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千本桜さんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[79312]2011年9月6日
千本桜
[79289]2011年8月31日
千本桜
[79282]2011年8月30日
千本桜
[79249]2011年8月27日
千本桜
[79092]2011年8月14日
千本桜
[79055]2011年8月12日
千本桜
[78879]2011年8月7日
千本桜
[78803]2011年7月21日
千本桜
[78772]2011年7月16日
千本桜
[78768]2011年7月14日
千本桜

[79312] 2011年 9月 6日(火)08:44:13千本桜 さん
市制直前の仙台区の町名
[79289]千本桜
[79282] で書き込んだ207町の名称は明治41年発行の仙台市史を見て書きました。しかし、市史に町名記載漏れの疑いを感じています。私は、仙台区廃止時に「上杉山通」という町名があったはずだ、あって当然だ、と思っているのですが、仙台区末期の町名リストに「上杉山通」がありません。なぜ「上杉山通」があって当然だと思うのか。

仙台の街は奥州街道に並行して勾当台通堤通外記丁通上杉山通同心町通中杉山通光禅寺通二本杉通杉山通などの街路が走っています。
以上の9街路名は同時に町名でもあります。この9町は仙台市史の中の町名リストすべて(明治11年、明治14年、明治22年市制直前、明治22年市制直後のリスト)に記載されており、陸前国仙台区各村町調書(明治17?18年頃のものと推定)にも載っています。ただ一つ、明治22年市制直前の町名リストに上杉山通が見あたらないことを除いては・・・。市制間近になって上杉山通だけが消滅し、市制直後に再び登場するのは不自然です。これは、仙台市史が市制直前の町名リストに上杉山通を書き忘れた可能性が非常に高いと推察します。ほかにも記載漏れがないか、市制直前と市制直後の町名リストを照合して確認します。

まず、市制直前の字・町数は旧市街の町が207町、周辺5村から編入した字が16字です。次に市制直後の町数ですが、仙台市史は下のように記述しています。
明治22年市制を仙台区に施行し、4月1日を以て仙台市と改称せり、(中略)区域内の字名称226即ち左の如し
市史は市制直後の字数を226と書いています。内訳は旧市街の町が210町、周辺5村から編入した字が16字になるものと思われますが、字・町名を点検すると228になりました。226とする市史の数と合いません。合わないのは、あやまって重複記載された町名が1つあるためですが、もう1つの原因は分かりません。仙台市史を編纂する際に数え間違えたかもしれません。記録とは、かくも危うきものなのです。ここでつまずいてはいられません。市制直前の町名リストに上杉山通が漏れているのではないか。ほかにも漏れている町があるのではないか。その問題解決に向かって進むことにします。

まず、町を3つに分類します。A:市制直前・直後双方のリストに記載された町。B:市制直前リストに記載があって、市制直後リストに記載がない町。C:市制直前リストに記載がなくて、市制直後リストに記載がある町。以上3種類です。ここで重要なのはCです。Cに属する町は上杉山通、米ヶ袋中ノ坂など14町です。Cに属する町を表形式で表します。表の凡例は次の通りです。
M11=明治11年の町名リスト。M14=明治14年の町名リスト。M17頃=陸前国仙台区各村町調書の町名リスト。市制直前=仙台区末期の町名リスト。市制直後=仙台市発足当時の町名リスト。以上、5つのリストを対象に、町名が記載してあれば○、なければ×を付します。

町名M11M14M17頃市制直前市制直後
上杉山通×
米ヶ袋中ノ坂×
米ヶ袋鹿子清水通×
大聖寺裏門通××
新河原町行人塚××××
越路瑞鳳寺門前丁××××
二十人町通××××
八幡町崖下××××
通町北裏××××
堤通東××××
堤町土手下××××
穴田下堤××××
北七番丁明神××××
北八番丁雨宮××××
上杉山通、米ヶ袋中ノ坂、米ヶ袋鹿子清水通、大聖寺裏門通の4町は市制直前の町名リストに記載されていませんが、市史編纂時に書き漏れした可能性が非常に高いと推察します。大聖寺裏門通が明治14年の町名リストに記載されないのは、当時、元寺小路周辺の小規模町(大仏前、同心町中丁、元貞坂、大聖寺裏門通など)が、一括して元寺小路の名に包含されていたからだと推測します。大仏前、同心町中丁、元貞坂は市制直前の町名リストで復活していますから、同時に大聖寺裏門通も復活していたはずです。記載がないのは書き漏れでしょう。新河原町行人塚~北八番丁雨宮の10町については、市制直前に公的な町として存在しなかったとみて良いはずです。

