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Takashiさんの記事が5件見つかりました

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[94816] 2018年 1月 1日(月)00:29:10Takashi さん
第四十七回 『47』回記念大会 全国の市十番勝負
あけましておめでとうございます。

とりあえずわかるものだけ。

問二:深谷市
[94785] 2017年 12月 27日(水)19:59:26Takashi さん
Re:東京35区時代の地形図事情
[94708] Takashi
この地図が発行されている頃には当然この地域は東京市の一部になっているわけですから実態を反映していないことになるですけど、当時の地形図というか測量を実施した帝国陸軍としてはそのあたりが実態を反映していなくても問題なかったものなのでしょうか?

[94736] hmtさん
陸地測量部としては、縮尺の違いにより次のように異なる対応をしたものと推察します。

2.5万図については、需要の中心であることを考慮し、既に編集作業の終っていた合併前の原図を利用した「二色刷り」を採用し、35区発足から1ヶ月というスピード作業により発行することを実現した。

1万図については、正規の編集作業により、時期としては遅れた。それでも戦時中に発行できた。

5万図をどうするか? とにかく2.5万図の作業を優先させてから考えた。
既に時代遅れということもあり、未修正のまま約2年遅れの1934年に発行した。

[94784] hmtさん
1932年の東京市35区に対する陸地測量部の対応問題。
これについては、既に[94736]の末尾に hmtの推察を書いておきました。
要するに、当時から既に5万図は時代遅れの存在になりつつあり、2.5万図の加刷や1万図の新発行を考慮して、未修正のまま発行したのだろうということです。
[94766]で ekinenpyouさん からも同意していただいたものと思っています。

私の些細な疑問から昭和初期の地形図事情に関する興味深い話を伺うことができとてもありがたいと思っております。

既に東京周辺ではより大縮尺の地図である2.5万図や1万図の方が重視されており、5万図は時代遅れの存在になっていたのかもしれませんね。

それにしても
[94784] hmtさん
世田谷など一部については、大正末期には5色刷の豪華な地形図も現れていたことなどに驚きました。
というのは初耳でした。あとどの図版かは具体的には言いませんが自宅の近くの1万図が仮製版ではあれ2色刷まで用意してあったとは。あの辺りに何があったのでしょう?(これについては答えは求めておりませんのでそのまま放置してください)
[94770] 2017年 12月 26日(火)06:12:17【1】Takashi さん
「1億円寄付」した人
[94768] 山野さん
「篠山市」を「丹波篠山市」に改称するかどうかという議論が此処で以前ありましたが、
昨日の神戸新聞の記事に市名変更を希望する、とある市民が「1億円を寄付」したそうで。しかも「匿名」で。

記事を素直に読めば「丹波篠山市」への改称に対して前向きな人ではあるのでしょうね。
ただ実際に出資したのが「個人」かどうかはわかりかねますが。複数の人から出資を受けて誰かが代表として寄付をした可能性は否定できませんので。

……それより気になったのは改称が議会等で否決された際のこの1億円の行方なのですが。(え?)
[94762] 2017年 12月 25日(月)09:56:21Takashi さん
日本語で使用されている全漢字約6万字コード化
おそらく昨日のニュースで知った方も多いと思いますが……。

情報処理推進機構は平成14年から、経済産業省とともに外字を含めたおよそ6万字の漢字1つ1つに、コード(文字に割り付けられた世界共通の番号)を割りつける作業を進めた結果、このほど15年越しでようやく完了し、国際規格として登録されました。NHK

このニュースでは人名の方に重きを置いていますが、地名の方でも現在のままでは対応できない漢字もあるはずなのでこれによってさまざまな地名が漢字で表記できるようになることが期待されます。

といってもまだ「国際規格として登録された」だけですので、実際に個人のPCで使えるようになるにはOS並びにフォントレベルで対応できるようにする必要があるのでしょうが……。
[94720] 2017年 12月 17日(日)19:47:22【2】Takashi さん
Re: Re: 1934年7月30日発行50000分の1地形図「東京西南部」
[94708] Takashi
印刷日は1934年7月25日で、発行日は1934年7月30日なのですが、現在の東京都品川区、目黒区、大田区、世田谷区、渋谷区にあたる地域がまだ町あるいは村のままの状態で残っております。(ちなみにこの地域の町村が東京市に編入されたのは1932年10月1日)
(中略)
この地図が発行されている頃には当然この地域は東京市の一部になっているわけですから実態を反映していないことになるですけど、当時の地形図というか測量を実施した帝国陸軍としてはそのあたりが実態を反映していなくても問題なかったものなのでしょうか?

[94719] hmtさん
Stanfordによる公開図は「戦前最後に発行された東京の地形図」という位置付けができますが、東京市35区体制発足(1932/10/1)から2年近くも後の発行であるにもかかわらず、行政区画変更が反映されていません。
しかも戦後の1946年まで次回の新版が発行されていません。

念のため、2.5万地形図【東京南部、東京国際空港、東京西南部、川崎】の図歴を見ると、戦前最後の発行は1932/10/30で、これも東京35区が反映されているとは思われません(未確認)。

1932年というと 日米戦争になるのは まだ9年も先のことです。東京市が35区になったことは、日本人にとっては知らぬ人はない公然たる情報なのですが、仮想敵国を抱える「その筋」としては、軍事情報の観点から地形図の更新や公開にまで気を使っていたようです。

もちろん世の中には「大東京35区」の地図が出回っているのですから、地形図だけに このような情報統制をしても実効は全くないと思うのですが、「防諜」という錦の御旗を掲げた「その筋」の圧力を感じることにより「地形図の更新や公開さえも ままならない」という状況が既に発生しかけていたのではないかと推測されます。

なるほど、その可能性は十分に考えられますね。

仮想敵国を抱える「その筋」が地形図の更新や公開にある程度気を使うのはやむを得ないとしても、軍事機密の関連から軍事関連の施設に気を使うのならまだしも、行政区画の変更というそれほど情報統制の必要性を感じないところまで気を使うのはやはり疑問に感じてしまいます。実際問題としては市中に出回っている「大東京35区」の地図を見る人の方が多いのであまり問題になっていなかったのかもしれませんが。

民間の地図でなく、「国の作った地形図」において 東京35区が出現したのは何時からか?

日本図誌大系関東I(朝倉書店)p.48に掲載された地形図に「世田谷区」の表示を見つけました。
戦後になった1945年から早速に修正作業が行なわれ、1947年に発行された 2.5万地形図に至り、ようやく東京35区、…いや既に【22区を経て】23区か…の名が地形図に掲載されたのではないか?
私はこのように考えています。

5万地形図東京西南部の図歴から各時点での地形図を見ることができるので確認したのですが、76-7-8(1947年に発行)の段階まではまだ東京35区は出現していません。76-7-9(1948年に発行)の段階になると既に「大田区」の表示が出ておりますので、この5万地形図ではこの時点で(東京35区の時代を通り越して)東京23区が表示されるようになったのではないかと思います。

それにしても反映されるまでに結構時間がかかったものなのですね。

追記:2.5万地形図東京西南部の図歴から各時点での地形図を確認したところ76-7-1-5(1947年に発行)で「大田区」の表示を確認できました。
いずれにしても東京○区への反映は資料修正で行ったようですね。

追記2:2.5万地形図東京西南部の図歴から各時点での地形図を確認したところ76-7-1-3(1932年に発行)では新しく編入された地域の区並びに町の境界が赤で追記されていました。これはどの段階で追記されていたものかはわからないのですが、発行された地図にはこの境界の記載は反映させていた……のですかね?


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