんが参照されたwikipediaの記述は少々説明不足でして、富山県在住者に限るという条件がなくなったのは1998年のこと。ただし、この年オープンした立山カルデラ砂防博物館の見学歴があることが新たな条件となりました。具体的には博物館の入館券に応募券がついており、これを所定の応募ハガキに貼る必要がありました。つまり応募のためには最低一度は立山へ行かなくてはならなかったわけで、依然としてハードルが高いものでした。
私などは一時、本気で富山県に移住しようかと考えたほどこの軌道に乗りたいと熱望していたのですが、博物館オープンを記念して「訓練軌道」に乗れるというイベントが実施されると聞き及んで開館初日に行ってきました。訓練軌道は延長800mほどと短いものですが、使用される車両は「本線」と全く同じものであり、途中には2段のスイッチバックも設けられているので砂防軌道の雰囲気を手軽に味わうことができました。
とはいえ、これで満足できるわけもなく、むしろますます本線に乗りたいという欲求が強くなりました。応募券も入手できたのでさっそく翌年の体験学習会に応募したものの、高倍率の前にあえなく落選という結果に終わったのでした。

それから数年、ついに博物館見学歴という条件も撤廃されました。正確な年次がわかりませんが、2003年あたりだったかと思います。応募方法もハガキのほかにネット経由が可能になり、1シーズンに何回でも応募できるなど、それまでより格段にハードルが低くなりました。
私が応募したのは2006年。博物館のwebサイトにある応募用ページには前年の開催日ごとの倍率が載っており、それによると7月の実施分が最も低倍率で2.5倍程度、お盆休みや紅葉シーズンと重なる8月中旬や10月中旬の実施分が4~5倍という数値です。そこで7月実施の2回分に応募したところあっさりと第2希望に当選。ついに砂防軌道に乗るチャンスを得たのです!
……が、この見学会は「雨天中止」なのです。ただでさえ土砂が崩落しやすいエリアだけに、ちょっとした雨でも安全最優先で中止の決定が下されます。聞くところによると前日午前発表の天気予報で降水確率が60%以上だと中止で、年間の実施率は66%前後。せっかく当選しても3分の1という高確率で中止の可能性があり、中止になっても代替日などの救済措置はありませんからまた応募からやり直しです。
かくして、喜び勇んで在住地の千葉県から前日に富山入りしたというのに、なんとそこで中止が決定。失意のうちに帰途についたのでした。

翌2007年、今度は比較的倍率が低く、かつ梅雨明け後の8月上旬に狙いを絞って応募したところ運良く当選! やっとのことで十数年来の夢をかなえ、実施当日を迎えたのでした。

体験学習会1回あたりの参加人員は40人で、現地では2班に分かれて行動します。1班は「往路バス・復路軌道」、2班はその逆となっており、これは応募の際に選択可能です。私は希望を出さずにいたら1班に組み入れられました。
まずは博物館で砂防に関する簡単なレクチャーを受けたのち、マイクロバスで有峰林道を経由して、通常は立ち入りを禁じられているエリアに突入。六九谷展望台、湯川砂防堰堤、立山温泉跡地(ここでお弁当)、泥鰌池、白岩下流展望台などをめぐります。
これらのダイナミックな山岳風景はまさしく絶景と呼ぶにふさわしく、一見の価値があります。明治以来いまだに砂防工事が進行しており、しかもいつ終わるとも知れないことは予備知識として知ってはいても、その途方もない規模の大きさを目の当たりにするとしばし言葉を失います。そもそもこの体験学習会は軌道に乗るのがメインではなく、砂防工事への理解を深めるのが第一義なわけですが、眼前に広がる迫力ある光景を前にすると、たとえここで軌道に乗れないまま引き返すことになったとしても悔いはないな~とさえ思えるほどでした。

