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Takashiさんの記事が10件見つかりました

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[91538] 2016年 9月 29日(木)07:23:45Takashi さん
後免町
[91537] 白桃さん

後免 1889.04.01 1,826 (1955年) 1959.10.01 南国市 南国市

私が国勢調査人口に興味を持ち始めてから60年、一番驚いたのが、後免の人口が少なかったことです。

[39412] がっくんさん

高知県の昭和25年頃の話ですネ。今手元にある(図書館の)高知年鑑1951によると・・・、

長岡郡後免町(現南国市)・・・人口1796人 面積0.15km2 (昭和23年8月1日現在)

この面積で1955年当時の人口密度を計算してみると12173人/km2と現在の東京23区や大阪市の各区の人口密度に匹敵する値になります。

人口としては確かに少ないのかもしれませんが狭い面積に多くの人が密に生活していたことを考えると村ではなく「町」と呼ぶに十分値するものであったのではないのでしょうか。

……ここまで踏み込んだ書き込みはあってもおかしくはないと思ったのですがなかったのですね。

P.S.

[91536] ニジェガロージェッツさん

前知事のころから都政に関する話が全国ニュースもしくはワイドショーで取り上げられていますけど、これは東京のローカルニュースなのではないかという意味では私も同感です。現在の築地市場を経由して食材を卸しているのは食材の鮮度のことを考えると広くて関東近郊が限度ではないでしょうか。(というかそれぞれの地域に卸売市場がある以上すべて築地を通さなければならないというものではないはずです。)いくら東京が日本の首都でニュースやワイドショーが東京の(キー)局制作であるとはいえ、都政のニュースを全国区でここまで取り扱う必要もないような気がします。(逆に大阪市政や大阪府政のニュースは橋下徹氏が府知事あるいは市長であった頃でも関東ではそこまで聴くことはなかった気がします。)
[91533] 2016年 9月 28日(水)22:36:43Takashi さん
王子神谷駅についてもう少し
まずは北海道日本ハムファイターズの皆さんパリーグ優勝おめでとうございます。

それはさておき

[91524] みかちゅうさん
[91527] Takashi
[91532] みかちゅうさん

・王子神谷駅
「由来は王子と神谷の境界付近に駅があるから」という説がちらほら見つかりましたが、本当なのでしょうか? 南北線の1つ南の駅が王子駅なのに、さらに「王子」をつける駅名を欲しがったのかは疑問。近くにある都営バスの停留所は「北区神谷町」で、これは都電の電停も同じ名称でした。

とりあえず事実関係を整理すると
・王子神谷駅は北区王子五丁目に存在するが、神谷一丁目との境界に近い(関係はありませんが神谷二丁目並びに神谷三丁目の北部はむしろ一つ赤羽岩淵よりの志茂駅の方が近いです)
・最寄り(真上?)のバス停は王子五丁目(北区神谷町の名前を近くのバス停としてあげられていましたがそのバス停はもう一つ赤羽寄りのバス停であると思います。)である
・王子駅は一つ目黒寄りの駅名として存在し、神谷町の名前は既に日比谷線で使われているため、いずれにせよどちらか一方のみを使う場合には何らかの形で同名回避を行う必要がある
というところでしょうか。

また、現在の王子神谷駅付近の国道122号(北本通り)にはかつて隅田川から王子五丁目団地(ここは王子製紙の工場があったところなのですがそれはさておき)付近まで流れていた甚兵衛堀(神谷堀)という水路(現在は埋め立てられ?神谷堀公園となっています)にかかる神谷橋という名の橋がありその名は都電の電停の名称としても使われていました。

で、王子「の」神谷なのか王子「と」神谷なのかなのですが、
・王子五丁目は下十条村→王子村(1889)→王子町(1908)→王子区(1932)→北区(1947)
なのに対し
・神谷一丁目は神谷村→岩淵町(1889)→王子区(1932)→北区(1947)
と東京市編入まで異なる経緯をたどっており、現在でも北区では王子五丁目は王子地区に属しているのに対し、神谷一丁目は赤羽地区に属しているものとみなしています。

ということを考えると王子「と」神谷の方が妥当であるような気がします。個人的には神谷橋もよいと思うのですがこれも紛らわしいので採用には至らなかったのでしょうね。

なお、今回の考察に当たってはこちらのサイトを参考にしました。
[91530] 2016年 9月 28日(水)11:52:46Takashi さん
王子神谷は広域地名が接頭語になっている例ではない?
[91524] みかちゅうさん
[91527] Takashi

