[16785] NS さん
結果として「青葉区」には旧港北区からの区域が含まれていないのですが,このときの基本的な発想は「緑区と港北区の区域全体を再編して4つの区に分割しなおす」というものでした。だから,
「緑区+港北区→緑区+港北区+青葉区+都筑区」
という表現になるのです。あるいは,緑区設置以前の「原初港北区」に立ち返って,もう1度4区に区分しなおした,なんて見方もできるかもしれません。
そのときに再編・新設された4区のうち,2つの区については従来の「港北区」「緑区」という呼称がそのまま採用され,残りの2つの区について「青葉区」「都筑区」という新しい区名が採用されたのです。ですから,従来の「港北区」「緑区」から“分離”したわけではないのです。
「港北ニュータウン」として造成されている区域の多くは旧中川村の区域に属します。
旧中川村の従来からの集落は中原街道沿い,それと早淵川とその支谷のヤト(谷戸;房総では谷津)の崖下に分布するのですが,全般に小中学校の校区をはじめとしてニュータウン地区との一体化が進んでいるようにも感じます。特に山田地区のヤトの旧集落は,大規模な宅地造成・区画整理が行われたので,完全にニュータウンに取り込まれていますね。
一方,旧川和町(←都田村)の従来からの集落は,谷本川(鶴見川)とこれに並行する街道(県道横浜上麻生線,県道川崎町田線)に沿って,川和町→佐江戸町→池辺(いこのべ)町→大熊町と連続しています。これは,「港北ニュータウン」として造成された丘陵崖下の湧水線に沿ったものでもあります。
ここでは道路のつながり方のせいでもあるのですが,丘陵上のニュータウン地区と街道沿いの旧集落とは「別の世界」を作っているようにも見えます(ただし,川和中学校の校区は旧集落・ニュータウンの双方にまたがります)。
ニュータウン地区は,バス路線のつながりから見て,おおむね田園都市線の市が尾駅との結びつきが強いように見えます。一方,街道沿いの旧集落は“道なり”に中山や小机方面との流れが強いように思えます。
昔からの発想であれば区役所は川和に置かれたのでしょうが,事実上の「港北ニュータウン区」として区役所は地下鉄のセンター南駅の近くに設置されました。
その地下鉄には,センター北・センター南の両駅で現在線と「X字状」に交差して,東横線と横浜線の中山駅とを結ぶ新線の建設が具体化しています(ニュータウンでは当初からこの路線が折込済みで,そのための線路と駅の用地が確保されています)。
かつて都筑郡の中心としてさまざまな出先機関が集中していた川和地区ですが,旧緑区役所から始まって,それらが次々と中山や市ヶ尾方面に移転してしまい,さびれてしまった感じが否めません。商業機能も同様に市ヶ尾と中山に吸収されてしまったようです。
都筑区の西端に位置することとなり,ニュータウン中心部から東横線方面へ直結する地下鉄新線ができたとき,川和地区の地位はどのように変化するのでしょうね。