さて、水谷連絡所からはお待ちかねの砂防軌道です。わずか18kmの道のりですが多数のスイッチバックがあり、所要1時間45分と乗りごたえはバッチリ。ボランティアガイドさんが解説してくれるほか、見どころでの一時停止もあります。編成はディーゼル機関車+6人乗りの客車3両という陣容。乗ってみると意外にスピードが速いのですが、それより驚かされるのがスイッチバックの切り返しの素早さです。行き止まりに突っ込んだかと思ったら一瞬だけ停止してすぐにバック。次の行き止まりに突っ込んだらまた一瞬だけ停止してすぐに前進。なんだか鉄道模型を操作しているような感覚で前進後進を繰り返します。有名な樺平の18段スイッチバックでは眼下にジグザグのレールを見下ろしますが、木々が生い茂っているのと列車のスピードが速いのとで撮影はなかなか困難です。
千寿ケ原に到着したところで体験学習会は終了です。

ということで、だらだら長文をしたためてしまい恐縮ですが、鉄道好きのみならず地理好きな皆さんにぜひとも体験学習会への参加をお勧めします。砂防軌道にこだわらなければバスだけのコースもあり、こちらは先着順ですから難なく参加できます。

なお、このエリアでは関西電力の見学ルートも人気があります。黒部ダムを出発して、トンネルバス→インクライン→黒部川第四発電所→上部軌道を経由して黒部峡谷鉄道の欅平に至るコース(逆もあり)です。
私は2005年に参加しましたがこちらも倍率は3倍前後。見学会開始当初は30~40倍というすさまじい状況だったことを考えると難易度は高くありません。参加される際には事前に吉村昭の「高熱隧道」を一読しておくとより深い感動を得られることと思います。
[67604] 2008年 12月 15日(月)02:59:41【3】むっくん さん
府下
[67599]作々さん
鹿児島県庁直轄の府下(もしくは庁下)と称された部分
かなり気になる表現です。
江戸時代には、農村部は村に、城下町の町人や武士が住んでいたところは町に、それぞれ所属していました。ただ、城下町の大きな寺や役所のあったところの多く、そしてお城そのものはどこの町村にも属していなかったはずです。
そしてこの「どこの町村にも属していない」という区域は全国の主要な都市にはあったものです。

しかし明治8年頃には、ほとんどの「どこの町村にも属していない」区域には「○△町」という町名がつき、遅くても郡区町村編成法施行時には基本的には姿を消したはずなのですが。

「鹿児島県庁直轄の府下」ということは、(おそらく江戸時代より)旧・城内に士族が住む「どこの町村にも属していない」区域があって、郡区町村編成法施行以降も「○△町」という町名がついていない区域が鹿児島にあったということなのでしょうか。
[67603] 2008年 12月 15日(月)00:04:48むっくん さん
鹿児島の町村名
[67589]YTさん
本日図書館にて別の調べ物をするついでに、鹿児島関連の文献にあたってきましたのでその紹介をします。謎解きは鹿児島に詳しい方におまかせすることにします。

まずは鹿児島郷を構成していた町村を諸文献で比較してみました。
●鹿児島県管下各区並村名等取調(明治7年の鹿児島県の内務省宛提出文書)
鹿児島県治一覧概表(明治11年1月1日、鹿児島県調)
郡区町村一覧(明治12年12月、内務省地理局調)
●鹿児島県下町村名簿(明治15年10月3日付けの鹿児島県の内務省宛提出文書)
地方行政区画便覧(明治19年1月、内務省地理局調)・・・市制町村制施行時の根拠の(鹿児島県)県令第26号(M22.3.5付け)によると、市制町村制施行直前でも同一町村名が並んでいます。

