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今日は、「市」として第3回(1930年)国勢調査から登場した8都市を見ていきます。
(表の見方については
[116339]を参照ください。)
| 市名 | 1930年人口 | 増加期数 | 5万 | 7万 | 10万 | 15万 | 20万 | 30万 | 2025年推計 | 最高人口 | (調査年) |
| 八戸 | 52,907 | 11 | 1930 | 1940 | 1950 | 1960 | 1970 | | 210,178 | 244,700 | 2005 |
| 瀬戸 | 37,309 | 1 | 1955 | 1960 | 1975 | | | | 124,098 | 132,224 | 2010 |
| 伏見 | 31,538 | - | | | | | | | | 31,538 | 1930 |
| 米子 | 33,632 | 11 | 1947 | 1955 | 1970 | | | | | 138,756 | 2000 |
| (米子) | | 0 | | | 2005 | | | | 143,060 | 149,584 | 2005 |
| 津山 | 34,159 | 1 | 1947 | 1955 | 2005 | | | | 93,775 | 110,569 | 2005 |
| 倉敷 | 30,112 | 1 | 1950 | | 1955 | | | | | 144,461 | 1965 |
| (倉敷) | | 9 | | | | | | 1970 | 464,431 | 477,118 | 2015 |
| 山口 | 32,385 | 1 | | | | | | | | 34,803 | 1935 |
| (山口) | | 0 | | 1947 | 1970 | | | | | 140,447 | 2000 |
| (山口) | | 2 | | | | 2005 | | | 187,965 | 197,422 | 2015 |
| 中津 | 28,563 | 1 | 1947 | 2005 | | | | | 80,353 | 84,368 | 2005 |
数が少ないので、いや、白桃好みの市ばかりですので、一市ずつ。
八戸:
8市の中で唯一、市としてデビューした1930年国調の人口が5万人を超えていました。それというのも、市制時に湊町、小中野町、鮫村併せて2万5千超との新設合併であったからですが、その後順調に人口を増加させ、1947年国調では青森市を抜いて県トップ人口になりました。1950年国調では10万人を突破、1964年には新産業都市(「新産都」)に指定され、1970年国調では20万人を突破。近年は人口が下降しているとは言え、青森県の中では最も活力のある市と言えるでしょう。
瀬戸:
「瀬戸もの」の名で知られる窯業の街として発展、愛知県では名古屋、豊橋、岡崎、一宮に次いで5番目の市制施行。しかしながら、近年は存在感も薄れがちで、県内人口順位では13位となっています。
伏見:
今でこそ京都市となっている伏見ですが、昭和の初期までは京都とは別の都市でした。伏見城の城下町、淀川の港町、寺田屋、坂本龍馬・・・伏見で連想されるものは多いのですが、何と言ってもお酒、コレに尽きます。有名銘柄としては、月桂冠、松竹梅、黄桜、玉乃光…イカン、イカン、昨晩も吞んでしまった。お酒の話は置いといて、伏見が市として国勢調査に登場するのは1930年一回キリです。少し前、旧)伏見市の境域の2020年国調時の人口を調べたのですが、1930年国調時の人口とホボ同じでした(合っているだろうと思うのですが…)。そうそう、良く誤解をすること。赤い鳥居がこれでもか、これでもか、と続く伏見稲荷大社は伏見区にあるのは間違いないのですが、旧)伏見市ではなく、旧)深草町にあるのです。ついでに言えば、菊花賞や春の天皇賞が行われる京都競馬場(通称:淀競馬場)は旧)伏見市でも旧)淀町でもなく、旧)向島村の地にあります。
米子:
今どき、「よなご」を「よねこ」と読む方はいないでしょうね。リビアに例えるのもヘンですが、鳥取市がベンガジなら、米子はトリポリですね。それぐらいの存在感を誇示しています。もし、仮に、万が一、ひょっとして、鳥取県と島根県が合併したら、県庁は米子に置いたら…、と誰かが言ってました。米子は人口以上の都会です。今から65年前(1960年)、白桃8歳のみぎり、第32回選抜高校野球決勝戦で米子東高校は、高松商4番の山口選手のサヨナラ本塁打によって、惜しくも優勝を逸しました。白桃は大興奮するとともに、以来、米子という街が好きになりました。
津山:
昭和の戦前~戦後スグの頃、津山は岡山県ナンバー2の都市でした。5万人到達も倉敷より早かったのです。しかし、その後遅々として人口は伸びず、「平成の合併」によってやっと10万人を突破したものの、やがて9万人台に転落。でも、それが津山の良いところ?。
白桃、5年も岡山に居ながら津山の鶴山公園の桜を見ることは無かったです。そのかわり、津山駅前のパチンコ店のテン釘の無いパチンコ台で、打てば入るわ、打てば入るわ…の恩恵にあずかった事、鳥取県智頭町の地域調査実習の帰路に津山の先生の家で、ビール箱5ケースを空けたこと(もちろん1人ではなく5人?で)、それなりの想い出はあります。
倉敷:
江戸期に天領だった倉敷、♪涙も匂う町、白壁の町よ~、そんなイメージとはイササカ異なり、合併を繰り返した街です。「昭和の大合併」期に福田,連島(この2町だけで4万人超)ほかを編入、1955年国調には10万人を突破。その後、「新産都」に指定され水島コンビナートを形成、大分と並んで「新産都の優等生」と呼ばれるようになりました。1967年には児島、玉島との3市合併で、「新・倉敷市」の誕生。岡山市との激しい人口競争…も今は昔のハナシ。今後の動向が非常に気になる市であります。
山口:
全国的にも珍しい「法人格変更二度」の市です。また、県庁所在地の中で、最も遅れて市になったところであります。「1930年組」8市のうち山口を含む5市までが1935年~1940年に人口を減少させていますが、山口市は1944年の新設合併(一度目の法人格変更)で一緒になった阿知須と小郡を分立させた結果、1947年~1950年では2万人以上の減少となりました。その阿知須、小郡と「平成の大合併」で「再婚」…ま、よくある話です。
中津:
中津は現在、大分県第3の都市ではありますが、明治のごく初期には大分ナンバー・ワンの都市であったようです。(関連記事:
[81802])中津と言えば、福沢諭吉と「から揚げ」が有名ですが、人口の伸びは「ナカツトバズ?」というか、停滞気味。でも、佐伯や日田に比べたら、「健闘」の部類に入ると思います。