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落書き帳

東日本大震災関連記事

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[78179]2011年5月8日
グリグリ
[80527]2012年4月14日
グリグリ
[82974]2013年3月11日
グリグリ
[90559]2016年6月5日
グリグリ
[97629]2019年4月15日
グリグリ

[78179] 2011年 5月 8日(日)08:49:42【3】オーナー グリグリ
南三陸町(旧志津川町)
連休を利用して家内の実家(一関市 旧花泉町)を見舞いました。地震の被害が酷く、とくに4月7日の震度6強の余震で追い討ちを掛けられました。家の地盤が液状化で緩み、家が傾き、壁などに大きな被害を受けていました。それでも未だに罹災証明の調査が行われていないため、応急処置や地盤改良など費用面でも大変な苦労です。岩手県は沿岸部の津波被害が甚大なため、地震による内陸部の被害への対応が遅れているようです。とは言え、隣接する宮城県の登米市や栗原市では罹災証明の発行は速やかに行われているそうで、県や自治体によって対応の違いが出ています。

実家を見舞った機会を利用して、南三陸町(旧志津川町)を見てきました。津波被災地については、報道映像で見るだけでなく、現地を直接見ておきたいという思いが強かったのですが、当初は迷惑になると思い行く予定はしていませんでした。ところが、義兄に「被災者は迷惑に思う反面、都会の人に被害の実態を直接見て欲しいという思いも強い」と言われたことから、急遽、見に行くことにしました。5月2日平日の朝早い時間に行きましたので、往来する車も少なく、復旧にご迷惑を掛けるようなことはなかったと思います。

[78159]に書いた北上川沿いの国道342号の一関街道を進み、登米市旧東和町の米谷(まいや)で北上川を渡り、本吉街道に入りました。国道398号です。山間の国道を進みましたが、一見、のどかな山村の眺めが続きます。ところが、この地点で情景が一変します。津波が到達したところです。その先は、すべてのものが破壊され、がれきの山です。道路こそ確保されていますが、それ以外の場所は未だにがれきが山積みです。至る所に、車や船の無惨な姿が晒されています。テレビの画面で見ていても、実際に目の当たりにすると、自然の力に圧倒され恐怖すら感じます。残っているのはビルだけですが、そのビルも鉄骨だけになったものや、形は残っていても、玄関や窓に車や船が挟まっていたりします。

この写真の右上にある南三陸町の合同庁舎には船が縦になって挟まっていました。左下の無事だった住宅街は高台ですが、崖側の残っている家々とその手前のがれきの山の対比が、津波の容赦ないエネルギーを見せつけます。こちらの写真の中央、南三陸町役場と書かれた少し上に、津波からの避難を有線放送で流し続けた若い女性が犠牲になった防災センターの三階建ての庁舎が写っていますが、屋上に残るアンテナなど、本当に悲惨な姿で残っていました。屋上に取り残されてヘリで救出された映像が流れていた、志津川病院も目の当たりにしました。すべてが想像を絶する姿です。

見渡す限りがれきの平原です。地図で見ると小さな沿岸の町に見えますが、こんなに広い町だったのかと感じる広さです。遺体の捜索も容易じゃないと思いました。朝早かったこともあり、復旧作業に当たる人の姿は見かけませんでしたが、そんな中で自衛隊の方々が救援活動を行っていました。志津川病院、南三陸署の前の国道45号を少し走ったあと、もと来た道を引き返しました。報道である程度の状況は分っていたとは言え、実際にこの目にすると、自然災害のとてつもないエネルギーと、被害の恐ろしさが直接伝わります。心に焼き付きます。やはり、この目でしっかり見てきて間違いではなかったと思いました。

今回の災害で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りするとともに、被災されている方々が心安らげる日々を取り戻せることを心から願っております。
[80527] 2012年 4月 14日(土)07:06:51【1】オーナー グリグリ
石巻・南三陸(2012年4月8日)
[80525] 白桃さん
ただ、以下の文言については[79738]で書き込んでおりますように、高知県は推計人口が復活しておりますので、市区町村プロフィールのトップ頁と北海道頁を訂正いただき、高知県の頁においては、全文削除をお願いいたします。
度々のご指摘をありがとうございます。さっそく修正しました。あわせて市区町村プロフィールのページレイアウトを見直しました(ほとんど気付かないレベルです)。
たびたび細かなことでお手を煩わせてスミマセン。
いえいえ、いつも大変助かっています。今後ともよろしくお願いいたします。

[80516] 白桃さん
[80510]グリグリさんの
明日は早起きして、仙台から、石巻、南三陸、登米を回ります。被災地支援活動として。
を見ると自分が恥ずかしくなってきます。
仕事絡みの人脈で活動しています。多少は仕事にも関連するかもしれませんが、今のところは会社の若手有志と一緒になっての個人活動です。当日の写真を整理したものがありますのでよろしければご覧ください。復興はこれからです。

「ITで日本を元気に!」支援活動 石巻・南三陸(2012年4月8日)

