[70463]k-aceさん
2ヶ月後に夜久野町と上夜久野村が合併するにもかかわらず、なぜ大油子・小倉地区は夜久野町から上夜久野村に編入されたんでしょうか?
この境界変更、私もたもっちさんのパラパラ地図を見たときに気がつきました。真相は知る由もないのですが、昭和の合併時には役場前にムシロ旗が立ったとか、いろいろゴタゴタがあったように聞いていたので、それと関係があるかなとは思っていました。
[70469]むっくんさんが書かれているとおりですね。
昭和の大合併では、多くのところで新制中学の設置箇所をめぐって紛糾しましたが、夜久野3村もその例外ではなかったようです。
夜久野地区の中学校は人口規模から言うと1つあればよかったのですが、1951年の中夜久野村の中学校廃校後も地理的な要因から上夜久野と下夜久野の2校設置されていました。中学校のない中夜久野地区の小学校卒業生は2校に別れて中学へ通学しており、上夜久野の中学校へ通学する地区が、その大油子・小倉地区でした。その後1993年に中夜久野地区に夜久野中学校の新設により一つに統合されています。(
夜久野中学校のあゆみ)
行政の境界としては2ヶ月間だけ地図上に現れた境界線ですが、中学校の学区境界としてはその前後42年間にわたり存在し続けたことになります。
[70407]k-aceさん
丹波市青垣町・福知山市境の国道429号榎峠と府県道109号穴裏峠ですが、榎峠は道幅狭く、青垣町側が特に悪路。榎峠はまぁまぁ走りやすかったかな。榎峠は車1台としかすれ違いませんでしたが、穴裏峠はそこそこ対向車がきていました(なかには宅配業者のトラックまで)。青垣町~福知山市の移動ルートは穴裏峠が主であるのを感じました。
国道429号の榎峠は、近畿北部では貴重な“酷道”で、あちこちの酷道サイトで紹介されていますね。たとえば
こことか。昭和40年代の中頃まではなんとあの道を京都交通の路線バスも走っていました。バスでは1回で回りきれないヘアピンカーブも何ヶ所かありますから、その都度車掌さんが下車して笛で誘導し切り返ししながら越えていました。
一方の穴裏峠は昭和40年代の初め頃に開通した峠で、全線ほぼ1.5車線ながら丹波市青垣町-福知山市の行き来するクルマの9割以上(まぁ99%)はこちらを利用しています。それでも、大雨で土砂崩れがあったりすると平気で半年くらい通行止めになったりするのですが。
地元では、国道昇格を期に榎峠のトンネル化を要望して広告塔を建てたりして運動していますが、兵庫県の財政悪化に伴いいつになることやらという雰囲気です。むしろ後から話の出た、丹波市氷上町と多可町間のトンネル(県道)の方が先になりそうな雲行きですね。
ローカルな話題2題になり失礼しました。