鹿児島県管下鹿児島県治一覧概表郡区町村一覧鹿児島県下町村名簿地方行政区画便覧県令第26号
各区並村名等取調
M7M11.1.1M12.12.M15.10.3M19.1.M22.4.1
××山下町山下町山下町鹿児島市
××平馬場町平之馬場町平之馬場町
××新照院通町新照院通町新照院通町
××山ノ口馬場町山之口馬場町山之口馬場町
××加治屋町加治屋町加治屋町
××東千石馬場町東千石馬場町東千石馬場町
××西千石馬場町西千石馬場町西千石馬場町
××新屋敷通町新屋敷通町新屋敷通町
××樋ノ口通町樋之口通町樋之口通町
塩屋村塩屋村塩屋村塩屋村塩屋村
××上龍尾町上龍尾町上龍尾町
××下龍尾町下龍尾町下龍尾町
××長田町長田町長田町
××冷水通町冷水通町冷水通町
××春日小路町春日小路町春日小路町
××清水馬場町清水馬場町清水馬場町
××稲荷馬場町稲荷馬場町稲荷馬場町
××池上町池之上町池之上町
××鼓川町鼓川町鼓川町
車町車町車町車町車町
恵美須町恵美須町恵美須町恵美須町恵美須町
×小川町小川町小川町小川町
和泉屋町和泉屋町和泉屋町和泉屋町和泉屋町
濱町濱町濱町濱町濱町
向江町向江町向江町向江町向江町
栄町栄町栄町栄町栄町
柳ノ町柳町柳町柳町柳町
(南)新町新町新町新町新町
××松原通町松原通町松原通町
(北)船津町船津町船津町船津町船津町
(南)船津町
(北)呉服町呉服町呉服町呉服町呉服町
(南)呉服町
(西)大黒町大黒町大黒町大黒町大黒町
(北)大黒町
(南)大黒町
(北)堀江町堀江町堀江町堀江町堀江町
(南)堀江町
(北)住吉町住吉町住吉町住吉町住吉町
(南)住吉町
六日町六日町六日町六日町六日町
中町中町中町中町中町
中町
(西)金生町金生町金生町金生町金生町
(北)金生町
(北)潮見町潮見町汐見町潮見町汐見町
(南)潮見町
(南)泉町泉町泉町泉町泉町
(北)泉町
(西)築町築町築町築町築町
(東)築町
生産町生産町生産町生産町生産町
易居町易居町易居町易居町易居町
××鷹師馬場町鷹師馬場町鷹師馬場町
××薬師馬場町薬師馬場町薬師馬場町
東之町東ノ町西田町西田町西田町
(東)中之町中ノ町
(西)中之町
西之町西ノ町
××上園通町上之園通町上之園通町
××高麗町高麗町高麗町
西田村西田村西田村西田村西田村
荒田村荒田村荒田村荒田村荒田村
下荒田町(*1)下荒田町下荒田町
(西)納屋町××××
(東)納屋町××××
(西)今町××××
(東)今町××××
小山田村小山田村小山田村小山田村小山田村伊敷村
犬迫村犬迫村犬迫村犬迫村犬迫村
小野村小野村小野村小野村小野村
永吉村永吉村永吉村永吉村永吉村
上伊敷村上伊敷村上伊敷村上伊敷村上伊敷村
下伊敷村下伊敷村下伊敷村下伊敷村下伊敷村
比志島村比志島村比志島村比志島村比志島村
皆房村(*2)
吉野村吉野村吉野村吉野村吉野村吉野村
坂元村坂元村坂元村坂元村坂元村
下田村(*3)下田村下田村
川上村川上村川上村川上村川上村
岡之原村岡之原村岡之原村岡之原村岡之原村
武村武村武村武村武村西武田村
田上村田上村田上村田上村田上村
西別府村西別府村西別府村西之別府村西ノ別府村
中村中村中村中村中村中郡宇村
郡元村郡元村郡元村郡元村郡元村
宇宿村宇宿村宇宿村宇宿村宇宿村
(*1):荒田村より分立
(*2):比志島村より分村
(*3):坂元村より分村
(注):例えば(南)堀江町と記載しているところ(南)とは、堀江町よりも一回り小さな文字で「南」と書いてあるという意味です。×は存在していないということを意味しています。