念のために、上記14町に関する角川地名大辞典の記述を読んでみました。14町は明治41年発行仙台市史に市制直後の町名として記載されています。それなのに地名大辞典は、北七番丁明神を昭和初期~45年の仙台市の町名、北八番丁雨宮を大正期~昭和45年の仙台市の町名と書いています。あくまでも勘ですが、この件に関しては地名大辞典の記述が正しいように感じます。昭和初期や大正期に成立した町が明治41年発行仙台市史に記載されているのは不思議でなりません。これ以上追求しても新たな資料を得ることはできないでしょうから諦めますが、一体、何が真実なのか。何を信じれば良いのか。たかが120年ほど前のことなのに、底なしの泥沼です。
上杉山通:江戸期~昭和45年の町名。
米ヶ袋中ノ坂:江戸期~昭和45年の町名。
米ヶ袋鹿子清水通:江戸期~昭和45年の町名。
大聖寺裏門通:江戸期~昭和45年の町名。
新河原町行人塚:⇒行人塚
越路瑞鳳寺門前丁:⇒霊屋下
二十人町通:明治22年~現在の仙台市の町名。
八幡町崖下:昭和21年以降~42年の町名。
通町北裏:明治期~昭和53年の町名。
堤通東:昭和初年~45年の仙台市の町名。
堤町土手下:江戸期~昭和53年の町名。
穴田下堤:昭和期の仙台市の町名。
北七番丁明神:昭和初期~45年の仙台市の町名。
北八番丁雨宮:大正期~昭和45年の仙台市の町名。

88さんへ
明治22年(1889年) 3月31日 宮城県 市制町村制施行直前の廃置分合等に記載すべき「仙台区の町名」に関する私的結論はまた後日書き込みます。
[79289] 2011年 8月 31日(水)06:34:38千本桜 さん
仙台
[79288] 88さん

[79282] で千本桜は次のように書きました。
明治22年(1889年) 3月31日 宮城県 市制町村制施行直前の廃置分合等ですが、この表組を普通に読めば、「明治22年(1889年) 3月31日に仙台区, 仙台区新河原町, 新弓ノ町,(以下省略)が合併して仙台区が新設された。」になります。表組作成にもう一工夫必要かなと思いました。
これに対し、[79288] で88さんから下記の返答をいただきました。
・ M22.2.9付け(宮城)県令第8号の107コマにより、M22.3.31付けで、仙台区、仙台区の中の207町、宮城郡荒巻村ほか計5村のそれぞれ一部が新設合併して郡区町村編制法下の「仙台区」となる(207町は自治体としては消滅)
・ M222.9付け(宮城)県令第10号によりM22.4.1付けで仙台区が法律「市制」による仙台市となる
ということでよいのですね?
それとも、M22.3.31付けでは仙台区と宮城郡荒巻村ほか計5村のそれぞれ一部との境界変更であり、207町は自治体としてまだ存続し、M22.4.1付けで仙台区と207町との合併により仙台市となったのでしょうか。
どうやら、[79282]千本桜の書き込みはうまく伝えることができなかったようです。もう一度、簡単に書きます。仙台区は明治11年7月22日に発足し、明治22年3月31日に廃止されました。しかし、明治22年(1889年) 3月31日 宮城県 市制町村制施行直前の廃置分合等には、変更種別:新設、自治体名:仙台区と書いてありますから、この表組を見た人は「明治22年3月31日に仙台区が新設された」と誤解するのではないか。88さんの伝えたかったことが伝わらないでしまうのではないか。そんな心配をしておったのです。

[79282] で書き込んだ207町の名称は明治41年発行の仙台市史を見て書きました。しかし、市史に町名記載漏れの疑いを感じています。私は、仙台区廃止時に「上杉山通」という町名があったはずだ、あって当然だ、と思っているのですが、仙台区末期の町名リストに「上杉山通」がありません。なぜ「上杉山通」があって当然だと思うのか。それを説明すると長くなるので、単に地理好きな人間の勘ぐりと受け止めてください。仙台市発足直前に「上杉山通」が有ったか無かったか。これを確認するには、どうすれば良いのでしょう。仙台市発足直後の町名リストを調べる必要がありますね。少し時間を下さい。ひょっとして、記載漏れは「上杉山通」にとどまらず、ほかにもあるかもしれません。もしかすると207町あらため210町などということになる可能性もあります。仙台市史に誤りがなければ良いのですが、誤りがあるとすると何を信じて良いのやら。
[79282] 2011年 8月 30日(火)06:43:52千本桜 さん
仙台区町名
明治41年発行「仙台市史」を引用しながら仙台区の町について書き込みます。仙台市史は「行政組織及び区画の沿革」について
明治11年7月22日布告第17号を以て郡区町村編成法を発布せられ、庁下を仙台区と称し、区長一員を置かる、是に於いて仙台は一の独立行政区となれり、此年11月区内を5部に分ち毎部町場持4人乃至6人を置き、部内を4分又は6分して布告布達等の事務を取扱はしむ、之を区行政の区画とする
として、5部(5つの地域ブロック)と253の町名を記載しています。この数字は要注意です。東西に長く延びた北一番丁などは町域が2つのブロックに跨がっていて、各々のブロックに北一番丁が載っいています。つまり重複記載です。このような町名が25ありますから、253-25=228で実際は228町になります。なお、仙台市史は町数の合計を記載していないので、私が町名を追いながら算出しました。検算していますが2、3の漏れがある可能性も考えられます。

明治14年4月15日、仙台区と宮城郡南目、荒巻、小田原各村の内、地所交換、(中略)同年10月24日、1名称にして数町に亘る市街区分を左の如く定めらる
として、町名と各々の町を細分した丁目を記載しています。町の延長が短い南町などは1丁目から2丁目まで。延長が長い北二番丁などは1丁目から14丁目まであります。これに記載された町の名称は140。丁目の合計は402です。この場合、町数を140とするか402とするか迷いますが、私は140町とするのが自然だと思います。

