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Takashiさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[95378]2018年2月3日
Takashi
[95376]2018年2月3日
Takashi
[95374]2018年2月3日
Takashi
[95369]2018年2月2日
Takashi
[95366]2018年2月2日
Takashi

[95378] 2018年 2月 3日(土)23:59:02【2】Takashi さん
寺山
[95377] YTさん

寺山に関しては、1995年の国勢調査における岡山県の小地域集計の段階で、既に大字寺山になっていたようです。

実のところ1972年の『日生町誌』は、寺山地区に関して、「大字福浦」と書いている箇所(4,25,33頁)、「大字寺山」と書いている箇所(39頁)が混在しており、もしかしたら1972年の段階で既に大字寺山となっていたのかも知れません。

なるほど、いつごろか完全に特定はできませんが1972年の『日生町誌』で寺山地区の所属する大字の記述にばらつきがあることを考えると1972年付近で大字の変更があったのかもしれませんね。

寺山地区が日生町に留まった経緯は『日生町誌』には全く記載がありませんが、おそらく水道事業に関係があると思います。寺山地区は吉井水系の支流金剛川の上流にありますが、一方で赤穂市側の他の福浦地区は分水嶺を挟んでいます。水源保全の観点から、寺山が分けられたのではないでしょうか?

現在寺山地区にある寺山大池ダムは越境合併騒動前からあったようですが、備前市のホームページによると、「寺山飲料水供給施設」を通じて寺山地区に水道が供されているようです。

基本的には水源保全の観点から分けられたというのはそういうことなのかなと思います。あと、寺山地区と赤穂市側の他の福浦地区の間に分水嶺があることも寺山地区があえて越境合併に参加しなかった要因なのかなとも思います。

訂正:これまでの記事の内容を確認した上で取揚島に関する書き込みを修正のちに削除
[95376] 2018年 2月 3日(土)21:52:15【1】Takashi さん
仙北町
[95375] 伊豆之国さん

あと、気になるのが盛岡市の仙北町(住所は仙北・東仙北・西仙北・南仙北)。盛岡の中心市街からは南になるので、この「仙」はどこから来ているのでしょうか。

実はこれは仙台の……、なわけはありません。盛岡市の公式HPによりますと、

仙北町は,江戸初期に,2代藩主南部利直が奥州街道の南口に出羽国仙北郡の出身者を住まわせたことに由来するという。

ということで、現在の秋田県の仙北郡に由来するもので、その歴史は江戸初期まで遡ることができるものだそうです。

似たようなものに近世初頭の慶長期(1600年前後)に南部氏が城下を三戸から盛岡へ移す際に盛岡城造営や城下町建設の工事に従事した三戸出身の人々が集住したことにちなむ三戸町があったそうです。……といっても現在住所として残っているわけではないのでどのあたりかはっきりはさせられないのですが、このあたりなのでしょうかね?

追記:盛岡市の公式HP内にある城下盛岡町名由来記(改訂版)の7ページに三戸町に関する記述がありました。それによりますとだいたいこのあたりだったようです。範囲としては現在の盛岡税務署南西の丁字路付近から中央通り二丁目交差点の北側あたりまでになるのでしょうか。
[95374] 2018年 2月 3日(土)18:02:52【1】Takashi さん
加茂と美濃加茂
[95373] さざ波さん

彼らは、共に1954年生まれの兄弟です。今では、兄は新潟県、弟は岐阜県に住んでいるようです。今年64歳になる彼らですが、弟は未だに成長期のようで、その伸び率は県内の市でトップです。

と、書いてはみたものの、この2つの市に関連があるのか分かりませんね、いちおう市区町村雑学「市の同名回避」の「旧国名で区別している例」に記述があるのですが。

ちょっと気になったので調べてみました。

まず新潟県の加茂市ですが、加茂市の公式HPによると市名の由来は京都の賀茂神社によるものだそうです。その経緯は西暦794年、都が京都に移された際に、現在の加茂市中心部周辺が京都の賀茂神社の社領になったことによるものであり、現在もその分霊を市内の青海神社にまつり「加茂大明神」と称しているとのこと。

