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みやこ♂さんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[54350]2006年10月6日
みやこ♂
[54275]2006年10月1日
みやこ♂
[54231]2006年9月28日
みやこ♂
[53827]2006年9月5日
みやこ♂
[53646]2006年8月27日
みやこ♂

[54350] 2006年 10月 6日(金)17:58:53みやこ♂ さん
夜コレクション
今日は中秋の名月・・・のはずが(この辺では)大荒れになっちゃいました。わたくしの住まいあたりでも,スギ・ヒノキの梢が稲穂の如く揺れておりました。さぞやタヌキたちも残念がっていることでしょうね。
というわけで「月夜」ならぬ「夜(プチ)コレクション」としゃれ込んでみました。Yahoo地図から,自然地形名限定でお送りします。

留夜別岬北海道留夜別村(国後郡)
夜沼岩手県 八幡平市
夜沼川岩手県八幡平市
十二夜森岩手県岩手町(岩手郡)
小夜鳥島宮城県東松島市
大夜鳥島宮城県塩竈市
夜討坂宮城県角田市
一夜島秋田県小坂町(鹿角郡)十和田湖内の島
夜明島川秋田県鹿角市
夜蚊鳥屋山山形県小国町(西置賜郡)
木地夜鷹山福島/新潟県 阿賀町(東蒲原郡)夜鷹山のとなり
夜鷹山福島/新潟県西会津町(耶麻郡)木地夜鷹山の隣り
夜越川茨城県潮来市
夜後沢群馬県みなかみ町(利根郡)
月夜ヶ鼻東京都八丈町
月夜見山東京都奥多摩町(西多摩郡)
月夜見沢東京都檜原村(西多摩郡)月夜見山から東流
夜明山東京都小笠原村父島
六夜山新潟県上越市
月夜棚長野県白馬村(北安曇郡)
夜間瀬川長野県中野市/山ノ内町(下高井郡)
夜滝瀬川長野県中野市夜間瀬川の別名か?同じ流れ
一夜山長野県長野市昔の鬼無里村
一夜山長野県白馬村(北安曇郡)
月夜沢峠長野県木曽町(木曽郡)
月夜沢長野県松本市次の月夜沢と月夜沢峠を介して同名
月夜沢長野県木曽町(木曽郡)
夜ノ池長野県長和町(小県郡)
夜烏山長野県阿智村(下伊那郡)恵那山東方
月夜立岩長野県栄村(下水内郡)
月夜の段山梨県南部町(南巨摩郡)
二十六夜山山梨県上野原市
夜叉神峠山梨県南アルプス市
夜子沢川山梨県身延町(南巨摩郡)
二十六夜山静岡県南伊豆町(賀茂郡)
夜泣石静岡県掛川市
当夜坂石川県輪島市
久須夜ヶ岳福井県小浜市
夜叉ヶ池福井県南越前町(南条郡)
夜泣峠京都府京都市左京区
夜久野ヶ原兵庫県朝来市
夜鷹山兵庫県神河町(神崎郡)
通夜島和歌山県串本町(東牟婁郡)
暗夜峠和歌山県有田川町(有田郡)
夜母瀬来島根県隠岐の島町(隠岐郡)
夜市川山口県周南市
五夜嶽香川県坂出市
夜明峠愛媛県西条市
夜昼峠愛媛県八幡浜市
夜鳴川愛媛県久万高原町(上浮穴郡)
夜須川高知県香南市
夜峰山熊本県南阿蘇村(阿蘇郡)
夜狩川熊本県八代市
夜星川鹿児島県さつま町(薩摩郡)
夜萩浦鹿児島県薩摩川内市
[54275] 2006年 10月 1日(日)01:23:43みやこ♂ さん
ふるさとの街を見渡せる幸せ
わたくしの師匠筋にあたる人物がこんなことを言っていました。「ふるさとの街を見渡した経験によって,思い出は深まる。ふるさとへの愛情を育てたいのなら,ふるさとの街が印象深く見える場所を用意してあげることが大切だ」と。

我がふるさと,佐野の町を見渡す場所といえば,かつてはJR両毛線佐野駅のすぐ北側にある城山でした。この山の南端に立つと,旧佐野市街,いわゆる旧佐野町は一望のもとだったのです。子供のころの記憶では,当時はロクに高い建物もなかったし(今でもないけど),渡良瀬川のほうまでよく見えたような気がするなぁ。
ところが近年,佐野駅の南北間連絡歩道が高架でかかってしまい,駅舎も空中へ浮上。城山の地盤高とほぼ等しくなってしまいました。だいぶ「見えなくなってしまった」んですよ。もう少し設置場所をずらすとか,駅舎は元通りの場所に建て直すとか,替わりの展望場所を用意するとか,そういう「景観的配慮」がなされたかったことが,とても残念です。