明治15年10月行政区画を改めて、各町組合を設け組毎に組長1人を置き、
明治18年4月1日之を更正して140組とし、(中略)
明治18年10月15日追廻組を中ノ町組に合併、
明治19年2月13日更に改めて56組とし、
明治19年3月29日北七番丁(堤通東)を北二、三、四、五、六番丁東組に、北七、八、九番丁(通町東 堤通西)を通町組に変更せり、其の名称及区画は左の如し
として、56組207町の名称を記載しています。207町の名称は次のとおりです。
河原町, 新河原町, 新河原町東丁, 南石切町, 新弓ノ町, 八軒小路, 南染師町, 南鍛冶町, 南材木町, 穀町, 三百人町, 五十人町, 六十人町, 畳屋丁, 保春院前丁, 成田町, 表柴田町, 裏柴田町, 元茶畑, 椌木通, 木ノ下, 西新丁, 東新丁, 荒町, 連坊小路, 清水小路, 北目町, 上染師町, 田町, 南町, 柳町, 大町一丁目頭, 大町一丁目, 大町二丁目, 大町三丁目, 大町四丁目, 大町五丁目, 大町五丁目新丁, 新伝馬町, 名掛丁, 二十人町, 榴ヶ岡, 舟丁, 堰場, 石名坂, 弓ノ町, 土樋, 猿牽丁, 姉歯横丁, 石垣町, 米ヶ袋上丁, 米ヶ袋中丁, 米ヶ袋下丁, 米ヶ袋十二軒丁, 米ヶ袋広丁, 米ヶ袋鍛冶屋前丁, 七軒丁, 鉄砲横丁, 桜小路, 道場小路, 伊勢屋横丁, 六軒丁, 片平丁, 本荒町, 良覚院丁, 狐小路, 袋町, 中ノ町, 琵琶首丁, 琵琶首新丁, 花壇, 花壇川前丁, 霊屋下, 越路, 越路六軒丁, 越路路地町, 宮沢, 川内大橋通, 川内柳丁, 川内中ノ瀬町, 川内大工町, 川内川前丁, 川内明神横丁, 川内元支倉, 川内澱橋通, 川内元支倉通, 川内新横丁, 川内数寄屋丁, 川内亀岡町, 川内亀岡北裏丁, 川内三十人町, 川内山屋敷, 肴町, 立町, 立町新丁, 本柳町,元櫓丁, 定禅寺通櫓丁, 元鍛冶町, 常盤町, 北材木町, 本材木町, 跡付町, 木町末無, 立町通, 定禅寺通, 南町通, 南光院丁, 教楽院丁, 薬鑵小路, 裏五番丁, 柳町通, 北目町通, 新寺小路, 国分町, 二日町, 北鍛冶町, 通町, 北田町, 堤町, 支倉町, 木町通, 新坂通, 土橋通, 支倉通, 半子町, 伊勢堂下, 神子町, 北山町, 八幡町, 坊主町, 江戸町, 覚性院丁, 石切町, 中島丁, 切通, 十二軒丁, 北五十人町, 滝前丁, 角五郎丁, 角五郎新丁, 澱町, 勾当台通, 表小路, 外記丁, 堤通, 外記丁通, 同心町通, 中杉山通, 光禅寺通, 二本杉通, 杉山通, 元寺小路, 茂市ヶ坂, 掃部丁, 末無掃部丁, 大仏前, 同心町中丁, 元貞坂, 空堀丁, 新名懸丁, 新小路, 花京院通, 長丁, 長刀丁, 北六軒丁, 鉄砲町, 車町, 小田原山本丁, 小田原裏山本丁, 小田原車通, 小田原宮町東裏丁, 小田原東丁, 小田原袖振丁, 小田原遣水丁, 小田原長丁通, 小田原高松通, 小田原金剛院丁, 小田原広丁, 小田原大行院丁, 小田原牛小屋丁, 小田原清水沼通, 小田原弓ノ町, 小田原北一番丁通, 小田原北二番丁通, 小田原北三番丁通, 宮町, 東一番丁, 東二番丁, 東三番丁, 東四番丁, 東五番丁, 東六番丁, 東七番丁, 東八番丁, 東九番丁, 東十番丁, 北一番丁, 北二番丁, 北三番丁, 北四番丁, 北五番丁, 北六番丁, 北七番丁, 北八番丁, 北九番丁, 北十番丁

而して区は22年3月31日更に区域を変更すること左の如し
として、下記の5村から各々土地の一部を編入したとしています。
宮城郡荒巻村の一部(字山上清水, 字滝前, 字宮裏, 字上郡山, 字中丿沢)
宮城郡小田原村の一部(字小野田, 字杉山)
宮城郡南目村の一部(字柳沢, 字二軒茶屋)
宮城郡南小泉村の一部(字八軒小路, 字行人塚, 字五ツ谷, 字桃源院東, 字鍛冶屋敷, 字広瀬川橋下)
名取郡長町村の一部(字窪谷地の一部)
また、
仙台区宮沢の一部を名取郡茂ヶ崎村に編入
仙台区北六番丁の一部を宮城郡原町に編入
とあります。

