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ニジェガロージェッツさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[25563]2004年3月1日
ニジェガロージェッツ
[25536]2004年2月29日
ニジェガロージェッツ
[25519]2004年2月29日
ニジェガロージェッツ
[25425]2004年2月26日
ニジェガロージェッツ
[25385]2004年2月26日
ニジェガロージェッツ

[25563] 2004年 3月 1日(月)01:18:32ニジェガロージェッツ さん
補足
拙稿[25536]においてご説明できていない、舞子地区西端から明石市域に跨って開発された「明舞団地」については、神戸または明石のどちらの都市に属するかは正直なところ判定できかねます。
住民意識からすれば市域通りの帰属意識にも思えますが、所詮一つの団地に過ぎません。
強いて言えば、明舞団地の「足」となっているJR朝霧駅が、かろうじて明石市域に位置しているので、「明石寄り」かも知れませんが・・・。

加えてもう一つ。
現在の西区の区域、玉津地区や伊川谷地区等には明石駅前を起点とする神戸市バス、神姫バスが運行しています。また岩岡地区へは明石市内の大久保駅がバスの起点となっています。
仮に、これらの地区に住む神戸市民が神戸都心へ出かけ、公共交通機関で帰路へ就いたとします。
その帰路、JRまたは山陽電車の明石駅に着いてからバスに乗り換える訳ですが、ここで、明石駅を降りた際に「帰ってきた」と感じるならば一体どうなるのか?
やや短絡的ですが、
(1)文字通り、住民意識として「明石」に帰属する
(2)住民意識としては住所通り「神戸」に帰属する、この場合、「明石」は神戸の一部だと思っている。
が考えられます。
その一方、明石駅を降りた際に「他都市に足を踏み入れた」と感じる人が居るかどうか?
居たとすればその住民意識としては「神戸」に帰属すると推測出来ます。

もうこのレベルの話になれば、明石駅前のバスターミナルでインタビューでもするしかなさそうです。

拙稿[25536]の人口推移表のうち、垂水区南部・北部の人口値を訂正しました。第二神明道路北側に位置する「潮見が丘」をうっかり南に入れて計算してしまったためです。失礼しました。
[25536] 2004年 2月 29日(日)14:09:23【1】ニジェガロージェッツ さん
旧垂水区域の市街化
[25523] 2004 年 2 月 29 日 (日) 08:16:06 軒下提灯 さん
神戸市垂水区の市街地は神戸本体の市街地とは地形的に隔絶し、むしろ明石市街地と連続状態にあるため、明石&垂水の市街地を1ククリにして1つの都市としています。

軒下提灯さんがご作成の「日本の都市ランキングビッグ1,000!」は、昭和40年代の統計情報がベースとなっているようなので、ここで言う「神戸市垂水区」は現在の垂水区域ではなく、当時の旧垂水区域として考えます。
当時の垂水区は現在の垂水区、西区全域に加え須磨区北須磨のうち名谷団地以西をその区域としており、嘗ては全土が明石郡の郡域でした。
これらの区域は神戸市街地の本体とは急峻な六甲山地の一角にあたる通称「須磨アルプス」(拙稿[8156][8162]をご参照下さい)に遮られ、市街の連担は物理的に望めません。一方の明石市街とは地形的な障害はなく、現在の垂水区および西区玉津地区、伊川谷地区の西部では事実上市街地は明石と繋がっています。
この現状を踏まえて、時代背景は昭和40年代後半を想定しての話として旧垂水区域を6つに分けて考えてみます。
但し、ここからは小生の主観が濃く入り、客観的なのもではありませんので、ご了承下さい。因みにこの区域には個人的に知り合いも多く、馴染みのある所ですが、小生自身は住んだ経験がないことを付け加えておきます。

当時の垂水区で市街化されていた区域は
(1)国鉄線、山陽電車線、および国道2号線に沿った海岸周辺。一部垂水駅あたりより福田川に沿って内陸に開発の進む市街地を含む
(2)現在の西区玉津地区南部
(3)現在の西区押部谷地区の神戸電鉄沿線

