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あきごんさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[102288]2021年8月28日
あきごん
[102283]2021年8月27日
あきごん
[102276]2021年8月25日
あきごん
[102251]2021年8月18日
あきごん
[102250]2021年8月18日
あきごん

[102288] 2021年 8月 28日(土)15:11:17【2】あきごん さん
智弁対智弁
 高校野球の連合チームの話題の時に、見たいと言った「智弁」対「智弁和歌山」があっさり実現しました。しかも決勝戦で。たしか20年近く前だったか、一度、甲子園で対戦したときは和歌山に負けたので、今度は本校の意地で初優勝して欲しいです。
 何れにしても、明日は同じユニフォーム同士というサッカーだったら成立しない、野球ならではのややこしい試合に注目です。
(ちなみに見分け方は、左袖の校章と下の文字が、奈良か和歌山かです。)
[102283] 2021年 8月 27日(金)18:03:59【2】あきごん さん
「うーめん」と「そーめん」
[102279] 千本桜さん
白石うーめんは短いのはわかりますが、私は味音痴で「三輪そうめん」と「白石うーめん」の味の違いが、よくわからないのです。白石うーめんを食べたことのある白桃さんに解説をお願いしたのですが、いかがでしょうか。
[102280] 白桃さん
香川県育ちの私は三大素麺の筆頭?「三輪そうめん」を食べたことが無いかもしれません。「揖保乃糸」でおなじみの「播州素麺」、地元の「小豆島素麺」、それから(島原の乱後、荒廃した島原半島に移民した小豆島の人たちによって広まったといわれる?)「島原素麺」は良く食べますが、どれも美味しいです。

 「短い」のが最大の違いでしょうか。うーめんを調べたらそーめんの一種と書かれていました。まあ、そういう事なんでしょう。現地に行って食べるしかなさそうです。

 香川生まれの白桃さんは、恐らく地元で三輪そうめんを食べたられた事はないかもしれません。私も数年前、50歳を超えて生まれて初めて揖保乃糸を食べましたが、知ってか知らずか三輪そうめんの本場に住む人間に播州のそうめんを贈ってくれる遠縁の方がいなければ、未だに食べていませんでしたから。
 ちなみに千本桜さんが食べられたのも、正確な意味での「三輪そうめん」かどうかは分かりません。県内最大手の「三輪そうめん山本」は販売量の多くは長崎県産(島原産)です。なので、白桃さんが島原そうめんもおいしいと言っておられるのは、山本のそうめんはおいしいと言っているのと同義だったりします。もちろん県内産の古物(ひねもの)も沢山ありますが、私にはどれがどこの素麺かよく分かりません。暑い夏に食べれば、どれもおいしいです。でも、私が一番好きなのは実は「讃岐うどん」であることは、悔しいのでここでは触れません。

 なお「クイズここはどこでしょう」の答えの白石市、もし、クイズ番組ならば私はお手つきで不正解でした。
 私は、この時まで白石市を「しらいしし」だと思っていたからです。グーグル先生に言われて、これまでずっと間違っていたことを知りました。でも、これを読んで「しろいしし」である事を知った人がたくさんいるはずです。きっと…。

[102277] 未開人さん
 新庁舎情報 奈良県明日香村  ありがとうございます。近くに住みながら、ここまで計画が進んでいるのを初めて知りました。景観を重視してコンクリート剥き出しを一切認めない(化粧型枠であっても)くせに、一番明日香の景観を阻害しているのが、陸屋根鉄筋コンクリート打ちっぱなしの村役場だと前を通る度に思っていたので、新庁舎移転は良いことだと一県民として思います。
[102276] 2021年 8月 25日(水)17:18:55あきごん さん
Re.クイズ ここはどこでしょう
[102273] 千本桜さん
Aの現況は明らかに衰退都市だが、知名度と品格は衰えない。復元されたA城、鯉が泳ぐ堀割、緑の庭木に覆われた屋敷町。耳をすませば堀割を流れる水の音が聴こえる。よく見ると、周辺市町の街並みとは一味違う。あまり目立たないが、凛とした品格を垣間見ることができるこの都市はどこでしょう。

 一瞬、簡単だろうと思いつつ、「鯉と掘割」に引っ張られて頭の中が津和野の風景に支配され…、脳内検索機能が麻痺してしまいました。おかげで仕方なくグーグル先生の知恵を借りることに。そして、税務署一覧を見ていて、メンバー紹介で私の一段上におられる千本桜さんのプロフィールを思い出してピンときました。

 でも、答えのA市はあえて答えません。
 なぜなら、この問題はよく読み間違えされやすいA市を答えにしつつ、実のところ無名のスーパータウンE町の快挙を全国に知らしめようという出題者の野望であることに気がついてしまったからです。如何でしょうか?

