[62394][62539] hmtさん
ありがとうございます。
夏目漱石のエピソードと、そこから見えてくる東京の姿も、大変興味深く拝見いたしました。
「都費府県」について、樺太庁をカウントされなかったのは、無理からぬことと思います。仰る通り、戦前の樺太は内地ではありませんでしたし、自治体でもありませんでしたから。
ただ、蛇足である上に、想像に過ぎないことなのですけれど、いわゆる内地編入以前の樺太庁を「庁府県」に含めている例も、どこかに存在しているのではないでしょうか。
[62501]で北の住人さんが指摘された「地方行政協議会令」と「地方総監府官制」は、残念ながら、いずれも内地編入後の法令ですけれど、これらの他にも、大正7年の「共通法」(法律第39号)の様に、樺太を内地扱いとする法令が存在していますから。
勿論、この様な例をもって「樺太は内地である」とするのは無理であると思います。何よりも、当時の行政自体がそれを否定しています。
内外地行政の一元化を図る為昭和十八年四月一日より樺太は内地行政に編入せらるることと為りたる…
(「樺太内地編入ニ伴フ行政財政措置要綱ヲ定ム」国立公文書館蔵。請求番号:本館-2A-012-00・類02719100。)
やはり、樺太が内地となったのは、「樺太に施行すべき法令に関する法律」(明治40年法律第25号)が廃止された昭和18年以降とするべきであろう、と思います。
なお、私のサイトで「地方行政協議会令」「地方総監府官制」による地方区分を地図にしております。
日本広域行政区分地図
宣伝めいてしまい恐縮ですけれど、話題の一助となりましたら幸いです。
では、樺太はいつまで内地であったのでしょうか。
まだ満足に調べられたとは言えない状態ですけれど、これまでにいくつか気づいたことをご紹介してみたいと思います。
なお、ここで述べたのはあくまでも日本国内での法的な扱いであって、いわゆるGHQやソ連側の動きについては言及していません。
まず、昭和21年1月21日の閣議決定「外地(含樺太)官庁職員等の措置に関する件」で、樺太は外地扱いとなります。
続いて、同月31日の「内務省官制中改正等の件」(勅令第55号)で、内務省から樺太庁長官の名前が消え、樺太という地域は外務省の管轄へと移されます。
日本法令索引で探し当てられませんでしたので、樺太に関係する部分を抜粋します。
(第一条)
内務省官制中左の通改正す
第一条第一項中の「、樺太庁長官」を削る
(付則)
従前内務大臣の所管に属したる樺太、朝鮮及台湾に関する事務並に東洋拓殖株式会社及台湾拓殖株式会社に関する事務は当分の内外務大臣之を管理す
さらに、
国の行政機関の組織は、この法律でこれを定めるものとする
としている昭和23年の「国家行政組織法」(法律第120号)には、樺太庁についての言及はありません。
そして、昭和24年の「外務省設置法」(法律第135号)には、樺太が外務省の管轄下に入ったことが記されています。
その後、昭和27年の「日本国との平和条約」によって樺太が失なわれたことは、
[62559]でIssieさんが仰っている通りです。
「樺太は『都費府県市区町村』、或いは『都道府県市区町村』のどこに含まれるの?」と言う問いの答えは、「樺太は含まれない」となりそうです。
けれど、もしも樺太が「都道府県市区町村」に含まれていたなら、どう呼ばれていたでしょうか。
[62392]にも書いた通り、あれこれ頭を捻ってみても、どうも座りの良い呼び方を思い付くことができません。
ただ、そうなっていれば、JRグループの一つは「JR北海」になっていたかもしれませんね。
そして「敷香行き特急寝台列車」の車内には「今日も、JR北海をご利用くださいまして、ありがとうございます…」という放送が流れていたのではないでしょうか。カーブや勾配の多い樺太では、「走行中やむを得ず」列車が揺れることもさぞ多かったことでしょう。そうなると表定速度は… と「鉄分」の少ない私ですけれど、つい、想像(妄想?)をふくらませてしまうのです。