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うるうさんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[40532]2005年5月3日
うるう
[40440]2005年5月1日
うるう
[40376]2005年4月29日
うるう
[40193]2005年4月23日
うるう
[40192]2005年4月23日
うるう
[39958]2005年4月17日
うるう
[39953]2005年4月17日
うるう
[39894]2005年4月16日
うるう
[39715]2005年4月12日
うるう
[39641]2005年4月11日
うるう

[40532] 2005年 5月 3日(火)01:13:12【1】うるう さん
大学院
[40451] 白桃さん
都市人口研究科問題(正解はひとつではありません)
[問題]白桃地理大学では、中国四国地方の9県庁所在地のひとつに本部を置くことに決定いたしましたが、中国四国地方出身の学生には下宿がなく、自宅から通学してもらうことになります。学生の便宜を考慮した場合、9市のうち、何市に本部を置けばよいでしょうか?人口分布、交通事情等総合的にふまえ、論理的にお答えください。

考えてみましたが私の回答は岡山市ということで。

まずは人口分布の観点から。中国四国地方の県別人口比率は広島県がダントツの24.4%。次に岡山県の16.5%、そして山口県の12.7%、愛媛県の12.5%と続きます。山陽新幹線の沿線の県に人口が多いことが見て取れます。ですから本部は山陽新幹線沿線ということで岡山市、広島市、山口市を候補に上げておきましょう。

続いて交通事情の観点から。
鉄道網を見ると四国から中国地方へは香川県坂出市と岡山県倉敷市を結ぶ瀬戸大橋を通るしかありません。これは結構大きなポイントだと考えます。電車のみを使うならば中国四国地方で34.8%を占める四国の人々が一度岡山市を通らねばなりません。(ただし学生さんの出身県が人口に比例するという仮定の基に成り立ちますが)また、学生さんが利用するであろう岡山駅には山陽新幹線をはじめ、山陽本線、伯備線、宇野線、赤穂線、吉備線、津山線と数多くの路線が乗り入れています。広島市や山口市などに比べると出来るだけ少ない乗り換え回数で大学最寄り駅まで行けるのではないでしょうか。
高速道路網を見ても四国の学生さんがしまなみ海道を使って広島市に行くよりも瀬戸中央自動車道を使って岡山市に行くほうが便利であると思います(特に高知自動車道を使用しなければならない人たちにとってはなおさら)。

その他総合的に考えるならやっぱり「白桃」の名が岡山に相応しいものであるからでしょう(笑)


この大学院入試は以前落書き帳で話題になった中国四国地方の中心都市はどこか?につながる問題かと思います。私論ですが(しかも東北人が言う戯言)「中国地方」の中心は広島市だと思います。その代わり「中国四国地方」であると岡山市が中心であると思います。まぁ根拠はありませんが、今回の大学院入試をやってて思いました。


♯上の問題では回答として岡山市と答えましたが、最初中国四国地方ならどこでもいいのかと思って倉敷市の国道2号線沿いのこの場所に白桃地理大学本部を!とか考えてました。見たことも聞いたことも行ったこともない場所ではありますが、ここの周辺だったら最寄の駅が倉敷駅や茶屋町駅、岡山駅などに分散し、また早島インターチェンジも近く交通の便だけならかなりいいかなと(ただ駅からのバスが必要になるかもしれませんね)。


【1】レスをした番号の書き忘れを追加。
[40440] 2005年 5月 1日(日)01:16:36【1】うるう さん
クイズ2題回答
[40398]ふぁいんさん

白桃大の第2回試験は難しい!!
データは持っているのだけれど、パソコンに入ってないからさぁ大変。調べようにも調べられません(涙)これでは、まるで参考書だけ買って全くやっていない学生さんのようだ。。。今から頑張ってデータ打ち込みをすれば間に合うかな?
とりあえず問題の対象となっている204都市(←この数すらあっているか疑わしい)の中で大正9年に3500人に満たなかった5市をあげるので勘弁を。

門真市(3,334人)・守口市(3,252人)・越谷市(3,240人)・春日市(2,450人)・寝屋川市(2,360人)