で、岐阜県の美濃加茂市ですが、直接的には合併前の各町村が所属していた加茂郡に由来するのでしょうね。「鉄」的には市内の美濃太田駅の存在も捨てがたいところですが、いずれを採用するにしても同名回避は避けられないわけで、合併前の太田町と古井町の規模があまり変わらないくらいだと中山道の旧宿場でもある「太田」を前面に出すのも難しい。だったら加茂郡から名前をとるのが妥当と判断したのでしょう。
問題は加茂郡の郡名の由来ですが、これはどうやら京都の賀茂神社とは直接の関係はなく、古代にこの地を治めていた県主(あがたぬし)の賀茂氏に由来する相当古い地名であるらしいです。ちなみに京都の賀茂神社につながる賀茂氏には複数の系統があるのですが、いずれも現在の岐阜県の加茂郡とのつながりはなさそうです。Wikipediaでごめんなさい。

適当に調べた感じなのできちんと調べると違う結果が出るかもしれませんが、どうやら両市の間にはつながりはなさそうですね。賀茂神社あたりのつながりがあれば面白いことになったのかもしれませんが。
[95369] 2018年 2月 2日(金)19:47:07Takashi さん
Re:大字福浦の所轄について
[95367] YTさん

お忙しい中わざわざ調べてくださりありがとうございます。なるほど、そういうことなのですね。

ところで福浦の中で日生町に留まった地域のうち本土側の寺山地区については今も日生町寺山として大字が残されているようですので寺山地区は寒河にはならず寺山という独立した大字になったということなのでしょうね。ここが日生町に留まったのは福浦の大部分が赤穂市側とのつながりが強かったのに対し、寺山地区は日生町とのつながりが強かったことが要因なのではないかと思うのですがどうでしょう?水系としては兵庫県(福浦)側につながっているようですが、道路の方はあまり行き来がないのか整備はされていないように見受けられます(国土地理院地図。もっとも道路の整備自体は県境変更後に行われたものがほとんどでしょうからあまり参考にはならないのでしょうけど)。

あと鹿久居島や取揚島に所属する小字については記載がないのはこれらの島が無人島であった(ある)ことと関係しているのかもしれませんね。

鹿久居島と寺山地区については(いつ頃そうなったかということについての答えはまだ出ていないが)だいたい結論が出たような感じがします。取揚島がどうなったかはその後の変遷も見ないとわからないので正直なんとも言えません。
[95366] 2018年 2月 2日(金)18:23:15Takashi さん
Re:日生町誌の福浦に関する記述
[95365] Nさん
目次を見る限り、福浦の越県合併については章立てもされていて(第四編2章)、10ページほど記述があるようなので、そこそこ詳細に書かれているのでは?と思います。

まあ、町の歴史の中で重要な事柄ではありますから章立てがされていて(第四編2章)、10ページほど記述があっても不思議はないでしょうね。

ただ、この中に記述されていることのほとんどは
・福浦が赤穂市への編入を希望した理由
・福浦の赤穂市への編入が決まるまでの経過
に重きが置かれており、
・福浦の中で日生町に留まった地域が存在した理由(漁業権の関係もあるのでそれなりには書いているでしょうけど)
・福浦の中で日生町に留まった地域のその後(これは他のところで記述されている可能性もありますが)
にどこまで踏み込んでいるか……がこの場合は知りたいところですよね?

[95364]で述べたとおり、国立国会図書館にはデジタル化資料のうち、絶版等の理由で入手が困難な資料を全国の公共図書館、大学図書館等(当館の承認を受けた図書館に限ります。)の館内で利用できるサービスがあり、そらみつさんがお住まいの八王子市内にもそのサービスを受けられる図書館がありますのでお暇なとき(ですよ、もちろん。無理矢理時間を作らなくていいですからね)にでも使って調べてみたらいかがでしょうか?


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