次に鹿児島県市町村変遷史(著:鹿児島県総務部参事室、出版:鹿児島県、1967)の51~52頁に、YTさんがなされたのと全く同じ文献(明治四年の「薩隅日地理纂考」と明治十二年出版の「鹿児島県治一覧表」)での比較がなされていました。以下に当該箇所を引用します。
 明治四年の「薩隅日地理纂考」と明治十二年「鹿児島県治一覧表」を対比すると、その間に次のような町村の移動がみられるが、その多くは、合併、分村、新設、一部合併、または名称変更に基づくものであるが、その理由及び正確な日付に至っては史料が見当たらない。
 ただここで留意すべきことは、明治十二年「県治一覧表」には多くの「町」が設けられているが、当時は、人口が集中して街を形成した地域をもって町と呼称したものと推察される。
 「薩隅日地理纂考」と「鹿児島県治一覧表」とによる町村の異動
一、鹿児島県鹿児島
 明治四年の前掲「地理纂考」の町村一覧表二二ヶ村に対して、明治十二年の「県治一覧表」ではあらたに次の町村が加えられているから、ここに大規模な廃置分合が行われていると見るべきである。
 すなわち新たに設置せられた町村名を掲げると次のとおりである。
(1)草牟田村と原良村が、明治十二年の調べでは消えているが、前述のとおり、これは両村が下伊敷村と、永吉村にそれぞれ合併せられたことによるものである。
(2)次に新しく次の町が生まれているが、これは従来の地区を整理統合または分割して市街地を形成した地区を町としたものである。
 時期は詳かではないが、郡区町村編成法制定の時と推定せられる。
新しく生まれた町
東ノ町、中ノ町、西ノ町、六日町、中町、金生町、大黒町、築町、堀江町、泉町、潮見町、生産町、易居町、呉服町、船津町、住吉町、新町、恵美須町、栄町、車町、柳町、和泉屋町、浜町、向江町、小川町
これに関しては、郡区町村編成法制定の時ではなく、明治7年の時点で既に存在していた町もあることが上記の表より分かります。なお、鹿児島県に郡区町村編成法が施行されたのは明治12年2月17日であったようです。


最後に一つ。薩隅日地理纂考での
「坂元村吉」
との表記ですが、これは「坂元村、吉野村」とするところを誤って「坂元村吉、野村」にしてしまっただけではないかと推測します。鹿児島郡に野村などという村はないようですし。。。

-------------
>88さん
市制町村制変遷情報・鹿児島県の
1 1889.04.01 新設/市制 鹿児島市 鹿児島郡 山下町, (略), 上龍尾村, 下龍尾村, (略), 荒田村
を、
1 1889.04.01 新設/市制 鹿児島市 鹿児島郡 山下町, (略), 上龍尾「町」, 下龍尾「町」, (略), 荒田村
へと、修正をお願いします。
[67602] 2008年 12月 14日(日)23:01:48ペーロケ さん
スイッチバックと、人気スノーエリア
[67582]小松原ラガーさん
なんと西日本最大規模のターミナルである阪急梅田駅で「よっこらせっ!」と折り返してスイッチバックとなっています。
[67588]N-Hさん
ただ、私としては、上記の例はいずれもスイッチバックとは認めたくないなあ。
う~ん、実に悩ましいスイッチバックですね。梅田折り返しをスイッチバックと認めたくない気持ちも理解できますが、これを認めないとなると、北斗星などの函館駅折り返し運転は「スイッチバック」として認められなくなりますね。五稜郭で合流し函館で折り返し、また五稜郭に戻って別の方面へ行く、十三で合流して梅田で折り返すという形は同じなんで。。。

 余談ですが、近畿地方交通審議会答申第8号に基づく高速鉄道網整備の状況によると、
阪急今津線と宝塚線で相互直通列車の運転を図る。
という、宝塚駅スイッチバック化構想があるようです。

