都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
ひげねこさんの記事が10件見つかりました

… スポンサーリンク …


記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[57306]2007年3月17日
ひげねこ
[56411]2007年1月24日
ひげねこ
[55355]2006年11月26日
ひげねこ
[55339]2006年11月25日
ひげねこ
[54819]2006年10月31日
ひげねこ
[44794]2005年9月9日
ひげねこ
[44662]2005年9月4日
ひげねこ
[44470]2005年8月24日
ひげねこ
[42857]2005年7月6日
ひげねこ
[42806]2005年7月4日
ひげねこ

[57306] 2007年 3月 17日(土)04:39:32ひげねこ さん
くりはら田園鉄道の車両
[57256] 役チャン さん

くりはら田園鉄道(くりでん)の 車両ですが、たぶん国内の会社が買うことはないと思います。一番可能性があるのはミャンマーでしょう。
旧国鉄のようにしっかりした造りの車両なら、30年どころか50年以上たっても使用されてます(キハ52形など)が、分割民営化で用意された車両は軽量化に重点を置き、バス部品を使用したり、バス車体に近い構造を採用したりしています。レールバスというのは、けっこう正しい表現だったりして。
そのため10年過ぎたあたりから老朽化してきています。国内でも第3セクター鉄道で車両を取替えに入った会社はいくつもありますが、中古車を入れることはちょっと考えられません。
ミャンマーには、日本で使用されていた気動車が売却されています(ひょっとすると無償援助かもしれませんが)。
名鉄で使用されていた車両、くりでんに移籍した10形2両の弟ですが、名鉄三河線が廃止になった後、不要となった20形と30形がミャンマーに行き、ヤンゴン地区の環状線に使用さています。
第3セクターの小型車がちょうど良い大きさのようで、伊勢鉄道が置き換えた車や廃止された北海道ちほく高原鉄道の車両、のと鉄道の短縮で不要となった車両も、ミャンマーに行ったと記憶しております。
以前からミャンマーとラオスには行ってみたいと思っています。ラオスに行ったら、鉄道を利用して日本から行った車両に乗ってみるつもりです。マイレージをうまく貯められたら、特典航空券を利用して出かけたいと思ってますが、いつになることやら
[56411] 2007年 1月 24日(水)18:33:57ひげねこ さん
川平のロータリーと八重山のバスなど
先週後半に与那国島・石垣島・竹富島・西表島をツアーで旅してきました(取材なのに)。
石垣島で、川平湾のグラスボートに乗りにいくときに、住宅街の中に寄り道をしました。
乗船場に右折するとき、見ると交差点がロータリーになっているではありませんか。
まん丸よりも、いびつな楕円形に近い感じでした。
いちおう写真を撮りましたが、通り過ぎて最後部から撮ったので、はっきりロータリーとは分かりません。
戻ってロータリーコレクションを見たら、しっかりコレクトされてました。

与那国島の路線バスは、なんとたった1台しか車両がありません。かつて調べたときは3台あったのですが、赤字で車検費用がなくなり貸切を廃止したときに1両になったようです。以前に友人のカメラマンが取材した写真には、同じ登録番号のバスが違った塗装で、しかも貸切と書かれて写っていました。バス停も、民家の壁などに貼り付けた板に時刻が書いてあるだけで、一見ゴミの収集日が掲示されているのかな、という感じです。与那国空港そばのバスターミナル(とは名ばかりで、ブロック積みの単なる車庫)でじっくり見ると、タイヤハウスやドアの下側はサビてボロボロでした。また、バス停以外のどこでも手を上げれば止まるし、行きたい場所を言えば最寄りで降ろしてくれるそうです。Dr.コトー診療所の撮影場所めぐりにどうぞご利用ください、ってツアーでしか行かないだろう。

西表島の路線バスは、私が見たのは前・中ドアで、中ドアは4枚折り戸の都会仕様の大型車でした。たぶん大都市の排ガス規制で処分された車齢の若い車両でしょう。色は「紅イモ」のような紫色一色でしたが、これも昨年都バスの色そのままで走っていた写真があるので、塗り替えたのだと思います。貸切はとても新しい車両がゴロゴロいましたが、観光客の入込が増えて景気がよくなったのでしょう。そういえば路線バスも昔は3往復+区間便だったのが、いつの間にか6往復に増えてましたし、バス停の表示も新しい屋根付きの木製に統一されていました。