大川小学校や志津川はたびたび報道されて全国に広く知られていますが、同じ南三陸の歌津、戸倉、清水浜なども、本当に悲惨な状況です。とくに、歌津の国道45号線の海側バイパスの道路部分がそっくり流され、橋脚だけが立ち並ぶ様は、津波の恐怖を胸に刻み付けます。また、大川小学校の周りや釜谷地区のがれきがきれいに片付けられ、モダンな建築だったと思われる大川小学校だけが残っている様も、悲惨さを通り越して、自然の営みに抗えない無力感を強く意識させられます。北上川対岸の旧北上町役場や吉浜小学校の状況も、あまり報道されていないと思いますが、これでもかこれでもかと怖さを押しつけてきます。写真に撮りましたが、校舎に引っ掛かっているけん玉が心を揺さぶりました。ぜひ皆さんにもご覧いただきたいと思います。
[82974] 2013年 3月 11日(月)21:33:45オーナー グリグリ
南相馬市小高区(旧小高町)へ行って来ました
[80527]で紹介した「ITで日本を元気にする!」のメンバー36名と被災地沿岸を回って来ました。巡回ルートは、仙台 - 石巻 - 東松島 - 名取 - 相馬 - 南相馬 - 飯館 - 福島、の順です。南三陸方面には何度か足を運んでいたのですが、名取や相馬方面の津波被害のあった平野部は初めてでした。テレビや写真だけでは決して感じ取ることのできない現実に、まだまだ復興できていない、人・もの・心に胸が痛みました。

「ITで日本を元気に!」石巻から南相馬(小高区)を辿る(2013年3月10日)

昨日今日とテレビや新聞は思い出したかのような震災特番の連続ですが、復興は現在進行形というよりも停滞中という印象が非常に強いです。日本中の少しでも多くの人に復興しない現況を知らしめたいというのが今回の目的でしたので、微力ながら当サイトでも情報発信させてください。多くの皆さんに被災地の状況をご覧いただければと思います。

津波で家族や家を失った悲しみも凄まじいことですが、小高区や飯舘村のように、家は残っているけど住むことができない現実も、まったく違った意味でショックです。飯舘村には暗くなってから訪問したのですが、家に明かりが灯らない街並は恐怖さえ感じる空間でした。都会では決して見ることのできない星空に、どのように感動していいのか戸惑ってしまいます。
[90559] 2016年 6月 5日(日)23:17:25オーナー グリグリ
松川浦漁港海岸の復旧工事
週末に岩手に帰省し本日帰ってきましたが、帰途、南三陸志津川と松川浦海岸に立ち寄りました。また、昨日は、宮古、山田、大槌などを回ってきました。

志津川は盛り土工事が行われており、防災センターは台形型の盛り土に囲まれていました。献花台が国道45号を挟んで設けられており、お祈りに訪れる人も見られました。それにしても、三階建ての防災センターの屋上を超える高さの盛り土がピラミッドのように林立する様は、地形の変化もさることながら、工事後の街の景観はどのようになるのだろうと感じました。GooglemapのEarth画像です。盛り土工事の様子が分かります。

次に、2010年の震災前に訪れた松川浦をようやく再訪することができました(松川浦に関する記事)。現地の状況をネットで事前に確認せずに行ったのですが、松川浦大橋は手前で進入禁止となっていました。橋の手前の護岸工事が整備された漁港から鵜の尾埼灯台方向を望み、その後、このあたりに移動して、松川浦大橋全景と松川浦の内側を眺めることができました。その結果、津波で破壊された松川浦の海岸線と道路の復旧が進んでいることを知りました。

帰宅後ネットで検索してみると、福島県のHPに松川浦漁港海岸の復旧工事の様子が掲載されていました。GooglemapのEarth画像でも海岸堤防の復旧工事の様子が分ります。津波で海につながってしまった松川浦は、現在は再び海岸堤防で囲まれていました。またHPに紹介されている、尾浜地区の海岸堤防も工事が進んでいましたが、昨日訪れた宮古など三陸地区で見られる巨大な防潮堤と違い、こちらはそれほど高くない堤防なので圧迫感はありませんでした。地形の違いによる堤防の機能差の違いかもしれません。尾浜地区は防潮堤とは言わずに海岸堤防としています。

三陸道と仙台東部道路から眺めた石巻、宮城野、若林、名取、岩沼などの状況も含め、震災復旧は着実に進んではいるようですが、5年以上も経過した今も、未だに仮設住宅もあちこちで数多く目にし、津波被害のあった場所に賑わいはまだまだ返ってきていません。さらに、常磐道から眺めた小高、波江、双葉、大熊など、見た目はのどかに見えますが、人影はほとんどなく、数多くの放射能汚染廃棄物が随所に並べられて貯蔵されている様は、この場所に帰りたくても帰れない人々の思いを切実に感じられて、胸が詰まりました。