いかがでしょう。想定解は入ってますか?
逆に変動が少ないのには23区は入るでしょうな。あとは仙台市、宇都宮市、静岡市なんかも順位の変動が少なさそうですね。   


[40427]白桃さん

まぁ、とにかく後は白桃都市人口研究所主席研究員、「うるう教授」にお任せしたいと

このままでは教授の名を剥奪されてしまう加茂しれない(汗)頑張って次の問題で挽回しないと・・・


[40432]千本桜さん

検討がなかなか付きませんがやるだけやってみます。回答は以下の通り。

A盛岡、B秋田、C北上、D一関、E大館、F本荘、G釜石、H横手、I大船渡、J湯沢

盛岡よりも秋田のほうが人口は多いですけど、秋田より盛岡のほうが都市としては大きい気がします。だからここは盛岡を上に。
東北新幹線開業や東北自動車道開通後(どちらも1980年代初め)の北上や一関の成長は大きいと考えられます。ですからここはこれが適当かと。
で、全然わからないのはこの下。大館、釜石、本荘の順番です。
秋田県で1980年から2000年までで人口が増加した市町村はわずかに5市町。しかもそれらはすべて沿岸南部の市町です。その5市町うちのひとつが本荘。しかしこれは大館を抜くほどのものだったかどうか。予想は否ってことで大館を上にしてみます。そして釜石は・・・製鉄所の閉鎖は大きいと思いますので本荘の下にしてみます。
下の3都市はもうお手上げなのでそのままに。
[40376] 2005年 4月 29日(金)03:21:59うるう さん
やっと秋田も春爛漫になってきました。
[40359]白桃さん
白桃都市人口研究所の主席研究員になりたい(投げキスの方はご勘弁を 笑)ので、夜が明ける前にふぁいんさんよりも早く答えちゃいたいと思います。いざ。

都市名(1920年時の都市名)1920年人口2000年人口倍率
小樽市(小樽区)108,113人150,687人1.39倍
呉市130,362人203,159人1.56倍
室蘭市(室蘭区)56,082人103,278人1.84倍
函館市(函館区)144,749人287,637人1.99倍
大阪市1,252,983人2,598,774人2.07倍
---参考
門司区(門司市)72,111人114,750人1.59倍
若松区(若松市)49,336人89,560人1.82倍

上表の人口は組替人口ではなく当時の市域(区域)です。また、この表では載せていませんが那覇市の部分は那覇区と首里区は合わせて計算しました。
以上より、「小樽市」が回答ではないでしょうか。減少した都市は無いようなので、増減率の小さい都市は80年間の人口増加率が最も低い都市と一致しました。大体軒下提灯さんの予想が当たりましたね。
では逆に問題を出しましょう。1920年から2000年までの80年間で人口増加率が最大の都市はどこでしょうか?ちなみに2位から5位は以下の通りです。

順位都市名1920年人口2000年人口倍率
2位福岡市 95,381人1,341,470人14.06倍
3位八王子市38,955人536,046人13.76倍
4位福山市 29,768人378,789人12.72倍
5位尼崎市 38,461人466,187人12.12倍

この問題は簡単に解かれそうですね。。
[40193] 2005年 4月 23日(土)06:00:14うるう[229] さん
ハッポーチョー
[40184] 右左府 さん

はじめまして。秋田県出身の229(うるう)といいます。今後ともよしなに。

若い人でも訛りが強く残っている所は秋田県でも多いですよ
秋田市内の場合、日常会話の中で(若年層が)方言を使う人はほとんどいません。もう日常会話レベルでは風前の灯だと思います。せいぜい聞けて「んだなぁ~」などくらいですね。中には若干訛っている人もいますが、アクセントが違うくらいで別の言葉に代わるほどのものではありません。私も秋田弁は知ってはいますが、使うことはほとんどありません。
あ、運動部に所属している人は「いがった~」や「こぇ~」など、方言を使ってる人がなぜか多い気がします。出身地が偏っているわけでもないのに何か理由があるんでしょうかね。喋りやすさ・・・とか?

