[82194]でも触れました十島村・三島村の過去の人口を調べている内に奇妙なことに気づきました。
過去に
[65126]でむっくんさんが触れられているように、昭和21年10月3日付でトカラ列島北部の三島が「十島村」として本土復帰し、遅れて昭和27年2月10日付でトカラ列島南部が十島村として本土復帰します。その際に先に復帰した十島村は「三島村」となります。
1947年の臨時国勢調査から1950年の国勢調査まで、十島村の人口としてカウントされているのは、実際には後の三島村の人口です。
調査年月 | 十島村 | 三島村 | 合計 | 現三島村境域の人口の割合(%) |
大正9年10月1日 | 3,338 | | 3,338 |
大正14年10月1日 | 3,340 | | 3,340 |
昭和5年10月1日 | 3,723 | | 3,723 |
昭和10年10月1日 | 3,667 | | 3,667 |
昭和15年10月1日 | 3,564 | | 3,564 |
昭和19年2月22日 | 3,536 | | 3,536 |
昭和22年10月1日 | 1,304 |
昭和23年8月1日 | 1,384 |
昭和25年10月1日 | 1,484 |
昭和30年10月1日 | 2,658 | 1,352 | 4,010 | 33.72 |
昭和35年10月1日 | 2,602 | 1,363 | 3,965 | 34.38 |
昭和40年10月1日 | 1,848 | 874 | 2,722 | 32.11 |
昭和45年10月1日 | 1,407 | 655 | 2,062 | 31.77 |
昭和50年10月1日 | 628 | 1,120 | 1,748 | 35.93 |
昭和55年10月1日 | 619 | 903 | 1,522 | 40.67 |
昭和60年10月1日 | 552 | 787 | 1,339 | 41.22 |
平成2年10月1日 | 503 | 790 | 1,293 | 38.90 |
平成7年10月1日 | 513 | 776 | 1,289 | 39.80 |
平成12年10月1日 | 500 | 756 | 1,256 | 39.81 |
平成17年10月1日 | 462 | 673 | 1,135 | 40.70 |
平成22年10月1日 | 418 | 657 | 1,075 | 38.88 |
ところで昭和25年10月1日においては、現十島村境域は未だ米国統治下にあり、1950年12月1日付で実施された国勢調査琉球確定人口に十島村は含まれるはずです。ところが
琉球政府広報を見ても、十島村の名前がありません。
可能性としては、確定人口が公表された1952年10月13日の時点で十島村は本土復帰をしており、国勢調査の結果表から欠落してしまったということでしょうが、こんなところにも国勢調査の穴が生じているとは予想外でした。
さて、過去の十島村の島毎の人口配分がどうであったかを調べてみましたが、残念ながら
『三島村誌』や
『十島村誌』をすぐに調べられる環境にはありません。ただ明治30年度以前の
『鹿児島県統計書』には島別の人口が掲載されていました。
島 | M28 | M29 | M30 |
竹島 | 134 | 134 | 148 |
硫黄島 | 457 | 457 | 470 |
黒島 | 346 | 346 | 354 |
口之島 | 169 | 173 | 178 |
中之島 | 151 | 146 | 149 |
臥蛇島 | 93 | 94 | 99 |
諏訪之瀬島 | 129 | 132 | 136 |
平島 | 97 | 97 | 93 |
悪石島 | 135 | 138 | 137 |
宝島 | 437 | 437 | 439 |
現三島村境域 | 937 | 937 | 972 |
現十島村境域 | 1,211 | 1,217 | 1,231 |
現三島村割合(%) | 43.62 | 43.50 | 44.12 |
残念ながら戦前のトカラ列島の人口の割合の変化を推計するには情報が少なすぎますが、どうもトカラ列島は明治後半~大正にかけて南部の方でより人口が増えたようです。ただ多分昭和30年の人口比で按分してもそう実態とはかけ離れてはなかっただろうことは予想がつきます。【戦前の十島村の人口約3500人に対して30%~45%の人口比を按分すると、大体±300人程度の誤差が生じることになりますが、『昭和55年10月1日の境域による各回国勢調査時の市区町村別人口 : 大正9年~昭和55年』でこの辺の按分を行っていないということは、島別の人口の情報がないんでしょうね。】
なお
[80480]以前の投稿を含め、自分がアップしたファイルでは昭和21年に十島村全域が復帰したかのように記述していましたので、そこは要修正です。
[82230][82231][82232][82233] 88 さん オーナーグリグリ さん
現在の境域における過去の国勢調査人口を推計するという観点では、1980年国勢調査時点での情報をまとめた『昭和55年10月1日の境域による各回国勢調査時の市区町村別人口 : 大正9年~昭和55年』が利用できるので、1980年から2010年までの人口の異動を伴う境域変更を調べてまとめ、計算に利用しました。
しかしながら過去の人口異動を伴う境域変更が判明する時期は限られています。自分はこの件に関して特に意見表明をしていませんでしたが、確かに情報の整合性という点では問題があり、この点に関しては88さんの意見に賛同します。過去の人口異動を伴う境域変更に関しては情報源が1955年以降に限られることを銘記した上で雑学のページにまとめた方が良いかも知れません。