以上のことから、仙台区の町村として市区町村変遷情報に乗せるべきは、掲載した207の町名および明治22年3月31日に行われた区画変更の情報だと思います。

(注):207町について。原文のまま書き出せれば良いのですが、
1・誤字脱字が見受けられること。
2・複数の組に跨がる町は重複して町名が記載されていること。
3・同名の町名があり、それを区別表記をしなければならないこと。
そのような理由があり、私が手を加えています。

88さん
明治22年(1889年) 3月31日 宮城県 市制町村制施行直前の廃置分合等ですが、この表組を普通に読めば、「明治22年(1889年) 3月31日に仙台区, 仙台区新河原町, 新弓ノ町,(以下省略)が合併して仙台区が新設された。」になります。表組作成にもう一工夫必要かなと思いました。
[79249] 2011年 8月 27日(土)08:27:28【1】千本桜 さん
仙台区の町名と町数
[79130] むっくん さん
仙台区に関する疑問解決にお付き合い下さいまして感謝申し上げます。私の方でも新たな情報を入手しましたのでお伝えします。と言っても、仙台市発足直前の仙台区における町村名と町村数が解明したわけではありません。

【市区町村変遷情報 仙台区の不思議】
M22.3.31 宮城県 市制町村制施行直前の廃置分合等(以後、「仙台区情報」と書きます)で仙台区の町村名を見たとき、何か不思議なものに出合った感じがしたものです。理由は
1):「丁」と「町」の使い分けがされておらず、すべて「町」で表記されていることへの違和感。住居表示が実施される前の仙台を知る者には「丁」と「町」の使い分けは当然のことで、特に東一番丁や北一番丁の「番丁」を「番町」と表すことは非常に違和感を感じるものです。
2):宮城県史に掲載された宮城県の市町村変遷(3コマ掲載のうち3コマ目)によると、明治9年における仙台の町村数は137。ところが仙台区情報では、明治22年3月31日の町村数が295町3村。町数の開きの大きさに驚きました。なぜ、こんなに増えたのだろう。
3):仙台区情報には 姉歯横町末無, 北材木町末無のように「末無:スエナシ」を付す町名が多数掲載されています。「○○末無」のうち、木町末無と末無掃部丁(別称 掃部丁末無)は昭和40年代まで住所地名でしたから良く憶えています。しかし、ほかの「○○末無」は聞き覚えがありません。本当に、明治22年3月に存在していた自治町名なのだろうか。本当は町名ではなく街路名ではないだろうか。そんな疑問を感じているのです。

【明治13年 宮城県地理課編集「仙台区全図」】
仙台区情報に掲載された町名と符合するものはないだろうかと いろいろ書物を調べましたが、姉歯横町末無, 北材木町末無など「○○末無」に関する記述が見つかりません。仙台区の時代に自治体として存在していた町なら少しは書物に書きとめられていそうなものですが、変ですね。書物がだめなら地図を見ようということで、江戸期~明治末期の地図を手当りしだい見てみました。すると、仙台区情報新旧対照市町村一覧と連動していそうな地図を発見しました。明治13年 宮城県地理課編集「仙台区全図」の復刻版です。この地図はまるで強迫観念にかられたかのように、小さな横丁や末無(袋小路)の形状と名称まで丹念に描いています。道路延長30mほどの袋小路まで描き、そこが北材木町末無であることを表す文字を添えています。でも、これって町名なのでしょうか。自治町が成立するほどの広がりは感じられません。あくまでも推測ですが、北材木町末無は街路名で、地籍は北材木町に含まれていたのではないかと思うのです。この地図には、このように小さな末無や横丁が全部描かれています。地図の中の地名と仙台区情報の町名を全て照合してみました。すると、一部を除いてぴったんこ合致するではありませんか。仙台区情報、もとを正せば新旧対照市町村一覧の仙台区を構成する町名の情報源は宮城県地理課の可能性がありますね。もちろん、これも推測の域を出ませんが。

【復刻図の解説書】
明治13年 宮城県地理課編集「仙台区全図」復刻版には解説書が付いています。その一部分を引用します。
本図右上部に、「町数305、戸数12,151、人口55,170」と、当時の市勢を掲出している。この町数305には、村落の小字にあたる地区名称(例えば川内中ノ坂通、追廻山下丁、小田原袖振丁など)、及び地区内にある小道(例えば梅原前丁、石名坂横丁、八幡三丁目横丁)なども加えられていて、県の布例等に記載されている数値とは大きな差がある。

【陸前国仙台区各村町調書】
小道の中には末無も含まれます。仙台区情報新旧対照市町村一覧には約300の町名が記載されていますが、横丁、末無を除外すると仙台区の町数は大きく変わってしまいます。いったい、何が本当なのか。そこで、県の公文書館へ行き「陸前国仙台区各村町調書」をコピーしてきました。それを分析しているところですが、ますます底なしの泥沼にはまり込んで行きそうです。仙台区の町は難しい。今日は村の鎮守の夏祭りです。これから祭りの準備に入りますので、続きは後日にします。

●脱字追加訂正
旧対照市町村一覧→新旧対照市町村一覧
[79092] 2011年 8月 14日(日)23:56:42【1】千本桜 さん
仙台区の町
88さん、むっくん さん。
[78879]でお約束したとおり、宮城県の「明治11年更正区画」を入手し、仙台区を構成する町について分析しているところです。しかし、その前に

