[52193] 2006年 7月 16日(日) 06:48:37 矢作川太郎さん
私の持論に(地名は地形に従う。)と言うモノがあります。だから、これに反したやりかたには賛成出来ません。
一般的に、人為的な区画により構築されている旧城下の町名まで地形にしたがわなければならないということは理解できません。
名古屋市では戦後大規模な区画整理が有りました。しかし、その要因に大規模な都市計画道路の開通があると思います。例えば旧来日本の都市部では背割り(棟割り)の区画が主流で、道割りの概念は少なかったと思います。それが、路地等が拡幅され自動車の通行量が増大すれば、自然に向かいの家との交流は少なくなります。(向こう三軒両隣と言う言葉が有ったが今風に言えば、後ろ三軒両隣になるのだろうか?)
土地の形状・区画を整理し、都市公園の設置など都市基盤を整備する区画整理事業と、背割り式町名がブロック式の町名に変更されたこととは、直接関係ないと思われます。
背割り式がなくなったのは、ひとえに住居表示制度の実施によるものでしょう。
また、町名は、近所づきあいのためにだけあるのではなく、どちらかと言えばそこに住んでいる人より他の地域に住んでいる人のためにあるとも言えると思われます。
「名古屋市中区栄○丁目○番」と聞いて即座にその場所が分る人はいないと思われます。
また、タクシーに乗って同様に告げ、何も見ずにそこまで連れて行ってくれる運転手はいないと思われます。
これが、道路沿いに付けられた町名を変更してしまった、ブロック式町名の実態でしょう。
一度、実用本位の住所に切り替えられた所が、いきなり情緒本位に傾くのはやはり無理の有る事です。現状に無くても記録の中で生きていればそれでいいのでは無いかと言うのが私の見解です。
かえって分りにくい住居表示町名がどうして実用的なのでしょうか。
実用的とは、行政当局にとって管理しやすいということなのでしょうか?
また、旧町名をかび臭い博物館の展示物のような扱いにすることに価値があるとは思われません。
(一般的な博物館を否定しようとするものではありません。)