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落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

大井川上流、井川地区はなぜ静岡市なのか?

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記事数=9件/登録日:2003年5月11日/編集者:YSK

大井川上流、大井川鉄道の終着地である井川地区は、大井川流域であるにもかかわらず、静岡市の市域となっています。このことの背景には、どのような事情があるのでしょうか?

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[14923] 2003年 5月 8日(木)13:21:27NS さん
井川地区は何故静岡市にあるのか?
はじめまして。NSです。

静清合併に続き昨日には3区案が諮問された新・静岡市ですが、
合併前から感じていた大きな疑問について質問させて頂きたいと思います。

それは大井川最上流部にある井川地区についてです。
元々が旧安倍郡井川村として、梅ヶ島村など安倍川水系に属する
他の安倍郡各町村と同時に静岡市と合併したのはよく知られていますが、
(1)何故駿河国安倍郡の所属になったのか?
(2)何故静岡市との合併となったのか?
(3)静岡市や安倍郡の他町村等とのつながりは合併前より本当に強かったのか?
という疑問がどうしても拭えません。
地理的・面積的に見ると井川村はすぐ下流の榛原郡本川根町(旧遠江国)と合併した方が現在の形と比べて
(a)中心市街地からの距離が格段に短くなる
(b)静岡市自体の面積が過大とまでは言い難い水準に落ち着く
(c)交通・産業活動的に自然
等の面から(他にも色々とあるでしょうが・・・)合理的に思えてなりません。
(個人的には余程特殊な事情がない限り1000km^2を超える面積を有する市区町村は
広過ぎて不適当と考えているもので・・・)

散々既出の話題かもしれませんが、事情通の方のレスを切望致しております。
よろしくお願い致します。
[14924] 2003年 5月 8日(木)14:24:37YSK さん
Re:井川地区は何故静岡市にあるのか?
[14923]NSさん
はじめまして、本掲示板の「落書き帳アーカイブズ」編集長のYSKです。

落書き帳アーカイブズでは、本掲示板の過去ログにつきまして、興味ある記事をテーマで選び出して、まとめております。

何故静岡市との合併となったのか?
この関連につきましては、アーカイブズ「静岡市の山村地域を分割するぞ~?」の中で若干の言及がありますので、ご参照いただければと思います。よろしくお願い申し上げます。

アーカイブズ
静岡市の山村地域を分割するぞ~?
http://uub.jp/arc/arc50.html
[14925] 2003年 5月 8日(木)14:36:03special-week さん
井川地区の所属
[14923]
NS様
 歴史的な背景については分かりませんが、井川地区と市役所をはじめとする静岡市の中心街とはそれほど離れているわけではありません。もちろん、本川根町よりも離れてはいます。
 井川地区の主な交通機関は自家用車ですから、大井川鉄道の井川駅から本川根に出るよりも自動車で静岡市街地に出るほうが格段と便利です。それなので、あえて遠い静岡市側を合併相手として選び、今のような所在になったのではないかと思われます。

 大井川鉄道の話題が出たので、鉄分不足の私から鉄分豊富な人に教えていただきたいのですが、大井川鉄道は何を目的に敷設された路線なのでしょうか?川根地区の交通の利便性としてはどうも無理があるような気がするんですが。
[14930] 2003年 5月 8日(木)17:01:13NS さん
Re: 井川地区は何故静岡市にあるのか?
[14924]YSKさん
アーカイブズ「静岡市の山村地域を分割するぞ~?」の中で若干の言及がありますので、ご参照いただければと思います。
御教示ありがとうございました。早速拝見させて頂きました。
ただ、井川地区のみをピックアップした議論は見受けられなかったように思われます。

[14925]special-weekさん
井川地区と市役所をはじめとする静岡市の中心街とはそれほど離れているわけではありません。
(中略)
大井川鉄道の井川駅から本川根に出るよりも自動車で静岡市街地に出るほうが格段と便利です。
とはいえ、静岡市中心部から井川市街地(井川駅周辺?)までだと約30km、
それより上流の地域は更に遠い訳で、途中が山間部の狭く急カーブの多い峠道と
いうことを考えると確実に1時間以上はかかるのではないでしょうか?
(勿論本川根までの道でも狭く急カーブは多いでしょうが、「近い」ことこそが最大の意義かと)
また、新市域から井川地区を除いた部分の面積を考えると約900平方キロ弱となり、
個人的には新市はこの程度の面積が妥当かな?と感じます。

