都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
実那川蒼さんの記事が5件見つかりました

… スポンサーリンク …


記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[43032]2005年7月15日
実那川蒼
[43029]2005年7月15日
実那川蒼
[42722]2005年7月1日
実那川蒼
[42311]2005年6月13日
実那川蒼
[42287]2005年6月12日
実那川蒼

[43032] 2005年 7月 15日(金)22:54:19【1】実那川蒼[紫魔法師] さん
やっぱりこれ、脅迫になるのでしょうか。
[43030](じゃごたろさん)
一種の脅迫
自由参加の私の立場からしてこれは許される行為ではない
もし私が「脅迫している」のだとすれば、それは「YSKさんの引退」をさせないつもりなのではなくて、「YSKさんの過去の発言の全削除」をさせないつもりだということになります。落書き帳への参加は自由意思なのも承知しています。私がもっとも伝えたかったことは「30時間が経過した発言の投稿者都合での削除は認めない」でした。

[43029]は散々訂正していますが、上のことがよりよく伝わるように、また読者の誤解を未然に防ぐために訂正致しました。
[43029] 2005年 7月 15日(金)22:17:57【7】実那川蒼[紫魔法師] さん
過去の全発言削除には絶対反対!!
[43009](YSKさん)
・YSK名義の書き込みの全件(この書き込みも含む)削除
これには絶対反対です。何が何でも阻止させていただきます。

なぜ落書き帳の書き込み訂正や削除が「書き込みから30時間以内」に制限されているのか、お考えになったことはありますでしょうか。それは、YSKさんの発言を削除してしまうことによって「落書き帳の発言の連続性を阻害してしまう」場合があるからです。アーカイブからYSKさんの発言のみが削除された場合、ほかの人が引用した部分からしかYSKさんの発言を知ることができず、YSKさんの発言の真意がゆがめられた形で伝わってしまう危険性もあるとともに、アーカイブ全体の真意もゆがめられてしまう危険性も大いにあるのです。

そうはいっても「この発言はまずい」と投稿者が思った発言もあるでしょうから、30時間以内の訂正や削除は認められていますが、ある程度の読者に周知され、「落書き帳の発言として定着された」と推定される、30時間を経過した発言の訂正や削除が認められていないのだと私は解釈します。

私は「落書き帳の発言は自分が書いたものではあるが、もはや自分だけのものではない」と考えています。落書き帳のニックネーム登録者のみならず、ニックネームを登録せずに(あるいは登録できないで)書き込んでいる人たち、落書き帳に書き込まずに閲覧のみしている人たちの共有財産なのです。それは、これまでに落書き帳に行き来した人たちのみならず、まだ見ぬ読者たち、投稿者たちへの財産でもあるのです。だから、30時間を過ぎて「落書き帳に定着した発言」は、決して個人一人の都合でオーナー グリグリさんが「はいそうですか」といって簡単に消せるものではないのだと私は考えています。

以上の理由で、過去のYSKさんの全発言の削除には絶対に賛成できません。

オーナー グリグリさんにお願いします。
YSKさんのニックネーム登録抹消については私は何も押し通すつもりはありませんが、もし同時にYSKさんの過去の発言を全削除するつもりであれば、その場合は私のニックネーム登録も同時に抹消してください。私の過去の発言は削除する必要はありません。

私は落書き帳に「悪しき前例」を残させたくないので、私のニックネーム登録抹消(それは同時に、落書き帳引退を意味します)を懸けることにしました。

末筆になりますが、有能な投稿者が掲示板を去っていく辛い事態を目の当たりにするのは何度見ても堪え難いものです。自分の運営している掲示板だけでも何度かあるというのに、ここでも同じ事態を繰り返されるのは忍び難いです。
[42722] 2005年 7月 1日(金)18:10:51実那川蒼[紫魔法師] さん
琵琶湖殺人事件
[42689](mikiさん)
...思い出してしまいました。
滋賀県の大津と熊本県の大津を利用した大昔の殺人事件のトリックを。
この作品のタイトルは「豊肥本線早春の死角」(火曜サスペンス劇場)といいまして、日本テレビ系列で1997年3月11日に放送されたものです。原作は津村秀介の「琵琶湖殺人事件」です。

※推理ものですので一応リンクしないでおきます。

東海道本線(琵琶湖線)にも豊肥本線にも「瀬田」駅があるんですよね。
国鉄の時はホームでの駅の表記が同じなのに、JRになると地域別というか会社別に表記が違うんですよね。
今ではそのトリックが使えないのが残念です。
原作は1991年5月に出版されたものですので、一応JR化後の作品になります。テレビドラマ化は前述のとおり1997年ですので、既に少なくとも東海道本線の瀬田駅の駅名標はJR西日本タイプのものに変わっていたのですが、ドラマではホームの端に国鉄型の駅名標を立てて会社の違いが分からないようにしていました。

…ところが。
その国鉄型の東海道本線瀬田駅の駅名標の両隣の駅名が「いしやま」と「みなみくさつ」になっていたのです。南草津駅の開業は1994年ですから、国鉄時代にはなかった駅なわけで、正確を期した(?)はずが台無しになってしまったのでした。ちゃんちゃん。
[42311] 2005年 6月 13日(月)07:48:51【1】実那川蒼[紫魔法師] さん
「解答」と「回答」 私の考え
[42296](オーナー グリグリさん)
上記文章の用法そのものにヒントがありますね。最後の「解答」は、出題と言われていますが、どちらかというと質問のようなので「回答」の方がより相応しいと思いますが。多分このあたりの微妙なところでのせめぎ合いかな。旗色が悪いのは承知。