[67576]geoさん
広島圏・福岡圏は広島県芸北エリアなどが主な人気スノーエリアでしょうか。
[67591]日本人さん
距離的にも、雪の量的にも。
 いやあ、どうでしょう。[67534]で「広島は雪国」と紹介したものの、最近は雪不足で泣かされています。昨年は適度に降雪があったので何とかなりましたが、一昨年は記録的な暖冬であり、雪不足のためにシーズンを通して営業ができなかったスキー場もあります。雪の量はそこそこ降るんですけど、雪が降ったとしても、信州などに比べると気温が高いのですぐに融けてしまうんですよ。人工雪を使う所も多く、雪が重いのなんの。ボーダーとしては「距離」や「量」だけでなく、「雪質」も重要な要素なんですね。ということで、広島のボーダーも、欲を言えば信州や北海道に行きたいけど、時間やフトコロ具合との兼ね合いで「仕方なく」地元で我慢している訳です(汗)。中国で人気NO.1は大山です。北海道、信州に行けない人は大山に行き、大山に行けない人が備北や島根県に行き、そこにも行けない人が芸北で我慢しているような状況です。
 もっとも、愛媛ボーダーから見れば贅沢極まりない発言ですが(苦笑)。愛媛にも一応、県都松山市から車で一時間のところにスキー場があるにはあるんですが[20115]、そんな劣悪な条件より「マシ」な雪質を求め、愛媛のボーダー達はわざわざフェリーに乗って滑りに行きます。芸北にも行けない人は、愛媛で我慢。土日の昼間なんて悲惨ですよ。。。 
[67601] 2008年 12月 14日(日)22:51:31おがちゃん[日本人] さん
レスレス
こんばんは。今日二度目の登場の日本人です。

[67598] とんかち☆ さん
小学生の女の子にもいるんですねぇ・・・「鉄子」ちゃんが(笑)
でも、お兄さんや弟さんの影響で自分も詳しくなったとかありそうですね。
その本人は、弟さんが1人います。その子が言うには、新幹線にのめりこんだ経緯は
弟が、新幹線のプラレールにはまった。

一緒に遊んでいるうちに自分もはまる。

新幹線の図鑑、時刻表などなどを買ってしまう。
というような感じだそうです。
新幹線の問題ってけっこう難問が多そうですよ。
そうなんです。鉄分が入っていない僕にとっては、「新幹線の0系・100系・200系・300系・400系・500系・700系・N700系・800系・E1系・E2系・E3系・E4系を速度の速いほうから順に答えろ」という問題が出されたときには、もうひっくり返りました。降参した後に、速度の速い順にすらすらと言うその子を見たときは本当に唖然としました。皆さんは新幹線を速度の速い順にちゃんと言えますか?
ところが、もっと難しい問題を出す人物がいました。それは、以前、ここに1度だけ書き込んだことがある、同級生のつっきー さんです。電車の路線名から、土合駅の階段の数まで、鉄道関係の問題が毎日のように出されました。正答率は、1割も無かったと思います。(恥?)
話は変わりますが、もうそこまで過去ログを読まれたんですね。
この分だと年明け早々には読み終えられそうですね・・・。
さすがは小学生だ!(スイマセン)
あっ。違いますよ。33300台まで過去ログを読んだことは真実ですが、45000台までは読んでいません。僕の学年で習い事の数が少ないランキングのベスト5に入ります。週一回、水曜日の午後5時から6時30分までの塾のみです。「さすがは暇人だ!」のほうがふさわしいと思います。(爆)

[67600] 伊豆之国 さん
そのあとで累計書き込みランキングを見たら、[67531]の書き込み時点で日本人さんの書き込み累計がぴったり22万字。その書き込みを見ると【1】の印が。ひょっとして字数をジャストにするために調整したのですか?
[67531]は、少し文章が汚かったため、文章を直そうとしてる時に、書き込みランキングを見たら、219990文字だったので、意識的に文章をきれいにすると同時に220000文字を狙ってしまいました。すみませんでした。

ではでは。もうこんな時間になってしまいました。おやすみなさい。
[67600] 2008年 12月 14日(日)22:29:22伊豆之国 さん
レス2題~スイッチバック&忠臣蔵
このところ「スイッチバック」の話で賑わっているようなので、私もここで一つ‥

