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稚拙さんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[62737]2007年12月1日
稚拙
[62495]2007年11月12日
稚拙
[62035]2007年10月18日
稚拙
[61090]2007年9月8日
稚拙
[60913]2007年8月30日
稚拙

[62737] 2007年 12月 1日(土)13:24:21稚拙 さん
遅レス13
[62561] 2007 年 11 月 18 日 (日) 14:42:28 アルバトロス さん
RE:戸籍調査?
(中略)
昔、ある方を訪ねて場所が分からなくなった時、交番で聞いたら調査票の綴りを出して確認してくれたことがありました。

昔ある人の住所を知ろうと交番できいたら、警察官は電話帳で調べていました。約20年前、電電公社がNTTになってすぐのことでした。

しかも同姓同名が多くて結局わかりませんでした。さらに、その人は電話帳に名前を載せていないことがあとでわかりました。

電話帳に名前を載せないなんて、なんて不親切な、と思いました。振り込め詐欺もない時代のことでした。
[62495] 2007年 11月 12日(月)14:16:39稚拙 さん
遅レス12
[62315] 2007 年 10 月 31 日 (水) 19:00:35【3】 日本人 さん
今月最後
(中略)
Wikipedia:オタク
おたくとは、社会的認知度が高くない趣味に傾倒する人の一つの類型またはその個人を示す言葉である。
とのことらしく、ファンは
Wikipedia:ファン
ファン(fan)は、特定の対象に対する応援者、愛好者のこと(fanatist:狂信者の略)。
らしいです。

なんでも「狂信者」っていう意味を含んでいるのがいやで、愛好者のことをファンでなくエンスージアジスト(略してエンスー)って言おうとしている人がいるらしいですが、フライトアテンダントやスリジャヤワルダナプラコッテ並みに言いにくいことばですから、たぶんE電並みに根付かないでしょうね。
[62035] 2007年 10月 18日(木)14:25:17稚拙 さん
遅レス11
[60904] 2007 年 8 月 29 日 (水) 22:18:34 小松原ラガー さん
4市増 + 思い出の四つ角・・・

小松原ラガーです。
(中略)
え~と、先日京都に行って参りました。で、発見。[60710] 千本桜 さんのクイズにもあった
>>K:四条河原町
>>(四つ角のどちらでデートの待ち合わせをするか?それが問題だ。)
ですが、20年ばかり前の話を・・・。実は、私の学生の頃は四条河原町の交差点は
北東 化粧品屋、雑貨屋など
南東 阪急百貨店
南西 高島屋
北西 ユーハイム
となっており、待ち合わせ場所に使う時は「阪急百貨店側」とか「高島屋の前」とか、交差点のどちら側かを指定して待ち合わせることになります。

「待ち合わせ」で、とあることを思い出しましたので書いてみます。

ぼくが仙台に住んでいたころ、「藤崎」というデパートで待ち合わせすることになりました(男複数名とです)。
藤崎は、「一番丁」と「中央通り」というおもに歩行者用の道路の交差点の南東側にありました。

藤崎にとって中央通りは北側にあるのですが、南側は青葉通りなのです。乗用車がたくさん通る通りです。
ぼくは「藤崎の前」で待つように言われたので、「前」と言えば交通量の多い青葉通りのことだと思い、ずっと青葉通りの出口の前で待っていたのですが、しばらくして待ち合わせ相手の1人がやってきて、「藤崎の前と言ったら中央通りの出口のことだ」と言われてついていくと、ぼく以外の人はみんな中央通りの出口で待っていました。

藤崎の前が待ち合わせ場所になったのはこれが最初で最後になってしまったので、一般的に仙台で藤崎の前と言ったら大多数が中央通りの出口のことをさすのかわかりませんが、「前と言ったら南側」という常識的な考えがあてはまらない場合があるんだなと思いました。
[61090] 2007年 9月 8日(土)15:12:57稚拙 さん
Re: 地図ファンになるきっかけは何でしょうか
[60949] 2007 年 9 月 1 日 (土) 06:41:05【11】 日本人 さん
レス
(中略)
この落書き帳のメンバーに質問です。地図ファンになるきっかけは何でしょうか僕は3歳の時カーナビに初めてふれたからです。