石垣島の現離島桟橋から海に向かって右手、旧石垣港ターミナル跡に建設中の石垣港離島旅客ターミナルは、かなり大きな建物で、二万分の1市街図クラスでも独建(独立建造物)表示で入るでしょう。建物はほぼ完成状態で、前面のロータリーや脇の地面の舗装工事中でした。沖縄風の屋根を持つ浮き桟橋2本もほぼ完成しており、現在八重山観光フェリーだけが屋根付きの浮き桟橋を使っていましたが、これからは安永観光も屋根付き浮き桟橋が使えるようになります。ターミナル完成と同時に新規参入する石垣島ドリーム観光は、船はできているはずですが一隻も見られませんでした。同社の桟橋は、新ターミナル前でもいちばん湾外寄りのはずれに、屋根なしの小さな、でもロゴマーク入りの桟橋ができてました。ツアーを予約した時点では昨年12月完成予定でしたので、新しいターミナルの取材ができるかなと思ったのですが、供用開始が2月に遅れてしまい残念でした。当初の供用予定が昨年の4月でしたから、1年近く遅れたことになります。沖縄時間というか、なんくるないさ~というか。
[55355] 2006年 11月 26日(日)13:48:25ひげねこ さん
ロータリー・レス
[55351] たもっち さん

もし明らかに墓園の敷地内で、墓園に用がない車は基本的に通れないような道であれば、採用は控えようと思います

確かに、大庭台墓園内の道路です。湘南ライフタウンへの道路に面した正門のほか、北門、南門からの道路がこのロータリーに集まってますので、通り抜けは可能です。でも、墓地に用がない車は、犬の散歩をさせに来る人ぐらいかも。あ、それも墓地に用があるのか。

正門には扉があるのは間違いないのですが、私は閉まっているのを見たことがありません。ただし、夜間は閉門されるのかもしれません。北門、南門はお彼岸の渋滞時に各1回通っただけですが、管理棟に最も近い北門には門扉があったかどうか記憶が…。(南門にはありました)

母が足を悪くしたため、もっぱらタクシー利用ですので、最近は正門をじっくり見てません。今度、一人で墓参りもかねて確認してきます。それまで保留して置いてください。
[55339] 2006年 11月 25日(土)13:12:42ひげねこ さん
ロータリー発見
父の七回忌の法要があり、準備等とそれで遅れた仕事のため、しばらく来れませんでした。(長男ですので…)

で、我が家の墓のそばにロータリーがありました。
藤沢市の大庭台墓園(藤沢市大庭3782)の中央部がロータリーになっております。
地図のリンクさせかたがよく分からないので、管理事務所の住所を入れておきました。そのそばです。
周囲は正方形で、角の3つに道がつながり、中央の円形の植栽の周りは時計回りの一方通行となっております。
角のひとつは、お墓のアパートである立体墓園の建物へのアプローチです。
正方形の辺のうち一辺は駐車場になっており、そこからすぐに我が家の墓があります。
よく考えたら、以前からタクシーの運転手に、「正門から入って突き当たりのロータリーまで」とか「管理事務所の前のロータリーまで」と指示をしてました。

墓地の図面を見たら、園内にもうひとつ小さなロータリーがあるようです。

ところで、日本では幹線道路にロータリーを使用しませんが、ヨーロッパなどでは普通に見られますよね。
先日ハンガリーに行ったとき、日本の国道クラスがクロスする交差点まで、信号なしのロータリーでした。
また、幹線道路でも集落にかかるとき、集落の両側がロータリーになってました。
これなら必然的にスピードが落ちて、集落内でスピードが出せず(出口にもロータリーがあるから)、村人が安全だなと感じました。
日本でも住宅地の道路に採用すれば、生活道路をすっ飛ばす馬鹿の対策になる気がするのですが。
[54819] 2006年 10月 31日(火)01:55:31ひげねこ[higeneko] さん
交通由来地名
ひげねこです。ほぼ1年ぶりの復活です。