(1)の区域はその沿革から更に細分して考えます

(1-a)東部の塩屋町、東垂水あたり
この地域は戦前期より神戸・大阪圏の別荘地として開発のあった地域で、その意味では同じく別荘地として開けた須磨区西部の丘陵地帯と同一の発展をしたものとして、明らかに神戸との連帯が見られます。
代表的な別荘地としては塩屋町の丘陵に開発された「ジェームス山」が代表です。
漁村としての旧塩屋村は別として、戦後の市街地化もあくまで神戸市街地の一部として発展しています。

(1-b)垂水駅周辺(福田川左岸の東垂水町西部を含む)
垂水漁港を核として古来より独自の発展をした地域で、この限りにおいては神戸でも明石でもありません。
戦後は背後の丘陵地に住宅団地の大規模な建設が始まり、昭和34年の高丸団地を嚆矢(雑魚さんが懐かしい・・)としています。これら一連の住宅団地は神戸市人口増加の受け皿としての側面が強く、その意味においては明らかに神戸の一部です。
住宅団地の形成とともに人口は増え、それに合わせて垂水駅北側では商業核として発展が見られ、町の性格から漁村の要素が薄れてきました。

(1-c)舞子あたり
垂水区の西部に位置し、明石市に隣接しています。嘗ては「山田村」と呼ばれ、江戸期には明石藩領でした。当然明石との結びつきは深く、その意味において神戸ではありません。
明治22年に山田村は東垂水、西垂水、多聞、塩屋、下畑、名谷の各村と合併し垂水村の一部となり、垂水の一翼を担い発展しましたが、昭和16年に垂水町(昭和3年町制)の神戸市編入により神戸市域(昭和21年までは須磨区)となりました。
昭和30年代以降に区内で始まった住宅団地建設は舞子の背後の丘陵地でも始まり、これらの事情は前出の垂水の高丸団地等と同じです。これらの住宅地からは明石海峡の見晴らしが良く、当時は人気がありました。

(1-d)第二神明道路以北
現在の垂水区北部です。昭和44年の5万分の1地形図では舞子の北方にある多聞台団地以外には目立った造成地は無く、ほとんどが古来よりの丘陵地とそれらの谷あいに村落が点々と分布しているに過ぎません。また現在須磨区に編入されている名谷団地の区域でも造成が行われていません。

(2)玉津町南部
明らかに明石市街地の一部です。
実際に明石市は昭和18年に玉津村との合併を県に申請しましたが、これは不成立に終わりました。背後には当時神戸市において市域拡張により大神戸市を建設する構想が始動し(前出の垂水町の神戸市編入はその一環。拙稿[8578]に既述。但し戦時非常時により中断)、明石市そのものが神戸市域に編入の構想になっていたことも一因と考えます。
そして現在の市街化も神戸の一部というよりは明石市街地の拡大による性格が濃いと思われます。

(3)押部谷町の神戸電鉄沿線
明石とは全く関係の無い地域です。この地域を走る神戸電鉄粟生線は神戸高速新開地駅(兵庫区)と三木市街を結び、この区域の発展は神戸の一部(三木派も考えられますが、こちらは少数派でしょう)としてのものです。
但し、昭和44年の5万分の1地形図では現在のような顕著な市街化は見受けられません。