1)・88さんが明治22年(1889年) 3月31日 宮城県 市制町村制施行直前の廃置分合等を作成する際に資料とした新旧対照市町村一覧」(和泉橋警察署編、加藤孫次郎、M22)は何を資料にして編纂された物なのか。

2)・仙台区は郡区町村編成法により誕生し、明治11年から同22年まで存在しました。その間、仙台区に属した町、つまり88さんがまとめられた市制町村制施行前の町村名等に列記された町々はそれぞれが明治22年まで独立した自治町でありえたのか。

上記の事柄を明確にしておかないと意味のない分析になるような気がして空しいのです。和泉橋警察署編「新旧対照市町村一覧」は、誤字や記載漏れを単発的に指摘しても済まない問題を抱えているように感じます。どうか、1)と2)の答えを教えてください。

●誤記訂正
参考にした資料をそのままに、冒頭で「明治11年更正区書」と書きましたが、入手したコピーには手書きで「更正區畫」と書いてあります。いまふうに書けば「更正区画」になりますね。「区書」を「区画」に訂正しました。
[79055] 2011年 8月 12日(金)13:00:27千本桜 さん
近郊の正しい使いかた
熱くなっている方々への息抜きクイズです。実態に即しているのはA・Bどちらでしょう。難問です。
A:角田市近郊の大河原町では・・・
B:大河原町近郊の角田市では・・・
[78879] 2011年 8月 7日(日)12:21:06千本桜 さん
仙台
88さん、むっくん さん
仙台区を構成する町についてお尋ねします。私は法令とか条例に疎いので頓珍漢な質問をするかもしれませんが大目に見てください。市制町村制施行時の情報 宮城県によると、明治22年3月31日時点で仙台区を構成する町はおよそ300町。明治9年の仙台は137町でしたから2倍以上に増えたわけです。明治22年仙台市発足時の面積はおよそ17km2、戸数およそ16,800戸でした。1町あたりの平均面積はざっと570m2、平均戸数は56戸です。たとえば、名称から判断して元材木町横町末無という町は、元材木町の横丁の袋小路に面した町ということでしょうから、面積、戸数ともかなり小規模のはずです。幅30m×長さ40mの面積で、戸数は10数戸程度だったかもしれません。こまかい数字にこだわる必要はありません。これで自治体として機能できたのでしょうか。機能していたとして、どの範囲までの自治を行っていたのでしょうか。私は上染師町東末無, 畳屋町末無, 滝前町末無, 川内追廻川前町末無などの羅列を見て、これって自治体なの?、規模からすれば村社会の契約講と変わらないじゃないかと考えてしまうのです。

お手数でも宮城県の市町村変遷をご覧ください。3コマ掲載のうち一番下の表組です。明治9年に137あった仙台の町村数は、明治11年には1になっています。ということは、仙台市街を形成していた137の町々は仙台区が発足した時点で自治体としての役目を終え、単に地名としての町名になったと解釈していいのでしょうか?。でも市制町村制施行時の情報 宮城県を見ると、仙台市街の約300におよぶ町々は明治22年3月31日まで自治体として存続したようにも受けとれるし、どちらなんでしょう。

[78859] 88さん
何か、具体的な資料等をお示しいただけると助かります。

88さんご提示の新旧対照市町村一覧」(和泉橋警察署編、加藤孫次郎、M22)「大日本市町村名鑑」(星野文三編、博聞社,明26.11)では「丁」はことごとく「町」に置き換えられているのですね。驚きました。「ホンマでっか!?」という感じです。「ホンマでっせ!」と、本間千代子さんが現れるよりもっと驚きです。済みません。落書き帳でこんな話は受けませんよね。今年66歳になられた永遠の青春スター本間千代子さんに反応できる感性の持ち主は、落書き帳ではあの方だけでしょうから。

私は「新旧対照市町村一覧」における仙台の情報を黒だと感じています。濃度95%のブラックかな。仙台には江戸期から今日まで「町」と「丁」があることは多様な人によって伝え継がれていますから、疑いようのない事実です。例えば、日本地図センターは「地図と空中写真で見る昔と今」で
市街の大部分は侍の住むまちで「丁」と呼ばれ、足軽・小人・職人・商人等の住む「町」と区別された。
と、記述しています。まず、地図で確認してみます。江戸期の資料として天保4(1833)年の御城下町割絵図をあげます。国分町や南町の「町」と、東一番丁や永丁などの「丁」が読みとれます。次に明治22年発行の仙台中心街をご覧ください。探しやすいように町名に赤線を引いておきます。国分町、南町などの「町名」と、東一番丁、東二番丁などの「丁名」が書き分けられています。国分町は仙台を代表する夜の盛場。東一番丁は仙台を代表する昼の繁華街です。かつて武士が居住した東一番丁がなぜハイセンスな商店街に成長したかは、先を急ぎますので触れないでおきます。次に現代の地図をご覧ください。仙台市は昭和40年から始まった住居表示の実施で多くの「丁名」が消えましたが、住居表示が進まなかった区域には今も「丁名」が残っています。小田原山本丁、名掛丁、東七番丁などがそれです。このように、江戸期から今日まで一貫して「町」と「丁」が使い分けられ、「丁」を廃して「町」とした時代はなかったはずです。