星野彼方様
交通由来地名ですが、藤沢市の湘南台は交通由来に入れてよいと思います。
小田急線の駅の開業は昭和41年ですが、当時はまだ区画整理の最中であり、町名(大字名)は円行や今田でした。開業後に徐々に藤沢市北部の中心の位置を長後から奪い、相模鉄道や横浜市営地下鉄も乗り入れて、現在のような交通の要衝まで成長しました。

逆に福岡県福津市の東福間ですが、交通由来とはいえないと思います。駅の開業は昭和53年ですが、駅北側に広がる団地は駅開業前に建設が進み、団地の扇の要に近い場所に叔母(現在は従弟が継いでいる)の病院が開業していました。私の学生時代(昭和48年~)にはすでに東福間団地という地名が存在しており、年賀状も「宗像郡福間町東福間団地」で出していました。学生時代何度も行ったのですが、駅前広場の用地が用意してあるのに駅がないため福間駅からバスに乗り換えねばならず、とても不便でした。現在は駅前でとても便利ですが。

久しくROMだけでしたので、暗証コードを忘れてしまったため、自分色での書き込みができません。暗証コードに何を使っていたか分かりますでしょうか?
[44794] 2005年 9月 9日(金)15:17:25ひげねこ さん
経國値
私も経國値を計算してみました。

◎:住んだ(5点)×3=15点
筑前 武蔵 相模

○:泊った(4点)×69=276点
北見 天塩 釧路 十勝 石狩 胆振 後志 渡島 陸奥 陸中
陸前 羽後 羽前 岩代 磐城 下野 上野 信濃 飛騨 美濃
近江 越後 佐渡 越中 加賀 能登 若狭 常陸 下総 上総
安房 甲斐 伊豆 駿河 遠江 三河 尾張 伊賀 紀伊 山城
大和 摂津 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨
美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 讃岐 阿波 伊予
土佐 壱岐 豊後 肥前 肥後 日向 大隈 薩摩 琉球

●:歩いた(3点)×6=18点
根室 日高 越前 伊勢 筑後 豊前

△:降りた(2点)×1=2点
和泉

▲:通過した(1点)×2=2点
河内 丹波

×:かすってない(0点)×3=0点
志摩 淡路 対馬

合計313点でした。

やってみると、経県値とはまた違った面が見えてきます。
畿内や周辺が薄いですね。奈良県内はけっこう泊ったものの、それ以外では大阪市内と京都市内、神戸市内だけだし。
河内は関西本線と近鉄大阪線で通り抜けただけ、丹波も丹後や但馬が目的地で列車で通っただけです。
和泉は関西空港で飛行機に乗り換えたことがあるので、▲になりました。
筑後や豊前が●なのは、私のルーツが筑前で、親戚の家を基点にすると日帰り圏内だからでしょう。
[44662] 2005年 9月 4日(日)04:43:46ひげねこ さん
福岡から帰ってきました
ANAのPET診断ツアーに参加(といっても一人なので「参加」といえるのか?)し、福岡へ行ってきました。
とりあえず癌はないとのことで一安心です。γ-GTPは高かったけれど、脂肪肝ではないそうで、こちらも一安心。左の腎臓に石があるのも分かりました。
福岡は、久しぶりの里帰りです。つい、西鉄天神大牟田線を「急行電車」と言って、今では年寄りも言わないと笑われ、40年の月日を感じます。
大学の先生になっている学生時代の友人を研究室に訪ねたついでに、地下鉄七隈線に初乗りしてきました。無人運転で先頭もオープンなのでびっくりしました。
帰りには、余命いくばくもないANAのB747クラシックに乗ってきました。SRかと思ったらLR(200B)で、かつて大連便で乗った機材(JA8175)でした。これで乗り納めだろうと、スーパーシートを奮発して、軽食(お弁当)を白ワインでいただいてきました。

