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千本桜さんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[85629]2014年5月19日
千本桜
[85562]2014年5月5日
千本桜
[85283]2014年4月17日
千本桜
[84571]2013年12月24日
千本桜
[84158]2013年9月29日
千本桜

[85629] 2014年 5月 19日(月)19:30:50千本桜 さん
祝!50万人超え
河北新報の記事によると、一目千本桜で知られる大河原・柴田両町の合計花見客数は今春、初の大台50万人超えを達成したそうです。内訳は大河原町が26万3千人、柴田町が24万8千人でほぼ互角。商圏拡大をめぐり抜きつ抜かれつのシーソーゲームをしているうちに、近隣の白石・角田両市を凌ぐ商業ゾーンに発展した2つの町は、花見客獲得においても激しいデッドヒートを展開中です。大方の町民はこのような状況に無関心ですが、敏感に反応してしまう人たちもいます。2町に跨がり8.5kmも連なる一目千本桜を、大河原町の物だ!、柴田町の物だ!と熱くなるのは悪いことではないと思います。要はアイディアを出し、ぶつかりながら全体が伸びて行ければ良いのです。現在、東北地方の花見客数は、1位が青森県弘前公園、2位が秋田県角館の桧木内川堤&武家屋敷、3位を岩手県北上の展勝地と一目千本桜(船岡城址公園を含む)が競っているようです。弘前、角館、北上の花見はゴールデンウィークの観光客を呼び込めますが、そうではない一目千本桜、なかなか健闘していると思います。
昭和の合併も平成の合併も不発に終わって市になれなかった大河原と柴田(船岡)。小規模ながら常に都市間競争に晒されているようで胸がきりきりしますが、合併したとしても同一自治体内での地域間競争に晒されるのでしょうね。根本的には盆地地形のせいではないでしょうか。大河原盆地と船岡盆地の盆地間競争に思えて仕方ありません。大河原・柴田両町とも日本創成会議とやらの「消滅の可能性が高い自治体」ではないし、合併しなかったから何か支障をきたしているという話も聞かないし、平成の大合併って何だったのでしょう。
[85562] 2014年 5月 5日(月)06:33:08【1】千本桜 さん
伊達郡の都市間競争
明治22年4月、町村制施行と同時に福島県伊達郡には4つの町が誕生しました。川俣町、梁川町、保原町、桑折町です。当時、東北地方の郡で町が4つも誕生したのは伊達郡だけだったようです。地理的に離れている川俣町は別として、梁川、保原、桑折の3町が自らの盛衰をかけて熱き都市間競争を展開するのは必然の状態でしょう。語り継がれているできごととして、伊達橋騒動(伊達橋騒動2)伊達郡役所移転問題があります。明治16年、郡役所は保原から桑折に移されましたが、保原はその悔しさを100年たっても忘れない。郡役所移転から105年後の昭和63年、阿武隈急行線保原駅が開業。保原駅舎は桑折の旧伊達郡役所を模して造られました。その姿は、保原こそが伊達郡の中心、伊達郡役所が置かれるにふさわしい町であると無言で訴えているようです。
以前にも伊達郡役所に関して書き込みしたのを思い出したので調べてみました。ありました。10年以上も前のことですが、私の書き込み[23206]「桑折駅」に対する、こおりさんの書き込み[23235]「伊達郡役所」です。

数字で見る伊達郡4町の盛衰
(平成18年に伊達市が誕生し、梁川・保原両町は消滅しましたが、現在も存続していると仮定して書きます。)

「DID人口推移」
DID人口昭和35年昭和45年昭和55年平成2年平成12年平成22年
川俣町7,4727,0666,6585,1474,2413,293
梁川町5,5547,1676,8696,5515,9125,554
保原町5,6607,7889,15410,44510,643
桑折町5,2004,4543,6924,6785,120

「行政人口推移」
行政人口昭和35年昭和45年昭和55年平成2年平成12年平成22年
川俣町25,98322,74721,09920,00117,75115,569
梁川町24,68823,65322,92122,21721,38518,749
保原町21,33922,13323,85925,08124,89123,654
桑折町15,81414,72314,90114,69213,70012,853

第1回DID人口調査が行われたのは昭和35年。当時は保原町・桑折町がDID未形成で、DID人口・行政人口ともに川俣町が1位だったのですね。ここに掲載した数字から判断すると、昭和45年においても保原より梁川・川俣が優位に見えますが、都市としての実態は違うような気がします。だって、40年前のことだけどヤクルト配達のおばちゃん(保原町出身)が、伊達郡の中心は保原!と断言してましたから。梁川より保原の方が大きい!と自信たっぷりに話してくれたヤクルトおばちゃんの言葉に嘘はないと思いたい。
それにしても、梁川って不思議な町ですね。伊達政宗の御先祖様の本拠地という過去はあるものの、近代史において伊達郡の中心・伊達郡の拠点という経歴はないはず。それなのに、あの奥行きと風格のある町並みはどこから来るのだろう。

書き込み訂正機能を用い(伊達橋騒動2)のリンクを変更しました
[85283] 2014年 4月 17日(木)06:20:50千本桜 さん
桜前線は東北地方を北進中です。宮城県南部の桜名所・一目千本桜は12日に満開となり、好天に恵まれた13日の日曜日は過去最高の人出を記録したようです。昨日は桜吹雪がはらはらと舞って松阪慶子様状態から岩下志麻様状態に突入。岩下志麻様を「まだまだ見れる!」と感じるか否かは人によって異なると思いますが、彼女と一目千本桜の名誉のために、「まだ見れる!」としておきます。でも、今度の日曜日あたりは若尾文子様に変身しそうな状況です。
いま、アトリエのブラインドを上げたら今朝も快晴。目の前の桜、「まだ見れる!」です。