 ところで、名産食品のBは初めて知りました。我が奈良県の一文字違いの名産食品と何が違うのでしょうか。興味深いです。
[102251] 2021年 8月 18日(水)17:48:42【1】あきごん さん
十番勝負についてのひとり言
 なんとなく落書き帳の今の主要議題のようなので、新参者代表として私も少しだけ思ったことを呟きたいと思います。

 まず根本として、オーナーグリグリさんの個人HPであり、グリグリさんの熱意でやられている企画ですので、グリグリさんの判断を支持します。面白いと思って参加させてもらっている立場なので、あーせぇこーせぇと言うつもりはありません。
 その上で、おそらく最も新規参入者に近い者として感じたことを雑記したいと思います。

 このHPへは調べ物でたどり着いて、ちょうど十番勝負の真っ最中だったので、緊急参戦しました。単純に問題に答えるだけでなく、市盗り合戦になっているのが面白いなと思いました。すでに残り3日というタイミングでしたので、ヒントや該当市がたくさんあって、「問題を見ただけでやめてしまう」という事にはなりませんでした。タイミングがよかったと思います。ノーヒントのタイミングならば、おそらく参戦は諦めていたと思います。また、市盗り合戦がなかったら1回だけで終わっていたと思います。
 それらを踏まえて思うのは、
 ・なるべく早めにヒントがほしい。(初心者はノーヒントでは考えることすらできません)
 ・最後まで売り切れない問題であってほしい。(全問正当を目指す段階では「売り切れゴメン」の問題はつらい)
と言うことくらいでしょうか。初心者がいきなりメダル争いができる問題は不要だと思います。そこは経験の積み重ねと研究の深さに大差があるので仕方のないことだと思います。問題の難易度よりも、上記のような事を感じました。何よりヒントの内容とタイミングが一番のポイントのように思います。そうして正答を積み上げた上で、「領主奪取」ができれば良いと思います。
 もちろん参加する限りは領主にはなりたいですが、領主税とかはシステムが無駄に複雑化するし、仮に制度のアヤで領主なっても気持ち的には微妙なのでやめた方がいいと思います。ひとつ思うのは5年も10年も一度も参加のない領主(長期不在領主)は内乱が起こって領地没収という事はあってもいいのかなと思います。国盗りを活性化するという意味で。まあ、内乱が起こっても初心者には出番はないとは思いますが、あちこちで火の手が上がれば面白いことになるかもしれません。
 最後に初心者コースですが、おそらく私は間違いなく参加資格者になると思いますが、市盗り合戦と切り離すとなると正直、参加するかどうか分かりません。その時の忙しさにもよると思いますが、「継続的な十番勝負への参加目的」である市盗りに無関係となると、「モチベーションは上がらないだろうなあ」というのが正直な感想です。と言いつつ、一番熱心だったりするかも…、ですが。
 いろいろ、書きましたが十番勝負が末永く楽しめる事を一番に希望します。
[102250] 2021年 8月 18日(水)17:20:57あきごん さん
通称ロータリーの名前の由来を調べてみました
 ロータリーコレの編集作業をしていて、通称ロータリーとして地元奈良県から唯一掲載されている「片塩ロータリー」の詳細が空白なのが気になったので調べてみることにしました。

 片塩ロータリーは大和高田市の中央部に位置し、東方向~南方向の国道166号と北方向の市中心部への道路の大きな三差路交差点です。(厳密には旧道を含めて4枝交差点。)私が車を運転するようになった平成の初めから、ずっと名前は片塩ロータリーですが、いたって普通の交差点でした。これまでもに何度も通りながら、「どこがロータリーやねん!」と心の中でつぶやきつつスルーしてきましたが、地名コレクションの編集者の一人になって、これ以上見過ごすことができないと思い名前の由来を調べてみました。

 交差点から北の中心部への(通称)中央道路は、昭和20年代に川替えされるまでは高田川が流れており、奈良県の南北の幹線道路である国道24号が交差点の東から南へと曲がっていました。当時は舗装もされておらず、交差点もごく普通の小さな三差路であったようです。
 昭和29年の中央道路開通前の写真 を見ると、のんびりとした川沿いの道が写っています。写真は昭和20年代後半の交差点から北向きの撮影です。
 高田川の川替えによって跡地に新たに中央道路が作られ、片塩ロータリーは国道24号と大和高田市中心部との分岐の交差点として整備されたようです。
 昭和34年の写真 を見ると、大きな交差点の真ん中に丸い花壇があります。これは「ロータリー」かと思って見ましたが、通過交通は丸い花壇を外回りしていません。直進車がまっすぐ突っ切っています。これでは右折車との交錯が生じるので、ロータリー交差点になりません。
 そして 昭和37年の写真 を見ると丸い花壇は三角の中央島へと変わっています。三差路の通行形態に合わせて中央島を整備して交通流を整えたのではないかと思われます。これで右折交通は間違いなく内回りすることになりました。
 同じ形体ですが、昭和39年の写真 では、交通量がかなり増えてきています。写真正面の東から右折して左の市街へと向かう車が内回りしているので確実にロータリーではありません。
 そして、昭和43年の写真 横断歩道橋ができて、三角の中央島には橋脚が建てられました。信号こそありませんが、現在の片塩ロータリーの形状になりました。ここから50年以上、基本的に交差点の形は変わっていません。
 以上のことから、「片塩ロータリーは、一度もロータリー交差点としては運用されていなかった。」という結論に至りました。

 では、なぜ片塩ロータリーと言われているのか。それも単なる通称ではなく、交差点名が「片塩ロータリー」なのです。結論から言うと「よくわからない」というのが結論です。ここからは推測になってしまいますが、昭和34年の写真の交差点内の丸い花壇がロータリーと言われる由来なのではないかと思います。(と言うか、それしか考えられない。)もしかしたらロータリーのように右折車両を外回りさせてロータリーとしての運用をしたかったのかもしれませんが、交差点の大きさに比べて中央島が小さすぎたので、みんな内回りで曲がってしまったのではないかと推測しています。当時は未舗装なので、今のように路面標示で車を誘導することはできませんから…。
 当時の奈良にはロータリー交差点なんかありませんから、単に「丸い中央島があるからロータリー」で名前が定着してしまったのではないか。と、由来を調べると言いながら推理する事になってしまいました…。


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