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N-Hさんの記事が10件見つかりました

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[61098] 2007年 9月 9日(日)06:58:29N-H さん
〒マークは地形図に残るか
このところ郵政民営化がらみの書き込みがいくつかありましたが、私が地図がらみで気になっているのは、10月以降発行の地形図から「郵便局マーク」が消えるのではないか、ということです。
かつて、地形図には電話局のマークというのがありましたが、電電公社民営化とともに電話局を示す地図のマークは消え、単なるオフィスビルと見分けがつかなくなってしまいました。
郵便局もこれからは単なる民間一企業のオフィスになってしまうわけで、公的機関が発行する地形図に専用の記号が残る可能性は低いような気がしますが、いかがでしょう?
それとも「銀行マーク」に統合されるのでしょうか?
[61082] 2007年 9月 7日(金)12:44:09N-H さん
本八幡と八幡宿
[61071] 千本桜 さん

すでにお二人の方より反論が出ていますが、いずれも市川市側からの見方でしたので、今度はかつて市原市民だった私から、市原市から見た市川市の八幡についてご説明します。
といっても、結論は
「市川と市原では住民の交流もほとんどないですし、特に厳密な呼び分けはしていないのではないか([61074] 熊虎 さん)」
「“呼び分け”の必要性も感じていないと思います([61076] Issie さん」
といっしょです。
[61074] 熊虎 さん
市原の八幡の人たちは買い物など大体の用事を千葉市で済ませることが多く、市川に用事があるというのはごく稀ではないかと思われます。
まさにその通り。
千葉駅より南の住民にとっては、まずたいていの用事は千葉市内ですませ、そうでなければ都心に出るまでです。
つまり、間にある習志野、船橋、市川の各市の存在はほとんど頭にありません。
まさに鎌倉市民、横須賀市民にとっての川崎の存在のようなものです。
地下鉄東西線開通後に西船橋がやや乗換駅として頭に上るようになりましたが、千葉以南から来ると快速列車は西船橋には停車しません。
同様に都営地下鉄新宿線が開通後、本八幡乗換えで都心に入るルートもできたわけですが、これまたJRは本八幡駅には快速を止める気配もありません。
もっとも私の通っていた高校は千葉市中心部にあって、市川市八幡あたりからも市原市八幡からもそれぞれ生徒が通っていましたけれど、そういうコミュニティでは駅名どおり、「八幡宿」「本八幡」で呼び分けていました。
[61079] 2007年 9月 7日(金)08:50:49N-H さん
あまねく公平なサービス
[61075] みかちゅう さん
特定の不採算地域のサービスを打ち切るということが許されないと読むことはできますが、携帯電話網で代替できれば通信サービスは確保できるということにならないでしょうか。
先にご紹介した法律は、NTT持株会社および東西地域会社のみに適用されるもので、携帯電話会社には適用されません。
さらに、東西会社の業務範囲には携帯電話業務がありません。すなわち、固定電話のみで「あまねく公平なサービスを行うこと」が義務付けられています。
お上の認識としては、携帯電話は電波という不確実なものを媒体にしているので、携帯電話をしてあまねく公平なサービスを実現することはできないということのようです。

まあ、もちろん、法律が改正されてしまえば話は別ですが。
[61064] 2007年 9月 6日(木)10:01:48N-H さん
南海⇔紀勢本線
[61056] YASU さん
[61058] 小松原ラガー さん
おお、そういえば、南海が和歌山市から紀勢線に乗り入れていたことがありましたね。
私もさすがに実体験はありませんが、そういう列車があったことは記憶にあります。
ご指摘ありがとうございました。

あと、長距離鈍行でひとつだけ。以前、上野発の高崎線で1本だけ客車列車の高崎行きが残っておりました。
これが高崎まで行くと、そのまま信越線の長野行きだか直江津行きだけに化けて、さらにまた化けて、結局新潟まで行くという、「隠れた長距離鈍行」でした。調べてみるとやはり昭和50年代後半まで残っていたようです。
上野発の各方面通勤列車では、東北線、高崎線が早々に電車ばかりになっても常磐線だけは結構しぶとくぼろい客車列車が原ノ町とか相馬あたりの福島県の先のほうの行き先を出してドアも開け放したままぎこぎこ走っていたのを覚えています。
[61063] 2007年 9月 6日(木)09:48:12【1】N-H さん
電電公社
[61032] みかちゅう さん
電話代は昔に比べて相対的に安くなってはいると思いますが、窓口は閉鎖されて鉄塔だけが残っている電話局もけっこうあります。
電話局にわざわざ足を運ぶ必要がないほど便利になった、ともいるのではないでしょうか?
窓口があちこちにあったとして、そこに行っていまさら何をしようというのか、といったところでしょう。