王子神谷駅は神谷町駅(日比谷線)、練馬春日町駅は春日駅(大江戸線・三田線)との混同回避でやはり広域地名を接頭語に付ける必要があったのだと思います。

その後王子神谷駅について調べてみたところここでの「王子」は広域地名というわけではないようです。

というのも、王子神谷駅自体が北区の王子五丁目にあり、むしろ所在する王子と近接する神谷の複数の地名を並べて付けたと考えた方が妥当ではないかと思われるのです。

というわけで王子神谷は広域地名が接頭語になっているとはいえないようです。むしろ神谷を付けた理由の方が気になります。
[91528] 2016年 9月 28日(水)09:18:03【2】Takashi さん
上野広小路について
[91524] みかちゅうさん
[91527] Takashi

[91527] Takashiの書き込みを書いた際にはこのあたりの中央通りをかつては下谷広小路と呼んでいたことと関係して広域地名を接頭語に付けたことを申し上げたのですが、その後台東区の旧町名を調べた際に現在の上野広小路駅の近くに上野広小路町があったことがわかりました。

この町名自体は1869年におそらく下谷広小路にちなんで名付けられたものと考えられますが、上野広小路の駅名は上野広小路町にちなんで名付けられたものであると思われます。

で、この駅名の上野は同名回避のために付けたかというと……おそらく町名由来ではないのでしょうか(町名自体が同名回避の可能性はあります)。
[91527] 2016年 9月 28日(水)07:20:52【3】Takashi さん
Re:同名回避のために広域地名を冠した駅・東京の地下鉄編
[91524] みかちゅうさん

 上野広小路(銀座線)
 中野新橋・中野富士見町(丸ノ内線)
 王子神谷(南北線)
 牛込神楽坂・牛込柳町・練馬春日町(大江戸線)
 本所吾妻橋(浅草線)
 板橋本町(三田線)

牛込神楽坂駅はかなり近くにあるが乗換駅の関係にはない神楽坂駅(東西線)との同名回避で広域地名を接頭語に付ける必要があったのだと思います。

王子神谷駅は神谷町駅(日比谷線)、練馬春日町駅は春日駅(大江戸線・三田線)との混同回避でやはり広域地名を接頭語に付ける必要があったのだと思います。

板橋本町駅は渋谷区や中野区の本町もしくは中央区の日本橋本町(まだ他にもあるかもしれません)と誤解されないために、中野富士見町は千代田区の富士見町→富士見や板橋区の富士見町と誤解されないためにそれぞれ広域地名を接頭語に付ける必要があったのだと思います。

牛込柳町駅は新宿区の市谷柳町に由来するものと思われますがなぜ牛込を接頭語に付けたのかというと他に付近に柳町はあるわけではありませんが旧牛込区にあることを強調したかったらしいです。

上野広小路駅は東京都内に他に両国広小路(両国橋西詰・現在の中央区東日本橋周辺)、浅草広小路(現在の台東区雷門通り)があり、このあたりの中央通りをかつては下谷広小路と呼んでいたことと関係して広域地名を接頭語に付けたのだと思います。

本所吾妻橋駅は……吾妻橋の本所側ということで命名されたのでしょうか。(ちょっとこれはわかりませんでした。)

取り急ぎご報告まで。
[91513] 2016年 9月 26日(月)13:18:39Takashi さん
川崎市内陸部の工場群
[91482] ニジェガロージェッツさん

お住いの川崎市についてのご説明もございましたが,小生のような部外者にとって,川崎市の工場地帯のイメージは川崎区のそれにありました。

ここの落書き帳に出入りされている皆様でも川崎市の工業地帯のイメージは川崎区のそれにあることは市民の私でも当然のことと考えております。

実際、川崎区の主に臨港部にいわゆる京浜工業地帯の大工場群が立ち並んでおり、それらのおかげで川崎市の工業生産額の78%を川崎区が絞めています(2014年)。

その一方で川崎市の幸区から高津区にかけての多摩川沿いの平坦地に1930年代から大企業の工場が進出し、そのいくつかは現在撤退したものもありますが、東芝三菱ふそうNEC富士通富士通ゼネラルは今も操業中です。

この結果三菱ふそう、NEC、富士通の工場のある中原区の工業生産額は川崎市全体の12%を占めるようになりこれは川崎区に次ぐ2位の額となっています。

とは言ってもリンク先の地図を見ればおわかりのようにそれぞれの工場が互いに近いところにあるというよりは工場進出後に宅地化された地域の中に大きな工場があるという感じなのであまり工場地帯というイメージは受けないと思います。
[91512] 2016年 9月 26日(月)11:04:23【1】Takashi さん
中部天竜
[91507] hmtさん
[91511] デスクトップ鉄さん