最後に参考の付表として、国勢人口推移データを提示しておきます。
区域\年次昭和40年昭和45年昭和50年昭和55年昭和60年平成2年平成7年平成12年
旧垂水区域計148,014207,880275,279320,357363,483423,436491,509486,330
垂水区南部97,670144,929166,747163,993161,851161,839163,044151,475
垂水区北部7,58116,41938,68248,76562,36173,41577,21474,895
須磨区名谷団地以西1,63720,65728,49729,60229,08824,197
西区伊川谷5,5067,44711,78414,69621,62342,66260,79161,209
西区櫨谷2,8442,8762,9382,9637,87525,26545,38354,744
西区押部谷5,7626,49714,65923,03926,98328,61733,61032,400
西区玉津11,96612,16019,94526,06828,57232,53337,62240,871
西区平野4,1934,3054,4984,3258,0889,94323,17523,172
西区神出6,7737,3358,0708,3698,6088,5158,5488,682
西区岩岡5,7195,9126,3197,4829,02511,04513,03414,685
注)垂水区の南部・北部の人口計算は、昭和45年~平成7年のデータは国勢統計区ベース、昭和40年および平成12年のデータは町名ベースで算出。おおよそ第二神明道路を区切りとしました。
昭和55年以降、伊川谷、櫨谷、平野で人口の激増が見られますが、これは西神ニュータウン、西神南ニュータウン、学園都市の造成、市営地下鉄の西神中央への延伸に寄るところが大きく、いずれも神戸の発展の一環と見ることができます。
最後に垂水在住(舞子を含む)の小生の知人連中から受けた印象では、やはり神戸の住民との意識が強く、明石に対してはその意識が全くといってよいほど感じられません。

*記事訂正 平成12年の垂水区南部・北部の人口値を修正。
[25519] 2004年 2月 29日(日)02:55:41ニジェガロージェッツ さん
ニジニ・レス No.381
[25501]グリグリさん
ご多忙とのこと、ご苦労お察し申し上げます。とはいえ、ご健康は害しておられないようで一安心しました。
ただ季節の変わり目ですので、くれぐれもお身体ご自愛の程。

[25502]軒下提灯 さん
クイズここはどこでしょう!の答えは、A/高梁市、B/津山市、C/備前市でした。
やはりそうでしたか。地図を拝見して、一方に脊背山脈らしいものが走り、他方はなだらかな丘陵地帯が続いている事から、すぐに山陽地方であることがピンときました。
横溝正史の「八つ墓村」のモデルとなった事件は、戦前の暗澹たる世相の中で実際に起きた陰惨を極めた所謂「津山三十人殺し」ですが、実際には現在の津山市域ではないようです。

テレビドラマ「八ッ墓村」があったのを憶えていらっしゃいますか?。主演陣が山本耕一、水野久美、柳川慶子。
存じませんでした。検索サイトで調べたところ昭和46年8月のNHK銀河ドラマ「サスペンスシリーズ」での放送のようですが、小学3年生の小生は見ていませんでした。
記憶にあるのは昭和52年~53年放送の毎日放送「横溝正史シリーズ」で昭和53年4月に放送があったものですが、同シリーズにあった「悪魔が来たりて笛を吹く」は小生の地元が舞台ですが、この中で俳優が「板宿」のことを「いたじゅく」と言っていたのが今でも耳にこびりついています。
実際には「いたやど」(神戸市須磨区)です。
[25425] 2004年 2月 26日(木)23:29:26ニジェガロージェッツ さん
阪神間の同名駅は「敵対的」でしょうか?
[25399]かすみ さん
レスありがとうございます。ご紹介頂いた「JR西日本新駅プロジェクト」拝見させて頂きました。
JR付きの新駅名が3つもあるのには、正直閉口してしまいました。
要するにJR以外の既存の同名駅との混同を避ける意図があってのことでしょうが、これも時代の流れでしょうか。
旧国鉄では、阪神に「尼崎駅」があるにも係わらず、昭和24年1月に神崎駅と呼ばれていたのを尼崎駅に改称した(それまでは後の「尼崎港駅」が「尼ヶ崎駅」と呼ばれていた)のと比べて随分変わったと感じます。(そんな古い話を持ち出すなてか?)

さて、阪神間には浜側から阪神、JR、阪急の3線が平行して走り、所々に同名駅が存在します。
勿論、それ自体は珍しいことではないかも知れませんが、首都圏の人の目には、あちらでは比較的同名駅が協力して地域を支えているのに対し、阪神間のそれは寧ろ互いに敵対的であるとさえ感じられるそうです。

「須磨海浜公園前駅」の話、最初に聞いたときは「須磨浦公園駅」に
対抗しての命名かと思いました。。。

面白い見方ですね。
確かに考えてみれば紛らわしいです。特に山陽電車には「東須磨」「須磨寺」「須磨」「須磨浦公園」と須磨の付く駅名が4つもあり、JRの「須磨」を入れて更に「須磨海浜公園前」と加われば、一概に「解り易い駅名」とは言えないような気がします。