そこで,というわけでもありませんが,ちょっとまとめてみました。題して「ふるさとの街を見渡そう(市街地展望)」です。
[54231] 2006年 9月 28日(木)17:33:26みやこ♂ さん
しまった!!
[54227]YSK さん
油断をしていますと身近な市の出題がなされるかもしれません。
[53827] 2006年 9月 5日(火)19:19:13みやこ♂ さん
深田クラブのページにて
[53649] futsunoおじ さん
[53646]の「昭和59(1984)年に昭文社から“日本二百名山”が刊行された」というわたくしの書き込みですが,どうやら間違っていたようです。どうもすみません。これの書き込みについては,深田クラブのHPを参考にしました。この中の【深田クラブ著『日本200名山』の選定経緯と刊行について】というところに
『日本二百名山』はクラブ創立10周年を記念して選定され、それを昭和59年(l984)年、『日本200名山』(昭文社)として刊行したものです。
と明記してありまして,それをそのまま鵜呑みにしたものです。
ところが futsunoおじ さんの蔵書は「昭和62年9月初版発行」ですし,実を言えばわたくしの所有する本も同年同月の初版。こりゃおかしいゾと思いまして同サイトをよく見ると,「クラブの紹介」の方では
3.出版及び執筆関係
 1987年9月 『日本二百名山』を昭文社より刊行。第7版まで刊行される。
とありました。また,「1987年9月初版~3刷の表紙」という画像も収められていましたので,どうやら1984年説は何かの勘違いのようですね。「昭和62年9月初版発行」が最初でよさそうです。たいへん失礼いたしました。


ところで futsunoおじ さんは「日本百名山」の「4刷」をお持ちなのですね。すごいですねぇ。わたくしの蔵書は「12刷」で,しかも親友のおじいちゃんからの形見分けです。わたくし,長いこと文庫本でしか日本百名山を目にしておりませんでした。
[53646] 2006年 8月 27日(日)21:09:27みやこ♂ さん
そして「日本○百名山」
追録した「奥越後三山([53605] 山登りのネタ探し人さん)」で「荒沢岳」が登場しました。この山,[53633]で futsunoおじ さんもご紹介のとおり,「ミスター日本二百名山」なのであります。そこでせっかく(?)ですので,「日本○百名山」についてちょっとだけ書かせていただきましょう。

深田久弥(ふかだきゅうや)の「日本百名山」は,昭和39(1964)年に単行本として発表されました。ただそれは,昭和34年(1959)3月号から毎月2山づつ,「山と高原」という雑誌に連載された記事をまとめたものでした。
彼自身,日本のめぼしい山を百山選ぼうと発想したのは,戦前のことであったようです。「日本百名山」に
わが国の目ぼしい山にすべて登り、その中から百名山を選んでみようと思いついたのは、戦争前のことであった。その頃ある山岳雑誌に「日本百名山」と題して二十五座ぐらいまで連載したが・・・
との記載が見られます。

深田久弥は昭和46(1971)年,山梨県の茅ヶ岳を登山中に亡くなりました。終焉の地には石碑が建てられているそうです。当時,深田は「世界百名山」を執筆中で,やはり雑誌に1月2山づつ,連載していました。たしか40座くらいで絶筆となっています。

その後,昭和53(1978)年に至り,日本山岳会が「日本三百名山」を発表します。これは「山日記」という登山用の手帳(のような本)で発表されたものでした。手帳大ですから山の詳しい説明などもなく,山名とか標高とか,どの辺にあるとかのデータしかなかったはずです。
【この「山日記」,かつてお茶の水橋そばの茗渓堂(めいけいどう)という書店から毎年出版されていたのですが,何年か前に絶版になりました。オレンジ色の鮮やかなカバーがかかっていて,山行記録を書き込めるようになっていたなぁ・・・。数冊持っていたのですが,すっかり仕舞いこんでしまって,残念ながら今は参照することができません。】

さらに昭和59(1984)年,かの昭文社から「日本二百名山」が刊行されます。著者は「深田クラブ」。深田久弥その人や深田文学,深田百名山を愛する人々の集まり,といっていいかもしれません。最初はクラブ内の選考委員会で検討し会報で公表,その後出版物としてとりまとめたもののようです。クラブ創立十周年記念事業であるとか。
(てっきり深田久弥の存命中に発足したクラブだと思っていましたが,こうしてみますと,お亡くなりになった後のようですね。)

このような流れで,「日本○百名山」が確立していったわけです。現在では,その他「花の百名山」「○○○の百名山」「日本百山」などの類書もた~くさん出されています。そうそう,山に限らず,「滝」「谷」「湧水」「道」「渚」など,「百選もの」は文字どおり「百花繚乱」の趣がありますよね。
もしかしたら「百選もの」って,百くらいあるのかも。あとで「百選コレクション」でも作ってみようかしらん。


・・・ちょっとだけ,のつもりでしたが思いの外長くなってしまいました。興味のない方には長々とお目汚し,失礼いたしました。


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