その疑問はもっともです。後述します。

どうも、「解」の文字が私にはしっくりこないんですよ、十番勝負では。だから敢えて回答を使っています(大正解なんて言葉は使ってましたけどね)。まぁ、多少無理があるのは分かっているのですが、私の頭の中では「解」というほどの問題ではないという意識があります。質問に答えるという感じがしっくりきます。

改めて私の考え方を書きますと、

解答問題(クイズ)に対する答え大辞林第二版の検索結果
回答質問・要求に対する答え大辞林第二版の検索結果

なので、「回答」と書かれると、なんだか十番勝負に答えることを要求されているように感じるんですね。ポイントは、クイズの「解答」は答えても答えなくても構わない(それどころか、答えられない場合も多々ある)のが通常であるのに対して、質問への「回答」は、答えないと質問者に対する義理を欠くので、必ず答えなければならないような語感を持っているということです。

私は十番勝負への参加は参加者の自由意志に任されていると考えたいので、「回答」だとちょっとなぁ、って思うんです。「答えることを押し付けられている」というか。十番勝負は掲示板を盛り上げるための「政策」であるから、掲示板の参加者は積極的に参加すべきであるという考えに立つのならば「回答」のほうが適切ともいえるのかもしれませんが、そうではないですよね。

[42286]の最終段落を出題形式にしているのは、「答えても答えなくてもいいですよ」という意味を含めているからです。答えてほしいという思いはありますが、なにがなんでも相手に必ず答えを要求するまでの強い思いとまでは行きませんので、出題形式にしてオーナー グリグリさんの自由意志を尊重したつもりです。

全国の市・十番勝負の前の都道府県・十番勝負では共通項を答える問題だったので、なおさら「解答」よりも「回答」が私にはしっくりきます。その流れで全国の市・十番勝負も市名を答える問題なので「回答」でもまぁいいだろうと言う気持ちです。しかし、それだったら「問題」も「質問」に変えろよって言われそうですね。

共通項でも市名でもクイズですので、私の語感ではやっぱり「解答」ですね。「問題」を「質問」に変えられるのは「押し付け」感が増すので、私としては反対です。

でも今さらなので「回答」でお許しを。

結局私が折れてしまったほうがよさそうですね。私は別の記事で

[42287](紫魔法師)
ある言葉を使うべきかそうでないかは「相対的な」動向による場合が大半だと思われるからです。「ある言葉が使われることによって不都合を感じる、あるいは不快感を覚える人たちの総数」と「ある言葉が使われなくなることによって不都合を感じる、あるいは不快感を覚える人たちの総数」との「相対的な」割合によって、「ある言葉」を使うべきかそうでないかが決まるとも言っても過言ではないでしょう。

と書いています。

[42304](烏川碧碧さん)
私はむしろ、共通項を探り出し、答えることが「解答」で(都道府県・十番勝負)、探り出した共通項を持つものの中から、任意のものを答えることが「回答」である(全国の市・十番勝負)とあると認識しています。

[42309](あきすてさん)
ついでに"かいとう"については、大体ですが、答えが1つの場合(出題者が答えを発表するときなど)は「解答」、答えが1つに限られない場合は「回答」だと思っています。

という意見もあり、十番勝負の答えに対して断固として「解答」を主張する私は分が悪そうです。また、私は「回答」という言葉にすっきりしない思いはあるものの、その言葉によって心を傷つけられるとまでは行きませんので、

[42277](オーナー グリグリさん)
聞くのも見るのも嫌

ではありません。

結論として、十番勝負の答えに対する公式の表記は「回答」のままで行き、私が答える場合は「解答」を用いるという今までどおりのやり方が、お互いにとって一番いいのではないかと思います。
[42287] 2005年 6月 12日(日)21:35:49【1】実那川蒼[紫魔法師] さん
表と裏
[42277](オーナー グリグリさん)
この件については静観するつもりでしたが、どうしても一言書きたくなってしまいました。

私からも一言。

表と裏が相対的な使われ方に限定されているのであれば何の問題もないと考えます。言わば「私とあなた」のようなものですから。

私が「表と裏」と聞いて真っ先に想像したのが「野球の○回表(裏)」なんですが、これに「差別的な意図がある」とか「表・裏という呼び方をやめて別の呼び方に変えるべきだ」という人はいませんよね?野球のルール上、裏のほうが表よりも優遇されていますが(サヨナラ勝ちなど)、それが原因で「裏のほうが表よりも格が高くなったがゆえに」野球の表・裏が相対的な使われ方に限定されているのではないことは明らかです。ということは、「表・裏という使い分けがされる」ことが直ちに「表・裏に差別的な意図が付与されること」とはならないわけです。

「相対的な」考え方は決して無意味ではありません。むしろ、ある言葉を使うべきかそうでないかは「相対的な」動向による場合が大半だと思われるからです。「ある言葉が使われることによって不都合を感じる、あるいは不快感を覚える人たちの総数」と「ある言葉が使われなくなることによって不都合を感じる、あるいは不快感を覚える人たちの総数」との「相対的な」割合によって、「ある言葉」を使うべきかそうでないかが決まるとも言っても過言ではないでしょう。

私の意見としては[42038]のYSKさんの主張の意義は認めつつ、[42075]のじゃごたろさんの主張や[42277]のオーナー グリグリさんの主張に賛成なので、

[42277](オーナー グリグリさん)
本来、どんな言葉にも差別の心があるわけではありません。その言葉を使う人の心に差別があります。けれども、差別する人の心をその言葉によって知らされた人は、その言葉そのもので傷つけられるようになります。これは第三者がいくら綺麗事を並べても決して癒されるものではありません。私は今議論されている言葉を聞くのも見るのも嫌です。

の意図を汲んで、「ここで問題になっている言葉」は使うつもりはありません。

【訂正履歴】
「相対的な」考え方は~の段落を追加。その他一部修正。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示