以上は若年層の話で、ご年配の方はまだ使う機会も多そうです。普段は標準語を話すのにたった数キロしか離れていない実家に帰った途端に秋田弁に変わる父を見てるとよく思います(笑)地域にもよりますが、訛りの激しい秋田弁を聞かされて、確実に聞き取れる高校生はかなり少ないのではないでしょうか。実際私も父の実家に行くとなかなか会話に参加できません(汗)
方言はこうやって廃れていってしまうのでしょうかね・・・。

能代山本の合併事情はドロドロ
当該地区に住んでいないので確定的なことは言えませんが、能代山本地区は他の地域(由利本荘市や大仙市など・・・)のように中心都市に求心力のある地域だと思ってたんですが、あのような結果になり、とても意外に思っています。さすがに「白神市」ではよくないですよね。。新市名は「米代市」あたりが妥当かなぁなんて勝手に思ってたんですけど、能代市民としてはあまり好みではないですか?個人的には「渟城市」が気に入ったんですけど能代山本地域全体を指す言葉ではないですしねぇ。。。

「八峰町」
右左府さんと同意見であんまりいい町名だとは思いませんね。やはり「八森町」の名を残しておくのが妥当なところだったのではないでしょうか。ハタハタで有名な土地ですし。
「三種町」の方は最初見たときは安易だなと思いましたけど(最終候補の段階で、もう一方の候補が「南部三町」だったせいかも)、こういう名の川があることを知って一人で感激してました。まるでこの合併のためにあったような川の名前じゃないですか(笑)

「八峰町」「三種町」共に「まち」ではなく「ちょう」というのも注目
秋田県にもだいぶ「ちょう」が入ってきますね。「美郷町」も「ちょう」ですから、秋田県で平成の大合併が終わると、まち:ちょう=6:3になります。関東以北で「ちょう」と読ませていたのは北海道と岩手・宮城の一部でしたから、平成の大合併が終わると全国の「まち」と「ちょう」の勢力図も変わりそうですね。


♯右左府さんのタイトルバーは木都能代を表すのにふさわしい色使いですね。
もしや、制服の色・・・じゃないですよね?
[40192] 2005年 4月 23日(土)03:50:35うるう[229] さん
自分色登録しました・・・
ので、多分次回の書き込みから色がつきます。落書き長の皆様、これからも何卒よろしくお願いします。あと、それに伴いニックネームを「229」から「うるう」に変えたいと思います。グリグリさん迷惑かけてすみません。よろしくお願いします。


自分色登録ついでにここで自己紹介をしてみたいと思います。
私の出身は秋田県秋田市。引越しというものは今まで経験したことがありません。地理に興味を抱き始めたのは、小学三年生か四年生の時に父が私に浅井建爾氏の著書「日本地理がわかる事典」をプレゼントしてくれたあたりだと思います。まあ、小学生にそんな本をプレゼントするということは、それ以前にもかなり地理に興味があったのは事実ですが(笑)

中学生になると毎月のように地理の名のつく本を買い漁っては読み耽っていました。また旅行も好きで、知人と電車に乗って県内各地を回ったり、ママチャリに乗って山形県境日帰りをしたことも。

高校に入ると忙しくなり、中学校の頃ほど遠くへ行くことも少なくなりましたが、自宅近くの県立図書館で統計物を中心とした様々な資料を読むのにはまり、国勢調査の資料ともここで出会いました。昔は結構地図を見るのが大好きでしたが(今も好きですよ)、最近は国勢調査や県勢など数字の羅列にも興味を持っています。


えーと、経県値は・・・
◎住んだことがある  秋田
○泊まった事がある  北海道、青森、岩手、宮城、山形、福島、茨城、東京、大阪、沖縄
●歩いたことがある  新潟、千葉、京都、奈良、兵庫
▲通過したことがある 埼玉、栃木、群馬、富山、石川、福井、滋賀
×かすったことがない 神奈川、山梨、長野、岐阜、静岡、愛知、三重、和歌山、中四国9県、九州7県

よって経県値は67点です。落書き帳ではまだまだ若僧ですね。ちなみに東京は去年の夏初めて行きました。別に行きたかった訳ではないのですが、学校の研修事業の一環で初上陸です。

経県値を見れば一目瞭然ですが、あまり遠くへは出かけません。修学旅行以外で行った東北以南の経験は3回ほどしかありません(しかもうち2回は海外旅行・・・)ただ、近場を回るのは好きなので福島を除いた東北5県はよく遊びに出かけてました。

おまけで修学旅行の行き先も・・・
小学校:仙台・松島・平泉
中学校:那覇・糸満・名護など
高校 :関西方面(グループ別に全日程が自由でした)