[44609] みかちゅう さん
最近気になること…県別マップル(昭文社)のバス路線の扱い。県内が特定の日(例えば4月1日)の基準になっていなくて、3月に廃止された路線と4月に新設された路線が両方とも図示されているのは仕方ないとしても、町営バスなどで載っているのと載っていないのがあります。
今はどうか知りませんが、私が入社した当初は大縮尺が都市地図課、小縮尺が道路地図課の担当でした。その後、道路地図が大縮尺化してきてまず10万分の1が登場し、さらに3万分の1といった都市地図とたいして変わりのない縮尺が登場してきました。昭和の末期では、「マップル」の名がつくと道路地図課の担当、「ニューエスト」や「都市地図」の名がつくと都市地図課の担当でした。
都市地図としては、各区市町村の一枚もの(「ペラもの」と呼んでました)が基本で、それをベースにブックもの(「ニューエスト」などです)の修正をしていました。もちろんペラものが出てない都市がブックものに収録されている場合もありますが、この場合は資料による要点だけの修正や、当該町村の広報課などに依頼してチェックをしていました。
当時、東日本(静岡・長野・北陸三県から東)を東京で担当したいましたが、再版担当は3~4名で、多いときにはブックものを含めて1日1点(冊)原稿をアップしなければならない状況でした。したがって、バス路線などはなかなか調査に手が回らなかったのです。
大縮尺の道路地図については、町名・地物・バス路線など都市情報に関しては、都市地図の原稿を転記する形で修正していました。道路地図課の担当が、すでに修正が終わった再版原稿を都市地図課から借りていき、それを転記していたのです。この場合、現場で修正中の原稿は転記することができませんし、ブックものでも中心図しか収録してない町村などに関しては、周辺部については情報そのものが存在してないというケースもありました。
退社するころ情報課を設けることになり、会社に残っていればたぶん間違いなくそこに異動しただろうと思います。しかし、情報は集め方を知らないと集まらないことが分かってない会社でした。社長が「ベテランを一人切って、その金で新人を二人雇えば、地図が今の倍作れる」と公言していましたから。
退社後、後任の後輩が私の残していったバインダーの情報を見て、「ひげねこさんはこれだけの情報をどうやって手に入れてたんだろう、僕にはできそうもない」と言ったというのを人づてに聞いて、うれしかったですね。
ちなみに私は10年ちょっとで、都市地図(再版)⇒都市地図(新刊)⇒ガイドブック⇒ドライブ雑誌⇒都市地図(新刊)⇒都市地図(再版)と異動しました。
昨日、福岡で親戚の家に行ったところ、私が図取して原稿を書いた東京都区分地図帳(発行は退社した翌年)をいとこが持っていて、懐かしかったですね。
つい、古い話をいろいろ書き込んでしまいました。


ところでオフ会ですが、参加したかったのですが9月17日は夜に先約があり、残念ながらあきらめざるを得ません。神戸開催が神戸空港開港直後だったら、先約を断って行ったかもしれませんが。
[44470] 2005年 8月 24日(水)15:07:31ひげねこ さん
取り残された町名
[44449] ふかみ さん
[44453] 御巫大丸 さん

住居表示から取り残された町名ですが、これは大字町名と住居表示町名で、町界をどこに引くかの基準の違いからきています。

大字・町名では、町界が河川や道路、線路上にある場合、その河川、道路の中央に引かれていることが多いです。川の中央から半分はA町、もう半分はB町、あるいは道路のセンターラインから半分はC町、もう半分はD町といった具合ですね。

ところが、住居表示の場合、町界は道路や河川、線路敷の端に沿って引くことになっています。したがって、町の境目となる河川や道路は、両側が住居表示されている場合はどちらか片方の町に属することになります。
道路や河川、線路敷の東西・南北のどちら側に町界を引くかは、その市町村によって統一されてますので、河川や道路、線路敷を含まない側が先に住居表示をされると、河川や道路、線路敷に細長く旧大字・町名が残ることになります。
大きな河川の場合、河川敷を住居表示のエリアから外す場合もあります。その場合は河川敷は住居表示されずに大字町名のまま残ります。
都市地図の編集をしていたとき、全域が住居表示をされたはずなのに、国土行政区画総覧に大字町名が残っている場合は、ほとんどがこのケースでした。
こういったケースでは、旧来の町名が残る場所には決して恒久的建築物は建たないので、住所として使われることはありませんが、町名としては残っている形になります。

