[80922] 白桃さん
古座中学校は隣の古座川町にあり、この辺りなかなかややこしいです。
しかも、古座町に
国保古座川病院があったりするからややこしくて、やや♪夜霧のハウスマヌカン。
古座が主体とばかり思っていたのですが、「実権」は西向が握っていたのでしょうか。
wikipediaの古座駅の頁に次のような記述があります。
この駅は西向のうちの岩淵(後述)に立地している。西向は串本町と合併する前に存在していた古座町の中心部で、駅周辺には串本町役場古座分庁舎(旧古座町役場)をはじめとする各施設もある。なお、古座町の中心部が大字古座でないのは、「古座」という町名が、1956年3月にその前からあった古座町と西向町および田原村が合併し古座町が誕生した際、古座川などの影響で知名度の最も高かった古座から採ったに過ぎないからである。
上記から伝わってくるのは、新たに誕生した古座町の中心部は旧西向町であり、旧古座町ではないということです。でも、これを鵜呑みにして良いのかと少々疑問を感じます。古座町、西向町、田原村が合併して新たな古座町が誕生したのは、今から56年前の1956年。そして、第1回のDID調査が1960年です。その当時から新しい古座町の中心は旧西向町だったのだろうか?。旧古座町が中心だったとは考えられないだろうか?。そんな思いが行ったり来たりしています。旧西向町と旧古座町の現況比較を下に記します。
1・ネットに公表されている路線価の最高地点は、平成21、22、23年分いずれも旧西向町ではなく旧古座町に位置します。変化の少ない地域ですから、平成21年以前も今と変わらず最高額の路線は旧古座町にあったと推測します。
2・現況において古座町には銀行が2行あります。しかし旧西向町には立地せず、2行とも旧古座町に立地しています。もし、56年も前から旧西向町の都市勢力が旧古座町を上回っていたのなら、銀行は旧西向町に移転していたでしょう。それなのに、今も旧古座町に店舗を構えているのを見ると、旧古座町の底力を感じます。
3・旧西向町と旧古座町の人口については、
[80922]で白桃さんが1955年の数値、
[80925] でIssieさんが1920年と1940年の数値を書いておられます。現況の人口を知りたいのですが、資料がないので小学校児童数を基に現人口に思いを巡らすことにします。2011年度の小学校児童数は西向小75人、古座小57人、田原小23人で、古座川右岸(旧西向町)が75に対し、左岸(旧古座町+旧田原村)が80になります。さらに、左岸の旧古座町には古座川町高池の町並みが連担していますから、それを旧古座町グループに取込むと左岸の数値はもっと大きくなります。
そんなこんなを考えると、右岸の旧西向町を都市「古座」の中心とするのは少し変かなと思えてきます。たぶん、右岸と左岸の市街地は拮抗しているのでしょうが、もし、都市「古座」の中心を探し当て、そこに杭を打てと言われたら、私は左岸の旧古座町大字中湊の
紀陽銀行古座支店前の十字路に打ち込みたい。
[80925] Issieさん
合併前の旧3町村のうちで一番西の西向に役場が置かれたのも駅のもたらす町勢の差が反映しているようにも思うのですが,実際はどうなのか。
私も実際はどうなのか分かりませんが、本当は駅も役場も左岸の旧古座町に置きたかった。でも、地形的に敷地確保が無理だった。そんなわけで、農地が広がる右岸の旧西向町に建設されることになった。地形図を見ていると、そんな感じが涌いてきます。古座町役場(現:串本町役場古座分庁舎)がいつ現在地に建てられたのか知りませんが、以前は
古座橋のたもと付近にあったようです。昭和57年発行の5万分の1には、そう描かれています。
[80928] YT さん
『昭和35年国勢調査の人口集中地区の中には,5,000人に満たないものもあるが,これは,人口集中地区の設定に当たって,昭和35年国勢調査人口ではなく,昭和34年10月1日現在の調査区設定時の推定人口を用いたためである。』
例えば山梨県韮崎市のDID人口は昭和35年に4,070人、昭和40年に3,479人となっています。5,000人以上という規定を大きく下回っています。しかも、35年、40年の2回とも下回っているのは、やっぱり変ですね。昭和40年の調査で規定人口を大きく下回っているDIDとして、山梨県韮崎市3,479人、佐賀県厳木町3,565人、群馬県安中市4,401人、徳島県鴨島町4,490人、富山県福野町4,555人、北海道歌志内市4,593人などがありますが、これもやはり,『人口集中地区の設定に当たって,昭和40年国勢調査人口ではなく,昭和39年10月1日現在の調査区設定時の推定人口を用いたためである。』となるのでしょうか?。