[67007][67008][67022][67053]むっくんさん
遅くなりました。
実は、下記の調査・投稿準備とともに、日ごとの市区町村数(一級町・村、二級町・村などの内訳も含む)の変遷表を同時並行で作成し、検証の一助としていたのですが、後で述べるように日付や内容に疑義があるものも多く、この表の投稿は後日とすることにしました。さらなる皆様のご指摘を待って、投稿したいと思います。
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」の正式名称は、いつものとおり、
[55681]の冒頭にあります。
「パラパラ」は、むじながいりさんのHP「
つかんぽやと」(ご自身のサイトでは「エイちゃさん」)の「パラパラ地図」の中の
北海道年表です。
[67008] むっくん さん
■T4(1915).3.16内務省告示第11号によるT4(1915).4.1付け施行について
上川郡人舞村、
上川郡屈足村と修正しました。
なお、
花咲郡歯舞村の変更対象市町村のうちの「珸瑤『瑁』村」の『瑁』は、JISコード6070、区点コード6480の、
(1)漢音ボウ、呉音モウ(諸侯が参朝したときしたとき、差し出す圭の上に、天子にかぶせあわせてしるしとする玉)、
(2)呉音マイ、漢音バイ(「●瑁(タイマイ)」熱帯の海にすむかめの一種、●は「王偏+毒」)、
ということで、「王+冒」のようです(「王+昌」ではありません)(「新版 漢字源」(1999年4月1日改訂新版第6刷、学習研究社))。
[67009]紅葉橋律乃介さんもフォローありがとうございました。
■T12(1923).3.30付け内務省告示第80号によるT12(1923).4.1付け施行について
野付郡別海村、
標津郡標津村、
択捉郡留別村と、変更対象町村の所属郡を修正しました。
[67022] むっくん さん
■
M33(1900).5.19付け内務省令第19号によるM33(1900).7.1付け施行について
檜山郡江差町となった変更対象町村のうち、誤:五勝手町、正:五勝手村と
修正しました。
■
M35(1902).3.13付け内務省令第7号によるM35(1902).4.1付け二級町村制施行について
★美国郡美国町について
内務省令・・・M35(1902).4.1美国町(二級町)
「総覧」・・・M35(1902).4.1美国村(二級村)、M42(1909).4.1美国町(一級・二級の記載なし)
「幕末以降」・・・M35(1902).4.1美国町(二級町)、M42(1909).4.1美国町(一級町)
「便覧」・・・M35(1902).4.1美国村(一級・二級の記載なし)、M42(1909).4.1美国町(一級・二級の記載なし)
「辞典」・・・M35(1902).4.1美国村(一級・二級の記載なし)、M42(1909).4.1美国町(一級・二級の記載なし)
「パラパラ」・・・M35(1902).4.1美国村(二級村)、M42(1909).4.1美国町(一級町)
内務省令のとおりと考えると「M35(1902).4.1付けで従前の5村(非自治体)が合併し、美国町として二級町となる」です。二級町から一級町になった経緯がむっくんさんの調査からは不明ですが、「パラパラ」ではM42(1909).4.1で一級町となっています。一級町になるのあたっては、内務省令など何らかの手続きが別途あるものとは思います。
とりあえず、M35(1902).4.1付けで美国郡美国町として二級町発足と
修正しました。
なお、町のまま、「北海道二級町村制の二級町」から「北海道一級町村制の一級町」となるのは、「市制町村制の町」から「地方自治法の町」となるのと同様ですので、個別情報としては
市区町村変遷情報には掲載しないこととします。将来、整理が十分にできて解説ページが充実した際には、何らかの説明の記述をしたいと考えています。
★浦河郡浦河町について
内務省令・・・M35(1902).4.1浦河町(二級町)
「総覧」・・・M35(1902).4.1浦河村(二級村)、T4(1915).4.1浦河町(一級・二級の記載なし)
「幕末以降」・・・M35(1902).4.1浦河町(二級町)、T4(1915).4.1浦河町(一級町)
「便覧」・・・M35(1902).4.1浦河村(一級・二級の記載なし)、T4(1915).4.1浦河町(一級・二級の記載なし)
「辞典」・・・M35(1902).4.1浦河村(一級・二級の記載なし)、即日浦河町(一級・二級の記載なし)
