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hmtさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[92729]2017年2月28日
hmt
[92728]2017年2月26日
hmt
[92722]2017年2月24日
hmt
[92702]2017年2月12日
hmt
[92698]2017年2月10日
hmt

[92729] 2017年 2月 28日(火)22:54:49hmt さん
勾金(まがりかね)
現在の地名で言えば葛飾区高砂・新宿・金町あたりにあった旧村名の「曲金」(まがりかね)。
落書き帳では静岡市駿河区に現存する同名の町があるなど話題になりました。
この地名が気になってフォローした[92728]の続編として、同音異字の「勾金」にも言及します。

[92726] 伊豆之国 さん
福岡県香春町には平成筑豊鉄道に同音の「勾金」という駅があります。
これらの地名と、葛飾の「曲金」との間には、何か由来に共通項でもあるのでしょうか?

葛飾の「曲金」については[92728]で道路説の資料を紹介しましたが、川の曲流説もあるようです。

静岡の「曲金」は、現存町名だけに材料が多数あると予想したのですが、思うように見つかりません。
とりあえず一つだけですが、「直角に曲がった金尺のように水田が区割りされていることから」という説を紹介したサイトを挙げておきます。

豊橋市に「曲尺手町」という町があります。呉服町の近くでもあり、矩尺を使う職人町由来でしょうか。

さて、[92726]で紹介されたように 1956年の昭和合併で消滅した旧・勾金村【福岡県田川郡】。
市区町村変遷情報には明治合併前の4村名が記されていますが、現在の大字と対比すると、「鐘山」は「鏡山」の誤記と思われます。

それはさておき、
その鏡山にあるのが 勾金陵墓参考地です。河内王墓とも呼ばれています。

地名・勾金 に関する Yahoo!知恵袋の記載。
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勾金(まがりかね)とは曲尺(矩尺)のことで、通称「指し金」と言われる大工道具のことと推測できます。古代、寺社などの木造建築は元より、町作り、都作りの基本は正しい目盛りで測量することで、曲尺は長さを計るだけでなく垂直や水平を計ることが出来る最も簡略な器具でしたので、国作りには不可欠な至宝扱いされるほど大切な物です。宇佐神宮大宮司の所領であったほど大切な土地であったという事実は、おそらく、宇佐神宮造営の際に用いた曲尺をこの地に奉祀したのではないかと思います。
荒俣宏氏の『新帝都物語維新国生み篇』を読まれると、古代から大陸や日本に於いて、測量の基本となる尺(ものさし)が国家にとって如何に重要なものであったかが理解できますよ。
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この「勾金」という地名も「L字型の金属製定規」由来とする点は共通しています。
しかし、道路・川・水田などの曲がり方を直角定規に見立てたものではなく、宝物扱いされた曲尺(さしがね)そのものに由来するようです。

「測定の基本として重んじられた物差し」と言えば、近代では「メートル原器」[45385]です。
古代でこれに相当する道具を示したものとして、大阪の四天王寺・番匠堂に祀られた「曲尺太子像」を挙げることができます。
仏教伝来と共に日本に伝えれた宮大工の技術。聖徳太子はその大切な道具である「曲尺」も発明し、大工の始祖として崇められています。

大阪仕事文化研究会
Y!知恵袋_聖徳太子信仰と曲尺
研究授業・矩
[92728] 2017年 2月 26日(日)22:32:28【2】hmt さん
曲金
[92727] ぺとぺと さん
「まがりかね」自体に何か意味があるのではないか

この言葉から真っ先に思いつく意味は、大工や建具職人が使う L字型の金属製定規 です。
呼び方は「さしがね」や「かねじゃく」が一般的でしょうが、「まがりかね」「かねざし」「まがりざし」「まがりじゃく」も使います。
漢字も「曲尺」、「指矩」、「差金」、「指金」、「矩尺」などいろいろ。

[92726] 伊豆之国 さん
「葛飾の曲金村」については、水戸街道が鉤の手状に曲げられていたことに端を発するという由来が記されていました。金町の由来

【追記】「葛飾の曲金村」の修正履歴
一度は[92726]に合わせて「下総国葛飾郡曲金村」に修正【1】。
ところが、この地が下総国だった「昔」は おそらく中世以前のことで、「直角に曲げられていた水戸街道」と時代が合わないこと気が付く。
わざわざ武蔵国に再修正することもないので、【2】で元の表記に戻す。
[92722] 2017年 2月 24日(金)13:18:27hmt さん
愛媛県以外の用例
[92720] ペーロケさん
今までの人生の中で、「媛」の字を愛媛以外の用法で見たことがありません。