次に地図以外の文献で確認します。まずwikipedia仙台都心部は「丁」と「町」と題し、
侍町の名掛丁や東二番丁には丁を付け、他方、町人町の国分町や大町などには町を付けた。
と記述し、また
丁と町の使い分けに関しては、和歌山城下町でも同様
とも書いています。早速88さんの市制町村制施行時の情報 和歌山県に飛びます。お!やっぱり一番丁, 二番丁, 三番丁, 四番丁と「丁名」が連なっていますね。wikipediaでは心もとない方のために、手持ち資料の中から「宮城県の市町村変遷」「仙台の大小区変遷」を貼ります。これは、宮城県史からコピーしたはずですが、記憶が朧になってしまいました。たぶん、むっくんさんも同じ物をお持ちではないかと推測します。仙台旧市内における「町」と「丁」の使い分けが見てとれます。私が仙台の街と深く関わったのは昭和40年代のことで、江戸期からの町名がたくさん残っていた時代です。好きな町名は角五郎丁、末無掃部丁、保春院前丁、琵琶首丁などでした。懐かしがっている場合ではありませんね。先へ急ぎます。地図と文献から判断して「町」と「丁」の使い分けは明らかです。

[78859] 88さん
どこが「町」でどこが「丁」か、の別も個別に示していただけるとありがたいです。

これがやっかいです。どの資料も「丁」の使い方がアバウトで、明らかに侍町で「丁名」の代表格である「片平丁」が「片平町」になっていたりして、どの資料を信頼したら良いのか苦しみました。手許に「仙台地図さんぽ」という出版物があります。その中に「おもな旧町名・通名 索引」というページがあって、これがなかなかよくできています。この本には大正元年の地図がそのまま復刻され、その地図に記載された地名を
1・明治11年の更正区書はどのように表記していたか。
2・明治22年の市制施行当時の表記はどうであったか。
3・昭和40年代の住居表示実施直前の表記はどうであったか。
以上3つの時点から調べてある優れものです。編集者の熱意が感じられて信憑性があります。
実例をあげると次のようになっています。
畳屋町------大正元年の地図表記
疊屋町------明治11年(更正区書の表記)
疊屋丁------明治22年(市制施行時の町名)
畳屋丁------昭和40年代(住居表示実施直前の表記)
ただし、これは主な旧町名を対照にしているため、約300ある旧仙台市街の旧町名すべてが網羅されたものではないことが残念です。

88さんの「市制町村制施行前の町村名等」を丸ごとコピーし、「仙台地図さんぽ」の明治22年(市制施行時の町名)と照合してみました。
●は私が訂正を加えたものです。○は88さんのデータがイキです。※は「地図さんぽ」では道路・ヨコ丁扱いしています。無印は「地図さんぽ」では触れていないために照合できなかったものです。
 