ところで、
最近グリグリさんのお姿が見られないのですが、日々ご多忙とはお聞きしておりましたが、何かお変わりがあったのでしょうか?
書き込み25000件達成の快挙にもご登壇がありませんでした。気懸かりです。
「落書き帳」へのご登壇、楽しみにお待ち致しております。
[25385] 2004年 2月 26日(木)08:56:18【1】ニジェガロージェッツ さん
新駅名称に想う
先日、神戸市須磨区のJR山陽本線(通称、神戸線部分)の鷹取―須磨駅間に新駅を設置する方針がJR西日本から発表されました。「落書き帳」でも[25315]なおさんからお知らせがあり、ご記憶に新しいところでしょう。

ところで、この新駅の名称が仮称とはいえ「須磨海浜公園前駅」だそうです。
勿論、この名称だと他の地域か来る人には解り易く、須磨海浜水族園や須磨海水浴場の最寄り駅として認識され易いことから、利用客が見込まれるという狙いは理解できます。
ただ、地名好きで近くに住む者としては、なぜ「若宮」などの既存の地名や地区名ではいけないのかという気持ちがあります。
というのは、昨今、「~公園」とか「~前」といった新駅名が多いと感じており、この手の名称には「またか」とウンザリ気味です。
同じ神戸市では2001年7月7日に市営地下鉄海岸線(新長田~三宮・花時計前)の開通がありましたが、ここでの新駅名は、市民からの公募の結果を受けて、その多くが「改称」させられました。
駅名計画時の仮称
三宮・花時計前三宮
旧居留地・大丸前元町
みなと元町栄町
ハーバーランド神戸
中央市場前中之島
(和田岬以西の和田岬、御崎公園、苅藻、駒ヶ林、新長田は仮称のまま採用)
既存の地下鉄「三宮」と区別する上で「花時計前」を付けたのは頷けるとしても、これらを見比べるて敢えて私見を述べれば、採用された駅名はまるでバス停のようで、仮称のほうが余程駅名らしいです。
その上、更にJRまでが「須磨海浜公園前」とは、・・・再考を願いたい気分です。
あくまで個人の好みで、古い考えですが、駅名は漢字2~3文字にして欲しいとの想いがあります。

ところで話は脱線しますが、自動車道の阪神高速に「京橋」という出入口があります。
一般に関西で「京橋」といえば、大阪のターミナルで繁華街としても有名な「京橋」を連想しますが、この「京橋」は3号神戸線にあり、場所は三宮の南に辺り、神戸港の新港突堤に隣接した通称「税関前」と呼ばれるところに位置しています。同線でも「最も神戸らしい所」といっても過言ではないでしょう。
由来は神戸旧居留地の一区画「京町」の南、埋立地の波止場(新港突堤)に架る橋「京橋」から取ったものですが、「細かい地名」に過ぎません。「京町」の由来については、東西両隣が「江戸町」「浪花町」と続くことから、推測は容易でしょう。
それにしても大阪に同名の有名地名があり、わざわざ神戸のど真ん中に「京橋」とは。
もし、時代が現在なら絶対に「京橋」とはせず、恐らく「神戸港」とか、「三宮」と名付けたことでしょう(もしかしたら「ポートアイランド前」とか、冗談ですが)。

但し、小生はこの地に「京橋」と命名した(昭和40年代初期の)感性を高く評価したいです。感動的な奇跡の命名とも感じます。
同線では更に「柳原」「湊川」と続きますが、これも現在の感覚で名付ければ差し詰め、「兵庫」「新長田」と靡きそうです。
阪神高速では、昨年8月に新たに31号神戸山手線が開通し(拙稿[8156]に述べた新線です)、設けられた出入口は「神戸長田」「妙法寺」「白川南」です。「白川南」を「須磨北」としなかっただけ、ましといったところでしょうか。

自動車道のインター名と鉄道の駅名を同一に論じる事は、少々的外れの感はありますが、その地域を代表する名称として、考えていきたい所です。


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