落書き帳アーカイブズに 愛ヒメと書く訳 ―地名は当用漢字を超える―という記事集が作られています。

落書き帳では、その後も 地名に使われる漢字についての議論があります。
例えば [65937]宝塚市の「丶のある塚」 など。

[92721] Takashi さん
才媛という単語がこの字を用いております。

この落書き帳で、私が記憶する用例は「才媛」の他に「弟橘媛」がありました。
参考までに列挙しておきます。愛媛でない「媛」
[92702] 2017年 2月 12日(日)15:29:50【1】hmt さん
高千穂峰と高千穂町
[92700] 伊豆之国 さん
●2つの「高千穂」について
戦前、その「高千穂」はどこにあったか、と言うことを巡って「宮崎県と鹿児島県が裁判で争った」

その名が示すように 地上ではないらしい「高天原」(たかまがはら)は別として、天孫降臨神話を通じて 日本発祥の地と言われている「高千穂」。

私は、初等科国史により、宮崎県と鹿児島県との境界地帯にある霧島火山群の「高千穂峰」が、その地であると教え込まれていました。紀元二千六百年記念切手(四銭)の画像も 高千穂峰でした。

宮崎県の北端・五ケ瀬川上流の「西臼杵郡高千穂町」の存在を知ったのは ずっと後のことでした。
1889年の町村制で旧三田井村など3村の合併により成立した高千穂村の他に岩戸村も生まれており、この付近も神話に地であったことが知れます。大正9年に高千穂町になった後、昭和合併で岩戸村を含めて再発足しました。

延岡から五ケ瀬川沿いに遡る鉄道は、戦前に日ノ影線が開通。日ノ影-高千穂間は 戦後の 1972年に完成。高千穂線の深角 - 天岩戸間には水面から105mという高い鉄道橋がありました。
北にも「高千穂」が存在することを知ったのは、高千穂峡への交通が便利になったこの頃のことかもしれません。

その先、阿蘇・南郷谷の高森とを結ぶ九州横断ルートの鉄道も引き続き着工しましたが、1977年高森トンネル出水事故などもあり全線開通を断念。
1989年第三セクター・高千穂鉄道に転換後、2005年の台風で全線にわたり橋梁流失などの被害で運休となり、2008年に全線廃止。

高千穂町岩戸の奥にあった鉱山が「土呂久」です。銀山だった時代もありますが、戦前から戦後にかけて殺虫剤などに使用された亜ヒ酸の製造が行なわれ、公害病をもたらした苦い歴史があります。

天孫降臨に関連して2つの「高千穂」の間の本家争いが、大審院にまで持ち込まれていたことは初耳でした。
資料を見ると、日本書紀「襲の高千穂峯」、古事記「日向の高千穂の久士布流多氣」、日向國風土記逸文「臼杵の郡の内、知鋪の郷」など まちまち。二上の峯→「ちほの郷」。
また、北→南の移動説だけでなく、南→北の移動説もあるとか。
もともと、神話ですから現実の地名に当てはめることに無理があり、裁判で黒白を決すべき適切な対象ではないのでしょう。

高千穂大学が冠する「高千穂」は、やはり日本書紀に記された「高千穂峯」をイメージしているのだろうと思います。

自治体を異にする2つの「高千穂」ではあるが、「同一地域を表す地名が、都道府県境、市町村境、区境によって分断された地名」ではない。従って 『自治体越えの地名』コレクションの対象外。そのように理解します。

●紀元節の歌
「高千穂」という地名を聞いて、私が反射的に思い出すのは ♪雲に聳(そび)ゆる高千穂の… という句で始まる唱歌です。毎年2月11日に学校の紀元節式典で歌いました。
明治21年に発表された山田流箏曲の作品に基づく曲で、その後間もなく学校教育の唱歌に採用。解説

