明治22年4月、町村制施行と同時に福島県伊達郡には4つの町が誕生しました。川俣町、梁川町、保原町、桑折町です。当時、東北地方の郡で町が4つも誕生したのは伊達郡だけだったようです。地理的に離れている川俣町は別として、梁川、保原、桑折の3町が自らの盛衰をかけて熱き都市間競争を展開するのは必然の状態でしょう。語り継がれているできごととして、
伊達橋騒動、
(伊達橋騒動2)や
伊達郡役所移転問題があります。明治16年、郡役所は保原から桑折に移されましたが、保原はその悔しさを100年たっても忘れない。郡役所移転から105年後の昭和63年、阿武隈急行線保原駅が開業。
保原駅舎は桑折の
旧伊達郡役所を模して造られました。その姿は、保原こそが伊達郡の中心、伊達郡役所が置かれるにふさわしい町であると無言で訴えているようです。
以前にも伊達郡役所に関して書き込みしたのを思い出したので調べてみました。ありました。10年以上も前のことですが、私の書き込み
[23206]「桑折駅」に対する、こおりさんの書き込み
[23235]「伊達郡役所」です。
数字で見る伊達郡4町の盛衰
(平成18年に伊達市が誕生し、梁川・保原両町は消滅しましたが、現在も存続していると仮定して書きます。)
「DID人口推移」
DID人口 | 昭和35年 | 昭和45年 | 昭和55年 | 平成2年 | 平成12年 | 平成22年 |
川俣町 | 7,472 | 7,066 | 6,658 | 5,147 | 4,241 | 3,293 |
梁川町 | 5,554 | 7,167 | 6,869 | 6,551 | 5,912 | 5,554 |
保原町 | | 5,660 | 7,788 | 9,154 | 10,445 | 10,643 |
桑折町 | | 5,200 | 4,454 | 3,692 | 4,678 | 5,120 |
「行政人口推移」
行政人口 | 昭和35年 | 昭和45年 | 昭和55年 | 平成2年 | 平成12年 | 平成22年 |
川俣町 | 25,983 | 22,747 | 21,099 | 20,001 | 17,751 | 15,569 |
梁川町 | 24,688 | 23,653 | 22,921 | 22,217 | 21,385 | 18,749 |
保原町 | 21,339 | 22,133 | 23,859 | 25,081 | 24,891 | 23,654 |
桑折町 | 15,814 | 14,723 | 14,901 | 14,692 | 13,700 | 12,853 |
第1回DID人口調査が行われたのは昭和35年。当時は保原町・桑折町がDID未形成で、DID人口・行政人口ともに川俣町が1位だったのですね。ここに掲載した数字から判断すると、昭和45年においても保原より梁川・川俣が優位に見えますが、都市としての実態は違うような気がします。だって、40年前のことだけどヤクルト配達のおばちゃん(保原町出身)が、伊達郡の中心は保原!と断言してましたから。梁川より保原の方が大きい!と自信たっぷりに話してくれたヤクルトおばちゃんの言葉に嘘はないと思いたい。
それにしても、梁川って不思議な町ですね。伊達政宗の御先祖様の本拠地という過去はあるものの、近代史において伊達郡の中心・伊達郡の拠点という経歴はないはず。それなのに、あの奥行きと風格のある町並みはどこから来るのだろう。
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