こんな感じの私ですが、よろしくお願いします。
出身地を公開した以上、地元の書き込みも増えそうです(笑)
[39958] 2005年 4月 17日(日)20:35:04うるう[229] さん
沖縄続き
補足です。1953年12月25日に奄美群島の1市5町14村が本土復帰しています。
以下が復帰した市町村(カッコ内は米軍統治下での市町村の変化)です。

名瀬市(昭和21年7月1日名瀬町が市制)
古仁屋町
三方村
大和村
住用村
龍郷村
笠利村
西方村
宇検村
実久村
鎮西村
喜界町
早町村
亀津町
伊仙村
天城村
東天城村
和泊町
知名町(昭和21年9月1日知名村が町制)
与論村
(以上すべて鹿児島県大島郡)

自治体の数は問題になった20というのと同じですし、これら20市町村の人口も20万人あまりで
216,080人
と僅差であります。

また、1970年の国勢調査には、他の県は「長野県」「滋賀県」などと書いてあるのに対し、沖縄県に該当する地域は「沖縄」と『県』がついていませんでした。米軍統治下では「沖縄県」というのが置かれていたのではなく、あくまで「沖縄」という『日本の統治外であった南西諸島一帯』の地域の名称だったに過ぎなかったのではないでしょうか。そして上に述べた20の自治体が1950年に「沖縄」としてカウントされ、1953年に「沖縄」から「鹿児島県」へと復帰した…。

私は以上のように考えましたが、ふぁいんさん、白桃さんいかがでしょうか?
あくまで自分の推測ですので確たる証拠は持ち合わせておりませぬ。
うむぅ、気になる・・・。
[39953] 2005年 4月 17日(日)20:01:59うるう[229] さん
沖縄
[39936]ふぁいんさん
残りの20市町村・216,080人はどこに行ってしまったのかなぁと・・・・
戦後の一時期のみ、他にも沖縄県を名乗っていた地域があったのだろうか。
[39946]白桃さん
人口について考えられるのは、沖縄県発表のものには在留米軍人口が加算されていなかったのでは?自治体数については、本落書き帳アーカイブスにある「終戦後の沖縄に生まれた市とは?」に関係あるのでは?、と、根拠の無い理由を探しております。

奄美諸島が関係してくるのではないでしょうか?1950年の国勢調査の鹿児島県のところを見ると大島郡には十島村しかありません。1953年の本土復帰までは鹿児島県下の市町村としてカウントされていないのではないかと思います。
ただ、これらの地域が沖縄県であったかというとそれは違うような気がしますが・・・。
[39894] 2005年 4月 16日(土)01:50:27うるう[229] さん
春爛漫
問七:天理市

毎年楽しみにしてるのに、今まで気付きませんでした(汗
[39715] 2005年 4月 12日(火)18:01:51うるう[229] さん
2005年 春爛漫企画・全国の市十番勝負(第六回)
問二:掛川市

想定解がわかってもそれに該当する市を探すのに一苦労してしまった自分。。
[39641] 2005年 4月 11日(月)16:45:48うるう[229] さん
国勢調査論
リンパ腺を腫らしてしまい40度を超える熱を出してしまいました。つらいのなんのって。
桜がまだ咲いてないのが不幸中の幸い(笑)

[39512] ふぁいんさん
こちらこそはじめまして。ふぁいんさんの事は、白桃さんの白桃地理大学入試問題([6069])を即答したときから存じ上げておりました。私が国勢調査の資料をコピーし始めたのもこの前後だったと思います。それにしても膨大な資料をお持ちですね。うらやましい・・・。私も時間さえあればまたコピー活動を再開したいのですが、なにぶん今は忙しい時期なのでなかなか趣味に長い時間を割くこともできないのです。

ところで、国勢調査以前というのはどのくらい前のことでしょうか?全国一斉の人口調査をすることは、江戸時代には無いと思いますので、そんなに古くはないのでしょうけど。かつて「国勢調査以前日本人口統計集成」(たしかこんな名前)という名の本に興味をそそられた経験があります。しかし結局「国勢調査のコピーが全て終わってから」と、まだ読んでいません。

国勢調査以前の人口も調査している(もしくは見た)方はおられますか?
ちなみに私は、国勢調査以前の人口をまだ調査はしていませんが、興味はあります。ただし市町村制が施行された1889年以降が興味のもてる範囲です。いつかは国勢調査以前にも手を出してみたい・・・。


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