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mikiさんのご指摘どおり、「群馬県菱村」ではなく、「栃木県菱村」ですね。
1959.4.1に、群馬県桐生市が菱村を編入しています。現在は桐生市菱町となっています。
また、1960.7.1には、群馬県矢場川村(当時)が、栃木県足利市と群馬県太田市に分かれて編入されるという、いわゆる「越境分村」がありました。
同様な事例は、埼玉県元狭山村(当時)が、東京都瑞穂町と、埼玉県入間市に越境分村した例があります。
ただし、細かく言えば、
1958.10.14 境界変更により、元狭山村の一部が入間市となる。
1958.10.15 瑞穂町、元狭山村を編入する。
という過程を経ています。
話を元に戻します。
足利市、桐生市、太田市周辺(「両毛地域」といいます)は、県は違いますが、同じ生活圏を共有しています。この特殊な生活圏構造が、相次いで県境を越えた合併を実現させたと言えるのではないでしょうか。また、菱村、矢場川村ともに、県全体からすればわずかな人口であったことも、県議会や国の同意を得やすい要因だったといえます。
このHPの市町村変更情報にもありますように、この地域における合併に向けた公式の組織は、太田市外5町による任意合併協議会があります。この合併協議会発足後間もない頃だったと思いますが、足利市長が記者会見で、「足利市は太田市と合併し、“両毛市”を目指すべきだ。同じ県ならとっくに合併している」と発言しました。実は小学生さんがおっしゃっているのは、この報道のことではないでしょうか?
足利市は、人口では栃木県で第2の都市ですが、近年は人口も停滞し、合併を模索したいところなのです。しかし、栃木県の西端に位置し、適当な合併相手がないのが実情です。そこで、県境をまたいで密接なつながりのある太田市との合併が望ましいのではないか。足利市長の発言の真意はこういったところなのではないかと思われます。
ただ、菱村や矢場川村と違い、足利市は人口約16万の栃木県第二の都市です。越県合併は現実的にはほぼ不可能に近いといえます。したがって、足利市長の発言の後も、越県合併についての目立った動きはありません。