1934年三信鉄道開業時は佐久間駅で、所在する佐久間村からの命名です。なぜ、これを中部天竜に改称したのかも疑問です。

1936年に現在の浜松市天竜区佐久間町佐久間に佐久間水窪口駅→佐久間駅ができることとの兼ね合いで1935年に改称したものであるものとうかがえます。それにしても天竜がなぜ付くようになったのかは未だにわからないのですが。

中部(なかっぺ)村は、1989年3月の市町村制施行時に佐久間村を構成した旧村ですが、25000分の1地形図の 図幅名に使われるくらい著名な地名だったのでしょうか。

この辺りの25000分の1地形図の図幅名として「佐久間」を使用できないのはすぐ北の地域をカバーする25000分の1地形図の図幅名が浜松市天竜区佐久間町佐久間を範囲に含む「佐久間」であることが影響しているものと思われます。中部天竜駅と佐久間駅の間に25000分の1地形図がカバーするエリアの境界線があるのですね。また、中部(なかっぺ)が図幅名に用いられたのはここのエリアを含む25000分の1地形図でもっとも大きな集落の名前を採用したものではないかと思われるのですが、地形図だけでは本当に大きいかどうかはわかりません。
[91503] 2016年 9月 25日(日)17:38:24Takashi さん
西に中国勝山あれば東に……
[91500] 白桃さん

でも、忘れてはならないのが「中国」で、真庭市の中心駅?である「中国勝山駅」ひとつしかありませんが、私、以前[5554]で、
普通なら「美作勝山」となるべきところを「中国勝山」としたのは、「ミマサカカツヤマ」となると同じ美作の主邑、津山と間違うのでは
と書き込みましたが、某インターネット百科事典によると、「美作なんてケチくさいこと言わないで、中国地方の勝山でいこう」と町会議員が言ったかららしいです。

の記事を読んで思い浮かぶのはJR飯田線の「中部天竜駅」です。

……ただ、この中部天竜駅の中部は中部地方に由来するものではなく、駅の対岸にある静岡県浜松市天竜区佐久間町中部に由来するもので、しかもこの読みは「なかべ」と読むそうです。某インターネット百科事典によると開業当初は「なかっぺ」と読んでいたらしいのですが、手元に参考資料がないためその真偽はちょっとわかりませんでした。
[91475] 2016年 9月 22日(木)11:15:03Takashi さん
普通の街ってどんな街?
[91473] ペーロケさん

「普通の街」というのは、無個性な街なのでしょうか。言ってみれば、土地勘がない人に対しても一言で他の街との違いを表せない街。私にとっては、例えば横浜市の内陸の区は区別がつきません。どこも丘陵地に住宅が建っている風景が延々と続くイメージです。そういった所がいい意味でも悪い意味でも、「普通の街」なのかもしれません。

横浜市の内陸の区から川崎市の宮前区・麻生区にかけてはおっしゃるとおりどこも丘陵地に住宅が建っている風景が延々と続くイメージで初めての人には区別がつかないと思います。あと、私個人的には東京都内の西武池袋線・新宿線・JR中央線沿線の各市や埼玉県内の東武東上線沿線の各市も武蔵野台地上に住宅が建っている風景が続く感じでやはり初めての人には区別がつかないかなと思います。

関西や名古屋周辺で同じようなところがあるかどうかは想像がつきませんが、先ほど私が挙げた地域はいずれも東京周辺の住宅地として発展した街であるためどちらかというと特殊な環境に置かれた街とも言えると思います。

私個人の思う普通の街というのは地域の拠点として発展し、その一方で規模はそれほど大きくはないような街(どのくらいでしょうね?人口は5万から10万くらいでしょうか?)が普通の街といえるように思えます。そのような街はたいてい
土地勘がない人に対しても一言で他の街との違いを表せる場合が多いかもしれませんが、こちらの方が日本各地によくある街ってどんな街?という問に対してイメージできる街のような気がするのです。

皆様の意見はどうでしょうか?
[91453] 2016年 9月 20日(火)21:17:13Takashi さん
杖立温泉オフ会記念全国のJR駅三番勝負
じゃ、こっち?
問一 有田(JR九州、佐賀)
問二 勝野(JR九州、福岡)


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