この記事の主な材料は、最近放送された Nスペのドキュメンタリー「アイアンロード」です。
直訳すると「鉄の道」ですが、鉄道Railroadとは無関係であり、手塚治虫とも関係ありません。
番組【2020/1/18土曜日深夜再放送】を紹介しつつ、関係する雑談を含めて、人類文明の伝わり方について、私なりに理解した内容で続けるつもりです。
自然の恵み・人類の知恵・そして偶然もからんで産み出された「文明」の成果。
交通・通信技術が発達した現代では、遠い世界の新製品・新技術情報を、す早く知ることができます。
しかし、歴史を遡ると、文明の伝播は 人々の移住に伴うものでした。
それは 基本的には人の歩行速度に制約されたものであると共に、緯度の違いによる自然条件の制約を受けるものでした。この制約を打破したのは、騎馬技術と外航船の発達でした。
南北に長いアフリカ大陸やアメリカ大陸は、緯度に伴う自然条件の変化が大きく、これが文明伝播を妨げました。
地球上に「東西最長の大陸」として存在するユーラシアだけは、遠く離れた地域でも帯状の自然条件で結ばれており、人類の文明伝播が可能で、壮大な歴史物語を形成しました。その一端を繙いてみます。
番組タイトル「アイアンロード」は「シルクロード」よりも古い「文明の道」として、
愛媛大学アジア産業考古学研究センターの命名を用いたものと推察します。番組には、村上恭通さんなど関係者が登場しています。
遊牧民のスキタイと匈奴により、鉄が、ユーラシア大陸を はるばると東に伝えられたルートは、「草原の道(ステップ・ルート)」と呼ばれていました。
今回の「アイアンロード」は、西の起点を「人工の鉄」の発祥地アナトリアとし、東は漢のに西域で分岐し、定住国家・中国へのルートも加えた道になっています。
砂漠を通る「絹の道」より北に位置する「草原の道」は、その北側の タイガと呼ばれる亜寒帯針葉樹林地帯と接していました。このような地理的条件から、このルートは 製鉄に必要なエネルギーを得ることが可能で、「アイアンロード」になる条件を備えていました。
万里の長城の壁を隔てた2つの国・北の匈奴と南の漢とは、紀元前3世紀から壮絶な戦いを繰り広げました。この争いの中で、スキタイの時代とは異なる革新を遂げ、鉄の物語が進みます。
アルタイ地域で発見された金髪のミイラは スキタイ人
地図を眺めると、ユーラシア大陸の中央部に ロシアR、モンゴルM、中国C、カザフスタンKの4ヶ国が国境を接しているように見える場所【便宜上RMCK地帯】があります。MC国境沿いに連なるアルタイ山脈の北端。
6年前、アルタイ山脈で発見されたBC5世紀の巨大な墓で 男性の「ミイラ」を発見。
現在この地の住民は アジア系・黒髪のトゥバ人だが、聖なる山に丁重に埋葬されたミイラは「金髪」で、王族とされた。副葬された鉄製短剣の独創的なデザイン(ハート形)から、西に4000kmを隔てたウクライナの遺跡(ビルスクヒルフォート)と同じスキタイ人と判明。鉄の工具を使って制作された金の工芸品。
古代ギリシャ人からは野蛮人視されていたスキタイだが、彼らは馬を乗りこなした。
騎手の意思を正確に馬に伝える技術 のポイントは、鉄製の「はみ」(馬銜)= 轡の馬の口にくわえさせる部分。
この「移動革命」が史上初の「騎馬軍団」を生み出し、東西4000kmに及ぶ大国を作ることができた。
脱線するが、現代のアルタイ地域住民トゥバ人から思い出したのが、子供時代に見た地図にあった「ツバ人民共和国」という国の存在。18世紀に乾隆帝が緩衝国のジュンガルを滅ぼした後、ロシア人が扇動してアルタイに建国させた属国らしい。中華民国は現在でも自国領と主張しているとか。
アルタイまで進出していたスキタイから西に逆行するが、アナトリア【現在のトルコ】が「人工の鉄」の発祥地になったカギは、かの地の厳しい自然環境だったらしい。
鉄の製錬には銅よりも500度高い1200度が必要。自然のもたらす強い季節風が製鉄炉の高温維持に役立ち、ヒッタイト人【聖書のヘテ人】に最初の量産化を成功させた。ふいご送風。
ヒッタイト人は、この貴重な金属を武器に使うだけでなく、安全保障外交の切り札に活用した。
BC13世紀には、大国エジプトとのカデシュの戦いの後で、世界最古の平和条約が結ばれた。
番組では、中近東文化センター アナトリア考古学研究所長 大村幸弘さんのコメントがありました。