「1時間」「面積」に拘るのには理由があります。
私の出身地である北海道には御存知の通り極めて広大な面積を有する市町村が少なからずありますが、
昨今の市町村合併の動きに対して北海道町村会は人命救助・地域環境保全・災害防止等の観点から
(1)行政区域内のすべての地域から本庁舎所在地区まで概ね「1時間」以内(約30~40km)
(2)行政区域内の総面積が概ね「1000平方キロメートル」以内
のいずれかをも満たさないような広域合併は押し付けるべきではない、という見解を出しています。
実際、合併後急速に過疎化が進み荒廃した地域が極めて多い北海道の現状を見るにつけ、
この見解には説得力があると考えます。
非居住地域においても地域環境保全や災害防止等の観点から
一定程度以上の行政コストはどうしてもかかりますし、その手のコストを一自治体が
広域合併により極端に多く抱えること自体如何なものかという思いを禁じ得ないところです。
[14932] 2003年 5月 8日(木)17:43:16深海魚[雑魚] さん
井川地区が静岡市に属する必然性 ……… の様なもの
先刻、勤務先の倉庫で探し物をしていたところ、20年前頃の刊行と思しき、ボロボロの全国版道路地図が出て来まして、本来の用事そっちのけで暫し読書。誰が使っていたのか知りませんが、静岡市と隣接自治体の境界線が ライン・マーカーでなぞられ、うちの会社にも同類がいたのかと暫し感慨。

さて、静岡市に属する必然性に関して話題となっている井川地区ですが、上記の地図によると、寸又峡温泉の入口付近より奥は、鉄道や大井川本流に並行する道路の表示が無く (それだけ渓谷が険しい訳ですね。) 井川線自体の運転頻度も小さいし、車社会においては、たとえ富士見峠を越えてでも静岡の街を志向する方が、自然な事なのかも知れません。以前話題になった、渡良瀬川流域の足尾町が栃木県に属する背景に通じるものがあるかも。
[14935] 2003年 5月 8日(木)18:15:37YSK さん
静岡市井川地区について
ネットを検索しましたら、次のようなページが見つかりました。

http://cyber.tokaigakuen-u.ac.jp/cosmos/indus/industry/ooi.htm

静岡市井川地区の村おこしについての調査報告のようですが、その中で合併に触れた部分があり、引用いたしますと、

昭和44年1月1日をもって静岡市に合併され今日に至っている。静岡市役所井川支所でのヒアリングによれば、昭和44年の合併は、「(井川村は)当時財政的には豊かで(井川村は)合併には乗り気ではなかったが、政治的配慮から村議会で突如決まった」というものであった。
注:昭和44年=1969年、( )内はYSK加筆

現在、井川支所(おそらく、もとの役場)には合併に関する資料は残されていないようで、何かきな臭いものを感じるところですが、実生活の面において、井川地区が静岡市に依存しつつあったことは事実のようです。上記ホームページから再び引用しますと、

ところで、ここで特記しておかねばならないことは、(井川)ダムの補償工事の一つとして行なわれた、富士見峠を経由した、井川と静岡を結ぶ自動車の開通である。(中略)村人たちの長年の念願でもあった。こうして以前はまる1日かかった井川--静岡管の行程が、わずか2時間足らずに短縮され、現在夏の日の長い頃なら、静岡を夕方4時半に出ても、まだ日のあるうちに到着できるようになったのである。
一部中略、( )内はYSK加筆

とあります。やはり、静岡市への至便な交通ルートの開通も、井川地区を静岡市の一部とならしめた要因なのかもしれません。

しかし、「政治的配慮」とか、「ダムの補償工事」とか、この合併には地勢的な要因のほかに何か別の事情が働いたような気もいたします。しかし、このことについて、ここでは深く述べないことといたします。私には、何の事情も分かりませんので。
[14948] 2003年 5月 8日(木)22:37:48まがみ さん
Re: 井川地区は何故静岡市にあるのか?
[14923]NS さん(静岡市井川地区について)
(3)静岡市や安倍郡の他町村等とのつながりは合併前より本当に強かったのか?
井川村が安倍郡としてのまとまりを意識していたかどうかはわかりませんが、一般的に、郡としてのまとまりというのは、意外に強いものだと思います。

郡は、現行の制度上では単なる地域区分でしかありませんが、選挙区の区割りなど、郡単位のまとまりは今でもよく見られます。昨年、岩手県安代町が郡を変更しましたが、これも、二戸郡としてのまとまりよりも岩手郡としてのまとまりのほうが町にとって有効だと判断したからだと思います。参照[4469]

(c)交通・産業活動的に自然
少なくとも、交通面からいうと静岡市との往来の方が便利そうですね。川根方面とは接岨峡に阻まれているのに対して、静岡市中心部とはバスの通る道路があります。この点、[2162] [14925] [14932] [14935]で指摘されている通りです。

ただ、井川村が合併された当時の道路状況などがよくわからないのですが、[14932]によると川根方面との往来もあまり便利ではなかったようですね。

なお、井川本村(井川地区の中心部)と、井川駅とは、2km以上離れています。

[14925]special-week さん
鉄分不足の私から鉄分豊富な人に教えていただきたいのですが、大井川鉄道は何を目的に敷設された路線なのでしょうか?
ご指名でしょうか(笑)。沿革は[14927]の通りです。千頭以南の大井川本線が最初から旅客輸送を視野に入れて敷設されたのに対して、千頭以北の井川線は旅客輸送をする予定ではありませんでした。終点の井川駅と井川本村とかなり距離が離れているのはそのためです。井川本村まで延長したところで採算が取れるようなものでもないでしょうから、現在もそのままです。
[14958] 2003年 5月 9日(金)00:14:29【3】Issie さん
駿遠国境大井川
[14923] NS さん
(1)何故駿河国安倍郡の所属になったのか?