私が入学した 1940年(昭和15年)は 皇紀【神武天皇紀元】二千六百年にあたり、日本中に「神がかり」の宣伝が流れた 異常な時代を象徴する 国を挙げての記念行事が行なわれた年でした。
秋の記念式典で演奏されたと思われる儀式用の「紀元二千六百年頌歌」は記憶にありませんが、一般向けにラジオで流されていたのは、行進曲風の奉祝國民歌でした。

もっとも、人々は政府の宣伝に踊らされていただけでなく、タバコ値上げを皮肉った替え歌も作り、流行らせていました。

●当時の市町村の動き
市区町村変遷情報を見ても、昭和15年の2月11日には 洲本市[74036]、飾磨市、川内市と24町【新設合併2町を含む】が誕生するなど、お祝い気分を感じることができます。

合併期日は少し遅れていますが、戦時合併の一種としての「紀元二千六百年記念事業」と銘打った合併もありました[37842]

●4自治体の微妙な境界
[92700] 
微妙な4自治体接点の近く

大縮尺(#16)の地理院地図により、東の高千穂峰と西の御鉢の間にある1408m鞍部の西側境界線【グレーとジャンクションもどき】を示しておきます。境界線の北:宮崎県小林市、東:宮崎県高原町、南:宮崎県都城市、西:鹿児島県霧島市で、南北の自治体は隣接せず。

この高千穂峰から少し北西に位置する霧島山の最高峰・韓国岳1700.1mの地理院地図も示しておきます。
ここは現在では 北:宮崎県えびの市、東:宮崎県小林市、南:鹿児島県霧島市の3自治体接点です。
しかし、2005/1/7の霧島市新設合併前までは 西:鹿児島県牧園町、南:鹿児島県霧島町の境界でもあり、真のグレーとジャンクション【4自治体境界】であった可能性があります。[24021]ペーロケさん参照。

【重要でない追記】
●高千穂大学のある東京都杉並区和田堀
現在地に大学の前身である高等商業学校が開校したのは1914年です。日向の高千穂とは無関係と思いますが、11世紀創建の大宮八幡宮と隣接しています。祭神は当然のことながら応神天皇。
付近の善福寺川沿いは和田堀公園になっている東京近郊の景勝地で、子供の頃にも訪れたことがあります[35838]
東京府東多摩郡和田堀内(わだほりのうち)村は連称自治体名。

「土呂久」で話題にした亜ヒ酸
●1998年の和歌山カレー事件で使われた毒物です。
[92698] 2017年 2月 10日(金)19:10:02hmt さん
Re:岐阜市は三重県?
[92695] Takashiさん
岐阜市について紹介する歴史の本に、岐阜市が三重県内にあるなどの誤った記述や誤字が、少なくとも30か所見つかったとのこと。

引用された報道にも、『岐阜信長 歴史読本』の誤記について
岐阜市が三重県内にあるなどの誤った記述
と記されていました。

そのような「常識では考えられない」誤った記述が本当にあったのか? 

疑問に思って調べてみたら、岐阜新聞Webに 誤表記を指摘した「西部・南部エリア」という地図の画像がありました。
画像の説明
地図では岐阜市に「三重」、岐南町、笠松町に「愛知」と表記されている

画像の指の先に見える「三重」の文字が記されているのは、岐阜県庁【表示なし】の北東(岐阜駅方面)だから、県名「岐阜」の誤記であることは明らかと思われます。
この地図での「岐阜市」の表記は、更に北東に進んだ岐阜市役所【表示なし】の東方に見えます。

県名誤記は明らかですが、この地図から「岐阜市が三重県内にある」という「自治体の相互関係」を示しているとは思われません。

もちろん、地図に表示した「県名の誤記」を見逃した校正・出版のプロセスは許されるべきものではありません。
誤記を指摘したニュース報道自体は価値あるものと評価します。

しかし、誤記の対象を「県名」から「岐阜市の所属」にすり替えて報道したことに問題はないでしょうか?

「岐阜市は三重県?」に限れば、常識的には誰にも明らかな間違いです。
腹の立つ方もあるでしょうが、あまり実害はない「から騒ぎ」として受け止めてください。
プロの出版社としては、痛い教訓を今後に生かしてください。
でも、「都道府県市区町村」落書き帳の話題にするには格好のネタでしたね。


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