追録した「奥越後三山(
[53605] 山登りのネタ探し人さん)」で「荒沢岳」が登場しました。この山,
[53633]で futsunoおじ さんもご紹介のとおり,「ミスター日本二百名山」なのであります。そこでせっかく(?)ですので,「日本○百名山」についてちょっとだけ書かせていただきましょう。
深田久弥(ふかだきゅうや)の「日本百名山」は,昭和39(1964)年に単行本として発表されました。ただそれは,昭和34年(1959)3月号から毎月2山づつ,「山と高原」という雑誌に連載された記事をまとめたものでした。
彼自身,日本のめぼしい山を百山選ぼうと発想したのは,戦前のことであったようです。「日本百名山」に
わが国の目ぼしい山にすべて登り、その中から百名山を選んでみようと思いついたのは、戦争前のことであった。その頃ある山岳雑誌に「日本百名山」と題して二十五座ぐらいまで連載したが・・・
との記載が見られます。
深田久弥は昭和46(1971)年,山梨県の茅ヶ岳を登山中に亡くなりました。終焉の地には石碑が建てられているそうです。当時,深田は「世界百名山」を執筆中で,やはり雑誌に1月2山づつ,連載していました。たしか40座くらいで絶筆となっています。
その後,昭和53(1978)年に至り,日本山岳会が「日本三百名山」を発表します。これは「山日記」という登山用の手帳(のような本)で発表されたものでした。手帳大ですから山の詳しい説明などもなく,山名とか標高とか,どの辺にあるとかのデータしかなかったはずです。
【この「山日記」,かつてお茶の水橋そばの茗渓堂(めいけいどう)という書店から毎年出版されていたのですが,何年か前に絶版になりました。オレンジ色の鮮やかなカバーがかかっていて,山行記録を書き込めるようになっていたなぁ・・・。数冊持っていたのですが,すっかり仕舞いこんでしまって,残念ながら今は参照することができません。】
さらに昭和59(1984)年,かの昭文社から「日本二百名山」が刊行されます。著者は「深田クラブ」。深田久弥その人や深田文学,深田百名山を愛する人々の集まり,といっていいかもしれません。最初はクラブ内の選考委員会で検討し会報で公表,その後出版物としてとりまとめたもののようです。クラブ創立十周年記念事業であるとか。
(てっきり深田久弥の存命中に発足したクラブだと思っていましたが,こうしてみますと,お亡くなりになった後のようですね。)
このような流れで,「日本○百名山」が確立していったわけです。現在では,その他「花の百名山」「○○○の百名山」「日本百山」などの類書もた~くさん出されています。そうそう,山に限らず,「滝」「谷」「湧水」「道」「渚」など,「百選もの」は文字どおり「百花繚乱」の趣がありますよね。
もしかしたら「百選もの」って,百くらいあるのかも。あとで「百選コレクション」でも作ってみようかしらん。
・・・ちょっとだけ,のつもりでしたが思いの外長くなってしまいました。興味のない方には長々とお目汚し,失礼いたしました。