ぼくが地図を良く見るようになったわけは、やはり「遠くに行きたい」からですね。

ですが、「日常的に電車に乗っている時期」って、それほど遠くに行きたいとも思わないんです。ぼくの場合、高校時代とか、就職して最初の2年が日常的に電車に乗っていた時期でした。そのころはそれほど遠くに行きたいとも思わず、地図もそれほど見たいとは思いませんでした。

それでも高校時代、地元になかった2万5千分の1の地図が前橋に売っていたので地元の地図を買ったりしていましたが、地元を確認するためで、遠くに行くこととは無関係でした。

電車に乗っていない時期は、むしょうに遠くに行きたくなるわけです。でもそんなに遠くに行くわけにもいきませんから、時刻表を見るわけです。でも時刻表の地図って日本列島をぐしゃっと折り曲げていて形が不正確なので、それを地図で「補完」したりするわけです。

まして学校や会社でいやなことがあると、とても遠くに行きたくなるわけです。

それから、クラスの他の人たちが自分より多く遠くに行っているのではないかと思った時、たとえば、高崎の観音様にバスで行ったときに、ガイドさんに「観音様に来るのがきょうはじめての人!」とか言われて元気に手を上げたら、ぼくしか手を上げてなかった時、そんな時に遠くに行きたくなり、地図を見たくなりますね。

あと群馬県って、養蚕が日本一ですよね。ぼくが小学校のころ、うちは養蚕農家だったんですよ。養蚕っていうのは夏休みがシーズンなんです。だからぼくは夏休みにどこにも連れていってもらえなかったんです。

だから二学期になって、クラスのやつらが大洗に海水浴に連れていってもらったなどと言っていると、「大洗ってどこなんだろう?」と思って遠くに行きたくなりますね。

だからぼくは、小学生のうちから遠くに連れていってもらっている日本人さんが、とてもうらやましいのですよ。

たとえば横川の鉄道の博物館に行くと、どちらかと言うと日本人さんみたいに遠くに行くのが大好きという子供は少なくて、いやいや鉄道ファンのおとうさんに引きずられて来ている子供が多いです。

鉄道ファンの子供の親は遠出がきらいで、子供を横川などには連れていかないのでしょうね。うまくいかないものです。
[60913] 2007年 8月 30日(木)10:06:43稚拙 さん
遅レス10
[60613] 2007 年 8 月 15 日 (水) 20:22:27 ニジェガロージェッツ さん
 昭和76年の神戸市 ― (1)
(前略)
昨年、転宅した際にダンボール箱へ押し込んでいた雑誌類を今になって整理していると「新・神戸市総合基本計画のあらまし―2001」という懐かしい冊子が出てきました。
タイトルからは6年前の冊子のように感じられますが、実は31年前の1976(昭和51)年に当時の神戸市企画局総合調査課から発行されたものです。要するに、昭和50~51年当時に神戸市が夢見た21世紀初年の2001(昭和76)年の未来の神戸を、多くのイラストや地図を添えて描いたものです。
圧巻は巻末にある折込の地図で、ここには「えっ」と思うような所に地下鉄が通っていたりする一方、現実の21世紀の現在には存在するものが影も形も描かれていなかったり、今にしてみると随分面白い地図です。

SMAPの「夜空ノムコウ」という歌に、「あのころの未来にぼくらは立っているのかな」という歌詞がありますが、いまひとつ「あのころの未来」という言葉の意味がわかりませんでした。

しかしニジェガロージェッツさんの神戸の話を読んで、ああ、「あのころの未来」っていうのは、そういうことなんだな、とわかりました。

神戸以外にも、「あのころの未来」に相当する想像図があったら見てみたいですね。


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