ダムなどの場合は、湖底に沈んでも地籍は残っているようで、かつて入手した東大和市の管内図には、多摩湖の湖面部分にも町名・丁目界・地番が入っていたと記憶してます。
また、水面を住居表示したケースもあります。静岡市の用宗漁港にある「港」という町名は、水面のみで陸地がないという住居表示町名で、ちゃんと街区もあります(1のみですが)。町界は岸壁と水面の界で、周囲の陸地は異なる住居表示町名になってます。
この漁港は陸地を掘り込んで造った形なので、水面下の土地は県とか国とかが買収して所有しているからではないかと想像しております。
[42857] 2005年 7月 6日(水)16:36:27ひげねこ さん
改めて一自治体内の鉄道
[42814] まかいのさん
明智鉄道は恵那市→中津川市→恵那市のようで、惜しいもの編に入るようですね。

ご指摘ありがとうございます。明知鉄道は起点から終点まで恵那市かと思ったら、中間2駅が中津川市に入っていましたね。すみませんでした。
一自治体内で営業する鉄道会社は、33社(ケーブル・ロープウェイ除く、新交通システム含む)ということになります。

従って、現在の営業キロの順位は、
1位 由利高原鉄道=23.0㎞
2位 黒部峡谷鉄道=20.1㎞
3位 広島高速鉄道(アストラムライン)=18.4㎞となります。

ちなみに自治体営の鉄道は、
1位 札幌市交通局=56.5㎞(地下鉄48.0㎞、路面8.5㎞)
2位 神戸市交通局=30.6㎞(地下鉄のみ)
3位 福岡市交通局=17.8㎞(地下鉄のみ)
です。

[42774] BEANさん のおっしゃるように、大阪市交通局が6市に乗り入れているほか、
名古屋市交通局は赤池駅が日進市に、京都市交通局は六地蔵駅が宇治市にあります。
また、東京都交通局(都営地下鉄)は本八幡駅が千葉県市川市にあります。
[42806] 2005年 7月 4日(月)16:48:16ひげねこ さん
一自治体内の鉄道と市営バス運賃
[42793] まかいのさん

一自治体内を走っていて、距離の長い鉄道(除く自治体営)は、以下のとおりです。
来年3月20日までは
1位 明知鉄道=25.1㎞
2位 由利高原鉄道=23.0㎞
3位 黒部峡谷鉄道=20.1㎞
です。4位以下は20㎞未満です。
来年3月20日以降は、
1位 錦川鉄道=32.7㎞になり、現在の1位以下が繰り下がります。

自治体営を入れると、一部の市営地下鉄に、これを大幅に越えるものがあります。

[42794] みかちゅうさん
栗山村営バスももともとは東武の路線でした。雰囲気からして町営化の際に運賃は変更しなかったのでしょう。その後東武だけが値上げをしたので運賃に違いが出たのでしょう。

聞いた話ですが、東武鉄道(当時)が、まず女夫淵へのバス路線を切り離しました(栗山村が引き受け)。
続いて湯西川温泉へのバス路線も同様に切り離し、同様に栗山村がバスを運行する予定だったそうです。
しかし、廃止前に野岩鉄道が開通したところ、奥鬼怒エリアが注目され観光客が増加し、湯西川方面への入り込み客も増えたので、東武が廃止を中止し自社運行を継続したそうです。
現在も湯西川への路線を東武が運行し続けているのは、一度廃止を撤回した関係で、廃止するハードルが高くなったから、との話は本当かどうかわかりません。
運行は、東武のバス事業再編の一環で東武ダイヤルバスに移管されました。
今手元に野岩鉄道開通前後の時刻表がないので分かりませんが、10年ほど前に日光のガイドブックを編集した時点で、すでにバスの運賃に差がありました(当時は東武バス)から、かなり前の時点で運賃が異なっていたようです。
なお10年前と比べると、東武(ダイヤル)バスの運賃は変わってませんが、栗山村営バスは10~40円値上げされてます。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示