さすがに電話が通じなくなった地域というのは聞いたことがありませんが、これだけ携帯電話が普及しているとなると固定電話を廃止するということもありうるのでしょうか。
いわゆるNTT法の存在と内容、さらにはユニバーサルサービス基金といったものをご存知ありませんでしょうか?
http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/universalservice/
NTTは完全な民営会社とはかけ離れた会社です。NTT法というのは、単に政府の出資と許認可を定めたものではなく、あまねく公平な電気通信サービスの提供を義務付けたものであって、このあたりが同じく民営化の道をたどったJR各社とは根本的に違うのです。
ちょっとこのNTT法から第3条「責務」を引用してみましょう。
会社及び地域会社は、それぞれその事業を営むに当たつては、常に経営が適正かつ効率的に行われるように配意し、国民生活に不可欠な電話の役務のあまねく日本全国における適切、公平かつ安定的な供給の確保に寄与するとともに、今後の社会経済の進展に果たすべき電気通信の役割の重要性にかんがみ、電気通信技術に関する研究の推進及びその成果の普及を通じて我が国の電気通信の創意ある向上発展に寄与し、もつて公共の福祉の増進に資するよう努めなければならない。
「会社」というのは持株会社、「地域会社」というのはNTT東西です。
ね、すごいでしょう。「公共の福祉の増進に資するよう努めなければならない」ですから。
こういう法律で縛られている限りは固定電話は安泰です。
[61052] 2007年 9月 5日(水)15:45:43N-H さん
長距離鈍行列車
[61050] リトル さん
以前は長距離鈍行によくのりました。

南海難波~(紀勢本線)~新宮(時期により~名古屋も有り?、愛称「はやたま」別名「太公望列車」KAZ-D さんよくご存知ですね。)
国鉄の列車が「南海」難波ということはありませんよね。天王寺(あるいは湊町)~新宮だったのでは?
で、私が乗車した時代は、天王寺~名古屋でした。名古屋から天王寺まで乗り通しました。寝台は当時から新宮から/まででした。名古屋から古色蒼然とした旧型客車に乗車し、だんだんと暮れてきて乗客も減ってくるあたりの印象はいまでも覚えています。

東京~大垣(通称「大垣夜行」「340M(列車番号にちなむ)」、今は「ムーンライトながら」に引き継がれている。)
指定席がなくても乗車できた時代の大垣夜行、何度かおせわになっていますし、東京から横浜まで帰宅するのに利用したこともありました。

福知山~(山陰本線)~門司、(愛称名「山陰」B寝台1両連結)
山陰という愛称があったのは確か京都発の列車だったように記憶しています。これも利用した経験があります。
その他、
・新津~青森
・函館~旭川
などという長距離列車に乗車した経験ありです。いずれも昭和50年代終わり頃のことです。
もっとも、私などよりずっとご年配の方々もいらっしゃるこのコミュニティでは、もっと様々な長距離鈍行にご乗車の経験がある方もおいでになるものと思いますが。
[61047] 2007年 9月 5日(水)09:29:41N-H さん
Re:ポスト郵政公社
[61046] inakanomozart さん
1便を廃止しても変わらないということですが、速達の場合はそうでもないような気もしますが、これも素人考えか?
普通の速達郵便では、現状たとえ同一集配局内であったとしても、どんなに朝早く差し出してもその日のうちに配達されることは(公式には)ありません。
逆に、その日の午後17時までに取集されれば翌日午前中には配達されることになっています。ということで、速達であってもサービスレベルに支障はないはずです。
もちろん、郵政公社が公式に発表しているよりも実際には速く郵便物が届いていた可能性は否定できず、そうなると実感として「サービスがダウンした」と思われることはあるかもしれませんね。