仙台区, 仙台区 ○新河原町, ○新弓ノ町, ○河原町, ○南材木町, ○穀町,○ 南鍛冶町, ○荒町, ●疊屋丁, ●六十人町, ○連坊小路, ○石垣町, ●船丁,○ 堰場, ○成田町,○ 南染師町, ○南石切町, ○八軒小路, ●三百人町, ●保春院前丁, ●五十人町, ○土樋, ○表柴田町, ○椌木通, ○木ノ下, ○元茶畑, ○裏柴田町, ●西新丁, ●東新丁, 新河原町西町, ※姉歯横丁, 猿牽町, ※東街道, 長町通, ●米ヶ袋廣丁, ○米ヶ袋鹿子清水通, ●米ヶ袋鍛冶屋前丁, ●米ヶ袋下丁, ●米ヶ袋中丁, ○米ヶ袋中ノ坂通, ●米ヶ袋十二軒丁, ●米ヶ袋上丁, ○弓ノ町, ○石名坂, ●南六軒丁, ●片平丁, ●櫻小路,● 鐵砲横丁, ○道場小路, ●伊勢屋横丁, ○袋町, ○元鍛冶町, ○本荒町, ○狐小路, ●良覺院丁, ○大町一丁目, ○大町二丁目, ○大町三丁目, ○大町四丁目, ○大町五丁目, ○肴町, ○立町, ●本櫓丁, ●定禪寺通櫓丁, ○北材木町, ○本材木町, ○本柳町, 立町新町, ●川内川前丁, ○川内大工町, 川内数寄屋町, ○川内元支倉, 川内元支倉通, 川内新横町, ●川内明神横丁, ○川内澱橋通, 川内亀岡通, 川内中ノ坂通, 川内大堀通, ○川内亀岡町, ○川内三十人町, 川内大橋通, 川内柳町, 川内筋違橋通, 川内山屋敷中町, 川内山屋敷北町, 川内山屋敷南町, 川内山屋敷町, 川内山屋敷上町, 川内山屋敷横町, 川内三十人町通, 川内亀岡北裏町, 大町二丁目櫓町, 中ノ町川前町, 中ノ町, ●琵琶首丁, 琵琶首新町, ○花壇, ●花壇川前丁,※ 細横丁, 七軒町, ○川内中ノ瀬町, 川内裏下馬町, 川内亀岡杉町, 米ヶ袋新町, ○田町, ○上染師町, ○北目町, ○柳町, ●東一番丁, ●東二番丁, ●東三番丁, ●東四番丁, ●東五番丁, ●東六番丁, ●東七番丁, ●東八番丁, ●東九番丁, ●東十番丁, ●教樂院丁, ●南光院丁, ○南町通, ○清水小路, ○二十人町,● 鐵砲町, ○小田原車通, ●小田原振袖丁, ●小田原遣水丁, ●小田原山本丁, ●小田原裏山本丁, ●小田原金剛院丁, ●小田原牛小屋丁, ○小田原弓ノ町, ●小田原大行院丁, ●小田原廣丁, ○小田原清水沼通, 小田原宮町東裏町, ●小田原北一番丁通, ●小田原北二番丁通, ●小田原北三番丁通, ○小田原高松通, ●小田原東丁, ●小田原長丁通, ○車町, ○柳町通, ○北目町通,● 新寺小路, ○榴ヶ岡, ※長泉寺横丁, 年徳神横町, 五ツ橋通, ※和光明神横丁, ※於多福横丁, ●新傅馬町, ●名掛町, ○立町通, 赤井横町, ○元寺小路, ●末無掃部丁, ●大佛前, ○同心町通, ●同心町中丁, ○元貞坂, ●國分町, 表小路, ●定禪寺通, ●勾當臺通, ○堤通, ●外記丁, ●外記丁通, ○花京院通, ○中杉山通, ○茂市ヶ坂, ●光禪寺通, ●掃部丁, ●長丁, ●長刀丁, ●空堀丁, ●新名懸丁,●六軒丁, 二軒町, ○宮町, ○北田町, ○堤町, ●北一番丁, ●北二番丁, ●北三番丁, ●北四番丁,● 北五番丁, ●北六番丁(本), ●北七番丁, ●北八番丁, ●北九番丁, 北十番町, ○二本杉通, ○杉山通, ○上杉山通, ※虎屋横丁, ○新小路, ○二日町, ○北鍛冶町, ○通町, ●跡附丁, ○神子町, ○北山町, ●木町通, ○支倉町, ○支倉通, ○新坂通, ○切通町, ●十二軒丁, ○石切町,● 覺性院丁, 伊勢堂下, ○半子町, ○坊主町, ●中島丁,○ 江戸町, ○北五十人町, ○八幡町, ●瀧前丁, 有巴沢一丁目, 有巴沢二丁目, 角五郎新町, ※荒井横丁, ○澱町, ○土橋通, 角五郎表町, 角五郎裏町, 角五郎川前町, 中島町新坂, 中ノ横町, 大願寺前町, 大願寺横町, ●裏五番丁, 新河原町東町, 東九番町一丁目横町, 東九番町二丁目横町, 川内元支倉通一丁目横町, 松源寺前町, 誓願寺通, 西坊主町, 東坊主町, 角五郎川前横町, 大橋通, 小田原宮町三丁目裏町, 新坂通一丁目横町, 八幡町三丁目横町, 石屋横町, 桃源院前町, 沖ノ村通, 東桜小路, 茶畑町, ※竹屋横丁, 椌木前町, ※加川横丁, 鉄砲町三丁目横町, 立町新前通, ※閻魔堂横丁, 石名坂横町, 北山古街道, 大町三丁目横町, 川内亀岡南町, 中島新町, 常磐町, 北五十人町新町, ●大町五丁目新丁, 元材木町横町, 北材木町末無, 十二軒町上末無, 十二軒町下末無, 上染師町西末無, 上染師町東末無, 畳屋町末無, 滝前町末無, 川内新横町末無, 川内追廻川前町末無, 土樋二丁目西末無, 土樋二丁目東末無, 土樋四丁目末無, 姉歯横町末無, 霊屋下新町, ●霊屋下, 宮沢(本), 北六番町九丁目末無, 元材木町横町末無, 覚性院町末無, 北目町末無, 元誓願寺前町, ●越路, 河原町東裏町, 越路路地町, ●越路六軒丁, 霊屋下疣田町, 霊屋下四谷町, 古城, 宮城郡 ○小田原村(微), ○南目村(微), ○南小泉村(微)

結果としてまだまだ不備ですが、「新旧対照市町村一覧」(和泉橋警察署編、加藤孫次郎、M22)を鵜呑みにはできないぞという思いです。で、どうすればいいのか。「仙台地図さんぽ」に書かれている明治11年(更正区書の表記)なるものを見てみる必要がありそうです。仙台市に行けばあるのかどうか。いつまでとは約束はできませんが、あたってみようと思います。ところで88さん、「仙台地図さんぽ」必要とあらば差し上げますよ。必要なときはお知らせください。それから、「市制町村制施行前の町村名等」に「南町」が漏れているようです。「新旧対照市町村一覧」(和泉橋警察署編、加藤孫次郎、M22)の段階で漏れていますね。「南町」は絶対外せないはずです。直感でそう思います。
[78803] 2011年 7月 21日(木)22:09:26千本桜 さん
都市計画道路
[78802] k-aceさん
八雲町の道道202号に3・4・4富士見通というのがありましたが、この「3・4・4」って何の数字なんだろう?