「パラパラ」・・・M35(1902).4.1浦河村(二級村)、T4(1915).4.1浦河町(二級町)→浦河町(一級町)・・・※浦河村(二級村)→浦河町(二級町)が不明
これも先ほどの美国町と同様です。とりあえず、M35(1902).4.1付けで浦河郡浦河町として二級町発足と
修正しました。
★河西郡帯広町について
内務省令・・・M35(1902).4.1帯広町(二級町)
「総覧」・・・M35(1902).4.1帯広町(二級町)
「幕末以降」・・・M35(1902).4.1帯広町(二級町)、T4(1915).4.1帯広町(一級町)
「便覧」・・・M35(1902).4.1帯広町(一級・二級の記載なし)
「辞典」・・・M35(1902).4.1帯広町(一級・二級の記載なし)
「パラパラ」・・・M35(1902).4.1帯広町(二級町)、T4(1915).4.1帯広町(二級町)→帯広町(一級町)
これも先ほどの美国町・浦河町と同様です。とりあえず、M35(1902).4.1付けで河西郡帯広町として二級町発足と
修正しました。
■
M39(1906).2.22付け内務省令第1号によるM39(1906).4.1付け施行について
ご指摘のとおり、
岩内郡前田村、
岩内郡発足村と、岩内郡幌似村が両村に分かれるよう修正しました。
[67215] むっくん さん
■M32(1899).10.1小樽区区制施行に伴う変更対象町村について
ご紹介の
M32.9.4付け内務省令第46号に従い、郡名等を
修正しました。
■M33(1900).7.1 根室郡根室町町制施行に伴う変更対象町村について
ご紹介のように、一部の郡名を花咲郡と
修正しました。
■宗谷郡稚内村(一級村)→稚内町(一級町)の施行日について
「総覧」「便覧」・・・M34(1901).5.1
「幕末以降」「パラパラ」・・・M34.5.11
「辞典」・・・M34.5.1(11)
でした。従来から信憑性が高いと判断しているご紹介の
郡市町村廃置分合一覧表(明治31年12月31日-明治36年12月31日)(著・出版:内閣統計局、明39)に従い、M34(1901).5.11町制施行と判断し、
修正しました。
なお、上記一覧表では「稚内村を稚内町に改称すると」の表現ですが、これを一級村から一級町とした、と判断しました。
■紋別郡湧別村(二級村)からの上湧別村(二級村)・下湧別村(二級村)の発足経緯・年月日について
「総覧」「便覧」・・・M43(1910).4.5、湧別村から上湧別村が分立、同日付けで残余の湧別村が下湧別村に改称
「幕末以降総覧」・・・M43(1910).4.5、湧別村から上湧別村が分立、同日付けで残余の湧別村が下湧別村に改称
「パラパラ」・・・M43(1910).4.1、湧別村を上湧別村・下湧別村に分割
「辞典」・・・M43(1910).4.1(5)、湧別村から上湧別村が分立、同日付けで残余の湧別村が下湧別村に改称
ご紹介の郡市町村廃置分合表(明治42年1月1日-大正2年12月31日)(編著・出版:内閣統計局、大4)
7コマに従い、M43(1910).4.1付けで
湧別村から上湧別村が分立、残余の
湧別村を下湧別村に改称と修正しました。
なお、上記一覧表では「湧別村ヲ分割シテ上湧別村ヲ新設」との表現をしてますが、「湧別村ヲ分割シテ湧別村及上湧別村ヲ新設」との表現ではないことから、分割ではなく分立と判断しております。
■T7(1918).2.1付け室蘭区 区制施行時の従前の町村について
「総覧」「便覧」・・・室蘭町
「幕末以降総覧」「辞典」・・・室蘭町,輪西村,千舞鼈村,元室蘭村
そもそも「総覧」「便覧」は、全国的に市制町村制施行以前の町村名はまったく記載されておりません。「辞典」は、ご丁寧に「非自治体の室蘭郡3村」とも書いてあります。
室蘭区区制施行の件は、内務省令?を確認できていないのですが、おそらく、ご紹介の
郡市町村廃置分合表(大正3年1月1日-大正7年12月31日)(編著・出版:内閣統計局、大9)5コマ、
室蘭市HP資料(pdfファイル)からも、室蘭町(一級町)と3村(非自治体)により発足した、と記述があると推測して間違いないでしょう。このため、室蘭町+3村と
修正しました。
#室蘭町には北海道一級町村制が既に施行されていますが、輪西村, 千舞鼈村, 元室蘭村の3村は未だ町村制が施行されていない地域です。そのため、将来的に北海道においても市区町村変遷履歴情報市制町村制施行時の情報に分離して記載するとき、記載方法にどのように記載するのが良いのやら。。。
まさしく、心配していただいたとおりで悩ましいのですが、これはそのときまでにじっくり考えることとしたいと思います(つまりは「先送り」)。
