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伊豆之国さんの記事が1件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[107075]2023年3月12日
伊豆之国

[107075] 2023年 3月 12日(日)22:10:11【1】訂正年月日
【1】2023年 3月 12日(日)22:12:38
伊豆之国 さん
権現堂川
昨日の「アド街」は、「埼玉県幸手市」でした。かつては日光街道の宿場町として栄え、明治の中頃でも大宮(さいたま市)をも遥かに上回る「結構な街」だった([100310] 白桃さん…名邑三世代.その44(埼玉県・前編))という、「明治の名邑」として輝いていた幸手の街。今も往時の「栄光」の名残をとどめる街道筋の旧家の数々も、番組の中で紹介されていました。しかしその後は長らく繁栄から取り残され、ようやく市制施行に至ったのは、首都圏の通勤圏が拡大してきた昭和も終わりに近づいたころ。それからしばらくの間は人口が増えていたのですが、やがて停滞から減少へと向かい、国勢調査人口では1995年の58,172人がピーク。最新の推計人口はついに市制施行以来初めて5万人の大台を割るという事態となり、市民へのインタビューでも町の現状を嘆く声が多く見られましたが、その幸手市民が口をそろえて自慢にしているのが「権現堂川堤防の桜並木」(権現堂公園公式HPより)。この「権現堂川」と聞いて思い出すのは、hmtマガジンにも収められている「利根川と国境・県境の関係」。この「権現堂川」を含め、利根川・渡良瀬川・江戸川・中川などの複雑な流路の変遷と、武蔵・下総・常陸などの国境の移動の歴史が詳しく述べられ、私も改めてこの記事集を見ると、まさに圧倒されるものを感じ取ります。また、「アーカイブス」にある「利根川東遷」という記事集の中にも「権現堂川」に触れた記事がありました。
ところで、インタビューに応じた幸手市民も、一様に何の疑問もなく?「権現堂川」と呼んでいましたが、hmtマガジンのこの記事集の中で、直接「権現堂川」がタイトルに入っている[77091]を見ると
現状では、栗橋から先の総武国境には川が流れていませんが、ここは、利根川の歴史を語る上で欠かせない「権現堂川」の流路跡です
その姿は 南北に細長い池で、権現堂調節池(行幸湖)という注記も見えます。南端でつながっている川を東に進んだ幸手工業団地付近も かつての権現堂川ですが、Mapionには「中川」と書いてあります
つまり、「川としての権現堂川」は完全に失われ、西側は調節池として、南側は中川の一部として再利用されているわけです
とあり、また現在のMapionを見ると、やはり桜並木などがある公園の横(北側)を流れているのは「中川」で、その北に「権現堂川」の文字は見えるものの、「行幸(みゆき)湖」の名もあるように既に川としての実態を失った「池」のような存在になっているのが読み取れるのでしょうか。

…幸手市と「権現堂川」を境に隣接している茨城県五霞町とは、ご破算にはなったものの、かつて「越境合併」(「大昔」は共に「下総国」でしたが…)の話があったことは、落書き帳をにぎわせていました。でも、仮にこの合併が実現していたとしても、両市町の現在の合計推計人口は56,989人(幸手市49,164+五霞町7,825)と、既に幸手市の国勢調査での最多人口を下回っているのですね…。


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