都市計画道路の番号ではないでしょうか。都市計画図を作る時にそのような番号を貼り込みました。「貼り込み」はアナログ時代の作業ですね。今はパソコンだから「入力」と言うのでしょうか。愛知県知多市のHPが都市計画道路について分かりやすく説明しています。
[78772] 2011年 7月 16日(土)08:48:49【1】千本桜 さん
成田山、新月村
[78769] 伊豆之国さん

比叡山の場合は、延暦寺の山号「比叡山」と自然地形の山名「比叡山」が同時に思い浮かんできます。でも、個人的には自然地形の山名「比叡山」の方を強く意識しているようです。高野山の場合は金剛峯寺の山号「高野山」と自然地形の山名「高野山」があると仮定して、個人的には金剛峯寺の山号「高野山」の方を強く意識しています。成田山となると、意識するのは新勝寺の山号「成田山」ですね。こうして考えると、難しいものですね。でも、面白い。
長野県の美ヶ原は山名なのでしょうか。国土地理院は王ヶ頭、王ヶ鼻を山名を意味する文字で表記し、美ヶ原は山名を意味しない文字で表記しています。でも、美ヶ原は日本百名山に入っているのですね。

[78770]むっくんさん
本吉郡新月村についてですが、明治8年に合併してその後分離して明治22年に再度合併した可能性はないのでしょうか。

そこに着眼されましたか。さすがに、むっくんさんです。明治8年に合併したけれど、2、3年後には元の新城村と月館(月立)村に分離した可能性は大ありです。ただし、確信は持てません。確信が持てないのは、そのことについて文章化された記述を見たことがないからです。しかし、表組化された市町村変遷表から推測すると、2村間で合併→分離→合併を繰り返した可能性があることを見てとれます。

ここに、宮城県の「明治5年~22年市町村変遷表」があります。昔のことなので記憶は不確かですが、宮城県史からコピーしたように憶えています。この変遷表によると、本吉郡の藩政時代の村数は33村。明治9年は18村。明治11年は19村。明治14年は19村。明治17年は19村。明治22年の大合併直前は19村。明治9年から11年の間に1村増えています。変遷表を読み進むと、明治9年の欄に新月村の名があるのに、明治11、14、17、22年大合併直前の欄には新月村の名がなく、新城村と月立村の名が記載されています。そして、明治22年の町村制を迎えるに当たり新城村と月立村が合併。新月村誕生。このことから推測すると、合併→分離→合併の可能性が大きいですね。

この変遷表は所々に誤字が目につきますが、表から判断する限りでは、「明治22年(1889年) 3月31日 宮城県 市制町村制施行直前の廃置分合等」の合併後名称新月村の参加自治体
本吉郡 新城村, 月館村
の月館村は、月立村と表記すべきかな?と思われます。いずれにしても、誤字が目につく文献ですから真偽のほどは分かりません。ちなみに、現代に通用する地名は「月立」です。「月館」は藩政時代に通用した書き方ではないかと私は思っています。

訂正機能で追加書き込み。
投稿の後で読んでみると、88さんの「市制町村制」施行時の都道府県別一覧に誤記が多い、と受け止められかねない文章になっていました。誤記が目につくのは、私が所持している宮城県の「明治5年~22年市町村変遷表」ですので、誤解なさらないでください。
[78768] 2011年 7月 14日(木)23:05:01千本桜 さん
明治22年(1889年) 3月31日 宮城県 市制町村制施行直前の廃置分合等
宮城県関係で気が付いた点です。

合併後の名称・宮城郡七北田村について。参加自治体の七木田村は、正しくは七北田村ではないでしょうか。
合併後の名称・宮城郡松島村について。参加自治体に手樽村,幡谷村,北小泉村,竹谷村が漏れているようです。
合併後の名称・宮城郡原町について。参加自治体の仙台区北六番町(微)は、正しくは仙台区北六番丁(微)ではないでしょうか。
合併後の名称・加美郡鳴瀬村について。参加自治体の雑色目村は、正しくは雑式目村ではないでしょうか。
合併後の名称・栗原郡姫松村について。参加自治体の玉沢村は、正しくは王沢村ではないでしょうか。
合併後の名称・桃生郡二股村について。参加自治体の福田村は、正しくは東福田村ではないでしょうか。
合併後の名称・本吉郡十三浜村について。参加自治体に十三榎とあるのが理解できません。十三浜ではないでしょうか。

亘理郡荒浜村について。明治22年、高須賀村が改称して荒浜村になったはずですが「市制町村制施行直前の廃置分合等」の一覧表に荒浜村の記載がありません。単なる漏れでしょうか、それとも「直前の廃置分合等」には該当しないのでしょうか。

本吉郡新月村について。「市制町村制施行直前の廃置分合等」の一覧表に新月村が記載されています。ということは、新城村と月館村が合併して新月村になったのは、明治22年3月31日と判断して良いのでしょうね。ところが、角川地名大辞典には次のような記述があります。原文のまま書き写します。
同8年気仙沼村(気仙沼本郷を改称)・鹿折村・大島村を除く8か村が次のように統合された。
新月村=新城村・月立村
松岩村=赤岩村・松崎村
階上村=長磯村・最知村・波路上村・岩月村
同8年とは明治8年のことです。ところが、同じ辞典の中に明治22年合併らしき記載もあったりして不可解です。結構迷いますね。明治8年にしろ22年にしろ、そんなに遠い昔のできごとではないはずなのに、過ぎてしまったことは曖昧になってしまうものなのですね。


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