都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
たけもとさんの記事が5件見つかりました

… スポンサーリンク …


記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[2408]2002年8月4日
たけもと
[2391]2002年8月2日
たけもと
[2388]2002年8月2日
たけもと
[2369]2002年7月31日
たけもと
[2368]2002年7月31日
たけもと

[2408] 2002年 8月 4日(日)20:57:42たけもと さん
新設地名
>を見ると、確かに「丘」や「台」といった地名が目立ちますね。
>...これには何か深いわけがあるのでしょうか?

「丘」や「台」とは山や丘陵を切り開いて開発した土地につけられた地名でしょう。
新たに地名を新設するときというのは、その地区の人口が増加したか新たに開発
されたかする場合が多いでしょうから、丘や台が多くなるのはある意味必然でしょう。

もっとも、丘や台を使用した安易な命名が多いのも事実ですが・・。
[2391] 2002年 8月 2日(金)23:23:18たけもと さん
Re: 札幌市と名古屋市、あるのは東西南北のみならず
>その時は、「緑区」を「発」とみなしてたのじゃないかな?
>探す気力もないですが・・・。

[305]にありました。

>こんなに投稿数があると、過去に話題になった内容かどうかスレを立てるとき不安ですね。
>なんとかならないものでしょうか?

そんなときのために記事検索の機能があるんでしょうが・・。
私はこの記事を「緑」と「発」のand検索で見つけました。
[2388] 2002年 8月 2日(金)22:16:50たけもと さん
日立
[2374][2375][2376]
>日立駅が助川地区に近いので、ここが旧日立町と思っていました。常陸多賀周辺の
>沿革はなんだろう。郡名を名乗る以上、広域の中心地だったと思えるのだけれど。
>日立市といえば、阿武隈高地の一端を成す、高鈴山と神峰山を結ぶ稜線の西側にある
>東河内、下深荻、入四間の各地区の沿革を御存知の方はいますか?

ここを参照されるとよいかと。全部書いてあります。
http://www.ijsnet.ne.jp/users/shayu/hpsougyou/4gr/sougyou4.htm
[2369] 2002年 7月 31日(水)23:56:12たけもと さん
Re: 日立
>「日立鉱山」は初め「赤沢鉱山」と言っていましたね。
>「日立市」の中心市街地の名前は「助川」だったり「大甕」だったり「多賀」だったり。
>「日立鉱山」と,自治体名としての「日立町」とはどちらが先だったのか。

自治体名が先です。

元禄年間:徳川光圀が神峰山に登り「日の立ち昇ること領内一」の言葉を残す。
明治22年(1889):宮田村と滑川村が合併。日立村と名づけられる。
明治38年(1905):久原房之助が赤沢銅山に近代資本を投入。日立鉱山として採鉱開始。
大正9年(1920):株式会社日立製作所発足。
大正13年(1924):日立村が日立町に。
昭和14年(1939):日立町と助川町が合併し日立市となる。
[2368] 2002年 7月 31日(水)23:17:29たけもと さん
というわけで移転


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示