■T9(1920).6.1付けの中川郡下名寄村からの中川郡智恵文村・美深村の発足経緯について
「総覧」・・・下名寄村を下名寄村・智恵文村に分割、下名寄村が美深村に改称
「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・下名寄村から智恵文村が分立、同時付けで残余の下名寄村が美深村に改称
文献で使用している言葉上の「分立」「分割」に関わらず、法人格が継承されたか否かを読み取り上記に整理しました。
しかし、この「分立」「分割」については、告示等の明確な資料がない限り、信憑性が高いと感じられる「辞典」を一次資料としているので(
[55654][55681]拙稿)、「辞典」のとおりとしました。つまり、
下名寄村から智恵文村が分立、残余の
下名寄村を美深村に改称と修正しました。
新たな明確な資料を確認できれば、再度対応したいと思います。
■T12(1923).4.1付けの新冠郡新冠村の発足経緯について
「内務省告示」・・・T12(1923).4.1付けで高江村として二級村設置(
[67007] むっくん さん(12))
「総覧」・・・T12(1923).4.11付けで高江村として二級村設置、同日付けで高江村を新冠村に改称
「幕末以降総覧」・・・T12(1923).4.11付けで新冠村として二級村設置
「便覧」・・・T12(1923).4.1高江村発足、同日付けで高江村を新冠村に改称
「辞典」・・・T12(1923).4.11付けで高江村設置(一級村・二級村の区別なし)、同日付けで高江村を新冠村に改称
各文献で記述が異なりますが、次の3とおりが考えられます。
(1)内務省告示の「T12(1923).4.1付けで従前の11村(非自治体)が合併し、高江村として二級村となる」を絶対のものであると解釈する。つまり、「高江村(二級村)を新冠村とする」の改称が施行されたのはT12(1923).4.1付けではなく、それ以降の別の日である(ただし、どの文献もうまく一致する記述はない)。
(2)内務省告示の「T12(1923).4.1付けで従前の11村(非自治体)が合併し、高江村として二級村となる」は正しく、また、同日付で別の手続きにより「高江村(二級村)を新冠村(二級村)とする」が施行された。
(3)内務省告示の「T12(1923).4.1付けけで従前の11村(非自治体)が合併し、『高江村』として二級村となる」が実は誤字で、「T12(1923).4.1付けでけで従前の11村(非自治体)が合併し、直接、『新冠村』として二級村となる」である。つまり、「高江村(二級村)」は瞬間にも存在しない。
二級村を設置する内務省告示は、まず間違いはないでしょう。告示の誤字というのはやはりそもそもはあってもならないものですし、明治初期や第二次大戦直後の混乱期を除くと、まず寡少であろうと思われますので、(3)はまずないでしょう。(1)もあり得るのですが、「改称した他の日」の見当がつかない以上、(1)も考えにくいです。やはり(2)が有力であろうと思われます。
ちなみに、改称に関して法的根拠を探すと次のとおりでした。
M30.5.29勅令第159号北海道一級町村制の
第三条 町村ノ廃置分合ヲ要スルトキハ拓殖務大臣ノ許可ヲ得テ北海道庁長官之ヲ定ム
2 町村ノ境界若クハ名称ヲ変更シ又ハ町ヲ村ト為シ村ヲ町ト為スコトヲ要スルトキハ北海道庁長官之ヲ定ム但シ境界ノ変更ニシテ郡若クハ区ノ境界ニ渉ルモノハ拓殖務大臣ノ許可ヲ受クヘシ
及び
M30.5.29勅令第160号北海道二級町村制の
第三条 一級町村制第三条ハ二級町村ニ関シ之ヲ適用ス
であり、北海道の二級町村の改称は北海道庁長官の権限のようですので、内務省令や内務省告示ではなく、こちらの資料を探す必要がありそうです(注:「拓殖務大臣」はその後すぐに再編により「内務大臣」に)。これは、現在の地方自治法でも、根拠は廃置分合は総務省告示であり、改称は各自治体の条例であることとも似ています(拙稿
[55225]参照)。
新冠村の場合は経緯として、
・最初は「高江村」として二級町村制を施行する予定であったが何らかの事情変更で後から新冠村となった
あるいは、
・従前の高江村に配慮して形式上は「高江村」として二級町村制施行ということにし、予定どおり「新冠村」に改称という二段階の手続きを敢えて選択した
といったことがあったのでは、と想像します(あくまで想像です)。
いずれにしても、T12(1923).4.1付けで
新設合併で高江村として二級町村制実施、同日付けで新冠村に改称と、記載をまとめました。
次投稿に続きます。