震災被害報道が薄れつつある今、あらためて現地をこの目で見てきてよかったと思っています。できるだけ多くの方が足を運び、報道からは見えない現地の生の状況に接して欲しいなと強く思いました。
[97629] 2019年 4月 15日(月)11:45:44【2】オーナー グリグリ
一目千本桜・松川浦・気仙沼大橋
[97623] 白桃さん
ともかく、今年の白石川堤一目千本桜の観桜は、花見酒プラス雪見酒になってしまい、大反省の白桃です。
先週末金曜日から日曜日まで所用で岩手へ行きました。行く途中、はじめて一目千本桜を堪能させていただきました。船岡城址公園からの眺望、白石川堤防沿いの重厚な桜並木、ちょうど満開で天気も良く、素晴らしいの一言です。柴田町の千桜橋周辺は良く整備されていて気持ちが良かったです。また、大河原町の韮神堰から眺める雪化粧の蔵王連峰は、川面の逆さ蔵王と千本桜が絶妙でした。もっとメジャーな観光地になってもいいのにと思いましたが、帰りの駐車場で、地元の方と思われる若い男性が、私の車のナンバーを見て「おっ、千葉!、千葉でも有名なのかな?」と思わずつぶやいていたのが印象的でした。

翌日、松川浦を案内して頂いた、とある方は、震災がもたらした景観の変化、いや、破壊に驚かれていました。そう言えば松川浦の惨状については、グリグリさんも何度か言及されていましたね。
岩手からの帰り、昨日、松川浦を再々訪しました。震災前の2010年8月に初めて訪問し([77886] )、2016年6月に再訪([90559])。今回が3回目です。前回はまだ松川浦大橋が通行止めでしたが、今回は松川浦大橋から松川浦の海岸線の道路が全て綺麗に整備されていました。最新のGoogleMapでよくわかります。漁港周辺も広々と綺麗になり、2010年に訪れた際に犬と一緒にボディボードを楽しむ女性がいた砂浜も以前と同じように復活していました。とても綺麗に美しくなったのですが、漁港の漁船にしても、周辺の雰囲気にしても、どことなく寂しげな感じがしたのは気のせいでもなさそうです。

松川浦の中州には仮橋(?)が架けられ、中州とその周辺には、砂防林用と思われる膨大な数の幼松が、竹の柵に囲われて育成されていました。常磐道に戻る途中で立ち寄ったビストロの店主は、津波に家を流されたとのことで、まだ、4回しか流された跡を見に行っていないと言われていました。思い出したくない、見たくないという想いが未だにどうしても拭えない様子でした。それでも、いろんな方が被災地に来てくれる、気にかけてくれるのはとても嬉しいと言われていました(カウンターに嵐の相葉くんと一緒に撮った店主夫妻の写真が飾ってありました)。

土曜日にははじめて気仙沼を訪問しました。大島とのあいだに気仙沼大橋が架かり(4月7日開通)、大島との行き来が格段に改善されました(国道45号との取り付け部分はまだ工事中)。大島は観光地としてもとても良いところでした。南端の龍舞崎と亀山展望台に登りましたが、どちらも絶景で、とくに亀山展望台からの360度の眺望はどちらを向いても素晴らしいの一言です。遠く、雄鹿半島と金華山を見渡し、気仙沼の街並みの背後にそびえる室根山の優雅(?)な姿を眺め、気仙沼大橋をくぐり抜け大島と唐桑半島に囲まれた水道を航跡を引きながら白い漁船が進んでいく様は、一編の詩のようでなんとも言えず風情がありました。ただ、津波とそれに続く大規模火災の影響で、松を中心として数多くの樹木が枯れたり倒れたりしており、そこには災害の爪痕がくっきりと残っています。

行き帰りに通った常磐道には、放射能汚染地区に入ると放射能濃度の表示板がありますが、最も高いところでは2.6μシーベルトが計測されていました。第一原発の現状は遅々として進んでいませんし、将来展望も未知数の部分が数多く残っています。道路周辺には、黒いシートで包まれ積み上げられた汚染土の集積地が数多く見られます。桜は満開になっていても、住民の姿は全く見られません。当サイトの人口データで0人と表示される7町村の復興はまだ始まってもいないという印象です。

もう一つ、芸能人著名人の地道な復興支援活動は報道でもたびたび取り上げられるところですが、今回、気仙沼で渡辺謙さんが「何かしなければ」とクリエイターの小山薫堂さんらの仲間と立ち上げたK-portカフェに立ち寄りました。なんとそこでご本人にお会いしました。たまたまイベントで当日いらっしゃっていたようです。仲間と打ち合わせをしたり、お客さんに水のサービスをしたり、厨房で皿洗いをしたりと1日中働いていらっしゃいましたが、誠実そうな人柄が伺えました。映画などで拝見する雰囲気そのままでしたが、気さくにお話しもさせていただきました(私の本名をネタに)。料理や飲み物もとても美味しくて、気仙沼に行かれる際は、立ち寄り先として間違いなくお奨めします。


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