[67572]N-Hさん
スイッチバックには3種類あります(中略)2つめは、駅の位置や地形等の事情で、単純に行き止まりになっていてそこから方向を変えるだけのもの。遠軽駅や十和田南駅がこれです
この「2番目のタイプ」の駅は、さらにa)国鉄(JR)駅などへの乗り入れや市街地の用地確保難のために進路を変えざるを得なかったもの、b)直進方向の路線が廃線になったために「逆戻り」の線形だけが残ったもの、c)別々の路線が合流したもの、といったケースに分けられるのではないかと思います。
a)は、藤沢(小田急江ノ島線)、飯能(西武池袋線)などが典型的でしょう。
b)には、[67564]hmtさんが挙げた遠軽や、[7734]ペーロケさんの書き込みにある一畑口(一畑電車)が挙げられましょう。
c)には、富山地方鉄道の上市駅が挙げられます。滑川からの立山軽便鉄道と、富山から伸びてきた富山電鉄の路線が落ち合ったところなります。当初は「上市口」と称し、後に上市町の中心まで延伸してここに「上市駅」ができましたが、この区間は後に廃止され、上市口駅が現・上市駅になっているので、bのケースにも該当するわけです。
東武野田線の柏や、養老鉄道の大垣は、現在ではそこで運転系統が分断されているので、実状としてはcに当たるでしょう。
廃線やルート変更で現在は消滅した「スイッチバック」にも、先の「2番目のタイプ」の駅が結構ありました。(旧)東唐津(筑肥線)、馬込(遠州鉄道)、新藤枝(静岡鉄道駿遠線)、大屋(上田丸子電鉄丸子線)、米谷(仙北鉄道)などです。このうち遠鉄馬込駅は、西鹿島線の起点だった板屋町(→遠鉄浜松→遠州病院)から国鉄浜松駅前の新浜松駅まで乗り入れる(昭和2年)際に、浜松市街の用地確保難ももちろんでしょうが、当時馬込から東に伸びていた軽便鉄道「中ノ町線」(昭和12年廃止)を利用し、馬込でスイッチバックして新浜松までの線を敷設したという経緯があり、aとbのケースが合わさったもののようです。(「追憶の遠州鉄道奥山線(飯島巌氏著・平成12年)」より要約引用)

さて、今日は赤穂浪士討ち入りの日。私は赤穂と吉良、そのどちらにも旅で訪れ、宿泊もしています。先に訪れたのは吉良。平成6年の新春に足を運び、地元では「名君の誉れ高かった」と自慢している吉良上野介が築いたという「黄金堤」や、国宝・金蓮寺、吉良家の菩提寺・華蔵寺、「人生劇場」などで知られるこの地出身の文豪・尾崎士郎の記念館などを見ています。「人生劇場」は私も昔読んだことがありますが、この中で当時の吉良では「忠臣蔵」がどう扱われていたかについて触れたくだりがあったようです。過去ログを見ると
吉良町周辺地域では、今でも忠臣蔵を否定的に見ています。ホテルマンの知り合いが吉良温泉の旅館に勤務していたときのこと、団体旅行で来ていた一行の男が、酔った勢いで「松の廊下」を歌い出し、いくら客商売の旅館業だとはいえ、一瞬か緊張が走ったと聞きました
[8305]special-weekさん)というのがあったのですが、こうした感情は今もまだ残っているのでしょうか‥。
蛇足ですが、戦国時代に世田谷城主だった吉良氏は、この吉良上野介の家系とは遠縁に当たるとのことです。我が出身地であるその世田谷では、明日から恒例の「ボロ市」([62858])が始まります。私は土曜出勤の代休を取って、今年も行く予定です。
‥赤穂を訪れたのはそれから5年後の、同じく新年の旅。当時復元工事が進んでいた赤穂城跡や、大石神社・長屋門などを見て、赤穂御崎の温泉に泊まっています。赤穂と吉良、その両方を見ることにより、「忠臣蔵」についてそれぞれ違う視点から比較するということ、いろいろと勉強になったと思いました。
[67527]Issieさん
信州赤穂
長野県に「赤穂信用金庫」というのがありました。平成15年に伊那信用金庫と合併して「アルプス中央信用金庫」になっています。

ところで、前回[67523]までの私の累計書き込み字数を見ると、ちょうど12万3千字になっていました。そのあとで累計書き込みランキングを見たら、[67531]の書き込み時点で日本人さんの書き込み累計がぴったり22万字。その書き込みを見ると【1】の印が。ひょっとして字数をジャストにするために調整したのですか?


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