かなりの山間部のことですから大井川上流地域の所属国郡には過去に変動があったかもしれませんが,本来は大井川が駿河と遠江の国境でした。
現在は「榛原郡」に属している川根3町(川根町・中川根町・本川根町)のうち,大井川左岸(東岸)の区域は元は「駿河国志太郡」に所属していました。
ただし,大井川最上流部,つまり井川地区は両岸ともに「駿河国安倍郡」の所属です。現在の本川根町と静岡市の境界が駿遠国境を踏襲しているからです。

遠江の榛原郡にしろ,駿河の志太郡・安倍郡にしろ,律令国郡設置の当時から各郡の中心は沿岸を通過する東海道に沿った地域であったでしょう。おそらくは,そこから駿河湾に注ぐ川をさかのぼって「郡」の領域が固定されていったことと思います。
そこで大井川を遡上するとき,何人もの方の回答にあるように千頭地区と井川地区との間の渓谷が大きな障害になったであろうことが想像できます。
その点で,安倍川水系の谷から大日峠を越える方が井川地区へは入りやすい。現代の自動車道路としては必ずしも「良路」とは言いがたいものがあるかもしれませんが,人や,せいぜい馬の背が唯一の陸上交通機関であった前近代には特段の険路ではなかったのではないかと思います。
同じ「駿河」ではあっても,大井川の渓谷に阻まれる「志太郡」よりは「安倍郡」に属するのが自然の流れだったと考えます。

手許に「大正7年編輯・昭和5年鉄道補入」という20万分の1地勢図(神田の古本屋で掘り出した)があるのですが,井川地区には凡例で「里道・聯路」と記載された道路が大日峠を越えて(当時)の玉川村へ,現在の富士見峠を越えて大川村へ,そして大井川渓谷の谷底ではなく斜面中ほどを千頭方面へ延びています。
「聯路」というのがどういう道路を意味するのか,当時の用語がわからないのですが,一本線で描かれているあたり,おそらくは自動車の入れない道路であったろうと思います。
二本線で描かれた道路(里道・達路)は,安倍川の谷では玉川村落合まで,藁科川では中藁科村八幡(清沢村との境界)まで,大井川水系では何と当時の「嶋田町」(…と表記している)域を出ていません。
井川から見れば,大井川を下って志太・榛原郡内の村々へ出るよりも,峠を越えてでも安倍川水系の谷に出た方が「里」に近かったのではないかと思います。
ただし,伐り出した木材の搬出には大井川が利用されたでしょうから,この方面での大井川下流域とのつながりはあったことでしょう。

そうそう,この地図の当時,大井川鉄道は影も形もありません。
[14960] 2003年 5月 9日(金)00:40:11NS さん
静岡市井川地区
[14932][14952]雑魚さん、[14948][14956]まがみさん、[14958]Issieさん
皆様レスありがとうございます。
なるほど、大日峠越えによる往来ですか・・・。

あと気になるのは井川湖よりも上流の地域は過去・現在それぞれでどの程度居住実態が
あるものなのか?というところですね。もし合併後に人口が大きく減っているようであれば、
合併が井川地区中部以北の振興にはかなり大きなマイナスとなったのではないか?という気も
してきますが・・・

長野県側には飛騨・木曽・赤石各山脈の麓で過疎に喘ぎながらも、点在するいくつかの小集落を中心に
下流部の諸都市とは一線を画し、「山と共に」独自の村として残っているところが数多くあります。
それらを考えると、それこそ
[14935]YSKさん
「政治的配慮から村議会で突如決まった」
という随分キナ臭い話を乗り越えられず、井川地区が何故そのまま井川村として残れなかったのか、
理由はよく解りませんがとにかく残念な感じはします。

結局のところ、静岡市にある以上は本庁までの距離は極めて遠く不便であることには
変わりないだけに、政令市となってもこれまで通り新区内に井川支所を残し続けることは
最低限必要なこととなるのでしょうね。
(同様の例:札幌市南区定山渓出張所、仙台市青葉区宮城総合支所、同太白区秋保総合支所など)

そして市町村合併促進策として導入が検討されている「地域自治組織」がもし実現したら
井川地区は真っ先にその対象とすべき地域の一つとなり得るでしょうか。

「(現時点で)日本一広い市」のうち4割弱の面積を占める井川地区には
今後とも注目していきたいものです。

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