[116424]文字 さん
その土地の住人でもなんでもない私ですが返信させて頂きます。
そして不思議なことに、現存の地名・バス停を調べる限り、東海道本線以西や関・可児・瑞浪以北、静岡県境以東には見られません(桑名市に広見ヶ丘があるくらい)。
確かに調べてみた所東海地方に密集している印象を受けました。しかし実は他の地方にも存在するようです。例えば、
愛媛県北宇和郡鬼北町大字広見
愛媛県南宇和郡愛南町広見
京都府京都市山科区西野広見町
などです。
実は知られざる広見氏が存在し、大繁栄とともに広範囲へ移住したのか
その可能性は低いと思います。
日本姓氏語源辞典によると、
①地形。岩手県北上市上江釣子・下江釣子では山口県大島郡で広く見渡せる土地から称したと伝える。推定では江戸時代。高知県須崎市上分甲に分布あり。
②京都府相楽郡南山城村野殿広見発祥。同地に分布あり。
とあります。江戸時代にできた名字と推測されることから戦国武将の一族ではないでしょう。また後述しますが、愛知県豊田市にかつて存在していた広見村という地名は安土桃山時代にはあったことからもこの説は否定されます。さらに
名字由来netによると、全国に約530人しかおらず、愛媛県や高知県に多く分布する一方で愛知県や岐阜県にはほとんどいないようです。また、弘見なども調べたのですが目ぼしい情報は見つかりませんでした。
はたまた愛知・岐阜で自然発生的に出現したのか
そうかもしれません。愛知県豊田市に広見川という矢作川水系の3次支川があるそうです。またその谷間にある現愛知県豊田市広幡町は
コトバンクによると、
「八講牒」裏書に、天正一四年(一五八六)の織田信雄の検地では、「尾州織田大納言殿御国中御検地被成候而、御縄を以当社も三百七拾五貫三百文余、猿投・神郷両郷仍御寄進之候、弘見・深見一所ニ所務仕候者也」とある。
であり関連があるかもしれません。しかし、自然発生的に出現したとするとあまりにも分布地域が広く情報が少なすぎます。
あまり役にたつことができなくて申し訳ありませんが参考になると嬉しいです。
因みに前述した愛媛県北宇和郡鬼北町にも広見川が通っているようです。四万十川の支流で2番目に大きいそうです。完全なる憶測ですが、こちらの住人が岐阜や愛知に移住して名付けた可能性も否定はできません。そうだとしたら結構面白いですよね。