[85281] 白桃さん
海に面している自治体すべてが「市」ではない都道府県がひとつだけあります。
それはどこでっしゃろ?
クゥーッ! 区や市いけれど難しすぎてわからない。(笑)
[84571] 2013年 12月 24日(火)03:52:56千本桜 さん
三本松市街、屋島市街
[84567] 白桃さん
DID人口に三本松に隣接する旧)誉水村の一部が含まれている可能性、また、旧)三本松町の中に在りながらDIDに含まれていない人口の可能性があります。
地図から判断すると、1970年国勢調査における大内町DIDは、旧三本松町と旧誉水村の横内・中筋地区に跨がっています。しかし、大内町DIDに占める横内・中筋地区の面積は僅かであり、全体の10%に満たないと推察します。大部分が三本松の領域で占められていますから、大内町DIDは三本松市街地のことと受け止めても良いと思います。大内市街地という言い方は馴染みません。

ところで、1970年国勢調査の高松市II DIDについてお尋ねします。「高松市II 」の場所を分かりやすくするために固有地名を用いた名称を付したいと思います。次のうち、どれが適切でしょうか。

1・高松市II は屋島と高松町に跨がる市街地です。しかし、高松町にJR屋島駅が所在するため、高松町を屋島の一部だと思っている人も多く、居住地を尋ねられると「屋島です」と答える高松町住民も多いかと推察します。従って高松市II は「屋島」と表わすのが簡単明瞭で良いと思う。

2・高松市II における屋島と高松町の面積比率は、大雑把にざっと見て、屋島が60%~65%を占め、高松町が35%~40%を占めているように見えます。高松町の面積比率を考慮し、「屋島・高松町」と連記するのが良いと思う。

3・1970年当時を思えば、世間では新地名の高松町より旧地名の古高松が汎用していた可能性があるので、「屋島・古高松」と連記するのが良いと思う。
[84158] 2013年 9月 29日(日)01:11:36千本桜 さん
四文字地名「犬卒都婆」
四文字地名で好きなのは、[84124]でグリグリさんが書いておられる津軽の五所川原(ごしょがわら)です。どこか野暮ったくて力強い語感が好きです。かつて五所川原には百貨店が3つもあり、小規模な市街地なのに濃密な商都の雰囲気がありました。小さな体で王者・弘前に立ち向かっていた頃の五所川原は魅力的でした。

四文字地名と言えば、宮城県白石市白川の犬卒都婆も妖し気で魅力的です。公的な読みは「いぬそとば」ですが、地元民は「いのそとわ」と呼び合っています。なぜ、「いぬ」が「いの」と発音され、「ば」が「わ」と発音されるのか、幼少の頃より今日まで謎のままです。

「白石市の文化財」という図書は、犬卆都婆碑について次のように記しています。まず、碑の場所を「白石市白川犬卆都婆岩の上」と記しています。このように、「大字」や「字」という接頭辞を付さない住所表記を見るたびに、「白川犬卆都婆岩の上」が9文字で1つの地名であり、切り離せない地名だと思う人がいるのではないか。切り離すにしても、どこで区切れば良いのか分からないのではないかと心配になるのです。

ちなみに、「白川犬卆都婆岩の上」は3つの階層から成り立っています。
「白川」は明治22年に犬卆(卒)都婆村ほか4村が合併してできた自治体で、明治22年~昭和29年は刈田郡白川村、昭和29年~現在は白石市白川です。
「犬卒都婆」は江戸期からの村で、明治22年までは刈田郡犬卒都婆村、明治22年~昭和29年は刈田郡白川村大字犬卒都婆、昭和29年~現在は白石市白川犬卒都婆です。
「岩の上」は犬卒都婆の小字で、明治22年までは刈田郡犬卒都婆村字岩の上、明治22年~昭和29年は刈田郡白川村大字犬卒都婆字岩の上、昭和29年~現在は白石市白川犬卒都婆字岩ノ上です。
なお、白川地内にはJR東北線の北白川駅がありますが、同じ東北線の白河駅との混同を避けるため、北白川駅としたそうです。

落書き帳には、地名由来や地名伝説に興味を持たれている方も多いと思いますので、「白石市の文化財」という図書に記してある「犬卆都婆碑」を、そのまま引用します。
大型の碑で文字は判読できなくなっているが、小野篁(おののたかむら)が大いのししを退治した時、協力した盤司三郎の愛犬を供養した卆都婆石という。堂山の虚空蔵様にちなむ伝説の碑。
一説には阿部則任の供養碑とも、また犬とめおとになった者の供養碑とも伝えられる。地名の犬卆都婆はこの碑から起こったという。
※阿部則任の「部」は誤植で、阿倍則任が正しいでしょう。

もっと犬卒都婆について知りたい方のために。
千葉県にお住まいの方が、「猫の神様を求めて」と言うブログで、「犬卒塔婆」とは?。本当に「犬」で、本当に「卒塔婆」か?。旧「犬卒都婆村」についての覚書。もう一つの徳本寺の犬供養など、かなり詳しく書いておられますので、どうぞ。

追伸
なぜ、「いぬ」が「いの」と発音され、「ば」が「わ」と発音されるのか、幼少の頃より今日まで謎のままです。
と、書きましたが、偶然にも今、ウィキペディアで卒都婆小町(そとばこまち)と言う能楽があることを知りました。観世流では「そとわこまち」と言うそうです。「婆」を「わ」と読むのですね。犬卒都婆と言う地名の公式読みは「いぬそとば」なのに、なぜか地元の人は「いのそとわ」と呼びます。その謎解きの糸口になりそうですが、私には理論的に整理できません。どなたか、なぜ「いぬ」が「いの」と発音され、「ば」が「わ」と発音されるのか、教えて頂けませんでしょうか。


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