定額小為替の問題は、一部では非常に困惑しているようです
昨日の投稿ではあえて触れませんでしたが、こっちは大問題だと思っています。
先ごろ郵政当局から、郵便貯金の利用者に対して個別に封書で民営化でどのようになるかを説明した冊子が届きました。
定額小為替の手数料が大幅にアップすることは情報として知っていたので、そのことがどのように記載されているか非常に興味があったのですが、私が探した限りではどこにもそのような記載が無いのです。
私が見落としたのでしょうか。
[61036] 2007年 9月 4日(火)12:45:05【1】N-H さん
Re:郵便局のサービス展開
[61034] inakanomozart さん
本年度から近隣のポストの収集が1日4回から3回に減りました。
これは、常に時間を意識して、時間を守る大切さを教えてくれるありがたい措置です。
上記のコメント、「ほめ殺し」でおっしゃっているのだと承りましたが、実際にはこの措置、サービスダウンにはなっていないはずです。
早朝の1回の収集を廃止するのは、それを廃止しても結局のところ配達までのトータルな時間には何の影響もないからです。4便収集があったところは、1便に間に合っても間に合わなくて2便になっても、それから先の郵便物の動きは全くかわらないところまで効率化が進んだということで、それなら朝の1便を廃止したほうがよいだろう、という理屈です。
ということで、利用者にとっては、24時間いつポストに入れてもこの措置によって配達までの時間が長くなることはありません。

もし、減らした1回が1日の最後の収集だったら大問題ですけれども。
なお、私は別に郵政公社の回し者ではありません。
[60978] 2007年 9月 2日(日)03:59:41N-H さん
やっぱり横浜は沈む
[60959] ドラえもん さん
数十mの上昇となると千葉県は沈みませんが、千葉市、東京特別区、横浜市、川崎市、さいたま市等の大きな街は沈むことになりますね

最初この書込みを見たときは、
[60961] Issie さん
東京や横浜の市街地の多くは意外にもすぐには沈みません

[60963] スピカ さん
横浜市の最高所は栄区と鎌倉市の境にある「天園(太平山)」の160mほどなので、仮に海面が上がって来たとしてもそう簡単には沈みませんよ~。
のような感覚で、私も「横浜は簡単には沈みませんよ」と書こうと思いました。
でも、よくよく考えてみると、横浜市のいわゆる都心といわれる地域、すなわち中区の関内、山下町、伊勢佐木町、元町、あるいは西区の横浜駅周辺やみなとみらいは、そのほとんどが海面すれすれの低地です。都心だけではなく、副都心にまで少し範囲を広げても、戸塚、上大岡いずれもせいぜい標高は10m程度しかありません。
そして、ドラえもんさんの「大きな街」という表現は、いわゆる都心部を指すような気がしてきました。
結局、横浜は山がちの地域は多いですがそれはほとんどは住宅地であって、行政や商業の中心地で高層ビルが立ち並ぶ地域はみな低地だよなあ、と思い、何も書きませんでした。

これに対し、東京都心部は台地の上にも商業地が発達しています。新宿の駅前の標高が30mぐらいもあります。ですから「東京都心部は沈まない」というのは本当でしょう。
横浜の場合、東京の台地よりも山が深く高いだけに、都市化は低地を中心に行われたというのが真相じゃないかと思います。
[60938] 2007年 8月 31日(金)13:27:22N-H さん
真っ先に沈む千葉県・・・なんて縁起でもない
千葉県、それも房総半島真っ只中で生まれ育ったN-Hでございます。

[60936] JOUTOU さん
房総半島の山は800m前後と考えていた
おお、そんなに過大評価していただけるとは。
房総半島は確かに山がちですが、ほとんどすべてが堆積岩からできているんですよね。
火山岩、火成岩といった、荒々しく高い山を作る素材がそもそも皆無に近い。
わずかな例外は鴨川市に東西に走る嶺岡山系の一部と、銚子の犬吠埼の岩にほんの少し露頭が見られるだけだと理科だか社会だかの時間に習ったような。
そんな千葉県ですので、温泉らしい温泉もほとんどありません。
千葉県の地質を紹介した冊子では、その希少な存在の嶺岡山に上り安山岩の露頭を見るくだりが紹介されており、「砂が固まってできた岩」しか知らない千葉県人としてはあこがれて、ぜひ一度行ってみたいものだと思ったものです。
県内最高峰の愛宕山もその嶺岡山系の西方にありますね。

そんな千葉県人にとっては、同じ関東南部でも箱根、丹沢、奥多摩なんてそれはもう想像を絶する高山でして、小学校の修学旅行で行った箱根の大涌谷なんて、大地の脅威にひれ伏すしかない、なんていう大感動で見ました。

そういうわけで、都道府県単位での最高地点については子供のころから妙に気になっており、大阪府に1000mを越す地点があるのかないのか、地図帳レベルの地図だとすれすれ1000mに行っていないように見えるけれど、あやしいので2万5000分の1地形図で確認すると妙に中途半端なところで1000mをぎりぎり超えているのを発見し、ひとりで感心していたものです。
そこで今でも疑問なのが、大阪府と奈良県の境に横たわる金剛山地で、なぜ金剛山の山頂からはずれたところに府県境が引かれたのか、ということなのです。


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